1999年9月分の掲示板です

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じかん● Thu Sep 30 8:28:04 Japan 1999
おなまえ●遼太の父
メッセージ● Nステ 小宮悦子 − さらに無駄話を続けてすみません。

ニュースステーションのノスタルジーを綴りはじめたら止まらなくなってしまいました。このシリーズが終わったら当分自粛隠居(長期休養)する事にします。この番組には思い出と思い入れが多過ぎて、私の30代の人生はずっとこ番組と一緒にありました。私の30代というのは正直なところ朝から版まで働きづくめの10年間で、朝の7時に家を出て、残業して夜の11時に帰宅するというリゲイン的な毎日でありました。一日のうちで見るテレビ番組はニュースステーションの一つきり。それも朝にビデオで録画予約して、夜11時に帰ってきて巻き度して10時のスタートからCMを飛ばしながら見るという凄絶なものでした。そのビデオを見ながら晩飯と缶ビールをそそくさと腹の中にかき込み流し込みして、あわただしく布団の中に入って眠りにつくという一日でした。我ながらたいした体力だったと思います。土曜日はほぼ一日中家で寝て、日曜日にはさっさと休日出勤に出かけておりました。

ま、男の30代というものは、基本的に誰でもこんなものだろうと思いますが。

さきほど久米宏の服装について書いたのですが、今回は小宮悦子ですね。小宮悦子は、そういう凄絶な仕事まみれの人生を送っているサラリーマン戦士たちにとっての、ブラウン管の中の可憐なアイドルでありホステスでありました。ホステスというのは悪い意味ではなく良い意味でです。仕事で身をすり減らしてクタクタになった男たちは、ブラウン管の中の小宮悦子の容姿を見て、心身を慰められ、一時のくつろぎを得て、次の朝また仕事に立ち向かう体力と気力を回復させることができていたのです。

小宮悦子は平然と被写体となって、カメラの向こう側の視聴者の男たちに魅惑的なビジュアルサービスを提供していました。キャスタ−が座るデスクの前の袖がなくなって下半身が丸見えになるようになったのはニュースステーションからです。それは実に衝撃的な映像でありました。男のキャスターはどうでもいいわけですが、女性キャスタ−がそこに座ってカメラに全身をさらけ出すのは常識破りの出来事です。しかし、モデル並みの長い脚線美と大胆かつ勇敢なサービス精神を誇っていた彼女は、その問題をいとも簡単にクリアして、テレビ世界に新しい地平を切り拓くことになりました。

キャスターの全身を映し出す革命的な映像手法は、一気にテレビ世界全体に波及するところとなり、テレ朝以外の民放局も次々と追随を余儀なくされ、脚線美と勇敢さとホスピタリティのマインドを持たない他の女性キャスタ−たちを困惑させ赤面させながら今日に至っています。

小宮悦子は男に好かれる女であり、男に親近感を覚えさせる女であり、存在として女性よりも男性に近い不思議な美人でありました。おそらく小宮悦子自身も、女性の中でよりも男性の中で仕事して生きる方が得意であり、気楽であり、似合っていると自分で思っていたのではないでしょうか。ブランド品のショッピングをしたり海外旅行を楽しんだりするよりも、居酒屋で日本酒を飲んで男たちと議論したり、カラオケでパーッと唄いまくる方が好きな爽快な女でありました。

久米宏の斬新なスタイリングコーディネーションは、その後の日本の男たちの「脱ドブネズミ化」運動と服飾センスの向上を主導・促進してゆくのですが、小宮悦子のセンセーショナルな脚線露出革命は、その後の日本の女たちの生活スタイルにさらに大きな影響を与え残したように感じます。いわゆる足痩せエステなどの美容業態が商売繁盛するのはこの頃からであり、女性月刊誌でその特集を載せないものはなくなり、そして日本の女たちの脚線の見かけが事実として次第に変わってゆき、やがて日本の女たちが短いスカートをはいて仕事に出るのはごく当然の日常風景となりました。

現在の日本の女たちにとって、脚線の整備という問題、したがってそのための肉体の改造と手入(その投資と啓発)の問題は、相当に脅迫的なものではないかと想像させられます。欠落させることが許されない深刻で脅迫的な問題です。男にとってそれに該当するのは、たぶんTOEICのスコアじゃないでしょうか。現代日本において、女にとっての脚線の課題と男にとっての英語の課題は、ほぼ同程度に個々人に深刻にのしかかってくる悩みと焦りの根源ではなかろうかと密かに思う次第です。それは待った無しで投資と自己啓発と自己改造とインプルーブメントを迫られる問題です。逃れようのないマストの問題であり、優劣、勝ち負けが一瞬で決められるごまかしようのない問題です。

テレビ世界で映像文化の新地平を果敢に開拓して、世の女の生活スタイルを「脚線脅迫症候群」へと追い込んで行った小宮悦子は、男たちから愛されて時代の寵児となり、そして億万長者となり、地位も金も名声も若い男も、欲しいものはすべて手に入れました。その奔放な生き方に眉をひそめる向きも一部ありますが、小宮悦子はやはりいい女であり、素朴に成功を称えてあげたい気分は変わりません。彼女は誰かのように縁故でテレビ局に入社したのではなく、親の七光りでレギュラーに抜擢されたのでもなく、また脚を露出すればうまく出世できるなどと狡猾に計算して視聴者男性に媚びを売ったわけでもありません。小宮悦子を例にあげて言うならば、女が大成功するための重要な条件は、自然なホスピタリティのマインドということになるのでしょうか。同世代の愛すべき偉大な女です。
じかん● Wed Sep 29 14:01:12 Japan 1999
おなまえ●遼太の父
メッセージ● ニュースステーション − 無駄話を続けてすみません。

今朝の朝日新聞の社会面では、久米宏は3ヶ月の休養の後で来年の1月4日に再登場すると大きく出ていましたが、テレビでは「来年の事を言うと鬼が笑います」とだけ言って、再登場については明言を避けていました。私はおそらく彼の再登板はないだろう、仮にあってもそれは現在のようなメインキャスタ−のポジションではなくて、今の轡田氏のように脇役のコメンテ−ターの立場ではないだろうかと思っています。

最初はテレ朝と2年契約でこの仕事を始めた。14年間も続いたなんてスーパーミラクルだと言っていましたが、印象としては14年間のうちの後半の7年間は、ほとんど惰性に近い形でやっていたように見えました。特に自民党単独政権が倒れた総選挙の時に問題となった「椿発言問題」−91年頃ですかね− 以降は、事実上死に体同然だったのではないかなと思います。

放送が始まった直後のニュースステーションは何から何まですべて斬新で、まさにアナウンサ−という言葉が廃語になってキャスターという言葉に置き換えられて行く歴史的瞬間の一歩一歩でありました。そのスピーディな語り口の妙や政治権力を公然と批判する言説もとても好感を持てたんですが、それ以外に注目させられたのは、久米宏が毎日着て出てくるファッションのセンスのよさでした。

スーツもタイもシャツも全部いい、コーディネーションがすごくいい、カラーリングのセンスがとてもいい、毎晩見ていて飽きなくて、こりゃあたいしたもんだと思っていました。久米の衣装は結局スタイリストである麗子夫人が全部担当していたわけでしたが、当時のテレビのニュース番組では異例であり、実に画期的なものでした。

このことを振り返るのは実はかなり重要な問題で、何となれば、われわれは現在ではテレビで久米宏の服装を見ても、特にカッコいいとかセンス抜群とかは思わなくなっているということです。それは久米宏の服装のセンスが決して落ちたからではありません。久米宏を見慣れ過ぎたからでもありません。そうではなくて、われわれ自身が、日本の男たちの服装と服飾センスが14年前と比べてすっかり変わってしまったということです。

14年前の久米宏ほどではないかも知れませんが、日本の男たちの服装も服飾センスもぐっと向上して見違えるほどお洒落さんになったということですね。当時の日本のサラリーマンの男たちは、自分が毎日着るスーツやタイやシャツについて何の知識もなく関心もなく、いわゆるドブネズミ族と言われる外見で平気で通していたということです。現在は全然違いますね。自分のことをドブネズミかもしれないと思っている男はきっと一人もいないでしょう。みんな自分の服装のセンスに対して自負と自信を持っていることでしょう。

いまは電車に乗っても、サラリーマンならば若い男たちは当然のこと、中年や初老の男たちまで、服のセンスの悪いドブネズミを見つけることの方がはるかに至難の技となりました。中年サラリーマンでも随分凝った高価で洒落たバッグを持って歩いていますね。朝、電車の中で若い男たちのヘアスタイルを見て、その手入れの念入りさを思ってつくづく感心させられます。男も「見た目」の時代になりました。世の中は大きく変わりました。

しかし、肝心の久米宏の方ですが、あの短い髪でゴマ塩頭になってしまうと、やはりテレビ映りとしてはいかにもまずい絵です。長期休養の理由はそのあたりのビジュアルの問題もあるのではないかと私は思うんですね。筑紫哲也がそれなりに絵になるのは、やはり白髪でも長髪でふさふさしているからでしょう。ひょっとしたら久米は3ヶ月間の休みで、思い切って髪を伸ばすのかも知れません。

私はと言えば、久米宏と渡辺真理のニュースステーションには全く未練がなくて、いっそのこと白木清か一人を残して全部キャスティングをチェンジしてもらいたいと思っています。渡辺真理は駄目。私のプロポーザルはスバリ、稲垣吾郎と田丸美寿々のコンビです。これなら視聴率アップ間違いなしでしょう。
じかん● Wed Sep 29 13:39:19 Japan 1999
おなまえ●あつこ
メッセージ● 映像版「花神」をまだみたことのがありません。
やっぱり見るべきでしょうか?
銀座のヤマノ楽器店で販売されているのを
みたのですが、、、高いですよねえ。

”野村晋作”は私も楽しみ!です。
>確かに脚本が非常に不安だけど、原作はこの際、司馬物ではないと
>自己防衛しつつ視聴するつもりです
おたかさん、うまいことおっしゃる!
鋭いご意見、私もその心構えで来春を待ちます。
じかん● Wed Sep 29 1:16:54 Japan 1999
おなまえ●おたか
メッセージ● 「花神」ノーカット版は私も是非とも見たいです!NHK関係者に言わせると、視聴者からの地道な
投書リクエストが、やはり最も再放送への近道だそうです。NHK御中で葉書出せばいいのかな〜?
「花神」ビデオ版は、これこそ私がこの掲示板にメッセージを残した最初のきっかけであります!
財前さん、しんぺいさん他、多数の方からの情報によりビデオ視聴することができました。謝謝!
くわしくは1月頃の掲示板をどうぞ。

野村晋作、ん〜、やっぱり見たいです!確かに脚本が非常に不安だけど、原作はこの際、司馬物ではないと
自己防衛しつつ視聴するつもりです。あの萬斎さんの狂な感じ・・・どう生かされるのか楽しみじゃ!
そしてこの放送をきっかけに、「花神」再放送の気運が全国展開されることを切に祈ろうではありませんか!
(独りで盛り上がってる・・・やばいやね〜)

しが様、私も「ようこそ先輩」見ました。そういえばそんなこと言ってましたね。ハハッ。
あの番組をみて、是非とも狂言を生で見たくなりました。
萬斎さん曰く「狂言の世界とは芸で笑いを取るのであって、ふざけて笑いを取ることを最も嫌う」。
とても心に響く台詞でした。狂言に限らず、芸の世界では日々地道な練習あるのみですが、
それは観客に伝える必要のない類のものですね。観客には夢や希望を与え、舞台裏の汗臭さを
売りにしているようでは駄目なのでしょう。まして、ふざけた笑いを芸として扱うのは論外ですね。
どんな芸にも裏には緻密な計算があるもので、この言葉を語っている時の萬斎さんの顔はとても厳しく、
凛々しいものでした。テレビを見つつ、またまたポ〜ッ・・・となってしまって、やばいぞ!彼は既婚者じゃないか!
(既婚者じゃなくても相当アブナイと思うけど・・・)と、必死に現実へと引き返したのでした。

じかん● Tue Sep 28 23:52:19 Japan 1999
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 先程のテレ朝Nステで久米宏が遂に長期休養(降板)宣言、14年間続いた長期政権に幕が降りました。例によって燗の「鶴」を飲りながら見ておったのですが..。何と言うべきかな。カストロと言うべきか、毛沢東と言うべきか、14年間は長いです。久米宏の短髪の頭も霜が降りて真っ白になってしまいました。

めぐみ様、

失礼な言い方になって恐縮ですが、お互いに少し○○かも知れませんね。レイニーウッドなど最近の若い方はご存知ないでしょう。久米宏のNステが始まるずっとずっと昔の話です。事実史的にはちょうどSASが新しい感覚で台頭している最中であり(勝手に、気分次第で、いとしの)、もちろん我々もSASの湘南サウンドに夢中になったのだけれど、でも決してそれだけではなくて、レイニーウッドの聴き心地のいいポップなブルースも堅実に存在して、人々の心を掴んでいたのです。しかし歴史が書かれるときは一気に単純化され或いは不当にデフォルメされて描かれて、SASとユーミンだけが全てを支配網羅する「80年代の幕開け」ということになるのですよね。時代において勝利を収めたある種の思想性(=軽薄短小のカルチャ−)の側から見た自己正当化の歴史になって表現・宣言されるのです。
じかん● Tue Sep 28 21:19:54 Japan 1999
おなまえ●若林
メッセージ● こんばんは
ダライ・ラマ14世の誕生から、出国までを描いた
「クンドゥン」という映画を観て来ました。
映画としてはびっくりするほど正統派で、そう面白みはないのですが
とにかく映像が美しくて美しくて。。。
哀しい歴史と、きびしくて美しい自然と色彩と
圧倒的な声明に(こっ、こわい)、胸がいっぱいになりました。
毛沢東役の俳優さんの不気味さも、ある意味、見る価値があるというか。
あまりにもお客さんが少なかったので、もったいない気がしたんです。
チベットの人ってテンジンという名前が多いみたいです。
テムジン、と似てますね。

じかん● Tue Sep 28 20:32:08 Japan 1999
おなまえ●めぐみ
メッセージ● しが様

「花神」のビデオはNHKの通信販売で手に入れることができます。かくいう私は再構成されたビデオを見るのが不安でいまだに買えないままでおります。村田蔵六に扮した中村梅之助の息子が、数年前の大河ドラマ「吉宗」で西田敏之の息子役だったはずですが、時の流れを感じさせられます。

遼太の父様

柳ジョージとレイニーウッドの「酔って候」は私も好きで、アルバムも買いました。77〜8年頃と記憶しています。当時は鯨海酔候の意味もわかりませんでした。
じかん● Tue Sep 28 18:50:08 Japan 1999
おなまえ●財前吾郎
メッセージ● *しが様
再構成の件は、私も他の本放送を見てる人から聞いて、初めて知りました。
大河ドラマ放送後にやる総集編をビデオ化してるので、オープニングのテロップに役者の名前が
出てても、中のドラマにはちらとも出てこないことがあります。
大隈八太郎(重信)がそうでした。(怒)戦費についての二人のやりとりが見たかった。
また見たくなりましたが、今ビデオデッキが壊れてて見れないんですよ〜(泣)

*遼太の父様
…「俺はあの吉村昭の長男なんだ」
最初にこう言うことで、ふっきっておられるような気がします。
私自身、親が世間に影響力がある人間だったらどうかなぁ?




