2001年3〜4月分の掲示板です
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じかん● Thu Apr 26 15:11:23 Japan 2001
おなまえ●華子
メッセージ●
今日からしばらくお便りお休みです。週末から主人たくさん休暇とるので、忙しくなるようです。でも私のことだからきっと何とか暇を見つけたりして・・・皆さんもこの連休はさぞかしお忙しいのでは?又新しい本の紹介、楽しみにしています。私?黒岩重吾さんの磐舟の光芒、やっと読み終えて、今は美貌の女帝を読み始めています。やはり永井路子さん本が読みやすく特にこれはナイスです。
じかん● Thu Apr 26 1:10:34 Japan 2001
おなまえ●しんぺい
メッセージ● こんにちは
>JIRさん
新潮文庫で、池波正太郎先生の作品で「人斬り半次郎」(全2巻)
が、あります。と、
集英社文庫で、三好徹先生の作品で、「桐野利秋-青雲を行く-(上・下)」
も、あるようです。
どちらも読んでいません、すいません(^^;
じかん● Wed Apr 25 16:55:13 Japan 2001
おなまえ●華子
メッセージ●
masatoさんって引越しが多いんですね。お子様も小さいのに大変だと思います。でも大きくなったらなったで転校手続きなどいろいろとあってもっともっと忙しくなりますよね?。私も結婚するまでに7回その後3回と計10回経験してます。別に転勤ではなくて・・・親が少しでも良い家をと・・・でも神戸からは出たことはありません。そちらも北海道ばかり?ですよね?。北海道はいいところですね?2回旅行しました。2年前にも行く予定だったんですけれど家に不幸
があって行かれず・・・来年ぐらいに行けたらといいなぁと思っているんですが・・・趣味が多くてなかなか忙しく、本もたくさん読んでないのがあるのに次から次へと買ってきてアップアップしています。でもおかげさまでこの掲示板のコーナーで載ってる題名の本はほとんど買ってあったので少しは話題についていけそうです。とにかくパソコン暦2ヶ月なので覚える事いっぱいです。
じかん● Wed Apr 25 13:34:09 Japan 2001
おなまえ●masato
メッセージ● 久しぶりに登場します。管理人です。
お初にお目にかかる方もいるようですね、よろしくお願いします。
この春は札幌から道東の霧の街釧路に引っ越しました。引越しのゴタゴタで家も仕事も
たいへんでしたが、やっと落ち着いた感じです。
今年は職場がインターネット繋ぎっぱなし、家もはじめてISDNとなり、3月までとはが
らっと変わっていい環境になりました。
華子さま、掲示板を全部ご覧になったんですね! けっこうな量ですよね。
話題の変遷がおもしかったんじゃないでしょうか。何か話題があれば、書き込みをどう
ぞ。
JIRさま、司馬さんの長編は何と言うか、読み終わった後、しばらく余韻に浸った感じ
です。「坂の上の雲」然り、「翔ぶが如く」然り。
じかん● Sun Apr 22 20:29:15 Japan 2001
おなまえ●JIR
メッセージ●
はじめまして。やっと司馬さんの「翔ぶが如く」を2ヶ月かかって読み終わりました。
半年前から、司馬さんにハマッテます。「坂の上・・・」から始まって、今は「最後の将軍」
を読んでます。西郷と大久保、桐野と川治、そして明治国家の建設について、いろいろ
考えさせられる小説でした。
ところで初めてなのにぶしつけですが、桐野利秋についての本(できれば小説)が読みたく、探しています。どなたかご存知でしたら教えてください。
じかん● Sun Apr 22 18:16:04 Japan 2001
おなまえ●華子
メッセージ●
今日この掲示板すべてを見て一日たちました。なかなか暇があるようでない毎日だけれど、本が大好きでこのページを見るのが楽しみです。なかなかすばらしいです。こんなに同じ趣味の人たちに出会えるなんて感激しています。これからもよろしく。
じかん● Sat Apr 21 22:29:29 Japan 2001
おなまえ●華子
メッセージ●
こんばんわ。木春菊さん、返事ありがとう。最初は、何がなんだかわからないうちに掲示板に入ってしまって・・・後で見るとはずかしくて・・・パソコンまだ初歩なんです。買ったときは、なんの目的で?と家族のものにいろいろ言われて。でもやっと”これだ”というものを見つけたしだいです。もちろん”歴史”のことを調べることです。あのテレビ番組のことなんですけれど
私は知らなかったんですけれど、知人からも教えていただきました。見れなかったのが残念です。これからも又いろいろと教えてくださいね。お勤めも大変ね。私も母が亡くなるまではお勤めしてたんですけれど・・・今はパソコン、手芸、旅行、と毎日充実した日を送っています。
じかん● Sat Apr 21 22:25:33 Japan 2001
おなまえ●ももこ
メッセージ●
はじめまして!実は読書感想文を書いてくださる方を探しています。
私の主人が勤める会社(不動産営業)では月に一度、読書感想文を書く宿題を出されるのですが、主人は毎日朝早くから夜遅くまで働き詰めで、月に3度しかない休みはひたすら寝るばかりで、とても本を読んで、それを400字詰原稿用紙4〜5枚にまとめる余力がありません。
そんな主人に代わってどなたか感想文を書いていただけないでしょうか?
