1999年7月から8月分の掲示板です

掲示板に戻る

最初のページに戻る


じかん● Tue Aug 31 20:24:02 Japan 1999
おなまえ●しが
メッセージ● 遼太の父さま
>それなら、はじめから衣笠キャンパスなんか作らずに広小路にいればよかったのにと思います よね。

それを言っちゃあ身も蓋もないのでは(笑)。私立大学は、学生の数が如実に経営に反映されますからね。学部増設をするには、京都は規制が多すぎるので脱出もやむを得ないのでしょう。龍谷大学も大津市の瀬田に、理工・社会・国際文化学部が移転してますし〈ちなみにすごい山奥だったりする)、平安女学院大学も滋賀県守山市(地元)へ移転します。現在地で建て替えをするにも、その間も授業は行わないといけないので、よっぽど敷地に余裕がないと難しいでしょう。京都が学生の町でなくなる日がいつか来るのかもしれませんね。そして滋賀が学生の町になる日が来る・・・とは思えない(涙)。千葉にあるのに東京ディズニーランドみたいなものか。

S水さま
私は、鹿苑寺金閣自体は嫌いではありませんが、受付でいやな思いをしたことあるのであまり足を運ぶ気になりません。京都の寺には、どうしても「見せてやる」という意識が働いてしまうのかもしれませんね。ちなみに、私は西本願寺が非常に好きです(しかも無料)。阿弥陀堂・御影堂はいうに及ばず、書院や普段は見れない飛雲閣の中を拝観したこともあります(普通は外観だけ)。なんたって卒論のテーマだったし。


じかん● Tue Aug 31 17:37:37 Japan 1999
おなまえ●めぐみ
メッセージ● しの様

石狩のご出身なのですか。今年の北海道は本当に猛暑でした。しかし、涼しくなったらなったで今度はまた長い冬かと淋しくなります。
私も5年ほど前アメリカに住んでいたことがありまして、快適で開放的な生活が懐かしいです。
個人的には「坂の上の雲」を読破してから渡米したのですが、今にして思うと正解だったような気がします。いろいろな意味で。

ちなみに私は35歳以上の理系くずれの人間で、数学よりも歴史と文学が好きです。確かスノーという人が文系と理系の溝が深まっていくのを危惧した論文をかいていたような記憶がありますが、その点では私はどちらといえるほどの才能もなく、両方に足をのせてふらふらしているようなものです。
じかん● Tue Aug 31 17:27:09 Japan 1999
おなまえ●めぐみ
メッセージ●
じかん● Mon Aug 30 14:28:40 Japan 1999
おなまえ●S水
メッセージ● またまたやってしまいました。
Sしか打ってないですが下の書き込みはS水です。
まあ失敗も2回目ともなると余裕が出てきます(こんなこと言ってたらだめだけど...)。
じかん● Mon Aug 30 14:22:33 Japan 1999
おなまえ●S
メッセージ● しがさんへ
へえ〜。おもしろそうですね。早速本屋で探してみます。貴重な情報ありがとうございました。等持院の書き込みをしたとき、金閣寺について何も振れなかったのですが、僕は金閣寺も大好きなんです。初めて金閣寺を見たときは、成金主義で悪趣味だなあ。と思ったのですが、何回見たのかはわからないけど、行く度に好きになっていきます。足利義満の意向はどうであれ、現在のなんとなく品のいい金色と、背景の緑(秋は紅葉)に「わびさび」と独特の調和を感じて、何となく見学後には気分がすっきりしています。実は最近一眼レフカメラをボーナスで購入し、京都に持っていったのですが、その金色のきれいなこときれいなこと!まあ被写体としても金閣寺はカメラ慣れしているのだと思いますが、等持院で撮った足利義満木像(実は全ての木像一体々々撮ってしまいました)と並べてアルバムに飾ってあります。今度は銀閣寺を撮って義政と並べて飾ろうかなあ。
遼太の父さんへ
中岡慎太郎は気がつきませんでした。来年あたりもう一度ゆっくり四国を廻ろうかと思っているのでその時に探してみます。
じかん● Mon Aug 30 11:45:21 Japan 1999
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 訂正 − 酔鯨
失礼しました。「酔鯨」は高知市長浜の酒ですね。水はやはり仁淀川です。
http://www.cty-net.ne.jp/~gikyoya/kura/9suigei.htm

とすると、幡多の酒は「藤娘」だったかな..。皆様どうもすみません。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~fujiya/index/menu/tosashu/tosashu.html
じかん● Mon Aug 30 9:39:40 Japan 1999
おなまえ●遼太の父
メッセージ● しが様、 − 立命館 −

>京都に大学を留まらせるための処置だったと思うのですが、もう少し考えて欲しかったですね。

全く同感です。結局、立命館は94年にびわこ・くさつキャンパスを作って、そこに理工学部を移転させています(何となく慶応の湘南藤沢の真似っ子のにおいがしますが)。それなら、はじめから衣笠キャンパスなんか作らずに広小路にいればよかったのにと思いますよね。

お茶の水から八王子の山奥へ出て行ったり、京都市中から田辺や草津に出て行ったり、ここ20年ほど私学の郊外移転の動きが盛んでしたが、結果的に大学にとってそれがどれだけ成功だったのか、私には疑問ですね。大学はやっぱり伝統のある学生街にあった方がいいのでは。

勘繰り過ぎかもしれませんが、私学が郊外に大型キャンパスを移設するときには文部省から巨額の補助金が出るわけですよね。膨大な公共土木建設事業です。ゼネコンはおおいに潤った事でしょう。
じかん● Mon Aug 30 8:59:24 Japan 1999
おなまえ●遼太の父
メッセージ● しの様、 − 司牡丹 −

お久しぶりですね。これはどうも失礼しました。たしかカナダにいらっしゃっておられたような。桂浜で月を見ながら司牡丹とは最高ですね。司牡丹は佐川町の酒です。高岡郡佐川町。33号線沿いの小さな町で、土佐志士の生き残りで龍馬関連の文献によく名前が登場する田中光顕の故郷でもあります。仁淀川の清流(支流かな)で造られている酒ですね。かつては土佐を代表する銘酒でした。現在ではその地位は土佐鶴にリプレイスされています。
http://manzoku.topica.ne.jp/sake/tosatsuru/kura.html

15年くらい前からでしょうか、土佐鶴の方が味が美味くなり、逆に司牡丹の味が落ちてしまいました。今ではかなり差がついているように思います。土佐はとにかく日本酒が美味いのですが、あのサラサラした美味しい味の代表格は何と言っても土佐鶴ですね。長い間、三田佳子がコマーシャルをやっていました。あの印象的な幕末シリーズ、ご記憶の方も多いと思います。ちなみに有楽町マリオン阪急百貨店の地下食料品売り場では、両方とも置いて販売しています。

土佐の東(=安芸郡)を代表する酒が土佐鶴、土佐の中央(=高岡郡)を代表する酒が司牡丹、そして土佐の西(=幡多郡)を表する酒が酔鯨でした。幡多地方ですから、すなわちその水は四万十川の水です。80年代、私はよく仕事帰りに渋谷の居酒屋「天狗」で飲んでいたのですが、そこで出される日本酒が酔鯨の樽酒でした。最近東京で「酔鯨」を見ないのですが、無くなってしまったのかもしれません。
じかん● Sun Aug 29 1:46:29 Japan 1999
おなまえ●しの
メッセージ● たいへんご無沙汰しておりました。
というより、ほとんど初めまして、です。
皆さまの御意見は、いつも楽しく読まさせていただいてます。
また、長州、会津、土佐などと色々と旅をなさっていて、
とっても羨ましい。
自分も昔は全国飛び回ってたけど、今は無理なんでちょっと寂しい。

masatoさま、めぐみさま、
 今年の札幌は、とてつもなく暑かったようですね。
 でも、もう涼しくなりましたよね。
 この9月に、久しぶりに石狩に帰省(帰国?)します。

遼太の父さま、
 私は、まさに35歳以下のエンジニアです。(ちょうど35)
 あいさつは、大の苦手です(苦笑)。人付き合いは、大好きですけどね。
 歴史は超大好きですが、古い慣習やしきたりは、苦手です。
 今北米に住んでますが、とっても合理的で快適です。チップを除いて。
 私も四国ファンで、友達と何度も行きました。
 桂浜の砂浜で、司牡丹を飲みながら龍馬と話するのが好きです。
 
じかん● Sat Aug 28 21:50:52 Japan 1999
おなまえ●しが
メッセージ● S水さま
前の書き込みで南北朝・義満関連の小説をお探しでしたよね。小説ではありませんが、今谷明の「室町の王権」(中公新書)はお読みになられたでしょうか。義満の王権簒奪について述べられているもので、内容もそんなに難しくありません。政治の流れをつかことができますし、もし読んでおられなければ、ぜひどうぞ。
じかん● Sat Aug 28 20:10:45 Japan 1999
おなまえ●hira
メッセージ● はじめまして、初めて掲示板にお邪魔いたします。
以前黒岩重吾さんの作品に関連してHPにはお邪魔したことがあり、リンクもさせていただいております。
しかしすごい情報量ですねえ。私も本が好きで歴史小説も多少は読んでいますが、ただただびっくりです。
知らないことだらけです。是非是非参考にさせていただきます。
ちなみに私が好きな作品は黒岩重吾さんの「天翔る白日 小説大津皇子」です。
掲示板にもまた遊びにきますのでどうぞよろしくお願いします。

http://www.freepage.total.co.jp/hira/start.html
じかん● Sat Aug 28 19:14:44 Japan 1999
おなまえ●しが
メッセージ● ささこさま
杉本苑子の「影の系譜 豊臣家崩壊」(文春文庫)もちょうどよい長さですよ。
オムニバスでよければ、「今昔物語ふぁんたじあ」(講談社文庫)シリーズもおすすめでです。
女性史なら「伯爵夫人の肖像」(朝日文庫)なんてのもあります。短編なら「引越し大名の笑い」(講談社文庫)もなかなかです。黒岩重吾の「紅蓮の女王」(中公文庫)も短くて読みやすいです。
女性史から離れると、南條範夫の「大名廃絶録」(文春文庫)や「英雄色を好む 伊藤博文伝」(同)もおすすめですね。津本陽の「火焔浄土」(角川文庫)も面白いです。きりがないのでこんなもんにしておきます。






じかん● Sat Aug 28 1:17:29 Japan 1999
おなまえ●おたか
メッセージ● 以下、おたかの文章でした。
いやはや、私もS水さんに負けず劣らず、以下同文・・・。
じかん● Sat Aug 28 0:58:25 Japan 1999
おなまえ●
メッセージ● 「最後の将軍」は「美貌の女帝」くらいの長さだと思います。
短編でしたら容保ファンとして「王城の護衛者」は欠かせません!
幕末の会津藩主・松平容保を書いた小説で孝明天皇との妄想が・・・、
いやいや、会津藩の悲劇や恨み辛みが如何にして出来上がっていったかを短編にまとめてます。

財前さま、「大河ドラマ主題曲集」は注文しました。
実は、NHKスペシャルのテーマ曲がCD化されてるかを調べにCD屋に行ったところ、あるわあるわ!
これなら大河もあるのでは?と、店員に検索してもらったところ発見出来た、という次第であります。
CD2枚組で\3,500-秀吉の時にできたCDらしく、タイトルには「秀吉」とでっかく書いてあります。
それにしても、大河主題曲は作曲者といい指揮者といい、すごいメンバー使ってます。
是非N響の生演奏をサントリーホールで聴いてみたいものじゃ!(NHKホールは音響が悪いんだよぉ!)