じかん● Tue Sep 28 13:30:15 Japan 1999
おなまえ●遼太の父
メッセージ● これまた全然関係ない無駄話で恐縮ですが、私は吉村昭氏のご子息(ご長男)とホンの一時期ごいっしょにお仕事させていただいた事があります。豪放なご性格で、集団統率的な個性の溢れる魅力的なお方でありました。お父様をたいへん尊敬されておられるご様子でして、初対面でのご挨拶が、いきなり「俺はあの吉村昭の長男なんだ」でございました。どなたとお会いになられるときも最初の口上はそれでした。外観はさほど似ていらっしゃるご様子ではありませんでしたが、ご立派なお父上を持たれると、名誉ではあるけれどそれなりに重荷がかかって、子は苦労するなという印象を持ちましたね。
じかん● Tue Sep 28 12:51:30 Japan 1999
おなまえ●遼太の父
メッセージ● しが様

それは残念でございます。ここ15年ほど関西地区の日本思想史学をぐいぐいと引っ張ってご指導され、最近筑波女子大にお移りになられた、あの子安宣邦先生もパネルセッションにお出になられるようですよ。あと、どなたか名前は忘れましたが近世仏教論についての研究報告もあるようです。
じかん● Tue Sep 28 12:35:41 Japan 1999
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 秦太 様 − 酔って候 −

地酒のお話については、8月のログの上の方の Aug.30 あたりをもご笑覧下さい。
http://city.hokkai.or.jp/~masato/keijiban7.html

最近、東京で「酔鯨」を見かけなくなって久しく、かつてのファンとして寂しい思いをしている一人ではあります。15年くらい前はそこら中の店に置いていましたけどね。地酒は日本中に腐るほどあるし、新製品開発やテイストの改良も非常に盛んですから、流行廃りは確かにあるし、またその変化の市場的根拠もあるのでしょう。そういう意味では、時代の変化をのりこえて常に美味い「鶴」は立派です。

関係ない話ですが、柳ジョージとレイニーウッド(という往年のブルースバンド)の作品の中に同名のタイトル曲があります。非常にいい曲でして、これを聴きながら「酔鯨」を飲ると格別です。曲の始まりが「土佐の鯨は大トラで、」という洒落た歌詞でして、明らかに司馬遼太郎の原作からアソシエイトして製作されたものです。1970年代末頃のテイクだったと思います。
じかん● Tue Sep 28 12:28:23 Japan 1999
おなまえ●しが
メッセージ● 遼太の父さま
いいですねえ、日本思想史学会。お誘いありがとうございます。でも、仕事が忙しく(他にも色々と)ちょっと無理ですね。なにより東京まで行くのが・・・。
京都でやってくれたらいいんですけどね(それでも出るのがちょっと大変)。
そういえば母校の学会にも長いこと顔を出してないなあ。

財前さま
ビデオがあるんですか。私の地元では発見できませんでした。
しかし、再構成しているとは・・・。ちょっと残念ですね。
私の大河ドラマは「徳川家康」からです。それ以前のものも見てみたい!。
個人的には「山河燃ゆ」がもう一度みたいですね(時代劇までいかないけれど)。


じかん● Tue Sep 28 10:34:31 Japan 1999
おなまえ●久しぶりの遼太の父
メッセージ● しが様、

来月の末に東女で日本思想史学会が開催されるようですが、上京されるご予定はありますか? もしあれば銀座かあるいは吉祥寺あたりで一献..。銀座には「鶴」を置いている店が確実にありまして(^_^、また、東京もぐっと秋めいてきましたので、私も管理人氏と同様、最近、Drinkは生ビールから「鶴」の燗にChangeしました。
じかん● Tue Sep 28 0:37:36 Japan 1999
おなまえ●秦太
メッセージ● masatoさま、ほかみなさま。
「美少年」の件、思いがけずいろいろ反応いただいて嬉しいです。
「美少年」が天草四郎だという話は、天草下島の富岡という、島原の乱の古戦場(お暇なら地図で探してみて
ください、すごいすみっこ)で、地元のおばちゃんが教えてくれたことです。
しかし何か引っかかるものを感じていたので、先ほどネットで検索してみたところ、
熊本県下には別に著名な「美少年」が存在することがわかりました。
いやはや、ちゃんと調べてから書かなくてはいけませんねぇ。

西南戦争の田原坂の戦いを歌った民謡『田原坂』に
「右手(めて)に血刀 左手(ゆんで)に手縄 馬上ゆたかな 美少年」
という一節があります。モデルが誰なのかには諸説あるそうですが、この西南戦争に従軍した少年兵の
故事が有名なのは確かです。田原坂の公園には銅像まで立っているそうです。
 
結局、田原坂の美少年が日本酒「美少年」の由来だとはっきり書いてあるHPは発見できませんでした。
蔵元の美少年酒造株式会社(!)の所在地が田原坂からやや遠いのも気になります。
でもやはりこの酒の商標のもとになったのは、天草四郎ではなく田原坂の少年兵である可能性が
高いと私は感じました。ずばり「美少年」と歌われているんですから。

<今回の調査の副産物:全国各地の歴史関連の地酒いろいろ>
「国士無双」(北海道) 「写楽」(福島) 「弁慶」(石川) 「副将軍」(茨城) 「李白」(島根)
「船中八策」(高知) 「酔鯨」(高知・やっぱりあったよ鯨海酔侯!) 「酔って候」(熊本・二冠?)
なにやら産地とどういう縁があるのか分からないのもありますが、調べていて楽しかったです。
じかん● Tue Sep 28 0:04:31 Japan 1999
おなまえ●財前吾郎
メッセージ● *しが様
私も「花神」の本放送は見てません〜(泣)
ちょっと前にビデオを購入して見ました。(滂沱!!)
でもビデオって、本放送と構成が違うそうですよ。(本放送は回想シーンから始まっているらしい)
大村益次郎の遭難の碑、というのを京都に行った時に見ましたが、タバコ屋さんのとなりのブティック前にちょこんとありました。
あとで調べると遭難の碑の立派なのは別にあったらしい…(号泣!)。
皆さん気をつけてください。

*めぐみ様
キャストが若かったですよね。
篠田三郎さんは頼りになるおにいちゃん然として、松陰のイメージに合っていたのではないかと思います。

io@earth.email.ne.jp
ポストペットをやってます。普通のメールも受け取れます。
メールをいただけたらうれしいです。



じかん● Sun Sep 26 21:21:11 Japan 1999
おなまえ●めぐみ
メッセージ● 「花神」ファンの私にも「世に棲む日々」のドラマ化は期待と同じぐらい不安です。すでに私の記憶の中では美化しきっていますので。特に篠田三郎扮する吉田松陰には泣かされましたから、あのときのような感動が味わえるかどうか。早くも心は千々に乱れております。
じかん● Sun Sep 26 12:18:13 Japan 1999
おなまえ●masato
メッセージ● 秦太さま
「美少年」って天草四郎と関連したネーミングなんですか?
今までよく飲んでましたけど気がつかなかった。これ北海道でも手に入ります。
熊本のお酒ですけど、天草あたりのなのかな?

でも最近はやっぱり「土佐鶴」かな、あの芳醇な香り〜〜。
どうやら話がそれたようですね。

「世に棲む日々」期待しますが、思い入れが大きいだけにちょっと不安も感じますね。

じかん● Sat Sep 25 22:28:57 Japan 1999
おなまえ●ちあこ
メッセージ●
じかん● Fri Sep 24 19:07:32 Japan 1999
おなまえ●しが
メッセージ● 財前様
>花神」リメイクないのかな〜。あの音楽とキャストはすでに至高でしたが。

すみません、放送時は物心がつくかどうかの時期だったので見てないんです。
でも、今リメイクか再放送をしてくれたら多分(いや絶対)見ます。

しかし、いろんな名前のみやげ物があるもんですね〜。
「美少年」に「大黒屋光太夫」・「琉球の風」ですか。飲めないけどラベルだけでも欲しいなあ。私の地元には、「琵琶湖大橋」という何の捻りも無い酒がある程度です。
まあ歴史にあまり登場しませんから・・・。足利義昭が北陸へ逃げる際に通過したとか、中山道(東海道でないのが悲しい)の宿場町とかいまいち、ポイントが低いです。ですから小説なんかに名前が出てくると、妙にうれしくなってしまいます。

そういえば、「街道をゆく」か何かの小説で、池田屋の跡はケンタッキーになっているとありましたが、本当はマクドナルドなんですよね。どっちもファーストフードには違いないけど。
すぐ近くに大村益次郎と佐久間象山遭難の碑もあるけど、昔を偲べないのが残念です。
すみません。突然変なことを書きまして。ふと思い出したものですから・・・。





じかん● Fri Sep 24 2:10:31 Japan 1999
おなまえ●財前吾郎
メッセージ● 伊勢には「大黒屋光太夫」という酒があるそうです。(飲みてぇ〜)
私は左利き(のんべぇ)と人に言われるのに自分では自覚無し。甘いものも食べるし。

*しんぺい様
…これちょっと探して読みます(^^)
本当に暗いですよ〜。お気をつけて。

*おたか様
…「蒼天の夢」と題してドラマ化。
「世に棲む日日」の題がいいのにな〜。
「土方歳三の血」はそんな感じのラベルでした。絶対これ買うだけで北海道に来る新選組ファンていると思う。
GLAYのメンバーが描かれたジャンボに乗るためだけに、日帰りで北海道に行くファンもいることだし。
こういう人って私、結構好きかも。

*しが様
…「世に棲む日日」がドラマになるそうです
「花神」リメイクないのかな〜。あの音楽とキャストはすでに至高でしたが。
醜男で、しかし魅力のある俳優って…。うーむドラマ見ないんでわからない。
イネさんは今度は(本物、笑)ハーフの女優さんがいいです。
私は自分で幕末を舞台にした漫画を描いたりしますが(笑)、それは「花神」の影響だったりするんですよね〜。
(中身は全く違いますが)
それゆえ思い入れがあって、下手にリメイクしてほしくないけれど、今の日本に必要な人間のドラマなんじゃないかなー、
と思うんです。

じかん● Thu Sep 23 13:31:05 Japan 1999
おなまえ●あつこ
メッセージ● 某頁掲示板への出没はわたくしも同じ、、、
なんだか嬉しいですね。

”野村”晋作は私も非常に楽しみだ!!朗報、朗報!!
先日新聞で見たのですが、本当だったのですね。
なんともぴったりの配役ですがですが、他の配役はどうなんでしょうか。
何年か前に上川隆也が演った「竜馬がゆく」は、
上川ご本人は別として、他の配役がすごかったですものね、
渡辺徹の西郷ドンにはひっくりかえっちゃいましたよ。
名作「関ヶ原」は、配役も素晴らしかったけれど、原作に見事に忠実だった
ことが大成功につながったと私は思います。
何はともあれお正月が楽しみですね、2000年の幕開けにふさわしい!
じかん● Thu Sep 23 10:49:13 Japan 1999
おなまえ●しが
メッセージ● >「世に棲む日日」がドラマになるそうです
>松蔭=中村橋之助、晋作=野村萬斎(ぴったり!)

いや〜またドラマ化ですか、うれしい限りです。キャストを見て私の隣で身悶えをしているモノがおります。特に野村萬斎の文字をみた瞬間・・・それはもう狂喜乱舞といった状態でした。
野村萬斎さんはほぼ確実に30代半ば(ようこそ先輩で33歳といっていた)だそうです。

じかん● Thu Sep 23 2:08:54 Japan 1999
おなまえ●おたか
メッセージ● 某頁掲示板突撃隊と化したおたかです。私も某頁掲示板みてびっくりしちゃいました。
まさか秦太さんがいるなんて思わなかったです。やっぱ趣味似てますね〜。

しが様*私も実はワイン1杯程度で十分なのです。量は飲めませんです。
あ〜、でも、「美少年」か・・・これはちょっと飲んでみたいかも・・・

しんぺい様*2年前ですか。ラベルとかボトルのデザインとか今と違うのかなぁ?
360mlボトルに「土方歳三の血」と書かれたラベル、
その頭上には赤色に縁取られ金色をバックにした土方歳三の顔写真〜(なんか文字にするとケバいぞ?!)
こんな感じでしょうか?

財前様*気合いを見せたつもりの「うりゃりゃ」だったのに・・・しくしく・・・
今度から気合いを表現するときは「ちぇすとー!」とか、語感の厳しいのにします。るる〜

えっ?たった今、朗報が飛び込んできました!「東行庵だより」をチンタラ見てたら”松蔭・晋作がドラマに”の文字を発見!
えっと・・・ちょっと読んでみます・・・・な・な・なんと!
来年NHK新春時代劇(NHK山口開局40年記念)で「世に棲む日日」がドラマになるそうです!!ちぇすとー!!
たより曰く”「蒼天の夢」と題してドラマ化。下川博さんの脚本は原作に大胆に手を加え(かなり不安byおたか)、晋作が挙兵前、
松蔭の遺品である三味線をつま弾きながら、想い出を語るという構成になるようです”とのこと。
松蔭=中村橋之助、晋作=野村萬斎(ぴったり!)、放送は総合1/3、ハイビジョン1/1。
また11/2,23:30〜教育テレビ「歴史でみる日本」で「幕末長州藩攘夷運動〜高杉晋作〜」を放送予定。
ど、どーしましょう!かねてから私は晋作=野村萬斎しかありえない!と妄想してたんですね。
そして彼は現在30歳くらい(私と同世代のはず)。数え29歳でお亡くなりになった晋作を演じるにはもう時間がない!
誰かなんとかしてくれ〜!と独り密かに叫んでいたのです。(暗いぞ、おたか!)
あ〜ぁ、なんか独りで興奮してしまいました。申し訳ありません。
この際、話そのものよりも、野村萬斎演じる晋作が楽しみなおたかでした。
後半興奮長文になってしまい、誠に失礼致しました。(今晩眠れるかな?)


じかん● Wed Sep 22 22:23:39 Japan 1999
おなまえ●秦太
メッセージ● 某頁掲示板でこの掲示板の常連の方々に再会してびっくりしました。
ネット社会って、時として狭いですね。

熊本県には天草四郎にちなんだと思われる「美少年」という「土方歳三の血」に匹敵するすごい名前の酒があります。
沖縄には「琉球の風」や「啓泰」という泡盛がありました。
(啓泰は陳舜臣作「琉球の風」の主人公で、架空の人物)
大河ドラマ放送からずいぶん経っているので、もう売っていないかもしれません。
歴史系ではありませんが、沖縄には「やんばるくいな」、対馬には「山猫」という酒も売っていました。
だから、黒糖焼酎が有名な奄美大島には、絶対「くろうさぎ」があると思うんですが、数年前に行った際にはありませんでした。
やっぱり高知県には「鯨海」とか売ってるのかな?

