”もやしの歴史”の中でも載せていますが、近年になってからの”もやし”は日本からが始まりではないでしょうか。?
それも”この時代だから出来た、偶然の野菜!”ではないのでしょうか。!?
数年前から、”もやし”について調べてきました。
そのために、”畑からもやし迄”をが研究テーマになり実行しています。
もやしの原料になります、大豆・緑豆が主ですが、畑で作って見ると面白い事が判ります。
わが国では!もやし”の語源からの定義として、”穀類や野菜などの植物の種子や根株などを筵(むしろ)で覆うなどして光を当てずに芽を出させ、胚軸や茎基部の節間を白く長く伸ばしたもの。
葉緑体をもたず細胞壁も厚くならないのであくが少なく軟らかい。”と在ります。
また、文献などで記されている”もやし”は高貴な方々が食したのが主で、形状(成長段階)がまちまちなのです。
現在、一般的に”もやし”と呼ばれる”緑豆もやし”は、第二次大戦後ビルマ(現ミャンマー)からの復員兵の方が日本に帰国する際、お土産に持ち込んだブラック・マッペが、現在のもやし普及の最初の原料になりました。
それ以前は、”大鰐温泉もやし”に代表されるような”大豆もやし”がほとんどだったのです。
緑豆はわが国では文豆(ぶんどう)・やえなり・毛蔓小豆(けづるあずき)などと称され、古来から小豆として栽培されていたものですが、
一般的に小豆は小豆粥、赤飯などの儀礼・習俗、薬効に関連する赤小豆が珍重され赤い種子の小豆栽培が多くなっり、ほとんど栽培されないものでした。
そして、赤小豆はえんどう豆と同じに豆を中心に芽と根が同時に伸びる物で”もやし”としての形状に問題がありました。
その事から、現在の”もやしの原型は、復員兵の方々が、戦地の南方の僧侶や人々が安価で入手し易いブラックマッペやいろいろな豆を発芽させ食していたのを見て、そのつくり方を持ち込んだ事から始まったのではないでしょうか。?
原料が入手しやすくなり、”簡単に出来る野菜”として全国に伝わったのは、第二次大戦後です。
畑で種子を蒔き発芽させ、成長・開花・結実・収穫と全て上手に行けば良いのですが、?
もやし業者とは云え、農業は素人ですので、どのように種子を蒔くのかも知りませんでした。!
そのため、深く埋めなかなか発芽しない物があり掘り起こしてみると、なんと”立派なもやし”になっています。
江戸時代では、もやしの栽培について「大豆、小豆、ささげ、文豆(ぶんどう−緑豆のこと)を水につけて、折敷(おしき・暗室器)に土を入れて蒔けば、やがて生える。一寸四、五分(4・5センチ)も出た時に使う。
とありますが、土の中でも立派な”もやし”が出来るのです。
ちなみに、温泉熱を利用した”大鰐温泉もやし”は藁を大豆の生長に合わせて被せて光を遮る栽培方法をですし、藁の変わりに砂を被せていく栽培方法も有ります。
つまり、”もやし”の起源は”水だけで栽培する方法”だけではなかったのです。!
一般的に現在の形に定着したのは最近で、偶然の賜物かも知れないのです。!
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