1999年10月分の掲示板です

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じかん● Sun Oct 31 19:38:47 Japan 1999
おなまえ●あつこ
メッセージ● S水さん
私の道三は大活躍中です!!!
毎夜、眠れずに、しかし、ページをめくるのが惜しい気持ちと
続きを読みたい気持ちとの葛藤で苦しんでいます。
良い本は、本当にページをめくってゆくのが辛いですね、
終わりに近づくのが悲しいです。
「国盗り物語」で、読書のおもしろさを再認識しました。
そして、私は道三に恋しています。
以前、高杉晋作にもぽぉっとなっていたのですが、
彼の場合は、自分も男になって、晋作のような生き方をしたいという憧れ。
そして我らが村田蔵六に対しては、色恋ではなく、
人間的に憧れる、という感情です。
道三は、男性としての魅力に溢れていて、私はもう夢中です、、、
じかん● Sun Oct 31 10:43:47 Japan 1999
おなまえ●とどさま
メッセージ● 秦太さま
まだしっかり読んだことないのですが
宗氏については司馬遼太郎先生の『だったん疾風録』(漢字がでない;)
があったと思います(記憶違いだったらごめんなさい)。
いつかチャレンジしたいと思います。

遼太の父さま
>勇壮果敢で、ハ−ドで、大地のうねりを感じるような、そういうイメ−ジです。
そう、テーマ曲で流れる映像も、空をバックに1頭の馬が駆けるシーンで、古代の逞しさが感じられました。
(馬の頭だけで、しかもスローモーションで映してるとこが上手い!)

しんぺいさま
>「獅子の時代」が一番好きだとかいっていました。
偉いぞ閣下!(偉いから閣下なのか)
ところで、メール送りましたが、とどきました?
じかん● Sun Oct 31 3:46:46 Japan 1999
おなまえ●財前吾郎
メッセージ● ただいまマックのG4でアクセスしてます。
壁紙が液晶画面では見づらかったので、はっきり見えてうれしいです。
こんどからこっちでアクセスしようっと。
じかん● Sun Oct 31 1:38:59 Japan 1999
おなまえ●秦太
メッセージ● 今夜の『街道をゆく』は、『壱岐・対馬の道』でしたね。
対馬のナレーションで、「晴れた日は朝鮮半島の海岸線が見える」とありましたが、
撮影スタッフの皆さんは、海上に霞む朝鮮半島の「絵」が撮れず、さぞ悔しかったことでしょう。
(ぼんやり映っていたのかもしれないけれど、少なくともうちのテレビでは見えなかった)
私も二回行って二回とも見ることが出来なかったのでちょっと同情します。
厳原の町は小さいながらも城下町の雰囲気が濃厚に残っていて、そこはかとなく建物の
印象が異国風で、味のある所でした。道路標識などがハングル併記なのもなんだか自然でした。

対馬や宗氏の視点で展開する歴史小説というのも、あまり知らないけれど面白いかもしれませんね。
大陸と日本の間に何事かある度に関わってきたんでしょうから。
じかん● Fri Oct 29 22:11:15 Japan 1999
おなまえ●しが
メッセージ● しんぺいさま
すみません、ビデオのことはしんぺいさまでしたね。混乱してしまいまして・・・
江藤新平から名前をとられたのですか。私も「歳月」は読みました。本物のさらし首を見るのは確かにつらいものがありますね。

じかん● Fri Oct 29 22:00:08 Japan 1999
おなまえ●しが
メッセージ●
じかん● Fri Oct 29 21:55:15 Japan 1999
おなまえ●しんぺい
メッセージ● こんにちわ
>とどさまさん
>凄いですね!デーモンが。なんか嬉しいな(^^)
デーモン小暮は大河ドラマは毎回見ているらしいのですが、
「獅子の時代」が一番好きだとかいっていました。
前半部と後半部でドラマの視点が違ってる、とかなんとか、興味深い事を
なんか言っていたような記憶があるんですが、
あんまりちゃんと見ていなくて憶えていません(^^;

>4年くらい前にBSで再放送されたものです。
>ご希望でしたら連絡くださいネ(。。。但し、本当に前半ついてくのは辛いかも。。。)

ありがとうございます。是非とも。
でも江藤の出てくる所だけでいいかなっと思うんですが、
それじゃ話がわかんないっすかね?
一応、メールアドレス書いておきますね。
よろしくお願いします。
でも今ビデオ故障中なんす(^^;

takaak-o@ascii.co.jp

>。。あ、もしかして「しんぺい」って江藤新平から取ったのですか?

そうです「歳月」を大河ドラマにしてくんないかなっと
思っているんですが、ピンじゃちょっと苦しいかな〜
翔ぶが如くの時は一応、原作扱いでしたがね。
翔ぶが如くでは、江藤のさらし首のシーンは、ちょっとショック
でしたが、NHKやるな、と妙に関心してしまいました。
ネットで検索中に実際の本物のさらし首の写真を見たとき
もっとショックでした。
そんなん載せるな〜!ムッキー!!


池波先生では、「真田太平記」が好きでした。


じかん● Fri Oct 29 21:14:57 Japan 1999
おなまえ●S水
メッセージ● あつこさんへ
国盗り物語を読んでいるそうですが、僕も「箱根の坂」→「姫の戦国」→「武田信虎(武田八洲満)」→「三好長慶(徳永真一郎)」→「剣豪将軍義輝(宮本昌孝)」と読書の秋ということもあり、読んでいる本のスピードが速まり、現在序々に戦国時代に入りつつあります。それはそうと、早雲が小田原城を落とし、相模に進出始めたときは我ながらおかしかったのですが、本当に嬉しくて相模の国に駆けつけたい衝動にかられました。そんなことで、ちょうど東京出張があったので帰りに小田原に立ち寄ってみました。小田原の西はすぐ箱根になっていて、あまりにも山並みが迫っているのでびっくりしました。東京から小田原に向かう電車のなかで、だんだん関東平野が狭くなっていくのが新鮮で、遼太の父さんのおっしゃるとおりの広い広い関東平野に対して相模の国は一番端っこなんだなあと妙な実感というか納得をしてしまいした。伊勢の国に住んでいる僕にはいきなり関東平野を与えられた家康が、何の未練もなく小田原を捨てて、江戸に居城を構えた気持ちがわかるような気がしました。それはそうと、考え方によっては、早雲が小田原を落としたことによって「戦国」の幕を開き、彼の子孫である氏政・氏直の降伏で小田原が落ちたことによって「戦国」の幕が降ろされたと思うと感慨ひとしおでした。話を戻しますが、今読んでいる義輝にも道三は登場します。といっても先程読んだ章で死んでしまいましたが...。ちょっと歴史小説というよりは時代小説っぽい本ですが、この本の道三もわずかの登場ですが魅力的で、美濃一国を乗っ盗り、結構あっさり義龍に殺された(といってもいろいろ描かれていましたが)人柄を「夕立のような」人と形容しており、おもしろい表現だなあと感心してしまいました。まだあつこさんの方では道三は存命ですか。それとも信長に主人公を移してしまった頃かなあ。いずれにしろ「国盗り物語」。次はそれでいこうかなあ。


じかん● Fri Oct 29 21:06:09 Japan 1999
おなまえ●しが
メッセージ● 愛里さま
京都の大学で史学科ですか。実は私もそうでした。あぁあの頃に戻りたい・・・
専門はどのあたりなのでしょうか?それと、どこの大学なんですかね?もしよろしければもう少しヒントを下さい。今すぐにはちょっと本が見れないものでして。
ちなみに、私の大学は3つの学舎に分かれています(京都と滋賀)。

S水さま
そうですか、読まれましたか。同じ著者の本で「武家と天皇(岩波新書」というのもありますよ。南北朝だけでなく秀吉以後の話も載っています。あと、松本利昭の「虚器南北朝(光文社時代文庫)」も結構おもしろいですよ。

財前さま
うちは、テレ東系は基本的に見られないんです。ただ、独立放送局のびわこ放送(BBCと呼ばれ、よく偽者といわれる)がテレ東系の番組をやってくれるのでそれで見ることができました。
ビデオは恐らくでてないんじゃないでしょうか。

じかん● Fri Oct 29 19:55:02 Japan 1999
おなまえ●S水
メッセージ● 本の紹介で思いだしたのですが、以前しがさんから紹介していただいた「室町の王権」を早速読んだのですが、御礼を忘れていました。改めて、ありがとうございました。小説とは違って僕にはちょっと難しかったけど、だいたい本の流れはつかめたような気がします。
じかん● Fri Oct 29 18:22:26 Japan 1999
おなまえ●masato
メッセージ●
愛里さん、こんにちは。
『王朝序曲』帰ったら見てみますね。何かそういったつながりがあると、身近に感じますよね。
わたしも京都の大学受験を夢見たこともありましたが、結局地元北海道に残ることになってしま
いました。

平岩弓枝さん、池波正太郎さんの小説はぜんぜん読んだことないですよ。時代小説にはまったく
手を染めていません。このページをはじめてからずいぶんたくさんの本を紹介してもらいました
が、まだまだぜんぜん手が回りません。
じかん● Fri Oct 29 16:40:07 Japan 1999
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 葉月里緒菜と沢口靖子

葉月里緒菜のイメ−ジが悪くなったのは、あのスキャンダルのときに、よせばいいいのに生意気に開き直って手塚理美を傷つけるような発言をしたからですね。あそこで彼女の育ちの悪さというか品の悪さというか頭の悪さみたいなものが露出してしまって、すっかり嫌われものになってしまったわけです。同じスキャンダル塗れでも、宮沢りえのようなタイプは同情できるけれど、葉月里緒菜はいけませんね。

あのときの手塚理美の傷心の姿は端から見ても気の毒で、彼女自身まったく予期していなかった出来事のように見えました。普通のおばさんになり普通の母親になっていたわけです。しかし、手塚理美にしても、志穂美悦子にしても、仁科明子にしても、和久井映見にしても、自分が子どもを産んで年をとって、それから後のことを真面目に考えて選択したのかな、という気はしますね。厳しい人生の自己責任のあり方であります。その点、山口百恵の選択はあざやかなほど対照的に正解でありました。

サントリ−社が「和イスキ−」などと言って和食用のウィスキ−の宣伝をしていますが、私はあれを見ていて、全く逆効果というか、却って売れないようにしているだけじゃないかと思えてならないですね。食品をタレントで売るときは、絶対に好感度の高い人間を使わなければならないのが常識です。サントリ−も貧すれば鈍するで、落ちましたね。昔は開高健とかいて、史上最強の宣伝部を誇っていたんですが、諸行無常です。

沢口靖子のことは誰でも気になっているようで、

Yahoo掲示板
でも、ああだこうだと議論になっています。私は、無理にイメ−ジチェンジなんかせずに、このままずっと永遠のお姫様でいてくれればいいと願うのですが、女優稼業としてはそうもいかないのかも知れません。それにしても、ああいう純白な可愛らしさというのは、この時代、あまりに貴重な存在のように見えて仕方ないですね。

私、実はひそかに細川直実を第二の沢口靖子の候補として戴いて応援しています。何とかこのままスキャンダルにひっかからずに、沢口靖子のような堂々たる優等生のお姫様になって、天下に君臨してもらいたいと思います。
じかん● Fri Oct 29 12:43:52 Japan 1999
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 西尾幹二 「国民の歴史」

本日発売で先程早速買ってしまいました。「新しい歴史教科書をつくる」と言うから教科書かと思ったら、何と770ページの分厚い本でした。値段は安いけれど、これは重いしスペースを取る。悩みながらの購入ではありました。もっと字を細かくすればよかっただろうに、何となく彼らの隠された戦略的狙いを感じますね。

記紀神話よりも魏志倭人伝の記述を歴史として捉えている現代日本の古代史学は間違っていると言ってますね。すべての歴史は神話であるとも言っています。戦後の歴史学は神話を歴史から断絶させるところから人文科学として再出発を始めたわけですが、それに対する真っ向からの挑戦ですね。まるでヒトラ−のナチズムを想起させるが如き主張です。予想通りではありますが、しかしもし司馬遼太郎が生きていたら、この事態にどう立ち向かっただろうかと考えますね。
じかん● Fri Oct 29 10:45:55 Japan 1999
おなまえ●遼太の父
メッセージ● とどさま様

>『風と雲と虹と』、テーマ音楽も素敵でしたね!

実はそうなんです。よくおっしゃっていただきました。私、正直に申し上げて、NHKの大河ドラマで音楽を覚えているのは、この昭和50年の『風と雲と虹と』と昭和39年の『赤穂浪士』だけなんですね。『徳川慶喜』は今は覚えているけれどすぐに忘れるでしょう。『赤穂浪士』のテーマ音楽はあまりにも有名で、これは何度もテレビで流されているから、誰でも聴けば『赤穂浪士』を知らなくても「ああ、あれか」とわかります。

>いかにも、「まだ怨霊が信じられてた時代」ってかんじで。

この印象は私は少し違っていまして、むしろやはり古代坂東の大平原、未だ田畑に開墾される以前の一面茫茫の大草原だった関東平野、そしてそこを騎乗した武者(武装した開拓自衛農民)たちが疾駆してゆくイメ−ジを思い浮かべます。勇壮果敢で、ハ−ドで、大地のうねりを感じるような、そういうイメ−ジです。

私、よく車でつくばに行く機会があるのですが、利根川の向うの岩井市が将門の町なんですね。「将門そば」なんていうそば屋があったりします。利根川を超えると筑波山が見えますが、その他には山はなくて本当に広い広い関東平野があるんですよね。日本で平野の広さを実感できるのは、北海道を除くとあのあたり(北埼玉・南茨城・北千葉)だけじゃないかと思います。

私は西日本の生まれでしたので、視界に山が入らない広い広い平野というのは憧れでした。だからこのドラマを見ながら、利根川から筑波山のあたりに思いを馳せて、いつか関東平野を思いっきり疾駆してみたいなどと思っていました。あの音楽は「荒ぶる坂東の魂」という感じです。
じかん● Fri Oct 29 10:01:58 Japan 1999
おなまえ●遼太の父
メッセージ● あれ、リンクが失敗している。もう一度トライしますね。
http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Miyuki/3843/to_pro.html
じかん● Fri Oct 29 9:47:54 Japan 1999
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 遠山景織子

これですね。

あまり印象と記憶がないのですが、Kyookoと書いているから、きょうこと読むのでしょうか。けおりこ、けおこ..何と読んでいいのか悩みました。もし芸名だとしたら覚えてもらいにくいからマーケティングの失敗だし、本名なら親の見識を疑うな。ちょっと身勝手で子供が可哀相だと思う。

最近、特に女の子で、滅茶苦茶な漢字の当て字を名前につけているケースが多いように思います。暴走族がコンクリートの壁にスプレーで書きなぐっている不気味で品性の悪い漢字の使い方がありますけれど、あれによく似た漢字の名前がありますよね。

平安貴族なんかでわざと人に読みにくい漢字を名前につけたという事例もあるし、森鴎外が娘に真理(マリ−)と付けたところからこの「様式」が始まったという伝統があるから、一概には言えないですけれどね。

個性的な名前をつけたいという親の心情はわかるけれど、個性、個性と個性ばかり主張して、徒らに社会に自我を突き出すのもどうかと思うんですね。例えば「漱石」のように、ネーミングに文学的とか歴史的とか古典的な意味のバックグラウンドがあればいいんだけれど、何もなくてだた「音」だけで漢字を当てるのはセンスがないですよね。

葉月里緒菜の写真集は、残念ながら拝見していません。年のせいか写真集はあまり関心がなくなりました。昔、樋口可南子が話題となった写真集(ウォ−タ−フル−ツ)を出したときに、これは見なきゃと思って本屋に足を運んだのですが、ビニ−ルで包装されていて中を覗くことができませんでした。葉月里緒菜はいい女だと思うけれど(久米宏もメロメロになっていましたが)、あのスキャンダルはどうも格好がつかないと言うか、好感が持てないんですね。スキャンダルの尾を引き摺っています。どちらかと言うと、ああいう不良娘系よりも沢口靖子的なお姫様系の方に目が行きます。

世の中が殺伐としているので、せめてテレビではお姫様を見ていたいという気持ちですね。沢口靖子なら何でも話して楽しそうだけれど、葉月里緒奈だと何から話していいか分からないですよ。あの久米宏でさえ焦って汗かいていましたからね。
じかん● Fri Oct 29 0:57:42 Japan 1999
おなまえ●財前吾郎
メッセージ● とどさま
リアクションありがとうございます♪やっぱり。(あのシーン好きです)
「獅子の時代」の再放送があったということは!!!
「花神」も夢じゃありませんね!(くどいっちゅーのに!)
総集編のビデオをもってても、再放送は文句無し!!