じかん● Wed Sep 22 13:22:13 Japan 1999
おなまえ●しんぺい
メッセージ● こんにちわ
すでにわたくしの書き込みが、あんなところに・・・

>財前さん
>吉村先生の本は私も好きです。「漂流」は二日で読めました。「羆嵐」はすごく怖くて。

僕は、「長英逃亡」「冬の鷹」「破獄」「落日の宴」などなどを
読みました。イネは読もうと思って本屋いったらなかったので、しょうがなく
「桜田門外の変」をかって読みました。
吉村先生の作品は、ほぼ記録小説ですからちょっと読みにくいんですよね。
落日の宴はちょっと読むのが苦しかったくらい。
でも「冬の鷹」「破獄」は良かったです。感情移入が出来なくても
最後は感動してしまいました。

>地味ながら一番印象深いのが「破船」。

これちょっと探して読みます(^^)

>ありがとうございます。メールの設定がちゃんとできたら出させていただきます。
>いまちょっと不安のある状態なので。

おまちしております。

>おたかさん
「土方歳三の血」僕も持っております。
2年くらい寝かしてあります。
まだ、飲めるかなあ・・・

じかん● Tue Sep 21 22:42:00 Japan 1999
おなまえ●しが
メッセージ● おたかさま
>一部話題の「土方歳三の血」手に入ってしまった・・・。
>飲んだらこれがなかなか美味なり!

私は下戸なので、もし手に入っても飲むことができません(涙)
名産品って地元の歴史に因んだ名前をつけてる場合がありますよね。
例えば浜松には「出世城」という酒があります。どっちにしろ飲めないけど。
山梨だったら「風林火山」て言葉を使ってる名産品が絶対あると思う!

じかん● Tue Sep 21 12:36:09 Japan 1999
おなまえ●あつこ
メッセージ● 「坂の上の雲」ファンの方へご報告です
講談社現代新書の「日本海海戦の真実」(野村實・著)
という本がありました。海軍出で防衛庁、防衛大教授という経歴の方が
”「坂の上の雲」が書けなかった真実”(裏表より)を書いています。
丁字戦法の発案、採用者や、バルチック艦隊をどこで待つかという密封命令の
存在など、最近明らかになったような資料をもとに新しい説を知る事ができます。
じかん● Tue Sep 21 1:44:51 Japan 1999
おなまえ●財前吾郎
メッセージ● *山口の花子様
「幕末百話」(岩波文庫)に入りそうなお話ですね。
そんなお話を、刀自に直接聞かれたなんて私にはうらやましいです。

*おたか様
何か「うりゃりゃ」が、かわいーとか思いました。(失礼)
高田屋嘉兵衛や大黒屋光太夫など、ロシアに関わった人って興味があります。大黒屋光太夫に
至っては自分で短編小説(?)も書いたし。(笑)

*しが様
私は自分の好きなことには、けっこう滅茶苦茶やるタイプのようです。


じかん● Tue Sep 21 1:21:26 Japan 1999
おなまえ●おたか
メッセージ● な・なんと本日、一部話題の「土方歳三の血」手に入ってしまった・・・。
飲んだらこれがなかなか美味なり!
函館出張した方が土産に買ってきてくださって、このワインをみた瞬間、
おたか土産はこれしかない!と思ったそうな。私ってそんなに騒いでるかなぁ?

若林様
あの「人形劇」見た人は、完全に周瑜悪玉と見ますよね。
人形だって孔明の方が断然美しいし、周瑜だって美しいんだぃ!と訴えたいです。
周瑜の声は私も大変気になりました。もっと落ち着いた感じの声にして欲しかったです。

山口花子さま
>幼い頃の祖母の寝物語に、祖母のおじいちゃんが長州征伐の時、戦いにいったという話を聞か>された覚えがある・・・
これには私もおったまげた!本当の話なんだぁ、と思いました。(←なに寝ぼけたことを・・・)
この掲示板には長州ゆかりの方が比較的多いですね。会津ゆかりの方、どこかにいないかなぁ・・・。


じかん● Mon Sep 20 21:21:00 Japan 1999
おなまえ●しが
メッセージ● 山口の花子さま はじめまして
>幼い頃の祖母の寝物語に、祖母のおじいちゃんが長州征伐の時、戦いにいったという話を聞か>された覚えがある・・・

すっごいですねぇ、まさに歴史の生き証人!私は親戚のお爺さんからシベリア抑留の話は聞いたことはありますが、幕末の話はさすがに・・・。2・26事件に参加したした人の話を聞いた知り合いがおりますが、伝えられている話とは全く違っていたそうです。やっぱり実際にその現場にいた人の話は貴重ですね。

じかん● Mon Sep 20 20:22:56 Japan 1999
おなまえ●若林
メッセージ● おたかさま
「人形劇」レンタルビデオでは見つけられなかったんですけど、
アジア図書館というところで見つけました。(京阪神地区在住の方はのぞいてみられては)
孔明人形、うつくしかったですねえ。。。
周瑜はドハデで綺麗だったけど、声が美男じゃなかったぞ。
最後まで紳竜が出てくるんですねえ(^^)

じかん● Sun Sep 19 22:38:37 Japan 1999
おなまえ●しが
メッセージ● 「菜の花の沖」ドラマ化の話題で、はたと気づいたんですが、ここ最近司馬作品の映像化が多いですよね。「梟の城」は来月公開だし「御法度」もあります。去年は「新撰組血風録」があったし(ちょっときつかったけど)。そういえば、永井路子作品って映画はないんですかね?。「北条政子」とか「山霧」はTVでしたから、もしあったら見てみたい!。

じかん● Sun Sep 19 11:14:26 Japan 1999
おなまえ●あつこ
メッセージ● 初めましての皆様、
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

山口の花子さま
伊藤博文の記念館での書展、いいですねえ!
書は人を表す、本当にそうですね、私も少々かじっていますので、
ドキリとしました。歴代総理の書、見てみたいです。
>あの人たちの子孫は今という雑誌に、大久保利通や、西郷、高杉の孫、
>曾孫の今が調べてあって、ふーんと思ってしまいました
この「ふーん」には何が込められているのでしょうか?
ちょっと気になりますが。
じかん● Sun Sep 19 7:23:49 Japan 1999
おなまえ●shibaneko
メッセージ● こんにちは、ご無沙汰しています。
夏休みに図書館通いをして、本の読みだめ(笑)をしました。
永井作品に限らず、いろいろな小説に手を出したのですが
中でもおすすめだったのは鳥越碧さんの「萌がさね」です。
なんと、藤原道長の妻高松殿明子の小説です。
主役も珍しいのですが、永井作品で「意地悪・文句たれ男((爆)」の
実資さんが2枚目役なのが、びっくりです。
http://www01.u-page.so-net.ne.jp/zb3/mamas/index.html
じかん● Sat Sep 18 13:12:27 Japan 1999
おなまえ●masato
メッセージ● 管理人のmasatoです。
hacoさま、はじめまして。
永井さんの飛鳥から平安そして鎌倉までの作品、どれもいいですよね。
壇林皇后私譜との読み比べは確かにおもしろいです。藤原冬嗣、空海なんかまったく永井
作品とは別物!見方が違えばこんなもんでしょうか。わたしは杉本苑子さんも好きなので
すが、やはり永井路子びいきは変わりません。

kimiさま、はじめまして。
HOKKAI NET TOP20ですか、このプロバイダーほんとにローカルでこのHPのようなアクセス
数でもだいたい常連になれています。TOP10目指してみなさま、アクセスお願いします。
話は変わりますが、北海道には義経伝説のある町がたくさんあります。この夏休みには、
妻の実家のある本別町(十勝にあります)に帰っていたのですが、ここは義経の里!
本別公園のところには義経山その向かいには弁慶洞、公園の駐車場に義経、弁慶の像が立
っています。その義経を見てうちの一歳児は「ガオー、鬼〜〜。」と叫んでいました。
どうやら兜の前立ちが角に見えたらしい・・・

山口の花子さま、はじめまして。
山口には行きたい行きたいと思い続けていますが、北海道からはなかなか行く機会があり
ません。楽しみにとっておこうかな。

じかん● Sat Sep 18 12:38:45 Japan 1999
おなまえ●  山口の花子
メッセージ● 15日に、うちから20分のところにある、伊藤博文生誕の地にある記念館に行って来ました。歴代総理大臣の書展をやってました。書は人を表す、達筆なのは、佐藤栄作、宮沢喜一。以外と気が小さそうだったなが、岸信介。伊藤の磯の別荘に飾ってあった四賢候の肖像画や家具がありました。後、維新関係の本や雑誌も結構あっておもしろかったです。あの人たちの子孫は今という雑誌に、大久保利通や、西郷、高杉の孫、曾孫の今が調べてあって、ふーんと思ってしまいました。後、伊藤の個人的なアルバムもおいてありました。
時々、このhpのぞいてます。歴史をやって、山口県に住んでると、やっぱり、維新ものは身近で興味深い。だって、幼い頃の祖母の寝物語に、祖母のおじいちゃんが長州征伐の時、戦いにいったという話を聞かされた覚えがある・・・
これからもよろしく
じかん● Sat Sep 18 11:41:00 Japan 1999
おなまえ●Kimi
メッセージ●  初めまして,Kimiです。
HOKKAI NET TOP20で,このページを見つけました。
永井路子の大ファンなので隅々まで拝見しましたよ。

子供の頃から歴史が大好きで,学校の図書室で本に浸かりながら
いつしか伝えられているお話に疑問を持つようになりました。
義経=ジンギスカン説とか,光明皇后のらい患者への対応とか,
子供心にも”ほんとォ〜??”と思っていました。
大人になって永井路子の本と出会い,その視点に妙に納得してしまい
それ以来病みつきです。そんな私はやはり「異議あり日本史」を一番に
お勧めしますね。あと,「相模のものふたち」に出てくる男達にすごい
魅力を感じたのは私だけかなァ・・・・・
じかん● Sat Sep 18 10:48:32 Japan 1999
おなまえ●Kimi
メッセージ●
じかん● Sat Sep 18 3:54:13 Japan 1999
おなまえ●おたか
メッセージ● 「跳ぶが如く」ではなく「翔ぶが如く」でした。
失礼致しました。いやはや。


じかん● Sat Sep 18 3:37:41 Japan 1999
おなまえ●おたか
メッセージ● 財前様
>特に皆に竜馬という存在を知らせたくて、普及しやすいように文庫本の値段を抑えに抑えたとい
>う逸話もある司馬さんですから、
そんな逸話があったんですか!司馬小説の中でも「竜馬がゆく」のタイトルはちょっと異質な
感じがしてたんですけど、この逸話を聞いてとても納得してしまいました。

「菜の花の沖」ドラマ化!とりあえず民放でなくて一安心(かな?)。
といいつつ、私もまだ小説読んだことないです。最近「跳ぶが如く」をようやく読み始めて、
これがまた結構はまりそうなんだ。半年後には「おいどんでごわす」なんて言ってそう。(単純)
来年11月までに「菜の花」読まなきゃ!うりゃりゃ!

しが様*しが様に気持ちが通じるなんて、おたか感激でございます。(いや、変な意味じゃなく・・・)

しんぺい様*あんな素晴らしい漫画を紹介して下さって本当に有り難いことです。
しっかりレンタルして没頭しました。(だって30巻も・・・買えない・・・)
「雲竜奔馬」からは誠のファン目指してがんばります!(なんのこっちゃ?)

若林様*もしもし掲示板見てます?最近「人形劇三国志」一部ダビングビデオを棚奥より発見!
もうビデオレンタルなどしてご覧になりましたか?紳助・竜助が若い!






じかん● Fri Sep 17 23:20:34 Japan 1999
おなまえ●しが
メッセージ● 財前吾郎様
本を読むために東京まで行かれるとは凄いですね。私はとてもそこまでできません。
東京へ行くにはよほどおもいきらないといけませんから・・・。

「菜の花の沖」がドラマ化ですか。司馬作品としては何作目の映像化なんでしょうかね。
恐らく物心つく前に映像化してるのもあるだろうから、正確な数字がわからない。
でも、ハイビジョンと衛星ってちょっときつい!まあいづれ地上波でもやるだろうけど。

おたか様
>本のタイトルって結構読書意欲をそそる要素になることありませんか?
その気持ちよくわかります。この間も村松剛の「醒めた炎 木戸孝允」という本を、タイトルを見て買ってしまいました。全四巻で一巻しかうってなかったのに。ああまたやってしまった。しばらくは、また続きを探すことが中心になりそうです(笑)




じかん● Fri Sep 17 22:20:07 Japan 1999
おなまえ●haco
メッセージ● はじめまして、Hacoです。「永井路子」で検索してこのHPを見つけました。
「この世をば」で永井路子作品にはまり、う〜ん、もう10年目です。
大学受験のために図書館で勉強していた時に、勉強に飽きてたまたま見つけた、というのが、きっかけです。こんなにもファンの方がいらっしゃるのを知ってとてもうれしいです。
「王朝序曲」を最近読みました。同じ時代、同じ登場人物で、杉本苑子さんの「壇林皇后私譜」も、私の愛読書です。人物の描かれ方が全く違うので、比較すると面白いですよ。
歴史は小学6年の時からずっと好きで、最初は戦国時代が好きだったのですが、今は飛鳥〜平安がいいですね。時代がゆっくり流れているようで。でも、これってきっと、「この世をば」と「美貌の女帝」のせいだと思います。(私もこの2作品がいちばん好きです)
このHPでまだ読んでいない作品を見つけたので、さっそく読んでみようと思います。
ありがとうございました。
nhacoda@peach.ocn.ne.jp


じかん● Thu Sep 16 23:58:43 Japan 1999
おなまえ●財前吾郎
メッセージ● 「菜の花の沖」ドラマ化!!
楽しみです!!ウラァ!(笑)キャストはどうなるでしょう?ちょっと不安。

*しんぺい様
吉村先生の本は私も好きです。「漂流」は二日で読めました。「羆嵐」はすごく怖くて。
「光る壁画」だいぶ前に読みました。「落日の宴」は途中で止まってます。
「破獄」、「雪の花」、あと、忘れちゃいけない「ふぉん・しいほるとの娘」。
蔵六が出てくるという不純な動機で読みました。(笑)
地味ながら一番印象深いのが「破船」。
高校のころ読んでぞっとした作品です。
感情移入をさせない、乾いた筆で書かれた文章のおかげで最後まで読めました。
感情移入をしたら自分が落ち込みそうなくらい暗いです。
ああ、もっと読みたい。

しんぺい様
ありがとうございます。メールの設定がちゃんとできたら出させていただきます。
いまちょっと不安のある状態なので。
「別冊宝島」、私も買いました。




じかん● Thu Sep 16 22:51:12 Japan 1999
おなまえ●しんぺい
メッセージ● こんにちわ
>masatoさん
>みなさん、とうとう司馬遼太郎「菜の花の沖」ドラマ化が発表されましたね。
おお、それはすばらしいですね。
でも「菜の花の沖」まだ読んでいなかったりしています。
読まなきゃなあ、でも衛星も入りません(;;)

風雲児たちでちょっと盛り上がっていますね。
財前さん、もしちょっとよかったらメール
いただけませんか?
ほか、風雲児たち、に興味がある方もメールください。
よろしくお願いします。
僕も「別冊宝島」買いました。

takaak-o@ascii.co.jp

ところで最近、吉村昭先生の作品を結構、読んでいます。
誰か読んでいませんかね?


