1999年4月から6月分の掲示板です
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じかん● Wed Jun 30 19:05:56 Japan 1999
おなまえ●しんぺい
メッセージ● >坪内さん
>大河ドラマ「琉球の風」の 小説を探しています。
陳舜臣、講談社文庫です。
じかん● Wed Jun 30 12:39:51 Japan 1999
おなまえ●垣内 貴志
メッセージ●
僕は、二十歳の学生です。今、7年前に放映された、大河ドラマ「琉球の風」の
小説を探しています。著者を忘れたので、著者を知っている方は、メールを下さい。
アドレスは、d295006@st.hiroshima-cmt.ac.jpです。後、忠臣蔵に関する事を
何でも教えて下さい。
じかん● Wed Jun 30 12:27:09 Japan 1999
おなまえ●めぐみ
メッセージ● 二万人達成おめでとうございます。
時間がないのでひとまずこれだけ。
じかん● Tue Jun 29 21:26:05 Japan 1999
おなまえ●くろうさぎ
メッセージ●
よっこさま>早速「天上の虹」見ましたよ。私も紀ィっ呼び方
結構好きです。でも、またでるまで長いこと待つ
のでしょうか。
祖母の遺品を整理していたら、榎本武揚直筆の掛け軸というのが
でてきました。でも、鑑定団ファンの私としては後からとってつけた
ような箱があやしくて、9割方にせものではないかと思っています。
でも、ちょっと期待しているところもあって、ねだって私がもらうこと
にしました。一応大事に持っておきます。
じかん● Tue Jun 29 14:58:31 Japan 1999
おなまえ●よっこ
メッセージ●
久しぶりです。来週は国文演習の発表があってレジュメ作成に
追われています。上田秋成の文学です。初めての発表なのでド
キドキですが頑張ります。
くろうさぎさま>はじめまして。「天上の虹」読まれましたか?
私は発売日に書店に立ち寄りゲットしました^_^。
個人的には「紀イ」っていう呼び名がいいなあ、と
思ったのですが・・・。
神田 類さま> 物を書かれるのですか?どういった類のものを
お書きなのでしょう?私も物を「描い」たりは
するのですが・・・。
今、四鏡のひとつ、「今鏡」を読んでいます。平安時代の後期から末期
にかけての歴史を記したものです。大鏡は「この世をば」でもおなじみ
道長さんのころのことを書いたものですよね。増鏡・大鏡は見かけやす
いのに、今鏡はなかなか見つかりませんでした。やっぱりマイナーなん
でしょうかねえ。
じかん● Tue Jun 29 8:38:49 Japan 1999
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 長州 − 「長州の女」と松陰の純潔
今回は長州論を一つ。司馬遼太郎の歴史作品だけを唯一の知的資源として歴史をあれこれ議論するのは、あまりに無謀であり、かつまた危険であるとは思うのですが、吉田松陰が何故にあのような巨大な思想的カリスマとして影響力を残し得たのかという問題についての若干の感慨です。
司馬遼太郎が書いているもののなかで覚えているのですが、
薩摩の酒、長州の女、土佐のおだて、
というのがどこかにありました。つまり、薩摩の男はみな酒に弱く、長州の男はみな部類の好色で、土佐の男はおだてればすぐに舞い上がるという話です。この小話のなかで中心的な主題はおそらく「土佐のおだて」なのだろうと思いますが、その話は置いておいて、長州の好色についてです。
「長州の女」といわれて、やはり念頭に上がるのは、高杉晋作と伊藤俊輔の二人でしょうか。詳しくは知りませんが井上聞多などもそういう軽薄な感じがしますね。伊藤の生涯を通じての女好きはあまりにも有名です。最近の例では菅直人の失態がありますね。桂も晋作と同じように、革命下の白刃のさなかでせっせと幾松と浮名を流す色男でありました。一方、彼らが師と仰ぐ松陰は生涯独身で、最後まで身辺に女性を近づけませんでした。
松陰が女性を頑なに拒絶したのは、これは私の想像ですが、思想的な潔癖を貫徹するために「肉体的快楽」の享受を拒絶したためであろうと思います。玉木文之進の強烈な思想的スパルタ教育によって、読書中に蚊が顔を刺すのを払う事さえ「私であり公ではない」と厳しく戒められて育った松陰にとって、男女の性行為の快楽など、まさに「私中の極私」として絶対的に排斥されるべき対象だったに違いありません。
快楽と情動の虜になって「私」の泥沼に陥り、「公」を忘却することを松陰は恐れたのではないか。つまり志に向かって邁進するべき自己を挫かせる危険な誘惑的毒素として「性」を捉え、それを忌避したのではないかと思うわけです。松陰の宗教的なまでの精神の純粋さがそこにあります。
革命長州の男たちは、毎夜毎夜、茶屋やアジトの布団の中で情事を堪能しながら、きっと純潔のまま短い生を終えた松陰のことを思ったのではないでしょうか。自分たちはこうして毎夜男子の生を謳歌している。いつ死んでも悔いはない。しかし松陰先生はそれを知ることなく亡くなられた。そういう思い、松陰に対する(性的肉体的な)罪の意識、贖罪の意識がいつもあったのではないかと思います。松陰が長州志士たちの革命のシンボルとなるにおいては、そういう「好色」と「純潔」というコントラストとパラドックスが微妙に作用したのではないかと私は考えています。革命長州の心理的思想的エポックとして。
じかん● Mon Jun 28 9:18:15 Japan 1999
おなまえ●遼太の父
メッセージ● NHK『シルクロード』の頃
NHKの『シルクロード』の放送時期を正確に特定しようと思って検索エンジンを動かしてみたのですが、結局よく分かりませんでした。思い出話風に言うと、ちょうどその頃、七○年代の末だと思いますが、日本国内で大ヒットした二つの歌謡曲がありました。一つは久保田早紀の『異邦人』、もう一つはゴダイゴの『ガンダーラ』です。二つとも詞も曲もとても素晴らしくて、歴史に残り、記憶に残り、長く愛聴され続けている名曲です。
二つともシルクロードをテーマにした唱です。
その当時、NHKの『シルクロード』が放送され、『異邦人』や『ガンダーラ』が街中に流れて、日本人の心が「シルクロード」一色で染め上げられた時期がありました。日本人の心の中に古くからある西域への憧れが、映像と音楽の刺激によって蘇生するように前面に押し出され、感覚的に増幅されてゆき、中国・シルクロード観光のブームが始まりました。またこれまで対欧米の関係としてのみ捉えられていた日本人にとっての「世界」の意識が、はじめて本格的にグローバルな視野を持ち始めたのがこの頃でした。
市場へ行くひとの波に身体をあずけ
石畳の街角をゆらゆらと彷徨う
祈りの声、蹄の音、歌うようなざわめき
私を置き去りに過ぎて行く白い朝
これは『異邦人』の歌詞の二番なのですが、素晴らしいですね。特に私は、
祈りの声、蹄の音、歌うようなざわめき
この部分の写実的な観察が見事だと思います。今では誰でもそのイメージ(中央アジアイスラム世界の日常空間)を容易に浮かべることができますが、当時の日本人にとってはきわめて新鮮で衝撃的なイメージでした。七○年代前半までは、イスラム世界の映像など、(外国の風景として)テレビでほとんど見たことが無かったからです。
『ガンダーラ』もタケカワユキヒデ渾身の大傑作ですが、この曲を聴いて思い出すのは、やはり夏目雅子の美しかった姿ですね。美人薄命。
じかん● Mon Jun 28 0:01:13 Japan 1999
おなまえ●りょうくん
メッセージ●
お久しぶりです。さて最近私は、この掲示板の薩摩論に感化されたのでしょうか?みなさまの
影響から早速、「翔ぶが如く」を買い読んでいます。日本の近代国家設立がいかに作られたの
か楽しみです。それから、永井路子さんの「茜さす」を買ってストックしております。(^^ゞ
上代の歴史と永井路子さんの歴史観に触れてみたいと思ったからです。どちらもまだ読んでな
いのでなんとも言えませんが少しずつ読んでいこうと思います。
じかん● Sat Jun 26 17:19:49 Japan 1999
おなまえ●さくら
メッセージ● おそまきながら。。。。
蒼龍窟さんから
「土佐人の明晰さ」の出典は週刊朝日の「未公開講演録愛蔵版V司馬遼太郎が語る日本」
なのだと教えていただきました。
じかん● Sat Jun 26 17:09:35 Japan 1999
おなまえ●あつこ
メッセージ● 先日、奈良の市立美術館へ
「三蔵法師の道」という展示を見に行きました。
インドから中央アジアをへて中国まで、
現地からやってきた仏教美術も見事でしたが、
最後にTVドラマの「西遊記」が大きなスクリーンで
流されていたのにはひっくり返りました。
おまけに手塚センセの「悟空の大冒険」のアニメまで。
あれは必要だったのか私には疑問です。
しかし、中央アジアの地名は不思議に心惹かれる地名が
たくさんありますね。旅情をかきたてられます。
じかん● Fri Jun 25 13:25:43 Japan 1999
おなまえ●R-call
メッセージ● はじめまして、R-callです。
ちょうど永井路子の「望みしはなにぞ」を読み終わったばかりです。
永井路子さんの歴史小説が大好きで、「王朝序曲」「この世をば」との3部作に感動しています。一番好きなのは、「この世をば」でいままでの冷徹な権力者として描かれていた彼の意外な気弱さや人間臭さです。
それから、私は大の北方謙三歴史小説ファンです!
掲載されている作家さんが私の好きな方ばかりなので思わず書き込みさせていただきました。
私のHP内の本の掲示板にも何冊か北方謙三さんの作品を書き込みました。よろしければ、遊びに来て下さい。
E−mail MXG01147@nifty.ne.jp
http://member.nifty.ne.jp/r-call/
書いてから気がつきましたが、下の方に片割れが書き込みしていました。
ハンドルネームを見るとお分かりになるかと思いますが、ともどもよろしくお願いします。
じかん● Fri Jun 25 11:10:46 Japan 1999
おなまえ●蒼龍窟
メッセージ● その点に関して
これから日本に対する危惧ですが”滅亡”とは行かないでしょうが,全員
平等な産業形態は”崩壊”するでしょうね.これは遼太の父さんのいわれて
いる現状から容易に推測できます.高校生などの勉強時間をとっても,現在の
日本は全世界で最低レベルだそうですから・・・.
でもその一方で,ゆとりの時間を独学に費やす流行に流されない・群れない
・目立たない孤独な青年達がいます.司馬さんが懸念していた”日本はこのま
ま行くと少数の優れた人たちが動かす国になる”に該当する人々でしょうか.
”丹精込めて自分を建設している”人のみが生き残ることが出来る時代になる
のでしょうから.遼太の父さんの指摘の青年たちまたはその両親に司馬さんの
危惧の意味,自分を建設することの意味が届かない場合は,ドライですが,
その点に関しては諦めるよりほかないのでしょう.
”精魂込めて自分を建設しろ.ビルを建設するように自分を建設する以外に,
生きていく道はない.”(司馬遼太郎”土佐人の明晰さ”より)
じかん● Fri Jun 25 10:30:48 Japan 1999
おなまえ●遼太の父
メッセージ● めぐみ様
リプライどうもありがとうございます。
私、これまでずっと昔の人は今と比べて物理的な寿命が短かったのだと思っていました。ですが最近、少し考え方(=歴史認識)が変ってきました。個体としてのヒトの生理的肉体的寿命というのは、どうも時代に関係なく歴史普遍的に一貫しているのではないかという考え方が頭をもたげるようになりました。
確かに医学の発達のおかげで、現代人は総体的にこれまでの人間よりも物理的に長生きしているのは事実だろうと思います。しかしたとえば歴史の本を読むと、70歳まで生きた人間や、80歳まで生きた人間はたくさん出てきますよね。貝原益件とかですね。私は、現代人の総体的寿命が伸びているのは、医療技術と医薬技術のおかげで、「(本来死ぬべきところを)長生きさせられている」のだろうと思っています。
私は以前は、人間の個体(生物体)そのものの構造や機能が変容(=進化)して、個体にとっての年齢の生物学的意味が変化するのだろうと考えていました。つまり日本人男性の平均身長が160cmから170cmに伸びたように、(個体的レベルで)昔の人の20歳が今の人の30歳に変わったのだろうと考えていました。
でも、それは違いますね。
自分が年をとるとそれがよく分かります。昔も今も40歳は40歳です。同じです。何ら変わるところはありません。「意味」だけが勝手にチェンジしているのです。平均寿命が伸びている事実を、人間の内的自然の変化、すなわち進化のように考えてはいけないなと最近は思っています。現代はみんな80歳まで生きる時代なんだから人生80年の長いプランでライフステージを考えなくてはいけないというのが今の常識ですが、それは少し違うのではないかと思います。もっと言えば間違った観念ではないかと思います。
その考え方が妙に作用して、何やら日本の青少年を徒に甘やかして、彼らをいつまで経っても赤ん坊のままでほったらかしているように私は思うのです。「今は昔と違うから」と言うのは大人の口癖なのですが、それを言う前に、もう一度本当に今と昔が違うのか考えてみる必要があると思います。人間はやはり20代になったら社会を支えるべく働いて貢献するべきなんです。それまでに学習と技能修得によって自己を確立させておくべきなんです。いつまでもダラダラ甘えて親や社会のスネを齧り続けるのは、本人にとってもよくない事である筈なのです。(要領を得ないお返事ですみません)
じかん● Fri Jun 25 9:24:35 Japan 1999
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 蒼龍窟 様、
”生きて大業を為す見込みがあればいつまでも生きていたらよい.
死して不朽の見込みがあれば,いつでも死んだらよい”と言う奴です.
晋作もそうでしたが,小五郎も”不朽のみこみなし”と思ったのか,
そのような 場面ではためらいなく逃げていますね.
いいお話ですね。どうもありがとうございます。
できれば、龍馬のように、死ぬときでも前のめりに倒れて死にたいというのが、これまでの(私の)基本姿勢ではあり、それは今でも同じではあるのですが、..最近、どうもそれに少し別の思いが混じってくるようになりました。
このところ思うのは三島由紀夫のことだったりします。事件があったのは私が中学校1年の秋でした。三島はそのとき45歳。三島の思想も行動もよしとはしませんが、彼の日本と日本人への悲観なり絶望なりは、本当にそのままそっくりの形で今日リアライズしてしまったように思います。
女子中高生が小遣い銭欲しさに堂々と売春遊びをし、制服姿でガニ股で街を闊歩ながら煙草を吹かし、それを周囲の大人たちの誰もが注意しない。キレたと言っては教師をナイフで刺し殺し、先生なんで人殺ししてはいけないんですかと公然と質問して憚らない。学力は下がる一方なのに、文部省はこの上なお「ゆとりの教育」だの「個性重視」だの「詰め込み教育の反省」だのと言って、教科を減らし、遊べ遊べと「総合学習」を駆り立てる。バカな大学教授たちはそれを「脱近代」だなどと言って煽り立てる。
生きにくい時代になりました。
こういう(どう考えても異常な)時代は、いつかピリオドを打たれる日が来るだろうと私は思います。それはやはり「滅亡」というイメージ以外に想像ができません。どういう形の滅亡なのだろうかと思いますね。戦後日本がそれなりに成功したのは、太平洋戦争で大量に死んだ犠牲者たちの存在があったからなのでしょう。大量に人が死なないと、人口の5%くらい(太平洋戦争の日本人犠牲者300万人)が非業の死を遂げて、残りの95%の人間がその悲劇を見て生き方を変えることを決意しないと、国や社会が新しく生まれ変わるということができないのではないのかなと思ったりするわけです。
じかん● Thu Jun 24 20:40:21 Japan 1999
おなまえ●めぐみ
メッセージ●
BS司馬さん特集をビデオでみました。長すぎてポイントがぼやけてしまったように思いました。結構最後まで見るのが苦痛だったりして。でも四国って本当にいいところみたいですね。私は高松と徳島しか行ったことがなくて、あまり印象が強くなかったのですが、ぜひ土佐と伊予を訪れたいものです。
遼太の父さんのおっしゃることもよーくわかります。それにしても当時の人は寿命も短かったぶん成熟も早かったのでしょうね。晋作は25歳くらいで藩を動かしていたわけですよね。幕末の志士たちはだいたい20代で大きな仕事をしているのに引き替え、私たち現代の日本人のひ弱さを思い知らされます。30歳になってやっと自立するような現代人は、仕事ができるようになったらもう60歳、というのもむべなるかな、でしょうか。
じかん● Thu Jun 24 18:33:34 Japan 1999
おなまえ●蒼龍窟
メッセージ● 吉田松陰の死
遼太の父さんの投稿を読んでいて思い出したのが,処刑直前の晋作への手紙です.
”生きて大業を為す見込みがあればいつまでも生きていたらよい.死して不朽の
見込みがあれば,いつでも死んだらよい”と言う奴です.
晋作もそうでしたが,小五郎も”不朽のみこみなし”と思ったのか,そのような
場面ではためらいなく逃げていますね.
遼太の父さんのいわれることもわかるような気がしますが,”不朽の見込み”が
なければいつまでも生きていればよいと思います.勿論,無目的な場合は論外で
しょうが・・.
じかん● Thu Jun 24 17:33:41 Japan 1999
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 薩摩 − 薩人たちの生と死
西南戦争関係のHPがあったので、『翔ぶが如く』を思い出しながら覗いたのですが、
http://www.lares.dti.ne.jp/~santa/seinansensou.html
篠原国幹 42
村田新八 42
桐野利秋 40
永山弥一郎 40
幕末の戦乱を雄々しく切り抜けた示現流の隼人たちも、結局、明治10年にはこれくらいの年で死んで行ったんですね。村田と桐野と西郷は同じ明治10年の9月24日に没。『翔ぶが如く』の「露の坂」の段、城山総攻撃のくだりで、西郷が死んだ直後(詳細は忘れましたが)「薩人たちはそれぞれの生を慌ただしく終えねばならなかった」という司馬遼太郎の記述があったと思います。
桐野のように闘死を選んだ者、村田のように一人孤独に腹を突き刺した者、別府晋介と辺見十郎太のように互いの身を日本刀で刺し合った者..。そして翌年、紀尾井坂でテロにたおれた大久保が48歳。松陰や晋作や龍馬に比べれば長生きしているのかも知れませんが、今から考えればみんな若いですよね。内閣の看板の聖子郵政相は別として、閣僚なんて全部60歳以上、派閥の領袖となると70歳近くです。60歳で「若手」ですからね、阿呆らしい。
男は長生きすればいいというものではないなと最近は思いますね。無駄に生きて癌か何かで悶え苦しみ、家族に迷惑をかけながら病院で臨終するよりも、村田のような「生の終え方」もあるなと思ったりもします。刑死、闘死、自死。その三つから自由でいられるのが現代であり、逆にまた、その三つを選ぶことができないのも現代であります。不健全な考え方かもしれませんが。
じかん● Thu Jun 24 13:51:49 Japan 1999
おなまえ●若宮 路幸
メッセージ●
■ みなさん、はじめまして!(&おひさしぶりです・・) ■
かなり昔に書き込みさせていただいたことがあるんですが、おそらく誰一人として覚えてらっ
しゃらないと思います(笑) というわけでよろしくおねがいします m(_
_)m
って、いつのまにかこちらもリニューアルしてたんですねえ・・
■神田 類さん < 執筆時の音楽について
私の場合は、静かな曲が多いですね〜
(^^ それから日本語で歌詞が入ってると影響され
たり、詩の意味を考えちゃったりするんで、もっぱらインストゥルメンタルな曲が多いです。
ジャズのピアノソロとか、フュージョンとかが、私としてはお勧めです♪
■ ちょっと宣伝 ■
前々から公開していました拙サイト「月見亭旅館」を閉鎖いたしました。
変わって"Filmstrips"という名で、新サイトを1週間前に発表したばかりです。
歴史関係としては、「50音順戦国武将考察」として、定期的に武将を詳しく解説していく
予定です。 第1回目は「朝倉宗滴」 79歳まで第一線で戦い続け、朝倉家の柱石だった武将
の意外な一面が・・
それから立花道雪と、(三国志で有名な)陸遜の話を題材にした中編小説をそれぞれ1本ずつ
UP予定。 御用とお急ぎでない方は、ぜひ一度おいでくださいませ。
http://www.oec-net.or.jp/~t-mieno/
じかん● Thu Jun 24 0:09:48 Japan 1999
おなまえ●masato
メッセージ●
沙雪さん、はじめまして。
実はわたしはまだ「波のかたみ」を読んだことがないのです。
ということで、これに関する話はできません。お友達とかみ合わなかった話、
わかりますよ。わたしは男ですから当然ながら見方が違うと思うのですが、恋
愛がどうのと言われるとちょっと引いてしまいます。永井さんの歴史の捉え方
は非常にやさしさにあふれているような気がしますね、読んでいていい気分に
なります。
鎌倉関係はすっかり永井さんの歴史観にどっぷりといった感じですよ。
またの、書き込みを待ってます。
じかん● Wed Jun 23 16:41:56 Japan 1999
おなまえ●沙雪
メッセージ●
はじめまして。私は8年ほど前に「波のかたみ」を読んで以来,永井路子さんの大フアンです。
やっぱりいるんですね。私だけじゃなかった!永井さんのフアンの方って!周りにはほとんど
いなかったんです。大学生となった今では国文科ということもあって、けっこう本を読んでいる人
はいることはいるけれど・・・・一人永井さんを読んでいる子がいました。でもその子は私と
ちょっと作品に対する捉え方がちがったようでした。私は永井さんの歴史観に注目しながら読んでいましたが
「美貌の女帝」のなかの恋愛が素敵(どんなんだよ!)と、話がかみあわず、
少しつまらなかったのです。それではまた。
じかん● Wed Jun 23 14:04:41 Japan 1999
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 薩摩 - 西郷と龍馬(再論)
ひょっとしたら歴史よりも物語の世界に没入し過ぎなのかもしれませんが、坂本龍馬の偉業というのは、船中八策による大政奉還の建白よりも、薩長同盟の締結に奔走し、それを成功させたことにあることは明らかであると思われます。薩長同盟は龍馬という仲介者がいなければ、絶対に
実現しなかったと私は考えています。
仲介者など誰でも同じで、結局、歴史の必然として薩長は同盟しただろうという「必然史観」もあるかもしれませんが、私はその考え方に賛成しません。どのような可能性、方向性もあり得たのであり、そのなかでたまたま、ほとんど偶然の如くにして、薩長同盟、倒幕・王政復古という路線が選択されて行ったのだろうと考えます。
もし龍馬の存在がなく、薩長同盟が結ばれることがなければ、日本の歴史は全く違った方向に進んで行ったことだと思います。その場合は、おそらく革命長州は攻め潰されて滅んでいたでしょう。東からの幕府軍(慶喜)、西からの薩摩軍(西郷)に挟撃されて、窒息するように潰滅したものと思われます。薩長同盟ではなく、慶喜と久光の徳薩同盟が京都に新政権を打ち立てたに違いありません。三条も岩倉も捕縛され処刑されていたでしょう。長州の歴史的運命は水戸と似たものになったのではないかと想像します。
薩長同盟の政治を考えるとき、重要なのは薩摩、薩摩の説得という問題です。この同盟は、前提としてイーブンの軍事同盟ではありません。長州の方は滅亡が目前にまで迫っていました。薩摩と手を組む以外に道はないのです。薩摩にはオプションがありました。薩摩にとっては(政
治的には)誰と手を組んでもよかったのであり、自分たちと手を組む方が勝ち残る方だという計算が立っていました。
龍馬の渾身の説得によって、西郷は慶喜を捨て、長州と組むことを選びます。西郷は長州が嫌いでした。侍のくせに一人一人が書生のように小賢しく理論を振りかざして政治権力に狂奔する長州の志士たちの姿を見て、こころよく思わなかったのです。そういうイデオロギッシュな党派集団が幕府にかわって権力を取っても、日本はよくならないと思っていたのでしょう。西郷の理想とする寡黙で質実剛健な薩摩武士とは対局にある武士の姿でした。
龍馬以外に西郷を説得できた人間がいたでしょうか。
薩摩は、西郷が右と言えば全員が右、西郷が左と言えば全員が左です。誰一人として異論を唱える者はいません。全員が一丸となって西郷の決定につき従って(翔んで)行くのです。西郷は自分たち薩摩兵児の頭なのであり、象徴であり、司令塔です。西郷の号令一下よろこんで死地に飛び込んで行くのです。
薩長同盟を選択した西郷の判断において、政治理論や政治構想の占めた役割は小さかったのではないかと私は思っています。坂本に賭けよう、龍馬の宿願だから要求を聞いてやろう、という部分の方が大きかったのではないかと思うのです。西郷は、その人間の吐く理論ではなく、人格そのものを(むしろ人格だけを)判断して信用する男でした。<長文失礼>
じかん● Tue Jun 22 19:00:00 Japan 1999
おなまえ●あつこ
メッセージ● 神田さま!
宮武骸骨の名がここで現れるとは思いませんでした!!
