2000年10〜12月分の掲示板です

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じかん● Fri Dec 29 19:51:50 Japan 2000
おなまえ●masato
メッセージ● ふらさん、はじめまして。管理人です。
豊田有恒作「長屋王横死事件」(講談社文庫)ですか。
うちの本棚にはあるのですが、絶版になっちゃったんですね。
古本屋さんを捜すしかないかもしれません。

ずいぶん前に読んだ本なので内容は忘れちゃいました。
じかん● Thu Dec 28 21:28:53 Japan 2000
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 予想

来年は2001年、21世紀、新しい100年と新しい10年が始まる。どういう時代になるのか。予想ではないけれど、歴史的な見通しを立ててみようと思う。

世界経済

この8年間、クリントン治世下において米国経済はずっと繁栄の中での成長を続けた。それがようやく止まる。今から15年前、1986年頃を振り返ると、米国経済は惨憺たる状況だった。産業は奮わず、失業者は街に溢れ、ドルはひたすら価値を下落させていた。若い人は知らないだろうが、私はよく覚えている。米国経済は再びあの頃のような状態に戻るのかもしれない。

しかし世界経済の構造は大きく変わっている。資本主義の基本原理が好況と不況の循環運動であると言っても、次の米国経済のリセッションが世界経済に及ぼす影響は、きっと過去の経験法則からは計り知れないものになるに違いない。

これまでは、米国と日本の間で好況と不況がスイッチして交互に入れ替わってきた。その経験法則が妥当するならば、米国経済のリセッションは日本経済の景気回復の契機となるはずである。しかし、もしその経験法則が妥当しない構造に世界経済が変わっていたならば、すなわち世界同時不況、大恐慌的な事態になることも予想の範囲に入る。

破局を望むつもりは毛頭ないけれど、プレトン・ウッズ体制というのは、基本的に世界経済をそれなりに調整する方向で機能してきたのは事実であって、そのケインズ主義的な調整路線から離脱して新体制を構築した新古典派の市場万能主義が、一体どのように世界経済を破局から救うのか、私には全く展望が見えない。人間の私利私欲のエゴイズムを経済における万能の打ち出の小槌のごとく錯覚した新古典派のイデオロギーの誤謬。それが暴露される日が来るだろう。

日本経済の将来は劇的なバブルか、劇的な破局か、そのどちらかに違いない。どちらに転ぶのか、私にはわからない。いずれにしても米国経済は失速し、NY株式市場は暴落する。NASDACはすでに最盛期の半額近くまで落ちつつある。ダウがそれに続くのも時間の問題だろう。1万ドルを割って7千から6千まで落ちる。あの竹中平蔵ですらダウは高すぎると2年前から言い続けてきた。

世界政治

90年代に入るとき、東欧革命とソ連崩壊が起こり、世界政治から社会主義のモメントが完全に消えて、米国が唯一の超大国となり世界を自由に支配操作する時代を迎えた。湾岸戦争とそれに続くユーゴ紛争処理において、米国のグローバル支配の何たるかがあまねく貫徹して、その正当性が世界中に了解されて行くことになった。

今の世界の若者は生まれながらにグローバリズム=新パックス・アメリカーナの時代に生き、その常識を前提にして世界の現実を認識している。国連が形骸化して米国にとっての世界支配の道具になっている現実を当然のように見て感じている。米国の判断と行動が基本的に正しいものだという認識枠組で世界を見ている。

21世紀の初めの10年が終わる頃、その今の若者たちの常識的な世界認識の観念は崩れることになるだろう。私はそう予想している。国連の形骸化は世界政治全体における民主主義の後退に他ならない。民主主義政治の形骸化。いま日本で典型的に起っていることは、日本だけでなくて世界中で起っていると言える。

21世紀の基調は多極化ではないか、と私は考えている。スーパーリーダーが君臨して世界を一つに纏めて動かす時代は20世紀で終わりとなるに違いない。世界はもう一度多極化する。

中南米地域は合衆国に対して相対的に独立する姿を見せつつ、世界の一極としてEU的な共同世界を構成する方向へ向かうだろう。中東から北アフリカ、中央アジア地域はイスラム共同体としての地域結合をより明確に示すことになるだろう。そうした「極」に、リークアンユーやマハティールのような経済開発指導者が出現するのではあるまいか。

