2001年1〜2月分の掲示板です

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じかん● Wed Feb 28 23:59:06 Japan 2001
おなまえ●中本
メッセージ●  ちょこさん、イタリア紀行を聞かせて下さい。塩野さんの本はくたびれます。今の日本と照らし合わせながら読んでます。<ローマ人の物語>なんですが、やっと2巻にかかろうかってな状態。一連のルネサンス物は結構早く読めたんですが、やっぱり年の問題で逃げましょう。
塩野さんは男性的発想で物事を語られるから、連れ合いとも読み比べが出来るので面白いですね。司馬さんと塩野さんのみが夫婦共通の本になってます。


じかん● Wed Feb 28 19:49:21 Japan 2001
おなまえ●めぐみ
メッセージ● ご無沙汰しておりました。

あずまびとさんへ
私は県民性とは最も遠いところの北海道に住んでいます。司馬さんは名字でだいたいその人の出身がおわかりになったそうですが、私も県民性にはとても興味を持っています。というのも、こちらではせいぜい3,4代しか歴史がないので、土地の記憶や因縁は、私にとって未知なるものだからです。知り合ったばかりの人と話していて、話題がなくなると、「(貴方か貴方の両親の)ご出身は?」と聞くことにしています。それこそ全国津々浦々の話が聞けておもしろいですよ。そういえば今まで山梨出身の人には会ったことがありません。北海道の道民性?こだわりがなく、新しもの好き。でも小心で依存的。こんなところかな?
じかん● Tue Feb 27 21:39:26 Japan 2001
おなまえ●あずまびと
メッセージ● こんにちは
・昨日、このページでも紹介されている司馬遼太郎の「翔ぶが如くを」読了しました。
 一読して五割ほどは理解したつもりですがこの掲示板ではなかなか熟練(?)の方々が
 いらっしゃるようなので皆さんの意見を聞きとうござります。私の所感は一読しただけですが
 薩摩人という、この得意な民族(としか思えない)・・・西郷、大久保、桐野などを今ひとつ
 理解しけれず、同作の序文の筆者の言葉と同じ「君たちは得体が知れない」と思っていたりし ます。どうも薩摩人の気質を理解するには筆者のように薩摩の風土などの人文地理的知識が
 要るようです。いったい西南戦争というのは何だったのでしょうが?教科書には西南戦争前後 で民衆の反抗が反乱から言論へ転化した、と扱われていたように思います。「幾百年の昔か  ら続く何事かがこの戦争で終息した」という意味の一文がありましたが、そう考えると身震い がします。
・さてもう一つ皆さんに伺いたいことがあります、それは「県民性」というものです。と、いう のは私が住んでいる甲斐之国、山梨県は県民性が悪いことで有名で(言葉が汚いことでも
 有名)どうしてだろう?と永年疑問に思っています。内陸性気候の風土が原因らしいですが
 詳しいことは解かりません。よく、隣県の静岡や長野の人々と比較されてバカにされたりする
 話はよく聞きます。余談ですが現在でも長野の諏訪あたりの人は山梨の人をあまり良く思って いません。信玄の諏訪遠征の恨みが未だ残っているようですがどうでしょう。
 



じかん● Tue Feb 27 19:44:52 Japan 2001
おなまえ●じゅんこ
メッセージ● 訂正 依然ー以前 失礼致しました。
じかん● Tue Feb 27 16:06:50 Japan 2001
おなまえ●じゅんこ
メッセージ●
依然、愛知県は勝幡という所に一時期住んだことが有りまして、ここは愛知県でもかなり西部で、織田信長の出生地とされている地です。(他に異説もあるようですが)
とにかく、羽柴、堀田、柴田、加藤など歴史でおなじみの苗字の多い事、そして、「ござる」
「ござった」など武士言葉が日常語として現在にも生きてます。

この地方は茶の湯の盛んな所でも有ります。といいましても京都や金沢あたりの格式ばった、敷居の高いものでなく、もっと素朴で日常に同化しています。(お抹茶の消費料はずば抜けて高いそうです。)
たとえば、ちょっとお茶でも飲んで行きませんかという場合、老若男女問わず、農家なら縁側、町屋なら玄関先で盆手前でさりげなく点てて下さいます。驚いた事に、今現在の事情はわかりませんが、茶道も花道も男性の嗜みでもあるそうです。
農家であろうが、商家であろうが、お屋敷であろうが玄関先や床の間の生け花を、、その家の男性が生けられる事も珍しくないのです。なかなかいいものですよ。

今は、花道も茶道も女性の専売特許みたいでつまらないですね。
歌舞伎にしても、能、狂言にしても観客席は、おばさまの世界ですもんね。
殿方にも、もっともっと進出していただきたいなぁ。

>ちょこ様
細川忠興についてですが、「胡桃と酒」に描かれている忠興と伽羅奢が、人物理解という意味では特出してると思います。細川伽羅奢を題材にした作品は、小説のみならずオペラなどにも取り上げられていて興味深い対象とされてきましたが、どこか上滑りになりがちな所が有る様に感じてきましたので「胡桃と酒」を読んだ時には溜飲の下がる思いがしました。
絵にも多くの方が題材にしていますが、橋本明治氏「ガラシャ夫人像」が心情的に一番近い様の思います。この小説は、司馬遼太郎の「故郷忘じがたく候」に一緒の納められていますよ。
「故郷忘じがたく候」も是非お読み下さいね。薩摩焼の陶工のお話です。
あまりお目に懸れない白薩摩ですが、機会が有れば是非ご覧になって欲しいな。
李朝白地と似て比なる白地に緻密で端正な絵が施されています。
品がよくて暖かく、主張していない様で確かな存在感があり、和物であり、韓物である独特のものがあるんですよね。
おっと、おしゃべりが過ぎましたね。
じかん● Sun Feb 25 23:19:43 Japan 2001
おなまえ●山口の花子
メッセージ● 久しぶりです
今「封神演義」を読んでます
古代中国舞台のファンタジー
おもしろいですよ
読んだ方いらっしゃる?
じかん● Sun Feb 25 20:28:39 Japan 2001
おなまえ●ちょこ
メッセージ● じゅんこ様

同じくコメントありがとうございます!
まさしく私が求めている本です♪早速読みたいと思います。

うぐいす餅おいしいですよね。
実はそもそも茶道をはじめたきっかけは和菓子が好きだから、、
というふとどきものなんです:)

これからもいろいろとお教えください!
umauma@mtf.biglobe.ne.jp
じかん● Tue Feb 20 23:23:24 Japan 2001
おなまえ●りょうさん
メッセージ● >じゅんこ様
コメントありがとうございます。
>個人的には、松嶋菜々子かわいくて好きなんですが・・・まつのイメージ
>とはかなりズレますよね。他の俳優にしても、若い人の視聴率を上げるつ
>もりでしょうが、ちょっと軽すぎますよね。
やはり私も軽いイメージがあります。それとはたしてこの配役で良いのかと
いった声があまり聞こえないような気がします。今になって配役を変えろ!
とは言いませんが見栄えの華やかさに気を取られて実の方をおろそかにしが
ちではないかと思うのです。それともう一点、なぜあの配役になったのか
いまいち理由がはっきりしないのでもうちょっと詳しい理由が聞きたいです
ね。この場をお借りして疑問の声を投げかけてみました。(^^ゞ

じかん● Tue Feb 20 13:38:09 Japan 2001
おなまえ●じゅんこ
メッセージ● 日差しがなんだか春めいて来ましたね。

>ちょこ様
「お薦めの作品」へ書き込まれました、千利休や茶道についてですが
三浦綾子氏の「千利休とその妻たち」あたりはいかがでしょうか。
武野紹鴎や今井宗久、黒茶碗で有名な楽焼の長次郎、弟子の宗二達などと
時代背景の中、茶の道に命を懸けたやり取りが展開されています。

千利休の妻がキリシタンに帰依していたり、お手前やお道具などをキリシ
タンの儀式から取り入れたりと、茶の湯の世界にキリシタンの影響が色濃
い事をこの作品を通して初めて知りました。

今の季節、お薄の友はうぐいす餅かな?

