近況報告           加藤 登
 半年以上もホームページに手を加えていない。ホームページは加工しないで長期間放置すると削除されると聞いたことがある。その期間が何ヶ月か何年かは知らない。とにかく忠和の歴史資料を集めたり、道南駆け足旅行、この春も熊野古道など記録に残したい資料はいっぱいあるのに書く時間がない。気力が衰えたのかもしれない。ここ数年ヘルニアの手術以来公的な、ボランティア的な仕事を断り続けてきたので、そのしわ寄せが来ているのだろう。現在5つの団体の何らかの役職があって多忙を極めている。多少元気になったせいもあるだろう。病院は眼科と皮膚科、肺に白い影があって継続観察、腰痛で死ぬことはないだろうと思って暮らしている。病院や薬局の待合室にある血圧計は3度に2度は上が90台で、110もあれば嬉しい低血圧症だ。
 好きな里山歩きもお預けで来期以降に期待している。友人から道民カレッジの受講を勧められているがこれも当面お預け。秋には脳ドックも予定している。去る1月、もっとも信頼しお世話になった先輩がガンで急遽逝ってしまったのが寂しい、先が見えてきたことも確かだ、しかし自分にはやりたいことがいっぱい残っているので当面は健康に留意して頑張ってみようと思っている。  2006・7・31

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           61回目の終戦記念日     2006・8・15
 今日の旭川は29.7℃、61年前の8月15日も暑かった記憶がよみがえる。昨年はニューギニアから届いた現地の小石などを両親のお墓に納めて戦後の区切りをつけることができたが、今年は小泉首相の靖国参拝という不愉快なニュースで駒大苫小牧大逆転勝利の歓びも半減してしまった。小泉さんのお参りの姿から哀悼の意志が伝わってこない、自分の思いだけで行動を起こすガキ大将のわがまま小僧にしか見えない。

   
     Aさんが60年間大切持っていた遺品              61回目の終戦記念日

 駒大苫小牧大逆転勝利と小泉さん靖国参拝のニュースが載った2006年8月15日の道新夕刊。併せて、いとこのAさんが肌身離さず持ち歩いたご主人の遺品の数々(写真左)を掲載する。遺品の写真公開はためらっていたが、靖国論争に併せて公開しました。
       続き。
 8月16日、昨夜(15日)は写真を挿入して終わったので、その続きを書いている。遺品は数年前Aさんとの会話の中で戦死したご主人のことにふれたとき突然思い出したように仏壇の中から取り出しました。銃弾の貫通したお財布や血染めのハンカチーフなど、60年を経た今も生々しい遺品の品々でした。Aさんはおもむろに包みを開けながら「天皇陛下万歳とはいわなんだわなあ」そんな意味の讃岐弁をつぶやいた。絶命の間際に最愛の妻や幼子のことをさておいて天皇陛下万歳はないだろう、、、、、、。60年間胸にしまっておいたAさんの思いだったのでしょう。昨夜のラジオ深夜便、正確には今朝4時、ニューギニアから生還した佐々木さんの話があった、佐々木さんは西ニューギニア、サミルの近くのビアル島で飛行場建設に当たっていたが、昭和19年戦闘態勢が整う前にマッカーサー連合艦隊の上陸作戦を迎え撃ち、12000名の部隊はほぼ全滅、佐々木さんらけがをして米軍の捕虜になった兵隊400名あまりが帰還したらしい。佐々木さんの話のなかで野戦病院で次々と亡くなっていく兵隊は最後に故郷の風景や、家族のことをうわごとのようにしゃべって絶命するそうです。佐々木さんのお話は明日もつづきます。今日はここまで、あそこは地獄の一丁目といわれたニューギニアの各地で若い命を落とした皆さんのご冥福を祈ります。
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