じかん● Fri Aug 27 22:22:01 Japan 1999
おなまえ●若林
メッセージ● ささこさま
司馬遼太郎の短い話。。。短い話。。。
「殉死」なんてちょうどよい長さかもしれません。中編です。
明治男のユーモアと不条理と、なんかとんでもないものを読んでしまった読後感。
「最後の将軍」も中編のちょっと長めくらいです。
大河ドラマではこの原作の面白さがぶっつぶされていましたが。
永井路子さんのオススメ本を私に教えて下さいませんか?
「山霧」しか読んだこと無いのです。
(だから「美貌の女帝」くらいの長さというのもわからず…。)

じかん● Fri Aug 27 22:00:14 Japan 1999
おなまえ●しが
メッセージ● 遼太の父さん
理工系のの方が、就職や収入の面で有利と言うのは全くそのとうりだと思います。文系であった自分が悲惨な目に会っている(自業自得ともいう)事を考えると、余計にそう思います。理系の人は、脳の使い方が違うのだろうか…。私の兄は理系だったのに、私にはそっちの能力は皆無と言っていいほどありませんでした。ああうらめしい(笑)。
 それから、等持院と立命館の問題もごもっともだと思います。私も大学時代に等持院へ行き、あのキャンパスを見たときには唖然としました。京都に大学を留まらせるための処置だったと思うのですが、もう少し考えて欲しかったですね。
じかん● Fri Aug 27 18:27:53 Japan 1999
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 竜馬のテレカ − To S水さん
いま思うと、交通アクセスの問題にしても、庭園の借景の障害にしても、何で京都市はあそこに立命館のキャンパスの建設を認めたのだろうかと不思議です。立命館が建たなければ、おそらく龍安寺の前を走っている道路(衣笠宇多野線)から直接入れる道ができていただろうと思います。
http://www.mapion.co.jp/cgi/m?no=1061974500189200032

今年の夏休みに桂浜で坂本竜馬のテレカを買ってきたのですが、全部まわりの人にあげてしまいました。桂浜の土産物屋では中岡慎太郎のテレカも売っていました。
じかん● Fri Aug 27 17:30:32 Japan 1999
おなまえ●S水
メッセージ● 下のメッセージはS水からです。
ああ、そそっかしい人間だ。
じかん● Fri Aug 27 17:29:16 Japan 1999
おなまえ●
メッセージ● 遼太の父さん
等持院は本当にわかりつらいですね。周囲は等持院北町とか等持院中町とかの地名があるけど、
肝心の等持院は迷い込むと抜け出せなくなるような細い路で、2回目に来たにもかかわらず
迷ってしまい、犬の散歩していたおじさんに教えてもらい、なんとかたどりつきました。
偶然なのかそういうところなのか、ほとんど拝観している人がいません。駐車場も無料なのに。
でもそのほうがいいですけどね。
 足利尊氏の墓は小さいですがちゃんと庭の中にあります。あまり有名ではないらしいですが、
庭の造りや五輪塔は等持院方式というらしく独特の造りらしいです。あまりよくわからなかっ
たけど。
 余談ですが僕は歴史上の人物のテレフォンカードを集めているのですが、思うほどないです。
法隆寺にいけば聖徳太子があるかなあ、と期待しても、建物ばっかりだった、ってな具合です。
でも等持院では尊氏のテレフォンカードがあったので嬉しかったです。
じかん● Fri Aug 27 17:07:29 Japan 1999
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 理科系と文科系 To しがさん

そうですね。日本の受験校の進学指導のやり方だと思うのですが、とりあえず成績上位の子供を(本人の希望や適性とは無関係に)理科系クラスに集めておいて、それをエリートクラスとして特別なコースで教育して、受験のときに本人の意志で理工系の学部を受けさせたり、人文系の学部を受けさせたり、というのはよくあるパターンだったのではないかと思います。

文科系のクラスから理工系への受験は難しいのですが、逆の理科系のクラスから人文系学部への受験への転身は比較的楽なのではないでしょうか。特に国立大学受験生の場合にそういうケースがあったように思います。

一般的な話ですが、自分は実際には文科系の出身者なのに、息子を理科系のクラスや学部に進学させようとする親(特に母親)が今でも多いように思われます。やはり理工系の教育を受けて専門的な技術を身につけた人間の方が、社会人となったとき収入や身分の上で有利であるという判断があるからでしょう。
じかん● Fri Aug 27 16:37:27 Japan 1999
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 等持院 To S水さん、

私も昨年の夏休みに等持院へ行きました。8月上旬の真夏の真っ盛りの頃で、観光客の少ないシーズンでした。等持院には一人の拝観客もいなくて、私は一人で1時間ほどずっと畳に座って庭を見物していました。庭のすぐ向うに立命館大学衣笠キャンパスが建っていて、折角の背景(借景)が台無しになっていましたが、それでも等持院の庭は見事なものでした。

確か、庭の中に足利尊氏のお墓があったのではなかったでしょうか。

畳に座って何種類かの蝉の声を聞いていたのですが、はじめは暑苦しく感じていたのが、だんだん涼しい気分になってきて、自分でも不思議でした。車で(東京から)行ったのですが、京都は狭い一方通行が多く、等持院へのアクセスは特に分かりづらくて苦労した記憶があります。付近を何度もグルグル回って結局、北野白梅町から今出川通を西に進んで右折して上がって辿り着きました。いいところです。
じかん● Fri Aug 27 15:40:31 Japan 1999
おなまえ●しが
メッセージ● 日本では高校の段階で理科系と文科系にクラス編成されますが、基本的には、頭のいい子は理
科系に、そうでない子は文科系に編入されるケースが多いように思われます。

これはちょっと極論だと思います。理科系の人も文科系の人も、得意分野と苦手分野があり、相対的に理科系が苦手と言う人が多いだけだと思います。そのために、理科系に優秀な人物が多いという印象を与えているのではないでしょうか。確かに、文明の進歩には技術者の才能が不可欠です。日本は、有能な技術者を多数養成し強国となろうとしましたし、戦争中も理科系の学生は徴兵を免除してました。しかし、井上光貞氏のように、その才能を惜しまれ徴兵を免れた人もいたのも事実です。







じかん● Fri Aug 27 15:05:00 Japan 1999
おなまえ●S水
メッセージ● 昨日等寺院にいってきました。
足利氏の菩提寺です。以前来たときもそうでしたが、人はほとんどいませんでした。この寺の
目玉は、なんと言っても足利15代将軍(7代義量、14代義栄がないけど)の木像がずらりと
並んでいるお堂です。結構迫力があります。ほとんど歴史に興味がない友人夫婦と、金閣寺に
行ったついでに連れていったのですが、彼らも感動してました。
これらの木像のうち尊氏、義詮、義満の3体は、幕末に尊皇攘夷の人達によって首を切られて
さらされたはずなんだけど、人がいないことをいいことに木像に近寄って首の周囲を見ました
が、なんの形跡もありませんでした。上手に修復されたみたいです。

じかん● Thu Aug 26 15:21:28 Japan 1999
おなまえ●ささこ
メッセージ● じつは、永井路子さん、遠藤周作さん、三浦綾子さん以外の歴史小説を読んだ事がありません。
このページを見ていると、司馬遼太郎さんや、その他の人の小説も読んでみたくなるんですが、
それほど長くなく(永井路子でいうと「朱なる十字架」「美貌の女帝」くらいの長さ)初めて読むには
おすすめのってなにかありますか?おしえてください。
じかん● Thu Aug 26 10:14:41 Japan 1999
おなまえ●遼太の父
メッセージ● >花神を読んで、技術者について感じることがありました。
>私が現在いる職場の部署も技術者集団なんですが、彼
>等には事務屋にはないシンプルさや安定感がありますね。

この指摘は重要ですね。私も前にいちど書いた(6月17日)のですが、『花神』は司馬遼太郎のエンジニア論です。正しく言えば「日本のエンジニア」論ですね。またこの日本技術者論は、彼の日本論・日本人論を構成する上できわめて重要な一部であると私は考えています。

簡単に言えば、日本のエンジニアの理想型を司馬遼太郎は村田蔵六に見出して描き込んでいるわけです。合理的で科学的で緻密で計画的な技術者の精神と人格を蔵六をとおして日本史に映し出しています。ここには、司馬遼太郎のエンジニア賛歌があり、エンジニア賛歌を通じての日本(人)賛歌があります。同時に、そこには司馬遼太郎のエンジニアコンプレックス、理工系コンプレックスが看取されます。

司馬遼太郎は数学が苦手だったんですね。数学が極端に苦手だったために、試験科目に数学のない大阪外大を受験、進学しています。晩年に、インド哲学のゼロの発見の話をよくしていますが、彼の数学への苦手意識がよくあらわれているように思います。それはともかく、近代日本の成功は、たしかに江戸期以来の理数系知識の蓄積と明治以降の技術者養成教育にあったかもしれません。

日本では高校の段階で理科系と文科系にクラス編成されますが、基本的には、頭のいい子は理科系に、そうでない子は文科系に編入されるケースが多いように思われます。

司馬遼太郎の読者でエンジニアの人間というのは実に多いんですね。面白い現象です。ただ私の個人的な印象では、一般論として、40歳以上の日本のエンジニアというのは大いに安定感があって物腰がシュアで責任感もあって尊敬できるのですが、35歳以下のエンジニアというのは著しくそれに欠けるところがあって、勝手気侭で常識が弱くて(人前で満足に挨拶ができないとか、会話が苦手とか)オタク的なのが多いですね。それが気がかりです。
じかん● Thu Aug 26 2:12:32 Japan 1999
おなまえ●財前吾郎
メッセージ● 若林様
私も2段組は苦手です。花神の豪華本がそれで、ちょっと買う気がそげました。

おたか様
「ツタンカーメン」はLALAでやってました。確かです。
それから技術者についての考察、うなずけました。
蔵六の性格を考えるのに、シンプルさというのは重要なファクターですね。

「大河ドラマ主題曲集」!!
そんなものがあったとは!!!買わねば花神ファン一生の恥!
明日さがしてみますが、CDの主題歌・CMソングコーナーにあるのでしょうか?

手にいれたらきっと一日中エンドレスで花神主題歌を聞くことでしょう。
出来ることなら、N響の演奏をぜひ生で聴きたいです。
きっと震えがくるほど素晴らしいだろうなぁ…(うっとり)

じかん● Wed Aug 25 22:30:22 Japan 1999
おなまえ●おたか
メッセージ● 皆さん、山岸涼子通でいらっしゃる!
そうそう「ツタンカーメン」でございました。私の記憶が確かならば以前LALAで連載してたはず。
その後コミックトムで連載してたんですね。

財前様>「胡蝶の夢」は現在4巻前半までいきました。遅読なのです。
私は将軍家茂と良順の、ほんの少ししか出てこないけど、そのやりとりが非常に気に入りました。
できれば家茂くんにはもっと長生きしてほしかったし、陣中で死んだ将軍は家茂だけなんですよね。
家康だってきちんと床の上で亡くなってるし。まぁ、長生きしてたらしてたで徳川崩壊を目の当たり
にしなきゃならなかっただろうけど・・・。
それとこの本や花神を読んで、技術者について感じることがありました。
私が現在いる職場の部署も技術者集団なんですが、彼等には事務屋にはないシンプルさや安定感がありますね。
う〜ん、上手く表現できませんが、技術という絶対値、というか普遍的なもの(?)に支えられた
安定感なのかな??

若林さま>ガラの悪い孫策、儚げな周瑜・・・が私のイメージでございます。
この二人、私の中ではどんどん妄想が広がってく・・・。
山岸さん!この二人の漫画描いて〜!!と日々念じておる次第でありまして・・・。

最後に、小生、ついに「大河ドラマ主題曲集」なるものを購入してしまいました!
やはり花神主題曲はダントツナイス!!




じかん● Wed Aug 25 20:06:11 Japan 1999
おなまえ●若林
メッセージ● こんばんは
本好きって装丁が気になる人が多いと思いますが、みなさんお気に入りの
装丁の本はありますか?
内容が好きでも表紙がイマイチという本もありますよね。
(私的には司馬遼太郎氏の文庫本がそう。燃えよ剣ーっ!!とか)
2段組みとか、なかに装飾があるのもニガテ。
中はあくまでスッキリ、表紙うつくしく、省スペースの本が理想でございます。
というわけで「草原の覇者」がハードカバーのスタイルのままで
文庫化されることを願っています。だって全4巻なんだもん。

おたかさま
私は「諸葛孔明」を読んだことがなくて、古本屋で見つけて
場所をとるのに(T-T)ハードカバー上下巻を買ってしまいまいた。
「秘本三国志」に比べて暖かい筆致で、孔明さんの可愛らしいしぐさや
徐庶との友情が微笑ましく、特にわかれの場面は鮮烈でした。
嗚呼私は徐庶になりたい。
すわみどり、でよいと思うんですが、正確には???。プチフラワーに載ってます。
そのうち周瑜も出てきますねきっと。見たいような恐いような。
「SWEET三国志」の呉人はみんなコテコテで、とても自然な関西弁
(マジかいやー!等)でガラの悪い周瑜がナイスでした。

じかん● Mon Aug 23 8:59:57 Japan 1999
おなまえ●あつこ
メッセージ● 山岸涼子の
「ツタンカーメン」は潮出版から単行本が出ています。
4巻で完となっています。
私はエジプトというと里中満智子の「海のオーロラ」の
イメージがどうしても強いです、あと「王家の紋章」!
あれはまだ終わっていないって本当でしょうか?
随分前に挫折してしまいましたが、、、。

じかん● Sun Aug 22 22:10:09 Japan 1999
おなまえ●財前吾郎
メッセージ● おたか様
山岸涼子のエジプト物とは「ツタンカーメン」でしょうか?
その後コミックトム(「風雲児たち」の連載していた雑誌)で連載され、だいぶ前に連載
終了してます。
今は文庫が出たかなぁ。
ところで「胡蝶の夢」はどうでした?
じかん● Sun Aug 22 19:43:02 Japan 1999
おなまえ●しが
メッセージ● はじめておじゃまします。こんなHPがあったんですね。
私が歴史小説を読むようになったきっかけが、永井路子さんでした。小学校当時、歴史が好きだった私に祖母が本を借してくれたのです。たしか「歴史に見る女の愛と生き方(新潮文庫)」だったと思います。今考えるとすごい本を借りたものです(笑)。今では彼女の作品だけでなく、司馬遼太郎や杉本苑子・津本陽・南條範夫・徳永真一郎などを読み漁りました(まだあるけど書ききれない)。主に日本史を中心に読んでますが、中国史や西欧史の作品も読んでます。

S水さま
歴史認定試験に合格されるとはすごいですね。私も受験をしようかなとは思うのですが、もしも不合格だったら多方面から非難を浴びる恐れがあります(一応文学修士<史学>号をもっているのです)ので怖くて受験できませんでした。問題集を買ってはみたのですが…結構難しい。

あと五山の送り火ですが、江戸時代にはもう行われていたと記憶しております。酒を入れた杯に大の字を映して飲むと健康になるとか、運がよくなるとかいって結構はやったらしいです。何分にも、ずいぶん前の記憶なので曖昧な点が大きいと思いますがご容赦のほどを。
  
じかん● Sun Aug 22 19:28:40 Japan 1999
おなまえ●倉
メッセージ● はじめまして。今年の春に永井路子さんの「王朝序曲」を読んで
ファンになりました。以来たくさん(かなあ)の永井路子作品を買いましたが、
私は本を読むスピードが遅いので、本棚に本がたまっていくばかりです。
結局まだ少ししか読み終わっていません…。
早く全部読みたいなあと思いながら本を眺めています。
現在中学三年生なのでせっかくの夏休みも受験勉強でつぶされていき、
本があまりゆっくり読めません(しかもまた新しく五冊ほど買ってしまった)。
でも宿題の一つの読書感想文は「美貌の女帝」について書きました。
今のところ「美貌の女帝」が一番お気に入りです。
日本の歴史は古い方が好きだからかなあ。
ではでは。
じかん● Sun Aug 22 14:57:01 Japan 1999
おなまえ●おたか
メッセージ● 若林さま>山岸涼子の周瑜!おぅ!美しい〜ぃぃ!(興奮)
絵もさることながら、彼女の創るストーリーは史実に出来るだけ忠実たろうとし、
さらには登場人物各々の孤独な陰影(なんのこっちゃ?)がたまらなく魅力なんですよね!
「青春の時代」は読んでませんが、「日出処の天子」の厩戸、蝦夷、刀自古・・・、
どれも個性的なキャラでした。ラストシーン、私は大泣きしてしまいました。
そういえば彼女は数年前エジプト物を描いてて、それが連載途中「第一部完」で
終わってしまったはず。その後どうなったんだろう?
諏訪緑さんって知らないです。「すわみどり」と読むのでしょうか?