●遼太の父さま
葉月里緒菜…肉感的な色気はともかく、雰囲気はありますね。
写真集、胸がなくても気にならなかったし。
(どうして私が写真集を云々言えるかは謎。)
まだ若いけど、遠山景織子なんかどうでしょうか?

●しがさま
五、六年前でテレ東。割と最近。
東北ではよっぽどでないと、テレ東はやらないですね。
もったいないなぁ。

じかん● Thu Oct 28 23:55:46 Japan 1999
おなまえ●とどさま
メッセージ● >そういえば以前、「獅子の時代」深夜の番組でデーモンが紹介していました。
しんぺいさま
凄いですね!デーモンが。なんか嬉しいな(^^)
>あれに江藤も出ていたのか。ビデオ出ないかな。
実は。。。私持ってます(近々友達に貸す予定になってたので)
4年くらい前にBSで再放送されたものです。
ご希望でしたら連絡くださいネ(。。。但し、本当に前半ついてくのは辛いかも。。。)

。。あ、もしかして「しんぺい」って江藤新平から取ったのですか?

遼太の父さま
『風と雲と虹と』、テーマ音楽も素敵でしたね!
いかにも、「まだ怨霊が信じられてた時代」ってかんじで。


じかん● Thu Oct 28 22:58:30 Japan 1999
おなまえ●愛里
メッセージ●  こんにちは。私も永井さんの本は好きです。特に、「王朝序曲」が好きなんですが、
小説の最後に参考文献がありますよね、そこに何とうちの大学の先生の書いた本が載ってるんです。(私の通う大学は京都にあります、ちなみに私は史学科在籍)どの本かわかりますか?
 永井さんの他には平岩弓枝先生、池波正太郎先生が面白いです、一度読んでみたらいかがでしょう。(「御宿かわせみ」・「鬼平犯科帳」・「剣客商売」)

     Email address yuka-h5310@kjps.net
じかん● Thu Oct 28 15:20:50 Japan 1999
おなまえ●しんぺい
メッセージ● >しがさん
「燃えよ剣」は、ビデオとか販売していないでしょうかね?
役所土方、見たい。

>とどさま
そういえば以前、「獅子の時代」深夜の番組でデーモンが紹介していました。
あれに江藤も出ていたのか。ビデオ出ないかな。


じかん● Thu Oct 28 12:24:40 Japan 1999
おなまえ●しが
メッセージ● 財前様
「燃えよ剣」は、前後編の六時間ほどです。時期は五、六年くらい前だと思います。
ビデオが実家に置いてあるもので、詳しいことが思い出せない・・・。正月帰省したら、もう一度見てこようかなあ。


じかん● Thu Oct 28 10:34:36 Japan 1999
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 『雲と風と虹と』の主人公は、後に関東で反乱を起こして新皇を名乗る平将門で、その正妻役が真野響子。理想と情熱に燃えて関東の荒野を開拓する真面目一途な開墾領主とその妻という役所が、二人のキャスティングによくマッチしていた。加藤剛も真野響子もこれ以上ないほどプレーンで純朴なイメージだったから、まさに質実剛健、品行方正な開拓農民の夫婦そのものの雰囲気。そしてまた、そういう配役のリアリティが視聴者に納得的に伝わってくる現実が、当時の日本にはまだ十分残っておりました。

その真面目一途の加藤剛をエロティックな多岐川裕美が誘惑する。

その夜は年に一度の坂東の秋祭りで、収穫に感謝して開墾共同体の全員が筑波山の麓に集ってオルギ−(狂操)状態になる。つまり男も女も積極的に乱倫が許容される。一年間、毎日毎晩土もつれになって荒れ地を耕してきた者たちが、年に一度、野生的本能を解放させて性を謳歌する。そしてオルギ−の一夜が終わればまた元の質朴な開拓農民の生活に戻る。共同体の再生産が続けられる。

そういう感じのお話でしたね。真野響子と多岐川裕美が、その古代開墾共同体世界の言わばハレとケのコントラストをよく映し出しておりました。

最近の女優さんは右も左も江角マキコ的なのばかりで、多岐川裕美のような妖艶なエロスを表現できる人がいなくなってしまった。生々しい人間的なエロスがない。時代の変化だから仕方がないのかもしれない。けれども江角的な女性ばかりが世に溢れると、性愛から内面性が欠落して、物理的な感覚器官のみで性愛するロボット同士の性愛行為になってしまう。やはり日本人の美意識と奥深い情緒にうち響く官能性が欲しい。せいぜい近いところを探して葉月里緒菜..か..。ちょっと違うと思うのだけれど。
じかん● Thu Oct 28 2:03:26 Japan 1999
おなまえ●とどさま
メッセージ● 財前吾郎様
>「とどさましー!」と、つい言いたくなってしまう。(笑)
それ正解です!!(「ふでかぁーっ!」)
>(あの、キャストは豪華なのにドラマ自体はどうにも安く見えるという伝説の)
それも当たり!(笑)
(あ、『燃えよ剣』は12時間ドラマとは違ったかな?)


じかん● Thu Oct 28 1:43:27 Japan 1999
おなまえ●財前吾郎
メッセージ● とどさま
「とどさましー!」と、つい言いたくなってしまう。(笑)
フォローになったかわかりませんが。それにこのドラマ、きちんと見たこと
無いんですね。見てみたい。

>朱美は池上季美子さん
あっそうだ、あの顔の人は池上季美子さんだった。
二人とも美人なんですが、区別つけづらいんですよね、私。(汗)
どうもごっちゃになって…。
こちらこそフォローありがとうございます。
>役所広司vs中康二
身長差はどのくらいなんだろう?当時から気になって仕方なかったです。
まぁ、それほど極端な差は無いとは思いますが。
『燃えよ剣』は、いつ頃放映されたんですか?
テレ東ということは、あの年始の12時間ぶっ通しドラマかな?
(あの、キャストは豪華なのにドラマ自体はどうにも安く見えるという伝説の)


じかん● Thu Oct 28 0:54:21 Japan 1999
おなまえ●とどさま
メッセージ● 財前吾郎様
>パリ万博に薩摩が乗りこむというエピソードで、当時(昭和55年)のパリに武士装束の
>役者が練り歩くという無茶な撮影をしてました。
フォロー有難うございました。
この『獅子の時代』、後半の緊迫感と違い、出だしは退屈でした(^^;
しんぺい様、リアクション遅れて済みません。こんなドラマです。(ってわかるか〜!)

『宮本武蔵』
朱美は池上季美子さんでは。。。(違ってたらごめんなさい)
役所広司vs中康二の顔合わせはテレ東の『燃えよ剣』の土方歳三と七里研之助でもありましたね。

若林様
黒田如水、いいですねぇ。
『関ヶ原』のラスト、「如水は翌日京を去った」はシブイです。
ところで昔、海援隊(武田鉄矢さんのいた)が『二流の人』っていう黒田官兵衛の歌うたってたのみなさんしってます?

じかん● Wed Oct 27 16:32:37 Japan 1999
おなまえ●masato
メッセージ●
管理人です。
9月分を過去ログにしようとしていて、ちょっとトラブってしまいました。
日記の方に書いてありますが、今週からはじめてのWindowsでメンテナンスをおこなっています。
でも、長年に渡ってMac一筋でしたから何かと大変です。
たぶん数時間、掲示板の書き込みができなかったと思いますが、何とか修復できたようです。
ご迷惑をおかけしたかもしれません、お許しください。この掲示板はプロバイダーのcgiを使用
しているんですが、ちょっと使いにくいんですよね。

では、今後ともよろしくお願いします。

じかん● Wed Oct 27 9:36:59 Japan 1999
おなまえ●失礼、下は遼太の父です
メッセージ●
じかん● Wed Oct 27 9:32:09 Japan 1999
おなまえ●
メッセージ● 梅原猛の文化勲章

梅原猛が文化勲章。今日の朝日新聞の天声人語では積極的に祝辞を述べていたけれど、私はこれはちょっと問題が多いと思う。何となく巨大与党化した三党(特に自民党)の後押しだということが透けて見えるような気さえする(中曽根大勲位の推薦?)。


80年代は梅原猛の時代で、まさに一世を風靡していました。しかし彼の場合は、いつも大胆な問題提起ばかりで、自説を最後まで責任をもって実証してゆくという研究者としての真摯な態度が欠落していた。言いっぱなしで後のことは人任せであり、考古学や文献史料クリティークの意義を過小評価して、つまり科学や科学的精神というものに対して一貫して謙虚ではなかった。

問題提起そのものは本当に素晴らしくて、

1.『隠された十字架』の法隆寺論、

すなわち、法隆寺は太子一族を殺戮した藤原権力が、太子の怨霊を封じるために周到に配慮して建立した寺院である。封印された救世観音は太子そのものであり、太子の(疑似)生首に怨霊封殺の呪文の釘を打ち込んだものである。

2.『水底の歌』の柿本人麻呂論、

人麻呂は、藤原新権力体制にまつろわぬ旧時代の宮廷歌人として水死の刑を科せられ、石見の死地へ赴いた。鴨島での人麻呂の詠歌は、自らの水死を告げる辞世の歌である。人麻呂は殺され、そして真相はタブーとして長く秘匿された。

3.天城シンポジウムで展開した「縄文=アイヌ」論

アイヌこそ日本史から忽然と姿を消した縄文人の末裔である。縄文人は北九州・瀬戸内から進入した弥生人に駆逐され、東日本へ追われた。これこそ古代日本史におけるまつろわぬ民、蝦夷(えみし)である。古代蝦夷(えみし)は、近世蝦夷(えぞ)となり、そして現在のアイヌに至る。アイヌ語とアイヌ文化の中に日本文化の基層としての縄文文化が存在する。

上の三つが大きかった。1も2もそして3も、今では現代日本人の半ば常識的な歴史観念にすらなっていると言える。3は日本史認識における根本的な問題で、この後、三内丸山遺跡の発見などが相次いで、縄文文化見直しの気分は決定的なものになった。いまでは、自分自身の祖先なり原点を弥生人ではなく縄文人だと考えている日本人の方が多いかもしれない。

この問題は実に重要で、もっと詳しく梅原日本学の意味を議論したいのだけれど、長くなるので止めておく。

京都国際日本文化研究センターは、この男が当時の首相であった中曽根康弘に直談判して創立させたもので、何で学者が政治家(権力者)とのあり方に対して各方面から批判された。立派な建物はできて、いろんな学者が集まってきたけれど、日本文化の世界への発信という目的からすれば、必ずしも成果は上がっていないように見える。

梅原猛の著作が海外で翻訳されて、日本研究に大いに利用されているという話も聞かない。

結局のところ、梅原猛の業績は、サラリーマンや高校生たちに面白い「歴史趣味」のヒット商品を提供しただけの意義に止まるんじゃないのだろうか。2の人麻呂水死説は、ブームが過ぎて、このところ口にする者が少なくなった。法隆寺論もいずれそうなるだろう。歴史ミステリー愛好家が楽しむ珍説奇説の類に最終的に落ち着きそうな気配がする。

歴史はイマジネーションだけではやはり限界がある。緻密な実証の努力と徹底的な史料批判、それがないと有意味な歴史研究として後世に残らない。文化勲章授与は政府の勇み足だと思う。
じかん● Wed Oct 27 2:17:24 Japan 1999
おなまえ●財前吾郎
メッセージ● 大河で盛り上がっていますね。
私は「花神」の本放送版が見たいです!(くどい!)

>昭和55年に『獅子の時代』というのがありまして
パリ万博に薩摩が乗りこむというエピソードで、当時(昭和55年)のパリに武士装束の
役者が練り歩くという無茶な撮影をしてました。
パリの人々が特に驚くことが無かったのは、日本人はあのような服装(武士装束)をしていて
当然と
その当時にしても思われていたからということです。(笑)

その昔(ロス五輪がやってたと思う…)水曜八時の時代劇枠では「宮本武蔵」が大好きでした。
武蔵=役所広治、本井田又八=奥田英二、お通=古手川裕子、朱美=多岐川裕美
佐々木小次郎=中康二(字が違うかも、身長190cm(!)あったらしい俳優さん)
武蔵がカッコ良かった。お通も可愛らしくて。なかなかすれ違ってばかりの二人に
やきもきしました。
奥田英二はこの又八役があまりに情けなく、またはまっていたので、その後のトレンディ俳優
(死語ですな)としての活躍はどうもしっくりきませんでした。
笑ってしまって見られなかった。
特筆すべきは城太郎役の加瀬悦考(これも字が怪しい)君。
当時の売れっ子子役で、可愛かったです。
こまっしゃくれていて、お通とぎくしゃくした武蔵にアドバイスをしたりする、ませたユニークな
役どころでした。
彼は幻の劇場アニメ「浮浪雲」の新之助の声もあててました。
           ↑このアニメにはまた大いに語りたいところがあるのですが、
            誰も知らないと思うのでやめます。(汗)

昼ドラでちょい役(!)で出たのが、私が彼を見た最後でした。
声変わりしたあとは見たことないので、役者にはならなかったんでしょうね。(残念)



じかん● Tue Oct 26 21:43:13 Japan 1999
おなまえ●若林
メッセージ● ええーっと思い出したのでもいっかい。
「毛利元就」の緒方拳の尼子経久もかっこよかったです。
いつも黒い衣装で、登場するとピーンと画面が引き締まっておりました。
ああ、ほんとに名優やわ〜と見とれていました。

高橋幸治の信長、みたいです〜。あのへんな活舌、不気味な眼差し。妙に色っぽい。
私はその昔、役所高橋の二人芝居「ベント」を見ました。凄かったですう。

私も大河初体験は「草燃える」でした。
強すぎる女、岩下志麻はまり役でしたね。
女物はうけないんですか?
「草燃える」や「おんな太閤記」は面白かったけどなあ。

私の大河リクエストは黒田如水さんです。(イブマサトーもなかなかでしたが)
あんな切れ者のお父さんと、後藤又兵衛みたいな好漢に挟まれて
黒田長政はやだったろうなあ。と私はいつも彼のことが気になります。

