2001年7〜8月分の掲示板です

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じかん● Fri Aug 24 22:39:51 Japan 2001
おなまえ●かな
メッセージ● こんにちは、『徒然古代史』かなです。リンクのお返事ありがとうございました。
HPにも遊びに来てくださったようで嬉しかったです。
HP運営に関して未熟者ですが、今後ともよろしくお願いします。
また遊びに来ますね!


じかん● Sat Aug 18 20:47:12 Japan 2001
おなまえ●遼太の父
メッセージ● −訂正失礼−

『天皇の逝く国で』ノーマ・フィールド(みすず書房)
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じかん● Sat Aug 18 8:36:28 Japan 2001
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 8.15 − 補遺

百聞は一見に如かずということで、実際に15日の日に靖国神社に足を運んで様子を見てきたので、謹んで野次馬見聞のご報告をする。時間は午後1時。予想以上の人混みで神社周辺はごった返していた。大鳥居をくぐる手前の、地下鉄九段下駅の構内から混雑が激しく、境内は参拝客と私のようなミーハー客でいっぱいになっていた。カメラを担いだテレビ局のスタッフも何組か出ていた。私はただの野次馬小僧だったので、幸いなことに草野満代のような「身の危険」を感じる瞬間には遭遇しなかった。

噂に聞く8月15日の靖国神社の参拝客というのを初めて目撃したわけだが、その様子を簡単に言えば、概して正月の初詣の雰囲気によく似ていると言える。参拝客は大鳥居から参道をぞろぞろ歩き、正面の拝殿まで進んでそこで立ち止まって参拝をする。大勢の参拝客が長い列を連ねて参拝する風景は、テレビで見る大きな神社の初詣の映像とまるで変わらない。賽銭を賽銭箱に投げ入れている客もたくさんいた。

警察がたくさん出ているところも初詣の風景と似ていたが、数の多さが違い、そしてものものしさが違っていた。お濠を挟んだ隣の日本武道館で全国戦没者追悼式が行われていたこともあって、靖国通りの沿道は青い警察車両がびっしりと固めていて、青い警察車両の間を縫うように、右翼の黒い街宣車が大音量で軍歌を鳴らしながら走っていた。

参拝客は老年の一般客が多かったが、一見して右翼とわかる制服制帽姿の若い集団もたくさんいた。軍歌を流す黒い街宣車と制服姿の若い右翼グループ。ジュラルミンの盾を持って重武装の警察機動隊。正月の初詣とは明らかに様子が違う風景だった。外人観光客も何組も目についた。私と同じ野次馬組である。

その夜のTBSの筑紫哲也NEWS23を見ていたら、あの『天皇が逝く国で』(みすず書房)の著者であるシカゴ大学のノーマ・フィールドが私と同じように野次馬見物に来ていた。顔を合わせられなかったのは残念。

混雑を逃れるように拝殿の横に出て、建物の隙間から小泉首相が13日に参拝した奥の本殿の方を覗き込んでいると、後ろから若い女の子に声をかけられた。韓国から来た三人組の女の子で、写真を撮ってくれと言う。旅行ガイドブックの日語会話の一文をなぞりながら、カメラをこちらに手渡してきた。まさに窮極のミーハー。夏休みで東京に遊びに来ていて、テレビのニュースで毎日出てくる有名スポットに足を運んできたらしい。参拝客の行列や拝殿の屋舎を、パチパチと無邪気に何枚も撮っていた。彼女たちの恐れを知らない野次馬根性のおかげで、私の緊張もすっかり溶けて、何かおかしな気分になった。

さてイデオロギー装置としてではなく生(なま)の神社として靖国神社を見たとき、何がしかの公共建築空間としてそれに触れた感想を言えば、率直な実感として私はこの神社にいい感じを受けなかった。どうにも空疎で粗雑な感じを覚える。文化的な洗練さや豊饒さの無い、妙に嫌な感じがしてくるのである。

テレビで見る上からの映像では、十分な森林スペースがあり、簡素な社殿が配列されて、まずまずの建築設計の印象を受けるのだが、実際に行ってみると、そういう建築デザインの文化的意匠の味わいのようなものは全く感じられない。狭くて居心地が悪い。長い時間佇んで散策していたいという気持にならない。ノーマ・フィールドも同じことをNEWS23の中でコメントしていたが、とても「英霊」と対話するような神聖で清浄な空間のようには感じられないのである。参拝客たちは、本当にここで「英霊」と語り合えているのだろうか。

この神社には、間違いなくどこからか多額の金が流れ込んでいる筈なのだが、そういう方面での豊かさも感じられなかった。もっと言えば、神社を守り管理する人々の愛情と言うか、真心を込めた配慮や演出というようなものを、気配として感じることができなかった。どういう人間が宮司や神主をしているのか。靖国神社にとって8月15日は特別な日の筈なのだが、特別な日の意味づけやメッセージは、マスコミや右翼の漫画家や政治家だけに任せているように私には見えた。これはやはり政治の道具だ、どう考えても安っぽい政治の道具だという強い印象と確信を持って私は九段下を後にした。

むし暑くて、騒々しくて、むやみに埃っぽくて、心地の悪い疲労感だけが残る体験だった。華の無い祭礼空間。センスの無いイベント。

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じかん● Fri Aug 17 23:14:48 Japan 2001
おなまえ●華子
メッセージ● お久しぶりです。
本が好きな私ですが・
最近いろいろと忙しくて・・それに、毎日が暑くて!
恥ずかしい話ですが、我が家は、未だにクーラー無しで、頑張ってるんです。