今月の課題本は『為せば成る…』の上杉鷹山についての感想文だそうで、提出期限が4月26日らしいのです。主人の職業が営業ですので、感想文の内容に「営業職」に絡めたくだりが少し入っていると好ましいのですが、それ以外は特に制限はございませんので、どなたかいらっしゃいましたらお知らせ下さい!薄礼ももちろんさせて頂きます。よろしくお願い致します!!
メールアドレスは…kanegonv@f7.dion.ne.jpです。お待ちしております。
じかん● Sat Apr 21 22:13:42 Japan 2001
おなまえ●kanegon
メッセージ●
じかん● Sat Apr 21 6:06:03 Japan 2001
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 台湾紀行 10 − iIntermission −
司馬遼太郎が死んで以来、私はずっと司馬遼太郎を自己内封印している。もう5年になるけれど、封印はまだしばらく続きそうな予感がする。そして今のところは、確実に司馬遼太郎へのintensionが下がっている。いずれはまた間違いなく(母なる)司馬遼太郎に還るのだろうけれど、それまでは暫く中国や韓国やアジアをひとりで旅して放浪することにしようと思う。河島英五のように。
最近になって、ようやく中国文化・中華文明の普遍性について自分なりの理解を持てるようになった。中華文明世界がなぜ歴史的に断絶することなく、かくも永く悠久の営みを続けてきたのか、その理由づけを積極的に与えることができるようになった。
文化と文明の問題。司馬遼太郎が生前機会あるごとに提示していたGuidelineは、文化と文明の違いを考える上でかなり有効な考え方であると私は思う。司馬遼太郎のGuidelineに従って定義づけすれば、日本文化はあるけれど日本文明というものはない。このあたりの考え方の違いが実は梅原猛と司馬遼太郎の根本的思想的差異であり、梅原猛と比べての司馬遼太郎の魅力と説得力でもある。..梅原は駄目だ。
なぜ中華文明は存在するのに日本文明は存在しないのか、単に文字がなくて漢字を導入せざるを得なかったからとか、圧倒的な経済力水準の差があったからとか、地政学的に日本がperipheralなlocationにあったからとか、そういうeasyな理由づけではない別の解答の方法があるように思う。世界史の中で、今日まで切断なく続いて発展しているのは、二つの世界文明しかないのではないかということである。すなわちヨーロッパ・キリスト教文明と中華・漢字文明。
マックス・ウェーバーは、世界宗教を彼独特の類型的方法で理論分析して、時代を超えて普遍的に発展してゆく精神(Guist)として、古代ユダヤ教−原始キリスト教−ローマ・カトリック−近代プロテスタンティズム−資本主義の精神の一本の道筋を抽出した。ウェーバー社会学の基本線である。ウェーバー的な認識では、この道筋以外のものは基本的に全部駄目だと烙印を押されることになる。すなわち、最近の主流の人文社会科学アカデミーから批判されるところの近代中心主義・西欧中心主義の世界認識・歴史認識である。
私は二つであると思う。キリスト教文明と中華文明。そういう二本線の試論を提出しても可能ではないかという予想を抱く。
じかん● Fri Apr 20 22:45:43 Japan 2001
おなまえ●木春菊
メッセージ●
華子さんは平家の子孫ですか。それはすごいですね。自分のルーツが歴史の流れの中にあるなんてうらやましいです。過去帳は調べましたか。菩提寺でも何かわかるかもしれません。
お昼のテレビ番組タモリの“笑っていいとも”で有名人のご先祖を持っている一般視聴者が出場しみんなでその先祖をあてるというコーナーがあります。仕事先の昼休みに見ているのではっきり覚えてはいないのですが、平清盛の子孫が出演していた時がありました。すごく長い家系図で今にいたっていました。親戚になりますね。
じかん● Fri Apr 20 18:03:09 Japan 2001
おなまえ●華子
メッセージ●
先ほどメール入れたんだけれどあわててアドレスいれなかったのでもう一度アドレスを。
じかん● Fri Apr 20 17:50:02 Japan 2001
おなまえ●華子
メッセージ●
最近になって平家の子孫ってわかったんですけれど、親戚、両親も亡くなり確かな情報が・・・
壇ノ浦で入水自殺をした有盛だそうなんですが、奄美大島の喜界島まで流れてそしてその後、名瀬へ。でも、毎日源頼朝が攻めてくると怯えて最後は自害したそうなんです。名瀬というところに、有盛神社があり写真にも写ってるのですが、歴史上では何も記されてません。有盛って言う人は、清盛の息子の重盛の四男です。だから清盛の孫になります。従兄弟の母方の位牌にいろいろ記されていたそ。そのこと聞いてからますます歴史に興味が・・・もともと歴史が好きだったので、色々としらべています。そして、一度暇をみて奄美に行ってみようと計画しています。そして、誰か一人でも平家の息子有盛の事を書いた作家がいてくれたらと思い掲示板に。
じかん● Fri Apr 20 16:05:16 Japan 2001
おなまえ●孫々