じかん● Thu Dec 28 21:22:27 Japan 2000
おなまえ●遼太の父
メッセージ● もうすぐ今世紀が終わる。

今年1年を振り返って何か書くのは簡単なことなのだけれど、20世紀が終わって、いよいよ21世紀を迎えるのかと思うと、あまりに歴史的スケールが大きすぎて、一体何を書けばよいのかと躊躇をしてしまう。迂闊なことは書けないような気がするし、この大きな歴史的説目において、何らか筆を立て、筆を進めるのは、主観的にはとてもたいへんなことのように思われる。

この1年が終わろうとし、この10年が終わろうとし、この100年が終わろうとしている。

正直に言えば、この1年はつまらない1年で、それ以上にこの10年はつまらない10年だった。この10年は、日本もそうだけれど、世界中で利己主義(エゴイズム)がのさばって大威張りした時代だった。米国の新しく理論武装された世界戦略のエゴイズム。日本国内の醜く爛れたエゴイズム。中国でさえも日米に影響されてエゴイズムの復権。

司馬遼太郎が死んでもうすぐ5年。どんどん悪くはなっていたけれど、まだ司馬遼太郎が生きてものを書いていた時代は、今よりも住み心地がよくて、生きていて楽しい時代だった。80年代の日本は拝金主義が完全に社会を支配して、もう後戻りがきかなくなった時代だったけれど、しかし、17歳の子供が「人を壊す」とか、母親が自分が腹を痛めて産んだ実の赤ん坊を虐待して殺したり、保険金目的で殺すような、そういう世の中では決してなかった。

おぞましい時代に生きている。

早くこういう異常な倒錯した時代が過ぎ去って、人間の常識的な感性が回復して欲しいと願う。元のように理性が機能する時代に戻ることを私は祈っていて、そういう時代がきっと再び自分の周囲に訪れることを信じている。一種の信仰である。

昔、戦時下の日本で、戦争に反対の意思や思想を持ちながら、それを公言すること能わず、不本意ながら戦争に参加し協力して、そして国家と社会が無残に破滅するのを目の当たりにしながら、自分の命の終わりを予感し覚悟しつつ、それでも希望を捨てずに、社会の平和や民主主義的な理想を祈りながら生きていた人たちと同じように、私もじっと我慢して生きて行こうと思う。

しかしそれにしても。日本人は自分で社会や政治を変えることができない。

そこまでの自立的な問題解決能力を持つほどに歴史的に発達成熟していない。それは北朝鮮の人間たちがあの貧困統制独裁政治を自分たちの力で変えることができないのと全く同じだ。だから、暴力的で過激で悲劇的な形でしか時代や社会のチェンジを果たし得ない。そう考えたとき、それを媒介するのは、小林よしのりや石原慎太郎のような幼稚で暴力主義的な過激国粋路線以外にないのかもしれないという予想が自然に成り立ってくる。

そう言えばヒトラーもニ流の画家くずれだった。学問と教養がないこと、自己顕示欲が人一倍強いこと。虚栄心が強く、政治的権威にすり寄って(石原慎太郎・李登輝)過大に自己演出すること。韓国人や中国人に対する非論理的で暴力的な排外主義。よく似ていると言えばよく似ている。
じかん● Wed Dec 27 9:04:31 Japan 2000
おなまえ●ふら
メッセージ● こんにちは。始めまして。
豊田有恒作「長屋王横死事件」(講談社文庫)を探しています。
先日、注文したのですが、"絶版"との返事がありまして・・・。
何処かにないでしょうか?
じかん● Mon Dec 11 20:19:21 Japan 2000
おなまえ●ココ2号
メッセージ●  初めまして。こんばんわ。歴史も小説も大好きです。
 