そんなわけで、本も、ご無沙汰しています。
歴史は、すごく興味があるので、毎週「日本史」を・・買ってるんですが・・
もう、お盆も終わりですので少しは、涼しくなって好きな本をと・・・思っています。





じかん● Fri Aug 17 11:55:51 Japan 2001
おなまえ●若造
メッセージ● 始めてカキコします、失礼の段、よろしく削除願います。管理人様。
今回の小泉首相靖国参拝について、近隣諸国に、様々な論議が巻き起こっているのは、ニュース報道等で私も知る所です。また先輩方のカキコ拝見致しますに、それぞれの、歴史認識の上にご自身の考えが立派に確立しているのだな〜と、深く感銘を受けました。
今年で私もやっと32歳になります。もちろん社会人ですが、生来の勉強嫌いの為、小学校、中学校、高校と、ほとんど何も勉強をせぬまま、今日を迎えております。こんな、私でも社会人と成り、月々の給料をもらい、女房と二人暮しではありますが、生活を立てていくことが出来るとは、日本は良い国だなと、思う反面、これでいいのかな?と思うことも最近しばしば御座います。
何が良いとか、悪いとか、言えるほどの知識、教養などは持ち合わせてはおりません。しかし、発生した出来事に対し判断し決断(自分の考えなど)する為に、本当の事を知りたいより多くの純粋な情報に触れたいと、願う気持ちはたくさんあります。
昨今の歴史を踏まえた出版物の中にも、いささか、本当に信じていいのかな?と言うものがありすぎる気もしています。只、何分にも手前の無作法の為、今までも学校教育における、知識が欠落している為、読んでいてもチンプンカンプンな自分も居りますが(笑)。
昭和史と言うものはまだまだ、研究はされていても、洗練されていないと言うか、様々なイデオロギーの中で、捻じ曲げられているような気がします。未来を創造していく為にも、歴史は、必要不可欠なものだと思います。

もっともっと、自分では勉強しなければな〜と先輩方のカキコ拝見して思う所であります。
まあ自分の仕事にはあまり関係の無いことなんですけど、自分の為にもがんばってみようと思います。
長々と不躾なことばかり、申し上げました、失礼します。
若造でした。
ddd@crux.ocn.ne.jp
じかん● Wed Aug 15 20:32:31 Japan 2001
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 8.15

各方面で話題になっているジョン・ダワーのピューリッツアー賞受賞作『敗北を抱きしめて』(岩波書店)を読んでいる。15日に掲示板に書評を上げようと計画して一週間前から読み始めたのだが、いまだ下巻の途中にいる。読みごたえがあり、新発見の事実があり、網羅的でありながら視角が明瞭で、実に面白い。日本現代史の傑作として、古典として、末永く読み継がれてゆく一冊となるだろう。

(実はそれほど期待していなかったのだが)率直な感想として、あのウォルフレンの『日本権力構造の謎』を読んで以来の感銘を、10年ぶりに私は受けた。ウォルフレンは政治学でダワーは歴史だが、社会科学の作品として、きわめて秀逸で内容豊かな日本論であると言える。日本の敗戦と戦後を取り扱った歴史書を見わたして、おそらくこれ以上の入門書はあるまい。文系の大学生の必読書として推薦され続けるだろう。

感想の一つとして、今朝の朝日新聞の社説でも紹介されていたが、昭和天皇の戦争責任への切り口がシャープでストレートで実に明快であるという点がある。天皇が戦争責任をとろうとせずに責任回避したこと、マッカーサーが天皇の戦争責任を積極的に免責して天皇を占領統治の道具として使ったことが、クリアに説明されている。「天皇が戦争責任をとらなかったために、日本では戦争責任という言葉は冗談になってしまった」とダワーは書いている。

天皇の戦争責任を免責するべく、GHQと当時の政府関係者が必死に動く一方で、飢餓状態に放置された日本の一般大衆は、自分たちを戦争の一方的な被害者としてのみ捉え、侵略戦争の加害者であるという自己認識を完全に欠落させてしまったことが指摘されている。侵略戦争の最高責任者である天皇が責任をとらないのに、その臣民たちがどうして戦争責任を自覚することができるだろうか、とダワーは言う。

今日の問題はここから始まっている。

ダワーを読みながら、あらためて思ったことは、敗戦によって、形式の上では日本は軍国主義の国家から民主主義の国家に生まれ変わったけれども、当時の支配層を含めて、国内の少なくない数の人間が、あの戦争を侵略戦争とは認めず、自分たちの加害責任を認めず、戦前の軍国主義時代のままの意識と価値観を持ち続けてきたということである。

そういう保守的な人間たちが、戦後執拗に、平和憲法を「押し付け」だと呪い、戦後の民主教育を偏向教育だと叫び、東京裁判の正当性を認めず、靖国神社への公式参拝を主張し続けてきたのである。中国と韓国の世論を反日だの外圧だの内政干渉だのと言って排斥してきたのである。敗戦のとき、決して全ての日本人が反省して心を入れ替えて、新しい民主主義日本の国家建設を決意したわけではなかった。