メッセージ●
NHK出版のジェームス三木著「八代将軍吉宗」を読みました。ドラマ放送時には確か私はなだ
小学生でした。いろいろと見覚えのある下りが多くて結構楽しめました。当時、私はこの
ドラマで随分と江戸身分制という空気をなんとなく感じたのですが、後半の幕政改革の下りは
小学生の私では殆ど解りませんでした。今、改めて読んでみると、流石、ジェームス三木という
ところでしょうか。「葵」もいろいろ言われてましたが、考えさせられるところが多いです。
じかん● Thu Apr 12 21:18:35 Japan 2001
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 台湾紀行9 − 故宮博物院(4)
移転分院問題を教えてくれたのは、実はC先生であった。C女史によると台北故宮博物院だけでなく、大英博物館もルーブル美術館も、同様にいま、老朽化しつつある館設備と所蔵品の保管の問題に悩んでいて、新築移転問題に直面しつつあると言う。彫像はまだいいが保管で問題になるのは書画である。ルーブルの絵画は16世紀だけれども、故宮の書画の場合、唐宋代ならそれより5世紀以上古い時代にさかのぼる。王義之の時代となると10世紀さかのぼることになる。
さて、故宮博物院は、大英博物館、ルーブル美術館、メトロポリタン美術館と並んで世界の四大博物館の一つと称されているが、他と違うのは、展示所蔵品のすべてが中国文化・中華文明の文化遺産だけで占められているということである。大英博物館の主役は、ロゼッタ・ストーンをはじめとして古代オリエントのもの、すなわちエジプト、メソポタミア、ペルシャ、ガンダーラ等々の石像や彫刻の品々である。グレートブリテン島産の芸術品や発掘品などはほとんどない。ルーブル美術館の場合も、主役は古代ギリシャの彫刻とルネサンス期のイタリアの古典絵画である。すなわちダビンチやラファエロである。生粋のフランス産の芸術が主役ではない。
ここに故宮博物院の意義があり、中華文明・中国文化の偉大さのひとつの証明があると言っていいだろう。中国文化・中華文明の巨大さをよく思い知らされる事実である。中華文明の周辺地域である朝鮮半島や日本列島やチベット高原からのものは何もないのだ。そんな周辺異民族の文化には故宮は何の関心も払っていないのである。しかるに大英博物館の展示所蔵品というのは、産業革命で世界の工場となり七つの海の覇者となった大英帝国が、古代文明が栄えた地域を植民地化して強引にぶん取ってきた帝国主義の略奪品のショーケースである。それからまたルーブル美術館は、フランスこそが古代ギリシャ・ローマ以来のヨーロッパ文明・ヨーロッパ文化の正統な継承者であると誇らかに自己主張するところのヨーロッパの首都のミュージアムである。これにはイタリア人としては面白くない部分もあるだろう。
故宮には中国以外のものはない。
残念ながら、私は今回は王義之に出会うことはできなかった。王陽修にも顔真卿にも蘇軾にも全くまみえることができなかった。目的とした六朝・唐宋代の書には掠ることさえかなわなかった。わずかに明代の代表的文人である文徴明の書画を仰ぎ見ることができたのみである。悲しい不首尾であった。古代の書画は傷みやすく保存管理が難しい。常設展示は不可能というのが館職員であるC先生のご説明だった。現在の技術の限界でそれが困難なのか、費用的な問題なのかそれは素人の私にはわからない。
私の主張は、たとえレプリカであってもそれを館内に常設で陳列するべきであるというものである。あるいは博物院の最大の技術的投資をそこに集中するべきであるというものである。率直に言って現在の台北故宮博物院は、館としての展示思想がきわめて弱く、所蔵展示文物全体に対する芸術思想的な序列体系の構築度が弱い。そしてあまりにも文物の数が多すぎて、また歴史的貴重品が多すぎて、どう展示して見せればよいのか手をこまねいているようにすら見える。それは故宮博物院を訪れた者の誰もが感じることであろう。
誤解をおそれずあえて言うならば、これまでの台北故宮博物院の文化芸術事業は、中国文化とは何か、中華文明とは何かという根本的な問題をその所蔵品や展示品の構成から熟慮し検討する以前に、そうした文物を戦争や内乱の災禍から守り、無事に保全して後世に繋いだ蒋介石の偉業を称えることを専らの主眼としたのではないかということである。政治が文化に先行していたのである。
じかん● Mon Apr 9 21:04:10 Japan 2001
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 台湾紀行8 − 故宮博物院(3)
仕事の都合があるのでまだ確定ではないけれど、連休は中国大陸に行こうと考えている。北京と西安。私にとって今回がはじめての中国旅行となる。企画としてはこれから何年かの計画で、シルクロードや長江や雲南にも訪れたいと思っているが、実際にはどうなるかわからない。すぐに気分が変わるからである。