そうそう、利休ときたら秘伝書「南方録」。
原書を読むのは難しそうですが、関連本は結構出ていますよ。

>りょう様
個人的には、松嶋菜々子かわいくて好きなんですが・・・まつのイメージ
とはかなりズレますよね。他の俳優にしても、若い人の視聴率を上げるつ
もりでしょうが、ちょっと軽すぎますよね。


じかん● Tue Feb 20 2:26:27 Japan 2001
おなまえ●りょうさん
メッセージ●  どうも本当にお久しぶりです。さてだいぶ古いお話になってしまうのですが、来年の大河ドラマ「利家とまつ」ですが配役をみなさんどう思われますか?私個人の意見としましては、あまり決まったことに関してどうのこうの言いたくないのですが、歴史ファンの一員としましては、時代背景があの配役でうまく反映されるかどうか心配です。去年の「葵、徳川三代」では役者さんの迫真の演技が物語を引き立てたように思います。時間がだいぶたつのですが、どうも納得しない自分がいて思い立って掲示板にのせました。つらつらと書いてしまいましたが色々とみなさんと意見をかわしたく思います。。
じかん● Sun Feb 18 11:58:47 Japan 2001
おなまえ●ちょこ
メッセージ● 歴史小説、奥が深いですね。
このHPでこんなにも熱中している方々がいらっしゃることに感動。
普段あまり本を読まない私ですが、久しぶりに読むと次々読みたくなります。

私も塩野七生さん大好きです。>中本さん
もともとイタリアが好きで、読み始めました。
イタリアに2度行ったのですが、最初は歴史をあまり知らず行き、
2回目は彼女の書いた小説を読んでから行ったので、とても充実した気分に
なりました。

歴史は様々な地を訪れることをより中身の濃いものにしてくれますよね。
もっと知り、旅行をしたいと思う今日この頃です。
じかん● Fri Feb 2 22:44:03 Japan 2001
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 台湾紀行5 − 愛しの高雄  -

台北もよかったのですが、何と言っても今回の旅で印象的だったのは高雄でした。正月のその時期、東京では雪が積もっていました。台北では3日間ずっと雨が降り続いていました。台北の気温は21Cから24C。しかし朝の出勤者たちはみんなコートを着て街を歩いていました。ちょっと日本の感覚とは違うなと思わされました。

自強号が北回帰線を超えると、そこはもう真夏の太陽の日射しでした。高雄の昼間の気温は27Cから29C。しかし陽射しが厳しくて炎天下を長く歩き続けることができません。服はもちろん半袖、日中はTシャツで歩いていました。

熱帯特有のあのトロピカルな甘い匂いが鼻をついて、身も心も溶けるような、何とも言えない解放された気分になります。

司馬遼太郎が台湾紀行の際に宿泊した国賓大飯店(アンバサダー)に宿泊したのですが、いいホテルでした。ホスピタリティ(もてなし)が最高なのです。ホテルの命は何と言ってもホスピタリティ。ドアマン、フロント、ルームサービス。全て完璧で行き届いていました。部屋は広く新しく清潔で快適です。価格もきわめてリーズナブルでした。高雄にいらっしゃる方にはお薦めしたいと思います。

部屋からの眺めも最高で、海と港がよく見えたのですが、その海に大きな夕陽が沈むのがとても印象的でした。ああいう光景は日本国内ではなかなか見られません。部屋の窓側に椅子を持ってきて、美味しい台湾のジャスミン茶を飲みながら、赤い夕陽の玉が海に落ち込んでてゆくのを呆然と眺めていましたが、まさに至福のひとときでした。台湾のお茶には癒されます。

そして高雄の人は台北よりもさらに純朴できれいな眼をしていました。日本人を含めた観光客が台北のように多くなく、日本語はもちろん英語のコミュニケーション環境も台北ほどは整ってなくて、入ったお店で何やら珍しがられたり、歓迎されたりということも何度かありました。不愉快な思いは一度もなく、必ずもう一度行ってみようと心に誓った次第です。

じかん● Thu Feb 1 20:54:14 Japan 2001
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 台湾紀行4 - 一般市民の政治意識 -

台北から高雄へ自強号という電車に乗って移動したのですが、そのときのお話です。自強号は台湾では最も高速の特急電車ですが、台北から高雄まで5時間かかりました。距離的には福岡から鹿児島という感じでしょうか。今では台北−高雄間の交通は航空機が主流になっているようです。航空機だとわずかに45分。

途中、台中駅かどこかで5分間の停車があって、乗客がホームに降りて駅弁を買えるようになっているのですが、その弁当の漢字表記がそのまんま「御弁当」。明らかに日本統治時代の名残なのでしょう。何となく嬉しい気分にさせられました。

JRの新幹線などでは、指定席については基本的に男女同席を避けるように発券している筈ですが、台湾ではそういうことはないようです。お陰で台北駅から高雄駅まで、台北の高校で英語を教えているという若い女の先生とずっとお話をすることができました。

私は思い切って、自分が台湾の人に訪きたかったこと(大陸中国との統一問題)について切り出してみました。政治的にクリティカルなイッシューを公の電車内の空間でしていいものかどうか若干の不安はありましたが、彼女の方は思ったほど警戒感なく応じてくれました。

現在の陳総統が提案している連合国家プランは、大陸は認めないだろう。無論、台湾独立も絶対に認めないだろう。彼らの言っている「一国ニ制」は欺瞞である(tell a lie)。香港はうまく欺かれてしまった。

しかしたとえ台湾が大陸の「一国ニ制」下に置かれたとしても私は別に気にしない。それならそれでも構わない。台湾の今後の可能性はむしろ政治ではなくて経済にあるのであって、台湾経済はすでに福建省の一部にまで拡大し及んでいる。

台湾の人間で、すでに安い大陸の土地を買い永住を決めている人間もたくさんいる。向こうは物価が安い。陳総統の提案や構想は、政治交渉や国際外交よりも、むしろ経済的な面での両岸の事実上の融合の拡大が後押ししてゆくに違いない。台湾経済の影響下に入れば福建省の人々の考え方や生き方も台湾のそれと近くなる。

おおよそこのように話してくれました。いい話が聞けたと思います。

彼女の話をもってそれが台湾人の政治意識の全てだとは決して言いませんが、何が何でも独立台湾の実現をというような強い意気込みは一般市民レベルではさほど強くないように感じられました。そういう頭に血が上った日本人(小林や西尾や石原)を見て、彼らは笑っていることでしょう。

一人一人の幸福のあり方を保証し提示するのは、政治ではなくて経済である。一人一人のレベルで懸命になるべきは政治ではなくて経済である。そういう台湾人の思想と言うか志のあり方を私は強く感じた次第です。
じかん● Thu Jan 25 20:31:55 Japan 2001
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 台湾紀行 3 - 歩道と街灯 -

人がとてもよかった、という事が台湾についての何よりの感想なのですが、一旅行者として、街については、もう少しインプルーブして欲しいなと思うところも多少感じました。ここではそれについて書きます。

台湾の若者たちの多くがバイクを使って通勤していて、移動手段としてオートバイがポピュラ-なのですが、その騒音と排気ガスが街のアメニティを破壊しています。見方によってはエネルギッシュでよいという事もできるかも知れませんが、旅行者には慣れにくい空間です。

そのバイクを狭い歩道にズラーッと駐車しているんですね。日本でも自転車を狭い歩道に無断駐輪したり、駅前に放置したりして、歩行者の迷惑になっているところがよくありますが、台湾の歩道のバイクはもっと壮観です。非常に歩きにくいで。歩道を歩いていると、いきなり車道からバイクが歩道に侵入して来たりします。

まあそういう台湾の一情景を指して、私は、小林のように、無理やり公と私の話にこじつけて「中国人には公が無い」などと意図的なイデオロギー的一般論に還元するつもりはありません。敗戦直後の一時期には、日本でも浮浪孤児たちが上野駅の通路を占領して寝食していたのです。公も私もへったくれもありません。