多くの人間が、戦後もなお「神の国」の住人であり、彼らにとって民主主義は言葉の綾であった。

いま勢いを得て雄雄しく復活し、靖国神社で騒ぎ、インターネットの掲示板で騒いでいるのは、反省せず、心を入れ替えなかった軍国主義日本の残党と末裔たちである。残念ながらその数は決して少なくない。戦前の軍国主義時代のままの意識と価値観をそのまま持っているわけだから、中国侵略も侵略ではなく、悪いことではないと言うのは当然であろう。悪いことをしたわけではないのだから、もう一度同じ事をやってもよいのである。同じ状況になれば同じ事をやってもよいのである。もう一度同じ事をされるのだから、韓国や中国が日本の右傾化を危険視し、警戒するのは当然だ。

よく言われることだが、日本には未だ真の民主主義は定着していない。真の民主主義社会とは、すべての国民が本当の意味での民主主義者になった社会のことだろう。日本国憲法の平和と民主主義の理念が人格的に内面化されたときのことだろう。それが実現されるまで、こういうことは、毎年毎年、繰り返されるのだろうと私は思う。


じかん● Wed Aug 15 4:03:56 Japan 2001
おなまえ●しんぺい
メッセージ● 日本人の死生観
自分の親の没後に、あなたの親は私達にたいへん迷惑をかけた。
だからあなたは親の墓参りには行かないでくれ。
あなたが親の墓参りに行くと私達は大変傷つく。
と、もし他人に言われたら、親の墓参りに行かないのであろうか?
恐らくそういう人はいないであろう。亡くなった肉親を
愛していたならば、例えその人がどんな人であったとしても
命日にはお墓参りには行くはずである。
さらに恐らく、そういう死者に鞭を打つようなことを
言うような人も日本人にはあまりいないと思う。
死んだらみな仏様になる。それが日本人の死生観だからである。
鎌倉の五大寺の一つである円覚寺は、執権北条時宗が元寇の時に
死んだ元軍兵士を鎮魂するために作ったのである。
日露戦争後、日本政府はロシア軍兵士を弔うために旅順に近くに
礼拝堂をたてた。それにはロシア皇帝ニコライ2世も感激したそうである。
シナ事変時、南京攻略時の総司令官であり、南京大虐殺という事件を
でっち上げられ、東京裁判でA級戦犯になり処刑され、そして
靖国に奉られている、松井石根大将は、日中両軍の戦死者を弔う
慰霊祭を行い、熱海に興亜観音を建立し両軍の英霊の冥福を祈った。
日本人は、たとえ敵であった人間でも、死者となれば同じように
霊を弔うのである。それが国家のために戦い死んでいった兵士
の霊ともなれば、敬意を払い弔うのは当然のことである。
中国人や韓国人にはこの死生観はわかってもらえないのだろうか?
韓国にも国立墓地なるものがあるそうである。そこには恐らく、
ベトナム戦争で亡くなった兵士の墓もあるのではないのだろうか?
韓国軍はベトナム人を大量に虐殺した。アメリカとともに、ベトナムに
多大なる犠牲と混乱をもたらした。アメリカが謝罪していないので、
もちろん韓国も謝罪などしていない。
この国立墓地には金大統領は参拝しにいくのだろうか?
もしベトナム政府が、ベトナム戦争で戦った兵士が眠っている墓地で
大統領が参拝するのは許さない。といってきたらどうするであろうか?
参拝は止めるのであろうか?また中国はどうだろうか?
恐らくアメリカは、まったく聞く耳をもたないだろう。
そういえば先日、田中外相が訪米したときに、アーリントン墓地に献花した。
あそこには、大東亜戦争で日本人と戦った兵士も眠っているのである。
東京大空襲を行い、民間人の大虐殺を行った兵士も眠っているそうである。
もしその日本人の遺族から、アーリントン墓地に参拝することを止めるよう
言われたら田中外相は参拝することを止めていただろうか?

靖国には日本という祖国を守るために戦い死んでいった
兵士が英霊として奉られている。
いったん戦場に行ったら生きて帰ってこれるか分からない。
もう家族とも逢えないかもしれない。
遺骨さえ帰ってこれないかもしれない。
しかしながら靖国という場所がある。
もし悲運にも死んでしまっても英霊となって靖国に帰ってくる。
そうしたら靖国に逢いにきてくれ。そして再びお前達を守るから。
そういう思いで、愛する家族を守る為、祖国を守るために戦場へ行ったと思う。
そういう思いで、国を守るために死んでいった戦士の英霊を弔うため、
鎮魂するため、感謝の意を表すため、小泉総理は靖国に参拝した。
内外の圧力により15日を避けたものの、その姿は立派であった。
総理は、何を想っただろうか?哀悼と感謝の意とともに、
もしかしたら、英霊に対し謝罪もしたのかもしれない。
今ある日本の姿に責任を感じて。



じかん● Tue Aug 14 22:34:26 Japan 2001
おなまえ●遼太の父
メッセージ●
来年、小泉純一郎がまだ首相職にあったとして、果たして今回と同様に靖国神社を公式参拝するだろうか。私はそれはないだろうと観測している。その理由は、下に書いたように靖国神社公式参拝が彼の窮極的本源的な思想信条に依るものではなく、政治的戦術に過ぎないものであったからである。小泉自身は、自らが言うようにあからさまな軍国主義思想の持ち主ではない。

「公約」は不完全ながらも履行した。「中韓の外圧に抗して16年ぶりに首相が公式参拝した」という実績(既成事実)を作り出すことに成功した。だから総裁選投票への謝礼は済んだと言える。これ以上、国政に無用な混乱を招き起こす必要はない。近隣諸国との外交関係を悪化させる必要はない。そう判断して、元の後藤田官房長官見解の線、すなわち「政府として首相公式参拝は慎重に見送り」に戻るだろう。