ところで正月に台湾へ行って買ってきた中国茶三缶(烏龍、ジャスミン・鉄観音)をわが家では全部消費しつくしてしまった。これまではお茶の時間は仙台の井ケ田の煎茶で大満足だったのだが、台湾の中国茶を知ってからはもうそこへ戻ることができない。そしてテレビを点ければ、NHKの教育放送で中国茶の趣味特集番組が放送され、民放では井上陽水がキリンのCMで鼻唄(トッポの「花の首飾り」)を歌ったりしていて、今年は日本中が中国茶ブームに染まっている感じがする。
銀座の三越にそれらしいものを売っているらしいが、どうせならいっそ台湾に飛んで行って土産で買ってきたいという衝動にかられる。(何度も書いた)高雄のトロピカル・スィートも忘れられないが、台北の故宮博物院を訪れたとき、ふとした偶然で館内を直接ご案内していただくことになった書画処研究員のC先生にもう一度お会いしてお礼が言いたい。
C先生は中国語・英語・日本語三か国語に堪能な芸術エリートで中華民国の優秀な文化官僚だったが、その外見は肩書とは全く異なって、まるで昨日芸能界にデビューしたばかりのアイドル歌手のように、あどけなく可愛くて、官僚臭など微塵もないやさしい方だった。訪日したおり上野と京都の国立博物館で研修したときのお話や、奈良の寺を訪ねたときの印象を、楽しそうにあれこれお話していただいた。私にとっての今回の訪台の最高の幸運であった。
私は先生に、自分は王義之の「快雪時晴帖」を見に来たこと、それが第一目的であること。そして中国文化・中華文明の真髄は、陶磁器や玉や琥珀の彫刻ではなくて、書にこそあるのだと多くの日本人は考えていること、そして中国歴代の数多くの書の傑作の中でも、乾隆帝が「三希」の筆頭として格別に愛賞した「快雪時晴帖」こそを究極のものとして崇めていることを訴えた。
中国の芸術文化における至宝傑作の類は、あらゆる創作ジャンルにわたってさまざまにある。しかし、何と言っても究極のものは書であろう。中国文化を中国文化たらしめ、中華文明を中華文明たらしめて、今日まで生き生きと発展せしめている中核的な文化実体は漢字であり書である。特に楷行草の書体が普遍的に確立した六朝期。その代表的文人である王義之の書である。特にわれわれ日本人にとってはそうである。
今回、台北故宮博物院の一階玄関ホール正面から巨大な蒋介石の壁画が取り外されることになった。台北故宮博物院の創設者である主が院を去ることになった。そして今、台北故宮博物院と台湾政府の中枢部では、蒋介石大壁画撤去後の故宮について議論百出の中で新しいプランが練られているに違いない。何をそこに置くのか、誰を新しい主に据えるのか。それを彼らは決めなければならない。
ルーブルの「サモトラケのニケ」や「ミロのヴィーナス」のような、館のメッセージを直截に主張する何かをそこにオブジェしなければならない。それはまさに故宮博物院自身が、中華文明・中国文化とは何かを自ら定義して全世界の人々に示す壮大な文化的行為である。台北故宮博物院はいま、ようやく政治の支配を抜け出して、文化芸術を自己主張できるところまで歴史的に到達しつつある。
私は、おそらくそこには書が来るに違いないと確信している。王義之が来るに違いない。王義之の「快雪時晴帖」のレプリカが置かれるだろう。
本当は、そのとき、そこまで突っ込んでC先生に訴えたかったのだけれど、正月のその時点では、博物院の主である蒋介石様の大壁画は揺るぎのないものであり、まさかそれが取り外されるとは予想だにしていなかった。歴史がいま、大きくうねりながら台湾で動いているのである。
じかん● Sun Apr 8 19:25:06 Japan 2001
おなまえ●あさみ
メッセージ● あまり本を読まない私が人の影響で本を読みたくなりました。
じかん● Fri Apr 6 9:40:12 Japan 2001
おなまえ●まあご
メッセージ●
こんにちわ。2回目です。最近は、山本周五郎さんの本を再々々読してます。
中国史物はあまり読んでいませんが、宮城谷昌光さんや陳舜臣さんの本は読んでます。
私はなぜか三国志関係が好きでなくて、そうですねえ、殷(商)や周時代は好きですねえ。
始めは、歴史・時代小説は豪快なもの(戦国時代とか)がおもしろかったんですが、今は藤沢周平さんの作品なんかが好みになりました。(北原亞以子さんもいい)
そうそう、遼太の父さんの台湾紀行は興味深く読ませていただきました。次を楽しみにしてます。では、また。
じかん● Sat Mar 31 13:59:31 Japan 2001
おなまえ●haruna
メッセージ●
初めまして。私も歴史小説すごい好きなのでこういうところに来るとワクワクしちゃいます。周りに好きな子少ないって言うかいないので ほっとしました。このたび小説と映画のおすすめHPはじめて作りました。もしよければごらんになってください。歴史小説多いので、皆さんの厳しい視線が怖いですが、カンソウお待ちしております。http://www5.ocn.ne.jp/~haruna86
がアドレスになりますので 隠しの要素が少しありますので色んなとこ クリックしてみたら・・・・
じかん● Sat Mar 31 13:16:45 Japan 2001
おなまえ●じゅんこ
メッセージ● めぐみ様
お久しぶりです。お元気そうで何よりです。
相変わらず誤字、脱字の多さに我ながら呆れるばかりです。瓦ー甍でしたね、お恥ずかしい。
札幌から東京に高知ですか、座敷豚の私からみたら、仕事とはいえ何とも羨ましい(笑)。