じかん● Thu Sep 16 17:08:09 Japan 1999
おなまえ●masato
メッセージ●
みなさん、とうとう司馬遼太郎「菜の花の沖」ドラマ化が発表されましたね。祝!
前々からNHKへのドラマ化の働きかけがありましたが、ついに実現となりました。
でも大河ドラマではなく、来年のNHK放送開始75周年記念大型ドラマだそうです。
全5回ではじめにハイビジョンで、そのあと衛星で放送の予定とのこと(来年の11
月から12月)。
出演者はまだ決まってないのかな。
今わたしは北海道の東はじにある根室市に出張中ですが、この根室が北海道唯一の
ロケ地に決定したとのことで話題になっています。
じかん● Thu Sep 16 3:58:20 Japan 1999
おなまえ●財前吾郎
メッセージ● *しが様
小説ではありませんが、大村益次郎(村田蔵六)本を集めようとして本屋で検索してもらったり
しました。大河ドラマの便乗本か、「花の大村益次郎」なんてのもあったような。(笑)
ほとんど絶版、国会図書館でしか読めなさそうでがっかりしました。
大黒屋光太夫に転んでた時、鈴鹿市で出た本(ひょっとしたら自費出版)をずーーーっと探して
無くて、でもどうしても読みたくて、国会図書館に行ってみたことがあります。
他の古い光太夫本もそこで見ました。(本を読むのにわざわざ東京に行く私って…)
でも国会図書館て本を出すのに時間がかかって結局全部は読めないし、早くに閉館しちゃうんで
すごく不満。土日も休みだし。
仕事を辞めてしばらく暇ができるのでまた行きたいなー。(羽二重団子がまた食べたい)

*おたか様
司馬作品はタイトル秀逸ですよね。「燃えよ剣」なんか気恥ずかしくなるくらいかっこいい。
「菜の花の沖」「割って、城を」「坂の上の雲」「王城の護衛者」「故郷忘じがたく候」
「世に棲む日日」「翔ぶが如く」「北斗の人」「胡蝶の夢」「花神」…。
「竜馬がゆく」のタイトルは(タイトルだけですが)私はけっこう好きなんです。
まぁ現在は色んな作家が竜馬を書いているので、多少食傷気味ともいえますが、竜馬というのは
司馬さんが書くまで結構埋もれた存在でしたし、知らない人がこのタイトルで興味を持ったこと
はあったでしょう。
特に皆に竜馬という存在を知らせたくて、普及しやすいように文庫本の値段を抑えに抑えたとい
う逸話もある司馬さんですから、覚えやすくて、竜馬のさっそうとした姿をイメージできて、
主人公の圧倒的な存在感を感じさせる、いいタイトルをつけられたと私なり(生意気にも)に思います。
(違う人が考えたかもしれないけど)
おたか様に反発しているわけではないんです。私の感じ方がこうなんです。
しかし、ここまで言っといて何ですが、実は私、中身読んでないんですけどね。(笑)
「雲竜奔馬」は、やりすぎという感じ…。

じかん● Wed Sep 15 22:01:27 Japan 1999
おなまえ●しが
メッセージ● 歴史漫画花盛りですね〜。小説と違って、手軽に短時間で読めるのがうけるんでしょうかね。
ところで皆さん、買った小説って全部読んでますか?。私は、新刊の場合はなるべく暇をみつけて読もうとするんですが、古本になると「いつか読もう」という意識が働いて、なかなか読み進めないんです。おまけに、古本だと下巻しかなかったりしても買ってしまうから余計に読めなかったりするんだな(笑)。直木三十五の「南国太平記」は上巻が無いし、鷲尾雨工の「吉野朝太平記」は四・五巻が無い。どっちも大学の時に買った本だから、五年以上本棚で眠ってます。
古い小説って入手が難しいから、見つけるのだけで一苦労なんですね。皆さんもこんな経験ありませんか。
じかん● Wed Sep 15 16:22:25 Japan 1999
おなまえ●おたか
メッセージ● 本のタイトルって結構読書意欲をそそる要素になることありませんか?
私の場合「胡蝶の夢」などは、何故作家はこうゆうタイトルをつけたんだろう?と興味をそそられ、
本を手に取ります。然るに「竜馬がゆく」になると、ストレートすぎてそれだけでちょっと興味半減。
「雲竜奔馬」もかなりストレートで、このタイトルだけで誰が主人公格かが伝わってきますね。
「風雲児たち」のままで続きを描こうとは思わなかったのかな〜?
だいたい「風雲児たち」は幕末漫画だと聞いて本を手に取れば、幕末まで辿り着かずに「完」に
なってるんだもん。なのに何故か読後感はやっぱり幕末だったなぁ、と思わせる不思議な漫画でした。

財前さま*忠犬伊之助!座布団一枚!加賀藩邸通いは私も伊之助を慰めたくなりました。
じかん● Tue Sep 14 16:01:09 Japan 1999
おなまえ●ささこ
メッセージ● とっても久しぶりに登場しました。
やっと一息、少し自由な時間がとれそうです。
というわけで、いぜんみなさんに勧めていただいた小説を
片っ端から読んでいこうと思っています。
ありがとうございます。
じかん● Tue Sep 14 1:14:34 Japan 1999
おなまえ●財前吾郎
メッセージ● 皆様ありがとうございます。
「風雲児たち」という作品に思い入れがありすぎて、つい「雲竜奔馬」は引いてしまうんです。
大黒屋光太夫(ちょっと前の私のマイブーム)のところは泣いたし。
おイネさんはこれから大変なことになってしまうので、心配しているんですが。
私は「イネが日本で最初の女医者になります」と、二宮敬作に言い放つところで彼女に惚れました。
ちゃんと描いてくれますように。

*あつこ様
北海道では「歳三の血」という赤ワインがあるんですよ〜。なんつーネーミングか。
セットで「啄木の涙」という白ワインもあります。

*おたか様
良順がいいですよね。あんな大きな人はいないです。
伊之助が良順のとらわれている加賀藩邸へ毎日通う所は、私も同情しました。
やっぱ犬っぽいわ、この人。だから可愛く思えるのかなぁ。


じかん● Mon Sep 13 15:39:39 Japan 1999
おなまえ●あつこ
メッセージ● 秦太さま、おたかさま、財前さま
「風雲児たち」の話再燃で嬉しくなりました。
「雲竜奔馬」、10月号では”日露和親条約”あたりです。
懐かしのベニョヴスキーの話がちらりと出てきたりして、
みなもとワールドは健在です。竜馬一色ではないのでご心配なく。
やっぱりなかなか話がすすみません。
風雲児たちが出てくるまではもう少しかかりそうですね。
それと、今月号から「土方歳三」の連載スタートしました。
残念ながら私は知らない神田たけ志という人の作品です。
まだ始まったばかりなので、感想は言えません。

「別冊宝島」遅まきながら買いました!

じかん● Mon Sep 13 14:25:33 Japan 1999
おなまえ●masato
メッセージ● 管理人のmastoです。
多くの話題で盛り上がっているおかげでこのページかなり重くなってますね。
一週間ぶりに見てびっくりしました。でも、これ出先で書いてるのでまだメンテナンス
できません。三ヶ月毎にまとめていたのですが、九月いっぱいは無理ですね。
もうしばらく、ご迷惑をおかけします。すいません。

先週は夏休み、今週はそのまま出張でずっと道東にいます。

じかん● Mon Sep 13 7:40:41 Japan 1999
おなまえ●秦太
メッセージ● 雲竜奔馬は終わってません(多分)
財前吾郎さま
どうもすいません、紛らわしい書き方をしてしまいました。「クライマックス」といってもラストシーンのことではなくて、
一つの見せ場のことです。具体的にはペリーとの交渉の際に林子平の『三国通覧図説』が・・・
単行本発売前なのであんまり書かないほうが良いでしょうか。

おたかさまも書いておられるように、近日発売されるのが「第一巻」だから連載終了はしないでしょう。
『月間コミックトムプラス』を購読しているわけではないので、連載がどこまで進んだのかは知りませんが、
今回のインタビューでも、「竜馬だけで話を進めても竜馬が際立たない。」と語っておられるし、
『風雲児たち』で描いてきた人物たちをないがしろにするようなことは無いと信じたいです。


じかん● Mon Sep 13 2:17:39 Japan 1999
おなまえ●おたか
メッセージ● 秦太さま*初めまして。まさかこの掲示板でヤンをすっぱ抜かれるとは思いませんでした!
彼の台詞は身につまされることが多いですよね。8,9,10巻、涙ボタボタ流しながら読みました。
「風雲児たち」は、この掲示板でもだいぶ以前から話題に登ってました。
あつこさん、本日送りましたのでご確認下さい。長いことどうも有り難うございました。

財前さま*「胡蝶の夢」ついに終わりました。伊之助は良順に出会えて本当によかった!
しかし実際に伊之助みたいな奴が身近にいたら、私はどう扱って良いのか悩むだろうなぁ。
やはり良順は懐の深い男なんだな。関寛斎の墓参り、いつか行ってみたいです。
「雲竜奔馬」は「第1巻9/25発売」と書いてありました。ということは、続きも
あるんじゃないでしょうか?「風雲児たち」では晋作なんて全く出てこず(というより話が
そこまで到達してないけど・・・)、「雲竜奔馬」で竜馬ばかり描いたらちょっと私も引いちゃいそう。
でも太郎さんはそうゆう描き方しないと思います。(期待も込めて・・・)





じかん● Mon Sep 13 0:50:19 Japan 1999
おなまえ●財前吾郎
メッセージ● お久しぶりです。

*早乙女さんの反薩長、反龍馬論
やっぱりか、という感じです。『会津士魂』を読んでみると、「この人、芯から薩長嫌いだな」
という所がずいぶんとあります。
村田蔵六好きの私にはちょっと悲しいものがありました。
ところでクライマックスということは『雲竜奔馬』終わってしまったのですか?
しばらく見ないうちに…。
「風雲児たち」じゃなくなってから、あんまり力いれて読んでなかった。
おイネさん出てこなそうなんですもの。(しくしく)
「風雲児たち」で幕末が見たかった…。
長年待たせて、最後にこれ(『雲竜奔馬』)はないだろって思いました。
竜馬って苦手で。
シーボルトイネやジョン万次郎、そして村田蔵六。彼らの話を詳しく読みたかったです。


じかん● Sun Sep 12 13:14:03 Japan 1999
おなまえ●秦太
メッセージ● はじめまして。秦太と申します。

おたか様
>本日、本屋で「別冊宝島 よみがえる幕末伝説」を衝動買いしてしまいました。
>だって表紙に「みなもと太郎」の文字が!
いやあ、同じことした奴がここにもおりますよ。
ヤンの言葉を引用されていたり、自分と趣味がちょっと似ているのかなと感じました(失礼)。

読了しての感想は、「玉石混交」です。このシリーズは『〜三国志伝説』『〜戦国武将伝説』も
買ったんですが、記事ごとの出来不出来がの差が大きく、インタビュー記事が特に面白いと
思います。今回も大島渚、早乙女貢、みなもと太郎、佐藤雅美という個性派ぞろいです。
特に早乙女さんの反薩長、反龍馬論はあまりにも過激で怖いくらいでした。
私は『会津士魂』は未読なのですが、読んだ方はどういう感想をもたれるのでしょう?
みなもとさんのインタビューに『風雲児たち』の続編『雲竜奔馬』のクライマックスが
紹介されていたのですが、これにはガラにも無くグッときました。
作者が30巻を費やして描きたかったこと、伝えたかったことが結晶化しています。
『風雲児たち』は漫画としても歴史作品としても、もっと評価されて良いのでは
ないでしょうか?やはり絵柄や掲載誌で損をしているように思います。
今回のような記事で(もちろんこの掲示板も)多くの人に知ってもらいたい作品です。



じかん● Fri Sep 10 20:18:15 Japan 1999
おなまえ●あつこ
メッセージ● りょうくんさま、お久しぶりです。
「坂の上の雲」ファンの増えたこと、というよりも、
あの本を読んだ人が1人でも増えたことが私は嬉しく思います。
旅順の続編ですが、水師営の会見所跡には、
屋根に草の生えた粗末な家が残っていて、庭には勿論
何代目かですが、ナツメの木が一本立っています。
会見所として使用されたのは、地元の農家の方の家だったそうですが
日本がそこを医療施設として使用していたとか、、、真相は謎ですが。
会見時に使用した卓はその時の治療台だったと聞きました。本当かしら。
屋内は昨年と何ら変わらずに、乃木やステッセルの写真が掛けられて
乃木が彼に送ったという馬の写真まで掛けてあります。
外へ出ると、驚きました、立派なレストランができていました。
食堂というようなシロモノですが、出てきた食事はちゃんとしたもの。
それほど、水師営が人気なのでしょうか、ここでも、日本人はごく少数で、
中国人のグループや家族連れが楽しそうに食事をしていました。
勿論、そこにいる日本人の平均年齢は非常に高く、彼らの年代が
ここへ来られるのもあと5〜6年くらいまででしょう。
あと数年後、次の世代からの日本人が果たしてここへ観光にやってくるか
というのは、とても難しいことだと思います。
実際、中国側の観光事業に携わっている人達は、
東北地方(いわゆる旧満州)の日本人観光客は、あと5年で激減してしまう、
と考えているらしいです。このままでは本当にそうなることでしょう。
じかん● Fri Sep 10 0:55:35 Japan 1999
おなまえ●りょうくん
メッセージ● まことにもってお久しぶりです。しばらくこないうちに内容が分からなくなってしまいましたが・・・。

さてあつこ様
旅順へ行ってこられたとか羨ましいです。「旅順」は僕を含め兄弟のなかで「一度は行ってみたい所だな」との意見の一致をみました。「坂の上の雲」のファンがまた一人増えたのです。(^^)

ちなみにしばらくの間、忙しい仕事の合間を縫って読書も進みました。「翔ぶが如く」を半分まですすみ、NHK出版からでている「昭和という国家」を読みました。もっと時間があれば読書量も増やせるのにと思う今日この頃でした。。


じかん● Thu Sep 9 21:14:45 Japan 1999
おなまえ●しが
メッセージ● 前回名前を入れるのを忘れておりました。失礼いたしました。

じかん● Thu Sep 9 10:05:12 Japan 1999
おなまえ●遼太の父
メッセージ● しが様、 − む、たいへん勉強になります。

>でも、仏教界でも色々なことがあったんです。表に出る歴史だけが研究対象ではないんですよ。私が専門的に研究したのは、本願寺の東西分離とそれに伴う東本願寺の立場なんです。

おっしゃるとおりですね。歴史はメインストリートの華やかな商店街ではなく、一本入った路地裏にこそ隠れた名店があるというものですね。
じかん● Thu Sep 9 9:39:24 Japan 1999
おなまえ●失礼、下は遼太の父です
メッセージ●
じかん● Thu Sep 9 9:38:21 Japan 1999
おなまえ●
メッセージ● 政治

>「僕は政治が不必要だなんて思ってないよ。ただ、あれは喩えれば下水処理場 みたいなもので、なくては困るけど自分から近づきたいとは思わないね」

こういうふうにカッコよく言いながら生きていければ最高なんですが、なかなかそうはいかないのが凡人の人生であり社会でありますよね。実際にはその下水処理場的な世界に首までどっぷりと浸かって、権力者にペコペコとゴマスリをしたり、失脚を画策して足を引っ張ったり、下の人間に威張り散らしたり、そんな事ばかりやっているのがこの世の中のほとんどの人間の生き方ではないかと思います。