今回の騒動は大きく、小泉本人の予想の範囲を超えていたに違いない。政権の立場に就いたことがない(自民党内万年野党の)小泉であったために、靖国問題の混乱の影響を過小評価していた。橋本派は、常に政権与党の中枢の位置にあり続けた経験から、この問題の大きさをよく熟知していたわけであり、従って遺族会会長であった橋本龍太郎が首相になったときでさえ、7月に私的参拝という線でとどめていた。

しかし、これから小泉首相はどうやって中韓、特に韓国と関係修復を図るのだろうか。W杯共催となれば、たとえば両国首脳がスタジアムに揃って並んで笑顔で握手というような友好場面を世界に向けて演出しなくてはならないだろう。歴史教科書問題と靖国参拝問題で、今回徹底的に面目を潰され、立場を傷つけられた韓国政府と韓国国民が、そうした「日韓友好演出」をスムーズに応諾するとは私にはとても思えない。

韓国は、歴史認識について反動的で復古主義的な小泉政権に対して、不信と警戒の念を強めるだろうし、日韓新時代を発展させる新しいパートナーとしては歓迎しない姿勢で臨むだろう。日本の政権は2年程度で交代するのが通常であり、2年待てば新しい首相が登場して新しい事を言い始めることになる。2年間辛抱すれば小泉時代の負の遺産を払拭する新政権が登場するだろう。小泉政権には一刻も早く退場して欲しい。そういう方向に期待するのが自然だろう。

外交というのは、基本的には相互の妥協による利害の調整である。貿易交渉にせよ、漁業交渉にせよ、相互に妥協しなくては合意は成立しない。そして妥協は互いへの信頼がなくては絶対にできない。隣近所の関係でも、夫婦関係でも同じである。不信があれば、不信が強ければ、妥協というものはできない。信頼関係がない、妥協が難しいということは、交渉の前提がないということを意味する。現在の韓国国民の立場に立って考えたとき、何らかの交渉ごとにおいて、日本の小泉政権の主張に妥協して応じるということが可能であろうか。

韓国は、体面と大義を重んじるプライドの高い国である。良くも悪くも、そういう歴史的伝統と国民性を持った国である。
じかん● Tue Aug 14 22:07:04 Japan 2001
おなまえ●遼太の父
メッセージ●
昨夜は、午後7時から11時半までニュースをずっと見ながら、政治のことを考えた。少し政治のことを語らせていただきたい。

小泉純一郎が靖国神社公式参拝を明言したのは4月の自民党総裁選挙の時だった。このとき、他の3候補と並んだ席上で「どんな批判があっても8月15日に靖国神社を参拝する」と断言した。これは小泉の総裁選挙に臨んでの公約発表であり、今日にいたる問題はここから始まった。

小泉があの超党派の議員連盟「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」に参加しているかどうかは分からない。ただ、過去2回の自民党総裁選に小泉が出馬したときのことを思い出しても(1回目は橋本龍太郎に敗北、2回目は小渕恵三に敗北)、小泉の口から総裁選の公約として靖国神社参拝の話が出たという記憶はない。

今回の総裁選を振り返ると、小泉にとって三度目のラストチャンスであり、そして初めて勝算を持てた戦いでもあった。相手は1回目の出馬のとき敗れた橋本龍太郎であったが、今回、党内での橋本の人気は完全に失墜していた。橋本は日本遺族会の前の会長であり、遺族会関係の組織票を握っていた。だから小泉は橋本に勝つため、遺族会の組織票に何としても食い込まなければならなかった。

橋本龍太郎は首相になった1996年の7月に靖国神社を参拝したが、翌年からは(中曽根内閣時代に後藤田官房長官が作った)日本国政府の従来の公式的立場に従い、「アジア諸国からの批判を考慮して」という理由で参拝を見送っている。実はこの点こそ、今回の小泉純一郎の総裁選勝利のための戦略的着眼点だったのだ。橋本龍太郎はもはや二度と首相としての靖国神社参拝を口にすることができない。小泉の狙いどころだった。

小泉純一郎は機先を制するべく、外国人記者クラブの席上で、一気に靖国神社公式参拝をぶち上げて、橋本龍太郎に流れるはずの党内の遺族会組織票をもぎとったのである。戦略は見事に功を奏した。日本遺族会関係だけでなく、党内の保守タカ派票も勢いよく小泉のところに雪崩れ込んだ。総裁選候補者4人の顔ぶれを眺めたとき(亀井、麻生、橋本)、厳密に言えばハト派の政治的立場の人間は一人もいない。イメージとしては、加藤紘一とも親しい改革派の小泉が最もハト派的に見られてもおかしくはなかった。橋本に対して劣勢であった小泉が、党内タカ派票を切り取るための切り札が、靖国神社公式参拝であった。

だから私は、靖国神社首相公式参拝が小泉首相の心からの信念であり信条であり悲願であったとは思えない。そこには政治家の嘘と策略がある。心底から靖国神社を公式参拝したかったのは、今年の小泉純一郎よりもむしろ昨年の森善朗であったはずだ。小泉が今回公式参拝を強行したのは、それが重大な選挙公約だったからであり。参拝しなければ公約を破ることになったからである。票と交換に靖国参拝を公約し、当選の謝礼として靖国参拝を履行して見せたのである。