北海道は、まだまだ寒さが厳しいのでしょうか。昨夏訪れた時、函館から内浦湾を右手に5号線
を北上するルートを取りましたが、北欧の海岸線をイメージさせる美しい景色が視界に広がり、ニセコまでの距離をあまり感じませんでした。生態系が違うとお聞きしていましたが、ニセコの森の中では、紋白蝶が飛んでると思えば、とんぼも飛んでる。紫陽花も向日葵もコスモスも咲いていて、娘曰く「ここは何処、私は誰」の世界(笑)。本州との違いを実感しました。
最近寒さに弱くなってきたのか、北国の方が春を待ち焦がれる気持ちが分かる様になって来ました。春の花が咲くと無条件に嬉しくて、年々歳々花相似
歳々年々人不同 てところでしょうか
唐招提寺は、順調に行けば2009年夏に平成大修理落慶法会が行われるそうですよ。
一昨年訪れましたが、本格的な工事はまだ着手されていなく、調査段階の様子でしたが、落ち着いた雰囲気では無く残念でした。境内は広いので、修理は他の寺の例からしても部分部分で行われるはずですから、拝観はできると思われます。
四国へは金毘羅さんへ行っただけですが、今夏、祭り好きの友人に「阿波踊りを踊りに行こう」と誘われて、思いっきり引いていますが、一度参加すると病みつきになるそうですね。
維新に活躍した人物というのは、竜馬に代表される様に、彗星の如く顕れ、彗星の如く消えていきますね。西郷隆盛の言葉に「人を相手とせず、天を相手とす」と有りますが、竜馬も天を相手に見据えていたのでしょう。竜馬の手紙、見たくなりました。
じかん● Fri Mar 30 17:51:17 Japan 2001
おなまえ●めぐみ
メッセージ● じゅんこ様
奈良の春、さぞ美しいことでしょうね。先日上京の折、鑑真和上展に行きました。あまりの人ごみにじっくりと鑑賞するのは難しかったですが。昔々読んだきりの「天平の甍」を読み直そうと思いつつ帰札しましたが、忘れていました。唐招提寺は修理中で当分拝観できないのでしょうか。
先日仕事にかこつけて念願の高知に行って来ました。あいにく季節はずれの雪で、北海道に戻ってきたのではと目を疑いました。桂浜の美しさ、竜馬像と竜馬記念館も期待を裏切らないものでした。なんといっても竜馬の手紙に圧倒されましたね。自分でこじあけた維新の扉から外にでることなく非業に倒れた竜馬、かえすがえすも残念でなりません。
じかん● Fri Mar 30 11:45:49 Japan 2001
おなまえ●じゅんこ
メッセージ● 有脚陽春
先日、久々に奈良公園に行ってきました。
桜の花もほころび始め、観光客も少なく、ゆったりと楽しめました。
東大寺のお隣の、氷室神社の枝垂れ桜は満開でしたし、二月堂から
眺めた景色は微かに桜色にけむり、きっと、週末は春爛漫のお花見
日和でしょうね。
今回初めて、戒壇院へ足を延ばしましたが、有り難い事に観光客は
誰一人いない道を通り、静まりかえった院内を心いくまで拝観させ
て頂きました。思ったよりずっと狭い建物のこの壇上で、名だたる
多数の高層が厳粛な戒を受けたかと思うと、ここに立っている事じ
たい不思議な気がしました。お目当ての四天王は、やはり素晴らし
く、等身大である事と誇張が無い分、返って力強く感じられ素直に
入って来るものがあります。
戒壇院と言えば鑑真、鑑真と言えば、井上靖の「天平の瓦」ですね
内容は皆様ご存知と思われますが、是非、南都奈良の春霞にけむっ
た天平の瓦の美しさ、雄大さをご覧になって下さい。
じかん● Fri Mar 23 16:36:54 Japan 2001
おなまえ●剣千年(つるぎせんねん)
メッセージ●
歴史小説を書いています。オンライン出版のダウンロードブック3作を発表しています。作品名は「新説将門記ー坂東を盗ってしまった男」「役行者と黄金の狐」「義仲盛衰記ー愛妾ふたり」です。HPではミニ随想、紀行、超短編小説などのほか既刊小説や未発表作品の概要も紹介しています。歴史ファンのみなさん、是非一度覗いてやってください。
http://www.d3.ne.jp/~nitakuka/
じかん● Thu Mar 22 23:42:09 Japan 2001
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 台湾紀行 7 − 故宮博物院(2)
台湾へ行こうと思うようになった要因の一つは司馬遼太郎の『台湾紀行』だったけれど、もう一つの要因はNHKの『故宮』であった。再放送を含めてシリーズを3回見たが、何度見ても素晴らしい。現在NHKの中国史研究のレベルは東京大学や京都大学を凌駕している。20年前の名作「シルクロード」製作以来の研究と取材の蓄積が局内に連綿と生きているのがわかる。
NHKの『故宮』を見れば誰もが北京と台北の故宮博物院を訪れたいと思うようになるに違いない。だから、ここ数年の日本人観光客の台湾ブームの火付役の一つは、このNHK『故宮』であると言えるだろう。NHK『故宮』は、テレビ放送以外に4冊シリーズの単行本が出版されているが、これがまた非常に素晴らしくて感動させられる。それを読めばわかるが、この番組の企画には作家の陳瞬臣が大きく関与している。司馬遼太郎の盟友であり李登輝全総統の親友である歴史作家の陳瞬臣。
