四国八十八カ所霊場遍路の旅日記・2年目  2003・4・18~19  1日目
  4月18日(金曜日) 
 昨年秋の徳島に続いて高知から四国八十八カ所巡礼を再開した。
 旭川空港15:55、(JAS149便)に搭乗して羽田で乗り継ぎ、19:50、定刻に高知空港に降り立った。風邪で内耳へのパイプが詰まっているせいか、耳の奥が痛い。大きく口を開けて空気を入れたが右の方はガンガン鳴っている、タクシーは10分くらいで「高知黒潮ホテル」へ到着した。食欲もなく、クッキーを4、5枚かじってベットに潜り込んだ。
 4月19日(土曜日) 
 夜通しうなされるような気分で朝を迎えた。食欲はないが7時からの朝食でロビーへ降りる、窓側の小さな席に着くと駐車場の向こうが旧道で、歩き遍路さんが一人、また一人と大きな荷物を背負って歩いて行く姿が目に入った。
 熱はないが、のどが痛くて体調は最悪だ。気がかりだったジンマシンも両手が腫れて箸が持ちにくい。
 昨年もそうだったが歩き遍路さんを見ると元気をもらう、これは朝から縁起がいい、自分も勇気を出して出発しよう。
ニッポンレンタカー、高知空港前の事務所で手続き。「お四国ですか」。向こうではお遍路ですか、と聞かないでお四国ですか、、、。と声をかけてくれる。「ようお参りなさって」、四国へ来てくれてありがとう、そんな意味を込めてたびたび声をかけてもらった。手続きを済ませて8:00時スタート、国道55号バイパスへ出た。
   ★28番大日寺
 国道55号は昨年室戸から27番神峯寺まで走った道だ、いま室戸方向へ向かっている。2kmくらいで左折して野市町の市街地を抜けると大日寺はその外れの小高い森の中に建っていた、小型車は山門の前まで入れる。麓の県道沿いの駐車場からバスで来た団体のお遍路さんが大勢歩いて登ってくる。
 団体さんが去った後の静かな境内で今年もこうしてお遍路ができることに感謝をこめてお参りしていると胸が熱くなった。国分寺へ向かう。
29番国分寺
  南国市までは先ほどの団体バスの後ろを走った、市内に入るころ早めに右折して市街地を抜けると平坦な水田地帯に入る。8:50分到着。周囲の水田は田植えが終わったばかり、珍しく平坦な土地に広々とした境内が白い塀に囲まれて森を作っている、屋根が瓦でもなく、銅板でもなく、椹(さわら)ぶきのしっくりした珍しいつくり。椹はヒノキ科の常緑高木、材としてはヒノキに劣るらしいが杉、檜のなかま。境内が広々と落ち着いた雰囲気で手入れも行き届き旅の疲れを癒やしてくれた。
 
  30番善楽寺
 県道384へ出ると一本道、高知平野北東部の山中を高知自動車道と平行して走る、県道から500mくらい入って大きな鳥居の前にでた。土佐一宮に建つ「 土佐神社」だ。
明治の神仏分離令で寺の方は廃寺になり本尊は国分寺に預けたらしい、昭和4年に再興され、安楽寺とともに30番札所が二カ所になったこともあった(資料)現在安楽寺は奥の院となり、昭和57年改築の本堂が建つ、山門はない。土佐神社は1570年長曽我部元親が建てたもので国の重要文化財になっている。9:25
 神社の前で中年のおばさんと話し込んでいると、近くにいたおじさんが五台山への道を詳しく教えてくれた。
31番竹林寺
 環状線へ出ると、途中渋滞500mの表示が出ていたがさほどの待ち時間もなく、一気に五台山へ登った。
 竹林寺は10年ほど前に一度お参りしている。西門から入るとすぐ五重塔の前、近道でこれは幸いと思いきや納経所が正面東口にあって長い階段を歩く結果となった。しかし新緑が美しく心静かにお参りを済ませた。
 車は竹林寺を一周して正面東門からやや下がりバス駐車場、その脇が牧野植物園、牧野博士が晩年自分の妻の名を取って名付けた「ゆきこ笹」の思い出が懐かしい。 
 