じかん● Tue Oct 26 15:41:42 Japan 1999
おなまえ●遼太の父
メッセージ● しが様、

これからの「国民の歴史」を書いてみました。

1999年
日の丸と君が代、堂々54年ぶりに復活。

2000年
有事法制が通常国会を通過、総選挙、改憲勢力3分の2超議席獲得。
国会、憲法改正手続の立法化に入る。

2001年
自自公、憲法9条改正を発議、衆参両院で可決。国民投票で過半数。
日本国憲法遂に改正。
自衛隊の戦力化明記と集団的自衛権の規定化。
1条を改正して天皇元首化。事実上の大日本帝国憲法の大復活、56年ぶり。

2002年
防衛庁の国防総省化、閣議決定。
さらに与党政策会議で自衛隊の解散、陸海空三軍の創設を決定、
ただちに立法化。陸海軍および参謀本部、堂々57年ぶりの復活。

2003年
公文書における西暦使用廃止、皇紀の大復活。

2004年
教育基本法廃止、教育勅語、59年ぶりの大復活。
都道府県制廃止、道州制施行。

2005年
そしていよいよ日空軍機が北朝鮮のミサイル基地を空漠。
日本、CTBTから脱退、核保有を正式に宣言。国号を大日本帝国へ。
じかん● Tue Oct 26 12:28:52 Japan 1999
おなまえ●しが
メッセージ● 遼太の父様。
>「神功皇后の三韓征伐」なんかが歴史(正史)として復活しているなんていう話を聞きましたが、驚いてしまいますよね。

え、本当ですか?怖いことをしてくれたもんですねえ。韓国当たりからなんか言われなければいいけど・・・。だいたい神功皇后自体架空の人物と言う説もあるのに危険だなあ。

おたか様
加藤茶は、金売り吉次(寺尾聡)にしたがっていたうちの一人として出演していたような気がするんですが・・・。ああ、私も記憶があいまいになっている。




じかん● Tue Oct 26 9:26:26 Japan 1999
おなまえ●下は遼太の父でした
メッセージ● しが様、

そう言えば、西尾幹二の「国民の歴史」がもうすぐ発行になりますよね。「神功皇后の三韓征伐」なんかが歴史(正史)として復活しているなんていう話を聞きましたが、驚いてしまいますよね。歴史は繰り返すと言いますが、本当ですね。すごい世の中になったもんだと思います。

そのうちNHKが、歴史学の常識の「則を超えて」聖徳太子やら天智天皇やらをガンガンやるようになるかも知れません。古事記や日本書紀の記述を半ば真実の日本の歴史としてドラマにしはじめる時期も近いような気がします。私は、自分が生きている間にそんな世の中になるとは思ってもみませんでした。
じかん● Tue Oct 26 8:56:43 Japan 1999
おなまえ●
メッセージ● S水さん、

>大事なことなのだろうけど僕個人としては、
>時代考証なんてそれほどこだわっていないし、
>例えば小学生だった僕が深く考えずに「徳川
>家康」を見ておもしろいなぁ、と思っていた
>ように日本史にあまり関心がなかった人が
>「へぇ、日本史はおもしろいなあ」と感じる
>きっかけ程度の作品でいいのでないかなぁ。
>と結構軽く考えています。

このご意見は卓見でして、たしかにそのとおりですね。

ただ、NHKがやるとなるとですね、必ず時代考証が問題になるわけです。責任が重いんですね。適当にやってしまうとどうなるかと言うと、奈良時代にそんな服を着ているわけがないじゃないとか、そんなモノ食べている筈がないじゃないかとか、そんな家があるわけないだろうとか、そんな会話をしている筈がないじゃないかとか、NHKは本当に古代史を勉強しているのか、とかですね。批判が集中してくるのは間違いありません。

NHKは半分国の機関であり、国民の税金と視聴料収入で経営している法人ですから、なかなか「えいや」とやってしまうわけにはいかないんですね。

例えばドラマの中で登場人物が文書を読んだり書いたりするシーンを考えても、この時代は紙が無いですから全部「木簡」を使って書いたり読んだりするわけでしょう。そうじゃないとおかしいわけですよね。しかし、ドラマで本当に木簡なんかを使ってしまうと、一体どうやって取り扱うのか、演じる方も見る方も大変ですよね。気楽に見れなくなるわけです。

作家が文字や漫画で古代史を描くのはそう難しくないのでしょうが、それを実際に映像化するとなると、それを具体的に構成するのは本当に大変なことだと思います。ですから、NHKに(まして大河で)古代史をやれというのは酷な話でありましょう。それを大胆にできるのは個人のイマジネーションのみであります。ただ、これまで誰もそれにチャレンジしていないのはおかしな話で、誰かが思い切って、周囲からの批判を覚悟で斬新な想像力を働かせてもらいたいと思います。

映画では、ずいぶん昔の話ですが、手塚治虫原作の『火の鳥黎明編』を映画化したものがあったと思います。草刈民雄が出演していた記憶がありますが、さて、出来栄えとしてはどうだったでしょうか。映画以外のところでは、演出者の秀逸なイマジネーションによって素晴らしい古代スペクタクルの大傑作が創作された事例があります。市川猿之助のスーパー歌舞伎『ヤマトタケル』です。原作は梅原猛。私は新橋演舞場で二度も見てしまいましたが、これは非常に面白い作品でした。ああいうイマジネーションで古代史劇の映像を作れる人間が出て来てくれたらいいなあと思うんですけどね。
じかん● Tue Oct 26 1:35:17 Japan 1999
おなまえ●おたか
メッセージ● ・S水さま
5,6年前、視聴者から大河アンケートを取った時、聖徳太子はかなり上位に食い込んでいたと思います。
あと、藤原道長あたりにリクエストが集まったんですよね。結構古代史を望む声はあるんですよ。
中でも私がびっくりしたのは、聖徳太子を主役に持ってくるとしたら原作は?との問いに、
山岸涼子「日出処の天子」を挙げた人がかなりいたことです。いやはや、大河初の漫画原作なんて、果たして
そんな日は来るのでしょうか??リクエストした人達もかなり度胸あるやんけ!と、思った記憶があります。
「日出処の天子」ならきっと、梅原猛「隠された十字架」もタイアップさせるだろうし、最近多い
ミステリーファンの心をもゲットするつもりか?!
(しかし、こりゃあ、大河でなんて絶対あり得ないと思うけど・・・。でも万一出来るとしたらやっぱり
大河くらいしかないのかな〜?)

・京極タツコ様
「弁慶」では、確かに加藤茶が出演していました。でも、私も記憶が曖昧で・・・。
確か、奥州藤原氏から義経を護衛するよう遣わされた人物のうちの1人だったような気もするんだけど、
う〜ん、こう、すっきりしないなぁ。どなたか記憶にある方いませんかね〜?

・めぐみ様
大河ドラマ化最古端、ザッと調べてみたところ(私も暇だなぁ)「風と雲と虹と」でした。
加藤剛扮する平将門が主役です。後にも先にも藤原時代を題材にした作品はこれだけ。
せめて道長くらいはやって欲しいけど、あの一見雅そうに見える世界、衣装代やら小道具代やら、
めちゃめちゃかかりそう・・・。
(でもこうゆう箇所を予算の為といってセコくして欲しくはないし、時代考証やらなんやらも
絡んで、やはり映像化は難しいのか)





じかん● Tue Oct 26 0:00:40 Japan 1999
おなまえ●S水
メッセージ● う〜ん「聖徳太子」では無理ですかねぇ。ならば思い切って、徳川三代のように「聖徳太子」から「蘇我入鹿暗殺」或いは「壬申の乱」くらいまでやってくれないかなぁ。大事なことなのだろうけど僕個人としては、時代考証なんてそれほどこだわっていないし、例えば小学生だった僕が深く考えずに「徳川家康」を見ておもしろいなぁ、と思っていたように日本史にあまり関心がなかった人が「へぇ、日本史はおもしろいなあ」と感じるきっかけ程度の作品でいいのでないかなぁ。と結構軽く考えています。大河ドラマでは無理なのでしょうか。
じかん● Mon Oct 25 23:53:23 Japan 1999
おなまえ●京極タツコ
メッセージ● ・・・なんかすごい話の広がりになってしまいましたね。
皆さん大河ドラマにはやはりそれなりの情熱をお持ちなんですね。思わず読んで感心してしまいました。
私も最近はともかく、かなり幼いころから大河を見てますけど(三田佳子主演の「命」から)昔の作品がとてもみたくなりました。
>しんぺいさん
木戸は間違っていましたか。失礼しました。私はその『田原坂』は見ていないんですけど、誰かから話を聞いて混乱したかな。なかなか泣けるものだったとは聞いています。
>おたかさん
私『弁慶』見てたは見てたんですけど、なにぶん幼かったものですから、残念ながら話はほとんど覚えていないんです・・・。ただ弁慶と義経がカッコよかったということと、あと加藤茶らしき人物も出ていませんでしたっけ?
それからハンドルネームのことですか、確かにそのとうりです。でも理由というのは別に彼女が好きというのではなく、私が単に中日が好きなもので、「竜」ということから彼女の名前を連想したというだけでした。

じかん● Mon Oct 25 21:57:02 Japan 1999
おなまえ●めぐみ
メッセージ● みなさん、本当に大河ドラマに詳しいですね。このHPのリンクで大河ドラマのHPへ行って来ました。私の記憶にあるのは「新平家物語」ですかね。このあたりがドラマ化する「最古端」かな?
「太平記」の裏に政治的歴史的な絡みがあるとは今まで知りませんでした。(すみません。理系人間なので)片岡鶴太郎の怪演もよかったし、まだ愛くるしかった宮沢りえと真田広之の悲恋にも泣かされました。
じかん● Mon Oct 25 18:41:58 Japan 1999
おなまえ●しんぺい
メッセージ● こんにちわ
>京極タツコさん
木戸孝允風間杜夫は確か、もう10年くらい前の日テレの年末の
時代劇スペシャル「田原坂」だと思います。
確か、西郷里見浩太郎、大久保近藤正臣、桐野勝野洋、
だったと思います。
これはこれで良かったです。

>とどさまさん
>まさに!杉本哲太の桐野は颯爽としてましたね。
>でもできれば「人斬り半次郎」のころから描いて欲しかったです。
そうです、杉本のてっちゃんでした。
幕末編の時は出てきていなかったのですかね?

>明治ものの大河といえば昭和55年に『獅子の時代』というのがありまして、私、そちらのキャストのも大好きでした

これ見た事ないです。すごく興味ありますね。面白そう。
ビデオとか出ていないのかな?

>しがさん
>因みに「燃えよ剣」で、役所広治が土方歳三をしていて、これもはまり役と思ってしまいました。

これすごくみたいんですよ〜ビデオとか再放送とかないかな〜テレ東。
僕も土方近藤正臣も好きでした。


じかん● Mon Oct 25 18:34:47 Japan 1999
おなまえ●しが
メッセージ● 聖徳太子と太平記
私も古代史のドラマは見てみたいと思います。しかし、遼太の父さまがおっしゃる通り長い時間引っ張れないんですよね。
基本的に、古代史の史料は日本書紀と古事記しかないと言っても良いでしょう。更に、この二つとも全て真実を語っているものではありません。つまり、歴史的事実を追求しずらいんですよね。まあそれを言い始めるとすべての歴史ドラマを否定することになるんですけど。
中世以後は、複数の同時代史料が存在するので、ある程度はそれぞれを補完できるんですけど、やっぱり古代は難しいですね。考古学を勉強すると、それが余計に感じられます。

いっそ、神話の世界をドラマ化したほうがおもしろいかもと思うんですけど、戦前の皇国史観のことが記憶にある世代には不快に移るかもしれないなあ。たしか、日本書紀の神代巻を扱った映画があったような気がするんですけど、どなたかご存知ありませんか?3時間くらいの長編で、自主制作だったような覚えがあるんですけど。卑弥呼や倭の五王、日本武尊なんかもおもいっきりフィクションでやってくれたら面白いと思うんですけど。

皇国史観といえば、遼太の父さまがおっしゃる通り、南北朝の問題がありますね。太平記に限らず神皇正統記も典型的な皇国史観の史書です。共に後醍醐天皇に味方をしたものは忠臣で、反対勢力は逆賊というなんとも判りやすい理論なんですけど、今の皇室は北朝の流れなんですよね。でも歴代天皇には南朝の天皇が現在も数えられていて、北朝が外されているのってすっごい矛盾だとおもいませんか。
南朝の正当性を広めたのは、徳川光圀の「大日本史」だったと思います。これがその後の水戸学ひいては尊皇攘夷運動の根本になります。そして、記紀の記述を全て真実とし、天皇=神という理論を国民に教育させたのが明治以後の政府であったと言えます。この理論が、結果的に日本を破滅の道へと導いたのは周知の事実でしょう。祭政(政教)一致が危険視されるのも、皇国史観と同じく戦前の記憶が大きいからでしょう。
私の祖母はいまだに「桜井の別れ」だとか児島高徳の「十字の詩」の歌を唄えますよ。それほどにこの当時の教育は徹底されていたんだなあと感じました。げに教育とは恐ろしいものです。

なんか本題から外れてしまって、しかも長々と申し訳ありませんでした。


じかん● Mon Oct 25 17:33:23 Japan 1999
おなまえ●あつこ
メッセージ● しがさま
おう!そうでした、国広富之の義経でした。
そして、岩下志摩の政子。怒った時の顔がとても美しかったです。
ありがとうございました。

じかん● Mon Oct 25 15:08:43 Japan 1999
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 大河ドラマの皇室関係問題 − 『太平記』論 −

でいちばん印象的なのは、私の場合何と言っても『太平記』ですね。これは非常に衝撃的と言うか、いろいろ考えさせられました。何を考えたか申しましょう。

おそらく、ですが、日本国憲法発布後の戦後日本において、太平記が映像化されたのは、91年のNHKが初めてだったのではないでしょうか。それまで長い間、太平記は戦後日本のタブ−的存在であったと思います。若い人は私が何のことを言っているのか全然分からないでしょうけれど、年輩の方なら成程と肯いていただけるでしょう。太平記は、戦前、いわゆる皇国史観の典型的な歴史教科書として徹底的に利用されてきた史書なのでありました。

戦後日本が、楠木正成父子と後醍醐天皇の忠君物語を用心深く遠ざけてきたのは、根拠のない話ではありません。私は子どもの時から、なぜ太平記がNHKの大河ドラマにならないのだろうかとずっと不思議に思い続けてきた一人であり、同時に(かなり子どもの頃から)それは戦前の皇国史観と戦後民主主義の問題があるからだろうと思想的に検討をつけていました。われわれ以前の世代というのは政治や思想の問題について若い世代の人よりもはるかに敏感なのですね。自慢ではありませんが。

その『太平記』が91年に遂に「解禁」になったわけですが、それには大きな歴史的背景があります。皆さんご存知ですか? ご想像できますか?