政治はたしかに汚い醜い世界なんだけど、あまりにそれを一面的に、アプリオリに汚い汚いとだけ言い捨てて、政治に対して消極的な姿勢ばかりを美化するのもどうかと思うんです。日本人は昔からそういう傾向が濃厚で、政治と正面から対峙して認識したり格闘したりプロテストすることをよしとせず、逆に政治から遠さかれば遠ざかるほどよいのだという態度になりがちです。

そういう、いわば非政治主義の態度や性向が、人々の政治への無関心に拍車をかけ、国政選挙の投票率の低下をさらに促進する要因になっている面もあるのではないでしょうか。自分さえよければ周りや全体のことはどうでもいいのだというミーイズムとも関連していると思います。

デモクラシ−というのは、理念としては、社会成員の全員が政治に強い関心を持ち、批判意識を持ち、政治的な理想や目標を持ち、それの実現に向けて積極的に運動しているという姿を前提としたものであります。社会を構成する全成員が高度な政治的知識と意識を持っているという基礎がないと本来的にはうまく機能しない考え方です。

戦後の日本社会というのは、実は一生懸命に一人一人の日本人にデモクラシ−の主体的参加者となるよう要請し、教育し啓蒙してきた世界であったと思うのですが、実際にはその夢や目標とは全く逆に、一人一人が政治参加者となることを放棄し、一部の人間(官僚)に政治権力を委ねる方向へと流れてゆきました。経済的に豊かになればなるほどそうなりました。これはパラドクシカルで残念な結末です。

永遠の課題ではありますが、一人一人がデモクラシ−の主人公として自分を自覚発見する方向へもっていかなければいけないと私なんかは今でも思っています。

じかん● Wed Sep 8 23:38:07 Japan 1999
おなまえ●おたか
メッセージ● むむ・・・仏教花盛りですね。
先日「父様には経済の臭いはしない」と書きましたが、実はその後には当初続きがあったのです。
曰く「法学か政治の臭いかな?」。そう書き込んでみたものの「やはり見も知らぬ人にここまで書くのは
失礼か?」と思い直し、Delしてしまったのでした。
◎○●▽の喩えは、つまり「政治」ということだったのか!自分で喩えておきながら人に回答してもらうとは
いかにもおたからしい人生といえましょう。(←もう開き直り)
今世紀最大のM.ウェーバーの言葉は面白いですね。この言葉をみて、別の小説で読んだある登場人物の台詞を
思い出してしまいました。確か「僕は政治が不必要だなんて思ってないよ。ただ、あれは喩えれば下水処理場
みたいなもので、なくては困るけど自分から近づきたいとは思わないね」だったと思います。懐かしいなぁ。
余談ながら、今世紀最大のウェーバーには大変申し訳なく思いながらも、私はウェーバーというとついつい
作曲家のウェーバーを連想してしまいます。
人はそれぞれ過去辿ってきた記憶を背負いつつ、なかなか脱却しきれないものなのか?!

話は変わり、若林さんのメッセージ、私自身あまり喧嘩を売ってるという印象は持ちませんでした。
これは意見として受け止めてみる、という選択も考えられると思うんですけど・・・。

またまた話は変わり、本願寺といえば西本願寺!おぅ新撰組!!と、素人おたかは連想してしまいます。
西は勤王派だったのに、そんなところに駐屯するなんて!新撰組は超過激集団で忌み嫌う人も多いけど、
その変わりに彼等は常に最前線に身を置き、安全な場所から人を見下すような戦い方はしなかったね。
現代に続く新撰組人気の1つはそんなところにあるのかもね。
と、なんかすみません・・・、折角盛り上がってる宗教討論に水を指すような話をしてしまいました。

本日、本屋で「別冊宝島 よみがえる幕末伝説」を衝動買いしてしまいました。
だって表紙に「みなもと太郎」の文字が!
気づいたら財布に手が伸び・・・、とほ・・・



じかん● Wed Sep 8 22:09:07 Japan 1999
おなまえ●
メッセージ● 香風様
>浄土真宗に関していうと西と東の違いというか、自分は結構寺に通い話をききましたが違うようですね
>宗教未分離の某団体ですが真宗もかつてはそれに似た形態だったのでは?(過激性や排他性など)

西本願寺と東本願寺の違いは分立した時(慶長九年)から起こっていると言ってもいいでしょう。新たに立った東本願寺は、なにかにつけ西本願寺の待遇と同等、もしくはそれ以上を望んでいました。幕府の寄進によって寺域を得ていたこともあり(ちなみに西は豊臣秀吉の寄進)、西とは違うところを明確に出す必要があったのでしょう。
真宗の過激性・排他性というのは一向一揆のことを言っておられるのでしょうか。まず、一向宗=浄土真宗ではありません。本願寺教団はあくまで真宗宗派の一つであって、全てが過激だったわけではありません。16世紀の時点で、少なくとも7つ以上の派が存在していました。あまりにも本願寺が大勢力だったので、たいていの人はそのように思うのでしょうね(実際私もそうでした)。それに、仏教界での栄達は望んでいましたが(実際に門跡になっている)、政治への参加は考えていないと思います。実際問題として、真宗はあくまで民衆側の宗教であり、過去に国家仏教と呼ばれた宗派とは一線を画すものです。

遼太の父様
真宗に限らず、この時期から以後仏教は寺檀制度・本末制度・宗門改めの寺請により、幕府の民衆支配の一翼を担う存在となります。この時代の仏教が「葬式仏教」と言われるのもこれに由来します。でも、仏教界でも色々なことがあったんです。表に出る歴史だけが研究対象ではないんですよ。私が専門的に研究したのは、本願寺の東西分離とそれに伴う東本願寺の立場なんです。
一時期は、興正寺の分離問題や神道請なんかにも手を出しました。探ってみれば、色々な問題があるもんなんです、表には出ないけど。
じかん● Wed Sep 8 15:57:18 Japan 1999
おなまえ●遼太の父
メッセージ● しが様、 − む、流石です。

ご丁寧なご解説をいただいて痛み入ります。たいへん勉強になります。

しかし一向一揆の後の「桃山末期から江戸前期」の時期の真宗というのは、具体的に何か中身的なものがあるのでしょうか。勉強不足なまま申し上げてしまって失礼いたしますが、一般的なイメージとしては、石山本願寺が信長に鎮圧されて以降は、真宗は歴史の表舞台からすっかり消え去ってしまうように見えます。

次に明治維新のときに大谷派の清沢満之が後の中央公論の前身となる反省会雑誌を出すわけですが、信長に敗れて以来、明治維新で宗教者として反省して再出発するまでの間、つまり徳川300年の間、真宗が歴史に顔を出す瞬間がないんですよね。何をしてたんでしょう。徳川幕府の寺社奉行の傘下に入って、地味に檀家支配の末端統治機構をやっていたのでしょうか。

北朝鮮とソノ教団のアナロジ−は興味深い問題です。ソノ教団には少し失礼な言い方かも知れませんが、新興宗教というのはある種よく似た内部の社会構造を持つもののように見えます。オウム真理教の血のイニシエーションと統一協会の血分けの儀式は類似してます。偉い神様が中心に一人いて、その神様の物理的な肉体から価値が外に表出していくんですよね。山科に本社のある某ハイテク系企業もたしか似たような構造ではなかったかと思います。
じかん● Wed Sep 8 15:17:37 Japan 1999
おなまえ●香風
メッセージ● はじめまして。
よろしくお願いします。自分も歴史が好きで司馬氏のものはよく読みました。個人的には仏教に関心がありまして、社会人ですが会社のあと聴講生として仏教系大学の単位もいくつかしゅとくしました。仏教に関心のある方がいらっしゃるので書き込みさせていただきます。
浄土真宗に関していうと西と東の違いというか、自分は結構寺に通い話をききましたが違うようですね。それはやはり清沢満之の影響が大きいのでしょうか?
政教未分離の某団体ですが真宗もかつてはそれに似た形態だったのでは?(過激性や排他性など)
じかん● Wed Sep 8 14:10:21 Japan 1999
おなまえ●あつこ
メッセージ● 今年も旅順へ行ってきました。
まず東鶏冠山へ行きましたが、相変わらず中国人の観光客が
老いも若きもワンサカ押し掛けていて、満員、という感じでした。
日本でも流行っている厚底靴を履いて危なっかしく、
露西亜がつくったベトンの要塞を登る若い女の子たちは、
日露戦争の戦跡というより、単なる名所旧跡に遊びにきた、
という風で、楽しそうに見てまわっていました。
デートコースでもあるようでした。
私の感じた限りでは、去年も今年も、変わらず、
旅順は中国人の好きな観光名所、であるようです。
日本人は全員が中高年層でした、中国人に比べるとごく少数です。

203高地は東鶏冠山よりも低く、車を降りてから頂上まで
私の足で丁度6分。あっというまに頂上でしたが、
このあっというまの距離が、どれほど遠かったのでしょう。
どれくらいの命を吸い込んだのでしょう。
ほんの60年前くらい前迄はまだ裸山で、白骨を拾えたとか。
現在ではもう草も木も生い茂り、すっかり変貌した姿です。
勿論、頂上からは旅順港が見下ろせます。
じかん● Wed Sep 8 9:59:06 Japan 1999
おなまえ●しが
メッセージ● 遼太の父様
蓮如や一向一揆は中世になるので、ちょっと外れてしまいます。どっちかというと桃山末期から江戸前期ぐらいですね。修論は中世も扱ったんですが、何分制度史中心だったので、思想面はあまり理解を深めていませんでした。今思うともったいないことをしたなあ・・・と思います。現在は文献史の限界をカバーするために考古学も勉強しています。

アノ宗教政治集団ですが、日本史という視点で見ると非常に当たり前の集団でしょうね。古代から宗教=政治という図式がありましたし、仏教の導入も政府主導でおこなわれました。武家政権下にあっては、政治−武家・宗教−天皇家(ただし神道)という形が出来上がるも、宗教政策は権力者には人心掌握の手段として非常に重要なものでした。

狂信的な政教一致となったのは、結局明治以後なんですよね。天皇に権力を集中させ国民に天皇の絶対性を認識させるため、天皇=神という思想を植え付けたんでしょうね。今の北朝鮮みたいなものでしょう。思想の強制は一種集団狂気的なものを生み出すと私は考えています。それが無謀な戦争や略奪を発生させるのでしょう。日本だけに限らず、西洋のキリスト教絶対主義や、イスラム教絶対主義はさまざまな争いを引き起こしてきました。得に中世ヨーロッパは、王権と宗教の結合が如実にあらわれた時期でしょう。

現在の日本において、宗教の自由が保証され政教分離を掲げるのは過去の過ちゆえでしょう。
あの宗教政治集団が警戒の目で見られることは仕方のないことでしょう。政治は俗であり宗教はそれと対角線状にあるものですから、本来離れていてしかるべきだと思います。一方的に批判するつもりはありませんが、宗教(特に新興宗教)が現在好奇の目で見られることは歴史の面から見ても当然でしょう。鎌倉仏教も当時の権力者・宗教者からは異端とされ弾圧されてきた過去があります。それらが生き残ったのは、民衆の信頼感であり権力者の道具ではなかったからだとおもいます。

歴史教育は過去を振り返り、過ちを二度と起こさないことを前提に行われるべきです。しかし、今の歴史教育は暗記が中心になり、まるでクイズのようです。それで正しい「歴史を見る目」を養えるとは到底思えません。経済や政治・法律も大事だとは思うのですが、お金にはならないけれども、もっと歴史の重要性についても考えてもらいたい、と思う昨今です。
じかん● Wed Sep 8 8:26:44 Japan 1999
おなまえ●遼太の父
メッセージ● To めぐみ様

お眼鏡にかなうかどうかわかりません。

「お眼鏡」などと心にもないお戯れを 。(^_^; スノーの次に何が飛び出してくるのか、Tulip(筑波大の検索エンジン)を握りながらジッと身構えるのみでございますよ。

>人文学的素養をバックに備えた技術者と解釈しても構いませんか。現実には年齢が下がるほどそのような人間は絶滅に向かっている気がします。

めぐみ様のお力で周囲の北の若い皆様をバシバシと啓発・教育されることを期待したいのですが、そのいわゆる「人文学的素養」の中身ががいま少し怪しげになっているのかもしれません。人文学的素養を体現したモデルはどういうものかという問題であります。そしてそこのところが不明瞭になっているのは、きっと文科系の側の責任であり怠慢であると私は思っています。

To しが様

近世真宗史ですか。それは素晴らしい。とすると、蓮如、一向一揆の周辺になるのでしょうか。司馬遼太郎の真宗論などについて、また一度ご意見をお聞かせいただければさいわいです。それから、日本仏教史の視角からみたアノ宗教政治集団についての分析なども特講で拝聴させていただければありがたいです。
じかん● Wed Sep 8 4:17:38 Japan 1999
おなまえ●しの
メッセージ● 文系と理系の話題、楽しんでます。

私は、文系科目が大好きな理系人です。
高校の時は、英語、歴史、古典が好きでした。
大学の工学部では、英語の文献を読みましたし、
そして現在は、海外駐在です。やっぱり英語は必要だ。
日本や海外を旅行する時、歴史的な背景を理解していると、
10倍楽しくなりますよね、皆さん。

ただ、哲学や宗教の世界というのは、到底理解も出来ないし、
つい遠回りして避ける分野です。
一言で言うなら、理論的な非合理・非条理な世界、という感じです。
世界の歴史を見てると、どの国でも政治と宗教はくっついてしまい、
なんか、きな臭い感じがします。すぐ戦争も起きます。
そして、宗教側がOKしないと、政治も科学も停滞してしまう。

ところで、アメリカで弁護士になるには、直接法学部入学ではなく、
学部を問わず学士を得てから、2、3年の法律の修士課程に進む、
と聞きましたが、本当でしょうか。
だとしたら、文理問わず、いいシステムだと思います。


じかん● Tue Sep 7 21:50:07 Japan 1999
おなまえ●しが
メッセージ● めぐみ様
<理系が結論を簡潔に箇条書きにすることがbeautifulと評価されるのに比べて、文系<は結論に至るまで、道草しながら歩を進めるような印象があります

まさしくそのとおりでしょうね。理系と違って、文系の研究は答えがあってないようなものですから。私の場合は歴史(日本仏教史)ですが、様々な史料や当時の政治情勢・思想等を加味して一つの結論を導くことになります。本当は答えは一つなのですが、当事者でないと本当の真実はわからないので、どうしても推測の域をでません。結局、百人いれば百通りの解釈が存在するんですよね。だからこそ、数多くの「道草」が必要なんだと思いますよ。

遼太の父様−出版社の件
お教えいただきありがとうございます。そうですか、あの宗派ですか。残念ながら、私は近世真宗史が本来の専門なので縁がないんです。それに、書店売りの雑誌はほとんど研究には使わないんですよね(よほど学術性の高いもの意外は)。

じかん● Tue Sep 7 15:19:15 Japan 1999
おなまえ●めぐみ
メッセージ● 理系女性でも孤独は感じていませんよ

私は「司馬遼太郎が好きな理系の人間」になるわけですが遼太の父様のお眼鏡にかなうかどうかわかりません。私がそうだというつもりはありませんが、人文学的素養をバックに備えた技術者と解釈しても構いませんか。現実には年齢が下がるほどそのような人間は絶滅に向かっている気がします。
私の回りには文系がほとんどいないので、ここでいろいろな意見を知るのはとても興味深いものがあります。少ない経験からですが、理系が結論を簡潔に箇条書きにすることがbeautifulと評価されるのに比べて、文系は結論に至るまで、道草しながら歩を進めるような印象があります。そうした論調をこれまで私は迂遠と批判してきたんですが、最近それも必要かなと思うようになりました。それでもなんとか私の理解が及ぶのは文学まで。社会学も苦手ですが哲学になると世界どころか宇宙が違います。もっとも最近のデジタル理系世代とも話が通じなくなってきました。