政治の手段として靖国神社参拝を利用したということだ。

うまく首相になることはできたが、内外に不信を高め、国政に無用の混乱をひき起こした。国論を二つに割って徒らに感情的対立を大きくし、近隣諸国との関係を悪化させ、その政治的対価はあまりに大きかったと言わざるを得ない。
じかん● Mon Aug 13 20:42:42 Japan 2001
おなまえ●遼太の父
メッセージ●
昨夜のNHKドラマ『碧空のタンゴ-東京下町、ある職人一家の終戦』を楽しく見た。原作は井上ひさしの『東京セブンローズ』だったが、黒柳徹子のナレーションがあり、加藤治子のキャスティングがあって、いつもの向田邦子のドラマを見ているような気分だった。宮沢りえとともさかりえの二人がいい感じの下町家族の姉妹を演じていた。

宮沢りえが雰囲気のいい女優さんになっている。(私から見ればつまらない未熟な)男たちとの愛と醜聞があり、波乱万丈の十代の生であったたけれど、それを盛り超えて、言わば「芸の肥やし」にして、いい女優さんに育っている。元々可愛くて魅力的な女だったが、より一層、可愛くて魅力的な女になった。田嶋陽子的なジェンダー主義の正論からはおよそ許されない議論であろうが、(私は個人的に)女はこれでいいと思う。今の宮沢りえはとても素敵でいい女だ。


靖国の英霊についての議論で、「死んだら靖国で会おう」と言って笑って死んでいったとか、戦死者たちが家族に残した手紙の中で「靖国神社で待っています」などと書かれていて、それが遺族の戦後の心の支えになってきた、などという話がよく出てくる。だから靖国神社は神聖な場所であり、遺族の鎮魂の聖地であるという議論がよくなされる。

けれども私が思うのは、戦場に駆り出されて死んで行った者たちの主観はどうあれ、出征する者たちは、実際のところそういう言葉しか口にできなかったということであり、そういう表現内容の手紙しか家族に書き残せなかったということである。戦争に行くのがいやでもいやとは言えなかったし、戦争に行って死ぬのが無意味だと思っても、それを無意味だと口にすることができなかったということである。

手紙は軍によって検閲されたし、もし戦争批判などの表現が見つかれば、どのような累が家族に及ぶか分からなかった。戦死することを歓びとし、靖国に祀られることを誇りと思うということを、自分の本心や良心とは無関係に、無理やりに言い綴らなければならなかったのである。悲劇はまさにここにある。だから、戦没者たちの家族あての手紙や遺言の中の靖国を、彼らの率直な心情の吐露として見てはいけない。そのように見なすことはできないし、許されないだろう。

それは夫や息子を兵士を送り出す側も同じであり、生きて帰って来てくれとは言えず、国のために立派に戦って死んでくれと言うしかなかった。死ねば死んだで靖国の英霊を誇りに思うと言うしかなく、夫や息子が戦死しても、辛いとか悲しいとか口にすることができなかった。それは許されなかったのである。私が嫌悪と憎悪をこめて言う「軍国主義」とは、そういう社会のあり方を言う。

国のために歓んで死んだのではなくて、国のために歓んで死ぬことを強制されたのであり、国のために歓んで死ぬように追いつめられたのである。選択の余地はなく、それ以外の生き方を閉ざされたのである。彼らがもし生き還り甦ってわれわれの前で真実の口を開いたなら、きっとそう言うに違いない。
じかん● Mon Aug 13 20:29:00 Japan 2001
おなまえ●遼太の父
メッセージ●
(午後4時の首相参拝の報に接する前に)


マレーシアでも小泉首相の靖国神社参拝に反対する署名運動が始まった(毎日新聞)。シンガポールでも同様の動きが報じられている。英紙や米NYタイムズも日本国首相の靖国公式参拝に対してネガティブなコメントを出し始めるに至り、この問題は世界中の関心を集める大きな国際問題になってしまった。恐らくホワイトハウスからの最終的なサジェスチョンが官邸に届いているのだろう。

15日参拝見送りという一部報道が事実なら、ホワイトハウスのサジェスチョンに渋々従った結果ということに違いない。加藤紘一がコメントしているように、首相が靖国神社を公式参拝することは、日本が東京裁判の判決の意義を否定することを意味し、従ってサンフランシスコ平和条約の前提を覆すことになる。それは、中国以上に米国が受け入れられないことである。

公式参拝支持者たちの言い分の一つとして、堂々と15日に公式参拝をした後で中国と韓国に理解を求めればよい、という奇怪な主張があるが、これは全く自分勝手な論理であり、国際的な感覚の麻痺した非常識な議論である。中国や韓国がそれを受け入れられるわけがない。この議論は、戦前の満州事変の後の国際連盟脱退の時の日本の主張と同じであり、日本の国際的孤立化を推進する唯我独尊の議論である。

また、公式参拝推進者たちのレトリックとして、公式参拝について、恰も日本国内では国論が一致している問題について、韓国や中国などが一方的に内政干渉をしてきているような対立図式を強調しているが、これも巧妙な論理的詐術であることを指摘しなければならない。日本対中韓というような問題ではないのだ。まさに日本の中で国論が二つに割れているのである。与党の中ですら完全に割れており、内閣の中も、自民党の中も深刻に二つに割れている。