私も大好きなのです。
勿論、下記の「滑稽漫画館」は読みました。
他にも何冊かおすすめがありますので、
興味のある方はどうぞ。
「外骨という人がいた!」赤瀬川原平(ちくま文庫)
「嘘八百!」天野祐吉(文春文庫ビジュアル版)
「嘘八百!」は、他に明治編、大正編、昭和戦前編の3冊が
あります。広告関係では、同じく天野祐吉の
「もっと面白い廣告」(ちくま文庫)があります。
癇癪と色気がキャッチフレーズの外骨さんの滑稽新聞は、
明治という時代の、歴史の舞台に出てこない庶民たちの面白さ、
粋さがとてもよく伝わってきます。
昔の広告というのも、おおげさで、時代ががっていて
読んでいてめちゃくちゃ面白いですよ。
いまの広告がどれくらい面白くないか、、、、。
ちょっと歴史小説からは外れてしまいましたが、
明治、大正、昭和(戦前まで)の歴史もまた私は好きです。
そのにおいがいっぱいかげる本ですので、
好きな人にはたまらないかも、、、!
じかん● Tue Jun 22 1:11:53 Japan 1999
おなまえ●くろうさぎ
メッセージ●
あずさま>確かその本の題名は「伽羅の香」だったような気がしますが。
私も読んだのですが、うろおぼえでごめんなさい。
夫も子も亡くし、香に魅せられていたヒロインが弟子に
裏切られ、故郷に帰っていく最後が印象に残っています。
それでも気高いひとでしたよね。
じかん● Mon Jun 21 23:25:36 Japan 1999
おなまえ●あず
メッセージ●
お香と言えば宮尾登美子がそのたぐいの話を書いていたと思います。
正倉院に保存されている香木(伽羅だったかな?忘れてしまいましたが)
歴代3人くらいしかきいた事がないという物を
香道の世界で受け継いでいく話。
すみません、詳しい話忘れてしまいましたっm(__)m
あまりに広く浅く読むもので、
何の足しにもならない話になってしまいました。。。
じかん● Mon Jun 21 13:43:27 Japan 1999
おなまえ●O-call
メッセージ● はじめまして、O-callと申します。
永井路子といったら黙ってられません!!
道長の息子の話がやっと文庫になりましたね。
早く読まなきゃ(ワクワク♪)
でも彼女にはもっと歴史小説書いて欲しかったです・・・(T−T)
&塩野七生に最近はまったそうですが、
何が一番お好きですか?
私はある人物が大好きで、とうとうその一族専門の
サイトを作ってしまいました。
(これからどうなることやら・・・・)
よかったら見に来てくさい。
E−mail qws10215@nifty.ne.jp
http://member.nifty.ne.jp/cinquecento/
じかん● Mon Jun 21 9:02:45 Japan 1999
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 会津 − 会津人の印象
会津について知識とイメージを持ち始めたのは、司馬遼太郎を読み始めてからですので大学を卒業して後のことでした。
西日本に在住の方は、おそらく会津について、あまり強い印象を持っておられないのではないかと思います。東京には、実はたくさんの会津ご出身の方がいらっしゃいます。東京に住んでいると、福島や新潟や信州や茨城の出身の人が身辺に多くいて、それぞれの国の人柄についてイメ−ジを持ちます。ちょうど関西の人間が、姫路の人や和歌山の人に何がしかのイメージを持つのと似ているように思います。たとえばずっと東京に住んでいる人は、恐らく姫路の人間と和歌山の人間の差異の認識(固定観念)を持つことはないでしょう。
私が接した会津の人は、確かに司馬遼太郎が好んで描くような会津人の気質と雰囲気を持った人が多くいました。外見的な特徴を言えば、まず肌が白いことです。色白の人が多い。それとどちらかと言うと無口、無駄口をあまり叩きません。相手をよく見て、自分が何か言う前に相手の話をじっと聞きます。私が知っているのは残念ながら男性ばかりなのですが、凛としたというか、スッキリ、キリッとした感じの人が多かったです。
それと予想どおりと言うべきか、家々代々の歴史教育がよく行き届いていて、勤皇でありながら朝敵の汚名を着せられた屈辱を一人一人が忘れずに内面にとどめていますね。藩と城下が体験した受難の歴史について、それぞれの家でよく語り伝えて残していると思います。文庫本になった『歴史を紀行する』を読むと、冒頭が土佐論で二番目が会津論になっています。司馬遼太郎の会津への思い入れの強さが窺われますが、そこに登場する『王城の護衛者』と秩父宮節子妃殿下のお話もなかなか感動的です。その妃殿下もお亡くなりになりましたが..。
質実剛健で清廉潔白の気風。芯は頑固で内に秘めた正義感を崩さない。しかし行動の様式はどちらかと言うと保守的、悪く言えば体制に順応的です。ラディカルを好む性質ではないですね。政治家も須らく保守一色。がともかく、東京にお住まいの方で歴史好きな方は、会津人を友人に持つことをお勧めします。会津は歴史が豊かです。私は個人的に、幕末ではなくて保科正之の後の江戸中期の会津に関心があるのですが。
さて、昨日はBSで『街道をゆく−四国物語』が延々四時間。何だかやりすぎという感じもしますが..。私は半藤一利の司馬遼太郎論はあまり好きじゃないですね。佐高信の批判がよく妥当する類例であると思います。早坂暁が『坂の上の雲』を映像化するべく、執念深く執拗に狙っているのを見せられて腹が立ちました。ひどい話です。映像化厳禁が司馬遼太郎本人の生前からの固い戒めであるのにかかわらず。
じかん● Sun Jun 20 17:32:48 Japan 1999
おなまえ●さくら
メッセージ● 遅くなりましたが
馬関を旅されたおたかさま、そうですか、あのあたりを。。。わかります。
なんだか、懐かしいものがあります。
私は、6年くらい前に晩夏の鎌倉を訪れたことがありますが
とても風情があってよかったです。
このあたりで北条高時の最期があったんだ、とか
訪れた先々で鎌倉末期に思いをはせ、独りしみじみしたものです。
歴史の舞台になったところを訪れるのは何とも言えない感慨がありますよね。
(もちろん永井路子先生の本を片手に持っていったのでした。)
話は変わって
「河井継之助」HPを作成・管理していらっしゃる
蒼龍窟さんに実際にお会いすることがあったのですが
歴史に仮定はタブーなんでしょうけど
「もしも河井継之助が現代社会に生きていたら?」とか
「あのときこうだったら?」などと
非常に勝手な話をして二人盛り上がったりしました。
長州の片隅で長州出身の人間が
河井継之助談義に花を咲かせていました。
後世の人間の役得(?)ってこんな事くらいなんでしょうね。
じかん● Sun Jun 20 9:46:10 Japan 1999
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 司馬遼太郎の読み方 − 「日本とは日本人とは何か」
歴史小説というのは娯楽商品なんだから、別に一つの(厳密で窮屈な)読み方なんてものがあるわけではなくて、それを本屋で買って読む人間が、たとえばコンビニでスナック菓子を買ってきて食い散らかすように、自由気ままに味わえばそれでよいのだ、という考え方もあるかも知れません。が、私はちょっと違うのではないかと思います。中にはそういう純粋に商売だけの意図で商品として歴史小説を書いている作家もいるのでしょうが、司馬遼太郎について言えば、それは違うのではないかと思うのです。作家というものは、基本的に、作品において、読者にこの作品をこう読んで欲しいというメッセージを届け伝えている筈です。読者は、作品を読んで、やはり、その作家が届けようとしているメッセージを汲み取って読むのが、本当の読み方なのではないかと思います。
司馬遼太郎の場合は、とりわけ濃厚な熱いメッセージが作品の中に織り込まれているのではないでしょうか。読者に人間としての生き方を問いかけるメッセージがあるように思います。特に幕末・明治を舞台にした小説のなかに、それが強く主張されているように思われます。
司馬遼太郎は、自ら「自分は、歴史作品をとおして、『日本とは何か、日本人とは何か』についてずっと書いてきた」と言っていますよね。司馬遼太郎の歴史小説とは「日本とは日本人とは何か」について書かれた作品であります。読者に対してメッセージされているのは彼自身の日本論・日本人論です。ですから、読者は司馬遼太郎の歴史小説を読んで、彼の「日本とは何か、日本人とは何か」の主張について何事かを読み取って考えなければならないはずですね。
司馬遼太郎は「日本とは、日本人とは何か」について書いていると言っています。それは、リアルな事実として日本と日本人がどうであったかという側面もありますが、同時に、日本とは日本人とはどうあるべきなのかという当為(理想像)についての議論でもあります。本来、日本人はどうあるべきなのか、どういう生き方であるべきなのか、という主張です。それを歴史を描きながら、歴史的人物像を描きながら、作品を読んでいる現代の日本人に対して訴えかけているわけです。
龍馬や蔵六や松陰や晋作や西郷や大久保などの歴史的人物の生き方を描きながら、日本人としての本来のあるべき姿、あるべき生き方を読者に対して迫っていると言えます。そのメッセージの濃密さと迫力が他の歴史作家と司馬遼太郎とでは全く違っているように思います。まさに「洗脳」を迫って来るんですよね。「あなたは日本人として今のままの生き方でいいのか」と迫って来るわけです。メッセージを受け取った読者は「今のままの自分では駄目だ」と真剣に思うようになるわけです。
司馬遼太郎を読むということは、自分の国である日本についてこのままでいいのかどうか思い直すということであり、日本人である自分自身について今のままの生き方でいいのか考え直すということだと思います。その答えは各自で自由であり一つではないでしょう。自分の生きている社会(国家)について、自分自身の生き方について思い直すこと、それが司馬遼太郎の正しい読み方だと私は思います。長くなりましてすみませんでした。
じかん● Sun Jun 20 8:38:51 Japan 1999
おなまえ●あず
メッセージ● 始めまして!!このHPを見つけて「これだ」と思いました。
好きな作家は永井路子、司馬遼太郎を始め、宮尾登美子、遠藤周作などです。
歴史を好きになったきっかけは、司馬遼太郎の「国盗り物語」。高校時代に読んで
教科書で教えない歴史に感動したからです。
まだまだ知らない歴史、知らない作家もあるので是非この機会に教えていただけたら…。
連絡お待ちしていま〜す。
e-mail:h-azu@mti.biglobe.ne.jp
じかん● Sun Jun 20 2:27:53 Japan 1999
おなまえ●おたか
メッセージ● そうそう、おたかも単純に司馬が好き!
司馬先生が書く文章は「こいつ本当に歴史が好きで日本が好きなんだな〜」と
思わせてくれるし、時折、本筋から脇道に脱線してしまう小説の書き方も、それ故だと思えば
かわいく(←といえば失礼ですが・・・)なってきちゃうのです。
勿論、それは脱線出来るだけの緻密な資料分析があってのことで、それがまた司馬の魅力!
竜馬と河合継之助は、こんなこというと竜馬ファンに殴られそうだけど、私個人では圧倒的に
継之助が好きです。これまた感性のみでそう思うので、何故好きなんでしょうね??
誰か分析してくれ〜!(←他力本願)
「峠」では小千谷会談決裂場面で大泣きしました。
「竜馬がゆく」では・・・、う〜ん、あまり思い浮かばないな〜。
因みに、私の母は新潟県出身で、幕末にも戊辰戦争にもなんの興味もない人間ですが、
ただ単純に「河合継之助は偉いんだ!」と申しております。
やること必死でやり遂げた人間は、その時いくら批判されようとも、後世の人間が
ちゃんと真実を見ていてくれるんだ!と思いたいです。
勿論、これらのことー母が新潟県出身ーは、私の中における竜馬と継之助の印象の違いとは
何ら関わりありませんので、悪しからず。
じかん● Sun Jun 20 0:43:14 Japan 1999
おなまえ●りょうくん
メッセージ●
下記のあつこ様のログに同調いたしまして、司馬先生のことについて私もお話させていただき
ます。_(._.)_
>ただ、先生の本を読んでから、ますます日本が好きになりました。
>そして、日本人として生まれたことを嬉しく思い、
>長い歴史を経てきたこの国を大切にしたいと強く思いました。
遼太の父さま、めぐみさま等の多感なご意見大変、興味深く読ませていただきましたが私も
あつこさま同様、司馬先生が単純に好きであります。不思議なもので、司馬先生の作品を読むと
とても日本人に生まれてきたことに幸せを感じます。5月に京都の庭園や文化に触れて「自分
は、日本人なのだから日本の文化を愛しまた理解しなければいけないな。」との結論に達しま
した。
「坂の上の雲」についてはこの掲示板では再三再四でていますが、私にとって良い意味で
深く自分の心に刻み込まれた小説です。秋山兄弟や正岡子規らの生き方が自分の身に置き
換えて物を考えやすいと思うのです。ある目的に向かい理路整然と努力をおしまず、生きた
ことに自分も今という現状に立ち「今を懸命に生きよう。」と勇気づけられました。それ
ほどにこの作品は、人間としての行動のヒントがあるように思えてなりません。
さて余事になりますが、このほどやっと「竜馬がゆく」「峠」を読み終わりました。坂本
竜馬という日本人として愛すべき人間と、常人としてはちょっと理解しがたい河井継之助
を自分の口から語ること自体はばかられますが、公人としては「竜馬」を愛し私人として
は「継之助」を愛したいです。(^^)なるほど坂本竜馬のなすことは簡単に言えば立派以外
の何者でもなく普通の人には真似できないことで、逆にそこに魅力があるのかなぁと・・。
ですが河井継之助はあくまで長岡藩士の立場を取りあくまでその立場に従順した人です。
やがて長岡は戦場と化し悲劇を生みました。当時、あまりの惨状に河井を怨む人もいたよう
です。ですがあくまで立場に立って最善の行動をとろうとした河井継之助の生き方に
僕は共感を受けました。なぜならやはり現代に置いても人間には立場というものがあって
その立場を守るために行動する人が多いと思うからです。簡単に、自分の家庭や会社を捨れ
る様なら誰も悩んだりしません。もっと思うことがありますが、坂本竜馬と河井継之助に
ついての人物論評は話が壮大になりすぎて僕の手に余るのでこれ以上は話せません。
ただ僕としては、この2つの小説の中から今の世にも通じる世界観を得たいなと思うのです。
また青年期をただ必死に、利口に生きたいという人間の自然の本能から司馬さんの作品を今
読んでいるのかもしれないなと今日思ったのでした。
E-Mail :samu05@muc.biglobe.ne.jp
じかん● Sat Jun 19 11:10:49 Japan 1999
おなまえ●あつこ
メッセージ● 司馬先生のことについて
いろいろなご意見を読ませて頂きました。
私は、歴史が好きで、本が好きで、
そして単純に司馬先生の作品のファンであります。
ただ、先生の本を読んでから、ますます日本が好きになりました。
そして、日本人として生まれたことを嬉しく思い、
長い歴史を経てきたこの国を大切にしたいと強く思いました。
「坂の上の雲」を読んだ後には、自分はいま何ができるのか、
いままで何をしてきたのか、登場人物たちの行動に対して、
自分が恥ずかしく、考え込んでしまいました。
私も司馬先生の作品のファンとして、ちょっとご紹介。
平成8年の『文藝春秋』五月臨時増刊「司馬遼太郎の世界」の中に、
元女優の高峰秀子サンが文章を書いていらっしゃいます。
彼女は生前、司馬先生と親交があり、先生の信奉者でもありました。
その文章の中で、高峰サンは司馬先生のことを「人間たらし」と
称しておられます。
司馬先生の作品もさることながら、ご本人も大変魅力的な方だったことが
この文章から伝わってきました。
「菜の花の沖」誕生の話も少し出てきます。
この文章は、「菜の花」というタイトルで、
『にんげん蚤の市』(文芸春秋社)という本の中に収められています。
じかん● Fri Jun 18 15:19:19 Japan 1999
おなまえ●
メッセージ● めぐみ様 − 土佐もいいですよ。
先週末は、Yosakoiソーラン祭りで、北は大いに盛り上がった様子ですね。本場のよさこい祭りは、例年、真夏の8月10日頃、灼熱の太陽の下で挙行・開催されます。徳島の阿波踊りに対抗して、戦後になって始めたものです。観光商品にしたいという狙いもあったようです。伝統のあるお祭りではありません。昔は「正調」といって、阿波踊りと同じような和装の格好で踊っていましたが、15年ほど前から急速にスタイルが変わり、サンバやロックンロールのリズムを基調としたハードでコンテンポラリーな創作ダンスになりました。札幌に移植されて発展しているのは、そのコンテンポラリ−な「よさこい鳴子踊り」です。コスチュームも派手になり、肌の露出度も増し、男性は完全に脇役の存在になりました。
土佐にはあまり史跡が残っていません。ですので、高知の城下には歴史の風情を漂わせるものがないですね。立派なお城くらいでしょうか。おすすめは、何と言っても桂浜の龍馬の銅像、そしてそこから歩いて3分の坂本龍馬記念館、それからかなり距離的には離れますが、奈半利町にある中岡慎太郎記念館でしょうか。高知市内の自由民権記念館というのもありますね。最近は、龍馬脱藩の道を歩くというのがひそかなブームであるようです。
しかし、名所旧跡まわりなどよりはるかに土佐へ来た気分を満喫できるのが、夜の飲み屋での体験ですね。これは絶対に落としてはいけません。カウンターであれ、隣のテーブルであれ、「札幌から来ました」なんて言ったら、たちまち大歓迎されて、ご馳走攻めにあって、2−3時間は帰してもらえなくなるでしょう。そういう土地は日本中で土佐だけじゃないでしょうか。
「たまあるか、このひと、札幌から来たがやとぉ。」
「げに、おまん、北海道から来たがかえ。こじゃんと遠いが。」
「まぁ、飲んどうせ」 「タタキはどうぜよ、ドロメもあるが。」
こんな感じで、即席のウェルカム・アルコール・パーティが果てしなく続きます。ただしディープ・ヘビー・アルコール・パーティです。半端じゃありません。このパーティを一度でも体験すると、土佐についての感覚と観念が、司馬遼太郎のそれとほぼ共通のものになるでしょう。
それから、札幌からだとどうしても空路になるのでしょうが、土佐を実感されるには、やはり陸路から入られることをお勧めします。土讃線を使って山越えで入るのがいちばんいいと思いますが(大歩危小歩危を通って景観が最高)、高知自動車道の長い長いトンネルで入られるか、あるいは徳島の海岸線を回って室戸から入られてもいいと思います。松山から国道33号線で山越えで入る方法もあります、龍馬脱藩の道と並行するル−トです。物凄い山道ですけど。紀貫之がなぜ(海賊が出たり暴風雨の危険があるのに)船を使って往来せざるを得なかったのかが、よく理解できます。
じかん● Thu Jun 17 23:04:17 Japan 1999
おなまえ●めぐみ
メッセージ● おたかさんへ
ご丁寧なお返事ありがとうございます。そういえば霊山博物館で、「維新友の会」のお知らせ、ちらっと見ました。しかしながら、北海道から京都へ行くのはなかなか大変なので、つい日和ってしまいました。これからは博物館では会報なども欠かさずチェックしようと思います。
遼太の父さんへ
なるほど、思想家としての司馬さんも一流との見方に何ら反対するものではありません。白状すると、私は司馬さんの思想に洗脳されたと感じており、それゆえになるべく冷静に司馬批判に耳を傾けなくてはと思う次第です。実際、司馬さんに異議を唱える人も決して少なくないのは事実かと思います。私の回りにもいます(文化人でも政治家でもないですけど)。そういう人のなかには、たとえば池波正太郎氏や柴田練三郎氏のようなエンターティメントを司馬さんにも求めたゆえにがっかりするというところがありそうです。私は司馬さんの小説を初めて読んだときにその堅牢たる文章にまず圧倒された記憶があります。それが鼻につくという人もいるかもしれません。逆にそれが読者を魅了しているのですが。個人的には、私が司馬さんにのめりこんだ大きな理由は、あの文体や構成にみられる、他の追従を許さぬオリジナリティーにものすごくショックを受けたことが大きいと思っております。
ところで私は土佐にも行ったことがありません。これで歴史ファンと名乗るのは気恥ずかしい限りです。
じかん● Thu Jun 17 17:23:24 Japan 1999
おなまえ●遼太の父
メッセージ● おたか様 − ぜひいつか薩摩も読んでくださいね。
感情移入の問題は、まさにそのとおりだと思います。私は長州では吉田松陰が好きで、『世に棲む日日』を読み始めた途端、すっかり自分自身が松陰になってしまいました。もちろん蔵六も好きですが、個人的には蔵六と言う人物よりも『花神』という作品の魅力の虜になってしまいました。作品としては『世に棲む日日』よりも『花神』の方が好きだし、ワンランク上ではないかと思っています。もう一つ勝手な憶測を言うと、あの『花神』執筆の時期、司馬遼太郎は誰かと恋をしていたのではないでしょうか。そんな気がするのです。
ただ(こうして書き出すとすぐダラダラ長くなるのが私の悪い癖ですが)、あの司馬遼太郎の蔵六論は、まさにエンジニア論なんですね。日本人のエンジニアの理想型をそこに描いているのだと思いました。一方の松陰は生粋の思想家ですよね。思想家となるために生まれてきたような男です。つまり人文系の極致(天才)です。蔵六は理工系の極致(天才)なんですね。私は理工系ではなくて人文系の人間なので、どうしても松陰の方にストレートに感情移入してしまいます。
あの『世に棲む日日』の松陰、実に好きです。素敵ですね。彼の(結果的に自分の身を滅ぼした)「軽信」の部分、私にはよく分かるような気がしました。思想家というのはああでないといけません。限りなく純粋で知行合一を求め続けて、共鳴者を求め続けて、身を捨て私を捨てて訴えていこうとする精神。いいですね。私は『世に棲む日日』を読むまで、松陰という存在をもっと高尚で難解な学問的存在として捉えていました。そうではなくて本当に生身の感情の溢れる心優しい男だったんだなと、あれを読んで思い直しました。彼の巨大な影響力の秘密もよく分かったような気がしました。29歳で斬首されたわけですよね。世間の俗事も男子の快楽も知ることなく。落涙の思いです。
おっしゃるように『翔ぶが如く』には、確かにあんまり感情できる登場人物がいないですね。感情移入なしに読んで行かなければなりません。そして色恋なしの完全無菌な男の世界です。本当に小説とは思えないほどのクリーンルーム状態です。中国的な史伝の世界ですね。感覚的、感性的に楽しんで読める部分が少ないですね。人物の内面の描写も少ないと思います。みんな寡黙です。あまり喋りません。しかし面白いですよ。西郷と大久保の男の物語であり、武士が滅びる物語です。
しかし考えてみれば、私、『坂の上の雲』もあまり感情移入できる登場人物がいませんでした。真之になった気分で読んでいたという記憶はありません。やはり明治の歴史を追いかける面白さで読んでいたと思います。
じかん● Thu Jun 17 16:24:48 Japan 1999
おなまえ●
メッセージ● めぐみ様 − 思想家としての司馬遼太郎 2
『宝石』7月号を本屋で買ってきて、佐高信の司馬遼太郎批判の記事を読みました。一読した感じ、なかなかいい事を書いてるなと正直に思いました。鐘紡の名誉会長とかダイエーの中内功など、日本のいかがわしい経営者たちのグロテスクで幼稚な「司馬遼太郎信仰」を捉えて鋭く批判しているところなど、非常に胸のすく気分がしますね。
本当に、司馬遼太郎というのは不思議な存在で、思想として矛盾的な存在であるといつも思います。井上ひさしから谷沢永一までカバーしているわけです。あの金達寿ですらカバーされているわけです。梅原猛などは(思想家として)自分の方が上だと思っていたのでしょうが、実は完全に司馬遼太郎に凌駕されてしまっていたわけです。矛盾を内包しているから巨大なんですね。そこに彼の思想の秘密があるわけです。
リアリズムと合理主義の重要性をイヤと言うほど強調しつつ、実際には思想的・内面的には凄まじいほどのロマンティシズムが溢れており、韓国やモンゴルやバスクやアイルランドなどの周辺から世界を見るコスモポリタンな歴史感覚を鋭く見せながら、内側には強烈な日本主義、日本愛、日本ナショナリズムがある。西欧近代を批判的に克服するアジア的自然主義の可能性を語るかと思いきや、いったん近代国家としてタンカーを船出させた以上、航海を続けなければ
ならず、元のランプの生活に戻ることはできないと諭す。
まったく司馬遼太郎というのは、矛盾的であり魅力的な思想家なのです。それと、あまり普通の人はそこをよく見ていませんが、彼はものすごい勉強家ですね。古典だけでなくあらゆる研究書(歴史書・思想書)を縦横に、最新のものまで読みこなしています。「自分は単なる一小説家ですから」と言う言い方は、つまりは彼の謙遜的表現として聞かなければならないわけです。ここでうっかり過小評価してはならないんですね。
ある意味でしたたかな思想家なのです。ともかく、海音寺潮五郎とか柴田練三郎とか山岡壮八とか吉川英治とか、そのあたりの狭くて浅い(小説家)カテゴリーで収まる知性でないことは明らかであって、もっとはるかに巨大で深淵なインテリジェンスであることは間違いありません。マルクス主義の思想的影響が後退した八○年代以降の日本の思想世界をリードし支配してきたのは、まさに司馬遼太郎の思想です。そう断じて間違いないと思います。善し悪しは別にして。
じかん● Thu Jun 17 1:00:19 Japan 1999
おなまえ●おたか
メッセージ●
さくらさん、懐かしいですね〜。私、無事馬関に行って参りました!