歩行者に快適な歩道が整備されるためには、市民の倫理以外に自治体(共同体)の公共予算が必要であり、公共予算を充足させるためには、地域や国家にそれだけの税収が上がらなければなりません。また税金を市民の公共の生活基盤のために率先して使おうとする民主的な政府の存在も必要でしょう。

似たような話ですが、高雄の街を夜歩きながら思ったのは、街灯の整備がきわめて遅れているなということでした。高雄と言えば台湾第二の大都市で、観光客が群れ集まる六合夜市は高雄最大の観光スポットです。高雄の観光価値は、あの夜市の活気溢れる喧騒空間にあります。

高雄の六合夜市は、日本で喩えて言えば大阪の道頓堀のようなところだと思うのですが、街灯が無いため足元が実に暗い。ちょっと通りを横に入ると真っ暗の空間です。そしてそれとは対照的に、表通りに並ぶ個々の営業店舗のネオン看板が、けばけばしく派手に妖しく光り輝いて、露骨に、われ先に客を誘っているわけです。

香港を始め、中国、東南アジアの華僑が商売している街では大概こういう夜の風景なのでしょうが、やはり日本人観光客の感性では慣れるまでに少し時間がかかります。
じかん● Tue Jan 23 21:19:09 Japan 2001
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 台湾紀行 2 - 茶髪と肥満から自由な国

台湾に一週間滞在して思ったのは、平凡な感想ですが、人間が溌剌として健康的に生きているなあという実感でした。台湾の健全さと対照的に、日本社会の精神的な病理現象の深刻さがよく実感できたと思います。それは、男もそうなのですが、特に女についてそういう感慨を強く持ちました。

日本の女はどれもこれも何でこんなに人相が悪いのだろう。空港から京成ライナーに乗り、都心に帰り着いて街を歩きながら、行き交う女たちの顔がことごとく恐ろしい強盗殺人犯のように見えてしまった次第です。悪意と憎悪と猜疑心の塊のような目つき顔つき。隙あらば他人に危害を加えてやろうとでも言いたそうに見えるその表情。

台湾の人たちにはそういう雰囲気が全く無い。表情にゆとりがあるし、柔軟さがある。特に若い人たちの場合は顔に暗さが無い。明るそうで楽しそうな印象だけ。帰国してそんな事を考えているうちに、また例の実の母親による乳幼児の虐待殺人の報道があり、またしても気分の悪い憂鬱な思いにさせられました。日本の女は限りなく不幸で絶望的に見えます。一体何時からこんなになってしまったのでしょう。

考えてみれば当然の事ですが、台湾の若者たちは髪を染めてはいません。茶髪はいません。日本ではもう茶髪は中年の男女でも珍しい現象ではなくなりました。当たり前の事ですが、所謂ガングロなる風俗の者も一人もいませんでした。台湾の若者たちは日本の芸能界や流行が大好きだと聞いていたので心配だったのですが、杞憂でした。

何だかんだと屁理屈をこねて正当化しても、茶髪はまさしく日本人の学力低下の象徴です。「個性」だの「ゆとり」だの笑止千万もいいところ。

テレビのニュースでV6のコンサートのチケットを入手するために徹夜でテントを張って並んでいる少女たちの映像が出ていたのですが、日本の中学生高校生の風体や態度に見られる、あの独特のふてぶてしさや図々しさとは全く違う、幼くてあどけない表情が印象的でした。日本も確か30年前はこういう感じでした。

何度もこの類の言葉を濫発するのは不本意なのですが、正直な気分として、そういう発見と嬉しさの中で、私の心は大いに「癒された」ことを告白しなければなりません。

もう一つ加えると、台湾の人たち、特に若者たちは肥満していませんね。同世代の日本人と比べて明らかに痩せている。日本に住む我々は日本人の現在の体型に眼が慣れてしまっているので、台湾に降り立って街を歩きはじめた途端、彼らの体つきのスリムさに驚かされます。日本の新聞で一部報道されたように、確かに台湾女性の間で過剰で過激な美容痩身ブームがあるようですが、それにしてもみんな細くてスタイルがいい。スリムなパンツに長い黒髪、そして大きな瞳がよく似合っている。

食生活の変化とかグルメブームの定着とかいろいろ言われていますが、私の考えでは肥満とストレスというのは明らかに因果関係がありますね。日本人の肥満の本当の原因はそこにあるはずなのです。傷つけ合い、歪め合い、貶め合い、互いにカラッポにし合っていますね、今の日本は。それがますます酷くなっている。
じかん● Mon Jan 22 20:22:08 Japan 2001
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 台湾紀行 - 豊かで複雑な言語環境 

正月休みを利用して台湾を旅してきました。昨年いろいろな政治的議論があったこともあり、果たして今の台湾の実際の状況はどうなのか、自分の眼で確かめようと思ったことが直接の契機です。それと、かねてより念願であった故宮博物院の訪問ということもありました。仕事以外で外国に行くのは久しぶりでしたが、結果的に予想した以上にとても楽しい旅でした。あまりそういう言い方を濫発するのは気が進みませんが、正直なところ「癒される」という言葉が一番フィットすると思われる五泊六日でした。

台湾は日本人の旅人にとって実に心地よい環境です。その理由の一つは言語、コミュニケ−ション環境にありますね。小林も漫画で描いていましたが、台湾では日本語が通じる場面や状況にきわめて多く接することができます。ホテルでもレストランでも土産物屋でも日本語が通じる。特に台北ではそうでした。流石に若い世代には日本語は通じませんが、英語は通じます。それも米国人のように速くない。話し方が日本人の英語と似ていて、聞きながら単語や構文がそのまま理解できるような、われわれにとって近くて親しい(外国語としての)英語を話してくれます。私が台湾に「癒し」を感じた理由の一つが彼らの喋る英語でした。米国なんかへ行くと、特に西海岸なんかだと、英語が速くて速くて耳がついて行けずに苦労をします。

台湾の言語環境というのは、(面積的には九州程度であるにかかわらず)実に多様で、複雑で、われわれ日本人の想像を越えていると言えます。誤りを含んだ割り切り方ですが、簡単に考えて、台湾語と北京語と英語と日本語がある、と言っていいのではないかと思います。台湾語という言い方をしていいのかどうか躊躇いますが、現地の言葉、いわゆる本省人が話していた言葉があります。学校で教えるのは北京語で、これは中華民国の公用語ですね。テレビのニュースを見ていると台湾語でキャスターが話している画面の下に漢字の文章の字幕が出ていたりしていました。

これは私の体験からですが、台湾語と北京語の差というのは、テレビのニュースを聞いていると確かに発音の違いが分かりますが、例えば、タクシーに乗ったとき運転手のおじさんにペラペラとやられると、もはや中国語という概念でしか捉えられなくなります。台湾語も北京語もどっちも理解不能なので、中国語としか判別できないのです。台湾にはいろんな言語的バックグラウンドの人がいます。

a台湾語しかできない人
b台湾語と北京語の二つができる人
c対話後と北京語と英語のできる人
d台湾語と北京語と日本語のできる人(60代以上)
e台湾語と北京語と英語と日本語のできる人

無論これだけではありませんが、台北のホテルで仕事している従業員たちは、基本的にe、4ヶ国語を自由に操れます。素晴らしい。尊敬してしまいました。英語の社会的レベルは明らかにはるかに日本より上で、その事が台湾のハイテク産業の国際競争力の基礎要因ともなっています。

とりあえず英語が通じる、下手な英語でも笑われない、ひょっとしたら日本語も通じるかもしれないという環境は、日本人旅行者にとっては何とも言えず快適で心地よくて嬉しい環境と言えます。海外旅行する日本人は何故か皆そうですが、そこに日本人だけがいて、日本語だけが聞こえて来ると,途端に幻滅してつまらなくなるんですよね。そういう意味で、台湾ぐらい言語的に優しくてベストな海外旅行環境って無いんじゃないかと思ってしまいました。