S水さま>高須藩情報ありがとうございます。藤堂高虎さんは時勢にとても敏感な人
だったんじゃないかな?こうゆう藩だからこそ潰されずに生き残れたともいえますし。
歴史認定試験、そういえば本屋に問題集が平ずみにされてました。すごいですね〜。
考えてみれば私は高校から芸術系クラスに入ってしまい、まともに歴史の勉強って
したことないんだよなぁ。この掲示板ではなんとなく肩身狭いです。(でも書込しちゃってるけど)
じかん● Sat Aug 21 18:55:43 Japan 1999
おなまえ●みるみる
メッセージ●
永井路子作品を読み漁っています。
長編が好きで、そろそろ底をついてきたな・・・と思ったところでこのページを見つけ、
「まだまだあるんだ」と教えていただきました。他の作者の歴史小説の紹介もあり、
次に何かを読む参考にしようと思います。
じかん● Sat Aug 21 5:41:35 Japan 1999
おなまえ●
メッセージ● うれしいです。HPってこういうものもあるんですね。
知らないことも多いのですが、いろいろ見ていると全然飽きません。
私は、司馬さんのファンです。一番好きなのは、だったん疾風録(字がありません)です。
じかん● Fri Aug 20 20:14:50 Japan 1999
おなまえ●若林
メッセージ● おたかさま
私は山岸涼子さんの周瑜を見てみたいですねえ。
ああなんて、美しいのでしょう(妄想)
諏訪緑さんってご存知ですか?
新連載がなんと主人公孔明なのですが、おしいかな、
絵が甘いんです〜雑なんです〜(T-T)
他の作品を読んだことないから、どうこう言えないけど
とにかく、絵がかわいらしいんです。いやいや〜。

S水さま
ウワサには聞いていた歴史認定試験、でも難しいって。
すごいですねー。
じかん● Fri Aug 20 9:32:13 Japan 1999
おなまえ●S水
メッセージ● みなさん聞いて下さい。
ちょっと前に受験した歴史認定試験の3級に合格しました。就職試験依頼、試験らしい試験は受
けたことがなかったのですが、「今年から第一回目(去年もあったらしいけど)として歴史認定
試験が始まります」という広告を偶然見つけて、とりあえず自信がなかったので2級は避けて
3級(1級は今回はありませんでした)を受けてみました。内容は学生時代の試験とあまり変わ
らない内容で、社会人となってから6年目になる僕にはかなりブランクを感じさせるもので
「だめだったかな」と思ったのですが、とりあえず合格通知がきたので「ほっ」としています。
次回は12月らしいのですがどうしようかなあ。あまり自信がないので、ちょっと勉強しようか
なあ。
じかん● Thu Aug 19 22:28:39 Japan 1999
おなまえ●kuro
メッセージ● 私も永井路子が大好きです。知ったのはここ二、三年なのですが、結構読み漁りました。
今大学生で、永井路子を卒論の研究にしたいと思っています。
もし、何か知っていることがあったら、何でもいいから教えてください。

じかん● Thu Aug 19 19:50:55 Japan 1999
おなまえ●S水
メッセージ● そうだそうだ!「妙・法」のワンセットでした。あつこさんありがとうございます。これで、も
やもやがとれてすっきりしました。いちおう燃えていない焼け跡は全部見たことがあります。
結構くっきりと山に残っていたので感動しました。燃えてるときはさぞかし華麗だと思います。
来年こそは是非見たいものです。
じかん● Thu Aug 19 12:31:22 Japan 1999
おなまえ●コルチャック
メッセージ●    今年も8月が来て、あの大戦の事が回想され、論じられています。
その第二次世界大戦に関係の有る、或るテーマについて、凄い本が有るので
御紹介したいと思います。それは、

   
   西岡昌紀著「アウシュヴィッツ「ガス室」の真実」(日新報道・1997年)


   と言う本で、ズバリ、「ホロコースト」と言う名で語られてきた「歴史」に
正面から疑問を投げかけるものです。

   この本の著者は、内科医で、それを反映してか、かなり理科系的な視点から
「ナチのガス室」に疑問を投じています。例えば、コルチャック先生の話で有名な
トレブリンカ収容所には、「ディーゼル・エンジンで一酸化炭素を発生させるガス室」
が有ったと言う事にされている訳ですけれど、この話は工学的におかしい。何故なら、
ディーゼル・エンジンは一酸化炭素を殆ど排出しない(!)事が特徴だからであり、
不可能とまでは言わないが、工学的にはあまりにも不合理だ、と言った具合にです。
アウシュヴィッツについても、そこに展示されている「ガス室」の一つについて、
管理者であるポーランド当局による説明がいつの間にか変わっている(以前は「全く手を
つけていない」と説明していたのに、1990年代になってからは「再建したものだ」と
言う様に」なっている(!))事などを指摘して、信憑性に疑問を投じるなど、多くの
日本人にとって寝耳に水の様な話が沢山書かれてあります。なお、この著者は、ナチス
によるユダヤ人迫害を全否定しているのではありません。(その点は誤解しない事)

   御一読をお勧めします。

   日新報道(電話:03−3431−9561)に電話して宅急便で入手するか、
公立図書館のカウンターでリクエストしてただ(無料)で読むかする事をお勧めします。
じかん● Wed Aug 18 20:02:36 Japan 1999
おなまえ●あつこ
メッセージ● 追伸です
S水さま、五山の送り火、
左右の大と船、妙、法の5つだと思います。
じかん● Wed Aug 18 19:55:22 Japan 1999
おなまえ●あつこ
メッセージ● 五山の送り火、春日大社の万灯籠、
どちらも幻想的で綺麗ですよね。
あれが終わると、夏休みもいよいよあとわずか、、、、
学生時代はなんとなく寂しく、悲しい思いがしました。
奈良のお水とりが終わると春がくるとか、
祇園祭がすんだらハモが安くなるとか、
昔から季節といろんな行事が密接な関係にあったのでしょうね。
いつから始まったのか、私も知りません。
どなたかご存知でしょうか?
うちでは必ずお盆の迎え火、送り火は焚きますが、
それも、近頃はあまりみかけなくなったと聞きます。
精霊流しも、川が汚れるからと言って、地区毎に集めてお終いです。
なんだかゴミの日と同じような感覚で、おそれ多いのですが。
じかん● Wed Aug 18 14:59:08 Japan 1999
おなまえ●S水
メッセージ● おたかさんへ
高須藩は伊勢の国の北に隣接していた藩です。有名な伊勢の長島一向一揆の場所から北に
3〜5キロくらい河を遡ったところです。
東に徳川慶勝の名古屋藩、南に松平定敬の桑名藩が隣接しています。両藩とも高須藩からの養子
藩主なんですね。松平容保も考え会わせるとすごい人達ばかりで、まさに高須藩にとっては子は
宝なり。といったところでしょうか。ちなみに僕が住んでいるところは、藤堂高虎が藩祖の藤堂
藩(安濃津藩)です。一般的に戦国時代から明治維新を通してあまり評判は良くないみたいです
けど...。


たまいやぁさんへ
去年のお盆に東大寺、春日大社の万燈会にいったのだけど、暗闇に灯籠が仄かに揺れている
様子は幻想的でした。その時春日山だったかに、大文字が燃えていて自分が思っていた以上に
雄大な風景に感動しました。京都の送り火はあんなのが5つもあるんですねえ。たしか左右大
文字、舟形、鳥居とあとなんだっけ?とにかくよかったですねぇ。ところであれっていつから
始まったのでしょうか?どなたかご存じの方みえますでしょうか。


じかん● Wed Aug 18 10:14:57 Japan 1999
おなまえ●遼太の父
メッセージ● ノモンハン

昨夜のNHKの『ノモンハン』は非常に見応えがありました。構成も取材も綿密であり、史実を分析する視点もすぐれたものだったと思います。現代史の大きなうねりのなかで過酷な犠牲を強いられた小国モンゴルの立場への配慮があり、その点でもよかったと思います。

少し不満を言うなら、もう少し時間を長く取って、たとえば2回シリーズにでもして、ソ連内部の政治的事情の追跡だけでなく、日本の側の侵略の論理の方にも光をあててもらいたかったと思います。

ノモンハンの問題は、これまでのところ、現地関東軍参謀辻政信の妄想に基づく独断専行とその失敗ということで理解されています。確かにその点は大きいのですが、実のところは、東京の陸軍参謀本部が辻の暴走を止めようとしたかというと、決してそうではないのです。

つまり参謀本部は、それを見て見ぬフリをして辻にやらせていたわけですね。現地軍の独断専行の積極的容認が陸軍(および政府)の伝統的な基本方針でありました。失敗したときは「俺は知
らなかった、現地が勝手にやった」と責任逃れして天皇に申し開きするためです。統帥権の独立というのは、無責任の体系の下での現場の暴走の容認でした。

1931年の石原莞爾の満州事変と全く同じ構図であり、辻は石原を見習って同じ事をしようとしたわけですね。目的は外蒙古の確保(勢力圏化)であり、さらにバイカル湖以東のシベリアの広大な版図の軍事占領でした。

「ノモンハン書いたら俺死ぬで」、と司馬遼太郎は周囲の人たちに語っていたわけですが、どう考えてもノモンハン事件が司馬遼太郎の小説になるはずがないと私は思います。基本的に無理で
す。物語の主人公になるべき日本人がいません。

ノモンハンに関する代表的な歴史研究作は、クックスの『ノモンハン』(朝日新聞社)だと思いますが、この本が4巻本の朝日文庫になるときに、クックスと司馬遼太郎が対談をしていて、それが付録としてついています。
じかん● Wed Aug 18 9:42:23 Japan 1999
おなまえ●たまいやぁ
メッセージ● どうも皆さん、はじめまして。たまいやぁと申します。
よろしくお願いします。
今月の16日は五山の送り火(京都 大文字とか)でした。
この五山の送り火を眺めているとその時代時代の人間もこの送り火を見ていたのかなぁ…と
思い馳せております。
徳川美術館…私は行った事がないのですがやはりなかなかのところのようですね。
非常に興味あります。皆さまのカキコを見て必ず行こう!!と思いました。

じかん● Wed Aug 18 0:06:36 Japan 1999
おなまえ●おたか
メッセージ● そういえば徳川美術館に入るとすぐのところに、ど〜ん!とゴージャスな甲冑があったの覚えてます。
私も5年くらい前に行って、その時はまだ幕末にいささかの興味もなく、今更ながら知らないことの
なんともったいなき事よ!と後悔しきりであります。そうか!あれって徳川慶勝の甲冑だったのか!
会津藩主・松平容保のお兄ちゃんですよね。高須藩出身のご兄弟はみんな興味をそそられます。
幕末に活躍した藩主のほとんどは、養子なんですよね。
S水さんの故郷・伊勢の国は、高須藩の近くになるのかなぁ?地理には疎くてよくわからんばい。
屏風絵も良かったみたいでなによりです。日本画の面白さの1つは、あの斬新な構図ですね。
「風雲児たち」でも日本画と洋画の違いが面白く説明してあって、平賀源内が説明するくだりは
とても印象に残ってます。

若林さま>そうなのです!井波律子さんとよく字面の似た漫画家さんがいるんですよ!
ちょっと名前ド忘れしたけど・・・。わかってもらえて、なんとなくうれしいです。
この漫画家さん、絵の雰囲気が耽美入ってて、こうゆうタッチで周喩描いて欲しいなぁ、
なんて勝手に思ってたりする。
陳舜臣さんは「諸葛孔明」しか読んだことないのです。「秘本三国志」ですね。
うー、皆さん色々本を紹介して下さって、おたか、とても追いつけないです。しょぼしょぼ。





じかん● Tue Aug 17 10:20:27 Japan 1999
おなまえ●masato
メッセージ● S水さん、こんにちは。
徳川美術館はわたしも行ったことありますよ。札幌からだとなかなか行く機会がないので
ちょっと強行スケジュールでしたが、確か5年くらい前だったと思います。結構感動して、
まわりの人に話したのですがやはり反応はさびしいものでした。
でも、いいもの揃ってますよね。
わたしは別に徳川ファンじゃあないんですけど。

じかん● Mon Aug 16 13:26:23 Japan 1999
おなまえ●蒼龍窟
メッセージ●  私事で恐縮ですが,小生のWebページ”蒼龍窟が行く”
http://ms1.oshima-k.ac.jp/~ishimitu/Pub/kawai.html"のお知らせを
ここの場所をお借りして,報告させて下さい.>管理人様
 最近サーバの調子が悪く,ページが見られない方もおられたため,メンテナンス
を行っていたのですが,メンテナンス途中でサーバがこけてしまいました.
サーバ本体をメーカに修理に出すほどの深刻な事態に陥ってしまったため,
しばらく参照できません.アクセス制限と思われて不快な思いをされたお客様も
おられましたが,アクセス制限ではありませんので,ご了承下さい.
 本日は河井継之助の命日です.この様な日にページが公開できないのは,何か
警告めいたものを感じます.
 よろしくおねがいいたします.
 
