| 立山黒部アルペンルートと 黒部峡谷鉄道・金沢・高山・上高地 |
平成15年9月23日(火)〜9月26日(金)
国道12号旭川日産前、4:10。定刻読売旅行送迎バスで旅立つ。久しぶり南の空にオリオン星座を見た。
千歳空港ANA715便8:10フライト。信州上空、左眼下に富士山をみてまもなく名古屋空港に降り立つ。
気温20度、暑くもなく寒くもなく快適な3泊4日のバス旅行がスタートした。
富士山が雲の上に顔を出す。
名古屋観光日急バス。ガイド・田中奈津美(20歳)
名古屋をでるとすぐ名神高速に入る、木曽川を渡り10:35、大垣へ入るころ前方に養老山脈がせまる、若いガイドさんは若者言葉をまじえながら歴史や民話を説明してくれる。養老乃瀧物語。
車はやがて関ヶ原、彼女は高校時代関ヶ原がなんだったのか知らなかったと正直に告白して家康と石田三成との合戦の様子を話し始めた。
11:05、車は米原ジャンクションから北陸自動車道へはいった。湖面は見えないが琵琶湖に沿って北上する、彦根、長浜と古戦場も多くガイドさんの歴史物語に力がはいる。
信長は一乗谷の朝倉氏を滅ぼし、続いて湖北一帯を支配していた妹お市の夫浅井長政も攻め滅ぼす。
お市は信長のもとに帰っていたが後に信長の家臣柴田勝家に嫁いだ、柴田勝家は一乗谷に入り、のち北庄、現在の福井に城を築いて城主となるが、しかし再び信長の命を受けた羽柴秀吉とここ「賤ケ岳」で戦う。
この賤ケ岳の合戦に敗れて北庄へ戻った柴田勝家は城内でお市とともに自害してはてる。戦国武将の話を聞くうちバスは賤ケ岳SAへはいった。
賤ケ岳サービスエリア11:45。
信長の妹お市は浅井長政との間に3人の女の子をもうけたが、一人は秀吉の側室淀君に、一人は徳川秀忠夫人に、一人は小浜藩主京極高次夫人となって動乱の時代を生きのびたそうです。
バスの旅が続く。
賤ケ岳SA・・敦賀・・福井・・加賀(九谷窯)・・兼六園。
九谷窯と表示価格
3,000万円の壺
賤ケ岳SAをでるとまもなくトンネルを一つ抜けて福井県に入った、北陸自動車道が敦賀を回るからだ。敦賀の街をはるか左にみて、いくつかのトンネルをでたとき山間に一瞬敦賀湾を見る。12:05。
武生、鯖江、福井と進む。5街道の一つ北陸街道は栃の木峠を越えて越前福井に入る。ガイドさんの街道物語は武生を過ぎたあたりで突然「紫式部」の話にかわった。越前国府に任ぜられた父藤原為時(ふじわらのためとき)と2年あまり、ここ武生に住んだらしい。
福井を過ぎてまもなくバスは加賀ICから国道8号線へおりて市街地を行く。車窓に山代温泉の看板を見てまもなく「九谷窯」に到着した、13:10。
軽い昼食をすませ、九谷焼を見る。写真の壺は3,000万。お店では1,050円の醤油差しを宣伝していたが一輪挿しの小さな花瓶を買って記念品とした。食事の時間も入れて1時間程度の休憩でバスにもどった。
しばらく国道8号を行く、途中柴山潟を右に見て片山津ICから高速、北陸自動車道へはいると再びガイドさんの歴史物語がつづく。
首洗い池 (加賀市手塚町)
1183年、倶利伽羅(くりから)の戦いで木曽義仲に大敗した平家の軍勢は、加賀平野を南下し、篠原の地で陣を立てなおし義仲との決戦を図った。しかし勢いづいた義仲の軍を阻止することができず、このとき、敗走する平家軍でただ一騎踏みとどまって戦ったのが斉藤別当実盛であった。実盛は老武者と侮られることを恥とし、白髪を黒く染めて参戦したが手塚太郎光盛に討ち取られ、討ち取った首をこの池で洗ってみると黒髪はたちまち白髪にかわった。それはまがいもなく、その昔、義仲の命を助けた実盛の首であった。
兼六園 桂坂口 金沢城の遺構 石川門
日本海を左に小松空港を右にみて進むうち、バスは金沢西ICをでて金沢市内に入る。
兼六園到着3:15。
桜ヶ丘口から入って約1時間の見学となった。ややお疲れ気味のガイドさん、同じ説明の繰り返しも大変でしょう。
二本足の「ことじ灯籠」付近から始まった。記念撮影。
唐崎松、霞が池と進む、曲水の石の数が12万個、毎年3月に1回1個、1個洗うそうです、さすが。何度みてもすばらしい庭園を一周して桂坂口からでて石川門を見る、屋根が白いのは鉛瓦だそうです。
4:30、バスは駅前ホテル「キャッスルイン金沢」へ向かう
やや寂しいビジネス風ホテル、おおかたの人はバスで光林坊へ、8千円の懐石料理。我々は駅前の居酒屋「北の庄屋」で海鮮と釜飯、地酒もおいしかったです。
兼六園・霞が池にて。
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