 HPで「起承転結リレー小説」始めました。
 「起」の物語を作るなど参加自由なので是非見に来てください。
  
 httm://www.adapt.co.jp/town/user/2222.htm

歴史の裏側を覗けるような小説好きです。自分も思わずなにか表現したくなるような心を揺さぶる本に出会えたことに感謝し、これからも巡り合えたらいいなと思います。



じかん● Sat Dec 2 16:40:23 Japan 2000
おなまえ●共生虫
メッセージ● ここ何の話してるんですか?「市橋有理」で検索したら出てきたんですけど。司馬遼太郎???
じかん● Sat Dec 2 2:43:00 Japan 2000
おなまえ●香港大好き
メッセージ● 香港の事に今興味があります。最近「ガラスの城」という映画を見ました。それで、今香港の1970年代のことをすごく知りたいです。1970年代の香港は、特別だったそうですが、何が一番1970年代の香港はよかったのですか?知っている人がいるのなら教えてください。

じかん● Sat Dec 2 2:38:28 Japan 2000
おなまえ●香港大好き
メッセージ●
じかん● Tue Oct 31 22:08:19 Japan 2000
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 葵 −3−

最近の『葵』についてもう一つの感想ですが、そのヨコ軸の秀忠とお江の夫婦愛の問題ですね。あれがどこまで歴史的真実であったかは不明ですが、二代秀忠が無類の恐妻家であった事実は、司馬遼太郎もしばしば作品の中で書いていたと思います(会津論である『王城の護衛者』で書いていたのでは、記憶ちがいでなければ)。

先週の日曜日の回では、死ぬ間際の岩下お江が「未来永劫お慕い申し上げます」と言い、それを西田秀忠が強く抱きしめる泣かせるシーンがありました。固い夫婦愛の絆で結ばれて死別する二人というホームドラマなのですが、見ていて悪くないですよね。いい感じです。脚本があのジェームス三木なので思わず苦笑してしまいますが、男にとっても女にとっても最後はああいう感じでありたいと誰でも思うことでしょう。

二代秀忠はそういう人生になりました。しかし、初代家康は全く違う生き方をしているわけです。駿府城の死の床で家康の往生に泣き侍っていたのは複数の若い側室たちでした。決して家康と長い人生を共にしてきた女性たちではありません。晩年にちょっと手が付いただけの女たちです。秀忠とお江のような感動的な最期の抱擁はないわけです。

家康と秀忠とどちらがいいか、男にとっては人によってケースバイケースであると言えるかもしれません。またどちらの生き方をも選ぶこともできるのだろうと思います。どちらを選んでも、獲得するもの失うものは同じであるように私には見えます。しかし女にとっては、家康の側室たちのような生き方よりもお江のような生き方の方がきっといいのだろうと思えてなりません。

ここで言いたいのは、戦争と平和という問題です。

戦国の世を生きた家康にとって、女は欲望を実現する対象であり、自分の遺伝子を複製する媒体装置であり、戦乱のさなかひとときの休息で愛玩するペット的存在であったわけです。秀忠的な夫婦愛物語の環境や前提はありません。戦国時代においては、勝った勝者が負けた敗者の女を自分のものとして奪い取るのです。戦利品です。戦利品として欲望を対象化し、遺伝子の複製媒体として使用し、慰みものとして愛玩するのです。

戦争は男をそのようにし、女をそのようにする、ということです。

そういうメッセージを私は「葵」から感じ取りますね。ジェームス三木がそう言っているように聞こえます。彼はしかし、戦争が絶対的な悪であるとは言っていないですね。戦争をする時代というのも人間の歴史にはあるのであり、そのときは男たちは動物的野生の塊になって、殺し合い奪い合いをするのです。


じかん● Tue Oct 31 22:05:03 Japan 2000
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 葵 −2−

大阪夏の陣以降の「葵」がどうなるのかについて、関心を持って見ていました。前にも書いたとおり、夏の陣の後の日本史の表舞台というのは、特に大きな歴史的事件もなく、物語として楽しめるような歴史的人物の活躍もなく、ただ有能な幕閣たちの手によって着々と堅固な幕藩体制が固められてゆくだけの過程であると承知していたからです。

そこで私は、「葵」について一つの予想を立て、夏の陣以降はガラリとキャスティングを入れ替えて、例えばジャニーズなんかを動員して、若い顔ぶれ中心のドラマに転換させるのではないかと考えていました。そうしないと、とても視聴率を維持するのが難しいだろうと考えていたわけです。ところが、ジェームス三木が組み立てて見せたのは、私にとっては全く意外な展開でありました。