それは昭和天皇の死です。昭和天皇が死んだのは89年の1月7日でした。NHKは翌々年の91年に太平記をドラマ化します。このNHKの『太平記』まで、私は「動く太平記」を見たことがありません。楠木正成と後醍醐天皇のあたりをNHKがどうさばくだろうかと興味津々でしたが、楠木にコケティッシュな武田鉄也を持ってくるという巧みな小技を使って、NHKはうまく「思想問題」をかわすことに成功しました。楠子正成の忠君イデオロギ−的側面をうまく落として、逆に中世悪党としての部分をクロ−ズアップさせる処理でした。
じかん● Mon Oct 25 14:20:52 Japan 1999
おなまえ●失礼、下は遼太の父です
メッセージ● S水さん、− 古代史劇の難しさ

聖徳太子のドラマ化の件、実現が困難なのは、皇室関係だから難しいのではなくて、1年分の歴史ドラマを書き上げるほどの歴史材料が無いのです。それを45分ドラマの脚本にすると、めいっぱい頑張って伸ばして4回か5回で終わりでしょう。史実のコンテンツがプアなのです。登場人物もきわめて限定されます。10人も出せば終わりでしょうか。さらに厄介なのは服装や言葉や建物や食事などの時代考証の問題ですよね。これは大変でしょう。

これまでの大河ドラマで一番古い時代を舞台にしたのは(何だかよくわからなかった『炎立つ』を別格として)、平将門(加藤剛)と藤原純友(緒形拳)を描いた『風と雲と虹と』− 原作:海音寺潮五郎− だったと思います。加藤剛と多岐川裕美の艶っぽい絡みとか、吉永小百合の非業の死とか、それなりに面白かった記憶がありますが、やはり1年分のドラマとして作り上げるのにスタッフが相当苦労していたように感じました。

基本的に、戦国以前の日本歴史をドラマに仕立てるのには無理があると私は思いますね。庶民を登場させようとしたら竪穴式住居にムシロの生活を出さなくてはいけないし、仮に貴族(平安)を描いても、板間に御簾の住居でかわらけの食事となるわけです。現在の経済大国の日本人の日欧生活とあまりに距離があり過ぎて、ドラマとしてのリアリティが無くなってしまうわけですよね。

聖徳太子や壬申の乱の付近の古代史劇は、私もぜひ映像で見せてもらいたいところですが、これをやるとしたらNHK(悪く言えば放送官僚サラリーマン)の大河ではなくてきっと映画でしょう。腕のある監督が作らないといけないです。いまそれを思い切ってやれるイマジネーションを持っているのは、やはり篠田正浩だろうと思いますね。
じかん● Mon Oct 25 13:29:47 Japan 1999
おなまえ●
メッセージ● S水さん − 『翔ぶが如く』

大河ドラマの『翔ぶが如く』はお止めになられた方がよろしいと思いますよ。酷い印象しか残っていないです。だいたい司馬遼太郎原作のドラマや映画というのは、ボロボロにされて見るも無残になるのが落ちですが、この『翔ぶが如く』も悲惨だったと思います。愛読者としては、あれを先に見て原作のイメージを持ってもらうと困ると言うのでしょうか、先に原作を読んでからドラマの仕上りの拙さを批判していただきたいと思います。

西郷隆盛というのは難しいのです。特に『翔ぶが如く』の西郷をうまく演じられる俳優というのはいないですよね。西郷が多く喋る台詞を書いてはいけないんです。黙らせて存在感を浮かび上がらせるような脚本じゃないとですね..。それから表情もあんまり外に出してはいけないんです。特に維新後、征韓論後の西郷というのは、無口で茫洋とさせて演出しないといけないんですね。その辺、歴史的感性というか知的センスがないと脚本に失敗します。

思うに『翔ぶが如く』をドラマ化する際にいちばん重要なキャスティングは、西郷ではなくて桐野なんですね。桐野を誰にするか、どう喋らせるかで、このドラマの成否が決まる筈なのです。桐野や辺見の台詞と演技を巧く工夫することで西郷の人格や意味をくっきり浮かび上がらせる事ができる筈なんです。

ちなみにもう25年も昔になりますが、江藤淳の原作を元にした『明治の群像』というドラマ(ドキュメンタリ−形式のドラマ)がNHKで放送・製作された事がありました。このとき、石坂浩二が大久保利通を演じて、これは非常に上手かったです。征韓論の際の廟議での長い長い論争を延々とカットなしでやっていまして、実に素晴らしかったです。廟議の征韓論も面白かったですが、最後の大久保の暗殺シーンも印象的でした。鹿賀丈史も役者としてはまずまずだけど、インテリジェンスでは石坂浩二に勝てないですよね。大久保はやはりインテリじゃないとね。
じかん● Mon Oct 25 12:49:35 Japan 1999
おなまえ●S水
メッセージ● 僕の大河ドラマは「徳川家康」でした。確か小学校6年生だったと思います。基本的にあまり大河ドラマは見ていないのですが、みなさんの話を聞いて、「花神」と「翔ぶが如く」は見たくなってきました。僕の希望としては、「聖徳太子」あたりをやって欲しいですね。やっぱり皇室関係は難しいかもしれないですが。
じかん● Mon Oct 25 11:40:02 Japan 1999
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 再現芸術

いわゆる「再現芸術」的なものは幾つかあって、大河ドラマというのは基本的にそれらを何年か一度、日本国民全体の前で「再現」するのが使命なのかなという感じもします。これはまさに日本放送協会の大事な大事なお仕事であります。ただの商業放送局ではないんですよね。思いついたところでその再現芸術ドラマの素材をピックアップすると、

1、忠臣蔵の刃傷松の廊下と吉良邸討入り − 原本は仮名手本忠臣蔵でしょうか
2、信長・光秀の本能寺の変 − これのオリジナルは信長公記ですかね
3、弁慶・義経の五条大橋、不破関の勧進帳、衣川の立往生 − これは何でしょう

等々いろいろありますが、近代以降そこに取り込まれた一つの屈指の古典と歴史場面があります。すなわち、

4、近江屋の龍馬暗殺 − 原本は司馬遼太郎の『竜馬がゆく』

ですね。これは日本の「再現芸術」の古典的素材として完全に確立しました。ですから、忠臣蔵の刃傷松の廊下と同様に、これから未来永劫にわたって、日本国民の前で繰り返し繰り返し、俳優を変え、演出を変え、考証と解釈を変えつつ、「再現」されて行くことになるわけです。司馬遼太郎の本当の凄さというのは、こんなところにもあるのですね。
じかん● Mon Oct 25 11:39:54 Japan 1999
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 再現芸術

いわゆる「再現芸術」的なものは幾つかあって、大河ドラマというのは基本的にそれらを何年か一度、日本国民全体の前で「再現」するのが使命なのかなという感じもします。これはまさに日本放送協会の大事な大事なお仕事であります。ただの商業放送局ではないんですよね。思いついたところでその再現芸術ドラマの素材をピックアップすると、

1、忠臣蔵の刃傷松の廊下と吉良邸討入り − 原本は仮名手本忠臣蔵でしょうか
2、信長・光秀の本能寺の変 − これのオリジナルは信長公記ですかね
3、弁慶・義経の五条大橋、不破関の勧進帳、衣川の立往生 − これは何でしょう

等々いろいろありますが、近代以降そこに取り込まれた一つの屈指の古典と歴史場面があります。すなわち、

4、近江屋の龍馬暗殺 − 原本は司馬遼太郎の『竜馬がゆく』

ですね。これは日本の「再現芸術」の古典的素材として完全に確立しました。ですから、忠臣蔵の刃傷松の廊下と同様に、これから未来永劫にわたって、日本国民の前で繰り返し繰り返し、俳優を変え、演出を変え、考証と解釈を変えつつ、「再現」されて行くことになるわけです。司馬遼太郎の本当の凄さというのは、こんなところにもあるのですね。
じかん● Mon Oct 25 10:09:20 Japan 1999
おなまえ●遼太の父
メッセージ● >最近の大河ドラマは配役と台詞があまりに現代劇に
>近すぎて、(これも時代の流れで仕方ないのでしょ
>うが、)見る気になれず、全く見てません。

基本的に同感ですが、少し感じたところを申しますと、一つは若い俳優さん(男優・女優とも)の演技力が相対的に落ちているということがあると思いますね。つまりお芝居が下手なんです。台詞が何を言っているのか聞き取れないシーンが本当に増えました。見ていてストレスになります。モデルからそのまま俳優になったり、街を歩いているのをスカウトされたりという形で俳優になるケースが増えて、本格的に芝居の稽古を積んで這い上がってきている人が少ないということがあるように思います。

もう一つ、脚本の問題があります。脚本如何で大河ドラマの善し悪しが100%決まりますね。ドラマは脚本が命です。個人的な意見ですが最近の大河で言うと、『秀吉』と『毛利元就』の脚本は最低でした。キャストの問題もありますが、お芝居の脚本としてあまりにお粗末で見ていられない感じがしました。逆にまずまずと思ったのは『吉宗』で、さすがにジェームス三木が書くと安定感が出て、楽に見ることができます。西田敏行はそれほど演技の上手い俳優ではありませんが、ジェームス三木の脚本のお陰で活かされていたと思います。

昨年の『徳川慶喜』と今年の『元禄繚乱』は、二つとも途中で少しマンネリになりましたが、脚本としてはまずまずではないかと思います。それより、私がこの二つで言いたいのは、本木雅弘と東山紀之の二人の俳優です。非常にいいですね。演技が上手いと思います。特に東山紀之。彼の浅野内匠頭はよかったです。特に『刃傷松の廊下』の回の迫真の演技は最高でした。朝日新聞のテレビ欄の記者コメントでも絶賛されていましたが。東山は、忠臣蔵が日本人にとっての古典的で伝統的な「再現芸術」であることの意味をよく理解していました。頭のいい男ですね。

浅野内匠頭のイメージはこれで東山紀之で完全に固定して、高橋幸治信長や緒方拳秀吉と同じように、他を寄せ付けることなく20年以上生き続けることでしょう。ジャニーズ事務所のお手柄です。
じかん● Mon Oct 25 9:20:18 Japan 1999
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 財前様、

仙台は政宗が作った大型の城下町ですね。

私は仙台の和菓子が好きで、仙台の知人に頼んで送ってもらっています。特に「白松がモナカ」の羊羹が好きでして、秋は栗羊羹、夏は水羊羹を頼んでいます。あの羊羹を楽しみながら思うのは、仙台という町の歴史的個性です。一般に和菓子のおいしいところは歴史的伝統と文化的蓄積の深い土地で、暮らすのに楽しい町だと言われています。京都がそうであり、金沢がそうですね。

仙台の白松の羊羹はサイズが大きくて味が濃いのが特徴です。東京名物の虎屋の羊羹などと比較するとよくわかります。大きめのサイズで、たっぷりあって、しかも味覚としても口にほうばって十分食べごたえがあると言うか、充実感いっぱいで不足感がないんですね。

私はこれは仙台ならではの歴史的文化の反映であろうと思います。つまり、ここの文化を育んできた階層というのは、米作の豪農でありそれを売る豪商たちだろうと思うんですね。京都のように公家がちまちまとやる様式的なお茶と茶菓子ではないわけです。もっと豪快でコンテンツオリエンテッドな文化性なんですよね。ボリュームたっぷりで味わいたっぷりじゃないといけないわけです。図式的に言えば、仙台の和菓子は貴族のお菓子ではなくて庶民のお菓子なんですね。

今年の秋も、夕食の後は「白松がヨーカン」(栗)と「井ケ田のお茶」で楽しんでいます。日本人の秋のデザートとしてこれ以上のものはないんじゃないでしょうか。
じかん● Mon Oct 25 8:46:44 Japan 1999
おなまえ●遼太の父
メッセージ● めぐみ様

高橋幸治の大河信長は『黄金の日日』は二度目でしょう。最初は昭和40年の『太閤記』です。この時の高橋幸治の信長役が抜群で、特に本能寺の変のシーンは今でも時折一部がNHKで放送されたりすることがあります。高橋信長があまり良すぎるので、視聴者から凄まじい数の助命嘆願がNHKに寄せられて世の中の話題になりました。『黄金の日日』での幸治信長はそういう人気を踏まえた上でのNHKの茶の間向けのリバイバルサービスだったのです。

ちなみに、この『太閤記』の主役、すなわち秀吉は緒方拳。新人同然だった緒方拳の大出世作となると同時に、緒方秀吉のイメージを完全に根づかせました。『黄金の日日』の秀吉も緒方拳。だから、昭和53年の『黄金の日日』の高橋・緒方コンビ復活はNHKの13年越しの粋なファンサービスの計らいだったわけです。先年の竹中直人が、四半世紀ぶりに秀吉のイメージを塗り替える本命と期待されましたが(私の見方ですが)完全に失敗しましたね。やはり緒方拳の秀吉には勝てませんでした。

さらにちなみに、この時の石田三成役が石坂浩二。恐らく彼の長い大河ドラマ人生の出発点の配役でしょう。緒方秀吉を緻密に補佐する有能な文官智将のイメージをよく出していました。記憶に残る石田三成のイメージというと、私の場合は、このときの石坂浩二と昭和46年『春の坂道』の時の中村敦夫の二人があります。

信長は、私の場合は、高橋幸治と高橋英樹の二人が分けています。昭和48年の『国盗り物語』の信長が高橋英樹で、このときの(近藤正臣役)明智光秀を苛め抜く専制君主ぶりが印象に残っていますね。高橋英樹はこのあとも、同じ濃姫役の松阪慶子と組んで民放の正月番組に出ていたと思います。静の高橋幸治信長、動の高橋英樹信長。対照的ですが両方とも見事な信長です。

しかしそれにしても、高橋幸治の「本能寺の変」は本当に印象的で、素晴らしかった。ほとんど台詞は無しで目と動作で演技する「本能寺の変」でしたね。私は、なぜか幸治信長が朝起きて竹の楊枝と塩で歯を磨くシーンから切腹に至るまでのシーンをよく覚えています。その日は朝から何かそわそわして家族みんなで緊張して見ていました。「日向ならば、是非もない」。台詞はそれぐらいだったんじゃないでしょうか。天下布武を目の前にして挫折する信長。信長の潔さを高橋幸治がよく出していました。







じかん● Mon Oct 25 0:32:17 Japan 1999
おなまえ●おたか
メッセージ● 再び登場、すみません!

・めぐみ様
例の小冊子で調べてみたところ、高橋幸治(←この字で載ってました)の信長は「黄金の日々」でした。
友人曰く「黄金の日々」は幼心に歴代最高の出来だった!(幼心に歴代最高とはどうゆうこっちゃ?)と、
今だに豪語しております。こりゃあ、是非とも拝見したいものじゃわい。
じかん● Mon Oct 25 0:09:13 Japan 1999
おなまえ●おたか
メッセージ● えっと、以前ここで報告したかもしれませんが私、「大河ドラマ主題曲集」なるものを持ってまして、
これには小冊子(みたいの)が付いてるんですね。記念すべき第一回作品「花の生涯」〜「秀吉」までの
作曲者・指揮者・演奏の他に、原作者から脚本・主な出演者・あらすじまで、全て網羅されております。
それにしても大河はすごい!役者や原作者は勿論、作曲者から指揮者まで、クラシック好きが見れば
垂涎モノのメンバーを取り揃えております!う〜ん、なんでもっと早くCD化しなかったんでしょー??
さすが、そんなところがドン臭いNHKなのじゃ。でも妙に営利主義じゃないところもまた、NHKなのかもしれないな。

そして、これによると確かに「翔ぶが如く」では晋作役が載っておりません。いれば絶対載せる役どころのはずだから
登場させなかったのかもしれませんね。あと「花神」の晋作役・中村雅俊、私はあれだけはどうも駄目でした。
雅俊ったらプクプクしてるんですも〜ん。あぁぁ、でも、ビデオじゃなくてノーカット版でやっぱ見たいよ!