晋作の銅像を功山寺・東行庵・そして雨の日和山公園、と三カ所で拝むことができました。
やっぱ馬関のヒーローは晋作なんだ〜ぁ!と思ってなんだかうれしくなりました。
でも、晋作が自分の銅像なんて見たら、きっと転げ回って笑い飛ばしちゃうだろうなぁ、
とも想像しました。
遼太の父さん、確かに私は湘南女でござります。
遅ればせながら薩摩義士HPの紹介、有り難うございます。
薩摩の歴史も触れなくちゃあかんな〜ぁ、とつくづく思いました。
どうやら、私が薩摩を食わず嫌いの理由は、以前、父さんが薩摩と長州の違いで書かれていた、
組織の薩摩・個人の長州、といった感じの印象を受けるからのようです。(今まで自覚なかったけど)
私は小説を読むとき、登場人物の誰かに感情移入、もしくはバーチャルして読んでるらしく、
長州物の小説の方が何故かバーチャルしやすい、という理由が挙げられます。
この根拠は何故か?と、今まで自分でも解らなかったのですが、父さんの話を見て、父さんの思惑は
どうであれ、一人勝手に納得した次第でありました。
めぐみ様、質問回答遅くなってすみません。
永倉新八の日記は「新撰組戦場日記」、PHP研究所から出版されてます。
霊山歴史館の情報入手手段としては、ここの「維新友の会」に入会されると良いでしょう。
特典は、定期的に会報が送られてくる、霊山歴史館フリーパス、同特別展フリーパス、
年一回一泊二日の史跡巡りが割引になる(今年は会津、昨年は土佐だったらしい)、です。
いずれも有効期間は1年間。この会報で様々な情報を入手できます。
また、私は馬関旅行の時、東行庵で「東行庵だより」年間購読を申し込みました。
今年は晋作生誕160年で、3月に記念旅行として上海に行ったそうです。
この情報も、もっと早く入手してれば私も同行できたのに〜〜!と、後悔したものです。
こうならないためにも、その手の会報・同人誌の類はアンテナ張ってチェックするとよいでしょう!
じかん● Wed Jun 16 19:31:04 Japan 1999
おなまえ●さくら
メッセージ● >遼太の父さん:そうです。下関出身さくらです。
過去のログをお読みになったのですね。
よろしくお願いします。
「土佐人の明晰さ」は私に教えて下さった蒼龍窟さんに出典をお尋ねしときます。
おもしろかったですよ。
じかん● Wed Jun 16 18:41:35 Japan 1999
おなまえ●遼太の父
メッセージ● めぐみ様 − 思想家としての司馬遼太郎
私自身は、司馬遼太郎を「絶対視」しているつもりは毛頭ないのですが、周りから見れば相当に露骨で過激な「絶対視」組の人間なのかも知れません。が、まあそう見られても別にいいやという開き直った気分もあります。年をとったせいなのかもしれません。ダンテの『神曲』だったでしょうか、「汝の道をゆけ、そして人にはその言うところにまかせよ」という有名な一節があります。
私は「司馬史観」という言葉があまり好きではなくて、この言葉に少し抵抗感を持っています。この言葉は大昔からありましたが、どちらかと言うと現在ほど司馬遼太郎の評価が高くなかった70年代に生まれた言葉です。当時の左翼はそれを否定的・消極的に、右翼はそれを積極的・肯定的に使いました。現在よりもイデオロギ−が人々の日常のなかにしっかり腰を下ろし、根づいていた時代です。
それから20年、30年が経ち、東欧革命・ソ連崩壊を含めて様々な政治的社会的状況の変化があり、司馬遼太郎の思想というのは、本当に日本のすべてを網羅し代表する「国民的」なものになりました。司馬遼太郎を否定的に見る、消極的に見る、限定的に評価するという人は、日本人のなかでは本当に少数になったように感じます。
簡単に言えば、産経新聞と文藝春秋の「ご本尊様」が司馬遼太郎であり、朝日新聞にとっての「神様」が司馬遼太郎であり、NHKが仰ぐ「聖人」が司馬遼太郎であり、菅直人の座右の書が司馬遼太郎であり、橋本龍太郎の愛読書が司馬遼太郎であり、右から左まで、老若男女、とにかく全部、司馬遼太郎、司馬遼太郎なのです。自分は「司馬遼太郎が好きじゃない」「司馬遼太郎の歴史認識は間違っている」と明確に断言する人間なり立場なりというのは本当に皆無と言っていいのではないでしょうか。
ただ私の場合は、あくまで個人の意見ですが、司馬遼太郎を単なる小説家としては見ていません。一人の歴史小説家であると同時に、巨大な(戦後日本を代表する)思想家であると思います。例えば50年後、100年後の日本史の教科書をご想像していただきたいのですが、司馬遼太郎の存在は単なる小説家の範疇にとどめられていることはないでしょう。空海とか親鸞とか福沢諭吉とか、それらと同じくらい存在意義の大きい思想家として歴史に残るだろうと思います。
たとえば菅直人が司馬遼太郎を熱く語るとき(私は別に菅を支持するわけではありませんが)、そのときの菅にとっての司馬遼太郎は一人の小説家でしょうか、それとも巨大な思想家でしょうか。司馬遼太郎は「歴史研究家でも社会評論家でもない」とおっしゃるご趣旨はよくわかります。が、そう断定される前に、ぜひ『この国のかたち』をお読みになって下さい。『土地と日本人』をお読みになって下さい。そこらの大学の歴史研究者やマスコミで出ている社会評論家などはるかに及ばない素晴らしい歴史研究があり社会評論がそこにあります。
私は佐高信は嫌いではなく、むしろそちらかと言えば好感を持って彼の評論に私は接していますが、彼の司馬遼太郎理解があれでいいのか、私にはかなり疑問です。3年ほど前、佐高信と井上ひさしが司馬遼太郎をめぐってかなり熱っぽく語り合っている対談があります。お読みになられましたでしょうか。もしまだなら、面白いのでお勧めしたいと思います。
じかん● Wed Jun 16 17:24:03 Japan 1999
おなまえ●めぐみ
メッセージ●
「宝石」最新号に佐高信氏による司馬遼太郎批判が出ておりました。司馬さんを批判する論調には、司馬史観を絶対視する政治家や経営者の姿勢を批判するところがあるようです。みなさんのご意見はまた違うかもしれませんが、私の個人的意見では、司馬さんは小説家であって歴史研究家でも社会評論家でもない、と思うわけです。司馬史観はひとつの歴史の描き方であって、そこから人生訓を読みとる人もいれば、日本のあり方を考える人もいるでしょう。書物から何を得るか、それは私たち愛読者の自由なのではないかと思いますが。論文では天皇制に対する司馬さんの甘さをも批判しています。私は司馬さんの考え方はあながち間違っていないと思うのですがどうでしょう。
司馬さんを賛美する人と同じくらい批判する人がいるのは、影響力の大きさゆえともいえそうです。
じかん● Wed Jun 16 11:07:08 Japan 1999
おなまえ●遼太の父
メッセージ● さくら 様
はじめまして。このごろ生意気に居座ってしまっている遼太の父でございます。たしか長州馬関のご出身で、松山在住の方でしたような。
・あつこ様が神戸、
・おたか様が湘南、
・めぐみ様とwebmaster様が札幌、
・りょうくんが盛岡、
であったような。間違っていたらごめんなさい。いいですね全国ベースでお話できて。
『土佐人の明晰さ(上)(下)』は未だ読んだことがないような気がします。土佐についてもがんがん議論したいところです。司馬遼太郎の土佐論は、ちょっと他の歴史議論(長州論・薩摩論)とは違って独特のものがありますよね。安芸はいいところですね。名前は忘れましたが、安芸X虎とかいう武将がいて、土佐統一、四国征服の覇者、長宗我部元親に最初に滅ぼされるんですよね。『夏草の賦』で読んだような記憶があります。2月になるとテレビのニュース番組でキャンプ情報を映すのですが、12球団のキャンプ映像の中でもとりわけ安芸のキラキラ光る太平洋が眩しく、陽射しが強く影が濃いのが印象的です。南国の海ですね。
じかん● Tue Jun 15 22:38:32 Japan 1999
おなまえ●りんたろう
メッセージ●
「坂の上の雲」日露戦争前夜まで読み進んでます。
好古さんが、はげてしまったのがちょっと悲しいけど、やっぱりいいですね。
ロシアに騎兵隊を見に行くあたり、ああ、まだこの時代、いい人がいっぱいいたんだなあ、
としみじみと感じました。日露同盟を画策して勝手に動き回り失敗した伊藤博文、
お節介すぎてちょっとうっとおしい人のいいおっさん、だけどちょっとあわれで憎めません。
登場人物が、今会社とかにいる上司や同僚に重ねあわされて、面白いです。
この後の展開も、とっても楽しみだ!
じかん● Tue Jun 15 19:06:40 Japan 1999
おなまえ●さくら
メッセージ● お久しぶりです。もしくは、はじめまして。
おじゃまします。
司馬遼太郎さんの「二十一世紀に生きる君たちへ」は
大阪書籍「小学国語6年下」、中央公論社「十六の話」所収だそうです。
蒼龍窟さんに紹介して頂いたのですが
「土佐人の明晰さ(上)(下)」という
安芸市市民会館で行われた記念講演会の講演を収録した文章の中に
「司馬さんの控え室」というコラムがあって
「二十一世紀に生きる君たちへ」のことに関しての記述がありました。
ご存じの方もいらっしゃると思いますけど
ちょっと書いてみました。
じかん● Tue Jun 15 9:07:10 Japan 1999
おなまえ●
メッセージ● To りょうくん − 司馬遼太郎の死
訂正:
96年3月の「司馬遼太郎さんを送る会」は、3月17日ではなくて3月10日の間違いでした。どうも失礼しました。
95年3月にオウム真理教の地下鉄サリン事件があり、うろ覚えですが、その年の秋か冬かに山折哲雄とのNHKでの対談がありました。タイトルは『宗教と日本人』ではなかったかと思いますが。そのとき、司馬遼太郎がゴホゴホッと咳き込んでいたの見た記憶があります。ああいう(病弱な)司馬遼太郎を見たのは初めで、何となく不吉な予感がしていました。
『二十一世紀を生きる君たちへ』の文中では、「残念だけれども自分はもう二十一世紀の街角には立っていないだろう」ということを書いていますね。おそらく自分の身体の異変に感づいていたのではないでしょうか。だから、その筆致はまさに「遺書」そのものになっています。逝ってすでに三年あまり。心は空洞のまま、誰かに何か文章を書き出せば、感傷主義(センチメンタリズム)一色となり、なかなか心の均衡と踏ん張りが利かぬまま、時間が過ぎている感じがします。
じかん● Mon Jun 14 22:47:43 Japan 1999
おなまえ●りょうくん
メッセージ● 遼太の父さんへ
こんばんわ。「二十一世紀へ生きる君たちへ」の詳しいご説明ありがとうございます。
一生の記憶として私の胸の中に留めておくことにします。最近特に思うのです。3年
前私は、司馬さんの歴史を愛する気持ちに触れたことがありませんでした。できること
ならぜひ会って一言でもお話したかった。皮肉なことに私が司馬遼太郎の歴史観に触れ
はじめたのは、1998年の9月のことで病院のベッドの上でした・・・。
遼太の父さんへあらためてお礼申し上げます。_(._.)_
じかん● Mon Jun 14 17:23:27 Japan 1999
おなまえ●モイラ
メッセージ●
永井路子に黒岩重吾の名前を見かけようとは夢にも思いませんでした。
熱烈な愛読者ではないのですが、黒岩さんの古代史関係の本はたまに読んでおりました。
永井さんの方は数冊・・・。
好きな作家、小説、短歌、詩、音楽、映画など何でもありの掲示板を
運営しております。と言っても、感性あふれる常連さん達のおかげで
何とか楽しくやっております。ぜひ、お越し下さいませ。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~s_toshi/cgi-bin/mkboard.cgi?1023
じかん● Mon Jun 14 15:56:09 Japan 1999
おなまえ●あつこ
メッセージ● 大変失礼しました!
「飛ぶが如く」は「翔ぶが如く」でした。
一字違うだけで、なんだか薄い印象になってしまった!
まったく違った印象になってしまうのですね。
司馬先生ならびに全国司馬先生のファンの皆様、
申し訳ございませんでした。
じかん● Mon Jun 14 15:53:26 Japan 1999
おなまえ●あつこ
メッセージ● 「蒼き狼」以来、
井上靖さんにひっかかり、「風林火山」を読みました。
恥ずかしながら、時代背景も、
武田信玄のこともあんまり知りませんでしたので、
おもしろかったです。信玄というよりは、
山本勘助の話でありましたが。
なんとなく、このまま戦国ワールドへと突入していきそうで、
自分がとめられません。
また、「飛ぶが如く」が遠のいてしまいました。
縁がないというか、自ら遠のいているというか。
読みたい本が山のようにたまっていって、、、、
時間が欲しいです!
じかん● Mon Jun 14 9:55:02 Japan 1999
おなまえ●遼太の父
メッセージ● To おたか様 − 龍馬暗殺と薩摩 (長文失礼)
幕末史における一大事件である龍馬暗殺の悲劇は、その真相をめぐって多くの議論が出されている謎の多い事件であります。そして私個人の記憶ですが、薩摩真犯人説も、最近というよりも、むしろ以前から言われていた有力な説の一つであるように思われます。司馬遼太郎もどこかでそれを言及していたように思いますし、ずっと大昔の大河ドラマ『勝海舟』でも
(藤岡弘が龍馬を演じていたのですが)
龍馬暗殺を薩摩の政治的謀略のように描いていたように思います。
最終的に、岩倉=大久保の武力倒幕路線で方針を固めた薩摩にとって、龍馬と土佐藩が推進する大政奉還路線は重大な政治的障害でした。慶喜の大政奉還と王政復古の号令がわずか一日違いであったように、切迫した情勢の中で二つの路線は政治的イニシアティブをめぐって競合対立する関係にありました。近江屋を訪れた中岡の目的も、その問題についての龍馬との意見調整にあったはずです。禁門の変以来、弾圧迫害される側となった長州の志士たちと苦難を共にしてきた中岡は、龍馬と違って武力倒幕主義者でした。
結局、龍馬が斬られ、中岡も斬られ、土佐は完全に力を失い、大政奉還路線は小御所会議で容堂が大酒を食らって吠える程度の「最後っ屁」で終息することになります。大久保と岩倉にとって龍馬暗殺は天佑であったのかも知れません。しかし、龍馬暗殺の真犯人が京都見廻組(佐々木・今井ら)であったという事実は、維新後に彼ら自身が自分の口でそれを証言・自供している点を根拠としていますので、まずは動かしがたいところであります。
龍馬暗殺の一報を聞いたとき、西郷は常軌を逸するほどに怒り狂って、壬生の駐屯所への奇襲攻撃を指令しようとします。そういう逸話が残っています。私はこれは事実であろうと思います。寺田屋襲撃事件の後、龍馬を保護し、お龍と龍馬との媒酌人となり、二人を薩摩に連れ帰って霧島温泉で新婚旅行させたのは西郷でした。『龍馬がゆく』でもよく描かれていますが、龍馬と西郷との男の出会いは実に感動的なものでした。西郷は龍馬のことが好きで好きでたまらなかったのだろうと思います。
薩摩武士団(兵児)の首領である西郷は、基本的に他藩の志士と深く交わることはありませんでした。西郷は薩摩が好きで他は好きではなかったのです。その唯一の例外が土佐の龍馬でした。龍馬が新政府閣僚名簿案を作って西郷に見せたとき、西郷は「おはんの名前がなかじゃっどが」と尋ねます。龍馬は「私は世界の海援隊でもやらしてもらいます」と爽快に返しました。西郷は、何よりも無私と無欲の哲学で生きようとした男であり、人を見る目もそこにありました。西郷にとって、龍馬を失ったことは痛恨の一事であったでしょう。
その西郷が、あるいは大久保が西郷の目を盗んで、龍馬の命を狙ったとはどうしても考えられません。(私にとっては)あり得ないことです。
じかん● Mon Jun 14 8:40:59 Japan 1999
おなまえ●遼太の父
メッセージ● To りょうくん − 『二十一世紀に生きる君たちへ』
『二十一世紀に生きる君たちへ』は、96年3月17日に大阪ロイヤルホテルでとりおこなわれた「司馬遼太郎さんを送る会」参列者に印刷されたものが配布され、会場で朗読されたように覚えています。巷間、司馬遼太郎の「遺言」として扱われているものは、『風塵抄』の最終稿やら、週刊朝日での田中直毅との対談やら、幾つかありますが、最も「遺言」らしく響くのは、この『二十一世紀に生きる君たちへ』でしょう。だからこそ、みどり夫人が自らそれを「送る会」での朗読にお選びになったのだと思います。
式は午後3時からでした。当日は日曜日で、私は東京からひとり新幹線に乗り、日帰りで「送る会」に参席しました。祭壇には菜の花がいっぱいに敷きつめられ、遺影は『街道をゆく』の三浦半島記のときのスナップでした。そこには田中直毅も来ていたし、梅棹忠夫もいました。村山内閣の官房長官を勤めた五十嵐広三の姿もありました。たくさんの人が司馬遼太郎に別れを告げに来ていました。地位のある者も、そうでない一般の庶民も。参列者は最後に菜の花の一茎を手渡され、それを祭壇に捧げて帰りました。私にとって忘れ難い三年前の一日です。
じかん● Sun Jun 13 22:46:53 Japan 1999
おなまえ●りょうくん
メッセージ●
こんばんわ。さていつもの要に「街道をゆく」話してみたいと思うのですがやめにします。
今週は「北海道の諸道」でしたが、司馬遼太郎展を見にいったことにより気が変わりました。
司馬遼太郎、直筆の原稿や、(あまりに汚い字なので読めませんでしたが(笑))坂本竜馬
直筆の手紙や、秋山兄弟、正岡子規、高田嘉兵衛所縁の品々に感激したし、初めてVTRに
うつる司馬さんを見て、とめどなくなんだか悲しい気持ちになりました。
展示会の最後に、
「私は歴史小説を書いてきた。もともと歴史が好きなのである。両親を愛する様にして、歴史
を愛している。」
の冒頭で始まる文章が掲げてありしばらく立ち尽くしてました。文章の題名は
「二十一世紀に生きる君たちへ」(大阪書籍・「小学国語」6年下)
です。知っていらっしゃる方いるでしょうか?全文この掲示板にのせたいくらいなのですが
・・・。。
E−Mail:samu05@muc.biglobe.ne.jp
じかん● Sun Jun 13 18:50:54 Japan 1999
おなまえ●ホーミー
メッセージ● こんにちは、初めて書き込みます。
源平ものでカッコ良くて、面白くて、読みやすいものを
探しています。
なんかお勧めのものがあったら教えてください。
じかん● Sun Jun 13 10:29:41 Japan 1999
おなまえ●めぐみ
メッセージ● おたかさんへ
京都の霊山歴史館主催の会津の旅とは、うらやましいことです。そのような情報をどうやって入手されているのでしょうか。
霊山歴史館には2年ほど前に行きました。その隣の幕末志士の墓もお参りしてきました。竜馬の墓(きっと本当の墓は別のところにあるのかと思いますが)も見ました。竜馬の墓前にはファンからの手紙や雑記帳などが供えてありまして、改めて彼の人気を確認したのでした。
永倉新八の現代語訳はなんという書名で出版されているのでしょう。これも一読したいものです。新八は私の住む北海道とも縁があり、北海道大学正門前に、新八来訪を記した記念碑があります。新八は晩年、北大の学生に稽古をつけていたらしいです。年をとっても学生なんかに負けたことはなかったでしょうね。なにしろ、本当に人を斬ってきたのですから。
先日東京へ出張に行った際、両国界隈を訪ねたのですが、司馬さんの「街道をゆく。本所深川界隈」を遅蒔きながら昨日読了しました。そうすると結構見落としたものがあり、ガイドブックに加えるべきだったなあとまた後悔してしまいました。
じかん● Sun Jun 13 3:43:03 Japan 1999
おなまえ●おたか
メッセージ● 会津へ行く予定のおたかです。
今回の史跡巡り、実は京都の霊山歴史館主催の旅なのであります。
歴史館の木村幸比古学芸課長が同行される予定で、団体バスツアーなんて絶対絶対嫌いな私が、
木村先生が同行される!の話に釣られたという裏事情があったりします。
木村先生は昨年、新撰組・永倉新八の日記を現代語訳出版されたり、NHK「坂本龍馬暗殺検証」
に考証・出演されたりした方です。11月に歴史館で開かれた講演会でも、京都弁混じりの話が
大変面白く(京都まで聴きに行った私も相当アホやねん)、木村が行くなら私も!というノリも
あったりましす。
遼太の父さんから坂本龍馬暗殺の話が出てましたが、最近の真犯人説に薩摩説があるそうです。
竜馬が裏で演出した大政奉還や和平工作(?)が、薩摩の対徳川徹底抗戦と相容れなかった、
つまり薩摩は竜馬が邪魔になった・・・という説ですね。
現に竜馬が暗殺された直後、王政復古の大号令が発せられたり、江戸では隠れ薩摩藩が強盗・放火を
指図して徳川を挑発したりと、まぁ、薩摩のシナリオ通りに事が進んでいきますね。
記憶が曖昧ですが、竜馬と誰かの手紙のやりとりの中で、”薩摩”という文字が結構出てきたり
してるそうです。
これが、即真犯人薩摩!とは勿論断定できませんが、例えば1つの新発見が今まで信じてきた
真実をひっくり返してしまう、ということも当然あり得るわけで、
そんなところも歴史の面白さだな〜、なんて、おこがましくも思ってしまうわけでした。
じかん● Sat Jun 12 18:35:43 Japan 1999
おなまえ●りょうくん
メッセージ●
お久しぶりでございます。掲示板のアップを拝見させていただきましたが大体の内容は幕末論や
シルクロードになっているようですね。今まであまりに仕事やプライベートで忙しく今日やっと
パソコンの前に座っている状況です。だいぶ前のお話になりますが、平民宰相「原
敬」の記念
館へいってまいりまいりました。原
敬はあの坂本竜馬の片腕と言われた外務大臣「陸奥宗光」
の秘書官をしていたんですね。(^^)びっくりしました。小さい記念館ですが、展示品は日記や
手紙のたぐいが多く見て回るのに一時間かかりました。しかも書いてある内容はほとんどわか
らずじまいで(笑)昔の人の文章は現在の文章と異なるとはいえ、ちょっと情けない気もしま
した。ですが原敬の人となりを知るには十分で、楽しんでまいりました。
遅まきながら「峠」を今読書中です。河井継之助かなり変わった人物ですね。まだ上巻まで
しか読んでいないので下巻が楽しみです。それではまた。
E-Mail :samu05@muc.biglobe.ne.jp
じかん● Thu Jun 10 8:06:03 Japan 1999
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 会津 − 会津と土佐
会津へは二度訪れました。一度目は12年前。二度目は5年前。その間、日新館が新しくできたりして、立ち寄るべきスポットは増えましたが、いわゆる観光化というか、俗化の傾向が勢いよく進んでいる印象を禁じ得ません。会津は東京から近くて、ロケ−ション的にきわめて手頃な観光地なのです。最近の磐越自動車道の開通も影響しています。近くに東山温泉があり、最近の団体バスツアーは、夜の温泉と食事がメインで会津観光は昼間の刺身のツマの状態です。歴史に無関係・無関心な観光客があまりにも多すぎるのです。
鶴ケ城、飯盛山の二個所を中心に回るのが基本コースですが、萩を歩くような風情はありません。日新館で弓矢を引かせてもらったりしましたが、歴史に溶け込める実感がありませんでした。しかし12年前に訪れたときは、感動を覚えた出来事が二つありました。ひとつは駅に降りて、駅前から出ている市内観光バスに乗って回ったのですが、終盤、バスガイドのお姉さんが「白虎隊」の唄を歌い出すや突然ポロポロと涙を流しはじめたのです。噂には聞いていましたが、これには驚きました。
もうひとつは、多分「白虎隊記念館」の中だったと思いますが、館長さんらしき人が団体客に展示を説明するときに、「皆様のなかで高知県出身の人はいませんか」と訊ねたことです。鶴カ城総攻撃の指揮を執っていたのが板垣退助らしくて、「これからの私の説明は高知県出身の方がお聞きになると気分を悪くされます」ということで、予め確認しておくのだと断っておられました。
この12年前の事件は、「さすが会津だ」とおおいに私を感動させてくれました。
会津人の土佐に対する遺恨です。これは当然の感情でしょう。しかし板垣と土佐兵にしてみれば、京で龍馬と無数の仲間を虫ケラのように殺された遺恨があります。新選組や見廻組に斬り殺されて都大路で屍を晒した志士は、藩の庇護が無かった土佐において最も被害が甚大でした。土佐は幕末において最大の犠牲者を出しているわけです。戊辰戦争は薩長にとっては国家権力を奪取する革命戦でしたが、土佐にとっては紛れもなく復讐戦でありました。
じかん● Wed Jun 9 15:19:23 Japan 1999
おなまえ●くろうさぎ
メッセージ●
「斑鳩王の慟哭」を読みました。また、「蘇我馬子は天皇だった」という本や「天武天皇は聖徳太子の子だった」というような本も最近読みましたが、いろいろな解釈があっておもしろいです。
よっこさま>「天上の虹」は私も続きを楽しみにしていました。発売が待ち遠しいです。
じかん● Wed Jun 9 11:14:27 Japan 1999
おなまえ●蒼龍窟
メッセージ● 今日,初めて訪れました”蒼龍窟が行く”(
http://ms1.oshima-k.ac.jp/~ishimitu/Pub/kawai.html
)というwebページの管理人です.同じく河井継之助ファンの方からこのページを紹介していただきました.私も司馬さんのファンで,本の紹介のコーナなどじっくりと読ませていただきました.また,ここの掲示板の議論も大変活発ですばらしいと思います.