そして重要なことは、日本国内での反対論というのは、単にそれが近隣諸国との関係を悪くする問題だからとか、貿易や商売に影響を与えるからといった利害的立場からの反対論ではないということである。この点は公式参拝推進者たちが世論を欺くときに使う巧妙な詭弁であるから注意しなければならない。公式参拝不支持者の立場を、経済的利害にとらわれて中国や韓国に対して弱腰になっている経済至上主義者のように一面化して言うのは間違っている。

通商外交上の利害の損失を恐れてそれに反対するのではない。日本国内の反対論者は中国や韓国に気をつかって靖国公式参拝反対しているのではない。日本国内の反対論者も、中国や韓国の人々も、それがまさに日本の軍国主義の復活であるがゆえに反対しているのである。そこがいちばん大事なところであって曖昧にされてはならないだろう。神の国発言も、歴史教科書問題も、教育勅語復活の動きも、同じ問題なのであって、保守化傾向を強めている日本の政治家、マスコミ、世論による戦前の軍国主義日本の復権の動きに対して、日本国内とアジア諸国から反対と批判の声が上がっているのである。
じかん● Mon Aug 13 14:43:12 Japan 2001
おなまえ●じゅんこ
メッセージ● お久しぶりです。
猛暑が続いていますが、皆様お元気ですか。

哲学用語にルサンチマン(ressentiment)という語があります。哲学者によって、さまざまな使われかた、解釈の仕方があると思われますが、大方、弱者が強者に持つ、悪意、恨み、遺恨、妬み等を指します。このルサンチマンの包括こそが、古代から為政者や覇者、権力者になった者の何はさて置いてもの第一の仕事なわけです。日本では古くからルサンチマンを神格化する事で包括してきました。靖国の件など最もたるもので、戦死者の鎮魂のためというより、英霊として奉ることにより、戦場へ駆出し、残された遺族の遺恨を誇りに摩り替える一種の政治的手段でありテクニックであった事は顕かです。御霊様から見たら二重の冒涜ですよ。

戦後、半世紀以上たっても何も進化していない。進化どころか閉塞的で崩れていく社会のなかで、政治家が日本人の誇りの拠り所として、同じ手法を用いろうとしている。
瀬戸内寂聴も言っていますね、二度と戦争を起こさない為に行くというのなら、中国や韓国があれほど嫌がっている事をあえて強行する事は、再び戦争をおこす危険を孕む事だと、なぜ思わないのか、と。

じかん● Sat Aug 11 20:32:24 Japan 2001
おなまえ●遼太の父
メッセージ●
名古屋グランパスのエースストライカーだったストイコビッチが、引退する際、日本の平和についての感慨を新聞に語っていた。朝日新聞だったように思うがはっきり覚えていない。ストイコビッチは来日前は旧ユーゴスラビア代表としてW杯にも出場していたが、いわば戦火を逃れるかたちでJリーグに来たのである。彼はセルビア人だった。

ストイコビッチは、来日以来、なぜこんなに日本は平和な国なのだろうかと驚き、その理由について始終考えていたという。誰も戦争の脅威を恐れることなく、念頭におくことなく、現在も将来も完全な平和の中で暮らしている。本当に日本は幸せな国で羨ましい国だと彼は思った。そしてその理由を調べていくうちに、現在の日本と対極にある半世紀前の軍国日本の歴史的真実を知り、平和憲法の存在を知るところとなった。

戦争を完全に否定し絶縁したこの憲法があったからこそ、こんなに今の日本が平和なのであり。日本人は幸せなのだ、とそうストイコビッチは確信したそうだ。平和の本当のありがたさというものは、ストイコビッチのように戦争をじかに経験した者でなければ分からないのかもしれない。

戦争を知らない者が戦争を美化する。公式参拝支持者たちは、国を守るために戦って死んだ英霊などと言って美しい言葉で飾り立てるが、その真実は一体どうだったのか。最近の報道では、皇軍兵士として出征して外地で白骨になった人間の半数以上が、実は戦闘による死亡ではなく餓死だったと伝えられている。米軍の銃撃や爆撃によってではなく、餓死や病死のために命を落としてしまったのである。初年兵が軍隊内での凄惨なリンチで殺されたケースも少なくない。

無益な戦争に借り出されて、無意味な死に方を強制されただけに過ぎないのだ。無念で悲惨な死に方だったのである。それを靖国の英霊だの国の御柱だのと美辞麗句で飾り立てる。政治的な意図と目的のためにそうしている。もう一度軍国主義の日本に戻すために、大衆を欺いているのである。どうしても神の国に戻したい連中がいる。英霊だの御柱だのという言葉に惑わされないストイコビッチの話に耳を傾けるべきなのだろう。

もし日本の平和が破れて戦争になったとき、いま首相公式参拝を声高に唱えている石原慎太郎が兵士として戦場に行くわけでは決してないのだ。小泉純一郎が行くわけでもない。西尾幹ニでもない。小林よしのりでもない。彼らはきっと、戦前の日本の戦争指導者たちと同じように、特権階級として最期まで安全なところにいて、庶民が食べられないご馳走を喰い続けているのである。戦争の犠牲になるのは、指導者の並べる美辞麗句に騙された庶民なのである。