そして私が思ったことは、何とかして中国語の会話ができるようになりたい、幼稚園生のレベルでいいから中国語を聞いて話せるようになりたい、ということでした。
じかん● Sun Jan 21 20:54:12 Japan 2001
おなまえ●やすし
メッセージ● こんにちは このホームページの趣旨は良く分からないのですが、ひとまず
私は同性愛者です
近頃多様な価値観を受容してうんぬんと言いますが、画一的に女性は女性の人権を高らかにうたいますが、同性愛者はなかなか、自己の価値観、つまり男性女性という枠を越えて根本にあるもに、自己の性的趣向すら公にはなかなか口に出来ない状況です
そんな私たちを少しでも理解してくださる方がいればと思いここに何かを書き込ませていただこうと思いました
批判協調同調無関心色白あるかと思いますが何でも構いません
何かご興味持ってくださる方がいましたらメールください
hirorin1973@hotmail.com
です このような公共の場なのでひとまずフリーメールアドレスとさせていただきました
よろしくお願いいたします
じかん● Sat Jan 20 22:48:41 Japan 2001
おなまえ●ほり
メッセージ● 初めて書き込みします。最近、津本陽の「椿と花水木」を読みました。司馬さんは勝海舟を評価していましたが、この小説では、口だけ達者で何の役にもたたない人間として描かれていたのが印象的でした。
じかん● Fri Jan 19 22:46:48 Japan 2001
おなまえ●中本
メッセージ●  我が店のささやかなホームページを作りました。お暇なときに開いて下さい。感想を出来ればお願いしたいです。楽しめる広告をと思ってますが、ちょっと生真面目です。徐々に工夫して面白くしたいのですが。目下、塩野七生に凝ってます。女々しくなくて、結構、熱中させてくれます。アドレスを忘れるところでした。http://www.ddt.or.jp/~aaasun/ です。
じかん● Thu Jan 18 21:22:44 Japan 2001
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 新世紀大河ドラマ

いつの間にか新年、新世紀になりました。少しづつ老いて行きます。さてNHKの北条時宗、なかなかいい感じで滑り出しているのではないでしょうか。あのモンゴル文字の意匠のタイトルバック、気に入りました。CGもなかなか。NHKの底力を感じさせられるし、何より、歴史認識がすっかり国際化したんだなあと感じさせられます。

時宗についても、この時代についても、一年のドラマにするには材料が不十分で大丈夫かなと心配していましたが、成程、大陸の動きをああして毎回見せてゆけば、確かに史劇として見るべきものは十分足るのではという期待感を持てます。それ以上に、モンゴル帝国の歴史をNHKのドラマでトラックするというのは、いいですね。成程と思いました。

何と言ってもNHKにはあの8年前の「大モンゴル」製作の実績と蓄積があります。これならできる、とスタッフが踏んだんですね。草原のロケーションとかカラコルムの幕営の舞台装置とかは、何だか貧相で、こんなものかなとも思いますが、北大路欣也のモンゴル語の台詞には驚かされました。やるもんですね。

鎌倉時代というのは、色で言えば黒、ダークなイメージがあります。その前後の平安時代や安土桃山時代というのは華やかで明るいイメージですが、鎌倉時代というのは、ひたすら暗くて地味で陰鬱で質素で男性的な時代のイメージがします。

しかし、まさにこの時代にこそ本来の日本史の出発点があると言うか、日本史がユニークな歴史となり、日本人がユニークな民族となる契機が隠されていると言えます。つまり東国武士が歴史の表舞台に姿を顕して政治をするということですね。

1月8日のオリエンテーション番組で、鈴木健二が言っていましたが、確かに、あの弘安の役の時、鎌倉に来た元の使者を斬ったのは、まさに国家の存亡を賭けたものだったわけで、よくぞあそこまで蛮勇を奮ったものだと思えてきます。当時の鎌倉幕府なりの緻密な情報収集や国際情勢分析や戦略があったことは間違いないでしょうが、やはり時宗の若さと大胆さというものを考えざるを得ません。

もしそのとき執権が、時頼など高齢で年配の人間であったなら、果たして大元帝国との決戦を決断できたかどうか。もし私が、今のこの年齢で同じ執権の立場にあったなら、恐らく正面からの決戦は避けて、何とか和睦する方策は無いものかと思案したのではないかと思います。どう考えてもあの蒙古軍には勝てる計算が立ちません。いずれにしても世界史的な大変な決断です。
じかん● Mon Jan 15 15:45:20 Japan 2001
おなまえ●ともこ
メッセージ● おすすめのサイトをご紹介します。
ネット上でキリスト教関連誌を買うことができたり、牧師先生のメッセージを聞くことができる充実したサイトです。クリスチャンの皆さんは是非一度クリックしてみて下さい。また、クリスチャンでない方にも無料でカウンセリングを受けることができるコーナーや結婚相談室もありますよ。
 http://www.agape-tls.com
じかん● Fri Jan 12 23:45:26 Japan 2001
おなまえ●かずさん
メッセージ● はじめまして。
 私、インターネットをはじめてもうすぐ1年。接続したばかりの頃”井上 靖”を
キーワードにこのサイトを訪れました。その後、時々、皆さんのご意見を拝見して
います。
 dendenjiruさんの書込みを見て早速、新聞を読み返しましたが当家購読の地方紙には
残念ながら記事は見当たりませんでした。
 私は今から十数年前、新彊ウイグル自治区を訪れたことがあります。当時、私は
留学生として中国河南省の大学に学んでいました。その夏休みを利用して列車で数日
かけてウルムチへ。そこから長距離バスに乗って天山南路を走り、カシュガルまで足
を延ばしました。
 その頃は、特に西域の歴史に興味があった訳ではなく、ただ「もっと遠くへいきたい」
それだけの理由でした。
 帰国後、楼蘭や敦煌、異郷の人など井上 靖さんの西域を舞台とした作品に出会い、訪れた
町や道の歴史を知りました。もう少し早くこれらの作品に出会えていたら・・・。
 悔やまれましたが仕方ありません。あの頃見た空の色や町の匂い、触れ合った人々を思い
出しながら読んできました。
 今は仕事や家族に振回され、とても望めませんが、将来時間に余裕が出来たら再訪
したいと思っています。今度は是非行って見たい町、立ってみたい場所が山ほどあります。
スタインやヘディンのようにロプ湖の湖畔にも立ってみたいですね。
 その頃の思い出を自身のHPに少しずつ書いていきますので宜しければご覧下さい。

   http://www2.ocn.ne.jp/~tsuchida/sub4.htm

じかん● Mon Jan 8 13:11:15 Japan 2001
おなまえ●dendenjiru
メッセージ● はじめまして
 話題を一つ提供したいと思います。今日の新聞で小さく
 中国の調査隊が楼欄王族のものと思われる遺跡を発見したとありました。
 楼欄といえば流浪の湖ロブロール湖にあった王国でこのHPでもありますが
 井上靖さんの小説が有名ですよね、わたしもすきです
じかん● Fri Jan 5 17:04:37 Japan 2001
おなまえ●masato
メッセージ● 管理人です。
皆様、あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

このHPは年末で三周年を迎えました。
三年で50,000アクセスは決して多いとは言えないのかもしれませんが、わたしにとっては
信じられないような数です。皆様に感謝します。
ほとんど更新されないHPにこんなにたくさんのアクセスがあるのは掲示板に参加されている方
みんなの力と思います。

最近は一時盛り上がっていた幕末派の書き込みも少なく寂しくなっていますね。
たくさんの歴史ファンの参加をお待ちしています。

じかん● Tue Jan 2 22:24:29 Japan 2001
おなまえ●中本
メッセージ●   明けましておめでとう。新世紀の日本に真の政治家を創り出す努力をしましょう。
 加藤の乱の結末はあまりにもひどかった。落胆せずに、この国のあり方は我らで考えていきましょう。あらゆる事に興味を持ってしっかり本も読もうと思いますよ。
今年は、元気な年に成るよう祈ります。

