青森・秋田(2泊3日)列車の旅    五能線と秘湯めぐり

 1日目(2009・5・28)
旭川(5:20)スーパーカムイ・・・・札幌(7:00)スーパー北斗・・・・函館(10:40)白鳥18号、青森(12:43到着)・・・バスに乗り換えて・・・・・秋田の男鹿温泉に向かう。1日目はひたすら男鹿半島に向かって走り続けた。
 函館で昼食弁当を受け取ると、知内を過ぎて列車が青函トンネルに入るころから昼食の時間となった。いつもの旅仲間5人で私以外の4人が青函トンネルを初めての体験だという。新潟が故郷のAさんはいつも小樽からのフェリーで行くらしい、観光旅行は飛行機で、他の皆さんも同じことのようだ。旅行は速いのが一番と心得ている、私のように関西、四国、山陰の旅行でも「北斗星」や「カシオペア」を使うようなのんびりとした旅は苦手らしい。
 
 さて、前置きが長くなったが青森からは観光バスに乗り換えて、東北自動車道を碇ヶ関で下りて、国道8号線を能代へ向かう、道の駅「たかのす」で小休止、太鼓の里、世界一の大太鼓、なぜ「鷹巣」が太鼓なのか聞き忘れてしまった、ごめんなさい、あとで調べてみます。
 あとは能代から大潟村、男鹿半島、入道崎へと一気に走り抜けた。大潟村は昨年の思い出がよみがえり車窓を食い入るように眺めた、ガイドさんの説明はこの村の誕生や現状に思い至ることなく、農地の広さや湖水の広さ、集落の作り方などの説明は有ったが、干拓の社会的な背景に触れることはなかった。バスは菜の花の刈り取られた直線道路を北から南へ走り抜けた。


函館駅・白鳥

青森駅・乗り換え

大潟村・直線道路

入道崎北緯45度

入道崎灯台

入道崎・日本海

入道崎・記念撮影

なまはげの歓迎

展望風呂・樹海

なまはげ太鼓

 寒風山を右にみて男鹿半島を西へ向かって進むと山間部に農地が点在し、田植えの終わった田圃が所々にみられる。半島の付け根から1時間くらいで先端へでた、入道崎である。この間にガイドさんの説明は男鹿に古くから伝わるなまはげの風習や「なまはげ」を迎える側の作法などの説明があった。入道崎は北緯45度のモニュメントと灯台が建つ以外は広々とした草原でなだらかに日本海につながる。駐車場に売店があって等身大の「なまはげ」人形が出迎えてくれた、やや引き返して男鹿温泉に到着。展望風呂から樹海を越えて日本海を望む、夕食のあと「男鹿温泉交流会館」で勇壮な「なまはげ太鼓」を見せてもらった。

 2日目(2009・05・29)
 2日目は真山神社に参拝し男鹿真山伝承館で「なまはげ」の歴史を観る、あとは再び大潟村を北上し五能線乗車と、世界遺産「白神山地」のはずれ十二湖の散策がメインだった。
 ホテル前で記念撮影、お天気も最高で緑の樹海をぬけて10分くらいで真山神社到着、神社に山門があって左右に仁王様が出迎える、平安時代以降神仏習合の霊山として栄えていた名残らしい、宮司さんの説明は「竹内宿禰」がこの地を尋ねた折、国土安泰を祈り「ににぎのみこと」を祀り・・・・・・・・などの説明は若い人には何のことかといぶかるばかりだろうが我々にはなつかし神話の歴史がよみがえる。なまはげ伝承館で男鹿地方の古い伝統としきたりを厳粛に受け継いでいる習俗を体感し、集落に伝わる様々ななまはげに別れを告げてバスに乗り込んだ。