また,来ようと思います.
皆様,よろしくお願いします.
じかん● Wed Jun 9 8:45:18 Japan 1999
おなまえ●遼太の父
メッセージ●
昨夜は、総合TVの「源氏物語」とETVの陳舜臣「アヘン戦争」をチャンネルを切り替えながら交互に見てしまいました。
ひょっとしたらと思って期待していたら、やっぱりフェリスの三田村先生が登場されましたね。三田村先生の源氏物語講義は最高です。7年ほど前だったと思いますが、先生が最初に深夜の教育テレビ番組で源氏を講義されているところを偶然見たのですが、それ以来ずっとファンになりました。スピーディな原文読解のレベルの高さ、日本古代の仏教的世界観についての掘り下げの深さと鋭さ、さらに歴史民俗学的な考証と検証の綿密さ。講義のすべてが格調高く、学問的に高度であり、恍惚として聴き入ってしまった記憶があります。
それまで私は、無知ゆえの偏見のためですが、大学の国文科などお嬢様の花嫁修業の一つに過ぎず、お茶やお花と大差あるまいなどと完全に見下していたのでした。自分の高校の時の古文の授業レベルがいかに低いものだったを思い知らされ、日本の国文学研究(特に源氏研究)の蓄積と迫力に圧倒される思いでした。
三田村先生はこの7年(?)ほどの間に、源氏を2回、枕を1回ETVで講義されたはずです。が、二回目以降は、すっかり表情が明るくなっていつもニコニコして講義をされておられます。私は、いちばん最初の源氏の講義の緊張感、少しもの憂げな様子で、幻想的にさえ感じるほどに静謐にあざやかに、表情を崩さず眼差しを厳しくして、淡々と講義されていた時の先生の雰囲気が印象的で忘れられません。二回目以降の先生は、少しはしゃぎすぎと言うか、ニコニコというよりニヤニヤという感じなんですね。
じかん● Tue Jun 8 18:00:05 Japan 1999
おなまえ●あつこ
メッセージ● 私もみました、BSの敦煌。
びっくりしました。
私が行った頃、敦煌のまちには敦煌賓館というホテルが
一軒あったきりで、他には中国人の為の招待所が
ちょこちょこあっただけだったのです。
それが、近代的なホテルが25もできたなんて!!
あんな砂漠のまちに、、、、中国もやりますねえ。
月牙泉のまわりにもあんな建物が建ったなんて。
私はラクダに乗ってえっちらと行ったのですが、
その時にラクダが鳴いて、その声に怯えた私は
降りると言って泣き叫んでしまいました。
英語のガイドさんの王さんという人が、
そんな私を慰めてくれて、バイクで連れていってくれました。
それ以来、彼とはずっと文通したり、
二度目に行った時には、おうちに招いて頂き、
お母さんの手打ちの麺をご馳走になりました。
敦煌の青い空と、からっと乾いた澄んだ空気を
思い出しました。
井上靖さんの「敦煌」読みたくなりました。
じかん● Tue Jun 8 10:19:43 Japan 1999
おなまえ●よっこ
メッセージ●
神田 類さま>「天上の虹」17巻が6月中旬発売となります。16巻が高3のときに
出て以来なので、すっごい嬉しいし、待ち遠しい日々を送っています。
天上の虹のホームページもありますよ。
今日は「ときめき歴史館」をみます。6月はレポートやらなにやらで忙しいので、しばしの
オアシスをもとめて・・・。
じかん● Tue Jun 8 9:02:39 Japan 1999
おなまえ●遼太の父
メッセージ●
先週末は、ひねもすテレビの前に座ってBSの「敦煌」を見ていました。生中継で莫高窟の内部を見れるなんて本当に感激しました。平山郁夫画伯の解説も熱かったですね。高校生のときに井上靖の『蒼き狼』を読み、一人前にモンゴルや西域への憧れを持ったわけですが、それから少しして(78−80年頃?)NHK取材班がシルクロードに入り、あの名作『シルクロード』の製作と放送が始まりました。日中友好の賜物という感じでしたが、音楽もタイトルバックも構成も演出も秀逸でよかったと思います。『シルクロ−ド』製作の水準の高さが、ずっと伝統として引き継がれて『大モンゴル』『故宮』にまで至っていますよね。
新彊ウイグル自治区も『シルクロード』の頃から比べていちだんと変貌を遂げ、急テンポで開発が進んでいる様子でした。天山南路に高速道路が敷かれ、鉄道も西端のカシュガルにまで及ばんとして、さらにあのタクラマカン砂漠を南北に縦断する立派な舗装道路まで引かれているとは。あっけにとられてテレビを見ておりました。あつこ様は二度も敦煌にいらっしゃったとか。お羨ましいかぎりであり、未だ西域どころか中国にも足を踏み入れていない自分の不甲斐なさを思います。
今日はETV特集で陳舜臣さんが「アヘン戦争」を語られるのですが、同じ午後10時から総合テレビの『ときめき歴史観』で「源氏物語」もあるんですね。迷います。
じかん● Mon Jun 7 15:14:53 Japan 1999
おなまえ●遼太の父
メッセージ●
下の文章の訂正です。「兵制の中で入きる」は「生きる」の間違い、「司馬遼太郎をその断絶」とあるのは「司馬遼太郎は」の間違いです。失礼しました。
おたか様、
薩摩義士による宝暦治水のHPを発見しましたのでご連絡いたします。
http://www.mirai.ne.jp/~tuyoshi/
その名もズバリ『薩摩義士』。英語ページも用意されているきわめて充実したWEBです。平田靭負と薩摩武士の治水事業も偉大な歴史的快挙でありますが、このHPの製作公開も壮挙であると思いました。大垣の人々の心の中に薩摩武士への熱い感謝の思いが生きているのですね。あまりに感動的なので下に一部引用させていただきます。
「我々大垣青年クラブとして薩摩の方々による宝暦治水に報恩感謝の心を忘れず、誠を尽くして尽きぬ感謝を捧げなければならないと思います。そして、その偉業を恩恵とともに子々孫々に伝えることも我々に課せられた使命だと思います。自分の幸福より他人の幸福を念願して、その善意の心を憎しみなく身体で奉仕する心が必要だと思います」。(大垣青年クラブ)
じかん● Mon Jun 7 9:19:37 Japan 1999
おなまえ●遼太の父
メッセージ● めぐみ様、
『翔ぶが如く』について「少々散漫な印象」とおっしゃるのは、私も同感な部分が若干あります。最初に読んだとき(13年前)がそうでした。川路利良の警察制度整備の話とか、前半部分が妙に退屈で、早く西南戦争へ入って欲しいのに、ダラダラした感じで、途中で読むのをやめてしまった思い出があります。しかし二度目(6年前)のときは、全く違っていて、征韓論をめぐる政局の変転や、征台の経緯と大久保の北京での外交、佐賀の乱とじっくり楽しみながら読み進むことができました。
大久保は偉大だなと思ったのはこのときが初めてで、西郷も偉大だなと感服したのもこのときです。誰かが以前この掲示板に書いておられましたが、『翔ぶが如く』を読むと、日本近代の官僚機構という問題を深く考えさせられます。それともう一つ、生意気を言うようで恐縮ですが、薩摩論(翔ぶが如く)にあって、長州論(世に棲む日日・花神)にないのは、国家経営論の視座ではないでしょうか。国際社会のなかで日本という国家をどう経営するか、という問題意識ですね。長州論は時間的な舞台が幕末中心なので、国内の革命と内戦のドラマに焦点があてられ、したがって物語のなかで感情を持った個性的な生身の人間が活躍する割合が大きいのではないかと思います。
それに対して『翔ぶが如く』の主舞台はすでに明治。日本は近代国家に変わりつつあり、生身の人間もまた近代的な法制と兵制の中で入きる組織人、すなわちM.ウェーバー的な意味における官僚制の下での組織人になろうとしつつあります。そのあたりの問題が、読者の長州論(世に棲む日日・花神)と薩摩論(翔ぶが如く)に感じる歯応えの違いの背景にあるのではないかと私は思っています。司馬遼太郎をその断絶(=幕末と明治の断絶)をかなり意識的に舞台背景として描き込んでいるのではないかと感じます。
薀蓄ばかりですみません。
『翔ぶが如く』を読み終えて、すぐに南九州へ飛んで行きました。季節はちょうど今ごろでした。初日は鹿児島に飛んで城山を散策し、きびなごに芋焼酎で市内に一泊。翌日は薩軍の行程を追ってバスで峠を越えて人吉に入り、球磨川河畔の宿で鮎と焼酎で一泊。球磨川の鮎漁は6月からが解禁で全国から釣り人がやって来ます。旅館で給仕してくれた仲居さんが、彼女のおばあさんから聞いたという西南戦争の人吉市街戦のお話をしてくれました。次の日は球磨川を小舟で川くだり。『翔ぶが如く』の中でも西郷が八代まで下って行く場面が出てきます。私は人吉が大好きになりました。
じかん● Mon Jun 7 1:16:50 Japan 1999
おなまえ●おたか
メッセージ●
長良川治水工事の話、どうもありがとうございました。面白い話ですね。
実は私も薩摩の印象はあまり良くありませんでしたが、こうゆう話を聞くと
改めて歴史の多面的な面白さみたいのを感じさせられてしまいます。
360余年間も泰平の世を築いた徳川もすごければ、その裏では泣かされた外様大名も
数多くいる・・・そうゆう外様雄藩が幕末あれだけのパワーを爆発させる・・・
歴史は積み重ね、メールで頂いたあつこさんの言葉に納得させられてしまいました。
今年の夏は会津に行く予定です。個人的に白虎隊はあまり興味持てませんが、
会津藩主・松平容保を偲んでこようと思ってます。
長州の次は会津に行かねば!と、思い込んでる次第であります。では。
じかん● Sun Jun 6 14:17:19 Japan 1999
おなまえ●めぐみ
メッセージ●
さきほどの書き込みで、松島なんて書いてますが・・むろん松山の誤りです。
じかん● Sun Jun 6 14:15:53 Japan 1999
おなまえ●めぐみ
メッセージ●
長良川の治水工事の件、うろ覚えですが鹿児島市に犠牲になった藩士たちの慰霊碑があったはずです。
薩摩といえば「翔ぶが如く」には、残念ながら私はあまり高い評価を与えていないんですよね。少々散漫な印象があって。
もっとも西郷さんの言動などはあまり記録として残されていないので司馬さんも書きにくかったという話もありますしね。
でも鹿児島を訪れた時は城山や私学校跡など見て回りまして、感激しました。歴史を訪ねる旅、本当にいいですね。
この私としたことが、旅順はむろんのこと、長州、松島、会津、長岡、どれも訪れていません。お恥ずかしい。
e-mail:aab39140@pop02.odn.ne.jp
じかん● Sun Jun 6 11:56:53 Japan 1999
おなまえ●りんたろう
メッセージ● おたかさま
長良川の治水工事の話ですが、江戸時代だと思うんだけど、
幕府が例によって力のある外様大名をいじめるために、
その頃非常に水害の多かった長良川の治水を薩摩藩に命じたのです。
その地域は、揖斐川、長良川、木曽川の三つの大きな川の河口が
ひとつに集まっているところで、すごく大変な工事、無理難題だったそうです。
私は読んだことないのですが、小学校のとき「千本松原」という本があって、
どうもその話を書いた本のようでした。参考になりました?
じかん● Sun Jun 6 9:14:16 Japan 1999
おなまえ●りょうくん
メッセージ●
どもりょうくんです。まいどおなじみの「街道をゆく」ですが、私事で今週は休載させてい
ただきます。
じかん● Sun Jun 6 4:07:41 Japan 1999
おなまえ●おたか
メッセージ●
長良川治水工事の話って何ですか?是非是非教えて下さい!
私は神奈川県出身ですが、そのような話は聞いたことありません。
蔵六関連について、おたか初の長州デビューでデジカメ撮影してあります。
もし、蔵六墓や生誕地、大村神社の画像に興味のある方、よろしければお送りいたします。
ただし画像送信は相当に重いので悪しからず。
あつこ様、ご迷惑と知りつつも送信してしまいました。きっと見るまでに相当時間がかかる
と思います。(送信するのに4,5分かかったからなぁ)申し訳ありません。
神田様、皇なつき情報、どうも有り難うございます!
kibe@sa2.so-net.ne.jp
じかん● Sat Jun 5 23:42:55 Japan 1999
おなまえ●りんたろう
メッセージ● 長良川の治水工事の話が出てますね。
実は私の生まれた岐阜県では、有名な話で、その治水の後は
治水のために松の木をいっぱい植えたため「千本松原」と呼ばれてます。
薩摩のおさむらいが、わたしたちのために尊い犠牲を払って治水工事をし、
しかも指揮した人は工事でたくさんの犠牲者を出した責任を取って、
完成した堤防の上で腹を切った、と小学校の頃から聞かされていました。
有名な話だと思っていたら、他県の人はあまり知らないみたいで・・・。
いまでも、鹿児島と岐阜はこれが縁で、教員の交流とかやってますよ。
じかん● Sat Jun 5 22:46:57 Japan 1999
おなまえ●スナック ラベンダーのチーフ
メッセージ● 小郡のスナック
ラベンダーでチーフをしております「吉瀬」です。
皆様方になじみの少ないカクテルの楽しみを 少しでも多くの方々
に知っていただきたいと頑張っております。
また、月一回 太刀洗の「スナック みづき」の方で開催してある
「カクテルフェア」の際は応援バーテンダーとしておじゃまして
おりますので、そちらも宜しくお願い致します。
現在うちのお薦めはライチリキュールの[DITA]を使用した
「楊貴妃」や「シンデレラハネムーン」です。甘くて飲みやすい
カクテルですので、女性の方には特にお薦めです。一度飲んで
みて下さい。
http://ww2.tiki.ne.jp/~kichi
じかん● Fri Jun 4 18:36:54 Japan 1999
おなまえ●あつこ
メッセージ● 遼太の父さま
熱い、熱い「翔ぶが如く」の推薦文
どうもありがとうございました。
食わず嫌いはいけませんよね、やはり。
最初の関ヶ原の時点では、薩摩に対してあまり特別な
感情はなかったのですが、どうもやはり祖母の影響
というか、、、、幕末がいけませんでしたね。
でも、このHPで教えて頂いた名作マンガ「風雲児たち」で
長良川の治水工事の一件などを読んで、
江戸時代における薩摩藩の悲哀に触れ、
この藩もご苦労されたのだなあと自然に思えたので、
少し私の薩摩病も癒されてきているのかもしれません。
いいタイミングとして、そろそろ読んでみます。
じかん● Fri Jun 4 13:51:50 Japan 1999
おなまえ●遼太の父
メッセージ● webmaster様、
過去ログを読み直してあらためて感動させられました。実に素晴らしいHPですね。もっと早く見つければよかった。『花神』のお話もこのようにずっと前から盛り上がっていたんですね。早々に旅順に旅された方のお話もあって驚かされました。
あつこ様、
『坂の上の雲』の後は、ぜひ『翔ぶが如く』をお願いします。薩摩嫌いは一気に解消してしまうのではないかと思います。司馬遼太郎の書いた順番からしても、土佐論(『竜馬がゆく』)、長州論(『世に棲む日日』
『花神』)、そして『坂の上の雲』を書いた後で薩摩論(『翔ぶが如く』)と続きますので、司馬遼太郎の思索全体を辿る上でも具合がよいのではないかと思います。小説的要素、虚構的物語的要素がどんどん薄れて行って、純粋な史伝に収斂してゆきます。西郷と薩摩という巨大で謎に満ちた歴史的対象(=問題)に対して、司馬遼太郎が敢然と挑戦して、歴史作品として切り描くことに成功しています。
主人公は西郷と大久保。ひたすら男らしくて巨大。溜息が出るほどに、涙がこぼれるほどに巨大。西郷もいい。大久保もいい。明治維新は間違いなくこの二人が主役です。そして二人は無二の親友だったんですね。互いが互いの最高の理解者でした。物語のサブキャストは桐野利秋と村田新八でしょうか。村田新八なんて、きっと気に入っていただけると思います。マスクもいいですよ。薩摩のダンディズムを感じます。終盤、田原坂から可愛岳、そして城山へと到る激戦のプロセスは圧巻です。
城山から眼前に見る雄大な桜島も絶景です。
じかん● Fri Jun 4 9:37:23 Japan 1999
おなまえ●遼太の父
メッセージ●
下の方で、おたかさんの鋳銭司村レポートを拝見しました。実際に訪れた人の報告を読んだのはこれが初めてです。小郡の近くだったんですね。鋳銭司村はどこだろうと地図で探したのですが見つからず、結局そのままにしてしまっていました。考えてみればこの十年間ほど、旅といえばすべて司馬遼太郎の作品と思想を訪ねる旅ばかり続けてきました。
・歳三が散った函館、
・松陰の萩、晋作の馬関、
・城山、人吉、田原坂、竹田、
・蔵六の宇和島、子規と真之の松山、
・そして会津、
次は旅順へ行くつもりです。必ず I'll be there.
ほんの少し前までは外国人の立ち入りが制限されていたようですが、今は観光地になって、パッケージ商品に組み込まれたりしています。そうなるのを待っていました。
じかん● Thu Jun 3 21:24:19 Japan 1999
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 失礼しました。名前を忘れてました。
じかん● Thu Jun 3 21:22:55 Japan 1999
おなまえ●
メッセージ● めぐみ様
篠田三郎が松陰を演っていたのですか。存じませんでした。浅丘ルリ子がおイネで
はないかというのは何となく記憶の底にありました。私は『花神』は大好きな作品
で、司馬遼太郎の作品の中でもかなりの傑作ではないかと思っています。その理由
は幾つかありますが、その一つとして『花神』が司馬遼太郎の歴史作品の中で屈指
のラブロマンスとして成功していると思われる点があります。
初期から中期にかけての司馬作品の中では、男女の絡みがそれなりに入ってくる作
品がありますが、中期以降『坂の上の雲』以降ではほとんどそれが無くなります。
『翔ぶが如く』なんて全然無いですよね。『花神』は蔵六とイネのラブストーリー
ですね。全体の物語が二人の愛を軸にして構成されています。司馬作品の中では珍
しいのではないかと思います。描写も、宇和島で愛し合う場面や、最後の方の三田
尻から下関の間の船の中での場面などもかなり官能的です。珍しいのではないでしょ
うか。
じかん● Thu Jun 3 18:01:39 Japan 1999
おなまえ●めぐみ
メッセージ● 遼太の父さん
大河ドラマ「花神」のキャストは吉田松陰=篠田三郎、高杉晋作=中村雅俊、おうの=秋吉久美子、おいね=浅丘ルリ子でした。
そういえば、私は松山へ行ったことがありません。ここもぜひじっくり見たいものです。私の父が旧海軍出身なので当然私は秋山真之のファンです。
軍事と文学がとても近かった時代、明治は志を高く持った若者がたくさんいたのでしょうね。それにひきかえ昨今のこの閉塞感はどうしたことでしょう。
じかん● Thu Jun 3 17:30:38 Japan 1999
おなまえ●遼太の父
メッセージ● りょうくんさん、
愛媛県も抜群にいいですよ。ぜひ一度足を運んでみて下さい。私は四年ほど前に宇和島と松山へ行って来ました。『花神』を読むと宇和島へ旅したくなりますよね。高知県の窪川から予土線で入りました。この線はずっと四万十川の中流に沿っていて眺めは最高です。名物の鯛めしは頗る美味しかったのですが、蔵六ゆかりのものに接することはできませんでした。旧宅(跡?)があるらしいのですが..。
松山は子規の街ですね。そこでは今でも子規が生きています。正岡子規記念博物館へのご来館をぜひお勧めします。松山市民の心の中に子規が生きているのがよく実感できます(愛媛県のホームページをご覧になったことがありますか)。司馬遼太郎はいろんな歴史上の人物に深い愛情を注いでいますが、なかでも子規に対する愛情というのは格別のものがあるような気が私はします。
じかん● Thu Jun 3 15:32:25 Japan 1999
おなまえ●遼太の父
メッセージ●
皆様、はじめまして。(息子の名前を先生から貰いました)
めぐみ様:私も塩野七生のファンですが、作品を読んでの感想として、彼女における司馬遼太郎の影響は決定的と言えるのではないかと思っています。私は「女司馬遼太郎」と呼んでいます。クライマックスに戦記を持ってきて盛り上げる方法も似ているし、戦史・戦記を中心にした人物像(英雄像)の組み立て方も実に司馬遼太郎的ですね。私がこれまで読んだのは、『コンスタンティノープルの陥落』、『ロードス島攻防記』『レパントの海戦』の三部作です。『ローマ人の物語』は(分厚くてかさばるので)文庫になるのを待っているのですが、何年後になるやら。
長州とてもいいですよ。何度も行きました。萩もいいですが、私のお奨めは下関の壇ノ浦です。司馬遼太郎も壇ノ浦が大好きで『街道がゆく』でもその景観を絶賛していますね。NHKの『花神』で松陰を演じたのは誰だったんでしょう? 村田蔵六はたしか中村梅之助ではなかったかと思うのですが。
じかん● Thu Jun 3 12:14:50 Japan 1999
おなまえ●あきこ
メッセージ● 98年6月から7月の間にあざみ野のBOOK
OFFで司馬遼太郎先生の小説を買われた方、メールを下さい。
メールアドレスu81208at@elm.timis.ac.jp
じかん● Thu Jun 3 0:56:29 Japan 1999
おなまえ●おたか
メッセージ●
神田さま>実は私、皇名月さんの漫画は読んだことないのです。ただイラストの美しさが実に印象的なので、
きちんと読んでみたいなぁ、と思っていた次第であります。
それにしても読みたい本や漫画の類は尽きることないですね〜。なのに遅読な私はなかなか先に
進めません。本屋に行くと「自分はここにある本達の大部分を知らずに生を終えてしまうのね・・・」
とかなんとか、しょうもないことを思ったりすることがあります。
めぐみさま>勝海舟展に行かれたとか。私は幸い、木曜日の午後、学芸員の方の説明付きで見ることが
できました。その時、色々な裏話も交えて説明して下さったのですが、錦の御旗のエピソードなどは
なかなかに面白い!あそこに展示されていた錦の御旗、西陣織の生地に菊の御紋が縫いつけてあるのですが、
実際、学芸員の方が展示しようと思って旗を垂れ下げたところ「あれ?」と思われたそうな。
実はあの西陣織は裏地に菊の御紋が縫いつけてあったらしく、西陣織を表にして旗を垂れ下げようとすると、
今度は菊が裏返しになってしまうそうです。当時、西郷ドンや大久保ドンが如何に慌ててあの御旗を
作らせたかを想像させる一品だそうな。
子母沢寛の「勝海舟」はボロボロながら我が家にもあるのですが、いかんせんまだそこまで手が回らない〜!
江戸東京博物館の近所には勝海舟の生家跡もあるそうです。
りょうくんさん>「銀河英雄伝説」を読んでる方が、この掲示板の方たちの中にもいそうな予感は
してたのですが、本当にいたんですね〜。銀英伝関連HPにも、この作品を読んで大学では史学科を
専攻しました!という方を結構見かけてたもので・・・。
私は現在幕末にハマッてますが、これも実は司馬遼太郎がきっかけなのです。
それまで「幕末ってよくわからん!」という偏見しかありませんでした。
ちょうど1年前の忘れもしない4月、自分自身なにを血迷ったのか「世に棲む日日」を手にしていました。
読んでみて「司馬遼太郎=難解」という偏見の目が、一気に見開かされた思いがしましたね。
司馬先生の歴史を客観的に見据える目、内面まで掘り下げて描かれる登場人物、等々、
もう書けばきりがないほどのショッキング状態でした。
この想いは止まらず、司馬歴1年余の間、花神・峠・燃えよ剣・血風禄・歴史を紀行する・
竜馬がゆく・アームストロング砲・・・等々、正真正銘司馬漬け状態と化してました。
他の作家に浮気すらしなかった一年間でしたね。
だから、私もりょうくんさん同様、幕末というより司馬に惚れた!といった方が正確な
表記なのかもしれません。「坂の上の雲」を読破したら、今度は自称明治ファン!