「芸術新潮」の最新号に幕末志士の書の特集がありました。人物像を知った上で筆跡鑑定しているので、解釈は調子よすぎるきらいがあります。龍馬の乙女宛の手紙は破天荒で印象的です。よく言われるようにこだわりのない大らかな人だったのでしょうね。
じかん● Tue Sep 7 11:35:04 Japan 1999
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 文系の臭い

>父様の文章を拝見しててよく「この方は文系選択した方だろうなぁ」と思ってます。 何故かはよくわかりません。それも経済って臭いはしない。

鋭い嗅覚です。恐ろしいです(笑)。

経済とかだともう少し実務的な臭いがするのでしょう。もっと言えばもう少し自己限定的な臭いとか、もう少し謙虚な臭いとか、でしょうか(笑)。これに関連してなのですが、文科系世界の最高峰にあるのは政治の世界であると下で申し上げたのですが、実はさらに上には上があるものて、文系世界と理系世界の両世界を見下ろす天空にもう一つ上の神聖世界があります。すなわち哲学の世界であります。

文も理もすべて統合し、支配し、制御づける理論的世界、世界と人間のあらゆる法則と意味をつかさどって人間の理性を方向づけてゆく学問の世界、それが哲学の世界であります。

ここから先は私の勝手な想像と推理ですが、その天空の哲学の世界は、文系世界の最高位置にある政治の世界と密接に繋がっているようです。つまりどのように政治すべきかという指針、どのように社会を概念し構想してゆくか、どのように社会を調整し改造し転換し秩序づけてゆくか、というセオリーとイマジネーションを提供する役割を担っています。

中国で言えば、古くは孔子の儒教をはじめとする諸子百家の諸学説、宋代の朱子学、明代の陽明学など。ヨーロッパではアリストテレスを筆頭とするギリシャ哲学とキリスト教、プロテスタンティズム、そして近代社会科学の諸学説があります。さらにアジア全域に広がって日本にも決定的な思想的影響を与えた仏教があります。

こういう哲学的世界と政治の世界をブリッジする境界領域というのでしょうか、そのあたりの世界が私の中心的な関心領域に他なりません。その「領域」が世界の各地で歴史的にどのようにダイナミックに変遷を遂げてきて、人間をどう動かしてきたのか、どんな人格がどんな営みをしてきて、これからそれがどう変化してゆくのか。そういうことを思索したり研究したり空想したりするのが楽しいわけです。
じかん● Tue Sep 7 9:20:29 Japan 1999
おなまえ●遼太の父
メッセージ● To おたか様 − 文と理、政治家と技術者 −

>理系の危うさは純粋無垢な部分が高じると、サリンや兵器を作り出してしまうし、文系の危うさは他者との交わりの巧さが高じると、結局他者の心を弁論や政治力で攻撃してしまう、ってところにあるとも−思ったりするんですけれど・・・、

なかなかいいところを衝いておられていますね。

私は確かに文系世界の住人であると思いますが、実は好みを言うと理系の人間が好きです。特に、簡単に言うと「司馬遼太郎が好きな理系の人間」という属性の人が大好きなのですね。これまでそういう人にずいぶんお世話になり、助けられ、支えられてきた経験を持っています。司馬遼太郎が好きなエンジニアというのは基本的に人間として信用できます。共感できます。尊敬できます。

◎○●△のお話は非常に面白い喩話であると思いますが、つまり(私なりに解釈すると)これは要するに「政治」をするかしないか、という問題でありましょう。

文系世界の究極にある最高価値・最高任務は、歴史普遍的に「政治」であります。(極論ではありますが)おのれを文系型才能であると自覚し、そこで自己を実現しようと思えば、その者は「政治家」になろうとしなければなりません。それがたとえ会社という小さい世界であろうと、国家という大きな世界であろうとですね。政治家、すなわち社会(小社会を含む)を概念的に定義し、社会の未来を構想し、構想の実現に向けて権力を操縦・行使する者ということです。

下では書きませんでしたが、文科系世界のヒエラルヒ−の頂点に立つ法学部でも、実はより高い難易度ランキングに位置づけられるのは、法律学科ではなくて政治学科であります。東大の文科一類でもそうですし、学部が政経と法に分かれる早稲田においてそれはより顕著で、政経の方が上、さらに経済学科より政治学科の方が上にランクされています。一見どうでもいいことのように思いそうですが、ここにやはり社会の本質(あるいは政治の意味)があるように私には見えます。

ところで今世紀最大の社会科学者であるM.ウェ−バ−は『職業としての政治』の中で、「政治をする者は悪魔と手を握らなければならない」という有名な一節を語っています。政治をする者は悪魔と手を握らなければならない。つまりそれだけ政治というものはきれいなものではなくて、また政治をするということは、政治的決断というものは、非情で冷酷で残忍でさえなければならない時があるということです。

政治は一面において利害の調整であり、また他面において過去との切断であり、未来への飛躍であります。みんながまるくおさまる政治的決断や政治的実践というのはなかなかありません。政治とは本質的に人を生かすために人を傷つけるものです。そういう本性を持っています。

『花神』は、そのあたりの文理問題、政治家と技術者という問題のコントラストを非常にクリアにティピカルに描き見せているわけです。ピュアな技術者であり科学的合理的精神の持ち主である蔵六にとって、桂たちが演じる◎○●△な「政治」は不明解で無意味なものでしかないように見えるわけです。それは現代のわれわれの眼前の「技術者と政治家」の問題と全く同じです。

「政治家」が好きな「技術者」というのはいないですよね。技術者が政治家が好きになったらお終いです。絶対に政治家にだけはならないのが技術者の誇りというものです。技術者から見れば、政治(すなわち利害の調整や権力の行使)はきっと醜い非合理的なものでしょう。ドロドロしてウサン臭いものでしょう。そう見られるのはある程度やむを得ないところです。それは政治がドロドロしているのではなくて、人間そのものがドロドロした不可解な存在だからなのです。

人間の世界には文と理と、政治家と技術者と両方が必要なんですね。二つがあるからいいのです。

To 若林さん − 残念ですが喧嘩は買いません。
じかん● Tue Sep 7 1:40:14 Japan 1999
おなまえ●おたか
メッセージ● 久々にこの掲示板を開けてびっくり!まさか私がチラッと載せただけの理系感想からここまで
話が発展していようとは思っていませんでした。
人間を単純に2種類に分けるのは非常に難しいことですね。ただ私らは義務教育終了した段階で
どちらか選択せねばならぬ、という岐路に立たされる人がほとんどだと思います。
だから父様のおっしゃる通り、理系文系というのは後天的なものなのかもしれません。
私は父様の文章を拝見しててよく「この方は文系選択した方だろうなぁ」と思ってます。
何故かはよくわかりません。それも経済って臭いはしない。(わたしゃ犬かい!?)
ピラミット構造の話、組織の中でたまに見かけますね。”技術屋の部署が事務屋の部署に上手く
言いくるめられて、結局事務屋に美味しいとこもってかれる”パターンを一瞬、思い出してしまいました。
(こんな話、確か「花神」にもあったような・・・。確か技術者の名前は嘉蔵くん)
会議でも、文系は回答の見えない議題から回答を無理にでも引き出すのが実に上手いですね。
技術系はこうゆう時、真っ正直に狼狽えますからね。見てて対比が非常に面白いです。
私が見てて感じるに、文系の思考回路は、回答を引き出すのに○▲▽◎・・・等々、
多次元の世界を彷徨いつつ、最悪の場合その中にはまったまま出て来れないんですけど、
◎の場合なら回答はこれ、▲の場合なら回答はあれ、はたまた▽ならば・・・と、
何種類も回答を引き出してしまうんですね。
技術系の思考回路は、回答を引き出す時、常に○なら○の世界1点集中で突き進んで行くんです。
だから回答も当然1つ。

う〜ん、なんて抽象的な説明なんでしょう!父様やしが様のような立派な文章は私には書けません!
お許しください。端的にまとめられない自分が恨めしい〜!
まぁ、そんなわけで(どんな訳だ?!)、理系の危うさは純粋無垢な部分が高じると、サリンや兵器を
作り出してしまうし、文系の危うさは他者との交わりの巧さが高じると、結局他者の心を弁論や
政治力で攻撃してしまう、ってところにあるとも思ったりするんですけれど・・・、あれ?つまり
人間は皆、一長一短あるってことかな。

わびさびの話。これまた難題が掲示されててびっくり!
ただ、しがさんの解説は「こうゆう解釈もありかぁ」と感心してしまいました。
だいたい「俗世から離れ芸術の域に高める」という発想が非常に日本的だと思う。
西洋では「俗世の中から芸術」と明言されないまでも、そうゆう発想を感じます。
「俗世から離れ」というと、宗教的なものを連想するかもしれないけど、
西洋の宗教画や宗教音楽は、今でいう芸術とはまたちょっと意味合いが違うと思うんだ。
日本では「俗世から離れる→芸術」になれるんだよなぁ・・・。
茶道をやってみると、あれは実に日本らしさを感じる、日本文化の集大成ですね。
なかなか「わびさび」の境地に到達出来ないけど、こうゆうのは実際にやってみないと
その微かな雰囲気すら触れずに一生終えるってことも確かにあるからね。

神田さま、お身体大丈夫ですか?
あつこさま、今月中に絶対「風雲児たち」お返し致します。長いこと申し訳ありません。
おたか、めずらしく長文で(しかも支離滅裂!蚊にさされ足から血がダラダラ)、もう眠い・・・。

じかん● Tue Sep 7 1:06:30 Japan 1999
おなまえ●若林
メッセージ● 遼太の父さま
いつもいつもよくものを考えてはるなあと感心しています。
しかし少し気になったので書かせてもらいます。
あの、あまりに断定的な発言は人の誇りを傷つけることになりはしませんか。
友人数人と話していれば、有意義なディスカッションになることでも
不特定多数の人達が読む掲示板では、反論や同意を全ての人が
寄せてくれるわけではありませんから誤解を解くことも出来ないのです。
どうぞその辺をよろしくご推察下さい。
もちろん司馬氏の熱狂的ファンでいらっしゃるのだから
一面的に文系をくさしているのではないことはわかっておりますけど。

S水さま
興福寺の五重塔、いいですよねえ。
興福寺には薪能を見に行ったことがあって、夜に、五重塔がぽっかりと
うかんでいるところに、笛の音と鼓の音が小さく聞こえてきて
まるで空気がゆらりと揺れて、室町時代に迷い込んだ気がしました。
お能を見るより、遠くの五重塔を眺めているほうが幽玄だったなあ。

あつこさま
虹色のトロツキー、うわさには聞いていました。面白そう。
(タイトルがまたいいやね)
“チャムス”ってナンですか?地名ですか?
私は最近ユーラシア大陸の歴史にかつえているんですよ。
学校では殆ど習わなかったから。
学校の歴史教育って、近代史のみならず、すごい偏りがあっていけません。
私の習った範囲といえば、おおまかに
四大文明、縄文弥生奈良時代、ルネッサンス、戦国江戸時代、産業革命、明治維新…。
ああ、歴史はもっと広くて深いものなのにい。
コミックトム泉の広場に探しにいってみます。ありがとうございました。
そうそう、私は「殉死」の乃木さんはなんだか好きですよ。“諧謔家”の明治天皇の視点にたって。

じかん● Mon Sep 6 22:32:21 Japan 1999
おなまえ●遼太の父
メッセージ● To しが様 − 潮出版

あれ、ご存知ないですか。これは意外。しが様のご専門(卒論)とも多少は関係がございます。月刊「潮」ってお読みになられたことありません? 月に一度、新聞にいつも大きな広告が載って、そこにアノ偉大なお方の顔写真がデカデカと載っていますけどね(笑)。いま何かと話題のFySb幹事長が「世界でいちばん尊敬して」おられるアノお方です。
じかん● Mon Sep 6 21:29:34 Japan 1999
おなまえ●めぐみ
メッセージ● 遼太の父様

スノーの論文はみすず書房から出ているもので、探し出された本で正しいと思います。私が読んだものはもっと前の出版でしたが。


じかん● Mon Sep 6 21:28:14 Japan 1999
おなまえ●しが
メッセージ● あつこさま
そうか、潮出版って宗教絡みだったんですか。はじめて知りました。どういう宗教なんですかね。もし判るようでしたらお教え下さい(宗教史が専門なんですよ)。
私は「コミックトム」自体は読んだことはないんですが、「虹色のトロツキー」は読みました。
安彦良和の作品が好きなので、「ナムジ−大国主命」や「神武」・「イエス」なども読みましたし、現在連載中の「王道の狗」もいい作品だと思います。歴史物の漫画は、小説と同じでいろいろなフィクションをちりばめられるので読んでいて楽しいですよね(といっても、そんなには読んでないけど)。
じかん● Mon Sep 6 19:11:17 Japan 1999
おなまえ●あつこ
メッセージ● おひさしぶりです。
若林さまへ、「コミックトム」は潮出版という
宗教絡みの雑誌社から出ているマイナーな雑誌ですが、
そのような宗教とは関係なく、歴史ものの漫画が沢山載っている
楽しい雑誌です。(かの名作「風雲児たち」も生まれた!)
満州国や、ノモンハン事件を描いた「虹色のトロツキー」という
これも潮から出ている漫画を全八巻読んで中国東北部へ旅立った私は、
今度は”チャムス”へ行く足がかりをつくってきました!
「コミックトム」は私の近所の本屋さんではまずみつかりません。
大阪の大きな漫画屋サン、梅田地下の泉の広場近くの店ならあるかも、、。
私は直接出版社から送ってもらっています。

旅中は「天辺の椅子」をようやく読みました。「坂の上の雲」とはまた違った
児玉源太郎の一面を知ることができました、でも彼はやっぱり魅力的です。
長州贔屓の私が何故か好きになれない乃木希典のイメージが益々悪くなり、
どうしようもなかったです。203高地を登りながら、複雑な思いでありました。
児玉源太郎は乃木希典に対してどんな思いだったのでしょうか。
そして、果たして本当に「天辺の椅子」=総理の椅子に彼は座りたかったの
でしょうか、、、私は、彼はそんなにこだわっていなかったのではないかと
思いたいです、個人的希望をこめて。
そんな事を考えていたら、長春の町で昔は「児玉公園」と言われた場所を
通り過ぎました。大きな大きな公園でした。
じかん● Mon Sep 6 19:04:49 Japan 1999
おなまえ●S水
メッセージ● しがさん、神田さんどうもありがとうございます。
自分で書き込みながら、こんな抽象的な質問に答えてくれる人はいないのではないかと思って
いたのですが、真剣に考えてくれる人がいて嬉しい限りです。お二人の解釈はそれぞれ異なって
いますがとても参考になりました。例えば「美しい」と感じるものが人によって異なるように
何に「わび」を感じ、何に「さび」を感じるかは個々の価値観で異なってくると思います。
少し話はずれますが、「わび」「さび」はこの国において、やっぱり京都を中心として磨かれ続
けられたものだと思います。実は昨日奈良に行って来ました。新薬師寺、薬師寺、法隆寺、興福
寺、平城宮跡に行って来ました。帰り道に、ふと、この「わび」「さび」について書き込んだこ
とを思い出しました。京都ではどこを訪れても洗練された繊細さが随所に見られ、「わび」「さ
び」についても何かしら感じ、考えることが多いのですが、基本的に奈良ではあまりそういうこ
とがなく、素朴さと雄大さと伸びやかさなんかが印象として残ることが多いです。こんなところ
が奈良と京都の僕なり違いです。どんどん話はずれますが、薬師寺、法隆寺、興福寺の塔のそ
れぞれの特長が本当におもしろかったです。その時の気分によって感想は異なるのですが、今回
は重厚で武骨な興福寺の五重塔が一番「いいなあ」と感じられました。廃仏毀釈の波からあわや
というところで生き残ったことに改めて喜びを禁じ得ませんでした。
 もっと書き込みたいのですがどんどん話がずれ、支離滅裂になっていくのでとりあえずこのあ
たりで自分を抑えます。
 ああ!なんとなくすっきりしました。
じかん● Mon Sep 6 16:44:38 Japan 1999
おなまえ●遼太の父
メッセージ● >確かスノーという人が文系と理系の溝が深まっていくのを危惧した論文をかいていたような記憶がありますが