じかん● Wed Feb 28 23:59:06 Japan 2001
おなまえ●中本
メッセージ●  ちょこさん、イタリア紀行を聞かせて下さい。塩野さんの本はくたびれます。今の日本と照らし合わせながら読んでます。<ローマ人の物語>なんですが、やっと2巻にかかろうかってな状態。一連のルネサンス物は結構早く読めたんですが、やっぱり年の問題で逃げましょう。
塩野さんは男性的発想で物事を語られるから、連れ合いとも読み比べが出来るので面白いですね。司馬さんと塩野さんのみが夫婦共通の本になってます。


じかん● Wed Feb 28 19:49:21 Japan 2001
おなまえ●めぐみ
メッセージ● ご無沙汰しておりました。

あずまびとさんへ
私は県民性とは最も遠いところの北海道に住んでいます。司馬さんは名字でだいたいその人の出身がおわかりになったそうですが、私も県民性にはとても興味を持っています。というのも、こちらではせいぜい3,4代しか歴史がないので、土地の記憶や因縁は、私にとって未知なるものだからです。知り合ったばかりの人と話していて、話題がなくなると、「(貴方か貴方の両親の)ご出身は?」と聞くことにしています。それこそ全国津々浦々の話が聞けておもしろいですよ。そういえば今まで山梨出身の人には会ったことがありません。北海道の道民性?こだわりがなく、新しもの好き。でも小心で依存的。こんなところかな?
じかん● Tue Feb 27 21:39:26 Japan 2001
おなまえ●あずまびと
メッセージ● こんにちは
・昨日、このページでも紹介されている司馬遼太郎の「翔ぶが如くを」読了しました。
 一読して五割ほどは理解したつもりですがこの掲示板ではなかなか熟練(?)の方々が
 いらっしゃるようなので皆さんの意見を聞きとうござります。私の所感は一読しただけですが
 薩摩人という、この得意な民族(としか思えない)・・・西郷、大久保、桐野などを今ひとつ
 理解しけれず、同作の序文の筆者の言葉と同じ「君たちは得体が知れない」と思っていたりし ます。どうも薩摩人の気質を理解するには筆者のように薩摩の風土などの人文地理的知識が
 要るようです。いったい西南戦争というのは何だったのでしょうが?教科書には西南戦争前後 で民衆の反抗が反乱から言論へ転化した、と扱われていたように思います。「幾百年の昔か  ら続く何事かがこの戦争で終息した」という意味の一文がありましたが、そう考えると身震い がします。
・さてもう一つ皆さんに伺いたいことがあります、それは「県民性」というものです。と、いう のは私が住んでいる甲斐之国、山梨県は県民性が悪いことで有名で(言葉が汚いことでも
 有名)どうしてだろう?と永年疑問に思っています。内陸性気候の風土が原因らしいですが
 詳しいことは解かりません。よく、隣県の静岡や長野の人々と比較されてバカにされたりする
 話はよく聞きます。余談ですが現在でも長野の諏訪あたりの人は山梨の人をあまり良く思って いません。信玄の諏訪遠征の恨みが未だ残っているようですがどうでしょう。
 



じかん● Tue Feb 27 19:44:52 Japan 2001
おなまえ●じゅんこ
メッセージ● 訂正 依然ー以前 失礼致しました。
じかん● Tue Feb 27 16:06:50 Japan 2001
おなまえ●じゅんこ
メッセージ●
依然、愛知県は勝幡という所に一時期住んだことが有りまして、ここは愛知県でもかなり西部で、織田信長の出生地とされている地です。(他に異説もあるようですが)
とにかく、羽柴、堀田、柴田、加藤など歴史でおなじみの苗字の多い事、そして、「ござる」
「ござった」など武士言葉が日常語として現在にも生きてます。

この地方は茶の湯の盛んな所でも有ります。といいましても京都や金沢あたりの格式ばった、敷居の高いものでなく、もっと素朴で日常に同化しています。(お抹茶の消費料はずば抜けて高いそうです。)
たとえば、ちょっとお茶でも飲んで行きませんかという場合、老若男女問わず、農家なら縁側、町屋なら玄関先で盆手前でさりげなく点てて下さいます。驚いた事に、今現在の事情はわかりませんが、茶道も花道も男性の嗜みでもあるそうです。
農家であろうが、商家であろうが、お屋敷であろうが玄関先や床の間の生け花を、、その家の男性が生けられる事も珍しくないのです。なかなかいいものですよ。

今は、花道も茶道も女性の専売特許みたいでつまらないですね。
歌舞伎にしても、能、狂言にしても観客席は、おばさまの世界ですもんね。
殿方にも、もっともっと進出していただきたいなぁ。

>ちょこ様
細川忠興についてですが、「胡桃と酒」に描かれている忠興と伽羅奢が、人物理解という意味では特出してると思います。細川伽羅奢を題材にした作品は、小説のみならずオペラなどにも取り上げられていて興味深い対象とされてきましたが、どこか上滑りになりがちな所が有る様に感じてきましたので「胡桃と酒」を読んだ時には溜飲の下がる思いがしました。
絵にも多くの方が題材にしていますが、橋本明治氏「ガラシャ夫人像」が心情的に一番近い様の思います。この小説は、司馬遼太郎の「故郷忘じがたく候」に一緒の納められていますよ。
「故郷忘じがたく候」も是非お読み下さいね。薩摩焼の陶工のお話です。
あまりお目に懸れない白薩摩ですが、機会が有れば是非ご覧になって欲しいな。
李朝白地と似て比なる白地に緻密で端正な絵が施されています。
品がよくて暖かく、主張していない様で確かな存在感があり、和物であり、韓物である独特のものがあるんですよね。
おっと、おしゃべりが過ぎましたね。
じかん● Sun Feb 25 23:19:43 Japan 2001
おなまえ●山口の花子
メッセージ● 久しぶりです
今「封神演義」を読んでます
古代中国舞台のファンタジー
おもしろいですよ
読んだ方いらっしゃる?
じかん● Sun Feb 25 20:28:39 Japan 2001
おなまえ●ちょこ
メッセージ● じゅんこ様

同じくコメントありがとうございます!
まさしく私が求めている本です♪早速読みたいと思います。

うぐいす餅おいしいですよね。
実はそもそも茶道をはじめたきっかけは和菓子が好きだから、、
というふとどきものなんです:)

これからもいろいろとお教えください!
umauma@mtf.biglobe.ne.jp
じかん● Tue Feb 20 23:23:24 Japan 2001
おなまえ●りょうさん
メッセージ● >じゅんこ様
コメントありがとうございます。
>個人的には、松嶋菜々子かわいくて好きなんですが・・・まつのイメージ
>とはかなりズレますよね。他の俳優にしても、若い人の視聴率を上げるつ
>もりでしょうが、ちょっと軽すぎますよね。
やはり私も軽いイメージがあります。それとはたしてこの配役で良いのかと
いった声があまり聞こえないような気がします。今になって配役を変えろ!
とは言いませんが見栄えの華やかさに気を取られて実の方をおろそかにしが
ちではないかと思うのです。それともう一点、なぜあの配役になったのか
いまいち理由がはっきりしないのでもうちょっと詳しい理由が聞きたいです
ね。この場をお借りして疑問の声を投げかけてみました。(^^ゞ

じかん● Tue Feb 20 13:38:09 Japan 2001
おなまえ●じゅんこ
メッセージ● 日差しがなんだか春めいて来ましたね。

>ちょこ様
「お薦めの作品」へ書き込まれました、千利休や茶道についてですが
三浦綾子氏の「千利休とその妻たち」あたりはいかがでしょうか。
武野紹鴎や今井宗久、黒茶碗で有名な楽焼の長次郎、弟子の宗二達などと
時代背景の中、茶の道に命を懸けたやり取りが展開されています。

千利休の妻がキリシタンに帰依していたり、お手前やお道具などをキリシ
タンの儀式から取り入れたりと、茶の湯の世界にキリシタンの影響が色濃
い事をこの作品を通して初めて知りました。

今の季節、お薄の友はうぐいす餅かな?