とかなんとか言ってしまいそうな自分が容易に想像できてしまうんです・・・。
じかん● Wed Jun 2 21:01:59 Japan 1999
おなまえ●めぐみ
メッセージ● 神田さんへ
イタリアといえばやっぱり塩野七生。(というより彼女しか知らないんですが)今年の2月にイタリア旅行をしまして、帰国後「海の都の物語」を再読しました。彼女は本人も語っているように司馬さんの影響をかなり受けているようですね。この作品はいってみれば「余談」を軸にした小説といえなくもないのではないでしょうか。
残念ながら私は漫画をあまり読まないので、おすすめの作品も取っつきにくいなあと思ってしまいました。先にサガンの方から読んでみようかと考えています。
私が司馬さんを初めて知ったのは、NHK大河ドラマ「花神」からです。リアルタイムで見た人は少ないのではないかと思いますが、当時私は?歳のまだ年少の頃でした。しかし、吉田松陰が投獄、処刑されるくだりからものすごく感動を受けて、さっそく「花神」「世に棲む日々」を読破。以来、幕末と司馬作品にめろめろとなっております。
しかし、私は実を申せばまだ長州に行ったことがありません。いつの日かじっくり歩いてみたいと願っているのですが、いつのことになるやら。
昨年台湾に行ったとき、「街道をゆく」を空港で買って行きの機内で読んだのですが、また違った見方ができたような気がしました。旅行案内のひとつとして読むのもおもしろいかもしれませんね。
じかん● Wed Jun 2 18:56:13 Japan 1999
おなまえ●あつこ
メッセージ● またまた思い切り私信です、
Masatoさん許して下さいね。
神田さんへ
何度か試しましたが、何故かメールが送れませんでしたので、
こちらのアドレスを書いておきます。
大変申し訳ありませんが、よろしくお願い致します。
orochon@aurora.dti.ne.jp
じかん● Wed Jun 2 9:24:43 Japan 1999
おなまえ●あつこ
メッセージ● 神田さんへ
5〜6日ほど前にメールを送りましたが
ついているでしょうか?
ちょっと心配で、、、。
思い切り私信で申し訳ありません。
じかん● Tue Jun 1 23:57:15 Japan 1999
おなまえ●りんたろう
メッセージ● 神田様
ちょっと前に話題に上った、八百比丘尼について。
うちの近所の昔話にも、そんな話ありました。(岐阜ですが)
竜宮城のおみやげだったか、なぞの旅人が置いていったお土産だったか、
よく覚えてませんが、そんなものを食べた女の人が長生きする話でした。
ただ、私の記憶ではそれを食べたのはおばあちゃんで、
いつまでもつやつやの肌のまま長生きし、お寺で尼さんになってみんなにありがたがられた、
というような話だったような気がする・・・。
子供向けに「めでたし、めでたし」にしてあったのかな?
じかん● Tue Jun 1 14:45:47 Japan 1999
おなまえ●よっこ
メッセージ● *びわさま
いつもありがとうございます。風俗博物館、ぜひ一度いってみ
たいです。実物大・・・はわわわ・・・すごいっすねえ。京都はわ
たしにとってアコガレの地になりつつあります。
*NHK大河ドラマ「元禄繚乱」を毎週楽しんでいます。これまで見てきた忠
臣蔵イメージがかなり変わっています。みなさんはいかがですか?
*小説、ではないのですが、里中満智子さんの、「天上の虹」をおすすめし
ます。持統女帝のおはなしで、ご存じの方も多いかと思います。
じかん● Tue Jun 1 9:44:06 Japan 1999
おなまえ●あつこ
メッセージ● びわさん、神田さん、
百比丘尼だか八百比丘尼だか忘れましたが、
手塚治虫さんの「火の鳥」の中でも
取り上げられていましたよね。
確か百鬼夜行とかけて出てきたように思いますが。
不思議でおどろおどろしい世界だったと
記憶にはあります。
産経新聞の「坂の上の雲」は、
いまちょうど山本権兵衛さんのところです。
日本があのころどれほど貧しかったか、
ちょっと私には想像もつきませんが、
戦費が国家予算の占める割合を考えると
本当にこんな事が可能だったのかと
驚かずにはいられません。
それを遂行していった明治っていったい、、、、。
じかん● Tue Jun 1 0:31:09 Japan 1999
おなまえ●りょうくん
メッセージ● おたかさまへ
>田中芳樹著:「銀河英雄伝説」というSF小説は三国志がベースになってると
>思うのですが。
とのことですが「銀河英雄伝説」私も昔読みましたが今思い返してみれば、ふ〜む確かにと
妙に納得してしまいました。それから「街道をゆく」かなりハマッテいるのですが、それは
私が司馬さんを敬愛しているからにほかなりません。「坂の上の雲」で決定的になってしま
いました。おたかさんが幕末を好きなように、私も司馬さんが好きなのです。司馬遼太郎は
もうこの世にはいませんが(T_T)、小説を読んだ人であればみなさんの心の中に生き続けて
いると信じております。何かしらおたかさんの心の中にも印象に残ったと思います。
さて私の住む、盛岡で今度6月に「司馬遼太郎展」なるものが開催されます。さっそく前売
り券を買ってしまいました。嬉しいです。(^○^)グッドタイミングですかね。少しでも何か
得る物があればと思っております。
e-mail:samu05@muc.biglobe.ne.jp
じかん● Mon May 31 19:36:06 Japan 1999
おなまえ●めぐみ
メッセージ●
この週末は東京出張だったので、「勝海舟」展へ行って来ました。思ったより資料が豊富で、得した〜。
なかには土方歳蔵からの自筆の手紙あり、竜馬の活躍を「さもあるべし」と記した日記あり、感動で声を失いました。日曜だったこともあってかなりたくさんの人がおりまして、歴史ファンって意外に多いんだなあと感心しました。
子母沢寛の「勝海舟」は読みましたが、内容はもちろん波瀾万丈なわけですが、如何せん、司馬さんの濃い語り口に親しんでいる私には、文章が単調に思えて今ひとつのめりこめなかったように記憶しております。
しかし、東京はこういう展示が多いのと、目をこらして歩くとそこかしこに歴史的な名残が残っていて、いいですねえ。北海道に住む私には夢のようです。
じかん● Mon May 31 1:32:58 Japan 1999
おなまえ●おたか
メッセージ●
りょうくんさん>私も三国志は誰が好き嫌いということ抜きにして、大好きです。
スケールのでかさ、人間臭さ、込み入った駆け引き・・・等々、たまらないです。
余談ですが、田中芳樹著:「銀河英雄伝説」というSF小説は三国志がベースになってると
思うのですが。田中先生は最近中国物を多く書かれてて、陳舜臣との対談も出版されてます。
それから「街道をゆく」相当ハマってますね。
私はこの中の「長州路」と「会津路」を録画しました。もう、趣味丸出し・・・。
若林さま>川本喜八郎の作った人形はどれも美しいですが、特に孔明の美しさはダントツで、
森本レオの声はまさにハマリ役!です。
う〜、どこかに録画したビデオがあったはずなんだけど・・・。ゴソゴソ・・・。
私は以前東京で開催された川本喜八郎人形作品展に足を運び、また1,2年前、東京の営団地下鉄が
人形劇三国志主要キャラのメトロカードを期間限定発売した時も、しっかり購入してしまいました。
こう改めて書くと、結構ハマってた自分を再認識させられますね。
皇名月さんのイラストは私も好きです。彼女(?)のイラストはとても東洋的な雰囲気がありますね。
それから「酔って候」の中の「肥前の妖怪」(だったっけ?)面白かったな〜ぁ。
私の今のところの司馬ベストは「花神」「世に棲む日日」「峠」「燃えよ剣」(どれも幕末、趣味丸出し・・・)。
あつこさん、蔵六の墓のデジカメは撮れたと思うのですが、どうやって画像にできるのかよくわからないのです!
とことん機械オンチなので、気長に待ってて下さい。
じかん● Sun May 30 20:55:48 Japan 1999
おなまえ●りょうくん
メッセージ●
こんばんわ。今週の「街道をゆく」は明石・淡路街道です。毎週見るたびに司馬さんと旅を
している気がする今日この頃です。さて明石・淡路ですが特に私は「淡路」と聞くと小説
「菜の花の沖」を思い出してしまいました。そうです。主人公高田屋喜兵衛は淡路の出身な
のです。番組のラストシーンで淡路の「菜の花の沖」の風景がでましたがまぁNHKがこの
小説を意識したものだと思いますし、菜の花は司馬さんが好きな花でしたから・・・。
淡路から見る海はとても奇麗でTVの画面からでも溜め息が出ました。今回の旅の主題は
淡路の古代を想うとありましたが、この海ならば喜兵衛も海が好きになるはずだ。と変に納得
したりしていました。明石から淡路へ渡る途中の夕焼けも幻想的で良かったです。(^^)けど
驚いたのがあのイザナギ、イザナミの神々が祭られている神社があるという事実です。神話
の中だけのお話なのかなぁと想像していたのが、神社といった形で祭られていることにちょ
っと安心もしました。なぜだかよく自分でもわからないのですが・・・。(^^ゞ
若林さまへ
>私はりょうくんさんのベスト司馬作品、全部未読です。
>これで司馬遼ファンといえるのか?
>もうお亡くなりになってしまったので、後の楽しみにとっているのです。
まぁ、ゆっくり読んでいって下さいまし。(^^)なにかしら心に残ることでしょう。ちなみに
三国志におはまりのようですが、私も大好きでございます。誰が好き誰が嫌いといった事は
置いておいても天下を三つに意図的に分けそれぞれ中原を目指したその人間ドラマに私は感動
します。(T_T)世界史の中においても三国鼎立し争った時代は中国以外にないのではないので
しょうか?その当時の人々の夢や苦労を想うとそれだけで歴史のロマンや現実の厳しさを感じ
られずにはいられません。余談が長くなりましたが今日はこの辺で!
e-mail:samu05@muc.biglobe.ne.jp
じかん● Sat May 29 23:27:10 Japan 1999
おなまえ●若林
メッセージ● おたかさん
たしかに劉備・孔名は美化されすぎな気がしました。
徳だ徳だといってるわりには、けっこうずるいことをやってるし。
中立的視野のために、陳舜臣の「曹操」を読もうかなと思っています。
美しくて、森本レオの声だったんですか?それは絶対みなくちゃあ。
ゲーム→吉川えいじを読んだ後輩は、「ブサイクはいない」と言っていました。
でもホントに美貌だったのは周瑜と馬超…?と想像してます。
頭の中が中国でいっぱいで、今日ついつい「中国帝王図」という本を
見つけてしまいました。皇名月さんのイラストが美しいです。
あつこさん
今私も「耶律楚材」読んでます。(「三国志」のおかげで中断していたのですよ)
セキマツカントンボクとか完顔阿骨打とかの
聞きなれない名前にロマン?を感じています。
軍師ってかっこいいですね。
「花神」の行軍中にひとり平服でぶらぶら歩いてた蔵六さんもかっこよかった。
「西方に足利尊氏のようなものがあらわれる」と自分の死後の備えを残して
逝ってしまったところも孔名さんみたいですね。
りょうくんさん
私はりょうくんさんのベスト司馬作品、全部未読です。
これで司馬遼ファンといえるのか?
もうお亡くなりになってしまったので、後の楽しみにとっているのです。
初期の活劇風のものはあんまり…というよりキライで、
(だってなんか女性の扱いが気持ち悪いんだもの)
冷徹な観察者として書かれている作品の方が好きです。
それと、諧謔という言葉を司馬さんはよく使われますが、
司馬さんのユーモアは私のツボをピタッと刺激してくれるのです。
「だったん疾風録」の「微温八(ヌルハチ)どのとは、思いきった名だ」とか。
私のベストは今のところ「酔って候」連作です。
masatoさん
ご次男誕生、おめでとうございます。(_ _)
じかん● Sat May 29 21:24:45 Japan 1999
おなまえ●植松治代
メッセージ● だれか鎌倉文学館の永井路子展の情報がありますか。
じかん● Sat May 29 14:27:36 Japan 1999
おなまえ●びわ
メッセージ● 神田 類さま
陰陽師については相当のつうでいらっしゃる!実はわたしははまってると言いつつ、岡野玲子さんの「陰陽師」にはほとほと手をやいています。作品自体はすごくおもしろいのですが、時々ほとんど意味がわからない箇所があり、全神経を集中させて読んでいるのですが、最近はあきらめ半分です。たとえば第六巻のところで、なんで桃園第に白比丘尼が埋められてたんだろう?
第四巻で死ななかったっけ? などなど。でも、だからこそはまってしまったのかも・・・。
よっこさま
5月25日に紹介されていた「六条院の生活」ですが、もしかしたら本に書いてあるかもしれませんが、これに載っている模型はすべて京都の風俗博物館で見ることができます。
春の御殿を上から見渡せる部屋があって、中には登場人物が何人か住んでいます。また別の部屋には実物大の部屋の一部が再現されており、わたしたちは実際にその部屋にあがって家具調度に触れることができるのです。わたしも一度行きましたが、それらの模型を飽きることなく眺め続けてました。もし京都へ行かれることがあればぜひぜひ行ってみてください!
じかん● Fri May 28 1:13:06 Japan 1999
おなまえ●おたか
メッセージ● 最近なかなか来れなくなってしまったおたかです。
若林さま>横山先生の三国志は読んだことがないのですが、おそらく三国志演義を土台に
書かれていることと思います。個人的には、呉の周喩は孔明に匹敵する名参謀だったと
思ってます。孔明が劉備に提唱する天下三分の計は有名ですが、周喩はそれ以上に
雄大な三分の計を提唱しています。が、いかんせん、寿命が短かった!
それでいて、後世作られた三国志演義によって、徹底的に孔明の太鼓持ち(?)的立場に
されてしまった。周喩ファンよ!立ち上がれ!って感じです。
高貴な生まれで名参謀、美貌で病死・・・結構女性ファンをくすぐる条件を兼ね備えております。
それから、人形劇の三国志は確かビデオが出てたと思います。この孔明は実に美しく、
森本レオの声が非常にナイスです。私も一部分なら再放送した時のものを録画してたと
思ったけどなぁ?ただし、人形劇三国志は三国志演義をさらに劉備贔屓した内容になってます。
学研「歴史群像シリーズ 三国志上・下巻」等で、中立的視野を養われることをお薦めします。
(ちょっち偉そうな言い方・・・)
現在、江戸東京博物館で「勝海舟展」を開催してて、行って来ました。
子母沢寛も読まなあかんな〜ぁ、としみじみ思いました。
が、いかんせん「胡蝶の夢」が読み終わらない〜ぃ!「坂の上の雲」も〜ぉ!
なのになのに「会津藩最後の首席家老」長谷川つとむ:著 まで買ってしまった!
会津藩家老・梶原平馬は、最近おたかのマイ・ブームになりつつあります。
速読出来る方が羨ましい〜〜。では。
じかん● Thu May 27 22:30:37 Japan 1999
おなまえ●りょうくん
メッセージ●
こんばんわ。「晏子」の話の反響が以外に多かったのでちょっとびっくりしております。
読んでいる人は読んでいるんだなぁと発見がありました。あらためてここに集まるみな
さんの歴史に対する認識の高さを思い知らされたような気がします。絶対に誰も読んで
ないだろうなぁと寂しくも思っていましたので・・・。
さて「坂の上の雲」のお話ですが、この掲示板でなんども話題に上っていて「坂の上の
雲」のファンは何人いるのかなとふと考えたりもしました。さて対抗というわけでは
ないのですが、私が好きな司馬遼太郎の小説は
1位 坂の上の雲
2位 菜の花の沖(昨日やっと全6巻読み終えました。)
3位
竜馬がゆく(これはまだ途中までしか読んでいない。弟と回し読みなので時間が・・・)
ほかにも「この国のかたち」や「ロシアについて」など好きな作品が沢山です。(^^)歴史を
知らない方でも司馬さんの小説は読む価値があると思います。なぜならその内容には、人とし
て生きていく上でのヒントがたくさん文章の中に詰まっているからです。みなさんもそう思い
ませんか?
e-mail:samu05@muc.biglobe.ne.jp
じかん● Thu May 27 20:26:10 Japan 1999
おなまえ●香山 藤兵衛
メッセージ●
初めまして。今回このページを見つけて、よかったと思っています。
実は、「鬼切丸・膝丸・髭切」という刀についてご存知の方、いらっしゃいませんか。
もしご存知でしたら、いずれの刀についてでもけっこうですので、教えてください。
お願いいたします。
じかん● Thu May 27 16:32:06 Japan 1999
おなまえ●石川
メッセージ●
なんだか数ヶ月おきの書き込みになってしまっていますが、
最近、永井さんの小説は文芸春秋以外の出版社から発行されているもの
については、とんと手に入らなくなりました←自分だけかもしれない。
私は源平時代に興味があったので、永井さんの小説に目が行ったのですが
最近、源平時代を題材にした小説って余り出ていませんね。
なんだか残念です。
じかん● Wed May 26 21:01:18 Japan 1999
おなまえ●あつこ
メッセージ● おひさしぶりです。
「坂の上の雲」のお話が出ていますね。
私も読み終えたばかりなのですが、
読んでいる途中から、
これはもう一度読まなくてはいけない本だ、
と思っていましたので、丁度再連載されている
産経新聞で読んでいます。
何度も読みたい本ですよね。
「蒼き狼」を読み終えて、「風濤」に手を着けつつ、
陳舜臣さんの「耶律楚材」にも頭をつっこんでいます。
マンガ「三国志」では諸葛亮に惹かれました。
(若林さん、お疲れさまでした!)
どうも、軍師という存在に興味があるのです。
関係ありませんが、ヒットラー率いるナチスの
宣伝相ゲッベルスにも大変興味があります。
どちらかというと、参謀とか、演出家とか、
裏方をする人に惹かれるのです。
神田さま
私も「陰陽師」にも興味があります!
まだ、京都にはそういう方がいて
色々な指示をしているそうだし、
節分には平安神宮で陰陽師の舞というか、
歩き方なんかを舞台の上で雅な世界を繰り広げて
くれています。
ところで、「呪師」ってどういうものですか?
それと、以前教えて頂いた「吉野朝太平記」
どこ行ってもみつかりません!注文した方が
早かったのかも、、、。だから、まだ手元に
こないのです。残念!
りんたろうさま
井上靖記念館の情報、どうも有り難うございます。
モンゴルにも行ってみたいけど、
なかなか無理なので、米子へ先に行って来ます。
すっごく楽しみです、でも、いつになるか、、、。
いま、大阪の東洋陶磁美術館で「宋磁展」をやってます。
宋の時代に華開いた青磁、白磁などの逸品が
世界中から集まっていて、素晴らしいです。
個人的には河北省の定窯で焼かれた白磁が好きです。
金でも素晴らしい技術で素晴らしい器が焼かれて
いたのですが、その金という国に草原の狼、チンギスハンは
戦いを挑んだのですね。
そういう事をふと思いだしながら、美しい器を眺めていると
チンギスハンの凄さを思い知らされました。
じかん● Wed May 26 18:25:00 Japan 1999
おなまえ●めぐみ
メッセージ●
「晏子」、私も読みました。ちょっと賛美して描きすぎのような気もなきにしもあらずですが、非常に楽しめました。
中国史は陳舜臣の「十八史略」を二巻ほど読みましたが、登場人物が多すぎて複雑で取っつきにくいというのが正直なところです。すぐに殺し合いになって誰が生き残ったのかよくわからないところもあるし。
しかし、司馬さんも「中国史の素養がなくて日本史が語れるか」とのスタンスでありましたから、少し勉強しなければとは思っております。
さて、私の司馬さんの小説ランキングでは「坂の上の雲」の次に「燃えよ剣」「峠」と続きます。ということは、己の信念を貫いた男性を描いた小説が好きということになりそうです。
おいおい私の司馬さんとの出会いなど、全く個人的なことですが書かせて頂ければうれしいです。とりあえずここまで。
じかん● Wed May 26 2:06:04 Japan 1999
おなまえ●りょうくん
メッセージ● 神田様へ
メールありがとうございます。さて言葉の「にゃあ。」の件ですが、静岡県だったのですね。
大変楽しく読ませていただきました。また下駄のお話も大変面白いですね。気候によってすり
へる位置が異なるのは気づかなかったです。
それから私の好きな時代、中国の戦国の七雄時代ですが、面白い小説はあります。宮城谷昌光
の作品で「晏子」や「重耳」は大変面白いですが、何分内容があまりにマイナーすぎるので
最初は読んでも何が何やら解らないと思います。なので最初に世界史の漫画本でその時代の知識
を予習し、かつ時代はちょっと違うのですが司馬遼太郎の「項羽と劉邦」を読んでからの方が
良いと思います。普通の人にはお勧めできない小説ですね。その時代の自分なりの論評としては
その時期の中国(紀元前3世紀以前)は戦乱の世にあって諸子百家と言われる思想家がたくさ
ん出てきてます。もしかしたら儒教一色の後世の中国よりある意味魅力があるのではないかと
思ったわけです。あまり話すと一人よがりの世界になるのでこの辺にします。気が向いたら読
んでみてください。決して強制はいたしません。
さてそれから最後に夏に食べるものですがそうですね。やはり「そうめん。」です。私の住む
岩手はそんなに夏に変わったものを食べる習慣は無いですね。「わんこそば。」や「じゃじゃ
めん。」、「冷麺」の聖地岩手ではやはり、「もりそば。」などが人気があります。(^^)ずば
り岩手はオーソドックスに おそば です。
めぐみさまへ
お初です。司馬遼太郎「坂の上の雲」絶賛されているようですが、このホームページには
「坂の上の雲」好きの人がたくさんいらっしゃいます。私も「坂の上の雲」大好きです。
何やら仲間が増えたような気がしてうれしゅうございます。何回かこの掲示板にアップす
れば必ず、何かしら雲が見えると思います。それでは!