じかん● Mon Aug 16 12:11:38 Japan 1999
おなまえ●S水
メッセージ● >おたかさん!わかっていただけますか。ありがとうございます。
 いってきましたよ。徳川美術館!おたかさんのいわれるとおり、結構わかりにくかったです。
あっちこっちに「葵の御紋」があって、南北朝時代に最近凝っていた僕にはとても新鮮でした。
中に入るなり、第一次長州征伐に藩主の徳川慶勝(総大将でしたね)が着用した甲冑と馬印が
「ど〜ん」と展示されていて、その威厳に圧倒されました。冷静に考えれば時代遅れの武装な
のだけど、あんな甲冑を着た総大将を見たら「勝つぞぉ」って、士気は上がっただろうなあ。
それはそうと、メインの「長篠合戦図屏風」は感動でした。「おお!あの人もいる。この人もい
る。へぇ、こんな甲冑きている。」とか、あっ武田家の鉄砲隊も描かれている(倒れているけ
ど)とか、本当に見ていて飽きなかったです。遠くから離れて見ると、喚声や鉄砲の音なんか
がしてきて、描かれている人たちが動き出しそうでした。遠近法を使用しない当時の日本画風も
すごい文化だなあ。と感心しました。「長篠合戦図屏風」を十分堪能した後、館内をもう一周し
たのだけど、全体的に展示品はすごく良かったです。2年前にいったルーブル美術館より遙かに
印象に残りました。個人の好みの問題だけど、僕には日本文化のほうが、日本史への思いがある
分そっちにいちゃうのかなあ。お盆の時期のせいか人も結構いたけど、老若男女問わず、みんな
展示品を熱心に見ている様がなんとなくうれしかったです。
じかん● Mon Aug 16 8:21:36 Japan 1999
おなまえ●若林
メッセージ● おたかさま
井波律子氏は大学の先生だったような気がします。
(良く似た字面のまんが家さんがいましたよね)
周瑜が孔明さんの犠牲になってさんざんな目にあっていることを書いた本は
「三国志演義」岩波新書です。
「読切り三国志」(ちくま文庫だったと…)も面白かったです。
井波氏は“めっぽう強いが頭の中身はいまいちの呂布”とか、
学者のくせにちょっとふざけたような文章が楽しいです。
「三国志まんだら」(タイトルうろおぼえ)読んでないのですが
これは曹操、劉備、周瑜のことを書いた本だったと思います。
陳舜臣さんの「秘本三国志」はお読みになりましたか?
もしまだだったら、周瑜ファンにはちょっとおすすめなので是非是非。

じかん● Sat Aug 14 13:40:36 Japan 1999
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 松山 − 司馬遼太郎展(1)

松山の司馬遼太郎展を見て東京へ帰って来ました。松山の前に全国七都市で開催されていますのでご覧になられた方も多いかも知れませんが、非常に充実した展示会でした。

自筆原稿だけでなく、司馬遼太郎直筆の絵や揮毫が、全国の所有者から集められて、数多く並べられていました。中には雑誌で見慣れたものもあり、またこんなものもあったのかと思わさせられるものもありました。

展示の中で私の目を引いたのは、司馬遼太郎の眼鏡。雑誌のグラビアで何度も見たところの、司馬遼太郎の書斎の机の上に置かれて撮影されていた眼鏡と万年筆がまガラスのショーケースに入れられていていました。

展示は司馬遼太郎個人の関係のものに限らず、江戸、幕末、明治の多くの関係史料が陳列されていて、秋山真之が正岡子規に宛てて出した手紙の実物も何通もありましたし、龍馬が乙女や海舟に出した手紙も並べられていました。

エピソード1

子規記念博物館の後は、例によってそこから歩いて5分の道後温泉本館に立ち寄って「坊っちゃん」になって湯の中で泳いでまいりました。宿は全日空にしましたが、そろそろ古くなってきています。しかし松山も高知に負けず海の幸が豊富で、食べものがおいしいです。

その前日(10日)、高知のホテルでの出来事ですが、偶然、ロビーで高島礼子・高知東急(?)夫妻を発見してしまいました。東急の故郷ですから、よさこい祭りを見にお忍びで帰省していたんですね。
じかん● Sat Aug 14 9:20:40 Japan 1999
おなまえ●あつこ
メッセージ● 不確かな情報で恐縮なのですが、
今日または明日に、淡路島で
”高田屋嘉兵衛まつり”があるそうです。
昨日電車に乗っていたら、前の座席の二人組のおじさんが
楽しそうに話していらっしゃいました、、、。
どんな祭りなのでしょうか??
ちなみに、淡路島には高田屋嘉兵衛の像も
資料館もあります。
私は行った時は閉まっていたので、
今度また行ってみようと思っています。
その前に「菜の花の沖」を読まなくては!
じかん● Sat Aug 14 1:06:42 Japan 1999
おなまえ●おたか
メッセージ● 財前さま、確かに萩と比べるのは酷ですね。
春に萩へ行った後だっただけに、余計比較してしまうのでしょう。
萩は城下町がそのまま残ってて、それこそ「みんな、見て見て!」といった雰囲気を
残していました。会津では戊辰戦争のお墓でさえ「会津藩士の碑」と彫ることを
明治政府から禁じられたと書いてありました。いやそれ以前に死体すら1年ほど放置されて
弔うことを禁止されたそうです。
あまりの憂鬱さに私は蔵の町・喜多方へ寄って気分を変えようと思ったのですが、
それでも会津の見所の多さに喜多方行きは断念しました。
それにしても、旅先で偶然知り合いになった秋田出身の子曰く、
「秋田は真っ先に奥羽列藩同盟を抜けだし、今だに東北では肩身が狭いんだよ〜ぉぉ!」
と言ってたのには笑えた。



じかん● Fri Aug 13 3:56:52 Japan 1999
おなまえ●財前吾郎
メッセージ● おたか様
伊之助は佐渡から出たけれど、良順に出会えて本当に良かった、と私は読後に感じました。
戊辰戦争から明治の伊之助の最期までは一気に読めてしまいます。これも泣けます。

会津へ行かれたそうですね。お疲れ様でした。
あそこは頑固な気性の土地なので、そこが無愛想に思えるのかな?私も行ったときに「あ〜
こりゃ頑固だ」と感じることがありました。
いまだに長州への恨みがあって、仲直りの提案は絶対受け付けないんだそうです。
若い人の方は知りませんが。が、それはそれですごい所ですよ。
萩(長州)と比べてしまうのは酷なのでは?
じかん● Thu Aug 12 23:08:07 Japan 1999
おなまえ●おたか
メッセージ● S水さま>初めまして。その気持ち、わかりますよ〜ぉ。ふっふっ。
かくゆう私も、源氏物語絵巻見たさに徳川美術館に足を運んだことがあります。
あそこって不便なところにあるんですよね。迷子にならないよう気をつけて。

一応、このHPは永井路子ファンの集いということで一言。最近でこそ幕末にはまってるおたかですが、
私の歴史小説歴はなにをかくそう永井路子からです。平安物も面白いですが、「流星お市の方」「乱紋」
といった戦国物も面白い!お薦めです。

あつこ様>会津の町は萩とは全く違った趣でした。町も戊辰戦争でとことん焼かれ、廃れた感じが
否めませんでした。どこの寺にいっても”戊辰の碑”みたいなものがあります。
観光資源が大事だろうに、会津の人々はどこか無愛想です。萩はカラッとしてたけど、会津はその逆。
皮膚感覚でそう感じました。でもやっぱり行って良かったと思います。

財前様>「胡蝶の夢」の伊之助は、まさに司馬マジックって感じですね。
あんな人物描写が出来るなんて!伊之助のことを、良順以外では読者の私だけが解ってあげられる・・・
と思わせてしまうのです。母性本能をくすぐられてしまうのですよ。現在2巻読み終わったところです。
この後、伊之助はどうなってしまうのでしょう??

若林様>伊波律子さんの本って何ですか?周喩ファンとしてこれは見逃せません!
是非教えて下さい!この方ってひょっとして漫画家の方?違ってたらすみません・・・。


じかん● Thu Aug 12 17:19:37 Japan 1999
おなまえ●S水
メッセージ● 明日仕事の休みがとれたので、名古屋の徳川美術館にいきます。メインは初公開の「長篠合戦
図屏風」です。ちなみにこの屏風が長篠合戦図のオリジナルらしいです。僕が歴史に興味が
出始めた小学生のときから、ずっと「見たいなあ」と思っていた屏風なので、いまから「わくわ
く」しています。こんなこと、僕の周りの人に言うと、若いのに「変な人」と思う人が多いので、
ここに書き込みます。皆さんならこの気持ちが分かってもらえる思います。ふっふっふっ。

 それはさておき、JKさんは黒岩さんの女性描写のどのあたりに(?)を感じたのでしょうか。
一般論的に男女の異性描写に関しては、いままでの作品がそうなのか僕が鈍感なのか、それほど
男女差による違和感というか格差は感じなかったです。ただ永井さんは主人公のキャラクター設
定と感情描写は絶妙で、それまで食わず嫌いとでもいいましょうか、「女性作家は感情に走り
すぎる」という、僕がそれまで読みもしないで持っていた、訳の分からない先入観が木っ端みじ
んにうち砕かれ、「へぇ、女性作家でもこんなにすごい人がいるのか」と、いまではすっかり
永井さんにはまることになってしまいました。
じかん● Thu Aug 12 10:10:06 Japan 1999
おなまえ●あつこ
メッセージ● 下の「青青の時代」の感想で、
”おろしろい”というヘンな日本語を書いてしまいました!
おもしろい、とおそろしいと両方の意味があると
お思いくださいませ、、、失礼しました。
じかん● Thu Aug 12 10:08:00 Japan 1999
おなまえ●あつこ
メッセージ● 若林さま
「青青の時代」私は雑誌の方で楽しみに読んでいます。
先日本屋さんで2巻が出ているのをみました。
ひきずりこまれるおろしろいストーリーですよね。
やっぱり私は漫画ッ子ですね。

おたかさま
お帰りなさい。会津へいらしてたのですか!
春の長州といい、とっても活動的ですね!!羨ましいです。
新撰組ファンは会津へ行くのですね、、、
私は会津の地を踏むのは怖いような気がします。
「風雲児たち」どうぞごゆっくりお楽しみ下さい。
何度も読まなくちゃいられない本ですものね。

「花神」のお話が出ていましたが、
私が司馬先生の本を読み始めたのは、「花神」からです。
たっぷり司馬先生の文章にはまりまくりました!!
勿論、その次には「世に棲む日日」でした。
個人的には「関ヶ原」も好きなんです、家康が好きなのです。
じかん● Thu Aug 12 5:32:25 Japan 1999
おなまえ●財前吾郎
メッセージ● 山木様
「花神」は上中下、それぞれ面白いですが、下巻の上野彰義隊討伐のくだりは圧巻です。
蔵六と西郷の対比、勝海舟のかけひき、黒門での攻防戦と、たたみかけるようで、何度読んでも飽きないです。(私はですが)
そう言えば下巻をだいぶ前に読んだのですが、その中で司馬先生は大鳥圭介のお孫さんである、
大鳥蘭三郎氏について書いておられました。
そのすぐ後、新聞のお悔やみの欄で大鳥氏の訃報を知り、驚くとともに何となく幕末という時代の近さを
感じました。
山木様、よろしければ読後、感想を聞かせてください。

めぐみ様
ありがとうございます。古川氏ってアンチ蔵六派だったのね。

おたか様
「胡蝶の夢」は裏表紙の作品紹介に惹かれました。特に伊之助のところ。
彼の良順に対する態度って、いじらしいとこがありますよね。
じかん● Wed Aug 11 23:06:00 Japan 1999
おなまえ●若林
メッセージ● 古代ファンのみなさま
山岸涼子氏の「青青の時代」が面白そうです。(まだ1巻しかよんでないけど)
ヤマタイ国のお話です。
うーん、こんな日本が原始な時代に、中国ではあんなことになっていたのか。