すなわち、タテ糸に徳川幕府創建期における公武の角逐の問題を置き、ヨコ糸に相変わらずの秀忠とお江のホームドラマを据えて、その二つの機軸だけでドライブして、十分に見応えのあるドラマ作品を構成したわけです。公武角逐の問題は、あらためてわれわれに「神の国」問題の根深さを教えるとともに、はるか徳川幕府滅亡まで至る基本的な問題構図について考えを及ばせるものです。家光が強引に試みて妥協をみることになった関東行幸策は、ある意味で家康の晩年の対朝廷政策の延長であり、完結的な形を意味するものでもあると言えます。

初期徳川幕府は、朝廷の権威を利用しつつ、幕権の優越を画策してゆくわけですが、平和の時代にその権威の綱引をしている間に、巷では幕権を相対化する思想が次々と出てくるわけです。しかもそれは官学、林家の官僚学問に対抗する在野の学問として、さらに、日本主義、ナショナリズムを掲げて出てきます。その典型が山鹿素行、そして山崎闇斎ですね。それから後は国学まで一直線。

政治的権威をめぐる公武の綱引は、日本の政治権力の正統の何如を論争する思想戦となって在野の学識者を包み込んでゆき、そしてこの戦いに徳川幕府は負けることになります。

じかん● Mon Oct 30 21:55:31 Japan 2000
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 「葵」がいい感じでエンディングに向かっていますね。前にこの掲示板で論じ合ったように、最初はとんでもない超高齢化社会的キャスティングに先を思いやられる感じがしたのですが、残り2ヶ月となった今の時点で、あたらめてこのキャスティングの妙と言うか、ドラマ「葵」の成功の秘密を見る思いがします。

要するに人間は年をとるものであり、老いて死ぬ生きものであり、若い時期というのは人生の中の瞬間でしかないということですね。人間一人のライフステージの中で見れば、中年になり年をとってからの人生の方が物理的時間は長いということです。

人が年をとっても生きて行かなくてはいけないように、ドラマもまた、年をとってからの秀忠とお江を見せて行かなくてはならず、国民的ドラマとして視聴に耐え得る作品に仕上げて行かなくてはなりません。昨夜のような見応え十分の熟年夫婦の会話劇は、やはり年輪を数えた役者(西田、岩下)でないと巧く表現できるものではないということなのでしょう。

現在の「葵」のドラマの舞台は、歴史的にはほとんど政治的事件の無い平穏で平板な、つまり日本史スタンダードからすれば空白の時間帯に移っていて、すなわち視聴者一般の興味をひきにくい時代のお話になっているのですが、その一方で登場人物の年齢が、演じている俳優や女優の実年齢にどんどん近づいてゆくことで、視る者のリアリティを増してゆくという仕掛けになっています。

このあたり、ジェームス三木の二重三重の巧さを感じます。彼はそれを最初から計算して、西田敏行の秀忠や岩下志麻のお江をキャスティングしていたのでしょう。晩年の方に合わせたキャスティングということです。

がしかし、ジェームス三木のその意図をよく成功させているのは、ひとつはお江=岩下志麻の美貌ですね。単に演技の巧さだけでなく、衰えを感じさせないあの美貌がドラマ全体を崩さずよく引き締めていると思います。岩下志摩は確か59歳だったと思いますが、老いや衰えがありませんね。立派です。

ドラマの中でお江はもう死ぬ間際の身ですが、決して髪を白髪にしたりせず、皺を入れたりもしていません。美貌のままの姿を維持させています。あれがもし髪の毛が真っ白だったりしたら、秀忠の恐妻家ぶりや愛妻家ぶりが逆にリアリティを失うことになるのではないかと思います。岩下志麻は、ここ十年ほど、すっかり「極道の妻」のイメージがしみついていましたが、今回の「葵」のお江役ですっかりそれを払拭したように感じます。彼女にとってもよかったのではないでしょうか。
じかん● Fri Oct 20 13:18:58 Japan 2000
おなまえ●めぐみ
メッセージ● 先日所用の折り、長岡に足を延ばしてまいりました。二つの戦争による戦災で、往時の町並みは知るすべもありませんでしたが、それでも木製の雁木や藩主や河合家の菩提寺にわずかながら面影が偲ばれました。長岡城奪回のルートになった八丁沖は今では水田に変わったようです。思ったより旧長岡城まで距離があり、一晩でこれを渡った兵士の苦労たるや筆舌に尽くしがたいものであったことでしょう。

