遍路旅日記・最終稿(結願)   4月22日~23日
 昨日は牟礼町から高松市内へ戻り、市内をしばらくドライブしてから香川厚生年金会館・・・ウェルシテイ高松に泊まった、年金の無駄遣いとたたかれる施設だが、こうして利用すると大変ありがたい、奉仕料、消費税込みで4,900円。
 いよいよ最終日を迎えた、十分に時間にゆとりのあることを承知で7時少し前に出発した。高知も愛媛も徳島も不慣れな道を走るときは早朝の車の少ない時間に限る、志度町では国道から分かれて海岸沿いの道を行くとすぐ五重塔が目に入ってきた。 
   □86番志度寺
 志度寺は625年創建という札所の中でも屈指の古刹と書かれていた、写真の本堂も1670年高松藩主松平頼重の寄進で重要文化財に指定されている。
 海沿いの駐車場から少し歩くと重厚な作りの仁王門の前にでた、巨大なわらじが左右に置かれ、仁王像は運慶の作とか、仁王門を入ると左手に朱塗りの美しい五重塔が建ち、広い境内をしばらく進んで本堂と大師堂。時間が早いせいかお遍路の姿はなく近所の人らしい散歩の人影のみ、お線香の煙が一筋ふたすじ上がる中で静かにお参りをすませ納経所でおしゃべりをした。
 実は昨日白峰寺で聞いたさぬき弁が気になっていたので若いお坊さんに尋ねてみた、、、、。「ぬくうなったなぁ」は生活感覚で何度くらいの気温で使うのか、いくら四国の人でも30℃をこせば暑いと言うはずだから・・・・・・。
  残念なことに、このお坊さんは茨城県の出身でこの寺で修行中だがさぬき弁はわかりませんだった。ただ「ぬくい」は暖かいだから季節的に今ころが「ぬくい」のかなあと言うことだった。ありがとう、がんばってねと声をかけて分かれた。
境内には書院、宝物館、薬師堂などの古い歴史を感じる建物が並ぶ。枯山水の庭園があると聞いたが先を急いだ。
87番長尾寺
 志度寺の前をぬけて国道11号を渡るとほぼ直進で7km。途中のコンビニで朝食をすませる、現場へ向かう大工さんや 人夫さんがお弁当を買う、出勤前の若い娘さんが車の中でサンドイッチを食べながらダッシュボードに鏡を置いて化粧を始める、日本全国でこの時間の風景は同じだ。海岸を離れて農村地帯をいくがあまり美しい風景が見えない、雑草がのびて見苦しい。レンゲの紫の花だけがきれいだった。
 写真は東門、栗林公園から移築された、横からの通用門で仁王門は左手に建つ高松藩、松平家と縁の深い寺だそうです。仁王門前の経憧に弘安9年5月とか弘安6年7月の銘があり、「元寇の役」の犠牲者の霊を慰めたと言われている。8:00~8:25。
 
   
 □88番大窪寺
 ついに大窪寺の山門が見えた、3年がかりで結願(けちがん)のときがきたのだ。長尾寺から山道を18km、歩き遍路にとっては様々な思いが交錯して苦しかった日々を振り返りながら歩くのかと想像してみたが車では一気にたどり着いてしまった。山門に向かって歩きながら自分は何の反省もしていないことに戸惑っている。
 山門から出てきたご夫妻に結願の感想を聞きたくて話しかけたら逆打ちでこれから旅立つところだった。型どおりのお参りをすませて境内をゆっくり回ってみた、到着は9:10分ころだったが10時を過ぎると到着の人も増えて賑やかになってきた、女性の一人旅は46日目だという、退職まもなくのおじさんはさすがに元気だ33泊と35日、始まりのころはこれは大変なことに関わってしまったと後悔したこともあったが身体がなれてくると一日、一日が楽しみになってきた、もう一度回りたい、土佐清水から足摺に向かった朝の風景が忘れがたいく二度目の遍路に出たい。そんな感想だった。
 劇的に何かが変わることもない、病気が全快することもない、一つのことが終わった安堵と寂しさだけが残った。椎間板ヘルニアで旅行をあきらめた時期もあったが、痛み止めの薬効とあとは一緒に回ってくださったお大師さんの遺徳のおかげだと思う。自分は3年で11日間、窪川(岩本寺)のあたりで小雨に遭った以外はすべて快晴の日々だった、有り難う、有り難う、四国で出会ったすべての人に有り難う、ごちそうさま、、、、、。草餅はおいしかったです。さようなら。
   □1番霊山寺
 名残惜しい大窪寺を10:20分ころに出る、およそ一時間ほどで霊山寺へ到着した、ここは懐かしい、旅立ちの支度に慌ただしい団体さんで混雑している、そんな中で大きな荷物を背負った二人の外人さんが歩き始める姿を見送って結願してほしいと願う。四国霊場八十八カ所巡礼「満願の証」をいただいて霊山寺とも分かれた。
 徳島ニッポンレンタカーで無事故で完走してくれたホンダヴイッツに感謝し徳島港からフェリーで和歌山港へ、共済の宿「ホテルアバローム紀ノ國」に安着した。



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