e-mail:samu05@muc.biglobe.ne.jp
じかん● Tue May 25 22:02:39 Japan 1999
おなまえ●若林
メッセージ● 「三国志」60巻読み終わりました。やれやれ。
じーーんと余韻に浸っているところです。孔名さん、可哀想すぎる。
負けてしまった国が美しく語り継がれているということは
中国人も判官びいきなんですね。
もちろん有名すぎる本ですから、知ってはいたんですが
おやじ好きがするかんじがして今まで食指が動かなかったんですよね。
読んでみたらどっぷりとはまってしまいました。
久々に熱中して読むものに出遭いました。
これもあつこさんはじめ、歴史小説の部屋掲示板に集うみなさまのおかげです。
ありがたやありがたや。
「蒼天航路」を本屋でみつけて「あっこれ!」と開いてみたら
筋骨隆々のお目目ぎらぎらの美青年が美女をはべらせていて
それが孔名さんでした…。(゚o゚ ;)
ああー、、イメージがー。
これはちょっとまだ読めそうにありませんー。
NHKの人形劇を見たかったです。←そのころは全く興味がなかった。
じかん● Tue May 25 18:59:20 Japan 1999
おなまえ●めぐみ
メッセージ● はじめまして。さきほどは失敗してしまいすみません。
このHPを見つけて初めて書き込みというものをしました。私も札幌在住なので札幌発信とはびっくりしましたが。
私の人生に影響を与えた二人の作家のうちの一人が司馬遼太郎さんです。特に「坂の上の雲」は人生観を変えたといっても過言ではありません。
みなさんのように他の歴史作家の作品はあまり読んでいませんが、いろいろ教えていただければうれしいです。
ちなみにもうひとりの作家というのは筒井康隆です。
どうぞよろしく。
e-mail:aab39140@pop02.odn.ne.jp
じかん● Tue May 25 18:51:23 Japan 1999
おなまえ●めぐみ
メッセージ●
じかん● Tue May 25 11:16:35 Japan 1999
おなまえ●よっこ
メッセージ●
さっきかいたばっかりなんですが^^。メッセージをたくさんいれていただいてもらってたのをあとできづいてしまって・・・。おたかさま>三国志には、はっきりいって、ほとんどノータッチです(笑)。なんか、中学生くらいの時に、世界文学全集みたいなのを親が購入して、そのなかに、三国志もあったのですが、桃園で3人が義兄弟になっちゃって、それから私の中では記憶がとんでいて、一番印象に残っているのが、「悪い国司が3人にこらしめられて最後に火あぶりにされて、その国司は太っていたので油のせいでよく燃えた」というシーンなのでねえ。・・・すいません、ふざけてます。周喩、孫策っていう人の名前は、コバルト文庫でみたことがあるていど・・・。よって、「*」の表記はうすうすはわかるけど、「えっ、そうなの!きゃーいやーん!!」とまではいかないでしょう^^。おそらく、後白河院*信頼というかんじかなあ、日本史風にいくと。まちがってたらなんかはずいなあ、これ。
神田さま>おすすめありがとうです。なんかわたしってそっち方面に通じてる女みたいですねえ。あはは。興味のむいたものならばいくらでもはしってっちゃいますからね、ほんと。「この世をば」からはいったはずなのに・・・。
じかん● Tue May 25 10:52:40 Japan 1999
おなまえ●よっこ
メッセージ●
びわさま>「院政期社会の研究」は、山川出版社から、昭和59年に出版されています。値段が高いので、わたしなどは、根性で、学校の書庫から引っぱり出してきました。「陰陽師」、私も好きです。夢枕獏さんの、原作バージョンもよいですが、どうしてもビジュアルに頼ってしまう私としては、岡野令子さんのコミック版にかたむきがち。まくずちゃんがすごいキュートだし、博雅はおちゃめだし・・・。あと、まだ読んではいないのですが、「闇の大納言」という本を地元の図書館で見つけました。「闇の」ってどんなんやー!!どんな大納言なんじゃそいつっ!!とタイトルをまじまじと見つめてしまいました。読んでみるにこしたことはないとは思うのですが、おそらくは陰陽道系かなあと・・・。でもいま「ハルモニア」読んでるからだめだなあ。
私は岡山人なんですけど、岡山の、倉敷は児島に、鹿の谷の陰謀で、藤原成親が流罪になってったという記述が、平家物語にあるんですよね。学校の先生も、「児島に流された後、庭瀬のあたりの谷底につきおとされて殺された」といってたんですけど、長年岡山に住み着いていながらいまだ訪ねていないのはちょっとさびしーです。香川県は高松に、平家物語博物館というのがあるので、一度はいってみたいし、例の成親さんの場所もたずねてみたいところです。
最後に、おすすめのガイドブックを一冊。
「源氏物語・六条院の生活」:源氏物語で、光源氏がつくりあげた理想郷ともいうべき六条院を、4分の1縮尺にして復元し、それを
写真におさめたものです。とにかくすごい!とてもきれいでフルカラーなのでわたしのおきにいりにな
ってます。源氏を、平安時代を楽しみたい方にもってこいの一品です。調度品などの大きさがわかるの
もよいです。
では、また。
じかん● Sun May 23 10:52:58 Japan 1999
おなまえ●若林
メッセージ● おたかさま
孫策*周喩、ナルホド。
はじめて「三国志」を読んでいます。横山光輝の。
天才にかなわずにイライラして死んでしまった、周喩さんの
プライドの高さ、人間くささに共感を覚えた私です。
じかん● Sun May 23 1:12:05 Japan 1999
おなまえ●りょうくん
メッセージ●
こんばんわ。一週間ぶりのアップになります。といってもすっかり土曜日の「街道をゆく」
おなじみになったことと思います。今回は「南伊予街道」です。私自身の見た感想から申しま
すと、「ああ〜、今回も良かったな。」としみじみ思いました。そもそも「えひめ」の地名に
ついてですが、「良い女」との意味らしく大変赴きがあってのびやかで、古典的で、良い地名
だなと感じました。大洲や宇和島の景色はまことに風光明媚で、海岸線と岬の起伏が美しいと
素直に眼に写りました。その風土も私の住む陸奥の国の寒く厳しい環境とは大きく異なり、温
暖でのびやかでいかにも暖かい南国といった様子です。
司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」の秋山兄弟や正岡子規も愛媛の出身で言葉づかいも、自分の
ことを「あしは、」と呼んだことに愛媛の言葉の響きの良さを思いましたが今回の「街道をゆ
く」でその認識を新たにし、また愛媛の人々の「人気(じんき)」を想いました。(^^)
愛媛の言葉で見送りの時に「お道を」と言って手を振るのだそうですが、意味は旅の平安を祈る
との意味だそうです。大変美しい日本語ですね。。感動しました。総括としてたった30分の
南伊予でしたがその魅力に取り付かれた30分でした。
さて神田さま、まりこさま、多田さま、お初でございます。このホームページのみなさんはみな
歴史を愛する人達でまことに居心地が良い所でございます。(^^ゞ少しでも多く歴史を語らいみ
なさんとお話し、歴史の参加者であります様に!!それではまた。
e-mail:samu05@muc.biglobe.ne.jp
じかん● Sat May 22 21:03:17 Japan 1999
おなまえ●多田 信広
メッセージ●
5月20日に私の妹の、多田容子が本を出版しました。タイトルは、「双眼」です。講談社からの出版です。宜しくお願いします。
柳生十兵衛を題材にした時代小説です。
講談社主催の時代小説大賞に6回応募し、3回連続ベスト3に残った実力を評価してもらい、今回のデビューとなりました。
帯にも、「十兵衛神話に記念すべき一頁が加わった。驚異的な力量をもった若手女流作家の誕生」と評論家の菊池仁氏がメッセージを寄せて下さっています。
是非一度お読み下さい。よろしくお願いします。
ちなみに、兄の私は公認会計士・税理士をしております。
じかん● Fri May 21 23:04:26 Japan 1999
おなまえ●びわ
メッセージ● よっこさまへ
いやはや、気をつかわせてすみませぬ。きっとお互いの機種が仲悪いんでしょうね。
「院政期社会の研究」、わたしも読んでみたいので出版社教えてください。
書店で聞けばわかるかな?
「檀林皇后私譜」と「王朝序曲」は持ってます。 わたしは「檀林」嵯峨のファン
だっただけに、正反対に描かれている「王朝」嵯峨のおぼっちゃんぶりにはびっくり。
解釈の仕方ひとつでいくらでも変わるものですね。
そして、「むかし・あけぼの」はわたしも愛読してます。則光が妙におかしい。
橋本治さんの「桃尻語訳 枕草子」とあわせて読んだらおもしろいかも。
歴史小説ではないんですが、最近、夢枕獏著「陰陽師」にもはまりつつあります。
平安時代、村上天皇のころという時代背景に惹かれて読み始めたのですが、安倍清明
と源博雅の迷コンビが絶妙です。そして、これを読んだら同名のコミックも必見!
まりこさまへ
はじめまして。まりこさまはどのへんの時代が特にお好きですか? おすすめの
作品もいろいろ教えてください。
じかん● Fri May 21 18:49:22 Japan 1999
おなまえ●まりこ
メッセージ●
はじめまして、このページを見つけたとき、うれしかったです。私は、自他ともに認める歴史マニアです。永井路子先生は心の師匠です!よろしければ、メッセージください!アドレスはz951056@info.uoeh-u.ac.jpです。
じかん● Wed May 19 2:04:50 Japan 1999
おなまえ●おたか
メッセージ● ご無沙汰してます。
よっこ様>「院政期社会の研究」とは、どこの出版社から出てるんでしょうか?
ちょっと興味あります。
ところで、よっこさんは三国志なんぞお好きですか?
もし興味がおありなら、藤水名子の「赤壁の宴」(講談社文庫)をお薦めします。
そっち方面を彷彿とさせる、美しいストーリーです。
(参考:孫策*周喩←この表記が理解できるようなら、かなり通とみた)
もっとも、元ネタ三国志を知ってないと、内容そのものは解りづらいかも知れませんが。
私の場合、NHK人形劇と吉川英治「三国志」が、役立ちましたね。
(この2つは三国志ファンにとって、かなり王道らしい。人形劇の孔明は美しかったな〜)
じかん● Tue May 18 22:59:09 Japan 1999
おなまえ●りんたろう
メッセージ● モンゴルモードのあつこ様。
確か米子に「井上靖記念館」なるものがあります。
井上靖の著書はもちろん、草原民族の服とか、実物大のパオとか、
モンゴルに関する文献、新聞の切抜きなどが展示されていて、
井上靖フアン、モンゴル好きの方には結構見ごたえがあります。
機会があれば行って見てください。
じかん● Tue May 18 15:03:09 Japan 1999
おなまえ●よっこ
メッセージ● >びわさま
メールいつもありがとう。なんか、毎回トラブってすいませんです。今回の手紙もおかしかったらあれなんで、こちらに、大体のことをお話させていただきます。田辺聖子さんの作品では、「むかし、あけぼの」が、中宮定子&一条天皇のラブラブ旋風ふきまくりで超プッシュ!!あと、学術関係では五味文彦氏の「院政期社会の研究」。平安貴族の日記におけるセキララな男色記録にドッキリ!?といった内容になっております。おたかさま、これは必見ですよ(笑)。禎子内親王物ほかにないんでしょうかねえ。ところで、杉本苑子さんの「檀林皇后私譜」と、永井路子さんの「王朝序曲」をくらべて読んでみることをおすすめします。全然ちがう嵯峨天皇像にドッキリ!?^^ですよ。ではまた。
じかん● Tue May 18 15:02:55 Japan 1999
おなまえ●よっこ
メッセージ● >びわさま
メールいつもありがとう。なんか、毎回トラブってすいませんです。今回の手紙もおかしかったらあれなんで、こちらに、大体のことをお話させていただきます。田辺聖子さんの作品では、「むかし、あけぼの」が、中宮定子&一条天皇のラブラブ旋風ふきまくりで超プッシュ!!あと、学術関係では五味文彦氏の「院政期社会の研究」。平安貴族の日記におけるセキララな男色記録にドッキリ!?といった内容になっております。おたかさま、これは必見ですよ(笑)。禎子内親王物ほかにないんでしょうかねえ。ところで、杉本苑子さんの「檀林皇后私譜」と、永井路子さんの「王朝序曲」をくらべて読んでみることをおすすめします。全然ちがう嵯峨天皇像にドッキリ!?^^ですよ。ではまた。
じかん● Mon May 17 1:30:35 Japan 1999
おなまえ●りょうくん
メッセージ● りんたろう様・あつこ様へ
どうもこんばんわ。えっと、「いけず」についてちょっとお話が大きくなっているみたいなので
真夜中ですがとり急ぎ書きたいと思います。
確かに、「いけず」の意味が「いじわる」となっていたからといって私は、その意味をそのまま
受け取ってはいませんのであしからず。それどころか、私の中にいる京都の人は皆親切ですよ。
>具体的に、どこがどう「いけず」なのか、言葉で説明するのは
>とても難しいので、困ってしまいます。
とのことですが、確かにその言葉、京都の本質を見るにはもっと奥が深いと私は思うのです。
>>その土地の文化に触れるには住むしかないなと実感を新たにしたわけであります。
結論として京都という文化、人の本質をつかむには住んでみるのが一番であろうと考えました。
なので決して京都の人を侮辱したり馬鹿にしたりといったことは絶対に無いのでご安心ください
ませ。どうも私の方も言葉たらずで迷惑をかけてしまいました。大変申し訳ありませんでした。
ネット上での誤解は良くあることで、ある意味すごく怖いことなので急ぎ弁解?(^^)いたしま
した。お互い注意いたしましょう。それでは。
じかん● Sun May 16 22:33:11 Japan 1999
おなまえ●りんたろう
メッセージ● あつこ様。
「坂の上の雲」日清戦争が始まったとこまでやってきました。
このころの日本人っていじらしいですね。全てに必死で、みんながなんか燃えてしまっている。
好古さん、かっこいい!無愛想そうで、はっきりきっぱりしているところが好きです。
これからどうなるのかとても楽しみ!
ところで、京都の話。
「いけず」を説明するの、確かに難しいかも。りょうくん様の感想を呼んで苦笑いたしました。
「いじわる」と言ってもあまり「いやなやつ」というニュアンスはないかも。
京都の人は学生さんのかわいがりかたに見られるように、お客さんには親切ですよね。
だけど、見かけによらずしっかりした人も多く・・・
難しいのであまり具体的なコメントはやめておいたほうがよいですね(苦笑)。
こういう、人が聞きたがってる話を途中で止めて一人にやにやしてるのも「いけず」というのでしょうか?
じかん● Sun May 16 16:31:03 Japan 1999
おなまえ●財前五郎
メッセージ●
高橋克彦氏の「完四郎広目手控」を読んだ方いらっしゃいますか?
読みやすくて面白いです。
幕末頃の話しで、香冶完四郎という主人公が(架空)実在の人物とからみながら、江戸で
起きる不可解な事件を解決していくというストーリーです。土方歳三も出てました。
出版されると同時に、ふと買ってみて気に入ってしまいました。
一話ごとにモチーフの浮世絵があって面白いです。
読まれた方、どんな感想をもたれたか聞かせてください。
余談
この本に使われた資料のことがしりたくて、本屋さんに検索してもらったら、
あまりに膨大すぎて確定できませんでした。
すると店員さんが「直接作者に聞いてみたら?」と、高橋先生の住所と電話番号を
教えてくれました。
事務所とかならともかくそんなに簡単に教えてしまっていーんだろうか?
じかん● Sun May 16 14:23:38 Japan 1999
おなまえ●あつこ
メッセージ● りょうくん様
私の言葉が足りず、誤解をさせてしまったようで、
大変申し訳ありませんでした。
「いけず」をそのまま「いじわる」としてしまうと、
少しニュアンスが違ってしまうのです。
ストレートに京都の人が意地悪で不親切だというわけではないのでが、
具体的に、どこがどう「いけず」なのか、言葉で説明するのは
とても難しいので、困ってしまいます。
言葉たらずというか、あいまいな事を書いてすみません。
また、ここに京都の方が見ていらしたら、大変失礼しました。
話は少し変わりますが、京都の人の間では、
明治になって天皇が東京へ行くときに、
「ちょっと行ってきます」と言って行かれたというのです。
だから、天皇さんはそのうち帰ってきはる、と。
京都の人にとって、天皇家はずっと身近にあって、
京都がみやこである事は、
いまでも変わっていなのではないかと思います。
それにしても「いけず」は方言(?)なんですね。
認識不足ですね、言葉って難しい。
じかん● Sun May 16 12:36:26 Japan 1999
おなまえ●りょうくん
メッセージ● りんたろう様・あつこ様へ
おはようございます。「にしんそば」のお話大変興味深く読ませていただきました。おもしろ
いですね。
>京都は内陸のため生魚が手に入りにくく、塩漬けや乾物、佃煮のような魚しか手に入らなかっ
>たという事情が食文化に影響していると思われます。
なるほど。(..)京都が内陸にあるが故に鮮魚が手に入りにくい故に、工夫された食文化が生まれ
たわけですね。東北、盛岡も内陸にあり鮮魚の入手が困難な土地柄でしたが、京都のような繊細
な食文化は生まれませんでした。京都食文化の偉大さを思い知らされたような気がします。その
かわり岩手県は「わんこそば」とゆう豪儀な食文化が生まれました。全国大会なる物も企画され
早く多く食べることが良いとされています。「にしんそば」と「わんこそば」同じそばでも、随
分と文化の違いがあり大変おもしろいと感じました。(^^)
それから言葉の文化・これもまた貴重なお話を聞かせていただきました。京都人観が「いけず
」だとゆうお話がありましたが、これもまたおもしろい。「いけず」の意味がわからなかったの
で国語辞典で見ると 「いじわる」
とあり私が京都で接した人は皆親切だったので「いけず」の
イメージがなかなか頭に思い浮かべられなかったのが正直な所です。と同時にやはりその土地の
文化に触れるには住むしかないなと実感を新たにしたわけであります。
さてやっと「街道をゆく」のお話を少しだけしたいと思います。今回は、「東京、本所深川」
でした。橋のお話がありました。下総国と武蔵国を結んでいたので両国橋、粋な名前だなぁと
思うのは私だけでしょうか?非東京人の司馬遼太郎さんが東京深川の人の文化に触れていました
。この掲示板でも京都文化のお話をしておりますが、東京と京都の違いこそあれ「文化」という
物を考えることが楽しく思えます。
e-mail:samu05@muc.biglobe.ne.jp
じかん● Sat May 15 10:58:00 Japan 1999
おなまえ●あつこ
メッセージ● 京都言葉についてのご意見がいくつか見られましたね。
私は阪神間在住ですが、私の乳母(?)というか、
育ての親のようなお手伝いさんがいまして、
そのひとは山口生まれですが、ほとんど生粋の京女です。
ですから、京言葉で育てられたのでした。
大学時代は京都でしたし、京都はもの凄く身近です。
そんな私の京都人観というのは、正直に言って
「いけず」です。だから私もいけずになってしまった、、、?!
一般に関西弁というのは、大阪弁でしょうね。
神戸と大阪と京都は、関西弁とひとくくりにはできない
違いがあります。
私はどちらかと言えば、神戸弁ですが、父が横須賀なので
関西と関東のハーフですから、生粋の神戸弁ではありません。
りんたろうさま
「坂の上の雲」を読み始められたんですね!!
もう、これであなたもトリコでしょう。
お仲間が増えてとっても嬉しゅうございます。
じかん● Sat May 15 2:34:06 Japan 1999
おなまえ●りんたろう
メッセージ● りょうくんさまへ
テレビのほうの街道をゆくですが、最近ビバリーヒルズ青春白書と重なっているため、なかなか見れておりません。
少し悲しいです。再放送はいつやっているのでしょうか?
さて、京都ですが、私は学生時代京都に住んでいたのだけど、京都言葉は関西弁の中でもおっとり、少し間が抜けて聞こえる言葉です。
「おおきに」は非常にあちこちでよく使います。私も京都ではよく使いました。
個人的には、50代くらいのおばさんが立ち話とかで「ほんま、おおきに」「かんにんえ〜(ごめんね〜、という程度の意味)」とか言ってるのを聞くのが結構好きでした。
にしんそばですが、正しい由来は知りませんが、京都は内陸のため生魚が手に入りにくく、塩漬けや乾物、佃煮のような魚しか手に入らなかったという事情が食文化に影響していると思われます。
京都ではお祭りのときとかよく鯖寿司(しめさばのお寿司のようなもの)を食べますが、恐らく酢や塩でつけた鯖しか手に入らなかった、という事情が影響しているのではないかな。
ちなみに北陸から滋賀を通って京都に魚を運んだ道は、鯖街道とか北国街道とか呼ばれて今も残っているはずです。
以上思いつくままに・・・。
ちなみに今は、このページで見た「坂の上の雲」を読み始めて、そのおもしろさに結構大喜びしています。
じかん● Fri May 14 22:48:21 Japan 1999
おなまえ●りょうくん
メッセージ●
ども、こんばんわ。りょうくんです。さて今日は京都紀行の最後にしたいと思います。題目は
京都の人についてなのですが、主に言葉。東北の人間から関西の人間のしゃべる言葉を聞くと常
に早口でうるさく感じられがちなのです。なので京都に行ってもそうなのかなぁ。と思っていま
したが・・・、直に京都の人と道を尋ねたり、買い物をしたりして話しをしてみると案外気持ち
よく言葉が入ってきました。(^^)ともすると地元の言葉よりやわらかい感じがして一言で言うと
「ひとなつこい」ひびきがしました。「おおきに」とゆう言葉が変に自分の耳に残って帰る新幹
線の中で「おおきに」と時々つぶやいたりしてました。
歴史の紐を解くと日本人とゆうのは、大和政権の時代から、西日本から坂東へ文化と人を流入
させてきました。もしかしたら私の祖先も西日本にいてて関西弁をつかっていたかもしれません
。だからと言うわけではないのですが極端な話、関西の言葉の方が本来の日本語だから私が関西
の言葉を聞いて変に感じなかったかも・・・。
さて以上京都の話を乱文でしたがお話しました。主題とか全然関係なく心の赴くままに綴った
のでわけがわからない方もいると思いますが、ご容赦くださいませ。明日の「街道をゆく」は
必ず見たいと思います。それでは。
e-mail:samu05@muc.biglobe.ne.jp
じかん● Mon May 10 22:40:00 Japan 1999
おなまえ●りょうくん
メッセージ● どもりょうくんです。まず最初に、
りんたろうさまへ
「司馬遼太郎・街道をゆく」のファンだそうで、「街道をゆく」見てる人間なんて俺くらいかな
ぁと思っておりましたが、見てくれている人がちゃーんといるんですね。嬉しく思いました。
さて今日は、京都紀行第2弾で食文化に触れたいと思います。題名は「にしんそば」です。
なぜ「にしんそば」かとゆーと(^^)京都で「にしんそば」を食したときに、北の魚であるにし
んが何故京都で名物になったのかを考えたからです。「にしんそば」がいつ、どのようにして
京都に根ずいたのか?不思議に思ったからです。もちろんその背景には、司馬遼太郎の「菜の
花の沖」を読んだことが影響しておりますが。(内容は、蝦夷の開拓に功のあった高田屋喜兵衛
のお話)もし江戸時代に成立したとすればその当時の輸送の豊かさを思えるわけです。京都の
懐石料理も良いですが、もっと手軽な部分でもその当時の人の考えや風俗を見れるのではないか
?そんな期待があったのです。考えてみれば不思議だと思いませんか?そんな京都での食事で
した。
PS.「にしんそば」の由来について知っている方がいれば教えて欲しいのですが・・・、いる
かなぁ。?
e-mail:samu05@muc.biglobe.ne.jp
じかん● Mon May 10 1:42:16 Japan 1999
おなまえ●osamu
メッセージ●
もう10年以上前に読んだ歴史小説の事を知りたくてネット検索をしていたところ、このページを見つけました。このようなお尋ねをここに書いていいのか迷いましたが、どうしても知りたくて・・・。
10年ほど前、どこかの待合室で、おいてあった文庫本を何気なく読み始めたのですが、それが非常に面白くてついつい読みふけってしまいました。その本には短編小説が5つぐらい入っていました。いずれも面白かったのですが、その中に、題名は忘れましたが、(多分「針切又兵衛」だったと思うのですが)こんなストーリーがありました。
とある田舎の百姓が剣術にあこがれて道場に行くのですが、そこの先生に「この針が切れたら 弟子にしてやる」と言われます。その百姓はそれからの言うもの一生懸命針を切る練習をする のですがその練習をするうちどんどん剣の達人になっていく・・・。そのうち祭りか何かで侍 といざこざになり、侍から「この百姓」といわれてふとひらめき、おごりを捨てて針を切った らすぱりと切れた・・・。
なにぶん昔のことで記憶もあいまいですが、なぜか強く印象に残っており、いつの日かもう一度読みたいと思いながら今日に至りました。
この掲示板を読んでもしも心当たりの方がいらっしゃいましたら、この小説の題名・作者・本の名前・出版社等を教えていただけませんでしょうか?何卒よろしくお願いいたします。
倉田 理
e-mail osamu14@hotmail.com
じかん● Sun May 9 9:52:34 Japan 1999
おなまえ●りょうくん
メッセージ●
おはようございます。一週間ぶりのアップになります。さて恒例の「街道をゆく」ですが・・
・友人の婚約祝いで昨日は見れませんでした。(T_T)今、二日酔いであまり具合もよろしくない
ですががんばって書こうと思います。p(^^)q
masatoさんへ
ですが京都へ予告どうり先週行ってまいりました。良かったです。溜め息が出るくらい、庭が
美しかった。行き先は、竜安寺、妙心寺(大心院、退蔵院、桂春院)、曼殊院、銀閣寺、法然院
、南禅寺の8個所。
「街道をゆく」ですが見れなかったので今回は、京都に行ってきたのもあるので京都街道に
しようと思います。何分、庭、食、工、人の京文化に色々と思索を巡らしたので一息には書け
ないです。なのでちょっとづつにします。
竜安寺と聞いて石庭を思い出される方は多いと思いますが・・・入り口から石庭にいたる道も
風情があってとても好きになりました。石庭への入り口が庫裡(お寺の台所の意)からとゆーの
もたいへんおもしろかった。中へ入り行くとあの世界遺産で有名な石庭がそこにあります。はず
かしい話なのですが、石庭を見ること10分泣いてしまいました。陸奥の国から山城の国・京都
へ訪れたことが嬉しかったしその距離を想い、京文化を想い、歴史を想いその感慨が深くなるに
つれ、なんとなく泣いてしまいました。1年あこがれてましたから・・・。15世紀の成立で武
士であった、管領細川勝元がてがけたそうですが、見て武士の庭とゆうことでなければあの石庭
は生まれなかったかもしれないなと感じました。虎の子渡しを意識しているらしいのですが、見
た印象を一口で語れば、まことに簡素以外の何者でもなく、その簡素を良いと思う心が日本人で
あるかなと推測しました。また石を庭にする文化は当時、京都以外の日本に無く、もちろん世界
にも無くその唯一である発想が世界遺産なのだなぁとしみじみ想いました。
今日はこのへんで終わりにしたいと思います。石庭の風景の説明はあまりに有名なため省略さ
せていただきました。
e-mail:samu05@muc.biglobe.ne.jp
じかん● Sun May 9 0:36:25 Japan 1999
おなまえ●りんたろう
メッセージ●
はじめまして。司馬遼太郎と永井路子が好きです。こんなHPがあるなんて嬉しい!