男鹿温泉ホテル 真山神社仁王門 なまはげ伝承館 八峰町旧八森町 五能線車窓
五能線12湖駅 湖畔の散策路 青池
ブナ林の散策
田沢湖

 バスは昨日の逆コースをたどり、大潟村を北上し、能代を迂回してさらに北へ向かう。やがて八峰町で小休止した、ここ八峰町はハタハタの産地で旧八森町。秋田音頭の一番目「コラ 秋田名物八森はたはた 男鹿で男鹿ぶりこ 能代春慶 檜山納豆 大館曲わっぱ」、現在のハタハタは昔のように採れないとしても町村合併で八森の名が消えたのは淋しい、ここは五能線「あきた白神駅」、我々はもう一つ先の岩館から乗車、二両編成の車両はほぼ満員で白神岳が日本海に落ちる岩場を左車窓に見ながら12湖駅までの列車の旅を楽しんだ。
<12湖>
 白神山地の青森がわ西の外れに大小33個の湖沼があり、大崩山から見ると12の湖が見えることから12湖と呼ばれる、誕生の原因は1704年の地震で大規模な山崩れが発生して濁川がせき止められ多数の湖沼が形成された。
バスは湖畔の新緑を映し込んだブルーの湖面を眺めながら狭い山道を進み鶏頭場の池入り口で下車した。目的は青池、コバルトブルーの水面が幻想的な「青池」。ガイドさんの説明も原因はわからないそうで、そのことでより神秘的に見せているのかもしれない。急斜面を上ってブナ原生林に入ってみた、世界自然遺産・白神山地の入り口に立って、天をつくてブナの原生的な姿を眺めて下山した。東能代、北秋田、から秋田内陸縦貫鉄道沿いに田沢湖まで南下して田沢湖高原温泉に入った。写真は田沢湖湖畔の後座石神社。

3日目(6月30日)
 青森からはるばる田沢湖まで南下した理由はテーマが秘湯巡り、乳頭温泉に入ることが狙いだった。
曇り空で多少気になる空模様ながら雨の心配はなさそうだ、秋田駒ヶ岳を右に見て乳頭温泉に向かった、次第に高度を上げてブナの林の中を大きくカーブを繰り返して進んだ乳頭温泉郷は鶴の湯、黒湯温泉、孫六温泉、妙乃湯、大釜温泉、蟹場温泉、休暇村など7つの温泉を総称した呼び名でバスは大釜温泉に到着した。

大釜温泉 温泉の湯は灰白色
道の駅・鹿角
斜陽館 太宰生誕100年
津軽三味線 金木駅・走れメロス 津軽鉄道 五所川原 青森・スーパー白鳥

 大釜温泉は秋田大学の学生心中事件で建物が焼失し、本庄市の廃校になった小学校を移築したもので敷地内に二宮尊徳の銅像も置かれていた、お湯は灰色でかなり高温の湯が湧いている。朝から温泉気分ではなかったが、タケノコ採りのおじさんたちと一緒になって秘湯の気分を満喫することができた。(写真)
 さてバスはいったん田沢湖温泉に戻ってあらためて弘前、五所川原へと向きを変えて進んだ、途中玉川ダム、グリーンシャワーロード名付けられた峠道は道路の両脇に残雪が見られ、深い霧に包まれていた。
<金木町>
 途中道の駅鹿角(かずの)で昼食、ひたすら金木町(かなぎ)へ向かって走り続ける。今年は太宰治生誕100年に当たり斜陽館には大勢の観光客が訪れていた、太宰の父親(津島源右衛門)は明治の大地主で明治40年この豪邸を建て太宰はこの家で育った、戦後津島家はこの家を手放し旅館になっていたが平成8年金木町が買い取り、太宰治記念館となって公開されている。
 近くの津軽三味線会館で津軽三味線を鑑賞して、津軽鉄道「ストーブ列車」で五所川原までの電車の旅を体験した車両の愛称は「走れメロス」、電車ではなくジーゼル車両でこの季節ストーブは付いてない。津軽鉄道株式会社は赤字経営で若い車掌さんは車内物品販売に精を出していた、青森17:22分発スーパー白鳥で帰路についた。

太宰治生誕百年
                    津軽鉄道(走れメロス) 
   

太宰治略年譜

明治49年6月19日    津島源右衛門、タ子(タネ)の六男として誕生
明治44〜大正5年    6歳まで、子守タケの教育を受ける
大正11年          金木尋常小学校主席で卒業
大正12年          青森中学入学
昭和2年          官立弘前高等文科甲類(英語)に入学
昭和5年(21歳)     東京帝国大学仏文科入学
                同年、小山初代と祝言
昭和8年(24歳)     太宰治の筆名で東奧日報に「列車」が入選
昭和12年(28歳)    小山初代と別離
昭和14年(30歳)    石原美和子と結婚
昭和15年(31歳)    「走れメロス」発表、「女生徒」が透谷文学副賞
昭和19年(35歳)    津軽を旅行し「タケ」さんと再開
昭和20年(36歳)    金木町へ家族とともに疎開
昭和22年(38歳)    3月里子(次女)誕生、
                11月太田静子に女児誕生、
               「斜陽」完成(同年3月)
昭和23年(39歳)    「人間失格」、如是我聞」完成
                山崎富栄と入水、6月19日遺体発見、
                (この日を桜桃忌とする。現在は誕生祭)
平成9年          太宰夫人美智子死亡(85歳)


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