>おたかさん
たくさん読んで、今では周瑜のかっこよさがよーくわかるようになりました。
井波律子さんの本で、いかに演義において周瑜がおちょくられているかが軽妙に語られてて
(気絶する度に、1回目である。2回目である。といちいち茶々をいれる)
すごい面白かったです。
じかん● Wed Aug 11 22:06:28 Japan 1999
おなまえ●おたか
メッセージ● お久しぶりです。先週、ついに会津へ行って来たおたかです。
会津は暑く、松平容保の墓参りは大変難儀でした。あんな山ん中にあるとは思わなかった。
女一人で、あらかじめ予備知識があったら行けなかったかも。
私が会津いってる間に「知ってるつもり」では司馬遼太郎やってたそうな。知らなかった・・・。
財前さん、な・なんと、私が今読んでる本も「胡蝶の夢」でござんす。
古川薫氏の「天辺の椅子」はここでも以前、しんぺいさんがご推薦なさってましたね。
まだ読んでないけど、子母沢寛の「勝海舟」と共に是非読んでみたい一品です。
勝海舟で思い出したけど、会津で偶然一緒になった新撰組ファン集団がいまして、
その方達は勝海舟が大嫌いだそうな。その壮絶たるや、もう、圧倒されちゃぃました。
私個人としてはあの時代のうねりそのものが好きで、勿論、新撰組も勝海舟も好きで、
でも、勝海舟好きだなんてあの場で言った日には、あの集団に白眼視されかねない勢いでした。
会津も暑けりゃ、ファンも熱い!でも、あぁゆう視点にも触れることが出来て、
それなりに有意義な会津の旅となったのでした。
あつこさま>「風雲児」今、リピート読書中なので、もう少し貸して下さい。
もう、面白いのなんのって!私は秋田蘭画に非常に惹かれました。今度は秋田に行って、
秋田蘭画美術館(そんなのあるのかな?)に触れてみたいです。

じかん● Wed Aug 11 20:55:21 Japan 1999
おなまえ●JK
メッセージ● JK−その2
S水さん、ありがとうございます。

私にとっても、黒岩重吾さんの「聖徳太子」は古代史への入門書のようなものでした。
それぞれの時代を代表する人物を主人公にした小説を発表し続ける氏の活動を見ると、まるでそ
の創作によって古代という時間を埋め尽くそうとしているかのように感じます。今後、どこまで
その世界が拡がっていくのか、とても楽しみです。

さて、古代史小説に登場する人物像、その性格や考え方といったものは、多くが作者の創造に他
なりません。(仕方ないです。誰も本当のところは知らないのですから。)
それをどう描くかというところもファンにとっては見逃せないところです。あくまで私の感想で
すが、人物の描き方においては、男性が女性を描くより、女性が男性を描く方が違和感を感じな
いように思えますが、皆さんはどう感じてますか?
前述の黒岩氏の作品の中でも、登場する女性のキャラクターに(?)を感じてしまうときがあり
ます。
やっぱり、「女性の観察力」は怖いものなのかも知れませんね。




じかん● Wed Aug 11 19:40:50 Japan 1999
おなまえ●めぐみ
メッセージ● 財前様
すみません。下は間違いです。古川薫「天辺の椅子」でした。暑さで頭が働いていません。

じかん● Wed Aug 11 18:33:00 Japan 1999
おなまえ●めぐみ
メッセージ● 財前様
津本陽の「天辺の椅子」です。
じかん● Wed Aug 11 16:11:02 Japan 1999
おなまえ●山木
メッセージ● 若林さんへ
お薦めの本を紹介していただき、本当にありがとうございます。幕末という時代が好きなので、司馬遼太郎の本は幕末を素材にしたものが多いので、何からを読めばいいのか迷ってしまいます。これから少しずつ本を読んでいきたいので、これからも紹介お願いします。
じかん● Wed Aug 11 16:07:21 Japan 1999
おなまえ●山木
メッセージ● 財前さんへ
さっそくお薦めの本を紹介していただいて本当に助かります。やっぱり幕末を舞台にした作品がおもしろそうです。「鬼謀の人」はおもしろかったので、「花神」は、より村田蔵六のことがわかりそうで、ぜひ読んでみたいです。
じかん● Wed Aug 11 12:32:32 Japan 1999
おなまえ●S水
メッセージ● JKさんへ
飛鳥から平安時代にかけて、永井路子さんと黒岩重吾さんの蘇我家と藤原家への考え方の
相違がおもしろいですね。この時代には、黒岩さんの聖徳太子(おもしろかった。なんか
当時の時代の息吹が感じられる作品だった)ではまって、黒岩さんの作品を読みあさりました。
その後、同時代をたくさん執筆されている永井さんの作品を読み始めたのですが、藤原氏が
政権を奪っていく過程が、黒岩さんとかなり異なった描き方がされているのに愕然としたのを
憶えています。残された歴史資料などから、その作者が自分なりの解釈でその時代を描いていく
のが歴史小説だと思うのですが、それぞれの考え方の相違の比較も読者としての楽しみの
一つだと思います。
 ところで、僕は本当のところ、永井さんの作品を読むまでは女性作家というのを軽視してい
ました。ところが永井さんの作品(はじまりは銀の館でした)を読み、女性の視点からみた
歴史の描き方の絶妙さに感動し、永井さんに傾倒しました。

 ところで永井路子という作家名は本名なのですか。
「永い路の子」なんてなにか歴史小説家にはぴったりの名前だと思うのですが。
じかん● Wed Aug 11 1:34:18 Japan 1999
おなまえ●JK
メッセージ● はじめまして。JKといいます。(ジュンコ・コシノではない!)
最近、念願のパソコンを購入し、やっと楽しそうなHPに会うことができました。
ぜひ、皆様のお仲間に入れて下さい。

とりあえず、自己紹介代わりに、私の好きな作家(作品)を記すことにします。
永井路子(この世をば・王朝序曲)  黒岩重吾(天風の彩王〜藤原不比等・天の川の太陽)
井上靖 (額田女王)        杉本苑子(散華〜紫式部の生涯・穢土荘厳)
その他、飛鳥から平安時代にかけてのモノは、手当たり次第といった感じです。
面白い小説などありましたら、ぜひ教えて下さい。

これから、時々おじゃますることと思いますので、どうぞよろしく。
メールアドレス jun14k@apricot.ocn.ne.jp


じかん● Wed Aug 11 0:38:51 Japan 1999
おなまえ●財前吾郎
メッセージ● 山木様
はじめまして。財前と申します。
お薦めする本、数あれど、私の一押しは「花神」です!
昔、大河ドラマにもなった司馬さんの本で、新潮文庫から上中下で出ています。
新潮文庫「人斬り以蔵」の中に収録されている「鬼謀の人」の長編版です。
面白いですよ。
(関係ないですが、この大河ドラマで土方歳三を長塚京三さんが演じてたんですよ〜)

あと「胡蝶の夢」。割と地味なのか、あまり読んだという人を聞かないです。
これも面白いですよ。登場人物のアクが強くて。
松本良順と彼の弟子、島倉伊之助が主人公。
それぞれ是非ご一読を。

めぐみ様
津本氏の作品は、タイトルは何というのでしょうか?読んでみたいような、みたくないような…。

じかん● Tue Aug 10 23:23:01 Japan 1999
おなまえ●紗綾
メッセージ●  またもや、おじゃましております。
幕末関係のお話が多いですね。でも、ここでは
ゆっくりと日本史に浸ることができてとてもうれしいです。
時間を作って本棚の本を読み返そうとうきうきしています。
また、永井さん以外でも、黒岩さんのまだ読んでいない作品も
探してこないと♪

masatoさま>レスありがとうございます。
      これからも、おじゃまするかと思いますが
      よろしくお願いします。
じかん● Tue Aug 10 20:38:04 Japan 1999
おなまえ●若林
メッセージ● 山木さん、はじめまして。
私も司馬遼太郎フリークでした。(今は落ちついている)
全部読んだわけではないのですが、一番好きなのは「酔って候」です。
幕末の脇役殿様たちの短編集です。
あのつきはなした、冷静な筆致で思わず「ぐふっ」と笑ってしまう個所多数。
「だったん疾風録」は清朝勃興時に大陸にいた日本人しょーすけのお話。
司馬氏の大好きな草原を舞台にしていて、ロマンチックでした。
「世に棲む日々」は前半は吉田松陰、後半は高杉晋作を主人公に、
長州藩だからこそ育った稀有の才能が、たった28やそこらで
燃焼しつくしてしまう様を描いています。
感動して読み終わった時しんどかったです…。
他にも好きなのまだまだありますが、長くなるのでこのへんで。
じかん● Tue Aug 10 16:22:37 Japan 1999
おなまえ●山木
メッセージ●  こんにちは。埼玉県に住む大学一年生です。僕は「燃えよ剣」を読んですっかり新撰組の魅力にはまってしまいました。土方歳三の生き様はとてもかっこいいですね。「新撰組血風緑」もおもしろいです。この2冊を通じて司馬遼太郎の本に興味を持ち始めました。最近では、「人斬り以蔵」、「梟の城」を読みました。まだこれからも司馬遼太郎の本を読んでいきたいので、お薦めの本を紹介して下さい。
 メールアドレス ryuma80@apricot.ocn.ne.jp
じかん● Tue Aug 10 12:21:16 Japan 1999
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 昨日の高知は真夏の青空が広がって、とても暑い一日でした。桂浜から見る太平洋はどこまでも青く、美しく、雄大です。何度見てもこの海の景色は素晴らしい。桂浜の駐車場は、多摩、横浜、富山、福岡、島根、京都、神戸、と県外ナンバーの車ばかりでした。いつもそうです。化粧直ししたばかりの龍馬像が堂々と立っていました。いい感じです。

市内上町一丁目、つまり龍馬の生誕地ですが、そこにあった郵便局が新たに龍馬郵便局と名前を変えて昨日オープンしました。テレビのニュースで知ったのですが、ホテルとは目と鼻の先でしたので、歩いて行って来ました。私は龍馬ブランドの氾濫(龍馬症候群)には批判的な人間なのですが、旅人となって高知に訪れると気分も少し変わってしまいます。記念に龍馬郵便局消印の入った切手の台紙を買ってきましたので、ご希望の皆様におすそわけさせていただきたいと思います。

高知は今日からよさこい祭りの本番です。やはりこれを見逃すわけには行かないので、見物してゆくことにします。(高知市内から)
じかん● Tue Aug 10 10:54:55 Japan 1999
おなまえ●S水
メッセージ● いま南北朝時代について興味があり、ここら辺の小説を読みあさったのですが、
この時代に終止符を打った足利義満関係の小説が見あたりません。どなたか
ご存じの方みえませんか。ちなみに図書館で一休宗純の小説を見つけ、もうちょっとで
読み終わるところなんですが、残念ながら最初のほうにちょっとだけ足利義満が
でてきただけでした。
余談になりますが、あの一休さんが後小松天皇の子供だったとは...。



じかん● Mon Aug 9 21:54:42 Japan 1999
おなまえ●めぐみ
メッセージ● 35度の部屋でPCに向かっています。これを書き込んだらもう退散します。うー暑い。
昨日の「知ってるつもり」見ました。ゲストの浅薄さをのぞけばこの番組にしてはいい出来と思いました。
しかしこの番組のゲストのコメント、いつもながら何とかなりませんかね。やたら泣いたり、語彙の貧困さにはあきれかえります。それに引き替えみどり夫人の語り口のなんと整っていることか。
「いつもいつも言っていました。日本は滅びる、と。」日本人を信頼してきた司馬さんもとうとうそこまで、と胸を突かれました。

「花神」私も大好きです。でもこれ以外で蔵六が評価されている作品って本当見あたりませんね。長州出身の津本陽の作品でも冷酷非道な人物として描かれておりました。現代においても蔵六を理解できなかった薩摩人のような見方をされる人なのでしょうか。
じかん● Mon Aug 9 18:38:18 Japan 1999
おなまえ●S水
メッセージ● はじめまして。「S水」と申します。1年以上前からこのホームページを知っていましたが、
本当にいいホームページですね。
これからちょくちょくおじゃまします。
私は伊勢の国は津に在住の27歳の男性です。ここは本当にいい所です。奈良まで1時間、
京都まで2時間ちょっとで行くことができます。その上、それら歴史の中心から近かったことも
あり、探せば名所旧跡がごろごろしているところでなので、適度に歴史の息吹を感じながら生活
を送ることができます。
なんとなく書き込んでいたら長くなりそうなので、今回はとりあえず自己紹介ということで失礼
します。させていただきます。

じかん● Mon Aug 9 12:29:04 Japan 1999
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 失礼、下のeditionは遼太の父from高知でした。
じかん● Mon Aug 9 12:27:07 Japan 1999
おなまえ●
メッセージ● 昨日またまた来高してしまいました。やはりどうしても夏は四国に足が向いてしまいます。神戸経由で明石海峡大橋を渡り、徳島自動車道を通って、阿波池田から高知へ入りました。いま市内の新阪急ホテルに滞在しています。高知はもうすぐよさこい祭りです。