子母沢寛の「勝海舟」も大河になってるんですね。見てみたいな〜ぁ。
あつこさん、私も大河の記憶は「草燃える」からでございます。あぁぁぁ、歳が〜ぁぁ!!
でも、1つ年下の友人は「草燃える」の前年「黄金の日々」から記憶にあるって言ってたから、
こうゆうのは歳じゃないんだよ!(←一応言い訳、のつもり・・・)




じかん● Sun Oct 24 23:05:24 Japan 1999
おなまえ●めぐみ
メッセージ● 大河ドラマの再放送、私も渇望しております。「花神」「太平記」「国盗り物語」の順かな・・。「翔ぶが如く」は西田西郷になじめなくて途中で見なくなってしまいました。最近の大河ドラマは配役と台詞があまりに現代劇に近すぎて、(これも時代の流れで仕方ないのでしょうが、)見る気になれず、全く見てません。
役所広治の信長も悪くないけど、高橋幸次(この字でよかったですか?)の信長も忘れられません。どのドラマだったかな。そういえば彼は今何をしているのだろう?

先週末、出張で仙台に行って来ました。青葉城祉も行きました。私はよくわからなかったけど、城マニアに同僚が「地形を巧みに利用した実戦のための城」と高く評価しておりました。有名な正宗の騎馬像のほかに、昭和10年に造られた銅像があったそうですが、第二次大戦中、軍に供出し、下半身が溶解されたところで終戦。残る上半身が海岸にうち捨てられていたのを地元の歴史家が発見したそうです。上半身だけの悲しげな正宗が奥の方にひっそりと残っていました。日本人は城も含めて古いものをどんどん捨ててここまでたどり着いてきたんだとしみじみ思いました。
じかん● Sun Oct 24 22:45:31 Japan 1999
おなまえ●とどさま
メッセージ● メッセージ●はじめまして。
はじめまして。
大河話が盛り上がってますね(うずうず)。
○京極タツコ様
『翔ぶが如く』の木戸孝允は田中健さんですね。
  「・・・・じゃねえじゃろ!」
の言いまわしが長州の雰囲気だしてましたね。

○しんぺい様
>桐野と村田新八もかっこよかったです。
まさに!杉本哲太の桐野は颯爽としてましたね。
でもできれば「人斬り半次郎」のころから描いて欲しかったです。
それから原作の「オイは湯気が好きじゃッでナァ」も聴きたかった。
竜馬は佐藤浩市でしたよね、高杉は出ていたのでしょうか?
高杉は出てませんでした。『花神』の中村雅俊(これもよい!)以来でませんねぇ。。
「桂さん、オンシャぁ英雄ぜよ!」。。。外見はともかく、佐藤竜馬は最もはまり役だと思います。
 ・ ・ ・ ・ ・
明治ものの大河といえば昭和55年に『獅子の時代』というのがありまして、私、そちらのキャストのも大好きでした。
明治の偉人達はあまりでなかった(木戸も顔出さないという!)んですが、そのなかでも。。。。

大久保利通:鶴田浩二・・・暗殺シーンでのセリフ、  「オイは日本を任せたら誰ェにも負けン!!」 は鳥肌ものでした。
江藤新平 :細川俊之・・・やさ男役の多い方ですが、これ、隆大介さんより激しかったんですよぉ。
             死刑判決のシーン。「キョウシュ!・・晒し首ン事か!! 新法律バ適用せんか。この江藤が創った新法律バ適用せんかっ!」
伊藤博文 :根津甚八・・・ここでは悪役ですが、クールな伊藤、キまってました。

あぁ、『弁慶』、『真田』。。。好きなのばっかり。もっと言いたい!

じかん● Sun Oct 24 14:02:56 Japan 1999
おなまえ●しが
メッセージ● 失礼、下の書きこみは私です。逆にしてしまいました。
じかん● Sun Oct 24 11:48:40 Japan 1999
おなまえ●がし
メッセージ● 京極タツコ様
私も{武蔵坊弁慶}は見てました。小学校くらいの時に放送していました。ビデオに全部取ってあったんですが・・・時の流れの中で紛失してしまいました。原作は今もちゃんとありますけどね。確か、玉虫は荻野目慶子でしたね。子供の名前が小玉虫というのが笑えた。

若林様
>「徳川家康」の時の信長=役所広治のイメージがすごい強くって
その気持ち痛いほどわかります。私もそうでしたから。だからそれ以後の信長の配役はどれも許せない。因みに「燃えよ剣」で、役所広治が土方歳三をしていて、これもはまり役と思ってしまいました。「白虎隊」の近藤正臣もよかったとおもうけど。

あつこ様
調べてみましたところ、義経=国広富之、政子=岩下志麻、静=友里千賀子です。頼家は郷ひろみ、実朝は篠田三郎だったんですね。見てないからどんなのかわからないけど(まだ小学校にももあがっていなかったから。しまった、歳がばれる)


じかん● Sun Oct 24 10:05:21 Japan 1999
おなまえ●あつこ
メッセージ● すっかり戦国モードのあつこです。
夕べは道三が、美濃をかっぱらいました!

私の大河ドラマ初体験は、「草燃える」だったのでは、、、?
あの時の配役、頼朝が石坂浩二で、義経、政子、静は誰でしたっけ??

じかん● Sun Oct 24 3:11:07 Japan 1999
おなまえ●おたか
メッセージ● 大河ドラマシリーズ、盛り上がっててうれしいざます。おたかです。

・京極タツコ様
初めまして。「武蔵坊弁慶」見てました!静の産んだ義経の息子が、あっという間に鎌倉の海岸に
生き埋めにされるシーン、涙しましたね〜。あと、あのシリーズで(確か水曜20:00?)、「真田幸村」
放送してたの覚えてます?あれも真田家存続の苦労を綴った、涙涙の名作でございました。
たしか、これのオープニング曲も良かったんですよ。2台のバイオリンのハーモニーがね、こう、美しいんだな〜。
ところで、京極さんのハンドルネームは秀吉の側室からの採用?違ってたらごめんなさい。

おたかの大河ドラマ再放送(絶対ノーカット!)リクエストは、やはり「花神」「翔ぶが如く」です。
(もう趣味丸出し!)
「独眼竜政宗」は、一部ビデオ録画が我が家に残ってました。
「翔ぶが如く」は本放送も見てないので是非再放送してほしい〜!
最近「翔ぶが如く」読んでて、木戸に惚れました。晋作や蔵六もいいけど、木戸もいい男じゃん。
(どれも長州、趣味丸出し〜)
松平容保は、線の細くて美しい役者に演って欲しいな・・・。

さぁ、みなさん、これだけ歴史ドラマが盛り上がっております。
もう、既に周知済みですが、来春1/3は是非ともNHK「蒼天の夢」を見て頂けたら、おたかこれ以上の
幸せはございません!あ〜ぁ、野村晋作、見たいな〜。煩悩ぉぉぉ!
(私、別にNHKのまわし者ではございませんので、悪しからず・・・)






じかん● Sat Oct 23 23:56:34 Japan 1999
おなまえ●京極タツコ
メッセージ● あつこさん
ごめんなさい!『国盗り物語』のビデオは見ていないんです。
司馬さんのはもっぱら幕末物しか興味がなかったもので・・・でも今考えれば見とけばよかったなぁと思います。

しんぺいさん、masatoさん
木戸孝允は確か風間杜夫ではなかったでしょうか。(自信はありませんが)
大河ではありませんが、私は彼の松平容保役もよかったなぁと思っています。(昔の民放の年末時代劇?の「白虎隊」で、他には森繁久弥とかが出ていたもの。友達からビデオを借りてみたんですけど)

大河では女物は受けないといいますが、北条政子とか持統天皇とかも充分話になりそうじゃないですか?
ただ古代ものは衣装やセットが大変でしょうけどね。

じかん● Sat Oct 23 20:38:16 Japan 1999
おなまえ●masato
メッセージ●
若林さん
緒方直人の信長はやはりちょっと役不足でしたね。
確か彼は「跳ぶが如く」で西郷従道を演じてましたが、これもちょっと・・でした。

しんぺいさん
江藤は隆大介(でいいんでしたっけ?)でした。本当の江藤は小男だったんですよ
ね、でもドラマではずいぶん大きかったです。イメージはぴったりでしたけど。
木戸はだれでしたっけ?
川路をやってた俳優の名前は知りませんが、実直そうではあるものの彼の強さはあ
まり出ていなかったように思います。

あと、今ふっと思い出したんですが、「花の乱」で山名、細川を萬屋錦之助と野村万
斎が演じてましたが、あれもがっかりでしたね。その後、朝の連ドラ「あぐり」で人
気者になった彼も萬屋錦之助との共演は辛いものがありました。
じかん● Sat Oct 23 19:50:01 Japan 1999
おなまえ●若林
メッセージ● こんばんは
大河ドラマ、絶対再放送して欲しいですよね。BSでもアンテナ買っちゃう。
私は確か「徳川家康」の時の信長=役所広治のイメージがすごい強くって
緒方直人の「信長」が許せず、ついに1回も見ませんでした。(^-^;;
私の父が、あんなヤサ男が!と思ってたら、意外にピッタリだったと
語り草にしている石坂浩二の「上杉謙信」もみたいんです。
ジェームス三木の「吉宗」はこれまでと、これ以後の大河ドラマにはない面白さでした。
ううーんどうして再放送してくれないのでしょう?NHK…。
じかん● Sat Oct 23 16:55:18 Japan 1999
おなまえ●しんぺい
メッセージ● こんにちわ
>masatoさん、京極タツコさん、
独眼竜が先じゃなかったですっけ?
僕も「翔ぶが如く」見ていました。大河ドラマって、幕末編と維新編に分かれていて
僕は維新編のみを見ていたんですが、配役はよかったですよね。
大久保鹿賀、西郷西田、島津久光高橋英樹、それと俳優さんの名前わすれたんですが、
木戸孝允、江藤新平役の人。
大久保の寡黙さ、西郷の大きさ、木戸の明治後の鬱病っぽい所、
久光の激しさ、江藤のピリピリしたところ。
桐野と村田新八もかっこよかったです。
あれ?川路のイメージがあんまりないな・・・
ストーリーはともかく、僕的には、かなりばっちしでした。
竜馬は佐藤浩市でしたよね、高杉は出ていたのでしょうか?

>真田広之の足利尊氏も好きでした。(高嶋政信はちょっと苦手)

「太平記」もよかったですね。
僕は、足利直義役の高嶋政信のかたいくさい芝居はなかなか好きでした。
直義の最後は泣きましたね。

あ〜見たくなってきた。


>来年が徳川三代の『葵』、再来年が北条時宗でしたっけ、これまでの名作再放送とともに
>期待してます。

もう再来年のまで決まっているんですね。
時宗っというと、元寇ですかね?
フビライハンは誰だろう?


じかん● Sat Oct 23 10:48:39 Japan 1999
おなまえ●masato
メッセージ●
大河ドラマで盛り上がってますね。

確かに大河の再放送して欲しいです。わたしが見始めたのは『独眼竜政宗』『武田信玄』
あたりの頃(どっちが先でしたっけ?)、それよりも前にたくさん見たいのがあります。

渡辺謙の政宗、鹿賀丈史の大久保利通は印象に残ってますね。まさにはまり役でした。
真田広之の足利尊氏も好きでした。(高嶋政信はちょっと苦手)

ここのところ印象に残る作品が少ないようで一年通して見ていたのはないんですよね。
みなさんはどうでしょうか。今年のも結局もう見てません。
来年が徳川三代の『葵』、再来年が北条時宗でしたっけ、これまでの名作再放送とともに
期待してます。
じかん● Sat Oct 23 9:31:07 Japan 1999
おなまえ●あつこ
メッセージ● このあいだから、「国盗り物語」を読んでいます。
めちゃくちゃおもしろくて、夜も眠れず困っています。
京極タツコさん(はじめまして)、ビデオの総集編、いかがでした?
配役など、教えて頂きたいわ!!

ということで、「翔ぶが如く」は、みたび、挫折しました。
どうしても、入っていけないのです。
じかん● Fri Oct 22 23:29:47 Japan 1999
おなまえ●京極タツコ
メッセージ● やっぱり・・・皆さんそう思っていらしゃいますよね。
総集編は確かに面白くない。実はいくつかビデオで発売されていると知って、個人で買うのはちょっと無理なんで学校に学生の購入希望ということでリクエストしたんです。
そしたら入れてくれまして・・・。司馬遼太郎追悼特集ということで『国盗り物語り』『花神』『飛ぶが如く』の3つを。うち『飛ぶが如く』だけは実際この目で見ていたのですけど、あの鹿賀丈史は大久保利通は絶品でしたねぇ。今でも大久保と聞くと彼の姿を思い出します。
それから『花神』は半分以上中身は『世に棲む人』でしたよ。それに『峠』+『十一番目の志士』もだいぶ織り込まれていて、まぁそれなりに面白かったです。
主役の大村益次郎を演じたのは現在の中村梅雀のお父さんと聞いたのですが、この人もとてもイメージに合っていてよかったですね。

あと、どなたか中村吉右衛門さん主役をやっていた『武蔵忘弁慶』というNHKのドラマを見たかたいませんか?今から15年くらい前だったと思うんですけど、他には義経役で川野太郎さんが出てました。これは大河ではなかったのですが、これももう一度ぜひ見たい作品の一つです。この二人は幼心に非常にカッコよかったと記憶してます。

じかん● Fri Oct 22 13:04:35 Japan 1999
おなまえ●とと
メッセージ● 私も「独眼流政宗」は夢中になって見てました。
渡辺謙さんのカッコ良さにひかれてました。懐かしいですよね。
(当時は女子高生だった・・・・・・・)

全部の再放送を望んでます!