スノ−の論文というのはこれでしょうかね。E.スノ−じゃなくてC.P.スノ−ですよね。長いのでアドレスをうまくコピ−ペーストできるかどうか心配ですが..。筑波大学にはいつもお世話になっています。^_^;

http://wwwopac.tulips.tsukuba.ac.jp/cgi-bin/limedio/limewwwopac/book?sessionId=19990906%2e1134;sessionSeq=7613;sessionLang=jpn;sessionCode=jis;bibid=205016
じかん● Mon Sep 6 11:12:46 Japan 1999
おなまえ●神田 類
メッセージ● ☆S水さん
 おたずねの「わび」「さび」について、わたしがわかる限りでお答えしますね。
 ちょうど家に古典の資料として、この二つの言葉に着いて解説している物が
 あったので、それを踏まえてお話します。

 まずは、「わび」
  もとは、鎌倉期ぐらいの幽玄が元になっています。
  この考えが純粋に「わび」につながって行きます。
  方丈記を書いた鴨長明いわく、
  「ただ、言葉に出来ない余情や、姿の無い物が幽玄である。
   例えば、秋の夕暮れの空には、色も声もない。
   どこに、そう思えるわけがあるのかわからず
   ただ、涙が流れるのみである」とのこと。
   (以上、「無名抄」鴨長明より)
ふつう、わたしたちだったら、秋の夕暮れはきれいだなぁと思うでしょう。
でも、この時代の文人は色も音もたたないといいました。
わたしの推測ですが、ただきれいと言うのではなく、その美しさもひょっとしたら
静かに吹いている風さえも、はかないこと、ないことという限りなく無へと
近づいていく思いが「わび」なのかもしれません。 
このころの時代背景も少し考えてみると、そう思えるのです。
色即是空、この言葉と合いまったところがあるのかもしれません。

さて、次は「さび」
  語源は、寂しい。隠遁・遁世的な寂寥感を指しているようです。
  こちらも、向井去来の著書より。
  「さびは、句の色である。静けさをたたえた寂しさの事ではない。
   たとえば、老人が甲冑を着、戦場でりっぱに戦い、
   錦で着飾り戦勝の宴に出たところで、老いの姿である事には
   違いはない。にぎやかな句のなかにも、静かなるところがある。
   そこで今一句詠むとしよう。
   花守や白きかしらをつき合わせ  去来」
   (以上、「去来抄」向井去来より)
ここから察するに、情景と言うより「もの」と言われる生き物、特に人の
姿とどこかそこからにじみ出てくる寂しさが、華やかななかに潜んでいる。
とかく目に付きやすい華やかさの中から、静かな美を感じるのが、
「さび」だと思います。

要するに、「わび」は人の外・風景に、「さび」は人および生き物に
感じる「静かなる美」をあらわしていると思います。

あくまでも、私の見解ですのであしからず。
下手な説明に感じるかもしれませんが、ご了承下さい。
   
じかん● Mon Sep 6 11:03:18 Japan 1999
おなまえ●遼太の父
メッセージ● めぐみ様、− 理系と文系の問題は大きくて深いですね。

私の大雑把な表象ではありますが。社会を一つの権力のピラミッド構造としてとらえてみたとき、つまり上へ行けば行くほど支配者として自由や富の価値を占有することができて、下へ行けば行くほど被支配者としてそうした社会的価値の分配から縁遠くなるとして、そういう構造体としてとりあえず社会をとらえることができると仮定しましょう。

そのとき、おそらくピラミッド構造の最頂点にいる5%くらいの人々は文科系であろうと思われます。5%というのはちょっと多すぎますが、政治家や高級官僚、大企業の重役とかの人たちですね。いわゆる支配者です。これはたいてい文科系出身者ですね。東大法学部卒が最頂点に立ちます。ここには理科系はなかなか立てないです。官僚でも、建設省とか郵政省とか普通に考えれば技術系の官庁のはずですが、事務次官となって最高権力を持つのは常に文系出身者です。NTTの社長人事とかもそうですよね。

その頂点の5%の下に20%ほどの理科系技術職の小宇宙体の集合世界があります。彼らは社会の最高権力には到達できませんが、特別な技能を社会に提供することで、自由で独立した干渉されない人生を与えられ、そこそこの社会的富を得られるようになっています。医者もそうだし、建築設計士もそうですね。会社の中がちょうどこの構造になっていて、エンジニアは権力は持てませんが、比較相対的な自由を享受することができるようになっていますね。

そして次にその下に75%の働き蟻の世界があります。純粋な被支配者の世界です。これは基本的に文系ですね。中には理系の20%から落ちこぼれてここへ入ってしまう人もいるのでしょうが。5%になりそこねた文系の世界、スペシャルな専門技能を売ることのできない人間、わゆる庶民層の世界です。基本的に、近代社会、あるいは現代社会はこのような三層構造でとらえることができ、文理の分割が機能しているように思われます。

支配者としての5%の文系、自由で独立な20%の理系、被支配者としての75%の文系。この構造で安定して動いています。

そして次に、そこに今度は男女という問題がからみますね。これまでの社会の構造は、基本的にすべての女性をこの75%の被支配層の世界に閉じ込めて、20%の理系層へも、5%の支配層へも入り込めないようにしていたのではないかと思います、特に日本の場合、戦前までは明らかにそう言えると思います。選挙権すら与えられなかったわけです。ともかくいずれにせよ、文理、男女という人間区分が、支配・被支配、社会的価値の配分の大小の問題に微妙にからんできます。

われわれは文系、理系という区別を社会的・後天的に与えられ、また同時に男性、女性という自然的な区別を先天的に与えられます。一般論としてですが、次に生まれ変わったならば、という願望を問われたとき、文系の人間は理系に生まれ変わることを望み、女性は次は男性に生まれ変わりたいと答えます。その理由は、おそらく上に述べたような差別的構造が(現実に)あるからだろうと私は思っています。だから理系の女性というのは非常にアンビヴァレントな存在ですよね。大袈裟に言えば、存在そのものが近代社会の矛盾と苦悩を背負っているというか、少数派として孤独だろうと思います。
じかん● Mon Sep 6 10:33:41 Japan 1999
おなまえ●神田 類
メッセージ● ☆めぐみさん
 ほんとに、北海道には行きませんね。こういう、展示会って
 全国満遍なく開催してくれればいいのに。
 といっても、展示品の関係があるのかもしれませんね。
 わたしも、いま体調が思わしくないので、余計そう思えます。
 
 以前、貴方にお話したと思いますが、わたしは幅広く興味を持つ性格です。
 根本にあるのは、好き嫌いぐらいですね。一応、足突っ込んで
 不快に思ったら(よっぽど)、抜けますけど、往々にして、
 足突っ込んだままです。(^−^l)
 こだわりは、よっぽど気に入らないと出てきません。
 森羅万象、これすべて自身の知識になると思えば、どんなに悲惨な事件や
 怠惰と言われる世の中も、ひとつの知識ではないでしょうか。
 この世の中に、くだらないと思えるものは自分で作っているだけのこと。
 ある心理学の先生が言っていました。
 「もし貴方が、他人特に年配の方とのことで思い煩う事があるなら
  そんな事はお止めなさい。しょせん、いままでの世の中と言う
  ものさしで生きてきた人間に、これからの未来を生きていく
  貴方たちの考えは理解できないでしょう。貴方は、貴方のものさしで
  これからの世の中を見ていくのですよ。」
 感慨深い一言でした。
 これからも、わたしは、わたしのものさしでいろんな事を見ていこうと
 思います。
じかん● Mon Sep 6 9:32:55 Japan 1999
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 土曜日夜のETV『街道をゆく − 神田界隈』は面白かったですね。神田の大学の街としての成り立ち、明治日本における「法律学」の意義。まるで先週の書き込みが、全部この放送のための予告編になっていたような感じで、ひとりで満悦しておりました。われながら、(思い上がりではありますが)司馬遼太郎の思想がほとんど血肉化してしまっているような実感というか錯覚を感じます。

私はこんな年齢になる前は、札幌にも5年ほど棲んでみたいと思い、福岡にも5年ほど転勤して暮らしてみたいと思い、できれば金沢などにも3年くらい住む幸運を得られればいいななどと思いながら生きてきましたが、結局のところどの夢もかなわず、もっとも典型的でミゼラブルな東京暮らしのプロレタリア生活をニ○年もダラダラ送ってしまうことになりました。

しかし東京に住んでたった一つだけ恵まれていると思うことがあって、それは神田の古書街を好き勝手に自由に歩き回れることです。世界一の古書街を自分の庭のように散策できることです。神田の古本屋を回ると、本当に日本人の本好きと、出版文化の底の深さ層のぶ厚さを感じ入ります。日本に対する尊敬と誇りを思います。また、自分がいかに何も知らない人間か、何の知識も得ないまま無駄に年老いてしまった人間かが、よく実感できます。

と同時に、これほど大量で底無しの高度な知識文化を生産し流通させながら、なぜ今の日本人があんな痴呆化した民放テレビ番組ばかりで生活を埋めて満足しているのか、先週そして白痴の
ような若い男女が動物のような生態をもって都会の街を埋めているのか、実に不思議な感じがします。神田の古本屋と渋谷の街路の日常は、両者はあまりにも対照的でアンバランスで同じ国のものとはとても思えないです。

神田の古本屋を歩いていると、あれも欲しいこれも欲しいと本(購入)への欲望が無限にわきあがってきます。買うのはいいんですが置くところがないんですよね。
じかん● Sun Sep 5 21:41:18 Japan 1999
おなまえ●めぐみ
メッセージ● 遼太の父様

文系の知識が世の中の役にたつかどうか?との思いを抱いてらっしゃるとは意外です。私は理系ですが、仕事などの場面で語彙力とか、文化歴史的背景の理解の必要性を年々痛感しています。うまくいえませんが、技術や知識をもって仕事をするにしても、その人なりの哲学(価値観というか)がバックボーンにあるべきと思います。それを形成するのは人文学的素養と思いますが。そもそも理系文系に分けるのが適当かどうかも疑問です。どちらの才能もない私にとっては。
オウム事件後、いわゆる理系エリート集団への批判が続出しましたが、そのなかで誰かが「彼らの顔を見ると、漢文は読めないだろうと思う」と揶揄していたことがありました。この批判が的を得ているかどうかは私にはわかりませんが、ちょっと同感でした。

神田類様
司馬さんゆかりの展覧会は北海道にはなかなか来ませんね。残念です。
じかん● Sun Sep 5 11:10:04 Japan 1999
おなまえ●神田 類
メッセージ● ♪とくだね!♪

お久しぶりです、みなさん。ちょっと、入院していて来れませんでした。

話は変わって、久しぶりにNHK教育の新日曜美術館を見ていたら
「展覧会・司馬遼太郎が愛した世界」のご案内が出ていたので、
報告致します。

日程:東京(日本橋三越本店) 9/7から9/19
   熊本(鶴屋)      9/22から9/27
   広島(三越)      10/5から10/11
   下関(大丸)      12/31から2000年1/10
   横浜(高島屋)     2/3から2/15
   大阪(心斎橋大丸)   3/2から3/14
   名古屋(松坂屋)    3/23から4/4
   京都(大丸)      4/6から4/18
   神奈川近代文学館    4/22から5/28

内容は、直筆原稿、歴史資料、美術品の展示等とのこと。
場所と、日程を確認の上、お出かけになってみてはいかがでしょうか。
わたしも、行ってみたいと思っています。

☆よっこさん
 メールを8/2付で送りました。
 確認をお願い致します。
  
じかん● Sat Sep 4 22:05:07 Japan 1999
おなまえ●若林
メッセージ● あつこさま

「青青の時代」2巻買いました。ますます“おろしろく”なってきてわくわくです。
ところで恥ずかしながら私「コミックトム」って雑誌見たこと無いんですけど、
大阪だったらどういう本屋さんに売っていますか?
歴史ものが多そうですね。読んで見たいです。
じかん● Sat Sep 4 22:00:24 Japan 1999
おなまえ●しが
メッセージ● S水様
「わび」と「さび」ですか。結構むずかしいですね。私も少し考えてみました。「わび」は世俗から離れそれを楽しむことで、「さび」はそう言った趣を洗練させ芸術の域に高めていくことではないかと思います。どっちかというと、「さび」は一種悟りの境地といえるのではないでしょうか。
じかん● Fri Sep 3 18:24:47 Japan 1999
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 文と理 (2)

文系というのはいったい何なんだろうと鬱々と考え込んでしまいます。

文系の知識や能力が世の中のお役に立てるというのは一体どういう場面なんだろう、という悩みです。結局のところ、世の中の穀潰ししかできないのが文系で、働きアリにしかなれないのが文系ではないのか、ということです。現代は文系にとって辛い時代です。一般的に文系を誇りに思えない時代です。

司馬遼太郎や大江健三郎のようなすぐれた小説家ならば、世の中のお役に立てます。しかしそれは限られた一握りの特別な文系でしかありません。文系の中にも、法曹家とか会計士などの若干の線門技能職の小世界があります。これは間違いなく社会のお役に立ち得る職能集団でありますが、何となく、文系というよりもむしろ理系に近いような専門技術職の集団ですね。

文系というのは、つまるところ次のような公式、

文系 = 完全な人間 − 理系の資質能力

であらわす以外にないんじゃないかと、そういう結論になってしまいがちです。

疎外された文系、と言うのでしょうか。高度に科学技術が発展して、その生産力によって物質文明が支えられている近代社会では、結局、社会の役に立つ能力のほとんどは理系に分類される能力であります。理工系の出身者は、医療にせよ、機械製造にせよ、土木建築にせよ、回路設計にせよ、ソフトウェア開発にせよ、環境保全にせよ、その仕事は間違いなく何らかの形でビジブルに社会の役に立っています。そのようにジャスティファイすることができます。

高校の世界史の授業のとき驚いたのは、唐の科挙の試験科目が、実は詩文であったという事実でした。文が書け詩が書ける男が高級官僚として採用され出世できたのです。信じられない話ですよね。何で詩作と文章の能力が国家の最高統治者の技能として尊重され要請されたのでしょうか。