これから桂浜の龍馬像へ詣でて来ます。高知はここ二週間ほどずっと激しい雨が降り続いていたようなのですが、今日は久しぶりに晴れています。昨夜の『知っているつもり』はとてもよく仕上がっていました。小泉純一郎というのが気に入らなかったし、松本健一も大嫌いですが、さすがにあの番組のスタッフは(日本テレビでは例外的に)優秀ですね。ほぼ私の司馬遼太郎論と同じでした。『土地と日本人』に着眼して、「日本が滅びる」予言にフォーカスしていたところも秀逸だったと思います。よく司馬遼太郎を読みこんだスタッフが番組を製作しています。

桂浜に詣でた後は、松山に回って子規記念博物館に寄って来ます。
じかん● Mon Aug 9 1:29:23 Japan 1999
おなまえ●朝海
メッセージ● 初めまして。司馬遼太郎で歴史にハマッた者です。永井さんも大好きです。
もともと歴史は好きだったのですが、高校のとき「項羽と劉邦」を読み、完全にハマリました。
大学では史学科・東洋史を専攻しました。中国にも行って、歴史の深さと世界の大きさに感動
しました。現在は、一応、歴史を次の世代に伝える、という立場に、未熟ながら立っております。
歴史って、本当に深いですよね。人間って、すごいなあとよく感じます。
また時々遊びに来させていただきます。
じかん● Sun Aug 8 23:24:38 Japan 1999
おなまえ●masato
メッセージ●
どうもしんぺいさま、財前さま、若林さま、お久しぶりですね。
札幌はとんでもない暑さですよ。今日は35度は行ったんじゃないかな。
こんなのはじめてです。甲子園と変わんないみたい。

若林さま、蒼天航路はすごいですね。原作の何とかさんが、亡くなってどうなるかと
思いましたが続いてます。最近やっと諸葛孔明も登場、これもすごいキャラクター!
好き嫌いはあるだろうけど、強烈ですね。

じかん● Sun Aug 8 18:22:52 Japan 1999
おなまえ●若林
メッセージ● おひさしぶりです
まだ三国志から帰ってこられない若林です。
横山三国志に始まり、蒼天航路(なんかすごい)、秘本三国志、
井波律子氏の著作(面白い!)、STOP劉備くん、
そしてこれから王道の吉川三国志に入ります。
>あつこさん、長いことありがとうございます。
もうちょっとしたら、お返ししますね。
>masatoさん
私も先月札幌に行ったんですけど、大阪とかわらんやんけー!!
と怒り爆発でした。。。
涼しい…というのを唯一の楽しみにしていたのに。仕事だったから。

じかん● Sun Aug 8 12:36:38 Japan 1999
おなまえ●財前吾郎
メッセージ● しんぺいさん★
そうですか。作家性でしょうか?幕府側の小説を書く方はそんな風に蔵六を扱いますね〜。
「会津士魂」の作者(早乙女貢氏でしたっけ?)も蔵六をいやらしい高官のごとく書いています。
苦笑してしまった。
私は蔵六とイネの関係の方に良さを感じるので、悪の権化といった蔵六はどうも想像つきません。
今日は「知ってるつもり」は司馬先生ですね。
竜馬がメインだと思うけど、かすって蔵六が出たらうれしいな。
ビデオ撮りです。
ところでこの番組、昔はよく歴史上の人物を特集してましたが、蔵六はやったんでしょうか?

じかん● Sun Aug 8 10:14:28 Japan 1999
おなまえ●あつこ
メッセージ● しんぺいさん、
蔵六情報どうもありがとうございました。
残念ながら読んだことがありません。
早速本屋さんへ行ってみます。

作者によって、描かれる人物が素敵になったり、
ひどい人になったりして、ホントおもしろいですよね。
意外な人にスポットがあてられたり。
私は同じ人物で、作者が違うものを読み比べるのが
わりと好きです。
というよりも、興味を持った人物が現れたら、
その人関係の作品を読みあさる、、、という癖があります。
最近では「風雲児たち」の最上徳内さんでしょうか、、、。
何かいい本があったらどなたか教えて下さい。
じかん● Sat Aug 7 22:47:40 Japan 1999
おなまえ●しんぺい
メッセージ● 財前さん、あつこさんへ

子母沢寛先生の「勝海舟」は読まれた事がありますか?
第6巻で、蔵六が登場しますよ。
読んだらきっと、子母沢寛先生が嫌いになるんじゃ
ないかなって思います。(^^;
村田蔵六、悪の権現だ・・・



じかん● Sat Aug 7 22:41:38 Japan 1999
おなまえ●しんぺい
メッセージ● こんにちわ。

明日の「知ってるつもり」は
司馬先生ですね、見なければ。
「知ってるつもり」嫌いだけど(^^;

歴史小説は、ほぼノンフィックション
時代小説は、ほぼフィックションって
簡単に思っています。違うかな(^^;


じかん● Sat Aug 7 15:58:12 Japan 1999
おなまえ●財前吾郎
メッセージ● お久しゅうございます。
すっかりご無沙汰しておりました(花神)フリークの財前です。
自分でパソコンをもつことができましたので、これからちょくちょくきたいと思います。
メール交換などやってみたいです。今後もよろしくお願いします。
週末は花神ビデオ見まくり(またかい!)の財前でした。

じかん● Thu Aug 5 23:26:48 Japan 1999
おなまえ●masato
メッセージ● 「歴史小説」は実際の歴史を元に話を膨らませたもの。当然ながら多分に想像が入るで
しょうが。
「時代小説」は舞台が現代ではない、まったくの創作もの。
といった感じじゃないでしょうか?
定義はないと思いますけど(境界はあいまいなはず)、だいたいこんなもんですよね。

日記のとこにも書きましたが、暑くて暑くてバテバテです。
じかん● Thu Aug 5 13:26:23 Japan 1999
おなまえ●あつこ
メッセージ● お久しぶりです
初めましての皆様、どうぞよろしくお願い致します。

先日本屋さんで疑問に思ったのですが、
「歴史小説」と「時代小説」とはどう違うのでしょうか?
「歴史小説」の方が範囲が広いのでしょうか?
暑さで余計に頭がこんがらがってきました。
そもそも正しい定義があるのでしょうか????
じかん● Wed Aug 4 21:02:34 Japan 1999
おなまえ●菜摘ます兒
メッセージ● はじめまして♪
菜摘ます兒(なつますこ)と申します。
今日このHPを見つけました。永井さんの作品が好きな私にはとってもうれしかったです。
永井さんの作品で好きなのは、「裸足の皇女」です。
古代の女性にはすごく興味があるので、「美貌の女帝」も好きです。
そういえば、以前、日本史の授業で使っていた問題集に、「炎環」が問題文として引用されていたこともありました。

永井さんだけでなく、司馬さんの幕末ものなど、歴史小説は全般的に大好きです。
また遊びにきたいと思います。それでは♪
じかん● Tue Aug 3 21:33:14 Japan 1999
おなまえ●masato
メッセージ● 恵美さま、ささこさま、紗綾さま、はじめまして。
このページを作ってます、masatoです。
幕末、司馬ファンにかなり押され気味のこの掲示板に久しぶりの永井さんファン
到来! うれしいです。
「茜さす」は実はまだ読んでません、永井作品にも読んでないのがいくらか残っ
ていますが、この先もう新しい作品がでないのかと思うと楽しみは先にとってお
こうかなっていう感じもあります。
いつも言ってますが、わたしの最も好きな作品が「この世をば」「美貌の女帝」
です。やはり永井作品の中では人気ありますね。
幕末パワーに負けないように永井ファンの方々の書き込み待ってます!

かく言うわたしは仕事に追われ続けてます。家のパソコンは月に1〜2回しか立
ち上がってません・・・。これも出先です。
まったく更新してませんが、どうかお許しを。
じかん● Tue Aug 3 20:05:50 Japan 1999
おなまえ●ささこ
メッセージ● 最近、いろんな試験とかも終わって一息ついているところです。
というわけで読書週間になってるんですけど、
このページをみてたら「美貌の女帝」が久しぶりに読みたくなって、
昨日読んじゃいました。
何度見てもおもしろいですね。

じかん● Tue Aug 3 0:52:25 Japan 1999
おなまえ●紗綾(さあや)
メッセージ●  はじめまして。私も永井路子さんの作品が大好きな
ファンの一人です。
 仕事をし出してからは、めっきり読む機会が減りましたが
お気に入りは「このよをば」「美貌の女帝」などです。
奈良〜飛鳥〜平安にかけての作品はどれも読み応えがあって
大好きです。
 それでは、また。
じかん● Mon Aug 2 11:17:50 Japan 1999
おなまえ●よっこ
メッセージ● 神田 類さま>送って下されば嬉しいのですが、コンピュータ同志の相性もあって、うまいこと届かないことがあるんですよね(泣)。
         でもなんか興味津々なので送ってやってみてくださいませ。アドレスは、le10475@lersews1.okayama−u.ac.jp
         です。
ささこさま>はじめまして。「大鏡」、わたしもはまりました(笑)。今、大学2回生なのですが、専攻をどれにしようか迷ってます。
       最初は中古文学にしようかなとおもってたんですけど、中世文学や近世文学もいいかな、と思ったりなどしています。
       卒論頑張って下さいね。

・・・レポートやっと全部書けました。毎日ワープロのキー叩いてました。あはは。六歌仙のひとり、遍照について支離滅裂なことを
書いてしまった。何点くらいかしらん。では、また。
じかん● Sun Aug 1 12:47:10 Japan 1999
おなまえ●ささこ
メッセージ● 永井路子さん好きの方がたくさんいらしてとても嬉しいです。
私は今22歳ですが、永井路子にはまりだしてもう10年がたとうとしています。
きっかけは本好きの祖母に「このよをば」をもらったことでした。
それからまず「大鏡」にはまり、他の永井路子作品にも手を出し、
今、卒論で「大鏡」にとりくんでいます。
「永井路子」で卒論を書くことも考えたのですが、
専攻が日本中古文学ですのでこうなりました。
でも悲しいことがありました。
歴史小説好きが私の周りにはいなかったことです。
それどころか本好きの人もほとんどいません。
というわけでここはまるでパラダイス。
すてきなホームページに感謝です。
じかん● Sun Aug 1 12:15:28 Japan 1999
おなまえ●ささこ
メッセージ● わたしはとても永井路子さんが好きです。
やふー で永井路子を検索したらここに来ました。
たまに phpのホームページで本の情報を手に入れるんですが、
そこの口コミに永井路子さんに関するものは2つしか今のところありません。
皆さんの、作品に関する書評をぜひ投稿して欲しいです。
じかん● Mon Jul 26 14:47:22 Japan 1999
おなまえ●遼太の父
メッセージ● ごめんなさい。下のeditionは遼太の父です。
じかん● Mon Jul 26 14:45:47 Japan 1999
おなまえ●
メッセージ● 土佐 − 愛される資格

司馬遼太郎の土佐(高知県)への思いは、年を追うごとに次第に変化を遂げて行きます。どういう変化かと言いますと、簡単に言えば、それまでの明るく陽気で楽観的で無邪気な土佐観が、複雑で憂鬱で悲観的で焦燥感の漂う認識と描写に変わるのです。前者は『竜馬がゆく』前後に多く書きあらわされた土佐(高知県)観で、『歴史を紀行する』などに典型的に表現されていて、一般には司馬遼太郎の土佐観はここに代表されていると言えましょう。

後者は、先に教えていただいて読んだ『土佐人の明晰さ』もそうですが、『司馬遼太郎が語る日本 』第1集に収められた講演録(たしか『竜馬を生んだ高知の風土』? というような題名の)において、より明確にあらわされています。そこでは明らかに司馬遼太郎は現代の高知県人に対して憤りと苛立ちを率直にぶつけているのです。

高知に足を踏み入れると、そこら中に龍馬があふれています。漫画の龍馬や似顔絵の龍馬が商品や店舗を宣伝する看板に大きく描かれて国道の両側に立ち並んでいます。菓子や焼酎や居酒屋やら、あらゆる種類の食品と商業店舗に龍馬の名前が使われて氾濫しています。龍馬を自己同一化している人間が無数にいて、龍馬が龍馬に対してモノやサービスを売ったり買ったりしているわけです。一瞬「高知らしいなあ」とも思いますし、土佐特有のユーモラスさを感じることもあります。しかし徐々にその感覚は変わってゆきます。

25年前に、自己顕示欲の強い九州人の武田鉄也が、場違いな衝動に走ったあたりから、龍馬のイメージが狂いはじめたのかもしれません。実像に近い龍馬像ではなく、多分にデフォルメされたコケティッシュな龍馬像が一般に染みわたるようになり、遂に(若い世代においては)龍馬は漫画で表現されるイメージが主流になってしまいました。いまその奇妙な「気分」の上で、そこら中の無遠慮な男たちが「俺こそ現代の龍馬だ」と競い合っているように見えます。中内功も
その一人であり、ソフトバンクの孫正義もそうした「龍馬症候群」患者の一人と言えるでしょう。

そういう自意識過剰の龍馬同一化現象に対して不愉快な気持ちを感じている司馬遼太郎読者は、高知県で見られる「龍馬症候群」の氾濫に対して、司馬遼太郎同様、複雑な感情を持つに違いありません。日本史最大のヒーローである龍馬が、何か不当に矮小で些末な集団によって独占され支配され、いいように取り扱われている感覚を持ってしまうのです。高知という地縁と血縁だけをその正統性の根拠として、(日本国民共通の普遍的財産である)龍馬像を好き勝手に操作されているような印象を受けてしまうわけです。

