登別&地球岬     加藤
 10月9日(金)、10日(土)久しぶりに登別温泉へ旅行した。滝之湯別館「玉ノ湯」、クマ牧場入り口にある小さな和風旅館でくつろいで来ました。大規模な温泉ホテルとちがって雰囲気も接待も家庭的で、食事は部屋食ではないが家族グループごとに炉端を囲み魚介類やキノコなどを網であぶりながらほどよい間隔で運ばれる料理で楽しい時間を過ごすことができて大満足だった。
 地獄谷、大湯沼も何年ぶりか歩いてみたが、昔の記憶とはすっかり様変わりしていた。

                   左から大湯沼、2景・地獄谷、3景
大湯沼は何十年か前とさほどの変化はなかった、昔は歩いて行ってもさほど遠いと感じなかったのに今回は車で行っても遠いと思った、地獄谷は昔の面影はない、奥の方にわずか水蒸気の上がるのが見えるだけでお湯の吹き出しやボッケが全く見あたらない、遊歩道を行き交う人の多くがことばから判断して中国の団体さんらしかった。

 6日は温かいサービスに感謝しながら、温泉をあとにして、お天気もよかったのでレンタカーを走らせて室蘭、地球岬をまわりおみやげは岬の駐車場で毒まんじゅう、道の駅でボルタを買ってそこから白鳥大橋を渡って帰路についた。
        室蘭・地球岬は以前に登山道路の入り口がわからないで断念した
       地球岬灯台               地平線180度の展望・地球が丸く見える

                            ホームへ戻る

   
            9人の軍神と真珠湾     加藤(09・12・8)

 68回目の12月8日がやってきた、わが帝国陸海軍は今日、8日未明、西太平洋上において米、英と戦闘状態にいれり、、、、、、、。第二次世界大戦の始まりだった。あらかじめ千島をでてハワイ島に接近していた機動部隊から発進した飛行機が真珠湾に向かい戦艦アリゾナをはじめ多くの艦船を沈め連合艦隊に大打撃をあたえた。日本ではこの日、朝から何度も何度も大本営発表の臨時ニュースがラジオから流れていた。
 12月8日、(アメリカは7日)のこの日は休日らしいが日本ではあまりニュースにもならない。一昨日(12月6日)はNHKスペシャル「真珠湾の謎・悲劇の特殊潜航艇」としてテレビ放映されていた。二人乗りの小型特殊潜航5隻がこの奇襲攻撃に参加して戦艦アリゾナを轟沈させる戦果をあげ、勇敢な9人の海軍軍人を軍神としてたたえていた。自分は勇敢な9名の軍神に何の違和感も持たなかったが、二人乗りの潜水艇5隻なら戦死者は10名でなければならない。実は一艇はソナーの故障で別の海岸に座礁し、一人は捕虜になっていたのだった、大本営はそのことをアメリカの報道でわかっていたので、はじめから9名だったような顔をして9名の軍神となったのらしい。さてテレビに戻って、最近偶然見つかった5番目の潜水艦を日米共同で調査したところ、三つに切断されワイヤーが巻き付いて人為的にここへ捨てられた物とわかった。先に座礁した潜航艇があって、この船は情報源としての意味はなかったのだろう。結論は戦艦を撃沈したのは飛行機の爆撃で、特殊潜航艇の戦果ではないことがわかった。しかしこのとき海軍はこれを戦果としてそれ以後も特攻兵器、人間魚雷の開発をすすめ、幾多の若者を戦場に散らしてしまった。ご冥福を祈る。
 尚今日はジョン・レノンの暗殺された命日でもあり(1980・12・8)「今日は何の日」としても若い人には開戦記念日より、ジョンの命日の方が話題になっている。
                                       ホームへ戻る

      
                         2010、年頭の雑感      加藤 平成22年1月元旦
 政権交代、チェンジを旗印に民主党が政権を獲得した、政権を取り返したのではなく、戦後初めて自民党から野党だった民主党に政権が移行したのだったが。このことは武力を使わない革命だったと思っている。しかし現状では劇的に経済が回復して庶民にも希望の持てる社会が実現することでもないし。ここは一つ辛抱が肝心で一人一人が身の丈にあった生活を守り、鳩山政権を見守っていくしかない。
 昨夜から日本列島は寒波に見舞われ北陸は大雪に見舞われ、この地方も雪に埋もれた新年を迎えた。元旦早々除雪に汗を流し初詣は近くの水神様に出かけた。我が家から500mくらい、東海大学の麓にかってアイヌ伝説の底なし沼があった場所だ。