現在の国家公務員上級職、戦前のいわゆる高文、高等文官試験の科目は、法律と経済、何より法律(特に公法)でありました。現在でも基本的にそうです。大蔵省というと、経済官僚であり、イメージとしては経済の専門家のはずですが、試験に受かって合格するのはほとんど法学部の出身者です。だjから、いわゆる文系の中のエリートといえば、それは法学部なのであり、受験難易度ランキングでも、同じ大学であれば必ず法学部がいちばん高い位置になるわけです。

現在は国家の行政統治者としての能力は、基本的に法律の知識によって問われる建前となっています。歴史によって文系に求められる中核的能力は変化するわけですね。唐代の科挙においては詩文、徳川幕府においては儒学、明治以降は法律。21世紀の日本社会は、文系の最高価値として一体どのような能力を要求することになるのでしょう。
じかん● Fri Sep 3 9:53:34 Japan 1999
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 文と理

大雑把で浅薄な議論ばかりご提供して申し訳なく思いますが、ひとつの思いつきとして、教育において文理の分割が制度的に前提にされたのは、日本ではおそらく明治以降ではないかと思います。つまり近代社会は、一個の人格が文系として完成されるのか、理系として完成されるのか、それをはじめから予定・前提していて、その枠の中へ各人を追い込んで嵌めこんでいくということです。

江戸期以前を見ると、結構そのあたりの分割が曖昧というか、一個の人間が両方の能力なり資質を持って、それを存分に発揮している姿を見ることができるようです。たとえば豊臣秀吉、それから徳川家康、あるいは石田三成。この三人は文系でしょうか理系でしょうか。秀吉は若い頃から築城が得意で、同時に攻城術に秀でていました。用兵、武器、戦法、輜重のことごとくに、彼の優秀なエンジニアリングのセンスとスキルを感じさせます。徳川家康は薬事家で薬の調合と処方の知識では当代随一であったと言われています。藤堂高虎、蒲生氏郷、加藤清正、織豊期の有能な武将たちはみな縄張り − すなわち土木建築技術 − の高度な専門家でした。

当時の人間たちに文理の区分はないですね。敢えて言えば文人か武人かの傾向的区別、文武の分割が意識されていた程度ではないでしょうか。そういう文理の融合というか未分離状況は、歴史をさかのぼればさかのぼるほど顕著になり、たとえば空海などという超天才的な人格を取り出せば、現代でいえば最高の医学者であり、生物学者であり、天文学者であり、土木技術者であるわけです。

社会的分業の要請によって、社会の全成員が自分を文組か理組かに分割してアイデンティファイする、というのは近代特有の現象であり、近代人の生き方であると思います。しかし何をもって理系とするかは易しい問いですが、何をもって文系とするかは難しい問題であります。結局、真相を言えば、理系の能力・資質が欠如している人間が文系の箱の中に入って行って、一元的で巨大なタテの官僚ヒエラルヒ−構造のなかでポスト競争をさせられるということなのではないでしょうか。理系の世界には技術的専門職の小世界がいくつかあって、そのなかに入れば比較相対的に独立して自由な人生を獲得できるという(期待と可能性があるという)ことではないかと思います。
じかん● Thu Sep 2 18:04:06 Japan 1999
おなまえ●S水
メッセージ● 「わび」と「さび」
みなさんにお伺いします。この2つの言葉の違いについてどなたかご存じの方はいませんか。
辞書なんかで調べても、どうも納得いく答えがみつかりません。
二つの言葉をセットにして使用していたのですが、どうも違いがわからず、考えれば考えるほど
わけがわからなくなってきます。
でも日本文化において独特で大切な価値観だと思うので、なんとなくでいいから違いを知りたい
と思って書き込みました。

突然異なった話題で申し訳ありません。
じかん● Thu Sep 2 14:38:29 Japan 1999
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 補遺 − 文明の配電盤 −

『この国のかたち』の第三巻に「文明の配電盤」という文章があり、明治初年の頃の日本の大学建学事情が書かれています。『街道をゆく』の「本郷界隈」にも同じような内容の話が登場します。そこで特に東京理科大(その前身の東京物理学校)創設の経緯が紹介されていますが、とても感動的ですね。

つまり当時の東大工学部の生徒や卒業生たちが、物理工学を応用する産業の実務面での専門技術者を養成するために、自ら大学を作って生徒を集めて教育をするわけですが、設立参加各自の拠出金(一人30円という大金)によって設立をします。教員の俸給は無給です。校舎はないので近くの別の大学の教室を間借りして講義をしたそうです。実験機材や設備もそろっていないので、どうしたかと言うと、近くにある東大工学部から夜間運び込んで借用したということです。

東京理科大学の建学の理念を考える上でよいエピソードだと思います。明治大学、中央大学、日本大学、専修大学、、神田に建学された私学の多くが、実は神田一ツ橋に創設された東京帝国大学という文明の配電盤と地縁で繋がり、その「漏電」によって創立された専門学校であったという事情が説明されます。


しかしながらまさに文明の配電盤。

日本の大学は文明の配電盤を中心としたタテ型の構造であり、出来上がった知識を横から縦に変換して下へ配る構造に他なりません。東大と他大学との関係がそのまま(大蔵を中心とする)中央官庁と企業や地方自治体の関係としてスライドコピ−され、構造的に固定化しました。日本のエリ−トの仕事というのは基本的に創造事業とは無縁の官僚事務処理であり、大蔵省という配
電盤から電流(金)をもらって下へ流す仕事です。

私は個人的に、日本のそういう知識社会構造と産業社会j構造について根本的な不信感を持っていて、もうこれはだめだと感じています。東大(法)と大蔵省を価値軸の中心とする日本の「文科系」のモデルが崩壊したと思います。新しい文科系の人間モデルが定義される必要があります。それまでは恥ずかしくて人前で自分のことを文科系だなんて言えません。

訂正 :

京都帝国大学を含めて東大以外の帝大は明治末年以降の設立で、東大設立から30年も後の建学になります。明治期を通じて官立の大学は東大一校だけだったということです。

異句同音 −> 異口同音
じかん● Thu Sep 2 11:17:36 Japan 1999
おなまえ●失礼、下は遼太の父です
メッセージ●
じかん● Thu Sep 2 11:14:43 Japan 1999
おなまえ●
メッセージ● しが様 − 私学−

なるほど、とてもよくわかりました。現在のような学歴インフレ社会だと、私立大学の准国立大学化は必然的な現象なのでしょうね。入社選考で学歴を全く問わない企業はありませんし、高卒より大卒の方が明らかに有利でしょう。高校はおろか大学までが、ある種の義務教育課程になっているように見えます。

教育をどうするかというのは難しい問題ですね。いま国立大学の独立行政法人化が推進されようとしていますが、私自身も、もう国立大学というのは廃止してもいいんじゃないかと思っています。議論の分かれるところかも知れませんが、日本史上で最も成功した「大学」は、何と言っても松陰の松下村塾と洪庵の適塾の二つであろうと思います。また、私塾と呼べるような組織体ではないかも知れませんが、木下順庵のいわゆる「木門」も素晴らしいですね。それらに比べれば藩校の果たした役割は小さいものです。いまの県立普通高校とか地方国立大学みたいなもののように見えます。

教育とは人間をつくる仕事、人材を生み育てる事業であります。したがってその成否は、人を作り出し得たかどうかにかかっています。『花神』はエンジニア論であり、長州論でありますが、同時に適塾論であり私塾論でもありますね。伝統も大事なのでしょうが、やはり少数精鋭じゃないと駄目ですね。

早稲田は大隈重信、慶応義塾は福沢諭吉。そう考えると、東京大学や京都大学などの帝国大学は大久保利通や森有礼や加藤弘之らが建学したことになるように思います。官と私でニュアンスは少し違うけれど基本的には目的は同じですよね。近代西洋文明の摂取と移植であり、近代日本を朝野で担い支えていくエリートの養成です。建学したのは明治維新のエスタブリッシュメントたちです。諭吉は常に明治政府の影の文部大臣であったと司馬遼太郎も言っています。

いまその伝統の上にブランドがあってブランドのおすそわけを貰うべく受験エリートたちがそこに集まるわけですが、明治の元勲たちの建学の理念と目的は日露戦争以来次第に形骸化して行き、戦後となれば完全にブランドだけになってしまいました。これからいったいどうなるのか、東大や京大や早稲田や慶応が、オックスフォードやケンブリッジやハーバードのように世界の名門として残っていくのか、よくわかりません。

ただ言えるのは、全部同じ時期、明治維新の革命後に同じ目的と使命と動機で、同じ時代の気分と論理で建設された学校だということです(慶応は少しだけ早いけれど)。いまの日本に必要なのは、大熊の早稲田でも諭吉の慶応義塾でもなくて、おそらくきっと松陰の松下村塾であり洪庵の適塾なのだと私は確信しています。つまり文明の移植や模造のための人材ではなくて、翻訳や行政のための人材育成ではなくて、変革と創造のための人材を生み育てる私塾です。蔵六や諭吉を輩出できる私学です。
じかん● Wed Sep 1 21:14:55 Japan 1999
おなまえ●しが
メッセージ● 追加-遼太の父様
私の知り合いに私立大学の職員がおりまして、その人の話です。
私立大学の経営は決して儲かるものではないそうです。私立学校は非営利団体です。学生により質の高い教育を提供するために、そして学生になるべく負担をかけないようにするために、職員をぎりぎりの人数に押さえ、運営されています。大学の収入は学費(入学金等含む)と受験料と私学助成金しかなく、助成金はほとんど教員の人件費に消えてしまいます。実際の運営には学費収入の倍の費用が掛かるそうです。「文部省傘下の準国立大学」にならなくては、学生への負担は倍化するということです。しかし建学の精神を見失っている大学はありません。それこそが、その大学の存在意義であるからです。むしろ、それは学生の問題ではないでしょうか?その大学の建学の精神に惹かれてではなく、ブランドで選び入学する、しかしその事を咎めて卒業させないわけにはいきません。郊外移転は、地代が安く(すなわち学生への負担を減らせる)まとまった広さが確保でき、静かな学習環境を提供することができます。時代は18歳人口の急激な減少により、私立大学は存亡の危機に瀕しています。大学の独自性(ひいては学部増設につながる)を保持し、生涯教育のニーズに応えられる「開かれた大学」として地域に根ざして行かなくてはならないのです。教育を受ける権利とチャンスを全年代の人々に提供して行くことを目指しているのです。ブランドイメージやクオリティ(偏差値という意味で)を重要視して、学生を選抜していく事は、必ずしも正しいとは言えないと思う、とのことです。
じかん● Wed Sep 1 10:18:50 Japan 1999
おなまえ●遼太の父
メッセージ● To めぐみ様 − 文科系・理科系

>確かスノーという人が文系と理系の溝が深まっていくのを危惧した論文をかいていたような記憶がありますが、

めぐみ様はインテリですね。尊敬の念を抱きます。 この日本で、理科系オンチの文科系サラリーマンたちのために、現代科学の最新動向と意義をわかりやすく説明してきたのは立花隆でありました。宇宙、脳死、インターネット、環境ホルモン。日本の一般市民は立花隆のガイドブックに案内されて、それらの研究成果を知り、知識を得て、議論について行けるようになってきたのだと思います。文系を理系にブリッジして導いてきたのが立花隆でした。

一方その逆の、理系の人間を人文歴史の世界に導いてきた功労者は、何と言っても司馬遼太郎であったと言えるのではないでしょうか。理工系の出身者たちが異句同音に言うのは、受験の暗記の歴史は面白くなかったが司馬遼太郎の小説のおかげで歴史の面白さが分かるようになったという率直な実感の言葉です。これは真実なのでしょう。受験によって疎外された日本人の歴史教育を、司馬遼太郎が文部省にかわって代行していたのだと思います。

そしてその二人、立花隆と司馬遼太郎はとても仲のいい関係でした。日本を代表する知識人の二人として文芸春秋の正月号で対談したりしていました。考えてみれば、洪庵の適塾からは蔵六も諭吉も出ているわけですよね。蘭学塾、今で言えば外国語専門学校ですが、そこへ医学を学びにきた村医者が軍事指導者となり、語学を修めて出世しようとした若者がいわば日本の社会科学の創始者となったわけです。二人にとっての先生は洪庵で、そこには文系も理系もないですよね。
じかん● Wed Sep 1 10:11:39 Japan 1999
おなまえ●しが
メッセージ● 遼太の父様
>私立大学は、経営(カネ儲け)のために教育事業をやっているんでしょうかね
>徒らに学生数を増やしたり、新学部を増設して規模を拡大するのは、大学(のブランドとクオ>リティ)にとって、むしろ逆効果になるんじゃないか

うーん、難しいところですね。創立者の理念は理念として、経営はまた別物なのではないでしょうか(経営が一番のところもあるにはあるけれど)。学生数の増加や学部の新設による質の低下は、確かにそのとうりでしょうね。受験科目から英語をはずしたり、一科目のみの受験だとか、少しあざとい気はします。受験者にはありがたいことかもしれませんが、ではいったい何のための選抜試験なのかと首を捻りたくなります。スペシャリストを育てるのであれば専門学校があるはずですよね。特別増員枠を国に返したくないための増員・増設は、結果的に自分の首を締めることになるのを、もっと良く考えて欲しいものです。
じかん● Wed Sep 1 9:05:31 Japan 1999
おなまえ●遼太の父
メッセージ● To しが様 − 私学
>私立大学は、学生の数が如実に経営に反映されますからね。

私立大学は、経営(カネ儲け)のために教育事業をやっているんでしょうかね。であるとすれば本末転倒な話で、まるで民間企業の会社経営と同じ論理ということになります。ソルボンヌ大学やハーバード大学が規模が大きくなりすぎたからキャンパスを郊外に移転新設したとかいう話はあまり聞いたことがありませんが、徒らに学生数を増やしたり、新学部を増設して規模を拡大するのは、大学(のブランドとクオリティ)にとって、むしろ逆効果になるんじゃないかと私なんかは思いますけれど。

大学の経営というものは、あくまで建学の精神に則って、建学の時の教育の理念の実現のために、創設者がめざした人間育成を目的としてなされるべきなのです。大学の関係者がそれが果たされたと思ったならば、あるいはそれがもはや不可能もしくは不必要であると思ったならば、そこで廃校にするべきなのです。

私の議論はだいたい極論なのですが、日本の私学はおしなべて、戦後、明治期の建学の精神を見失って文部省傘下の準国立大学になり、そしてサラリーマン教育者たちがサラリーマンを養成するブロイラー生産工場になったように思います。そろそろ新しい私学を建設しようとする人間が出て来てもいい頃なんじゃないでしょうか。緒方洪庵とか、福沢諭吉とか、新島襄とか、新渡戸稲造とか、そういう人間が出て来てもいいように思いますね。

昔を懐かしんで言うのではありませんが、私らが学生の頃の京都の街は学生の街で、人口の1割が学生でした。河原町今出川のあたりを歩くと、そこら中、学生だらけでとてもいい感じでした。大学は、ひとつだけがデーンと孤立して建っていると、次第に要塞みたいになってしまうものです。要塞が増殖して大きくなって行くんですね。要塞の中で教授たちが自分の部下を増やすことばかりに熱中してしまったりするんです。