じかん● Thu Aug 9 19:38:32 Japan 2001
おなまえ●しんぺい
メッセージ●
満州事変から、支那事変、大東亜戦争の、15年間
(15年戦争という呼び名は正確ではないですけど)が
もし仮に日本による侵略戦争だったとして、その侵略戦争
を戦った兵士が奉られているから首相は参拝してはいけない
というならば、中国はそれを言えたとしても韓国には
それと言う権利はないですね。
当時韓国は日本であったわけで、韓国を併合したのは
その戦争よりもずっと前だったわけですから。
日本人として一緒に連合国と戦ってくれた韓国人もいたわけですから。
サンフランシスコ平和条約で東京裁判を受諾したという解釈をし、
だからそこで裁かれ処刑された戦犯が奉られている靖国に
参拝はしてはいけないと言うのも、
現在の中国はその条約国ではなかったわけですから
中国にA級戦犯が奉られているからという理由で、
参拝を批判する権利もないはずです。
というような事を木村太郎氏が言ってました。
結局の所、参拝についてどたごたと言っている国は中韓の2国しかなく、
侵略されたはずの国(もちろん侵略などしてはいない)
インドネシア、フィリピン、ベトナム、マレーシアなどなどの
東南アジア諸国、または対戦国であるアメリカ、イギリス、オランダ
などなどは何も言ってきていない事、何故これらの国は
なにもクレームを入れてこないのだろうかという事を考えれば、
参拝しようとしている小泉首相がおかしいのか、
それとも内政干渉してくる中韓がおかしいのか
おのずと答えはでてくるのではないのでしょうか。

韓国や中国にとって日本という国はなくてはならない国です。
日本とゴタゴタもめて、国益により影響がでるのは
日本よりも、中韓がより大きいでしょう。
韓国の観光業界は、日本からの観光客が激減して
今、悲鳴をあげているそうな。
暫くジッと我慢をすれば折れてくるのは、あちら側です。
きっと、そこから真の中韓との友好が始まるでしょう。



じかん● Wed Aug 8 23:10:51 Japan 2001
おなまえ●遼太の父
メッセージ●
戦争で国を守るために戦って犠牲になった者たちに対して総理大臣が謹厳に拝礼する行為がなぜいけないのか、日本人としてきわめて自然な心情の発露ではないかという言い分が、靖国公式参拝正当化の論理として使われている。米国にもアーリントン墓地があり、そこにはベトナム戦争での戦死者も埋葬されていて、各国の元首が訪れて花束を捧げている。なぜ日本で同じ事が許されないのか、そういう論理がこのところよく持ち出される。

しかしそれはやはり違うだろう。靖国神社に祀られている戦死者たちが戦った戦争は侵略戦争である。そう日本自身が認めている。そのことが最も大事なことなのだ。(15年戦争以前の、たとえば日露戦争はそうではなかったという類の議論はこの場合問題にならない)。日本国政府自身が明確に15年戦争を侵略戦争であったと認めている。その点がまず違う。

そして野中広務が明確に断言したように、靖国神社こそ、日本のかつての軍国主義と大陸侵略の精神的象徴であり、国家神道の中心的演出装置である。日本人がどう都合よく解釈しようが、認識を変えようが、中国や韓国にとっての靖国神社は野中広務が言ったとおりの実体であり、それ以外の存在ではありえない。

小泉首相が靖国公式参拝を断行した後の中国と韓国の対応はとても予想がつかない。対日感情の悪化は、これまで経験したことのない水準にまで立ち至ることになるだろう。来年の日韓W杯は果たして滞りなく共催可能なのか。プライドの高い韓国人が、そこまで立場を傷つけられながら、これまでどおり友好に日韓関係を維持することができるのか。見逃すことができるのか。

そして日本は、小泉がいつか退陣した後で、別の新しい総理大臣が、再び日韓友好、日中友好、村山談話尊重を言い出して取り繕うつもりなのだろうか。野中の言う「大局的見地」というのはそういうことだろう。仮に小泉が参拝を強行しても、次に首相になった者は必ずその過ちを悔い詫びねばならないことになる。小泉の軽率を尻拭いしなければならない。それこそ国際社会における日本の失態であり恥辱であるだろう。
じかん● Tue Aug 7 21:44:45 Japan 2001
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 昨夜放送された二つのテレビ番組の感動に触発されて、ひさしぶりに筆を執る。二つとは、午後9時からのNHKスペシャル「語り継ぎたい」− 被爆地を離れて生きる− と、午後10時からのテレビ朝日ニュースステーションである。 昨年の掲示板の混乱を思うと、正直なところ気が重いが、昨夜の老いた被爆者たちの懸命に生きる姿を見ると、やはり口を閉ざしたままではいられないと思う。

同じ昨6日のニュースのなかで、広島の平和祈念式典への出席のあと、原爆養護ホームを訪れた小泉首相は、年老いた被爆者たちが、その場で靖国神社への参拝の中止を強く要請したのを無視して退けていた。

他方、ニュースステーションに出演した野中広務は、靖国神社のそもそもの由来から説き起こし、日本近代史においてそれが侵略戦争を美化し鼓舞する精神的象徴として機能してきた真実を明らかにし、総理大臣の公式参拝が日本の将来の国益を深刻に害することを切実に訴えた。

私は自民党は支持しないが、野中広務の弁舌に政治家らしさを感じる。今日残っているきわめて希少な政治家の姿をこの男の中に見とめる。昔はこういう、聞く者の心を揺さぶる言論を吐くことのできる政治家が、イデオロギー的立場の左右を超えてたくさんいた。三木武夫がそうであり、社会党の成田知巳がそうであり、公明党の竹入義勝がそうだった。今は消えていない。演説ができる政治家がいない。