 現在、この沼は埋めたれられて中程に沼の主が出入りできるように大きなヒューム管が立っている。この沼の底から見つかった岩に竜の彫り物が見つかり、これを本尊として沼のほとりに小さなほこらを建ててお祭りしている。商売繁盛の御利益があるとされ、年中参拝する人の姿が絶えない。
 我々はこの雪の降りしきる中でお参りを済ませた。経済の発展と家内安全、すべての人々に平和と安らぎの社会が保証されるように願った。オバマ大統領は「平和を維持するために戦争が必要なこともある」と言ったが自分としてはすべての戦争に反対したい。
 沖縄基地移転も、すぐに米国の希望にそった決断をしないと日米関係が大変なことになると多くの報道機関が騒いでいるが、そもそも戦後60年たった今日も日本の国内に外国の基地があること事態が正常でないのだからこの際そう慌てて決めることもなかろう。日米関係は勿論大切にしなければならないが、沖縄の思いを無視することなくいい解決を見つけてほしい、そのためには米国にも妥協してもらい、あらゆる選択肢で率直に話し合ってほしい。そんなことを年頭に、お隣のSさんご夫妻と初詣のお参りを済ませた。
                                      ホームへ戻る

 
                         旭川冬祭り     加藤  平成22年(2010)   2月10日
 
 
 2月6日から始まった旭川冬祭りもあと2日を残すのみとなった、今年は寒い日が続いてお客さんの出足も鈍いらしい。今日は車を車検にだして、代替え車も断ったので車のないエコな生活を送っていたが急に思い立っちバスに乗って雪祭り会場へ出かけることになった。忠和から駅前は福祉バス乗車券で100円、そこから石狩川河川会場までは無料のシャトルバスが走っている。シャトルバスは会場からさらに旭山動物園東門を回っている。このコースは動物園へお客さんを運ぶのが主目的ではなく、東門前に旧旭山スキー場があってここがスノーランドになっているため冬祭り期間中は無料バスが運行される、勿論動物園を見学して旭川駅前に戻ることができる。バスにはボランテアガイドさんが付いて親切に案内してくれる。
 自分もバスから降りて駅前に立つと何となく旅行気分になった。
 何となく旅行気分で、まもなく解体される旭川駅と、氷の彫刻が並ぶ買い物公園にカメラを向けた。

バスは15分ほどで旭橋下流の河川敷に降りた。地方から来た観光バスが10台ほど並んでいる、時間的にスノーステージの出し物がないせいか会場は閑散としている、一昨年20万人が押し寄せたあの雰囲気は全くない、わずかに屋台村が賑わうばかりだった。おかげさまでゆっくりと会場をまわった。スノーステージになる雪像は巨大な登竜門で中国の説話が題材らしい、トラック6000台の雪が運び込まれたとボランテアガイドさんの説明だった。
         


ステージ前を行く集団は会場の奥に作られた巨大な滑り台が目的らしい。滑り終わって帰る子供たち、これから滑り台に向かう集団、それぞれ30名くらいが先生に引率されて移動していた。右の写真は堤防の特設観覧席で、一昨年はここから舞台を観ようとしたが前に出ることができずカメラを高く差し上げてなんとか写真に納め、人波に押されて会場を回った。今年はのんびり回っている。

それぞれの思いや、願いを首にかけただるまさんが200あまり並んでいる、新聞にだるまさんが40個ばかり壊されたという記事があった、それは買い物公園に設置されただるまさんでここのものではない。ここから堤防を越えて常磐公園会場に入ると雪明かりの道、氷のドームなどが目に入るが行灯に照明が入らなければ目立たない。ここで一番目立つのは氷の建造物、それは旧旭川市役所だった。この建物に郷愁を覚える年代は70歳以上だろうか、説明には次のように書かれていました。

                           旧旭川市役所

明治43年(1911)6条9丁目(現旭川グランドホテル)に旭川町役場として着工、翌明治44(1911)年に完成しました
昭和33(1958)年に現在の庁舎が新築されるまで町役場、区役所、市役所として、長く市民に親しまれました。

 郷土史などをみると旭川村の誕生は明治23年北海道庁令によるが、明治30年に現東旭川(兵村)を永山村に編入し忠別太を中心にした市街地を旭川町として分離し発展させてきた。切り離された兵村は永山から分村独立して「東旭川村」となって今日に至っている。旭川神社、旭川小学校が東旭川にあるのはそのときの名残です。雪祭り会場の氷の役場庁舎から街の歴史を調べることができました。

      
      河川敷会場の大雪像と花火
                                                トップ
      自分は夜の会場は出かける元気が無くて撮影できませんでした 
       この写真は森井弘二さん(日写連会員)提供のものです。