じかん● Fri Oct 22 1:18:18 Japan 1999
おなまえ●財前吾郎
メッセージ● 京極タツコ様
総集編は物足りんですよ。(ビデオ買ってわかった)
『独眼流政宗』とは小学生にしてもお目の高い。
キャストにしろ演出にしろ、色々見所があった作品でしたね。
あの時間の裏番組、鈴木保奈美主演の「おんな風林火山」を食って打ちきりに
してしまったとか(笑)、政宗の弟が亡くなるシーンでは、民家から
一斉にすすり泣きが聞こえてきたとか語り草があります。←(ある地域で実際にあったらしい)
仙台での本放送時の視聴率は、異常に良かったそうです。
宮城は今でも伊達政宗を大事にしています。(ちょっと食傷気味ではあるが…。)
じかん● Thu Oct 21 23:42:35 Japan 1999
おなまえ●京極タツコ
メッセージ● こんにちわ。
私も大河の総集編ではない、そのまんまのやつの再放送を望みます。私の場合は、最近(でもないか)のでは『太平記』と『炎立つ』ですかね。
あとは、もうかすかな記憶しかない『独眼流政宗』です。あの時私はまだ小学校低学年だったのですが、幼いながらも夢中で見てました。
ほんと、NHKにお願いしたいです。こういう再放送希望の人って結構いるんじゃないですかね。
それに1年くらい前にたしか『琉球の風』を再放送しましたよね。それならぜひ他のもやってほしい・・・。
じかん● Thu Oct 21 20:14:02 Japan 1999
おなまえ●かず
メッセージ● はじめまして
私は最近、ふと NHK大河の秀吉(竹中直人主演)がもう一回見たくなりました
でも、まだビデオリリースされてないとか。。
所々はテレビで見たんだけどもう一回最初から最後まで見たい
誰か、見せてー・・・・ほしい。。」
だめもとでの僕の叫びでした。どうも(^^;
kazuzu@excite.co.jp

じかん● Tue Oct 19 9:04:35 Japan 1999
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 情報提供

以前に問題になった佐高信の司馬遼太郎批判ですが、佐高信が『週刊金曜日』の最新号に『司馬ファンからの反撃』という短文を寄せていますのでリンクを提供しておきます。

皆様すでによくご存知とは思いますが、Yahoo掲示板の「時代小説」に「永井路子さんが好きです」のトピックスがあって、316件のポストが上がっています。また、こういうページも公開されています。
じかん● Mon Oct 18 23:35:35 Japan 1999
おなまえ●masato
メッセージ● 檜村友希さま、はじめまして。

メールアドレスの件は書かなくてもいいですよ。
本文中に書くことになるので。

「王朝序曲」と「檀林皇后私譜」、永井路子さんと杉本苑子さんはともによく比較されます
ね。藤原一族のしてきたことは確かに本人たちが悪霊に畏れおののくが当然なほどえげつな
いです。なのに永井路子作品を読むと、藤原冬嗣、藤原道長なんかも愛すべき人物と思って
しまいます。
ホント、藤原氏ってよくもまああんなに濃い人たちが出てきたもんだ。

じかん● Sun Oct 17 15:53:27 Japan 1999
おなまえ●あつこ
メッセージ● 夕べの「街道をゆく」は高野山でしたね、
私は13日、久々に行って来たところだったのでタイムリーでした。
平成大修理が終わって、凄い賑わいでしたが、そこがまた高野山らしくて
いかにも、いかにも、”弘法大師”という感じでなかなか楽しかったです。
番組の方は、ちょっと短絡的かなぁとも思いましたが、
真言が宇宙との交信の言葉である、という内容の司馬先生のお言葉、
まことに同感であります。
空海は「やし」として素晴らしい演出家でありました。
現在の高野山の裕福ぶりを見れば、空海の偉大さがびしばしと感じられます。
じかん● Sat Oct 16 18:35:24 Japan 1999
おなまえ●おたか
メッセージ● ふー、皆様、お元気ですか?
S水さま、ふらっと京都に行ける所にいらっしゃるなんて、ホント羨ましいです。
今、NHK朝の連ドラ「あすか」の舞台が、奈良・京都ですよね。
もう名所旧跡がバンバン出てきて、連ドラファンでなくとも、歴史ファンなら楽しめます。
あすか役の子役がかわゆい!(いや、これはちょっと余計・・・)
じかん● Fri Oct 15 21:40:34 Japan 1999
おなまえ●S水
メッセージ● いよいよ読書の秋です。最近は南北朝時代から戦国時代の間に凝っていてその周辺の小説を読みあさっていました。ちょっと前に永井さんの姫の戦国をひとくぎりにして、京都に日帰りで行って来ました。朝6時に出発して銀閣に一番乗りし、天竜寺、金閣、等持院、竜安寺と一応足利幕府をメインテーマにしてぶらぶらしてきました。あ、そうそうついでに南禅寺もいきました。今回最も印象に残ったのが天竜寺でした。大方丈に座って嵐山などの借景を利用した、夢想国師が造った庭が最高で、ぼんやり眺めていると、知らず知らずのうちに、とても爽やかな気分になっていました。いやあ魂の洗濯になりました。それはそうと銀閣で開門と同時に入ったせいか、寺の人が銀閣の中に入っていって、障子を開けたりしているのを見ることができました。そういう人を見ながら足利義政もあんな風に銀閣の中で歩いていたのだろうなあと思うと、何となく感慨深いものがありました。僕も銀閣の中に入ってお茶でも飲みたいなあ、ほんとに。

じかん● Fri Oct 15 21:27:17 Japan 1999
おなまえ●渡辺恒久
メッセージ●   私はアマチュア演劇愛好家です
今年は 古河公方足利氏の最後の姫様 氏姫の演劇製作中します
古河市出身の永井路子先生をはじめとする関係する多くの町や団体・研究家に
相談しながら作りました
今年の11月27〜28日に公演します
日本ではじめての古河公方に関する演劇に乞うご期待です


http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Theater/7395

最近 永井路子先生の「歴史をさわがせたおんなたち」を拾い読み中世の視点が変わりました
 皆さん茨城県古河市のHPもみてください
  http://www.city.koga.ibaraki.jp/


じかん● Wed Oct 13 21:37:33 Japan 1999
おなまえ●檜村友希
メッセージ● はじめまして。Yahoo!で試しに「永井路子」で検索してみたら、ここが出てきたので、嬉しくて来てしまいました。
下に、きっと変な書き込みが出ると思うのですが、それは私が失
敗した分なので、削除しておいてください。
身の回りに、永井路子ファンがいなくて寂しかったので、これか
らときどき現れると思いますので、宜しくお願いします。
私が好きなのは、最近は「王朝序曲」です。杉本苑子の「檀林皇
后私譜」と読み比べると、冬嗣の性格が全然違っていて面白いと
思います。私が好きな冬嗣は、ひょうひょうとした「王朝序曲」
の方です。ひょうひょうとしているとは言え、所詮は藤原氏です
から実際は、「檀林皇后私譜」に書かれているみたいに、狡賢い
のかも知れませんが…。
話変わりますが、メールアドレスはどうやって書けばいいのでし
ょうか?ここに書けばいいのでしょうか?よく解らないので、今
回はセキュリティーの意味もこめて、メールアドレスは書かない
ことにします。
じかん● Wed Oct 13 21:21:29 Japan 1999
おなまえ●檜村友希
メッセージ●
じかん● Wed Oct 13 9:40:24 Japan 1999
おなまえ●遼太の父
メッセージ● MSNジャーナルで元JCO社員からの

書簡
を見ましたが、全く共感できない内容ですね。倒錯した被害者意識と他者への責任転嫁ばかりが目につく不愉快なものでした。彼の言わんとしていることを整理すると以下のようになります。

1、JCOは日本の電力供給においてきわめて重要な役割を果たしているのに、誰もそれを知らない。社会的に異常に軽視されてきた。

2、多くの原子力技術者が原子力業界を去っているのは、偏見を持った無知なマスコミや原子力に反対する勢力が徒に原子力エネルギ−の危険性を叫びつづけているからである。

3、下請の原子力関係者は合理化の中でいつも肩身の狭い思いをさせられている。モラルの低下が起きるのは当然だ。

4、事故を起こせば重い社会的責任ばかりが押し付けられ、平素の電力供給の社会的貢献の方は常に無視される。国民のほとんどは現場の努力など見ようとせずに、事故だけを見てJCOを糾弾している。

5、JCO社員こそ、この事故の最大の被害者である。

なんという非常識で愚劣で屈折した言い分でしょう。技術者の倫理の崩壊というのは、まさに彼のような態度と論理にこそ象徴的にあらわれています。こういう歪んだ内面を持った技術者が原子力産業に従事し続けているかぎり間違いなく次の大事故は起きるでしょう。これを読んでいて憤るとともに背筋が凍りつく思いでした。

この男の視点には、JCOの実態を何も知らされないままその安全操業を信じて平和に暮らしていながら、ある日突然放射能汚染の危機に晒されて恐怖と不自由な生活を強いられた現場住民への思いやりの姿勢が全く見られません。何故に原子力の産業と行政が国民から不信の目で見られているのかの洞察が全くありません。あるのは、悪いのは俺たちじゃないという幼児のようなエゴイズムだけです。

JCOの事業の存在や危険な操業の実態を一般社会が知らなかったのは、マスコミの偏見や無私のためではなく、JCOを含めた原子力関係者自身がその実態や真実を意図的に隠していたからでしょう。業界ぐるみで安全神話を吹聴して信じ込ませることばかりやって、真実が知られれば拙い事をずっと隠そうとしてきたからでしょう。当の東海村村長でさえその危険で違法な操業の実態を知らなかったのです。梶山静六は、濃縮ウランのよ核燃料の加工を国の機関でなく一民間企業が町工場のような施設で取り扱っている事実を知って愕然としたと言っています。

JCO社員は本当に最大の被害者なのでしょうか。確かに直接に被曝して重傷を負ったのは彼らですが、当日JCO事業所の社員たちは、救急隊員に対して、電話でも現場でもそれが核燃料の事故であることも、放射能汚染の危険があることも何も知らせませんでした。救急隊員が被曝するのを知りながら黙って見ていたわけです。また彼らは、昨日になってようやく事故作業棟の換気口を目隠ししましたが、この一週間、ずっと換気を続けて放射線物質を外部へ垂れ流しつづけてもいました。

先週テレビを見ていると、すでに米国では原子力に替わる次のエネルギー開発に向けてクリントン大統領の指示の下に国家を挙げて具体的に着手している映像が出ていました。21世紀を迎えようとする今日、もはや原子力は新しいエネルギー技術ではなく、次に置き換えられて行く古い技術なのです。日本では、原子力以外になのだから仕方ないだろうという原子力神話ばかりが吹聴され、鼓吹されて、当局と右サイドの議論ばかりが先行します。アレルギーになってはいけないという議論ばかりです。

誰もアレルギーになりたくてなっているわけではありません。

政府と国会は、米国を見習って、至急に原子力に代わる代替エネルギーの開発と応用を計画化するべきであり、そのための思い切った予算措置を講ずるべきです。
じかん● Sat Oct 9 16:56:09 Japan 1999
おなまえ●神田 類
メッセージ● ☆よっこさま
 お久しぶりです。小説、上手く送れなくてスミマセン。
 その件で、お話したいことがあります。
 まずは、こちらからメールを送りますので、お返事頂けませんか。
じかん● Fri Oct 8 20:25:16 Japan 1999
おなまえ●しんぺい
メッセージ● こんにちわ
MSNジャーナルでの、田口ランディさんというジャーナリストの
エッセイです。見てみてください。
http://journal.jp.msn.com/worldreport.asp?id=991008randy&vf=1

>よっこさん
山本周吾郎は「栄花物語」がお勧めです。
っていうか、それしか読んでいなかったりして(^^;


じかん● Fri Oct 8 15:44:56 Japan 1999
おなまえ●あつこ
メッセージ● 別冊山と渓谷「歩く旅」NO.1
という本の中で ”原田大二郎「高杉晋作の維新」を歩く”
(役者の原田大二郎が山口県内の高杉晋作の足跡をたどる)
という企画が載っていました、写真が沢山あっておもしろそうでした。
他にも、木曾義仲の倶利伽羅峠、万葉の山の辺の道、石畳の東海道箱根越えなど
おもしろうそうですが、見ると行きたくなるのが困ります。
ちょっとご報告まで。値段は1300円。
じかん● Fri Oct 8 14:44:46 Japan 1999
おなまえ●遼太の父
メッセージ● めぐみ様、

>「技術立国」と自画自賛してきた日本を支えるはずのひとりひとりの意識が低下してきているのではないかと危惧しています。 司馬さんに昔から日本人はこうだったのか聞いてみたいことしきりです。

『花神』がエンジニア論であるという話は何度も繰り返しましたが、司馬遼太郎は、日本の技術者 − 近代におけるエンジニア、近世における職人 − という生き方を格別に愛し、その存在に全幅の信頼を寄せ、 その合理主義とリアリズムの精神の伝統を日本史の究極の宝物のように信奉していました。ですから、4年前のもんじゅの事故のときなどは相当にショックだったのだろうと想像します。

死の前、「もうあかんで」と日本に絶望していた理由の一つは、政治家の汚職や銀行のモラルハザードなどと並んで、日本の科学技術(H2ロケットの度重なる打上げ失敗とか)と科学技術者(オウムの村井とか)が根本的におかしくなってしまっていたことがあるのでしょう。日本の理科系がなぜおかしくなってしまったのか、まずは理科系(技術系)の人にうかがってみたいところではあります。

司馬遼太郎に愛される資格、という言葉を少し前に使いましたが、それはまさに日本のエンジニアたちに直接的に問われている当の問題であります。

しかしそれにしても、こういう事故が起きて思うのは、それでももし司馬遼太郎が生きていたなら、月刊誌(文藝春秋)なり新聞(産経新聞)なりに登場して、日本のエンジニアとシステムに対して適切な警告を発していただろうし、また日本国民は司馬遼太郎の言葉を前にしで少しは身を引き締め直したことだろうに、ということです。司馬遼太郎に代わってそういう訓戒を垂れることができる人間が一人もいないんですね。そういう訓戒に素直に耳を傾けられる重みと厚みのある思想的指導者がいないのです。日本人は「校長先生」を失ってしまいました。

これはどう考えても長く続かないと私は思います。校長先生なしではやっていけないですよ。
じかん● Fri Oct 8 12:18:08 Japan 1999
おなまえ●あつこ
メッセージ● よっこさん
私も山本周五郎は大好きです。
祖母の影響で読み始めたのは中学1年の時でした。
「ちいさこべ」がはじめでしたが、すっかりはまって
「柳橋物語」では、恥ずかしながら
声をあげて泣きながら読みました、、、。
じかん● Fri Oct 8 11:39:44 Japan 1999
おなまえ●よっこ
メッセージ● おひさしぶりです。神田類さま>申し訳ありません、確認が遅くなってしまいました。やはり、
機種同士の相性が悪くて、文字化けを起こし、内容が読めなくなっていました。せっかく送って
いただいたのに、残念です。ごめんなさい。

あんまりこのサイトには関係はありませんが、「ヒカルの碁」という漫画が、今私の中でブレイク中です。
平安時代の天才棋士の魂が主人公の少年の意識の中に入り、囲碁を極めようとする物語です。絵も
きれいで、ほぼ一目惚れに近い形でコミックスを買いました。週刊少年ジャンプに連載中です。
おすすめです。

京極夏彦さんの本や、山本周吾郎さんの本も夏によみました(バイトの休憩時間に)。
また遊びにきますのでおすすめの本など紹介して下さいませ。ではでは。

じかん● Fri Oct 8 9:16:53 Japan 1999
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 花子様、

昔、ビッグコミックという主に男性が読む漫画雑誌に『土佐の一本釣り』という作品が連載されていました。作者は青柳柳介だったと思いますが、カツオの一本釣り船に乗る若い漁師純平の熱血物語でありました。そのお話の舞台が高岡郡中土佐町久礼という小さな猟師町でした。その久礼の港から少し行ったところに窪川町という町があります。

80年代の半ば頃だったでしょうか、四国電力がこの窪川町こ原発を建設しようとして、地元住民による猛烈な反対運動が盛り上がったことがありました。結局、町長のリコール選挙があり、原発誘致推進町長が敗北して、四国電力は窪川町への原発建設を諦めるに至りました。高知県は過疎県であり、貧乏県であり、大都会から遠く離れていて、原発を建設するには絶好の条件の土地なのですが、未だ一基の原子炉もありません。今後もおそらく無いでしょう。