陳瞬臣とNHKが中国と台湾の両政府を動かしてこの企画を実現せしめたという内容のことが本の中で陳瞬臣自身によって書かれている。番組が放送されたのは1996年だったが、今から思えば何と野心的な試みであったことか。私の場合、ある意味でNHKの『故宮』をあまりに予習し過ぎていたために、現地で接した台北故宮博物院は物足りなさや至らなさを感じることが多かった。
その一つが常設展示文物の少なさであり、もう一つがこの博物館の国立博物館としての重みのなさと言うか、台湾の戦後史的事情に由来するところの「政治性の突出」と「文化性の希薄さ」の印象であった。もう少し言うと、この台北故宮博物院には、ルーブル美術館や大英博物館において強烈に感じられるところの文化的歴史的重厚さが感じられない。率直な印象を言えば、館そのものがどことなく応急措置的で緊急避難的であり、つまりテンポラリーであり、そして非常にイデオロギー的で政治教宣的である。
その所以の一つが、先に述べた一階正面ロビーホールにドーンと掲げられた巨大な蒋介石の肖像画の存在であった。博物館のエントランス正面に何を置くかは、まさに博物館のメッセージそのものである。周知のとおりパリーのルーブル美術館の一階正面階段踊り場(ダリュの階段踊り場)には「サモトラケのニケ」が展示されている。ルーブルのサモトラケのニケに該当するものが、台北故宮博物院では蒋介石の肖像画であった。しかるに、今回の政府・博物院当局による肖像画取り外し措置はまさに当然であろう。台湾の政治的民主化は今もこうして静かに続いているのである。
ルーブル美術館におけるサモトラケのニケに該当する展示が台北故宮博物院では蒋介石の肖像画であった。そしてルーブル美術館における「ミロのヴィーナス」に該当するものもまた台北故宮博物院の二階中央にドーンと展示されている。それは今回は(当然ながら)取り外しの対象にはならなかったが、国父孫文の巨大な大理石の彫像である。彫像の横には例の三民主義のスローガン(建国の理念)−民族・民権・民生ー高らかに書かれている。
私が、朝いちばんに、開館と同時に誰よりも早くそこへ入ったとき、開館時間前に招き入れられたと思われる台湾の小学生の団体が既にその彫像前ホールに整列して座らされていて、学校の先生か館の職員とおぼしき人から三民主義のお話を聞かされているのを目撃した。
孫文の彫像となると蒋介石と違ってなかなか取り外しは難しいに違いない。時間がかかることだろう。しかし普通に考えれば、その場所には政治家の彫像は不似合いなのである。まして台北の故宮博物院が自らを世界四大博物館の一つだと言うのであれば、それは尚更と言えるだろう。ルーブルにナポレオンの彫像を置いて見せるのと同じである。もしもルーブルの展示フロア中央にナポレオンやドゴールの巨大な彫像が鎮座していたとすれば興醒めに違いない。
じかん● Wed Mar 21 21:36:28 Japan 2001
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 台湾紀行 6 − 故宮博物院(1)
台湾紀行の後半は、台北の故宮博物院について書いてみようと思っていたのだけれど、つい怠慢をしている間に2ヶ月以上が経過してしまった。その間、様々な出来事があり、特に台湾政府による小林よしのりの入境禁止問題が発生して、内心「よくやった」と拍手を送りながら、事の成り行きを見守るところとなった。台湾政府の今回の措置は妥当なもので国家行動として至極当然である。
そしてその故宮についても、その後、2件ほど重要な事実が新聞記事となって日本でも報道されるところとなった。その一つは故宮一階正面ホールに飾られて訪問客を出迎えていたあの大きな蒋介石の肖像画が取り外されることになったことである。この決定の意味は非常に大きい。実は、私もこの台湾紀行文の中でかかる肖像画について触れ、これがいずれ取り外されるだろうという予測を書いてみようと思っていたところだった。
もう一つは、故宮博物院の移転あるいは分院問題である。この件についても、ふとしたことから台湾旅行中に情報を知るところとなり、ここの台湾紀行文の材料にしようと考えていた。
何から書けばよいか。
私には故宮について一つの歴史的政治的フォーキャストがある。
故宮についてのある結論と主張を持っている。それについてはもう少し後で、移転分院問題を述べるときに触れることにしよう。しかるに先ずここで言っておかねばならないのは、司馬遼太郎はその著作『台湾紀行』の中で故宮に触れていないという問題である。彼の『台湾紀行』には何故か故宮論は無い。おそらく意図的にであろうが故宮が無視されている。
故宮博物院。これは現在、台湾における最大最高の観光資源である。少なくとも日本人観光客に対しては台湾観光商品全体の花形看板の位置にある。大手旅行代理店の台湾パッケージ商品には必ず故宮観光がセットされている。故宮を組み入れていない台湾観光商品は無い。だから基本的に台湾を訪れる日本人観光客は全員デフォルトで故宮博物院を訪れていることになる。