そうそう、利休ときたら秘伝書「南方録」。
原書を読むのは難しそうですが、関連本は結構出ていますよ。

>りょう様
個人的には、松嶋菜々子かわいくて好きなんですが・・・まつのイメージ
とはかなりズレますよね。他の俳優にしても、若い人の視聴率を上げるつ
もりでしょうが、ちょっと軽すぎますよね。


じかん● Tue Feb 20 2:26:27 Japan 2001
おなまえ●りょうさん
メッセージ●  どうも本当にお久しぶりです。さてだいぶ古いお話になってしまうのですが、来年の大河ドラマ「利家とまつ」ですが配役をみなさんどう思われますか?私個人の意見としましては、あまり決まったことに関してどうのこうの言いたくないのですが、歴史ファンの一員としましては、時代背景があの配役でうまく反映されるかどうか心配です。去年の「葵、徳川三代」では役者さんの迫真の演技が物語を引き立てたように思います。時間がだいぶたつのですが、どうも納得しない自分がいて思い立って掲示板にのせました。つらつらと書いてしまいましたが色々とみなさんと意見をかわしたく思います。。
じかん● Sun Feb 18 11:58:47 Japan 2001
おなまえ●ちょこ
メッセージ● 歴史小説、奥が深いですね。
このHPでこんなにも熱中している方々がいらっしゃることに感動。
普段あまり本を読まない私ですが、久しぶりに読むと次々読みたくなります。

私も塩野七生さん大好きです。>中本さん
もともとイタリアが好きで、読み始めました。
イタリアに2度行ったのですが、最初は歴史をあまり知らず行き、
2回目は彼女の書いた小説を読んでから行ったので、とても充実した気分に
なりました。

歴史は様々な地を訪れることをより中身の濃いものにしてくれますよね。
もっと知り、旅行をしたいと思う今日この頃です。
じかん● Fri Feb 2 22:44:03 Japan 2001
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 台湾紀行5 − 愛しの高雄  -

台北もよかったのですが、何と言っても今回の旅で印象的だったのは高雄でした。正月のその時期、東京では雪が積もっていました。台北では3日間ずっと雨が降り続いていました。台北の気温は21Cから24C。しかし朝の出勤者たちはみんなコートを着て街を歩いていました。ちょっと日本の感覚とは違うなと思わされました。

自強号が北回帰線を超えると、そこはもう真夏の太陽の日射しでした。高雄の昼間の気温は27Cから29C。しかし陽射しが厳しくて炎天下を長く歩き続けることができません。服はもちろん半袖、日中はTシャツで歩いていました。

熱帯特有のあのトロピカルな甘い匂いが鼻をついて、身も心も溶けるような、何とも言えない解放された気分になります。

司馬遼太郎が台湾紀行の際に宿泊した国賓大飯店(アンバサダー)に宿泊したのですが、いいホテルでした。ホスピタリティ(もてなし)が最高なのです。ホテルの命は何と言ってもホスピタリティ。ドアマン、フロント、ルームサービス。全て完璧で行き届いていました。部屋は広く新しく清潔で快適です。価格もきわめてリーズナブルでした。高雄にいらっしゃる方にはお薦めしたいと思います。

部屋からの眺めも最高で、海と港がよく見えたのですが、その海に大きな夕陽が沈むのがとても印象的でした。ああいう光景は日本国内ではなかなか見られません。部屋の窓側に椅子を持ってきて、美味しい台湾のジャスミン茶を飲みながら、赤い夕陽の玉が海に落ち込んでてゆくのを呆然と眺めていましたが、まさに至福のひとときでした。台湾のお茶には癒されます。

そして高雄の人は台北よりもさらに純朴できれいな眼をしていました。日本人を含めた観光客が台北のように多くなく、日本語はもちろん英語のコミュニケーション環境も台北ほどは整ってなくて、入ったお店で何やら珍しがられたり、歓迎されたりということも何度かありました。不愉快な思いは一度もなく、必ずもう一度行ってみようと心に誓った次第です。

じかん● Thu Feb 1 20:54:14 Japan 2001
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 台湾紀行4 - 一般市民の政治意識 -

台北から高雄へ自強号という電車に乗って移動したのですが、そのときのお話です。自強号は台湾では最も高速の特急電車ですが、台北から高雄まで5時間かかりました。距離的には福岡から鹿児島という感じでしょうか。今では台北−高雄間の交通は航空機が主流になっているようです。航空機だとわずかに45分。

途中、台中駅かどこかで5分間の停車があって、乗客がホームに降りて駅弁を買えるようになっているのですが、その弁当の漢字表記がそのまんま「御弁当」。明らかに日本統治時代の名残なのでしょう。何となく嬉しい気分にさせられました。

JRの新幹線などでは、指定席については基本的に男女同席を避けるように発券している筈ですが、台湾ではそういうことはないようです。お陰で台北駅から高雄駅まで、台北の高校で英語を教えているという若い女の先生とずっとお話をすることができました。

私は思い切って、自分が台湾の人に訪きたかったこと(大陸中国との統一問題)について切り出してみました。政治的にクリティカルなイッシューを公の電車内の空間でしていいものかどうか若干の不安はありましたが、彼女の方は思ったほど警戒感なく応じてくれました。

現在の陳総統が提案している連合国家プランは、大陸は認めないだろう。無論、台湾独立も絶対に認めないだろう。彼らの言っている「一国ニ制」は欺瞞である(tell a lie)。香港はうまく欺かれてしまった。

しかしたとえ台湾が大陸の「一国ニ制」下に置かれたとしても私は別に気にしない。それならそれでも構わない。台湾の今後の可能性はむしろ政治ではなくて経済にあるのであって、台湾経済はすでに福建省の一部にまで拡大し及んでいる。

台湾の人間で、すでに安い大陸の土地を買い永住を決めている人間もたくさんいる。向こうは物価が安い。陳総統の提案や構想は、政治交渉や国際外交よりも、むしろ経済的な面での両岸の事実上の融合の拡大が後押ししてゆくに違いない。台湾経済の影響下に入れば福建省の人々の考え方や生き方も台湾のそれと近くなる。

おおよそこのように話してくれました。いい話が聞けたと思います。

彼女の話をもってそれが台湾人の政治意識の全てだとは決して言いませんが、何が何でも独立台湾の実現をというような強い意気込みは一般市民レベルではさほど強くないように感じられました。そういう頭に血が上った日本人(小林や西尾や石原)を見て、彼らは笑っていることでしょう。

一人一人の幸福のあり方を保証し提示するのは、政治ではなくて経済である。一人一人のレベルで懸命になるべきは政治ではなくて経済である。そういう台湾人の思想と言うか志のあり方を私は強く感じた次第です。
じかん● Thu Jan 25 20:31:55 Japan 2001
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 台湾紀行 3 - 歩道と街灯 -

人がとてもよかった、という事が台湾についての何よりの感想なのですが、一旅行者として、街については、もう少しインプルーブして欲しいなと思うところも多少感じました。ここではそれについて書きます。

台湾の若者たちの多くがバイクを使って通勤していて、移動手段としてオートバイがポピュラ-なのですが、その騒音と排気ガスが街のアメニティを破壊しています。見方によってはエネルギッシュでよいという事もできるかも知れませんが、旅行者には慣れにくい空間です。

そのバイクを狭い歩道にズラーッと駐車しているんですね。日本でも自転車を狭い歩道に無断駐輪したり、駅前に放置したりして、歩行者の迷惑になっているところがよくありますが、台湾の歩道のバイクはもっと壮観です。非常に歩きにくいで。歩道を歩いていると、いきなり車道からバイクが歩道に侵入して来たりします。

まあそういう台湾の一情景を指して、私は、小林のように、無理やり公と私の話にこじつけて「中国人には公が無い」などと意図的なイデオロギー的一般論に還元するつもりはありません。敗戦直後の一時期には、日本でも浮浪孤児たちが上野駅の通路を占領して寝食していたのです。公も私もへったくれもありません。