四国では佐田岬半島の先端の伊方に原発が建設されています。ここは愛媛県ですね(と言っても大分県にも近いし、山口県にも近い場で、関サバ関アジの漁場のすぐそばですが)。

昨晩のNステで、石川県の北陸電力の原発を誘致した住民が登場して、交付金が行政からもらえるのだから、事故の危険に対しては住民自身が自ら自己責任で防衛しなければならないのだと言って、車に常時積んでいるビニール合羽のような「防護服」を見せていました。

なんという愚かな話だろうかと私は見ながら思いました。あんなビニール合羽に毛が生えたようなもので、どうして放射線被曝を避けることができるのでしょう。

原発を誘致した土地住民の自己責任というのは、つまり今回の東海村のように、一度事故が起きたなら、長時間避難生活を余儀なくされることであり、放射能汚染されたかもわからない住居で暮らしつづけることであり、農水産物が売れなくなって大きな経済的損害を蒙ることなのです。これこそが原発誘致の交付金や事業税収益と見返りにトレードオフとして受け取らねばならないリスクそのものなのです。それこそが自己責任なのです。
じかん● Fri Oct 8 0:09:35 Japan 1999
おなまえ●山口の花子
メッセージ● りょうたろうさま
新聞情報まで探してくださってありがとうございました。上関原発はスナメりだけでなく、ヤシマイシンという、上関にしかいない貝が発見され、今回の事故もあり、今後が注目されます。ここまで来て、もし、建設中止になったら、画期的なこと。
原発、原子力関連について一番の問題は、何を言われても信頼できないその体質。国の原子力政策自体を方向転換させる方向で世論が動かなければ、問題は形を変えて、ずーと出てくるでしょう。
最近、いやなことがあったり、腹が立ったりしたときとなえるフレーズ。
「あなたも私も未熟者、100年たったら墓の下、100億たったらビッグバン、バンバン。
花子作。いかがでしょう。
じかん● Thu Oct 7 22:41:49 Japan 1999
おなまえ●めぐみ
メッセージ● 今回の原発事故は、内容を知れば知るほど恐ろしくなりますね。事故発生直後より放出した中性子による被曝は、もう今となっては測定できないのですから事故の実体は時間がたたなければわからないはずです。それをたとえ茨城産の野菜を食べてパフォーマンスしても安全性を証明できるとは思えません。
JCOの管理ミスももちろん糾弾されるべきでしょうが、現場に従事している人間は毎日どう感じていたのかなと思います。手抜き作業していて、業務の危険性や責任を考えたことはなかったのでしょうかね。
ちょっと話がとびますが、「いい仕事をする」ことがおろそかにされているように感じます。日常的に、あちこちで。卑近な例では故障した我が家の家電製品がすぐ故障して、一度で修理できない、とかね。「技術立国」と自画自賛してきた日本を支えるはずのひとりひとりの意識が低下してきているのではないかと危惧しています。
司馬さんに昔から日本人はこうだったのか聞いてみたいことしきりです。

じかん● Thu Oct 7 16:44:58 Japan 1999
おなまえ●失礼、下は遼太の父です。
メッセージ●
じかん● Thu Oct 7 16:37:40 Japan 1999
おなまえ●
メッセージ● われわれの世代が大学を卒業して社会人になろうとしている頃、ちょうど20年くらい前を振りかえってみると、今ほどではないけれど、かなり厳しい不況の時代であり、就職難の時代であったと思います。

どういう不況の時代かというと、すなわち第2次オイルショック後の不況でありました。第1次が1973年、第2次が1979年であります。今でも屡々トイレットペーパーの買い占めなどの映像とともに第1次オイルショックが回顧されることがありますが、第2次オイルショックについてはあまり語られることがありません。実際の日本経済への影響という点では、あるいは第1次以上に第2次の時が大変だったのではないかと思います。その時の日本の総理大臣は福田赳夫でありました。

(知らない人もいるかもしれませんので申し上げておきますと)オイルショックというのは、簡単に言えば、原油の価格が高騰して日本経済に大きな打撃を与えることです。石油を100%輸入に頼り、その安価で安定した輸入供給に依存して経済成長を遂げていた日本経済にとってそれは本当に大変なことでした。

第2次オイルショックが発生した直接の契機は、2月に起きたイラン革命でありました。革命指導者の名前をとってホメイニ革命とも言います。アラブ・イスラム勢力による石油を武器にした西欧先進諸国に対抗する戦略的攻勢でもありました。イラン革命の勃発と共に再び原油価格が高騰して、日本のあらゆる産業がコスト高になり事業収支が悪化したのでした。企業は一層の合理化を迫られ、特にアルミ精練など構造不況業種といわれた産業分野では人員整理あるいは撤退を迫られ、(今と少し似ていますが)より高度な付加価値を取れる新産業への構造転換が叫ばれていました。

その頃、学生である私たちのところへリクルート社からいろんな企業の就職用資料が届けられていたのですが、よく覚えているのは、電源開発とか動力炉核燃料事業団とか、とにかく原子力産業関連の企業が積極的にリクルートのプロモーションをやっていたことです。これからの有望企業は原子力関連企業である。石油に代る代替エネルギ−を開発するところである。これから原子力産業はどんどん伸びる。特にそのときのキーワードは夢の代替エネルギー開発技術であるところの高速増殖炉である。これは他国ではまだ実用化されていないが、わが国の優秀な技術者たちは必ず高速増殖炉の実用化に成功して、安価で大量の電力供給を実現するだろう。

そう書いていました。私はよく覚えています。

わが国がエネルギーを原子力に依存する方向に大きく舵を切った背景には石油ショックという大きな経済事件がありました。そして同時に日本が石油ショックの経済危機にさらされた70年代後半の時代は、原子力発電所建設などに反対する伝統的な政治勢力の力が徐々に弱まって、現実主義の名の下に、原子力政策を推進する政治路線が支持を大きくして
行った時代でもありました。
じかん● Thu Oct 7 15:49:29 Japan 1999
おなまえ●Ichio Hattori
メッセージ● 司馬遼太郎、私も大好きです。
その中でも『尻啖え孫市』、いいですね。
解説の中にある、信長が撃たれるシーンのある番組、確か
『国盗り物語り』だったと思います。ただ、信長を狙撃するのは
孫一ではなく杉谷善住坊だったように記憶しているのですが。 
じかん● Thu Oct 7 10:44:58 Japan 1999
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 専門技術者への不信感

少し前に文系理系の議論をしたわけですが、今回の臨界事故も少しそれに関連するところがあるように思います。放射能汚染というのは、それが核兵器(の使用あるいは実験)によってもたらされるものであれ、原子力エネルギ−関連施設の事故で惹起されるものであれ、その恐怖はわれ
われにとって大変なものです。

いろいろ考えたのですが、本当に不安であり恐ろしいのは、単に施設の中に放射線防護壁がないとか、規制法上違法な設備だったとか、民間住居地区のど真ん中で大量の核燃料濃縮ウランが加工されていたというだけでなくて、あの記者会見の席で今回の事故をまるで他人事のようにコメントしていたJCOの技術者たちに典型的にあらわれているような内面の真実ではないかという気がしてきました。

彼らは専門知識を持っていて、素人の新聞記者がする質問に対して巧妙に煙幕を張ってかわすことはできるわけですが、世の中の人々に申し訳ないという反省の態度を見せるということができません。同じく科学技術庁の専門家職員たちも、今回の事故の原因をJCOの手抜きであると指摘することはできるわけですが、2年前のもんじゅの事故の後で今回また未曾有の放射能漏れ事
故害を起こしてしまった責任の自覚とか、日々の原子力行政の怠慢の自戒というところには全く言葉が及びません。

思うのですが、最近、本当に人が反省している姿とか、反省して悔い改めるとか、事故や失敗を教訓とするとか、そういうような人間社会の現実の場面が殆ど無いように思います。さらに言えば、今の若い人たちは、人間が反省の態度を示すとか、誤りを教訓として心を入れ替えて次から出直すとか、そういうイメージをリアルに持てていないのではないか、言葉として頭で理解していても、現実の行動としてどういうものか理解できていないのではないかという気さえするのです。

それは別に若い人だけの問題ではなく、技術者だけの問題でもないのですが、どうもそういう感じが強くするのですね。簡単に言えば内面の倫理の崩壊ということです。考えられない人為的ミスというのは、やはり人間の倫理(基本的な倫理観)の崩壊から惹き起こされたということができるのでしょう。法制度の整備は重要ですが、どれほど法制度を完璧に整備し、施設の安全性を強化しても、危険な作業を危険な人間たちがやっている以上、必ず問題は発生することでしょう。どことなくオウムの問題と似ていますよね。

私は、科学的知識の無い素人の偏見かもしれませんが、日本の原子力エネルギー開発に携わっている専門技術者という人々のことを人間的にあまり信用できないし、その原子力行政を動かしている技術者上がりの(本来の技術者の心を失った)理系出身官僚たちの仕事をあまり信用できなません。私たちの日本の原子力産業と行政への不信というのは、そこに立っている科学者や技術者に対する人間不信でもあります。つくづく文系もダメになったけど理系もダメになったと思います。
じかん● Thu Oct 7 9:53:57 Japan 1999
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 正しい日本語 − 被曝と被曝 −

Responseが遅くなりましたが「正しい日本語を使おう」という主張および運動には私は全面的に賛成の立場で、現在の目に余る日本語の乱れや脆弱化の現象に対して眉をひそめている人間の一人ではあります。

ただし私の下の文章の中での「被爆」の用語は、特に誤りはないものと思いますがいかがでしょう。私は下の大江健三郎について書いた文章の中で、「唯一の被爆国の良心的知性」という表現をしているわけですが、この場合の「ひばく」は被曝ではなくて被爆でありましょう。ここで「唯一の被曝国」と書くのは恐らく誤りであろうと思われます。辞書を引いてみましょう。岩波国語辞典の第三版932ページです。

ひばく
被爆 @ ロ)特に、原水爆の被害を受けること
被曝 A 放射線にさらされること

とあります。今回の私の文脈は、第五福竜丸が水爆実験に遭難した歴史的事件と大江健三郎について述べている下りですので、明らかに「唯一の被爆国」の表現が正しい筈です。被曝が使われるのは、例えば今回の大内さんを初めとするJCO社員の身体的損傷とか、あるいはレントゲンで被曝するなどという場合ですね。なお被爆と被爆の用語については、インターネットの他の掲示板でも議論されているところはたくさんあります。私は無論それらを踏まえた上で「唯一の被爆国」の表現を使いました。無署名さんの「正しい日本語を使おう」のご主張はご尤もですが、ちょっと勇み足でしたね。もう少し文章をよく読んで吟味した上でご説を展開されることを望みます。

第五福竜丸関連で「被爆」の用語例が出ている文書もありますので、ご参照ください。

Nステ 久米宏問題
推測したとおりの展開になりました。降板ですね。取り敢えず「お疲れ様でした」と申し上げましょう。
じかん● Tue Oct 5 18:08:37 Japan 1999
おなまえ●
メッセージ● 「被爆」ではなく、「被曝」が正しい字であります。
よけいなことですが、こういう時こそ正しい日本語を使いたいものです。

「被爆」は原水爆などを含む爆撃を受けたときに使います。
とくに放射能を浴びたときには、
「被曝」=常用漢字ではないので新聞では「被ばく」と表しています。
レントゲンなどで使うときがあるそうです。

じかん● Tue Oct 5 14:16:14 Japan 1999
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 歴史小説ではなくて現代小説になりますが、その昔、大江健三郎が言った有名な言葉で、「明日核が頭上に降り注いでくるかもしれないこの現在の世界で、果たして文学というものが成り立つのだろうか」というようなのがありました。大江健三郎の権威を利用して今回の一連の書き込みを正当化するつもりは毛頭ありませんが、やはり大江健三郎はいい男であり、彼の発言には首を縦に振る場合が多いです。大江健三郎が世界の文学者のなかで日本の知識人の第一人者として認められている理由の一つは、単に彼の卓越した文学的才能のみならず、唯一の被爆国の良心的知性として核の問題と正面から向かい合って来た実績があるからだと思います。

昨晩のニュースステーションの轡田隆央氏のコメントは、まるで私の下のを読んでいたかのような(きっとそうではなくて土曜日朝の黒田清氏のコメントを聴いていたのでしょうが)具合のもので、私としては大いに満足な気分でありました。広島、長崎は知っているけれど第五福竜丸はよく知らないという若い人もいらっしゃるでしょうから、年寄のお節介をすることにします。(ビキニ環礁近くの現地住民はどうなるのだという議論もありますが)原爆のみならず水爆によっても世界初の犠牲者を出したのは日本ということになっているんですね。

北海道Peace Waveのここに比較的詳しい情報が載っています。展示館の情報がこれ

じかん● Tue Oct 5 9:17:25 Japan 1999
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 東海村臨界事故

テレビや新聞の報道では、事故原因の究明の方に次第に関心が集まって、裏マニュアルだとか安全義務違反とか、専らJCOに対する糾弾の方へ目が向けられつつあります。私はこれは何となくおかしいなと思って見ています。JCO社の犯罪は無論絶対に許されるものではないでしょうが、ある意味でスケープゴートと言うか、トカゲの尻尾切りと言うか、JCOだけに全部責任と罪を被せて、科学技術庁や原子力安全委員会やあるいは茨城県などが、自分の責任を上手く回避しようとして世論を誘導しているのではないかという疑いを禁じ得ません。

新聞やテレビでは、とりあえず事故は収束したから事故の原因究明へという具合に話を持って行っているのですが、インターネットを見る限りでは、今いちばん問題になっているのは、事故の原因ではなくて事故の科学的な実態であり真相です。つまり本当に現場周辺が現在安全になっているかどうかの科学的な根拠の問題であり、実際にどれだけの量の放射能なり中性子線なりの発生と拡散があったのかという事実の特定の問題であり、そしてあのJCOの建物内部が今どうなっていてどうやって処理してゆくかという問題です。

インターネットで発言している専門家たちが異口同音に言っているのは、政府が安全宣言したときの放射線測定量の数値の問題で、政府は「人体に影響のない数値にまで下がった」と言っているけれど、具体的に測定値がいくらだったのかを公表していないということです。どんな計測器を使用したのかということも問題になっています。それらが情報公開されていないので「安全宣言」を信用できないということですね。

18時間近くも核防護壁なしの剥き出しの自然空間で臨界が起き続けたのは、おそらく今回の事故が世界でも初めてのケースで、過去に経験のないものなのでしょう。だから周囲の環境にどんな影響が及ぼされたのかを科学的に検証するのも容易ではないのでしょう。安全宣言は、それらが全部科学的に解明されてからはじめて信用できるものです。

2日に350メートル圏内の避難住民が避難解除になって家に帰るとき、東京電力の社員が同行して、測定器を使って家の内外を調べて「安全です問題ありません」と言っている映像がニュースで流れていたのですが、その避難家族や報道記者に測定値を読み取って(安全か否か)判断できる科学的知識があるわけではありません。ひょっとしたら気休めの嘘を言っていたのかも知れないのであり、またその測定器が何を調べる測定器かも素人には判別できません。