出身は岐阜なので、織田信長や戦国時代者は大好きです。「流星」や「乱紋」とても面白かった。「街道をゆく」は、テレビも原作も好きで、興味のある地方や旅行に行く前にはよく読みます。オランダへ行くのに「オランダ紀行」を持参したくらい。司馬遼太郎の本は多く出版されすぎていてどれから手をつけようかといつも思い悩むので、皆さんのご意見、参考にさせていただきます。これからもよろしくお願いしまーす!
じかん● Sat May 8 18:30:29 Japan 1999
おなまえ●梅太郎
メッセージ●
文庫化されたので、「望みしは何ぞ」を読みました。道長以降の権力闘争にさほど注目したことがなかったので、永井さんの筆のさえもあって、一気に読んでしまいました。永井さんと杉本苑子さんの作品は文庫化される都度必ず読んでいます。奈良・平安朝を舞台にした小説を手がける人が少ないので、わたしの貴重な愛読書になっています。
じかん● Sat May 8 16:47:54 Japan 1999
おなまえ●びわ
メッセージ●
念願の「望みしは何ぞ」ついに読みました。数少ない禎子内親王ファン
としては、あれだけクローズアップされている作品がものめずらしく、
一気に読んでしまいました。そして、いまさらながら尊仁親王を生んだ
禎子の存在はおっきい!などと一人納得。でも、これ以外の小説では
とんとお見かけしないのが悲しい・・・。
じかん● Sat May 8 12:55:19 Japan 1999
おなまえ●財前五郎
メッセージ● お久しぶりです。
羽二重団子…中庭がきれいです。夏に行ったので涼しげで良かった。
正岡子規は、いくつかこの店に関する句を作ったようです。
>おたか様
イネの墓は長崎にあります。
そういえばイネの写真を「知ってるつもり」か何かで見ましたが、キリリとした凛々しい
おばあさんでした。
長崎のシーボルト記念館に展示してるかどうかわかりませんが、一度実物を見てみたい
です。
じかん● Fri May 7 21:37:49 Japan 1999
おなまえ●若林
メッセージ● お久しぶりです。
貸していただいた「三国志」やっと17巻までたどりつきました。
(あつこさん、ありがとう(T-T)遅いでしょ)
関羽さんカッコイイですねえ。
私がただひとり、名前を知っていた諸葛孔明さんがまだ出てこないんです。
ということは、どれだけ長い話なのか…今から実感しています。
まんがなのに、登場人物がごっちゃになっている私は
絶対絶対、小説だったら読めなかったでしょう。
まんがというものが世の中にあって良かったです。
後ろの方に「風雲児たち」の宣伝が載っていますね。
ギャグなんですか…?
じかん● Fri May 7 20:46:36 Japan 1999
おなまえ●くろうさぎ
メッセージ●
「萌がさね」を図書館でみつけて借りてきました。私の想像していた明子では
なく、だからこそおもしろかったです。
「この世をば」を読み返そうかな。「望みしは何ぞ」もね。
じかん● Thu May 6 15:38:54 Japan 1999
おなまえ●よっこ
メッセージ●
「望みしは何ぞ」買っちゃいました。うう、お金もないのに誘惑に負けてしまいました。「永井さんのファンなら買え!!」と私の中のもう一人の私が背中を押したんですう(馬鹿丸出し)。 いま、NHKで、「ときめき歴史館」っていうのやってますよね。まだみたことはないですけど、平安系やったらぜったい見ます!「堂々日本史」もよかったので、期待してます。同じくテレビネタ。このまえ、新聞のテレビ欄をみていたら、日テレ「知ってるつもり」で、「忠犬ハチ公」をやると書いてあって、「ついに知ってるつもりは人物伝やめちゃったのか・・・?」と悲しげにつぶやいてしまいました。ハチ・・・いいけどね感動だもんね、私だって映画みたしね・・・。っていうか、「知ってるつもり」って、何人の人を紹介してきたのか、気になるところ。誰か、そういうのを調べる手がかりみたいなものを知ってらっしゃる方、よかったら、お知らせ下さい。
じかん● Thu May 6 8:57:01 Japan 1999
おなまえ●masato
メッセージ● しのさん、しばらくです。
カナダにもゴールデンウイークってあり?
久しぶりの日本でしかも京都となるとさぞや感慨もひとしおだったでしょうね。
わたしは御所にも離宮にも行ったことありません。ちゃんと申し込んで行っとく
んだったなあ。
最上徳内って蝦夷地開拓に関係あるんでしたか?
いまいち郷土史に疎い・・・。
じかん● Wed May 5 12:59:27 Japan 1999
おなまえ●しの
メッセージ● ご無沙汰してました。
先週まで10日間ほど、日本に里帰りしてました。
ちょこっと京都に行ってきました。
京都には今まで何度も行ってましたが、
今回は初めて、御所に行って来ました(五所川原じゃありません、失礼)。
まずは広さに圧倒(御苑含めて)。
警察官はたくさん。でも、写真は気軽にOK。
あの蛤御問もあり、「ここは孝明天皇の...」えっ、本当?
ってな感じでした。
あとは、竜馬と晋作のお墓に挨拶して、夜は酔って先斗町と高瀬川あたりを
ふらふらとしてきました。
しばしの幸せでした。
じかん● Wed May 5 2:18:59 Japan 1999
おなまえ●nobu
メッセージ● 暫らくぶりにhpを拝見。
何と、最上徳内や伊達政宗が登場しているではないですか。
私の出身は山形県。 最上さんや伊達さんの出身地です。
伊達さんは宮城県に縁の大名ですが、生まれは山形県の南部米沢の近辺
です。私の祖先は伊達さんの家来で、山形残留組との事。
司馬遼太郎氏の街道をゆく 10 羽州街道の置賜がその地です。
最上さんは元々豪農出身と聞いています。
井上ひさし氏の四千万歩の男や、司馬遼太郎氏の菜の花の沖にも多少顔を出しています。
じかん● Sun May 2 22:41:31 Japan 1999
おなまえ●おたか
メッセージ●
そういえば羽二重団子の前に子規の句碑が建っていたような・・・?
最上さんって、そうですか。蝦夷地開拓なさった方なんですね!
伊達政宗と終生ライバル関係だった最上氏と何か関係あるのかなぁ?とも邪推したりして。
確かに長州にはあまり立派な藩主というイメージはありませんよね。
その分、脇を支える人材が豊富だったのかなぁ?また、そうゆう人材を上手く引き立てる、
そんな器量をもった藩主が長州藩主の典型だったのかもしれませんね。
萩の明倫小学校に行った時、ここは藩校明倫館をそのまま残した小学校なんですけど、
そこには藩校時代からの石碑が今も残ってるのです。
その石碑をよ〜ぉく見ると三文字分、削り取られた跡があるのです。
犯人は当時の藩校生の誰からしいのですが、その三文字とは「奉幕命」。
面白いエピソードですよね。
じかん● Sun May 2 21:15:00 Japan 1999
おなまえ●あつこ
メッセージ● 本日の産経新聞の、”「坂の上の雲」をゆく”に、
芋坂の羽二重団子のことが載っていました。
根岸に転居後、食い道楽の正岡子規が好んだそうです。
「芋坂も団子も月もゆかりかな」という句もあるそうです。
私も一度、是非食べたいです!!
産経新聞は、坂の上の雲が再連載されだしたので、
毎日新聞からすぐに変えました。
毎日曜の”「坂の上の雲」をゆく”がとても楽しみです。
おたかさま
私の最近のお気に入り、最上徳内さんについてですが、
一言で言えば、北方(蝦夷地)開拓に尽力した、
ということになるのでしょうか。
詳しいところは、私も知りたいのですが、
漫画の中ではあまりにもすっとばしてあるので、
何か良い本はないかと探しています。
素朴な人柄のような感じを受けました。
少し違いますが、蔵六的なところもあるのでは、、、。
計算が得意とか。
このたび知ったのですが、父方の田舎が山形で、
最上徳内さんの出身地とご近所だそうです。
親戚の家の近くの寺の境内に彼の銅像があるとか。
今度訪ねてみます。
じかん● Sun May 2 20:30:59 Japan 1999
おなまえ●masato
メッセージ● りょうくん、どうもです。
伊達家と島津家は大名としての格がほぼ一緒でライバル関係
にあったんですよね。
島津には斉彬という人物が幕末に出たのが大きいんでしょう
か。長州はどうなんだ?
ところで
京都とは羨ましいですね。わたしは飛び石ではありますが、
仕事で連休はないんですよ。東福寺、妙心寺、南禅寺・・・
行きたいなあ〜〜。今って修学旅行生はいないのかな、修学
旅行生のいない金閣寺や奈良だけど法隆寺に行ってみたい。
では、また感想を聞かせて下さいね。
じかん● Sun May 2 18:50:24 Japan 1999
おなまえ●りょうくん
メッセージ●
ども、りょうくんです。すっかり「街道をゆく」のとりこになってしまいましたが。
今回の「街道をゆく」は仙台・石巻街道です。私の住む岩手県とも近く、奥州なのでやはり興味
をもって今回も見ました。伊達政宗を想うとゆーことで・・・、米所宮城県ですがその礎を作った
のが伊達政宗です。長州や薩州は殖産興業を盛んにしたのに対して奥州伊達藩は300年の間
なにもしなかった。なぜ故か、やはり伊達正宗の治世が良く300年の間安穏としているにたる
政治がなされていたとゆーことなのでしょう。あらためてその商業、農業の豊かさを思いました。
私の住む岩手県は平野が少なく、北からは「やませ」という冷たい風が吹きつけてきて昔は
とても米作りに適した土地とは決して言えなかった所です。飢饉も頻発しておこりました。どこ
に差があったのか?考えてしまいました。
さて明日、りょうくんこと奥州人が京都へ上京いたします。900年の昔、京都の人がその
黄金をもとめ奥州・平泉へ旅しました。私は逆に源義経よろしく京都を今度、訪ねようと思
います。龍安寺や銀閣寺が私、奥州人の目にどのように映るのか楽しみです。昔、修学旅行の
時に訪ねたのですが当時は歴史的背景を抜きにして京都を見ていたのであまり印象に残らなかっ
たのです。今度の旅行が私の胸の中に何を残すのか?旅立ちを前に心弾んでいます。(^^)
e-mail:samu05@muc.biglobe.ne.jp
じかん● Sun May 2 1:42:05 Japan 1999
おなまえ●おたか
メッセージ● 「萌がさね」は講談社から出てます。
おそらく文庫化にはなってないと思います。
お薦めコーナーにも書き込ませて頂きました。
それから最近、渡辺淳一が「源氏に愛された女たち」(集英社)を出しましたね。
恋愛にかけては百戦錬磨と思われる渡辺淳一が、源氏をどう捉えてるのか楽しみで購入してしまいました。
あつこ様>「風雲児たち」すご〜くよかったみたいですね!じっくり感動を味わって下さいね。
ところで失礼ながら、最上さんって何やった人ですか?
財前様>二羽重団子、行って来ました!なんですが、会社帰りに行ったためお店は閉まってました。
くやし〜ぃ!せっかく長州行って気分も盛り上がってたのに!
日暮里周辺はやはり上野にも近いし、戊辰戦争の名残が今だに残ってるんでしょうね。
今度は日中行って、是非店内に足を踏み入れねば!
じかん● Sat May 1 19:06:31 Japan 1999
おなまえ●あつこ
メッセージ● 「風雲児たち」ようやく30巻まで読みました。
感動です。江戸時代のことをこんなにわかりやすく、
しかもおもしろく読めたのは初めてでした。
特に、以前にも書きましたが最上徳内さんについて、
もっと知りたいと思いました。
それから、上州のやくざものの人達が、
浅間山の噴火から、米がとれなくなって桑を育て、
絹の機織りを女たちがやって、お金を持った男衆が
ばくちに走って、そして生まれた、というくだり。
凄い説得力と、身近さに嵐に打たれたような
感動をおぼえました。
全編をとおして、全てにつながりがあり、
歴史のおもしろさを改めて教えて貰ったような気がします。
続きを是非読みたい!!
我らが蔵六の活躍や、勝さんのその後など、気になる事ばかり
です。
本当に本当に、「風雲児たち」を紹介して頂きありがとう
ございました!!
ちょっと興奮気味ですみません。
じかん● Sat May 1 0:27:55 Japan 1999
おなまえ●masato
メッセージ●
うらんさん、はじめまして。
すいません、HPアドレスをリンクとして書き込む設定になってません。
でも、ぜひ見に行きたいので、アドレスを教えて下さいね。
永井作品の感想もどうぞ。
くろうさぎさん、はじめまして。
「萌がさね」は、わたしも読んでみたいです。でも、最近さっぱり読書が
すすまない・・・。
出版社について、おたかさん、教えて下さい。できれば、お薦めに書き込
んでくれるとうれしいなあ。
じかん● Thu Apr 29 11:24:15 Japan 1999
おなまえ●くろうさぎ
メッセージ●
永井路子さん大好きです。歴史はいろいろと好きですが、日本史では特に皇室関係、
藤原氏、北条氏、徳川氏あたりかな。
ところで掲示板の前の書き込みでみたのですが、藤原道長の妻明子のことをかいた
「萌がさね」知りませんでしたー本屋でさがしたのですが、みつかりません。
どこの出版社からでたものですか。教えて下さい。
じかん● Wed Apr 28 21:23:54 Japan 1999
おなまえ●うらん
メッセージ● 始めまして。
私も歴史小説が大好きです。なかなか同じような趣味の人のHPが
見つからなかったのですが…また時々寄らせて頂きます。
私は永井路子さんの本を読んで歴史が好きになりましたので、永井さんの
本の紹介ページを見て、嬉しくなりました。
私のHPでも和歌や私の好きな本を紹介しています。(まだ、少ないの
ですが)
ところで、アドレス書くところがないのですけど。
とりあえず、今日はご挨拶まで。
じかん● Tue Apr 27 14:48:43 Japan 1999
おなまえ●よっこ
メッセージ●
masatoさま>つうだなんてそんなんじゃございませんがねえ(笑)。びわさま>メールありがとうです。毎度毎度おかしな状況になってしまってごめんなさい。学校から送るのはちょっとたよりないとゆーか心許ないといったかんじです、やっぱり。 「望みしは何ぞ」書店で見ましたよーもー欲しいっ!自分ちにおいておきたいっ!!ってかんじですね。(ティーンズ)禎子ちゃんラブリーです。「方違えじゃなかったのね。」「嘘なんて許さないわ。」なんてたくましいのあなたは!望みし・・・では禎子皇后が私はいちおしです。頼宗さんも芸術系で好きだなあ。うーん、平安まみれ・・・。「まみれ」って言い方はなんかきたないなー。ううむ、でも好きです。藤原成親さんとかも悪人系だけど好きなんですよね実は。自分自身がミーハーで面食いだから美形美貌のひとだった成親とかいーなあと思っちゃうわけです。 おたかさま>朝日の夕刊見つけて読みましたよー。確かに頼長りん関係記事でした。大変興味深く拝見しました。ほほう・・・という気分。またひとつ大人になりましたでございます。ではまた。
じかん● Mon Apr 26 11:05:21 Japan 1999
おなまえ●あつこ
メッセージ● おたかさん
感動的な鋳銭司村のリポート、どうもありがとうございました!!
行った事のない鋳銭司村に私も連れていってもらったような
素晴らしい報告、感謝感激です。いつの日か、私も必ず、、、!!
郷土館があるとは知りませんでした。
数学が大嫌いな私が蔵六に憧れるのは当然ですが、
その作戦図は、一度拝んでみたいですね。
じかん● Mon Apr 26 0:00:46 Japan 1999
おなまえ●おたか
メッセージ● 今回の長州紀行は蔵六の地、鋳銭司村のご紹介です。
鋳銭司の最寄り駅四辻は、山陽本線小郡駅の隣駅。無人駅です。
蔵六生誕地は駅からほど近く、立派な歯医者の隣に記念広場(らしきもの?)が設けられています。
歯医者を目指して行きましょう。
ここから大村神社、郷土館、そして蔵六の墓はかなり遠い。バスもあるらしいけど、
そんなものは一日数本しか通ってないので、車か徒歩で行くしかないでしょう。
徒歩30分前後といったところです。
大村神社はとてもこじんまりしていて、まだ桜もちらほら残ってて、とても風情がありました。
やはりマイナー蔵六たる本領発揮といったところですね!私はしばらくベンチに座って呆けてました。
隣接された小さな郷土館も客は皆無でした。当然、ゆっくり見学できます。
蔵六直筆の数学計算図や作戦図には特に感動!幕末当時、蔵六は既にXやYを取り入れた関数式を
紙一面に書き込んでいたのです!数学にはとんと疎いおたかには何が書いてあるのか全く理解できず、
数学に強い人間を同行させればよかった!と悔しい思いをしたものです。
作戦図は確か石州口攻撃図でした。地形から敵の敗走ルートまで綿密に地図に書き込んであり、
蔵六がどれだけ頭脳を駆使して立てた作戦なのかを彷彿とさせます。敵の動きを緻密な計算の元に
はじき出した蔵六。口下手で自己顕示欲がまるでなく、味方からも誤解されがちな蔵六。必見の一品です!
ここから墓まで、また少し山歩きします。妻・お琴と共に眠る墓所。当然、イネの墓なんてものはなく、
「そういえば、イネの墓ってどこにあるんだろ?」とさらなる疑問符を抱きつつ、記念写真を撮って、
引き返して行きました。
鋳銭司村は中途半端じゃなく田舎で、野花がとても綺麗でした。良い季節に行ったな。
帰り道、自転車の荷台にクワをくくりつけて悠然と走り去るおばぁちゃんの後ろ姿が、
とても印象的でした。彼女にとっての世界は、ここ鋳銭司なのでしょう。
蔵六、そして鋳銭司村、やっぱ好きだぁ〜!と想いを新たにした一日となりました。終わり。
じかん● Sun Apr 25 0:36:02 Japan 1999
おなまえ●りょうくん
メッセージ●
夜も更けてきました。さて今回の「街道をゆく」ですが、今週は奈良でした。さすがに・・・シルクロードの最終地であるとその感慨を改めて深く認識しました。特に東大寺の行事が1200年のもの間続けられているとのお話に、この眼で天平の文化を見ることができました。また興福寺の五重の塔を立ち止まること無くただ通り過ぎたことに幸せを感じた。とありました。司馬遼太郎さんが羨ましかった。私が奈良を訪れたのは修学旅行のときで、見るもの全てを目に焼き付けようとしていたので、自分と随分差があるなと苦笑いしました。
何分、改めてその奈良の建物を見ると上代の雰囲気がでていました。私の中の新しい発見でした。日本のようで日本でなかったりする所がある意味「奈良」なのかなって思います。永井路子さんの作品にも奈良を舞台にした物語があるようですが、きっと司馬さんだけでなく永井さんもその息吹を奈良で感じたことでしょう。
私もここのホームページの人達に感化され永井さんの作品を読みました。「この世をば」おもしろかったです。一口に言えば、道長の女性を愛するひたむきさがなんとなく好感を呼びました。現実は小説と違いますが、自分もそうありたいと願うものであります。
じかん● Wed Apr 21 12:02:34 Japan 1999
おなまえ●あつこ
メッセージ● おたかさま
お帰りなさい。長州の旅は楽しかったようですね。
地理的な理解はあれば、歴史はまた一層おもしろく
なるのでしょうね。
詳しい感想たのしみにしています!
じかん● Wed Apr 21 0:49:35 Japan 1999
おなまえ●おたか
メッセージ● ついに行って参りました!長州紀行!!うれしぃぃ〜!
晋作にも蔵六にも会ってきたもんね。四辻→馬関→萩と地理感覚に疎いおたかだからこそ出来た
強行軍と言えるでしょう。めっちゃハードだった。
本当は小倉城とか大島とか石州攻めの行程とかも辿ってみたかったけど、とてもそんな余裕もなく、
行く前までは「萩なんて小さな町やんか〜」と侮っていた私。甘かった・・・。
ちょろっとサイクリングすれば周布政之助と入江九一がご近所だったり、伊藤俊輔と吉田歳麿が
ご近所だったりと、もう生ける幕末の宝庫って感じだった。
「晋作と蔵六から口説かれたらどうしよう?!」(←絶対ありえないって!)とか
「俊輔があんなに偉くなれたのは、たまたま彼の家が松蔭先生のご近所だったからにちがいない」とか
はたまた「晋作と久坂玄瑞の仲ってちょっと想像させられちゃうわ!」
(実際、この2人のそうゆう同人誌を読んだことあります)とか
もう、もう、長州ってやっぱり面白い!また行きたいです。
蔵六や晋作の感想は、また落ち着いたら書込ます。
今日帰ってきたばっかりで、頭が混乱してます。
ごちゃごちゃとした乱筆、大変失礼致しました。
じかん● Tue Apr 20 20:07:18 Japan 1999
おなまえ●masato
メッセージ●
よっこさん、こんにちは。
なかなかにつうですね! そこまでに歴代の天皇とお近づきだなんて。
いろんな人がいるもんだ。 これ悪い意味じゃないですよ。
ところで、本日4月20日に中公文庫から永井路子さんの「望みしは何ぞ」
が文庫として発売されました。これまでは単行本のみでしたが、買いや
すい値段になったことですし、みなさん読んでみて下さい。
じかん● Tue Apr 20 9:51:26 Japan 1999
おなまえ●よっこ
メッセージ●
昨日入れようとしたメッセージが上手く届かず、しかもお断りのメッセージは2通もはいっている・・・というわけで、昨日ホントに書き込みたかったことを送らせていただきます。前のメッセージをごらんになったかたは気付かれたかもしれませんが、私は、歴史上の人物にニックネームのようなものを付けるのが好きなんですよ。この前の「さあちゃん」のように、たとえば宇多(うだ)天皇ならば「ウッディ」とか、後一条天皇ならば親王名「あつひら」から、「あつひらくん」などと親しみを込めて(?)呼んでしまうんですよね。後一条天皇などは、高校の時、日本史で、後朱雀、後冷泉とともに覚えなくてはならなかった人なのですが、「後一条、後朱雀、後冷泉!!」とかって叫びつつ頭に入れるのも味気ない気がしたので、思い切って呼び名を作ってみたわけです。しかも、独断と偏見混じりでイメージ画まで作ってしまったからくせが悪い(笑う
)。ちなみに後一条天皇ことあつひらくんはわがままで奥さんの威子さんがいなければなにもできない美少年系になりました。みなさんもこーゆー経験有りませんか?あったらぜひ教えて下さいね。おまけ:「ウッディ」とは「宇多」と「ダンディ」を組み合わせたものです。なぜにダンディかというのはまたしてもわたしの独断と偏見です。すみません。
じかん● Tue Apr 20 0:07:59 Japan 1999
おなまえ●りょうくん
メッセージ● >あつこさんへ
春慶塗のご縁になりますね。まさか春慶塗が私以外の人の口から出るとは思いませんでした。春慶塗の色は赤です。「赤」はあまり好きな色ではないのですが、何故なのでしょうか?柱や燦などに春慶塗をもちいるととても日本的になりますねぇ。私は塗り物については素人なのでその趣を詳しくは語れませんが・・・。
さて「風雲児たち」などここのみなさんは幕末にはまっているようですが、私も例にもれず「竜馬がゆく」をさっきまで読んでおりました。5巻まで読みました。面白いですね。読んでて気持ちが良いです。それでは!
e-mail:samu05@muc.biglobe.ne.jp
じかん● Mon Apr 19 21:06:59 Japan 1999
おなまえ●masato
メッセージ●
かずやんさん、どうもです。
不比等を主人公にしているのは「天風の彩王」です。紹介文を入れてないんですけど。
大仏と言えば、「天平大仏記」なんてのもあったな。さらに脱線してますね。
この辺りは大好きな時代です。何でと言うと難しいんですが。
何かいい小説があったらどなたか紹介して下さい。
あつこさん。
わたしもこの場をみなさんに提供した甲斐がありましたよ。
ますますのご活用を!
じかん● Mon Apr 19 16:00:36 Japan 1999
おなまえ●あつこ
メッセージ● ご無沙汰しています。
「風雲児たち」にはまっている最中、途中報告です。
長い道のりでしたが、ようやく幕末に近づいてきました。
勝海舟も、我らが蔵六さんも生まれました。
期待通りのカワユイお顔に感動しています。
そのほかには、最上徳内さんの素朴なお顔に惹かれてしまいました!