朝、博物院が開館する直前には駐車場にズラッと大型観光バスが並び、すでに大勢の日本人が正面玄関に列をなして並んでいる。私が見た感じでは、ビジタ−は台湾国内の客よりも日本人の方が圧倒的に多い。大手代理店のパッケージツアーで来ているグループ客には必ず台湾人の専門ガイドが付いて、上手な日本語で文物秘宝を説明している。その日本語が展示室のあちこちから聞こえてくる。館の中はもはや台湾ではなく日本である。
しかしながら、観光パンフレットに書いてあるほどには実は台北故宮博物院は広くない。展示物も多くない。私にとっては正直なところ期待外れであった。観光ガイドブックには「一日ではとても全部見きれない」などと大袈裟に書いてあるが、実際にはそんなことはない。2時間も回れば展示物はほとんど全部鑑賞できる。展示が少ない。展示物はわずか1万点あまり(とされている)。所蔵品全体(60万点)のほんの一部である。
この点についてはいろいろな理由が考えられそうだが、一つには現在の台北故宮博物院が所蔵品の規模や点数に比較して設備的に手狭で十分な展示スペースが用意されていないことが挙げられる。もともとの設計段階で展示スペースはコンパクトにとられていたのである。
じかん● Wed Mar 21 11:04:12 Japan 2001
おなまえ●まあご
メッセージ● 始めまして。
歴史小説大好きです。司馬遼太郎さんの「項羽と劉邦」が始まりでした。それからは、池波正太郎さん、藤沢周平さん、海音寺潮五郎さん、柴田錬三郎さん、陳舜臣さん、隆慶一郎さん、永井路子さん、杉本苑子さん等々、読みあさっております。
特に、印象深いのは、池波さんの「剣客商売」、司馬さんの「峠」、藤沢さんの「おどる手」です。
じかん● Sun Mar 18 23:53:37 Japan 2001
おなまえ●りょうさん
メッセージ●
どもおひさです。最近思うことがありまして、日露戦争って・・・本当に祖国防衛戦争だったのでしょうか?????
じかん● Sun Mar 18 14:43:12 Japan 2001
おなまえ●泰平
メッセージ● お久しぶりです・・・。
いや、懐かしいものですね。
去年の夏頃には毎日お邪魔していたのですが、受験シーズンになると
もう一気に来れなくなってしまいました。。。
やっと受験も終わり、一段落・・・といきたいところですが、浪人
決定となってしまいました。
大学、受かってはいたのですが、そこが自分にとって本当に行きたい
ところではなかったので、もう一年頑張る事にしました。
今は束の間の休息です。
ホームページなども開設してみました。
もちろん歴史の部屋もあります(笑)ただ、世界史が中心となってしまいますが。
日本史はほんの少しかじるくらいしかやっていないので、諦めました。
とは言ったものの、まだまだ製作初期の段階です。
これから予備校に行くまでの期間に頑張って更新しようと思います。
それでは、またちょくちょく来ますね。
じかん● Fri Mar 16 23:39:26 Japan 2001
おなまえ●中本
メッセージ● がちゃびん様
小倉での4年間はよき友と知り合った歳月でした。また、下宿先のご主人が川筋かたぎそのままの人で、五木寛之の「青春の門」のあの、<なんち、かんち言いなんな、理屈じゃなか>のタイプでした。あの言葉がすごく好きで30数年たった今でも懐かしい。そうは言っても奥方にこてんぱんにやられてたのが如何にも九州の男らしかったです。ここだけの話ですが九州男児とは女性にしっかり守られてカッコよく演出されて出来上がったものなんですね、だから一人では何にも出来ない。マザコン男典型ですかね。男は無口と言ってるけどしゃべらない方がとばっちりが来なくて無難って訳です。一言しゃべれば十言返ってくるから大変なのです。これは本当のことですよ。内助の巧なんてもんじゃない働きを女性達はやったんです。ただ、間違った方向に走ると怖い。なんとかの母、なんとか婦人会とか妙に熱心になるでしょう。ここの所はがちゃびんさん、お分かりになりますよね?有明海の問題は時代に即応して長崎県の譲歩すべきでしょう。
無理して水田用地を確保する必要も無いと考えます。ただ、平野が無くて米が作れなかったので昔からの悲願だったことは理解します。水門を開き生物との共存の道を計って欲しいと私は願ってます。
じかん● Fri Mar 16 16:13:30 Japan 2001
おなまえ●がちゃぴん
メッセージ● 中本様
私は現在、小倉から鹿児島に引っ越してきて4年目です。最初は同じ九州でもここまで違うか!!!と驚きましたが,やはり県民性は多種多様のほうが楽しいですね。仕事とか共通のレベルというか価値観がないといけない場面では大変だろうと思いますが・・・。鹿児島の人達は親切な人が多いけれど,やはり鹿児島弁を使えない人たちにはやはり多少の警戒心みたいなものを感じているのかなあ,と思います。(幕府の密偵じゃないのになあ)同じ九州という島に住んでてもちゃんと違いがあることは大切ですね。でも有明海はみんなで守っていきたいものです。ガザミが獲れなくなるとカニ食い女としては困りますので・・・。
じかん● Sun Mar 11 0:42:18 Japan 2001
おなまえ●ちょこ
メッセージ●
じゅんこ様
細川忠興に関する本のご紹介、ありがとうございます。おもしろそうですね!