長岡は山本五十六の故郷でもあります。記念館で少年時代の毛筆の手紙を見て、その風格に驚きました。旧藩士の子弟である彼は、幼い頃から姿勢を正して読み書きするように教えられたのでしょうね。私はひどい悪筆ですので、ひたすら恥じ入るばかりです。
じかん● Sat Oct 14 11:33:48 Japan 2000
おなまえ●じゅんこ
メッセージ● 遼太の父様

これはこれはご親切有り難うございます。お元気のご様子何よりです。
紅白梅図屏風を二度も拝見されるとは羨ましい限りです。

MOA美術館の豪華さと所蔵内容は素晴らしいですので、是非行かねばと思っては来ていますが、正直な所、なんだかなあ...という気持ちになります。
MOA美術館は世界救世教の一施設なんですが、建物の豪華さといい所蔵内容といい半端な額ではないですよね。建物に入る手前の階段辺りなどインドの貴重な石で作られているそうですよ。
世界救世教の流れは、金光教から大本教へ派生し、大本教から霊友会、成長の家、世界救世教などに派生してきてるわけです。大本教教祖達や世界救世教教祖など芸術道楽者ですね。それなりに言い分はあるでしょうが...。
宗教って儲かるみたいですね。

昨日上京しましたが、せっかく神田のお話を伺いましたのに足を延ばせずの帰宅してしまいました。時間はあったのですが、どうしても気が向かず残念なことをしました。
知人の子供さんが先天性の心臓奇形でして、今回主治医の紹介状を提出してから数年、やっと順番がきて、生存率30%の手術をうける運びになりました。その循環器で有名な病院に行ってきたわけですが、なんとも...胸の塞ぐ思いです。

きっと、藁をもすがる心境とはこの事でしょうね。
宗教営業の入るすきなんでしょうね、こういった状況の方は。現にありとあらゆる宗教、団体の勧誘を受けてきて、多くのお金と時間をつぎこんでいらしたそうですよ。
子供の助かりを祈るのに、多額のお金と奉仕や集会への参加を有形無形の圧力で強制されるなんて、弱みに付け込んでるとしかとれないですよ。こういった状況の方が一番、欲しているものは心と経済の安心だと思うんですがね...。(実際、多額の費用が必要なようです。)
何ともなぁ..物思いにふける秋です。



じかん● Thu Oct 12 21:20:32 Japan 2000
おなまえ●遼太の父
メッセージ● じゅんこ様

おひさしぶりでございます。
芸術の秋に相応しい、よい話題をご提供いただきました。

尾形光琳作の国宝紅白梅図屏風ですが、熱海のA HREF"http://www.moaart.or.jp/"MOA美術館に所蔵展示されているものが実物だろうと思います。私は二度見る機会がありました。最初に行ったとき、予備知識もないままにふらっと入って、何だかずいぶん豪華な美術館だなあときょろきょろしていたら、日本史の教科書で見慣れた紅白梅図屏風が目の前にあったので仰天してしまった覚えがあります。

最近はだいぶ事情が変わりましたが、熱海というのは、東京の人間がよく忘年会で使うところでして、金曜日の夕方、仕事を終えて新幹線に乗って温泉旅館まで行き、そこで宴会をやるわけです。それで宴会の翌日、東京に戻ってくるまでの時間潰しにMOA美術館見学というのがコースに入るんですよね。熱海は昼間にあまり見てまわるところがありませんので、幹事さんもついMOA美術館見学を組み入れてしまうわけです。

安土桃山から江戸初期にかけてのコレクションがあって、今はどうか分かりませんが、昔はたしか秀吉が聚楽第に造った「黄金の茶室」の原寸大のレプリカがあったと思います。

それにしても、朝夕の空気がひんやりして、東京の大都会にもそれなりに秋の気配がしてくると、無性に京都へ行きたくなってしまいますね。
じかん● Wed Oct 11 22:08:11 Japan 2000
おなまえ●とくめい
メッセージ● 相続税の挿話