しかし、江戸時代っておもしろいですねぇ。
いろんなコトがわかって大変勉強になります。
こんな素敵な本を紹介していただけて、それだけでも
ココへ来たかいがありました。
りょうくん、こんにちわ。春慶塗、私も大好きです。
心がゆったり豊かになりますね。
じかん● Mon Apr 19 11:51:24 Japan 1999
おなまえ●よっこ
メッセージ●
さっき送信したのですがうまくいかなかったようです。また今度書き込みに参ります。(どうやら力が抜けたよーです)。ではでは。
じかん● Mon Apr 19 11:50:48 Japan 1999
おなまえ●よっこ
メッセージ●
さっき送信したのですがうまくいかなかったようです。また今度書き込みに参ります。(どうやら力が抜けたよーです)。ではでは。
じかん● Mon Apr 19 11:41:39 Japan 1999
おなまえ●かずやん
メッセージ● masatoさん、お返事ありがとうございます。
黒岩重吾さんの藤原不比等を描いた作品というのは何でしょうか。
でも、永井路子さんの「歴史をさわがせた女たち」の光明皇后のあたりを読み返してみて、
聖武・光明の遷都熱と大仏熱は、長屋王の祟りをおそれた夫婦そろっての一種のパニック行動
だったのかな、とも思いました。
なんだかんだ言っても、この二人は初の藤原氏系天皇と皇后として、相当のプレッシャーが
あったということなのでしょうかね。元正太上天皇もそのころはまだ存命だったし。
長屋王あたりをキーワードにすれば、そのへんの事情がもう少し見えてくるのかな、とも
思っています。
じかん● Sun Apr 18 22:18:06 Japan 1999
おなまえ●りょうくん
メッセージ●
ども、りょうくんです。2回目のアップになります。突然ですが毎週土曜日PM11:00からの教育NHK番組「街道をゆく」見てる人いますかね?先週は「飛騨紀行」でした。どっしりとした見事な構えの家が感動を呼びました。飛騨高山、田舎なのかなぁと思ったらどっこい。すばらしい文化ですね。私は宮沢賢治や石川啄木で有名な岩手・盛岡に住んでいるのでいて盛岡という街が大好きなのですが日本は狭いようで広いですね。ぜひ高山には一生に一回は訪ねてみたいなと思いました。司馬遼太郎は飛騨の国について「所見なし」がまた飛騨の国らしいのだと言っています。何も記述がないことが特徴なのだと。司馬さんの発想については毎回驚かされます。春慶塗りも日本らしくて落ち着きがあって大好きです。(^.^)すいません。見てない人には何がなんだかわからないと思いますが感動を伝えたくて筆をとったしだいです。それでは。
e-mail:samu05@muc.biglobe.ne.jp
じかん● Sun Apr 18 13:19:52 Japan 1999
おなまえ●少納言
メッセージ●
はじめまして。(先ほど、メッセージを書きこまずに送信してしまいました。ごめんなさい)永井さんの作品、私は時代小説のなかで一番好きです。このごろは「王朝序曲」。「この世をば」では藤原行成がもう、好きで好きで。「悪霊列伝」もいいですね・・・。スゴイ作品だと思います。学生のころにほとんど読んでしまいましたが、忘れたころに、また読みたくなる作品が多いですよね。
じかん● Sun Apr 18 13:11:11 Japan 1999
おなまえ●少納言
メッセージ●
じかん● Sat Apr 17 6:53:14 Japan 1999
おなまえ●masato
メッセージ●
おたか様
「波のかたみ」はもうしばらく捜してみます。どうしても手には入らない時は
よろしくお願いします。ありがとうございました。
かずやん様、はじめまして。
聖武天皇が主人公という作品は聞いたことないですね。みなさんどうでしょう
か? 黒岩重吾さんには藤原不比等を描いた作品がありますね。ちょっとずれ
るかな。天皇を主人公にするのは大変なのでしょうか?
相変わらず本を開く余裕のない生活が続き、やや欲求不満気味です。
では。
じかん● Fri Apr 16 13:55:10 Japan 1999
おなまえ●かずやん
メッセージ●
初めまして。最近奈良時代ファンになりつつあって、あちこちさがしていたら
ここにたどりつきました。楽しいページに出会ってごきげんです。
奈良時代の中でも、今は藤原広嗣の乱直後からの、恭仁宮・紫香楽宮・難波宮へと
転々と彷徨した聖武天皇の移り気に興味を持っています。
そのへんの聖武天皇や周りの人たちを描いた作品ってあるのでしょうか。
これからもよろしくお願いします。
じかん● Fri Apr 16 9:09:23 Japan 1999
おなまえ●財前五郎
メッセージ●
訂正します。羽二重団子は日暮里の方です。荒川区東日暮里5丁目らしい。
根津をうろうろしてから行ったので、場所ごっちゃになってます。
最寄りの駅は日暮里駅かな?
司馬さんの小説「坂の上の雲」にもこの店の記述があるそうです。
『乱歩』も微妙に違う。谷中の三崎坂の途中です。団子坂からは308歩だった。(笑)
じかん● Thu Apr 15 12:59:46 Japan 1999
おなまえ●財前五郎
メッセージ● >おたかさま
羽二重団子という名です。団子が有名だったので、そのまま名前になったらしい。
江戸時代は藤の茶屋(だったかな)とよばれていたそうですが。
根津の芋坂(線路で分断されましたが)のふもとにあります。ビルの上に看板でてました。
希望者には昔の話のコピーがもらえますよ。
あと団子坂の『乱歩』なる喫茶店もイケてます。(笑)どうイケてるかは行ってからのお楽しみ。
マスターが面白い人です。
しかし、ここ行った動機も「『花神』でここを蔵六が偵察してたな〜」、
「長州がここの攻めを受け持ったんだな」などというものでした。
じかん● Thu Apr 15 1:10:38 Japan 1999
おなまえ●おたか
メッセージ●
4/14を少し過ぎてしまいましたが、本日、高杉晋作の命日であります。
本来ならばこの日に合わせて長州へ墓参に参る所存でございましたが、
仕事の都合がつかず、来週にずれ込んでしまいました。悔しいぃぃ!
あたしも財前さんみたく、ゆかりの土地に足を向けちゃうほうなのかなぁ?
あまり自覚したくないんだけど・・・。
財前さん、根津の「羽二重団子」ってお店の名前ですか?是非是非行きたいのです!
最寄り駅は千代田線の根津でしょうか?
う〜ん、東京に毎日通勤してる私より財前さんの方が東京に詳しいのは何故?!
それとも財前さんの頭の中は今でも江戸使用なのか?すごすぎる!
よっこさん>もしも京都御所に行く機会があるならば、あそこは事前に宮内庁に
葉書を送らなければ見学できませんです。既にご存じかもしれませんが、一応老婆心ながら・・・。
それにしても、こうゆう公共の場で同士に遭遇(?)するなんて、これも縁ってやつですかねぇ。
じかん● Tue Apr 13 23:06:58 Japan 1999
おなまえ●びわ
メッセージ●
おたかさま、ならびによっこさま。お二人のイチオシ「萌がさね」、恥ずかしながら初めて聞きました。はやく読んでみたい! ”風の精”明子が他ではいったいどんな描かれ方をしているのか、興味津々です。しかし、わたしが今読んでる本がまだ果てしなくつづくので、ずっと先になりそうです・・・。それに「なみのかたみ」なども。信頼って、「白粉公卿」って呼ばれてた人ですよね? むむ、やはり彼らはそうだったのか。そういえば、瀬戸内寂聴さんの「祇園女御」でも、白河院がやはりそのケがあって、平忠盛などを相手にした場面がほんのちょこっとあった。院政っていったい・・・。それから、最後になりましたが、お二人にごめんなさい!
じつは、M.Oってわたしなんです。まことに勝手ながら改名してしまってました。別に意味はないんですが。紛らわしいことしてしまってすいません。こんなわたしですがよろしゅうに。またメールしましょう。
じかん● Tue Apr 13 15:00:59 Japan 1999
おなまえ●よっこ メールはle10475@lersews1.okayama-u.ac.jpにどうぞ。
メッセージ●
よっこです。このたびはメールアドレスを書いておきました。大歓迎ですが、メール関係にまだまだ不慣れなのと、時間的余裕がないのとで、お返事があんまりかけないかもです。この場をお借りして、M.Oさま、返信メールありがとうです。文字化けごめんなさい。こちらのホームページに書いたこととだいたいいっしょの内容です。(男色ネタはかいてないかも・・・笑)。またメールいたします。おたかさま>同士です!(爆涙)なるほど、昨年6月頃の朝日の夕刊・・・ふふっ。探してみます。さすが朝日!しかも3日連続!私の家ではローカル新聞をとっているので残念ながらそういう大きな企画はなくて・・・。「なみのかたみ」ぜひお読み下さい。実は話の本筋よりそっちのほうに目が行ってしまうんですよね、最近。こういうことは、興味本位でああだこうだするものではないのですが、女の性でしょうかね、気になってしまうのです。「なまみこ物語」いーですよねえ。定子さんあまりに薄幸で悲しすぎる。一条天皇「死なないでさあちゃああんっ!!」とか言ってそうですね。(「さあちゃん」・・・だって「さだこ」ってよむから・・・。)「なまみこ・・・」は「この世をば」を読んで、もっと平安時代のことを知りたいとおもい、読んでみました。おたかさまの紹介「萌がさね」。最近ずっと頼長さんカンケイにどっぷりつかっていた(つまり平安末期にはまっていた。)ので、このお話はたいそうなつかしい気がしました。実資、明子のこと好きやったんかい!そして明子、おまへもか!って感じ。平安時代のことは小説とかである程度までは知ることが出来るけれど、やっぱり本場京都に行ってみたいというのが私の望みです。小6の修学旅行ではろくに見ようともしなかったけれど。京都御所見たいですね、ぜひ。いつか必ず行って、都人の息吹をこの身に感じてみたいです。あ、そうだ、田辺聖子さんの「むかし、あけぼの」もよいですよ。では、今日はこのへんで。
じかん● Tue Apr 13 12:39:57 Japan 1999
おなまえ●財前五郎
メッセージ● >おたかさま
予約無しでも買えますよ。私は2.3度入って、一つだけ買ったりしました。中で食べると、
お茶も出してもらえます。一つ手付かずで残して店から出たら、それを包んでおばさんが
持ってきてくれました。
息子の方も墓は興安寺です。碑は弟子が建てたそうです。(塾を開いていたらしい。)
あと、東京根津の有名な『羽二重団子』も美味しいですよ。戊辰戦争の頃の遺品とかが飾ってあって、
幕末ファンには楽しめました。
『何故に〜』
私はファンになると、その人の関わった土地などに自分一人(ここがミソ)で行ったりします。
たまたま江戸に関わったことがある人が続いたからでしょう。(さすがにロシアは行けませんでしたが)
桜が綺麗な季節ですね。今年も千鳥が淵に行けないかな〜。
じかん● Tue Apr 13 2:04:28 Japan 1999
おなまえ●おたか
メッセージ●
よっこ様>日本史のみならず歴史の世界に男色家あり!です。
影ながら私もその手の話には結構興味あります。(怪しい奴と思わないでね)
確か昨年6月頃の朝日新聞夕刊で、院政の頃の権力闘争は男色闘争でもあった、という
記事が掲載されていました。(しかも記憶では三日間連載くんでたぞ!)
別の時代でも、史上の有名人の中にその手の話が付随されているケースは多々あります。
司馬先生も「沖田(総司)には色小姓にしたい風情がある」なんて、
生前おっしゃっられていたそうな。
続けて書き込んでしまい、申し訳ありません。
今、よっこさんの掲載見つけて「おっ、同士が!」と思ってしまいました。
(よっこさんにはかえって迷惑だったかも・・・)
じかん● Tue Apr 13 1:41:31 Japan 1999
おなまえ●おたか
メッセージ● あつこ様>吉野へ行かれたよし。うらやましぃぃ!
吉野といえば確かに南朝、それと大海皇子の壬申の乱でしょう。
「夢の碑」は私も読んだことあります。
南朝物は、私もこれ以外ほとんど読んだことがありません。
鎌倉には大塔宮護良親王(だったっけ?)の首が打ち捨てられたとされる場所があるんですけどね。
すみません。お役に立てなくて・・・。
財前様>長命寺の桜餅!あれって予約しなきゃ手に入らないんですよね。
何故にそんなに江戸にお詳しいのですか?
恥ずかしながら小生、桜餅にばかり気を取られて、大黒屋さんの息子の墓なんて全く知りませんでした。
情けなか〜。
masato様>もし「波のかたみ」を一日でも早くお読みしたければ連絡下さい。
お貸し致しますよ。
勿論、ご自分の手持ち本が是非とも欲しい気持ちはよくわかります。
びわ様>初めまして。実は私も「三條院記」って見かけたことないのですよ。どこにあるんだろう?
永井先生の作品で三条帝と道長の確執を描いたものには他に「望みしは何ぞ」「噂の皇子」などが
あるんですけどねぇ。「三條院記」だけが・・・。まさか絶版なのかなぁ?
あと、三条帝そのものの話ではありませんが、鳥越碧著:「萌がさね」は道長の妻・明子の話で、
道長の妻といえば倫子がらみの本の多い中、なかなか参考になります。
円地文子著:「なまみこ物語」は、一条帝と定子の話で、はかない定子が美しいぃぃ!ですよ。
じかん● Mon Apr 12 23:05:12 Japan 1999
おなまえ●びわ
メッセージ●
はじめまして。こちらのHPはちょくちょく覗かせていただいていたのですが、圧倒的な幕末人気についついメッセージを入れそびれてしまいましたが、ぼんずさん、よっこさんの登場に便乗させていただきました。わたしも永井路子さんの「この世をば」は大好きです。というより、わたしの歴史小説熱に火をつけた張本作(?)です。わたしは王朝の、特に後宮にすごく興味があるのでそれぞれの天皇の中宮の座争いの逸話のところなんかは繰り返し読んでしまいました。ところで、永井さんの作品で「三條院記」っていうのがあるとあとがきに載っていたように思うのですが、どこの出版社から出てるんですかね?「この世をば」の道長と三条天皇の確執がまったく逆の立場から描かれているらしく、すごく気になるんですが。
それに「美貌の女帝」がまたよいですね。皇族と藤原氏の一進一退の攻防、結果はわかってるのに、読んでてハラハラのしどおしでした。
もっといろいろ書きたいんですが、わたしは話がどんどん脱線していく悪い癖があるもので、今日はこのへんで失礼いたします。
じかん● Sun Apr 11 23:59:53 Japan 1999
おなまえ●しゃおろん
メッセージ● 久しぶりに書き込みます。
もう桜もほぼ散ってしまいましたが、今年の春休みはどこにもいけませんでした。何せ公務員試験まで後2ヶ月切っているんですもの。毎日お勉強三昧でちょっと元気がないです。で、その試験とは警察と自衛官なんですけど、この自衛隊は、もし合格した場合には奈良で1年研修なんですよ。(航空自衛隊の場合)
なんと私はそこにひかれて受験しようかなぁと思ってしまった不届きもんです。
私は根っからの東人なんで、関西にずっと住むのはちょっと・・・と思っていたんです。でも1~2年なら住んでみたいし。
あつこ様、吉野の桜を見に行かれたんですか。いいですねぇ。うらやまし〜。私も早く何もかもすっきり終わらせて、後顧の憂いなくたびにでも出かけたい・・・
それと、南朝ものについてですが、ここのHPにものってましたけど、北方健三さんが2〜3冊書いているみたいです。私は『太平記』ファンになって約1年の人間ですが、あの時代を扱っている物って多くないみたいですね。私も同志を求めているのですが、なかなかいません。
最後に、今日からとりあえず5月末までの試験が終わるまで、生きがいである本を読むことを封印します。ちゃんと合格するためにもがまんしなくては。
じかん● Sun Apr 11 11:15:28 Japan 1999
おなまえ●masato
メッセージ● よっこさん、はじめまして。
「この世をば」いいですよね。道長のイメージがまったく変わって
しまいました。
「波のかたみ」読みたいよ〜〜。手に入りません。
「后ふたたび」これ知りません。
古本屋を巡るしかないかな。6月には東京に行く予定なので。
じかん● Fri Apr 9 19:08:37 Japan 1999
おなまえ●よっこ
メッセージ●
はじめまして。「歴史小説」で検索したら、ここにたどり着きました。永井路子さんの作品が好きで、ほかにもファンのかたが道長さんいらっしゃるのを知って、とてもうれしいです。私は今大学2年生ですが、永井作品との出会いは高校2年のとき。図書室で何気なく手に取ったのが、「この世をば」でした。「この世をば」は一番好きな作品です。平安時代を生きた人々がこれでもかってくらいに登場するので、私はすっかり平安時代ファンになってしまいました。道長さんの口癖「ああ、なんたること、なんたること」にメチャメチャ受けました。あと、たしか上巻だったとおもいますが、中宮定子のもとに一条天皇が、うっすらと頬を染めて桜がさねの衣装に身を包んでわたってくるのも「かわいいっ」と思ってしまうわたし・・・。おばはんになりかけているのかしら、でも、そんな一条天皇の様子を見て、「愛なのか?、それは」とかいってる道長さんも相当・・・だと思うんですがいかがでしょう。永井さんの作品では、ほかに、「なみのかたみ」「望しは何ぞ」「后ふたたび」(「后・・・」は、右京の局小夜がたり」にはいってる短編)が好きかなあ。「なみの・・・」で、後白河院と藤原信頼がデキてたという記述があってちょっとびっくりしましたがもう慣れました。(やはりおばはんになりかけとるのか)。そういえば保元の乱で敗死した藤原頼長さんも、歴史学者五味文彦氏によればなうての男色家だったとか。権力をにぎるための作戦であったようですが、なんかかっこいいような気も女の私には思えてしまいます。なんだか話がおかしな方向へいってしまいそうなので今日はこの辺で失礼します。またおじゃましますね。ではさようなら。
じかん● Fri Apr 9 17:40:03 Japan 1999
おなまえ●あつこ
メッセージ● 今日は吉野へ花見でした。
上千本、中千本、下千本、全てがちょうど見頃で最高でした。
山登りは少々きつかったですけど。
吉野といえば度々歴史の舞台にあがりますが、
やはり”南朝”ですよね、漫画で「夢の碑」という
木原敏江作品がありましたが、後南朝の話は興味深いです。
後南朝跡というのは、吉野山から少し離れたところらしいですが、
是非今度はそこへ行ってみたいです。
ということで、どなたか南朝、後南朝あたりの面白い本を
ご存知ありませんでしょうか?勿論、小説、漫画、ジャンルは問いません。
「風雲児たち」最高におもしろい!!です。
幕末を描くのに、関ヶ原から始めるところに、作者の心配り
というか、丁寧さを感じます。
恥ずかしながら、江戸幕府初期の頃というのにうとかったので、
非常によくわかりました。御三家、御三卿のあたりなど。
まだ、平賀源内が亡くなったトコロですが、笑いながら、
そして感心しつつ、楽しんでいます。
じかん● Fri Apr 9 12:33:25 Japan 1999
おなまえ●財前五郎
メッセージ● ご無沙汰してます。
ここ数日NHKのミッドナイトチャンネル『街道をゆく』を見てて寝不足です。
>おたかさん
皆さんの説明のとおりの人です。すみません。なかなかこれないもので。
大黒屋光太夫の息子の碑は東京、向島の長命寺にあります。桜餅で有名な寺です。
(実際は裏手の店で売ってるんですが)
葬られた東京本郷の興安寺には墓は残ってません。
『北槎聞略』(光太夫の残した記録の本)持って行ったなぁ。
なつかしや。
じかん● Thu Apr 8 22:44:09 Japan 1999
おなまえ●りょうくん
メッセージ●
どうも、おはつです。りょうくんと言います。最近、司馬遼太郎に凝ってまして、なにげなーくインターネットしてたら私の趣味にあったホームページがあるじゃないですか、うれしくてメッセージ書いちゃいました。(^.^)「坂の上の雲」や「竜馬がゆく」が話題になっているのですごく嬉しいです。
司馬遼太郎の何が好きって、そうだなぁ。内容がね。ただ物語が進んでいくわけじゃなく、筆者の考えを述べているところや話が脇道にそれてゆくところが凄く好きです。文章の中に司馬遼太郎さんがいるみたいですごく身近に感じられるのです。遼太郎さんはこの世にはもういませんが、(T_T)その作品を読めばあたかも遼太郎さんと付き合えます。(^^)歴史を論評し本質を語っていますよね。
個人的には「坂の上の雲」が凄く印象深いです。教科書の中では、日本はただロシアに勝ったとしか文章になっていませんが、かぎりなく引き分けに近い勝利をもぎ取るために秋山古好や真之兄弟は努力をしてきたのだと初めて知る事ができました。そういった内容は学校の歴史の時間では絶対に教えられない事です。またその当時の人の生き様から自分の生き方も学んだように思えます。ただ、ただ感動しました。
今は、同じく司馬遼太郎の作品で「菜の花の沖」を読ませてもらってます。ここのメッセージのなかで大黒屋光太夫のお話が出ていましたが、「菜の花の沖」もロシアに関わる作品です。こちらは高田喜兵衛という人が主人公で当時の人の生活などが忍ばれます。
さて長くなってしまったのでこの辺にします。永井路子さんの作品が話題になっているようですが自分も読んでみたいと思います。それでは!
じかん● Thu Apr 8 1:51:43 Japan 1999
おなまえ●おたか
メッセージ● 無謀なお願い事をしたおたかです。
皆様、有り難うございます!
メールも頂きました。
どうやらメドがつきそうです。
ここで得た情報は「花神」ビデオ以来、
いつも貴重で役立ちます。
私も皆様に役立てるよう、日々精進したいと思います。
(なんか妙な言い方だけど・・・)
じかん● Mon Apr 5 1:16:41 Japan 1999
おなまえ●ぽんず
メッセージ●
歴史とは、不透明だって永井路子さんに教えてもらいました。
それまでのイメージがこわされるのが最初は嫌だったけれど、
独断と偏見だけでは幻を追っていることになり、意味がないので
すべてを知って、それでも好き、といえるようになりたい。それが
きっかけでした。実は、永井路子さんは 歴史を騒がせた女たち の
シリーズや、古典について の方が好きです。歴史小説はあまりよんで
いませんが 美貌の女帝 がいちばんすきです。奈良、平安時代も
大好きです。鎌倉時代もすこし興味があります。こんな私をよろしくです。
じかん● Sun Apr 4 22:35:54 Japan 1999
おなまえ●おたか
メッセージ● あの〜、恥を忍んでお願いします!
「風雲児たち」どなたかお貸し下さい!
勿論、送料等はお支払い致しますし、必ずお返し致します。
何処の馬ともわからぬ者に貸すことできぬ、とも思いますので、
一応、私のアドレス載せておきます。kibe@sa2.so-net.ne.jp
う〜ん、ここでこんなお願い事していいのかな?
もし問題なら構わずに削除して下さいね。
大黒屋光太夫ってエカテリーナ2世に拝謁した人だったのかぁ。
そうゆう人がいたっていうのは知ってましたけど、そうかぁ。
これが大黒屋さんなんですね。なんかすっきり!
じかん● Sun Apr 4 10:15:19 Japan 1999
おなまえ●風太郎
メッセージ● 久しぶりでこちらに来ました。
>大黒屋光太夫って、三重県鈴鹿市白子出身ですよね。白子港に碑が建ってます。
その碑のちかくに公園がありまして、数年前、鑑賞に耐えない粗末な船の模型が
置かれましたす。(^^) 私は旅行中立ち寄っただけですが。大黒屋光太夫の墓も
すぐ近くにあって、探さないと分からないような平凡な墓でした。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~whotarou/index.htm
じかん● Sun Apr 4 9:49:14 Japan 1999
おなまえ●masato
メッセージ● ぼんずさん、はじめまして。
永井路子さんの、どんな作品がお好きですか?
このホームページでも、司馬遼太郎、幕末ものに較べて、永井作品、奈良、平安ものの
話題はややマイナーです。
盛り上げていきましょう。
さざなみさん、またのお越しをお待ちしてます。
これは出張先の網走で書いてます。なんで4月に雪が降ってるんだ・・・。
じかん● Sun Apr 4 0:57:33 Japan 1999
おなまえ●ぽんず
メッセージ● はじめまして。永井路子、の文字にとびつきました。
今までみつからなかったのですっごくしあわせです。
色々教えて下さい。
じかん● Sat Apr 3 3:19:34 Japan 1999
おなまえ●さざなみ
メッセージ●
司馬遼ファンですが,さまよっていたら迷い込んできました。
とりあえず,足跡を残しておこうと思い書きました。
えーと・・・
また来ます。
じかん● Thu Apr 1 22:03:13 Japan 1999
おなまえ●しんぺい
メッセージ● こんにちわ
>あつこさん
すごいですね、一気に全巻購入されたのですね。
さすがにマンガっこです(^^)
読んだら感想をお聞かせください。
>おたかさん
大黒屋光太夫は・・・(いかん読み直さなければ)ええっと(^^;
江戸時代中後期の伊勢の商人?で、江戸まで品物を船で運んでいる途中に
暴風雨にあい、アラスカあたり?に漂流したのですが、なんとか日本に
帰ろうとし、その後、いろいろ経緯を辿り、当時のロシア皇帝
エカテリーナ2世に拝謁し、そして、ようやく日本に帰国する事ができた、
という、当時の日本人としては、波瀾万丈の人生を送った人物です。
この人物の物語は、井上靖の「おろしあ国粋夢たん」の小説で書かれていて
これを原作として、緒方拳主演で映画化もされました。
光太夫が漂流して、ロシアに渡る事がなければ、
もしかしたら現在、小笠原諸島は日本の領土ではなかったのかも
しれないらしいです。面白いですよね。
風が吹けば桶やが儲かる、みたいですが、本当らしいです。
歴史って不思議ですね。