中性子線の線量を調べるためには中性子線専用の測定器が必要で、それが東海村に無かったため
に(つまり中性子線以外の放射線の測定血だけの判断で)今回30日の午後4時に野中官房長官が「収束の方向」と言ってしまい、後で中性子線測定器が届いて測ってみたら大変な量だったので、臨界が続いている事実がわかり、慌てて10キロ圏内に屋内待避勧告を出し、急遽政府対策本部を作って夜中にドタバタ騒動したという経緯があります。

今回、周辺住民への緊急の健康診断が行われて、どうやら採血検査も実施されていたようですが、採血検査の結果は(本人にも一般にも)果たして正確に告知・公開されるのでしょうか。ひょっとしたら予想外に深刻な放射能被害の結果が出ていて、それを政府が極秘に握り潰す可能性があるんじゃないだろうかと私は不安に思っています。

この問題はまだしばらく続きますね。尾を引くと思います。
じかん● Tue Oct 5 1:17:54 Japan 1999
おなまえ●masa...
メッセージ● ブルームのラストツアー武道館ライブは一万人集まったんでしょうか?
何処かのHPに出てないか徘徊中です(^^;;


じかん● Mon Oct 4 20:25:17 Japan 1999
おなまえ●財前吾郎
メッセージ● 地図見ました〜。佐和駅、懐かしいなぁ。地図でもこれしか離れていなかったんですね。
怖いことだ…。
この近くは、今では信じられないくらいの蛍の乱舞が観られた土地でした。
(「火垂るの墓」どころじゃなかった。)
あの美しさだけが大事だったら、原子力が無くても幸せなのに…。
じかん● Mon Oct 4 20:01:58 Japan 1999
おなまえ●masato
メッセージ●
事故、恐いですね。さっきのニュースで作業をやっていた人には非常にさびしい知識し
かなかったらしいってやってましたね。今までの数々の事故の教訓って・・・。

今これを書いているのは北海度の岩内町です。泊原発のある泊村の隣町。
札幌との距離はもっとあるはずですが。
じかん● Mon Oct 4 13:47:02 Japan 1999
おなまえ●失礼 下は遼太の父です。
メッセージ● はやり失敗。財前様のところはここです。
じかん● Mon Oct 4 13:43:33 Japan 1999
おなまえ●ryoutarou
メッセージ● タグの二番煎じと地図

問題の泊原発はここですね。北海道の大きな地図でロケーションと札幌からの距離をうかがうことができます。40−50キロくらいですかね。財前様が生まれ育たれたお近くが問題のこの場所で、
花子様が問題とされている中電のお話の新聞記事がここにあります。蒼龍窟氏のところとも近い感じですね。
じかん● Mon Oct 4 9:51:56 Japan 1999
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 一昨日のテレ朝の朝の番組に出演しているコメンテータの黒田氏が話していたことですが、

1、日本は核の被害については世界で最も悲惨な原体験を、しかも3度 − 広島、長崎、第五福竜丸 − にわたって持っている国であり、日本国民は核の恐怖について、放射能汚染の被害の深刻さについて、誰よりもよく知悉している国民である。

2、さらに湯川秀樹博士が日本人として初めてノーベル物理学賞を受賞したとき、その研究業績はまさしく「中性子の発見」についてであり、日本人はそのとき核分裂と中性子の拡散について、またその恐ろしさについても十分に学習したはずである。博士ご自身も核の平和利用について運動の先端に立って精力的に行動された。

3、しかるに原子力の安全利用・平和利用ということでは、世界中の誰よりもセンシティブであり、ナーバスであり、高度な知識を持っていなければならないはずの日本人が、70年代以降のエネルギ−転換政策と原発建設とその中でバラまかれた「安全神話」にすっかり洗脳されて、上の1と2をすっかり忘れてしまった。

と言っていました。歴史的視点の入ったよいコメントだったと思います。「過ちは二度と繰り返しませんから」と広島の犠牲者たちに誓い、核廃絶を世界中に訴えてきた日本人は、自分の家の中で原子力事故など絶対に起こしてはならない民族なのです。仮に、フランスのように原子力エネルギーの比率を現在よりも高める方向を国民的に選択するにしても、その設備建設や安全対策や危機管理の一切を決して政府と電力会社のフリーハンドに委ねてはならないのであって、根拠のない「安全神話」を鵜呑みにしてはならないのです。
じかん● Mon Oct 4 8:50:40 Japan 1999
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 昨日のフジTVの番組に出演した慶応大学物理学の藤田助教授の話では、今回JCOが沈殿槽に投入して臨界事故を発生させた19%濃縮ウラン16Kg分というのは、広島に投下された原子爆弾に匹敵する量で、したがって核分裂によって発生した放射性物質(=死の灰)の量も広島の場合と同じであるという説明でした。考えてみれば30日午前10時半の事故発生から31日未明の冷却水除去(臨界停止)まで18時間も時間が経っていて、その間ずっと核分裂が起きっぱなしだったことになります。

広島の場合はそれが大気中に拡散して、その後黒い雨となって人体に降り注いで無数の原爆症被害者を出して行ったわけですが、今回の事故の場合はJCOの建物の内部に死の灰が集中して残っているということです。これからその死の灰をどうやって除去、クリーニングするんでしょう。避難措置は解除されましたが、問題自体はまだ終わってないですよね。

「考えられない人為的ミス」という言葉で説明されていますが、もんじゅの時もふげんの時も似やような原因説明の仕方だったと思います。90年代に入って、日本の原子力事故というのは実際にはどんどん規模が大きくなり深刻になる一方で、何度事故を起こしても、その失敗が教訓となり反省となって安全管理に生かされるという結果にはなっていませんね。次にどこかの原子力施設で「考えられない人為的ミス」が起こったときは一体どうなるんでしょう。

企業も行政もものすごく無責任・無神経になっていて、事故が起きても別に何とも思わない、その場を適当にやり過ごせばそれでいいという感覚になっているように見えます。30日当日のJOCの記者会見などは酷いものでした。JOCは事業免許を剥奪して操業停止処分にするのが妥当だし、科学技術庁を初めとする原子力エネルギ−行政機関についても厳しく責任追及して、その不作為の責任を犯罪として摘発する必要があります。それから(憲法調査会なんか止めて)国会の中に原子力事業調査委員会を作り、現在の全情報を集めて国民に公開し、日本の原子力産業と原子力行政を根本的な見直しに着手すべきでしょう。

花子様、永泉様、将軍様、こんにちは。タグが使えたのですね。このチャレンジと発見は画期的です。次回から早速私も利用させてもらうことにしましょう。
じかん● Mon Oct 4 0:22:51 Japan 1999
おなまえ●財前吾郎
メッセージ● ●おたか様
あら?ついさっきの書き込みですね。すぐ返しレスしちゃおうっと。

沖田さんの幼名に似てるとは思いましたが。
でもこのネーミングいいですね。ぜひそうしてほしいです!!
本当にいいお友達ですね。
大丈夫!きっといい子が生まれます!!

じかん● Mon Oct 4 0:04:35 Japan 1999
おなまえ●おたか
メッセージ● 財前様
おぅ!惣太郎!素敵な音の響きですね!
沖田総司の幼名が惣次郎だから、長男・惣太郎、次男・惣次郎、これで決まりだ!
(これを安直なネーミングとは言わせない!)

全く私的な話で恐縮ですが、この親友は私が「花神」を読んで感極まれば、読んで感動を共に
味わってくれ、ビデオも然り、ついには私がどうしても鋳銭寺村に行きたいと駄々をこねたら
共に同行してくれました。なにか私がいつも一方的に感動の押しつけしてないか、心配になる
時もあるくらい。だから今回みたいな時(東海村事故)に、私を頼ってくれてちょっぴり嬉しかったです。
じかん● Sun Oct 3 2:32:40 Japan 1999
おなまえ●しが
メッセージ● 私の地元には、海が無いので原発はありませんが、すぐ近くに若狭原発があります。中学校の時、社会の先生が冗談で事故が起こったらどこの地区が一番危ないか、と言うことを話していましたが、まさか現実問題になるとは・・・。
そういえば、静岡県の浜岡原発って、滅茶苦茶立地条件が悪いと思いません?だって、東海地震が来るっていわれているところにあるんですよ。因みに地元住民は、地震よりもその地震によって原発から放射能が漏れることを一番恐れているそうです。
私の大学の提携校にウクライナのキエフ大学があり、友人もそこへ留学しましたが、チェルノブイリ原発から近く、放射能のことを凄く怖がっていました。目に見えない恐怖ほど恐ろしいものはありませんね。

じかん● Sat Oct 2 23:18:16 Japan 1999
おなまえ●山口の花子
メッセージ● うちの近くでも、原発立地で今中国電力ともめています。うちは、半径10kmにしっかり入ります。原発って50年後100年後の子孫を売り渡すこと。売り渡して、今生きている地元が経済的に豊かになろうとする。
日本は今、幕末の太平ぼけしてた旗本と同じで、平和ぼけして、危機的状況に対応できない。責任が明確でなく、個人で判断ができる人が少ない。うちのpartnerなんかは、農耕民族である日本人は、危機管理ができない、なんていってますけど。

じかん● Sat Oct 2 16:51:14 Japan 1999
おなまえ●将軍(自称)
メッセージ● 初めまして。『ハンニバル戦記』っていう歴史モノのページを立ち上げてます。全然コンセプトも固まってないんでハッキリ言ってつまらないかもしれませんが、一度見に来てみてください。因みに、ここって、タグ使えるんでしょうか?使えなかったらちとマヌケな事になってると思いますが、スミマセン。歴史小説は大好きです。特に司馬遼太郎の『項羽と劉邦』、塩野七生の『ハンニバル戦記ーローマ人の物語U』は面白いです。
じかん● Sat Oct 2 13:44:23 Japan 1999
おなまえ●財前吾郎
メッセージ● *おたか様
「蔵六みたいな男だと、きっと本人何気なくいった言葉に私はすごく傷つきそうな気がする」
あはは、そうかも〜。
蔵六をよく解ってらっしゃるお友達なんですね。うらやましいなぁ。
私も蔵六のことを話せる友人がほしいかも。
蔵六がだめなら、惣太郎なんてどうですか?これは蔵六の幼名です。



じかん● Sat Oct 2 11:35:09 Japan 1999
おなまえ●永泉
メッセージ● 古道具屋の親父です。慶応三年のパリ万博に参加した佐賀藩について書きました。
この時の幕府や薩摩藩については比較的よく知られていますが佐賀藩については語られることが少ないように思います。佐野常民を事務官長として5名でパリに乗り込んだ佐賀藩ですが、ここにもいろいろなドラマがありました。これは佐賀藩一行の一人でパリで客死した野中元右衛門の残した日記をもとに原稿用紙100枚に書きました。7日間に分けて毎日更新掲載します。ご笑覧いただければ幸いです。http://www2u.biglobe.ne.jp/~eisendo/
タイトルは「ペール・ラ・シェーズの葉隠れ商人」です。


じかん● Sat Oct 2 4:10:49 Japan 1999
おなまえ●おたか
メッセージ● 今、水戸在住の親友が私の家に避難しています。避難というと大げさかもしれませんが、彼女、
現在妊娠中なのです。彼女との会話では勿論、事故の話や水戸住人の不安といった類の話が主ですが、
お互い妊娠のことには触れません。(なんとなく触れられないというか・・・)
色々不安がっても切りがないので、もう、明日に向かって進もう!という感じ。
勿論、内心不安不満だらけなのですが、夫婦で助け合ってる様が粋だね〜。
絶対大丈夫!11月には元気な赤ちゃんが産まれるからね!!

因みに以前、私が「きっと男の子が産まれるよ。そしたら晋作か蔵六って名前にしなよ」と提案したら、
「晋作みたいな女にだらしない子になって欲しくない!」と言って却下された。
彼女の美的センスでは”蔵六”という音の響きの方がお気に入りらしい。
ただ「蔵六みたいな男だと、きっと本人何気なくいった言葉に私はすごく傷つきそうな気がする」
とも言っていました。(なんとなくわかるなぁ)
彼女とは、しばしばこんな会話をする仲です。
じかん● Fri Oct 1 22:10:18 Japan 1999
おなまえ●めぐみ
メッセージ● 原発事故はやはりというか人災だったようですね。今回は収束に向かっているようなのでまずはひと安心ですか。北海道には泊原発があって、もしここで事故があれば札幌は目と鼻の先ですから大パニックになるでしょう。それを考えると人ごとには思えません。かといって何ができるわけでもなく、せめて災害に備えて水や食料の備蓄をしておこうかとマジで考えているくらいです。Y2Kの備えにもなりますしね。ますます世も末、の感が強くなりました。
じかん● Fri Oct 1 18:07:10 Japan 1999
おなまえ●財前吾郎
メッセージ● 遼太の父様
本当に怖いことですよね。経済活動もストップして、農家の人などは土地が汚染されてたら補償はあるのでしょうか?
以前の私の家の隣に住んでいた女の子は、会社が事故地点のすぐ近くにあったので、会社に泊まって夕べは帰れなかったそうです。
今、私は仙台に住んでいますが、やはり自分のいた所が気になって、第一報を聞いてから夜の三時頃まで
ニュースを見つづけていました。

ニュースによれば、チェルノブイリ級の大事故になる可能性もあったそうです。
そうなると放射能の飛散などもあり、もうあの地には立ち入れないことにもなっていたかも。
子供の頃はあの村は(原子力施設以外)何にも無いところと思って、とくに何にも感じていませんでした。
工場見学などもしたこともありましたが。
でもそこで生活している友人もおり、今では他人事のような気がしません。


じかん● Fri Oct 1 16:24:52 Japan 1999
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 財前様 − 東海村臨界事故 −

わが家も東海村から直線距離で70キロほどのところにありまして、昨夜は午前1時過ぎまで寝ずにNHKを見ていたので、今日は眠くてたまりません。ひょっとしたらチェルノブィリのように大爆発するかもしれないと思うと恐くてたまらなかったですね。野中官房長官がすぐに政府対策本部を作って9時半に記者会見したのは、彼らしく果断でよい処置だったと思いますが、それだけに事態の深刻さがひしひしと伝わってきて、(最悪の事態になればきっと逃げる人で高速道路が滅茶苦茶渋滞するだろうから)思い切って今から先に車で首都圏を飛び出して、東名を西へ向って逃げようかなと何度も思いました。いろいろ考えるとそれしか助かる道が無いですものね。本当に悩みました。
じかん● Fri Oct 1 9:49:40 Japan 1999
おなまえ●財前吾郎
メッセージ● 茨城県東海村のウラン加工施設の事故、大変なことになってます。
テレビを見ると、私の生まれ育った地区が屋内退避勧告地区になってました。
友達がいるので心配です。
一体どんな気持ちで夜を明かしたのか、有ってはならない事だったのに…。
こうした歴史はこれからもあってほしくはありません。




じかん● Fri Oct 1 0:42:56 Japan 1999
おなまえ●あっきー
メッセージ● はじめまして!!!
歴史には何故か幼い頃より興味があるのです。
本格的な勉強はしていませんし知識もありませんが南北朝に
今は関心があり、最後の南朝の王である自天王と幻の王朝に興味が
あります。早く奈良県の川上村と上北山村に行きたいのですが
その時代の背景に疎いため情報を収集している最中です。
何か、ご存知のことがあればお教え下さい。
E-Mail fwhn3995@mb.infoweb.ne.jp
URL http://village.infoweb.ne.jp/~fwhn3995/fs/index.html