ナショナリズム        9/5   加藤
10数年前、私が現役のころ、学校の教育目標の中に国際性を育てると言うようなスローガンを多く見かけた、日本は単一民族などと発言する大臣がいたころ、難民受け入れとか、外国人労働者の受け入れなどが話題になっていた。しかし国際性とは裏腹に最近のナショナリズムの高まりは、いやーな予感がしてならない。
しかし考えてみるとこの流れは、やっぱりあの5年前の9・11以降のような気がする。ただし「民主主義を守るテロとの戦い」が根底にあるなら、この度の加藤紘一元自民党幹事長事務所、実家放火事件に何故政府要人は反応しないのだろうか。小泉さんはあなたたち(メデイア)が質問しないから答えなかったと人ごとのようにうそぶいているし、自民党タカ派の若手議員は地元の講演会で、「15日に加藤さんの家が焼けちゃった」と軽口で聴衆の爆笑をかっていた(道新9/5)という。保守に対立する言論が封鎖されて当然と言う風潮が怖い。
靖国参拝にしても、なぜ「外国に言われて行くとか行かないとかを決めなければならないのか」、、、、、、。その通りです。自分もそう思います、若者の多くもその点で靖国参拝を支持しているようです。しかし論点がすり替えられていませんか、靖国が戦死した人々を神として祀ることに異論はありませんが、ただ戦場へ向かった若者の多くは自国の安定とアジアの平和実現を願っただろうと思うとき靖国はそのことを具現しようとしているだろうか、先の戦争を肯定し、美化し、東京裁判を否定するとしたら、そのような場所へ首相の参拝がいいのかどうなのか、そのことが問われるべきではないだろうか。
 安倍官房長官の発言も、A級戦犯も国内法では罪人ではなく普通の人なんです、、、、とか。村山談話は踏襲しません、などと言われるとますます日本の将来が心配になってきた。

                                  ホームへ戻る

追記    この記事を書いた翌日、安倍官房長官は総理になっても村山談話に対して新しい見解は発表しないと訂正したことを付記します。尚9月10日の新聞では小泉首相が旅行先のヘルシンキで後継者として安倍支持を表明した。小泉内閣の改革路線を引き継いでくれる人だからとしている。この引き継ぎには8月15日の靖国参拝も含まれているような気がしてならない。



                  11月3日の記             06/11/3   加藤 登
 憲法記念日の今日、ノンフイクション「玉砕ビアク島」を読んでいる。10月下旬のある朝、いつものようにNHKラジオ深夜便「心の時代」、(再放送)を聞いていた、岩手県出身の佐々木仁郎さんのニューギニア戦歌集ビアクの砂についての対談だった。佐々木さんは主計少尉として弘前の原隊から満州、その後西部ニューギニア、ビアク島守備隊として駐屯していたが。そこで昭和19年5月、マッカーサーの連合軍を迎え撃ち激戦の末負傷し、捕虜となって、オーストラリアの捕虜収容所をへて帰還した人です。ビアク島は西部ニューギニアサミルの沖合い、周囲500キロほどの島でガダルカナルに次いで中部太平洋を守るために日本軍としては絶対死守しなければならない島だった。しかし守備隊13214人のうち生還した者520人(3.9%)、戦死率96.1%という死闘で、米軍の戦死者も9700人と聞けばはげしい戦場の様子がわかります。
 佐々木さんは「生きて虜囚の辱め(ハズカシメ)を受けた」ことが心の傷となって、戦後の遺骨収集にも参加しないでいたが、生き残った者のつとめはどうなるのという奥さんの言葉に目覚めてから、慰霊、遺骨収集、記録の作成などに関わってきました。

                    
 この本は、元読売新聞記者で現在ノンフイクション作家の田村洋一さんが書いたものですが、佐々木さんほかビアクの生き残りや防衛庁防衛研究所戦史室など膨大な資料を基に書き上げている。戦後の遺骨収集は昭和31年に185柱、43年に2560柱、46年に20柱を収集したのみでいまだこの島には10000人以上の日本兵の遺骨が眠り、激戦地の砂をめくれば今も白骨を見つけるそうです。
 今日は憲法記念日、道新によれば60歳の憲法記念日を前に安倍首相は私の任期中に憲法を改正したいと英紙のインタビューに答えたそうです。その理由の第一に「占領軍の影響下で制定された」事をあげています。連合国は日本を二度と戦争のできない国にしようと押しつけたのかもしれないが、日本人はこれを平和憲法とよんで慣れ親しんできました。戦後のあの開放感、言論の自由、戦争放棄、それ以来自由に発言し平和を享受してきました。これを平和ボケと笑う人もいますが私は平和ボケで結構です。60年間よく頑張ってくれたこの憲法に有り難うございましたとお礼をいいたいです、出来ることならこの自由と平和を孫の世代にも残しておきたいと願いつつ。骸となったビアク島の兵士に黙祷を捧げます。    

                               ホームへ戻る
        

              新庄選手有り難う     加藤   06・11・23
2006年11月18日札幌駅前通が14万人のファイターズフアンで埋め尽くされ。花吹雪に包まれて3年間続いた新庄劇場に幕がおろされる日がついにきた、新庄選手有り難う。優勝パレードの中継をみながら涙が止まらなかった。野球の応援はアンチ巨人で、いつでも巨人の相手チームを応援していたのが最近では巨人の勝ち負けなど気にもしなくなった。「これからはパリーグです」からはじまり、2006年10月26日、札幌ドームで中日に対戦成績4:1で勝利して日本一の胴上げで完結した新庄劇場に盛大な拍手をおくります。

 移籍を発表したガッツおがさわら
 
 さて我々道民に夢と感動を与え続けてきた二人の引退と移籍で、ファイターズはどう変わっていくのだろうか。いつでもフルスイングでチームを引っ張ってきた小笠原選手にも感動を有り難うと申し上げます、巨人でも幸せになってほしいと心から願っています。巨人サイドは大喜びで清武代表は小笠原に巨人の人になってほしいと声をかけたらしいが、これはどうもあやしい。広沢も江藤も清原も、小久保も巨人の人になれなかった、小笠原も所詮小久保の穴埋めだろう。2番谷、3番小笠原、4番李、例年のように大型補強選手で中軸を固める予定らしい、もし4年頑張って巨人の人になれななかったらいつでも北海道日本ハムファイターズへ帰ってきてください。ファンの一人として私は心からそう思っています。新庄、小笠原のぬけた日ハム、どんな補強ができるのかわからないがのびのびと活躍する若い力で必ず魅力的なチームになることを信じて応援しています。頑張れファイターズ。
                                   戻る