<茶道へのめりこみ日記>
今日は畠山記念館(東京・高輪台)の茶道具展を見に行きました。
以前、この近辺を通って会社に通っていたこともあったのに、
関心がないとそのものがそこにないかのように、存在すら知りませんでした。
おもしろいものです。私だけでしょうか??
住宅の立ち並ぶ中に、日本的なひろがりが突如出現するのは、楽しい驚きです。
京都にあると、さもありなんってことになるんでしょうけど。
中本様
確かに塩野さんの本、読めないです!
実は私、ローマ人の物語は読んでないんです!(うーん読んでるといいつつ、ごめんなさい。)
<海の都の物語>
私が特に好きなのは「海の都の物語」です。最初ヴェネチアに行った時はなんて不便な町だろう
って思いましたが、計り知れない人間の知恵と努力の上に立つ町であることをこの本を読んで
初めて知りました。町の存亡が人間の力を必要とするという特殊性ゆえに育まれたヴェネチア人
の合理性。さらに毎年沈みつつあるあやうさが、いっそうこの町への興味をかきたてます。
そして、塩野さんは町のいたるところに残る歴史の痕跡を折に触れ書いてくれているので、
実際に行って目にすると、感慨深いですよ!
<ヴェネチアへの思い入れ>
私がヴェネチアに行ったときは、1日目は穏やかでしたが、2日目起きてみると、サンマルコ広場一体が水浸し(といっても水たまりなんてレベルではなく)になっていました。潮と雨の影響のようでしたが、年の1/3はこんな状態と聞いた気がします。当然町の人には日常茶飯事なので、魚屋さんが履いてそうな太ももまである黒いゴム長靴を履いていました。広場には背もたれのないべンチのようなものが通路になるように並べられたり、、、
運河とアラビア様式が入り混じった建造物の一種独特の景観を持つあの美しい人工の島がなくなっちゃう!と思うと、物価が高かろうがホテルの勝手が悪かろうが、すぐにでも飛んで行きたくなります。
イタリアは12都市を訪れました。どの町も素敵で優劣はつけようもないのですが、また行って、あの迷路のような町並みを地図なしで歩けるようにしたい、という気にさせられるものが、ヴェネチアにはあります。塩野さんの影響でしょうか??
長々と書いてしまいました。読んでくださった方お付き合いありがとうございます。
じかん● Fri Mar 2 23:53:20 Japan 2001
おなまえ●中本
メッセージ● あずまびとさんへ
薩摩人のことは<街道をゆく>3の中で、肥薩のみちのくだりに詳しく述べてありますよ。私は長崎県の人間で、18歳位までは殆ど北部九州の人々との接触が多かったです。小倉で学生生活をするようになって鹿児島、宮崎の方を知った訳ですが、割と朴訥としたと言うかモワッとした人々だったなと思ったものでした、多分、抑揚のある言葉のせいかもしれません。人間が大きそうに感じられたものです。司馬さんの発光体と表現された個性は薩摩人にとっては神話ですかね。九州アイランドも県民性それぞれですが、隣県はあまりよく言わないです。佐賀ん者が歩いたあとは草も生えん、なんて年寄りが言ってました。我が県人は人懐っこいとか、熱しやすくて冷め易いとか言われます。論理より情緒が勝るきらいがあるのは確かです。現在、広島在住30年、この地も結構趣きがあります。山間部は義理堅く、臨海部は良く言えば豪快、一つ外れると仁義なき戦い的な所でしょうか。自分自身は水が合った方でしょう。
県民性は多種多様の方が絶対いいし、訛りもしっかり有る方が楽しい。そうでしょう?