まずい饅頭やらまずい芋焼酎を勝手に作って龍馬のブランドをつけて売って欲しくない。そう思うわけです。手厳しい言い方をすれば、現代の高知県人は、まずい菓子を作っても、まずい焼酎を作っても、龍馬の名前を入れればそれでいいや、文句あるかと勝手に自己満足をして開き直っているように見えるわけです。商品だけの例にとどまらず、龍馬の名を傘にきて、高知という聖地をタテにして、自己を無理に肥大化させて見せようとする傾向がしばしば看て取れます。

司馬遼太郎晩年の土佐への濃厚なペシミズムは、愛する者、いとおしい者への苦悩の表出のように見えます。土佐人が土佐人らしい溌剌とした想像力と行動力を失い、「何をやっても全国でビリッコ」というような負け犬根性に陥り、そして歴史上の過去の栄光にすがるように気分を同一化させて自己満足に浸っている。司馬遼太郎にはそのように見えたのでしょう。そういうふうに見える現代の高知県人の不甲斐なさに対して渾身で悲しみを訴えているのです。他人事ではなく自分の肉親を思う気持ちとして。

司馬遼太郎に愛される資格。
愛された土佐人はそのことを考えなくてはなりません。(長文失礼)
じかん● Fri Jul 23 20:29:46 Japan 1999
おなまえ●神田 類
メッセージ● ☆あつこさま
 先日メールをお送り致しました。お手数ですが、ご確認下さい。
 本当に、メール遅くなってすみません。
 また、メール下さい。

☆よっこさま
 メッセージありがとうございました。よかったら、送りますよ。
じかん● Thu Jul 22 23:44:10 Japan 1999
おなまえ●galliano
メッセージ● はじめまして。
個人で書いた小説を掲載しています。
良ければ見にきて下さい (^_^)
テーマは「世界に翻弄された男(たぶん知識人)の挫折と生の模索」です。

http://www.alles.or.jp/~imai/
じかん● Thu Jul 22 14:52:23 Japan 1999
おなまえ●よっこ
メッセージ● あわわわ・・・。なんにも書き込んでないのに名前だけ送ってしまいました。ああ、あせったあせった。

最近、「西行花伝」というお話を読みました。ご存じの方もおられるかとは思いますが、辻邦生さん作

です。オビの「美に一心献上」というのがきになって思わず買ってしまいました。長いのですが一気に

読みました。西行を弟子、友人の目から描いています。私としては西行さんというよりその時代に興

味があったのでそのへんのお話も楽しませてもらいました。鳥羽院の孤独とか、崇徳院の苦悩とか・・・。

悪左府が青白い細面・・・だというくだりにひとりで喜んでいたり(重症っすね)。読んだかたがいたら

感想をお聞かせ下さいね。余談ですがあるときわたしが鳥羽院のイメージ画を妹に描いて見せたところ「おっさんじゃん!!」と

ものすごくいやがられてしまいました。でも崇徳院をかいたら「かっこいい」と喜ばれました。二人を似せて

描いたつもりなのになぜでしょう・・・。

神田 類さま>お心づかいありがとうです。拝見したいですねえ。

・・・7月いっぱいまで学校行きます。テスト&レポート地獄・・・。
じかん● Thu Jul 22 14:34:04 Japan 1999
おなまえ●よっこ
メッセージ●
じかん● Tue Jul 20 18:42:11 Japan 1999
おなまえ●めぐみ
メッセージ● 「土佐人の明晰さ」遅ればせながら読みました。土佐人論のみならず日本人に対する司馬さんの愛情、激励、叱責を感じました。最近の日本人は、というと年寄りくさいですけど、豊かな資源も国土も持たない日本の唯一の資源は人間なのですよね。勤勉な名もない庶民がたくさんいて初めて今の日本の繁栄があったと思います。
さて、ここで知った永井道子さんの「望みしは何ぞ」も読みました。司馬さんの小説とはまた違ったおもしろさですね。男子誕生を巡る悲喜劇が何代も繰り返されていくさまに引き込まれました。時代も古いだけに作家の想像を自由にふくらませることができるわけで、フィクションの部分が多いのでしょうが、小説はこれでいいのでしょうね。

じかん● Mon Jul 19 15:09:11 Japan 1999
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 土佐 − 司馬遼太郎における土佐 

司馬遼太郎にとっての土佐は、すなわち自身の血縁であり肉親であり、アイデンティティの一部であって、他の地域と同列には論じられないという意味のことを下に書きました。その問題についてもう少し深く掘り下げて考えてみたいと思います。単なる試論です。

司馬遼太郎が愛するのは、何より日本であり日本民族であると言っていいと思います。その愛情というのは、土佐への愛情とまっすぐに繋がっていると思われます。つまり(司馬遼太郎において)土佐というのは存在の本質において日本を凝縮した土地であり文化であるということです。つまり相似形の関係であります。

どういう意味でそう言えるかというと、

まず何よりも辺境という地政学的位置です。中央から遠く隔たり、中央からの影響と規定性を受けつつも、それに対して独自の文化的自己主張をする気質を持った民族性という点があります。つまり、日本史における土佐と京大阪との関係と世界史における日本と中国との関係がぴったり相似形であるという事です。司馬遼太郎は、日本史における土佐に世界史における日本を見出しているわけです。

この問題は、司馬遼太郎の思想と歴史観を考える上できわめて重要なイッシュ−であります。
極論するならば、司馬遼太郎は辺境の民族を愛する思想家なのです。

日本は世界の辺境にありました。日本の地政学的なポジショニングは、通過点でも中継地でもなく、どんづまりの僻地にあるということです。奈良はシルクロードの終着駅とよく言われますが、つまりはそこから先は太平洋の大海原しかなくて、どこへも先へ行けないということに他なりません。日本は端っこなのです。そして、海を隔てたすぐ隣りに世界文明の中心地である中華帝国がど−んとあり、そこからの文化的影響を一方的に受ける立場にありました。

土佐も同じです。土佐はどんづまりの土地であり、そこから先は太平洋の大海原しかありません。中継ができないのです。商人も旅人も、土佐まで来れば、また同じ道を引き返して帰る以外にないのです。

薩摩は違いますね。辺境ではありますが、同時に中継地でもあります。南に向えば海の向こうに琉球があり、そして(15世紀以降)その先には南蛮の地平が大いに広がりました。ザビエルはその海の道をはるばる渡って来て、最初に鹿児島に上陸したのでした。対馬国や陸奥国もそうですね。僻地ではありますが、同時に貿易外交ルートの中継点でもあるわけです。奥へ少し行けば外国があるわけです。ところが土佐だけは完全に袋小路なのです。

東アジアにおいて、世界史において、日本の位置は辺境であり同時に行き止まりの地でした。関ヶ原のときに上洛した土佐兵の風俗があまりに風変わりであったために、上方の者から野蛮視されたという話を司馬遼太郎はよくしています。戦国ものの作品のなかによく出てきます。古代日本が同じでした。倭人というのは背骨がひん曲がったまともでない人間という意味です。聖徳太子以前の日本は中華思想の序列観念において末席に近い卑しい扱いでした。

しかしその日本が、平安後期から鎌倉以降、独自の進化と発展を遂げて、遂に19世紀末、アジアで最初の近代国家として世界史の桧舞台に躍り出ることになります。土佐もまさしく同じでした。幕末において日本史の表部隊に一気に飛び出して、キラ星の如く多くの優秀な先見的人材を排出して近代日本をリードしてゆきます。わずか三百年前に京大坂の人々から蛮族の如く蔑視されていた土佐人が、龍馬・慎太郎を出し、枝盛・兆民を出し、自由民権運動を強力にリ−ドして行く存在となるのです。

司馬遼太郎にとって辺境の民族である土佐は、まさしく愛すべき日本そのものの愛くるしい原型だったのです。だから司馬遼太郎は土佐が好きなのです。(長文失礼)
じかん● Sat Jul 17 11:28:31 Japan 1999
おなまえ●めぐみ
メッセージ● 旅順は私もぜひ行ってみたいと思います。札幌から瀋陽に直行便があるのでそこから入れないかなあ、などとぼんやり考えております。
現地で旅順港や二百三高地の戦略的重要性などを再認識してみたいものです。当時のものはほとんど残ってないようですが、水市営の会見跡などは復元どころか日本人向けに建てられたとも聞いています。でも物見遊山では叱られそうですね。
日露戦争の戦跡が観光名所化するなんて最近まで考えられなかったのではないですか?「坂の上の雲」と司馬さんの逝去の影響が大きいようにも感じられますが。
じかん● Fri Jul 16 20:10:28 Japan 1999
おなまえ●あつこ
メッセージ● 遼太の父さま
できるならば、公の場ではなく、
個人的に遼太の父さまと
許されるならば、メールでお話したく思います。
私のアドレスは
orochon@aurora.dti.ne.jp です。
メールを頂けますか?もしくは、アドレスを教えて頂けますか?
じかん● Fri Jul 16 17:01:45 Japan 1999
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 下の記事は遼太の父のeditionです。失礼。
じかん● Fri Jul 16 16:59:26 Japan 1999
おなまえ●
メッセージ● あつこ様 - これはどうも失礼いたしました。

私も『坂の上の雲』を読んで旅順に行きたくなりました。純粋な自然な気持ちでそう思いました。本当です。7年ほど前のことです。当時旅順はまだ閉鎖区域で、写真はおろかほとんど情報らしい情報も無かったように思います。

「坂の上の雲」を読んだ人が、旅順を「聖地」としてみるでしょうか。

前傾HP『旅順要塞を見に行こう』では、その冒頭に、

中国東北の大連の近くにある旅順要塞の戦跡は、日露戦争の時、死傷6万人の日本人の血を吸った場所として、日本人にとっては聖地にも等しいものです。

とあります。もう一つ典型的な例として下記のHPをぜひお読み下さい。

http://www.mars.dti.ne.jp/~yotumoto/nisin-nitiro/nisiniti.html

そしてあつこ様のご感想を(できれば)おうかがいしたく存じます。福山市在住の62歳の方が製作された充実した内容のHPです。この方もすでに旅順を訪れていて、旅順紀行を掲載されておられます。 おそらくお二人とも、

日本を、その歴史を含めて大事にしたい

という気持ちでは、あつこ様と全く同じなのです。人間の「自然な気持ち」というのは厄介なものです。

司馬遼太郎は『坂の上の雲』の映像化を、生前、固く固く禁じました。いまみどり夫人がその戒めを守って、映像化を企む者たちの策謀から『坂の上の雲』を守っています。司馬遼太郎がそれを禁じたのは、ミリタリズム(軍国主義)の宣伝に利用されることを懸念したからでした。
じかん● Fri Jul 16 16:18:41 Japan 1999
おなまえ●あつこ
メッセージ● 遼太の父さま
「坂の上の雲」を読んだ人が、旅順を「聖地」としてみるでしょうか。
日本を、その歴史を含めて大事にしたいと思う気持ちが、
そのように理解されると少し困るかも、、、。
少なくとも私は、「敦煌」を読んで敦煌に行きたくなったのと同じように、
「坂の上の雲」を読んで旅順に行きたくなりました。
歴史小説の舞台に行きたくなる、自然な気持ちからです。
じかん● Fri Jul 16 9:38:03 Japan 1999
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 旅順 − また旅順ですか。うらやましいなあ。何度も。

検索エンジンを回して遊んでいたら「旅順要塞を見に行こう」という物凄いHPを見つけました。いるんですね、こういう人が。大いなる情熱に脱帽です。
http://www.asahi-net.or.jp/~MZ3M-YMN/index.html
私は未だ旅順へは行ったことはありませんが、これを見るといろいろと思いは複雑です。それは中国政府側の意図と現在の日中関係についての問題ですね。思うところを少し書きます。

まず一つは、中国政府は旅順を日本人観光客のための重要な観光資源と位置づけて、旅順観光事業を大きく育てようとしている事ですね。万里の長城や桂林あたりはそろそろ第一次需要分をカバーしたから、それに続く観光商品の一つとして旅順を売り出そうとしているということではないでしょうか。聞き及ぶところでは、旅順市内に外国人観光客が宿泊できるホテルが一軒だけあるようですが、市内を自由に歩き廻ることはまだできないようです。大連からの日帰りパッケージが一般的なのでしょう。

二つ目は、旅順あるいは遼東半島というのは中国サイドにとっては歴史的政治的に複雑な土地で、場合によっては、復た再び旅順が外国人立入禁止区域に指定される可能性もあるのではないかと私は考えています。江沢民が昨年訪日したとき、現在の日本の右傾化と軍国主義復活の状況に対して深刻な懸念を表明したのはまだ新しい記憶です。遼東半島は日清戦争後の下関条約で日本が清国から割譲させ、その後三国干渉に遭って返還を余儀なくされたところにロシアが侵出して日露戦争に至る因縁の土地です。