歩行者に快適な歩道が整備されるためには、市民の倫理以外に自治体(共同体)の公共予算が必要であり、公共予算を充足させるためには、地域や国家にそれだけの税収が上がらなければなりません。また税金を市民の公共の生活基盤のために率先して使おうとする民主的な政府の存在も必要でしょう。

似たような話ですが、高雄の街を夜歩きながら思ったのは、街灯の整備がきわめて遅れているなということでした。高雄と言えば台湾第二の大都市で、観光客が群れ集まる六合夜市は高雄最大の観光スポットです。高雄の観光価値は、あの夜市の活気溢れる喧騒空間にあります。

高雄の六合夜市は、日本で喩えて言えば大阪の道頓堀のようなところだと思うのですが、街灯が無いため足元が実に暗い。ちょっと通りを横に入ると真っ暗の空間です。そしてそれとは対照的に、表通りに並ぶ個々の営業店舗のネオン看板が、けばけばしく派手に妖しく光り輝いて、露骨に、われ先に客を誘っているわけです。

香港を始め、中国、東南アジアの華僑が商売している街では大概こういう夜の風景なのでしょうが、やはり日本人観光客の感性では慣れるまでに少し時間がかかります。
じかん● Tue Jan 23 21:19:09 Japan 2001
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 台湾紀行 2 - 茶髪と肥満から自由な国

台湾に一週間滞在して思ったのは、平凡な感想ですが、人間が溌剌として健康的に生きているなあという実感でした。台湾の健全さと対照的に、日本社会の精神的な病理現象の深刻さがよく実感できたと思います。それは、男もそうなのですが、特に女についてそういう感慨を強く持ちました。

日本の女はどれもこれも何でこんなに人相が悪いのだろう。空港から京成ライナーに乗り、都心に帰り着いて街を歩きながら、行き交う女たちの顔がことごとく恐ろしい強盗殺人犯のように見えてしまった次第です。悪意と憎悪と猜疑心の塊のような目つき顔つき。隙あらば他人に危害を加えてやろうとでも言いたそうに見えるその表情。

台湾の人たちにはそういう雰囲気が全く無い。表情にゆとりがあるし、柔軟さがある。特に若い人たちの場合は顔に暗さが無い。明るそうで楽しそうな印象だけ。帰国してそんな事を考えているうちに、また例の実の母親による乳幼児の虐待殺人の報道があり、またしても気分の悪い憂鬱な思いにさせられました。日本の女は限りなく不幸で絶望的に見えます。一体何時からこんなになってしまったのでしょう。

考えてみれば当然の事ですが、台湾の若者たちは髪を染めてはいません。茶髪はいません。日本ではもう茶髪は中年の男女でも珍しい現象ではなくなりました。当たり前の事ですが、所謂ガングロなる風俗の者も一人もいませんでした。台湾の若者たちは日本の芸能界や流行が大好きだと聞いていたので心配だったのですが、杞憂でした。

何だかんだと屁理屈をこねて正当化しても、茶髪はまさしく日本人の学力低下の象徴です。「個性」だの「ゆとり」だの笑止千万もいいところ。

テレビのニュースでV6のコンサートのチケットを入手するために徹夜でテントを張って並んでいる少女たちの映像が出ていたのですが、日本の中学生高校生の風体や態度に見られる、あの独特のふてぶてしさや図々しさとは全く違う、幼くてあどけない表情が印象的でした。日本も確か30年前はこういう感じでした。

何度もこの類の言葉を濫発するのは不本意なのですが、正直な気分として、そういう発見と嬉しさの中で、私の心は大いに「癒された」ことを告白しなければなりません。

もう一つ加えると、台湾の人たち、特に若者たちは肥満していませんね。同世代の日本人と比べて明らかに痩せている。日本に住む我々は日本人の現在の体型に眼が慣れてしまっているので、台湾に降り立って街を歩きはじめた途端、彼らの体つきのスリムさに驚かされます。日本の新聞で一部報道されたように、確かに台湾女性の間で過剰で過激な美容痩身ブームがあるようですが、それにしてもみんな細くてスタイルがいい。スリムなパンツに長い黒髪、そして大きな瞳がよく似合っている。

食生活の変化とかグルメブームの定着とかいろいろ言われていますが、私の考えでは肥満とストレスというのは明らかに因果関係がありますね。日本人の肥満の本当の原因はそこにあるはずなのです。傷つけ合い、歪め合い、貶め合い、互いにカラッポにし合っていますね、今の日本は。それがますます酷くなっている。
じかん● Mon Jan 22 20:22:08 Japan 2001
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 台湾紀行 - 豊かで複雑な言語環境 

正月休みを利用して台湾を旅してきました。昨年いろいろな政治的議論があったこともあり、果たして今の台湾の実際の状況はどうなのか、自分の眼で確かめようと思ったことが直接の契機です。それと、かねてより念願であった故宮博物院の訪問ということもありました。仕事以外で外国に行くのは久しぶりでしたが、結果的に予想した以上にとても楽しい旅でした。あまりそういう言い方を濫発するのは気が進みませんが、正直なところ「癒される」という言葉が一番フィットすると思われる五泊六日でした。

台湾は日本人の旅人にとって実に心地よい環境です。その理由の一つは言語、コミュニケ−ション環境にありますね。小林も漫画で描いていましたが、台湾では日本語が通じる場面や状況にきわめて多く接することができます。ホテルでもレストランでも土産物屋でも日本語が通じる。特に台北ではそうでした。流石に若い世代には日本語は通じませんが、英語は通じます。それも米国人のように速くない。話し方が日本人の英語と似ていて、聞きながら単語や構文がそのまま理解できるような、われわれにとって近くて親しい(外国語としての)英語を話してくれます。私が台湾に「癒し」を感じた理由の一つが彼らの喋る英語でした。米国なんかへ行くと、特に西海岸なんかだと、英語が速くて速くて耳がついて行けずに苦労をします。

台湾の言語環境というのは、(面積的には九州程度であるにかかわらず)実に多様で、複雑で、われわれ日本人の想像を越えていると言えます。誤りを含んだ割り切り方ですが、簡単に考えて、台湾語と北京語と英語と日本語がある、と言っていいのではないかと思います。台湾語という言い方をしていいのかどうか躊躇いますが、現地の言葉、いわゆる本省人が話していた言葉があります。学校で教えるのは北京語で、これは中華民国の公用語ですね。テレビのニュースを見ていると台湾語でキャスターが話している画面の下に漢字の文章の字幕が出ていたりしていました。

これは私の体験からですが、台湾語と北京語の差というのは、テレビのニュースを聞いていると確かに発音の違いが分かりますが、例えば、タクシーに乗ったとき運転手のおじさんにペラペラとやられると、もはや中国語という概念でしか捉えられなくなります。台湾語も北京語もどっちも理解不能なので、中国語としか判別できないのです。台湾にはいろんな言語的バックグラウンドの人がいます。

a台湾語しかできない人
b台湾語と北京語の二つができる人
c対話後と北京語と英語のできる人
d台湾語と北京語と日本語のできる人(60代以上)
e台湾語と北京語と英語と日本語のできる人

無論これだけではありませんが、台北のホテルで仕事している従業員たちは、基本的にe、4ヶ国語を自由に操れます。素晴らしい。尊敬してしまいました。英語の社会的レベルは明らかにはるかに日本より上で、その事が台湾のハイテク産業の国際競争力の基礎要因ともなっています。

とりあえず英語が通じる、下手な英語でも笑われない、ひょっとしたら日本語も通じるかもしれないという環境は、日本人旅行者にとっては何とも言えず快適で心地よくて嬉しい環境と言えます。海外旅行する日本人は何故か皆そうですが、そこに日本人だけがいて、日本語だけが聞こえて来ると,途端に幻滅してつまらなくなるんですよね。そういう意味で、台湾ぐらい言語的に優しくてベストな海外旅行環境って無いんじゃないかと思ってしまいました。