政治家はこのようでなければならない。

ニュースステーションの世論調査結果では、首相の靖国公式参拝について、支持と不支持がほぼ同数で拮抗していた。私はこの調査結果に納得がいかない。問いの設定の仕方もあるだろうが、一つには、小泉が行くことについてどう思うかという設問の仕方では、知識もなく深く考えてない若者たちは、無条件に支持と答えてしまう可能性が高いからである。同じ首相の靖国公式参拝でも、森善朗が行くとなれば、不支持の方が多い結果になっていたに違いない。

小泉が靖国公式参拝を明言して以来、日本のマスコミはそれを肯定的に報道する姿勢が目についた。韓国や中国の反応に対して「また騒いでいる」といったような冷ややかな視線を送るケースがほとんどだった。「公式参拝して何が悪い」という開き直りを是認する態度が支配的だった。

実際のところは、テレビに出ているコメンテータやらタレント評論家のほとんどが(毎日新聞の岸井格も含めて)、靖国神社の歴史的経歴や日本近代史における政治的役割や戦後における変遷について知識を持っていない人間ばかりであり、自分自身の判断根拠を持たず、小泉人気に適当に追従するだけの人間ばかりであった。

日本国首相の靖国神社への公式参拝行為は、韓国や中国にとって日本の裏切り行為であり、戦前の軍国主義日本への逆戻りである。これまでの日中友好宣言や村山談話などで積み上げてきた平和的で友好的な国家関係の否定である。

小泉は、過去の戦争について尋ねた記者に対して、「日本が国際的に孤立したことが戦争に繋がる失敗だった」と述べた。ならば小泉に問い返したい。靖国神社への公式参拝は「日本の国際的な孤立化」ではないのか。いまの小泉自身の行動こそ、まさしく東アジアにおける日本の国際的孤立化そのものではないのか。
じかん● Thu Jul 12 0:46:33 Japan 2001
おなまえ●キタキツネ
メッセージ● はじめまして、キタキツネです。最近、忙しいからよんでないけど、津本陽、宮城谷、塚本さんなんかの作品を読んでいます。陳舜臣さんの中国の歴史で「符(本当は草冠)堅」の大ファンになりました。暇になったら、中国行って資料集めしたいです。(むりか?)
じかん● Sun Jul 8 23:31:58 Japan 2001
おなまえ●ルーシー
メッセージ● 「坂の上の雲」おもしろかったです。
対照的な日本とロシアの戦い、それに絡む関係各国それぞれの思惑…。歴史っておもしろいなぁと改めて思いました。
そして、健気で活力にあふれた日本人たち。特に、その生命を燃やしつくしてしまったような秋山真之と児玉源太郎が印象的でした。
「薩摩本」としても勝手に楽しみました。
陸海両軍の“ウドサァ”が・・・とか、海軍が陸軍よりどこか明るい―これは江藤淳の「海は甦える」(この掲示板の古参の方に教えて頂きました)の印象も混ざってるかも―のは、ひょっとして薩摩の伝統かな・・・とか。
なにしろ「関ヶ原」は「せッがはら」って読むんだ…なんて感心してるくらいなので。
それにしても、薩摩人の中でも猛将タイプが出てくると、なぜか妙にうれしくなります。私が薩摩にひかれるのは異常なほどの闘争心のせいかと思い、「野蛮人が好きなのか?」とまた悩んでしまいました。
じかん● Thu Jul 5 16:31:25 Japan 2001
おなまえ●難波 美代子みよこ
メッセージ●  私も時代小説好きで、大学では、東洋史特に中国史専攻でした。が、どういう訳か、日本史の
が得意です。PCはまだ仕事で使用するくらいで、HPをつくるまでいたっていません。
いずれ挑戦します。


          No,さん  ZVD10211@nifty.ne.jp
じかん● Thu Jul 5 16:18:43 Japan 2001
おなまえ●孫々
メッセージ● 先日の「その時歴史が動いた」に陳舜臣さんが出ていました。陳舜臣さんといえば
「チンギス・ハーンの一族」執筆中に脳梗塞で倒れられたということでしたが、
お元気そうでした。「曹操」の続編は執筆されているのでしょうか?
じかん● Thu Jul 5 9:15:50 Japan 2001
おなまえ●まあご
メッセージ● 久しぶりに書かせて頂きます。
遼太の父さんの中国紀行を読ませて頂いているうちに、何だかまた中国史物が読みたくなり、陳舜臣さんの「中国五千年」(上下)「小説十八史略」(1〜6)を再読しました。
前回読んだ時はそれほどでもなかったのですが、今回はおもしろく感じてあっという間に読んでしまいました。
これからいろんな中国史物の本にも手を出したいと思います。
お勧めの本がありましたら、どうか教えてください。
じかん● Mon Jul 2 22:13:53 Japan 2001
おなまえ●ルーシー
メッセージ● ○このあいだ海音寺潮五郎の「田原坂」を読みました。西南戦争を題材にした短編集で、巻頭に辺見十郎太の恋?の話があって良かったです。「涙松」の大口防衛戦が舞台。構成のはっきりした、そのまんまお芝居になりそうな作品で、実際映画になったことがあるようです。おっそろしく昔みたいですが…山田五十鈴、って戦前?。
○この本、図書館で読んだんですが、途中で閉館になってしまい、隣町の図書館なので借りられず、町中の本屋・古本屋を廻るはめになり、結局見つからず、読みかけだった「兵児一代記」の台詞「チェスト、関ヶ原(せッがはら、と読むらしい)」が頭ん中をぐるぐる・・・