中国政府としては、日中が平和友好関係を維持しながら、過去の歴史的遺品として、つまり西安や敦煌のような形で旅順がマイルドな観光地となることを望むのでしょうが、『坂の上の雲』でナショナリズムを覚醒された日本人の意識においては、それは西安や敦煌と同じ意識レベルの観光対象にはならないないわけです。つまり近代日本の自己確立における流血の聖地というポジショニングがあります。難しいところです。何と言っても「抗日解放」が現在の人民中国の原点であり、国家のアイデンティティのコアですからね。国家と民族のアイデンティティとイデオロギ−が錯綜して衝突する土地なのです。
じかん● Thu Jul 15 16:59:47 Japan 1999
おなまえ●あつこ
メッセージ● 今年の夏も旅順へ行ってきます!
203高地から旅順港を見下ろすのです。
気分はもう児玉源太郎だ!!
じかん● Mon Jul 12 9:08:48 Japan 1999
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 土佐 - 『土佐人の明晰さ』を読む

遅まきながら、さくら様と蒼龍窟さんお奨めの『土佐人の明晰さ』を読みました。だいたい予想どおりと言うか、なるほどという感じの内容でした。

いずれ詳しく議論を掘り下げてみたいところですが、この講演録で書かれているのは(ここだけではないのですが)、土佐=高知県に対する憂国(憂県?)の情ですよね。悲憤と言うのでしょうか、土佐の貧しい現実に対する深い悲しみと、何とかできないのかという歯噛みする悔しい思い、そして再起への願いと訴えですね。

司馬遼太郎にとって土佐は特別の土地です。それは薩摩や長州や会津と同じ列には並ぶものではありません。愛情の質が異なっています。それは肉親への愛情なのです。特別の地、作家司馬遼太郎の魂の故郷のような空間です。薩摩や長州は、司馬遼太郎の人格と思想にとって、言わば自己の外側にある「対象」の存在でありますが、土佐はそうではなく、司馬遼太郎のアイデンティティと不可分一体のものなのです。

その現代土佐人の劣弱さ、落ちこぼれぶりに対して悲しみ憤っているのですね。さらに落ちこぼれたコンプレックスを(現実の産業や教育レベルで克服しようとするのではなく)ひたすら過去の英雄である龍馬に頼りすがって「龍馬、龍馬」と騒いで自慰に耽っている高知県人に対して、絶望しているのです。つまり「明晰さ」を失った現代の高知県民に対して「昔の土佐はそうではなかったぞ」と言っているのですね。
じかん● Sun Jul 11 14:21:38 Japan 1999
おなまえ●京子
メッセージ● 私も永井路子さんの大ファンです。歴史小説の好きな人というと大概ご年配の方が多いので、
自分と同世代(私は43年生まれです。)の方、しかも男性の方が、このようなHPを開いていらっしゃる事に、びっくりすると同時に感激しました。随分本を読んでいらっしゃいますね。
私も小さい頃から、歴史が好きで、大学も史学科で日本史を学びました。ちなみに大学は、
私が歴史好きになる、きっかけを与えてくれた永井路子さんと同じ大学です。
今は、心ならずも、歴史とは、何の関係もない職業について、休憩時間中に仕事に関係のない
本を開いているのも憚られる状態で、読書はほとんどできませんが、それでも本好きの人間
の悲しさで、面白そうな本を見つけると、ついつい手が伸びてしまいます。
じかん● Thu Jul 8 12:02:51 Japan 1999
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 世に棲む日日 − 司馬遼太郎の革命観

松陰は革命のなにものかを知っていたにちがいない。革命の初動期は詩人的な予言者があらわれ、「偏僻」の言動をとって世から追いつめられ、かならず非業に死ぬ。松陰がそれにあたるであろう。革命の中期には卓抜な行動家があらわれ、奇策縦横の行動をもって雷電風雨のような行動をとる。高杉晋作、坂本竜馬らがそれに相当し、この危険な事業家もまた多くは死ぬ。それらの果実を採って先駆者の理想を容赦なくすて、処理可能なかたちで革命の世をつくり、大いに栄達するのが、処理家たちのしごとである。伊藤博文がそれにあたる。

文春文庫版(二)148ページ

『世に棲む日日』の主題を一言で凝縮したような文章がこの部分ではないでしょうか。日本の明治維新だけでなく、世界の革命史において、かなり普遍的に妥当する理論的命題のように思われます。すなわち、

ロシア革命における @ マルクス A レーニン B スターリン、
フランス革命における@ ルソー A ロベスピエール B ナポレオン、

第一世代である「詩人的な予言者」は「世から追いつめられ、かならず非業に死ぬ」のだそうです。私は、以前は第二世代の人間に憧れていましたが、きっといま必要なのは「非業に死ぬ予言者」なのだろうと思います。
じかん● Tue Jul 6 23:48:36 Japan 1999
おなまえ●galliano
メッセージ● 個人で書いた小説を掲載しています。
良ければ見にきて下さい (^_^)
テーマは「世界に翻弄された男(たぶん知識人)の挫折と生の模索」です。

http://www.alles.or.jp/~imai/

じかん● Tue Jul 6 9:18:17 Japan 1999
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 長州 − 松陰の晋作への手紙

ようやく、蒼龍窟さんのおっしゃられた「手紙」について確認する事ができました。江戸に東送されて伝馬町の獄につながれた安政六年の七月に晋作に宛てて出したもののようです。

貴問に曰く、丈夫死すべき所如何。僕去冬以来、死の一字大いに発明あり、李氏焚書の功多し。其の説甚だ永く候へども約して云はば、死は好むべきにも非ず、亦悪むべきにも非ず。道尽き心安んずる、便ち是れ死所。

世に身生きて心死す者あり、身亡びて魂存する者あり。心死すれば生くるも益なし、魂存すれば亡ぶるも損なきなり。

李氏というのは李卓吾。明末の急進的な陽明学者です。焚書とあるのは李卓吾の著書。知られているように松陰は陽明学に大きく影響を受けていて、特にその知行合一の思想、理論と実践の統一のテーゼに激烈に身を捧げた思想者でありました。あの大塩平八郎も陽明学徒の一人ですね。河井継之助もそう。幕末陽明学の知行合一は、己の肉体もろとも体制の矛盾や不正に体当たりして爆裂させてゆく個性を生み出し続けます。

めぐみ様、篠田松陰のお話ありがとうございました。「人生には春夏秋冬がある。短くても長くても秋にはみな実を結ぶ。私の実はどんな実か、それはわからないが」。いいですね。蒼龍掲示板の亡国論ではありませんが、国なり社会なりの変革と再生について一筋の道筋があるとするならば、それはやはり、まず一人の松陰(なり平八郎なり)が出て、この世の矛盾と閉塞に身を激突させて粉砕する事からかな、と思ったりします。三島のことを思い出すのはそういう心情からであったりします。東京は梅雨空が続いています。
じかん● Mon Jul 5 17:50:23 Japan 1999
おなまえ●めぐみ
メッセージ● 遼太の父さんへ
『留魂録』いいですね。大河ドラマ「花神」で、篠田三郎扮する松陰が、「人生には春夏秋冬がある。短くても長くても秋にはみな実を結ぶ。私の実はどんな実か、それはわからないが。」と語り、何をかくそう私はその言葉に感動して司馬文学の世界に入ったのでした。まさしくその言葉は、この留魂録の口語訳だったのですね。

じかん● Mon Jul 5 10:10:40 Japan 1999
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 長州 − 松陰『留魂録』における死生観

蒼龍窟さんがご指摘になられた、

・生きて大業を為す見込みがあればいつまでも生きていたらよい
・死して不朽の見込みがあれば、いつでも死んだらよい

その松陰の言葉を見つけ出すべく、手持ちの山口県教育委員会刊『吉田松陰』を読み直してみたのですが、ちょっと分かりませんでした。ちなみにこの本は、7年前に萩を旅したときに松下村塾そばの松陰歴史館で手に入れたものです。そのかわりに、処刑二日前(安政六年十月二十五日)に書かれた『留魂録』の中で、松陰の死生観が凝縮して表現されている個所を見つけました。『留魂録』は、松陰の辞世とされている有名な一句、

身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂

が冒頭に掲げられた遺書的な文書です。

今日死を決するの安心は四時の順還に於て得る所あり。蓋し彼の禾稼を見るに、春種し、夏苗し、秋苅り、冬越す。秋冬に至れば人皆其の歳功の成るを悦び、酒を造り醴を為り、村野歓声あり。未だ曽て西成に臨んで歳功の終るを哀しむものを聞かず。吾れ行年三十、一事成ることなくして死して禾稼の未だ秀でず実らざるに似たれば惜しむべきに似たり。然れども義卿の身を以て云へば、是れ亦秀実の時なり、何ぞ必ずしも哀しまん。何となれば人寿は定りなし、禾稼の必ず四時を経る如きに非ず。十歳にして死する者は十歳中自ら四時あり。二十は自らニ十の四時あり。三十は自ら三十の四時あり。五十、百は自ら五十、百の四時あり。(中略) 義卿三十、四時已に備はる、亦秀で亦実る、其の秕たると其の粟たると吾が知る所に非ず。若し同志の士其の微衷を憐み継紹の人あらば、乃ち後来の種子未だ絶えず、自ら禾稼の有年に恥ぢざるなり。同志其れ是れを考思せよ。

「禾稼」とは収穫あるいは完成の意味でしょうか。人間の生には春夏秋冬がある。誰の人生にも四季がある。短くても長くても一人一人の生にそれが与えられている。この松陰の死生観は司馬遼太郎の死生観そのものとなって継承され、司馬遼太郎が正岡子規の生と死を論じるときに繰り返し使われた表現ですね。NHKの『太郎の国の物語』のなかでもこの話が語られていたように思います。

それにしても松陰の文章は本当に素晴らしい。読むほどに感動で胸が熱くなります。「同志其れ是れを考思せよ」。その「同志」の端くれに連なっていたいと心の中で念じています。
じかん● Sun Jul 4 19:24:20 Japan 1999
おなまえ●さくら
メッセージ● やっと読みました。
「望しは何ぞ」を読みました。
おもしろかったです。権謀の世界ってすさまじい!!ですね。
それにしても平安朝の庶民って、ああいうお偉い人たちの政策のもと
どんな暮らしぶりだったのかしら?と思います。
不勉強なので赤面ものですけど素朴な疑問です。
個人個人でたくさんお役所を持っていて
肩書きだけの人もたくさんいて
(しかも生産性のない人に給料が転がり込んでゆく。)
いったいどんな感じだったのか?
通い婚があって奥さんの実家の権勢と言いますけど
経済的にどうなって一家が成り立っていたのか
いつも考えてこんがらがってしまいます。

それにしても、平安朝三部作はすごいですね。
登場人物の様々な心情や様子や背景を
文章で表現し説明できることだけでもすごいなあ。
じかん● Sun Jul 4 14:41:10 Japan 1999
おなまえ●おたか
メッセージ● お久しぶりです。

さくら様>ちょっと古い話ですが、蒼龍窟さんと継之助談義に花を咲かせたとか。
面白そうですね〜。そうゆうif話って、しょうもないと知りつつも夢中になっちゃうんですよね。
私の場合、小説よりも会話で語り合う方が断然面白いです。どうしてでしょうね?

しんぺいさん!これまた懐かしい名前が・・・!お元気でしたか?

 この間、ついに日暮里の二重羽団子食べました!大変モチモチしてて、歯科矯正中の私には辛かった。
来年早々には矯正装置が取れるので、再度挑戦しようと思ってます。
帰り際、谷中霊園にある慶喜さんの墓参りや、??寺にある高橋雪舟や勝海舟の墓参りも
してきました。歴代徳川将軍家の墓もあるはずなんですけど、なんせ方向音痴なもので、
よくわかりませんでした。どこにあるんでしょう??
 司馬さんの文章には、とても懐が深くて優しさ感じます。色々な考え方を許容してくれるってゆうか。
そんな人間司馬が、私は好きなんじゃないかな?とも思う今日この頃です。

じかん● Sun Jul 4 0:32:39 Japan 1999
おなまえ●
メッセージ● ただ今、「街道を行く」を読んでいます。司馬さんの文章を読むと、日本の自然、歴史に対して、国粋主義でなく、相対的な意味での良さを再確認させられます。いろんなところで、最近そう思うことが、私自身あるので・・・。
初めて書き込みました。よろしく。
じかん● Sun Jul 4 0:27:25 Japan 1999
おなまえ●sumire
メッセージ●
じかん● Sat Jul 3 22:03:13 Japan 1999
おなまえ●りょうくん
メッセージ● お久しぶりです。りょうくんです。さて僕は今、永井路子さんの小説「茜さす」を読んでいる
のですが、司馬さんと比較するとあまりの違いに驚いています。司馬遼太郎は、ある程度
物事を断定するのですが、永井さんは読者に考える余地を与えているようです。やもすると
その事柄については断定はしないといった節もあります。実例を上げれば額田王をめぐる恋愛
模様などは、あまりにはっきりしないのでやきもきしました。(^^ゞ

けど、逆にそれも考え方なのかなぁと素直に思う事にしました。小説の中の主人公は、もしか
したら永井路子その人なのかな?とも思ったのですが・・・。そうそうそれとやっぱり影響
されまして、高校以来なのですが図書館へ行って万葉集を借りてきてしまいました。上代の
人間感覚も現代とさほどかわりはないかもしれない。むしろ万葉集をとうして1000年以上
前の人物が偲べるという点においては、日本人として「嬉しい」と言うほかはないと思いまし
た。


りょうくん

E-Mail:samu05@muc.biglobe.ne.jp