そして私が思ったことは、何とかして中国語の会話ができるようになりたい、幼稚園生のレベルでいいから中国語を聞いて話せるようになりたい、ということでした。
じかん● Sun Jan 21 20:54:12 Japan 2001
おなまえ●やすし
メッセージ● こんにちは このホームページの趣旨は良く分からないのですが、ひとまず
私は同性愛者です
近頃多様な価値観を受容してうんぬんと言いますが、画一的に女性は女性の人権を高らかにうたいますが、同性愛者はなかなか、自己の価値観、つまり男性女性という枠を越えて根本にあるもに、自己の性的趣向すら公にはなかなか口に出来ない状況です
そんな私たちを少しでも理解してくださる方がいればと思いここに何かを書き込ませていただこうと思いました
批判協調同調無関心色白あるかと思いますが何でも構いません
何かご興味持ってくださる方がいましたらメールください
hirorin1973@hotmail.com
です このような公共の場なのでひとまずフリーメールアドレスとさせていただきました
よろしくお願いいたします
じかん● Sat Jan 20 22:48:41 Japan 2001
おなまえ●ほり
メッセージ● 初めて書き込みします。最近、津本陽の「椿と花水木」を読みました。司馬さんは勝海舟を評価していましたが、この小説では、口だけ達者で何の役にもたたない人間として描かれていたのが印象的でした。
じかん● Fri Jan 19 22:46:48 Japan 2001
おなまえ●中本
メッセージ●  我が店のささやかなホームページを作りました。お暇なときに開いて下さい。感想を出来ればお願いしたいです。楽しめる広告をと思ってますが、ちょっと生真面目です。徐々に工夫して面白くしたいのですが。目下、塩野七生に凝ってます。女々しくなくて、結構、熱中させてくれます。アドレスを忘れるところでした。http://www.ddt.or.jp/~aaasun/ です。
じかん● Thu Jan 18 21:22:44 Japan 2001
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 新世紀大河ドラマ

いつの間にか新年、新世紀になりました。少しづつ老いて行きます。さてNHKの北条時宗、なかなかいい感じで滑り出しているのではないでしょうか。あのモンゴル文字の意匠のタイトルバック、気に入りました。CGもなかなか。NHKの底力を感じさせられるし、何より、歴史認識がすっかり国際化したんだなあと感じさせられます。

時宗についても、この時代についても、一年のドラマにするには材料が不十分で大丈夫かなと心配していましたが、成程、大陸の動きをああして毎回見せてゆけば、確かに史劇として見るべきものは十分足るのではという期待感を持てます。それ以上に、モンゴル帝国の歴史をNHKのドラマでトラックするというのは、いいですね。成程と思いました。

何と言ってもNHKにはあの8年前の「大モンゴル」製作の実績と蓄積があります。これならできる、とスタッフが踏んだんですね。草原のロケーションとかカラコルムの幕営の舞台装置とかは、何だか貧相で、こんなものかなとも思いますが、北大路欣也のモンゴル語の台詞には驚かされました。やるもんですね。

鎌倉時代というのは、色で言えば黒、ダークなイメージがあります。その前後の平安時代や安土桃山時代というのは華やかで明るいイメージですが、鎌倉時代というのは、ひたすら暗くて地味で陰鬱で質素で男性的な時代のイメージがします。

しかし、まさにこの時代にこそ本来の日本史の出発点があると言うか、日本史がユニークな歴史となり、日本人がユニークな民族となる契機が隠されていると言えます。つまり東国武士が歴史の表舞台に姿を顕して政治をするということですね。

1月8日のオリエンテーション番組で、鈴木健二が言っていましたが、確かに、あの弘安の役の時、鎌倉に来た元の使者を斬ったのは、まさに国家の存亡を賭けたものだったわけで、よくぞあそこまで蛮勇を奮ったものだと思えてきます。当時の鎌倉幕府なりの緻密な情報収集や国際情勢分析や戦略があったことは間違いないでしょうが、やはり時宗の若さと大胆さというものを考えざるを得ません。

もしそのとき執権が、時頼など高齢で年配の人間であったなら、果たして大元帝国との決戦を決断できたかどうか。もし私が、今のこの年齢で同じ執権の立場にあったなら、恐らく正面からの決戦は避けて、何とか和睦する方策は無いものかと思案したのではないかと思います。どう考えてもあの蒙古軍には勝てる計算が立ちません。いずれにしても世界史的な大変な決断です。
じかん● Mon Jan 15 15:45:20 Japan 2001
おなまえ●ともこ
メッセージ● おすすめのサイトをご紹介します。
ネット上でキリスト教関連誌を買うことができたり、牧師先生のメッセージを聞くことができる充実したサイトです。クリスチャンの皆さんは是非一度クリックしてみて下さい。また、クリスチャンでない方にも無料でカウンセリングを受けることができるコーナーや結婚相談室もありますよ。
 http://www.agape-tls.com
じかん● Fri Jan 12 23:45:26 Japan 2001
おなまえ●かずさん
メッセージ● はじめまして。
 私、インターネットをはじめてもうすぐ1年。接続したばかりの頃”井上 靖”を
キーワードにこのサイトを訪れました。その後、時々、皆さんのご意見を拝見して
います。
 dendenjiruさんの書込みを見て早速、新聞を読み返しましたが当家購読の地方紙には
残念ながら記事は見当たりませんでした。
 私は今から十数年前、新彊ウイグル自治区を訪れたことがあります。当時、私は
留学生として中国河南省の大学に学んでいました。その夏休みを利用して列車で数日
かけてウルムチへ。そこから長距離バスに乗って天山南路を走り、カシュガルまで足
を延ばしました。
 その頃は、特に西域の歴史に興味があった訳ではなく、ただ「もっと遠くへいきたい」
それだけの理由でした。
 帰国後、楼蘭や敦煌、異郷の人など井上 靖さんの西域を舞台とした作品に出会い、訪れた
町や道の歴史を知りました。もう少し早くこれらの作品に出会えていたら・・・。
 悔やまれましたが仕方ありません。あの頃見た空の色や町の匂い、触れ合った人々を思い
出しながら読んできました。
 今は仕事や家族に振回され、とても望めませんが、将来時間に余裕が出来たら再訪
したいと思っています。今度は是非行って見たい町、立ってみたい場所が山ほどあります。
スタインやヘディンのようにロプ湖の湖畔にも立ってみたいですね。
 その頃の思い出を自身のHPに少しずつ書いていきますので宜しければご覧下さい。

   http://www2.ocn.ne.jp/~tsuchida/sub4.htm

じかん● Mon Jan 8 13:11:15 Japan 2001
おなまえ●dendenjiru
メッセージ● はじめまして
 話題を一つ提供したいと思います。今日の新聞で小さく
 中国の調査隊が楼欄王族のものと思われる遺跡を発見したとありました。
 楼欄といえば流浪の湖ロブロール湖にあった王国でこのHPでもありますが
 井上靖さんの小説が有名ですよね、わたしもすきです
じかん● Fri Jan 5 17:04:37 Japan 2001
おなまえ●masato
メッセージ● 管理人です。
皆様、あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

このHPは年末で三周年を迎えました。
三年で50,000アクセスは決して多いとは言えないのかもしれませんが、わたしにとっては
信じられないような数です。皆様に感謝します。
ほとんど更新されないHPにこんなにたくさんのアクセスがあるのは掲示板に参加されている方
みんなの力と思います。

最近は一時盛り上がっていた幕末派の書き込みも少なく寂しくなっていますね。
たくさんの歴史ファンの参加をお待ちしています。

じかん● Tue Jan 2 22:24:29 Japan 2001
おなまえ●中本
メッセージ●   明けましておめでとう。新世紀の日本に真の政治家を創り出す努力をしましょう。
 加藤の乱の結末はあまりにもひどかった。落胆せずに、この国のあり方は我らで考えていきましょう。あらゆる事に興味を持ってしっかり本も読もうと思いますよ。
今年は、元気な年に成るよう祈ります。