  32番 禅師峰寺
 禅師峰寺へ向かう、こちらは再び南国市、国道は禅師峰寺の建つ峰山の下をトンネルで抜けるので手前から旧道に入る、野菜農家の畑の中を2kmほどで駐車場へ着いた。急な階段を上がると本堂は土佐湾に向かって建ち、はるかに桂浜が見える。
 本尊は航海安全を願って十一面観世音菩薩。
 石段を降りると正面に果物と草餅を並べた売店があったので、今年も草餅3個を買った。 11:20
 国道へ戻って浦戸湾へ向かう、浦戸大橋を渡るとすぐ桂浜の分岐に出る惹かれる気持ちを振り切って進んだ。
 ★33番雪蹊寺
 国道周辺も観光地のせいかよく整備されて美しい。パンジーの花壇、道路脇はサツキの植え込みが咲き誇っていた。
 11:40 雪蹊寺は改築中だった、雪の降らない土佐に雪蹊寺の名前が不自然に思ったが長曾我部元親の法号をとったもので、元親の宗派に合わせて真言宗から臨済宗に改めた(資料)、本尊は薬師如来、両脇の日光、月光菩薩は運慶と湛慶の作である。
 本堂は改築中で仮本堂にお参りした、山門のあたりはここもサツキが満開で、モミジとのコントラストが印象に残った。
 
   ★34番種間寺
 種間寺に向かって狭い県道を走る、春野町へ入ったあたりで「春野総合運動公園」の表示が目についた。西武球団のキャンプ地だ、たしかコンサドーレもこのあたりにキャンプを張るはずだと思い巡らせながら車を走らせた。
12:10 このお寺も平地の真ん中で田んぼの中の農村風景にとけ込んでいる。山頂の寺と違って駐車場も広い、その脇の小野商店の女将さんの笑顔もよかった、トマト、ミカン、ゆず鰹などが並んでいて鰹を2本お土産に買った、
 この寺の創建は古く、敏達天皇6年(577)、大阪四天王寺を建立するために百済より大勢の仏師や工匠が招かれ、その帰りの船が暴風雨に遭ってこの近くに遭難してきたが、そのおり航海安全を祈願して薬師如来を刻んだのが始まり(資料)で、その後弘法大師が寺を開き唐から持ち帰った米、麦、粟、きび、豆、の五穀を蒔いたのが始まりと云われている。こんなことを詳しく調べたのも私の母の実家の系図が敏達天皇から始まっているので、子供のころ母からよく聞かされた名前だった。寺と小野商店の女将さんに別れ、土佐市へ向かって国道56号を進んだ、
 ★35番清瀧寺
途中で青龍寺の標識を見ながら市街地に入ってきたが、清瀧寺の入り口がわからず土佐市役所の前を行ったり来たり。ようやく狭い道を見つけて進んだ。最後の2kmの上りは高知へ来て初めての難所でやっとこたどり着いた。
 薬師如来像が印象的、納経所の壁に「車で来られてよかったな、と思った人は200円、道路整備のためにご協力ください」と書いてある。
 自分も本当に助かったと思い、200円を大きな瓶の中に入れると35番清流寺と名の入った巡拝記念のボールペンをいただいた。
 
   ★36番青龍寺
 土佐市内を抜けると10kmあまりの一本道、途中明徳義塾の部活専用バスに2度すれ違った。そのことからモンゴル出身の朝青龍関のことを思った、草原のモンゴルからこんな山の中へ留学してさぞ寂しかっただろうと思う。
 山門前の牡丹が美しい、山門から170段、急な石段を登るときも朝青龍のことを思った、寂しくなるとよくお参りに来たらしい。石段に覆い被さるようにツツジの花が満開だ。
 弘法大師が唐に渡り長安の青龍寺で真言密教の奥義を授けられた、このような寺を作りたいと思い立ち帰国後にこの地を選んだという。そのことで不思議な物語が残されているが省略しよう、三重の塔が新緑に沈んでいた。
青龍寺から国道へ出るとき一瞬迷ったが、ハンドルを右へきって横波スカイラインへ入った。美しい海岸線、新緑の樹間はるかに 白い波が砕ける、サーフボードの若者があつまっていた。
 ひたすら窪川をめざす須崎から中村までのおよそ100km、通称中村街道をひた走った。「カワウソの里、須崎」を過ぎるころぽつぽつと降り出した。時々ワイパーを動かす程度。窪川到着4:10。ここも懐かしい中村の帰りJRから土佐くろしお鉄道の乗換駅で時間があったので駅周辺を散歩したことがある。
 ★37番岩本寺
 体をぬらすほどの雨もなく一日目最後の札所岩本寺にお参りした。天井絵が印象に残った、雪蹊寺から一緒だった親子とここで別れることになった、若い娘さんがお母さんを案内してのお遍路で、行く先々で若いのに偉いねと声をかけられていた、これから足摺岬まで走る予定だそう、僕は中村までだというと無理だったと悔やんでいた。若いので大丈夫と声をかけて分かれた。でもこれからさらに100kmは正直きついと思う。
 自分も疲れている、道の駅、ドライブインはすべて立ち寄って休んだ。中村第一ホテルはすぐわかった、2度目なので懐かしい、走行距離200km、のどが痛い。両手が腫れている、めろめろに疲れた。到着5:30。走り終えた喜びだけが気持ちを支えている。
 
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