わたしのとても大好きな絵書きさんに,奥村土牛という方がいらっしゃ
います.すでに故人なんですが,多少前の新聞に,その遺産相続のてん
末が載っていました.
この方の絵はとてもすばらしいのだけれど,市場での評価もとてもすば
らしくて,遺族の方にとんでもない相続税が残ったそうです.奥村土牛
はとても写実という行為を大切にする方で,例えば素描(本作に入る前
の覚え書きなどなど)なんかでさえ,一点百万とかの値がつくそうで,
遺族の方はその現実ばなれした課税のかかる遺産を少しでも目減りさせ
るためにそういった素描たちを泣く泣く燃やしてしまったそうです.
機会の均等という意味(資産家の子息がそうでない者より有利であるこ
とを是正する)での相続税のあり方は至極真っ当で,この挿話はその理
念をどうこうというものではないのだけれども,なんだろ,法律の側の
もうちょっと粋な計らいでもあればいーな,と,このような場合には思
う.
ところで,奥村土牛については東京京橋の山種美術館の蒐集が(他にも,
土牛のお師匠さんの小林古径とか,同時代の速水御舟の作品も充実)代
表的なんですが,証券業界のリストラクチャリングのご時世,たしかそ
の母体の山種証券はどっかと合併したような….
う〜ん,せちがらい.
じかん● Tue Oct 10 22:39:13 Japan 2000
おなまえ●楡の木
メッセージ●  ケ香雲さんへ
  相続税は資産家にとっては、かなり高いと思われるでしょう。土地を相続すれば馬鹿馬鹿しいほど税金を取られる気になります。しかし、皆きちんと納めるのです。現金が無理ならば、物納と言われる方法をとってでも。国民の義務なんですから。それ故、税金は大事に、有効に使って欲しいと思ってるのです。ところがこの有様、怒り心頭に達している訳です。
現在でも、財産は3代で無くす制度である様です。この考えは悪くないと、私は思っています。
じかん● Tue Oct 10 21:11:55 Japan 2000
おなまえ●がちゃぴん
メッセージ● こんにちは。すっかり秋ですね。今年は関ケ原400年ということで,私の住む鹿児島では関ケ原400年祭というのが繰り広げられています。私はまだ鹿児島に来て3年目なのでけっこうおもしろく見たり聞いたりしていますが,なぜか間寛平ちゃんが参加するイベントもあって思わず本気で一緒に走ろうか?って気になりました。う〜ん,でも日本広しといえども400年祭なんてするのはやはり鹿児島だけでしょうか? やはり薩摩は未だに関ケ原には負けちゃあいないのでしょうか? この気の強さが鹿児島の魅力ですね,やはり。
じかん● Mon Oct 9 20:42:29 Japan 2000
おなまえ●じゅんこ
メッセージ● 昨日は久々の「葵」でしたね。

五女の和子さんこと後の東福門院(東から福をもたらされので付けられたそうです)は出てくるし、最後に本阿弥光悦の鷹ヶ峰の芸術村にはふれるし...で思わず「東福門院和子の涙」と「雁金屋草紙」を再読するはめになってしまいました。

「東福門院和子の涙」は宮尾登美子氏が和子の生涯を書かれたもので、江戸の武家育ちの姫が京の御所での並々ならぬ苦労が、女性作家ならでわの木目細やかな流れる様なタッチで描かれています。
気苦労多い和子のストレスの発散が衣装道楽だった様で、今で言う買い物症候群てところでしょうか。彼女のお気に入りは、京の「雁金屋」なる呉服商で、この呉服商はもと浅井家の家来だったんですね。この雁金屋の子息があの有名な「紅梅白梅図絵屏風」の尾形光琳、鷹ヶ峰に窯を開き、今も「乾山手」と呼ばれる画風を築いた尾形乾山なんです。
淀君、秀頼、高台院、京極家、徳川家の呉服商を勤めるにして、浅井家の家臣であっただけでなく、卓抜したセンスがあったんですね。この尾形光琳を中心に描いたのが鳥越碧氏の雁金屋草紙
なんですが、不覚にも光琳の作品の実物は拝見していなくて...。

ところで24日から東京国立博物館で中国国宝展が開催されますね。中国六千年の歴史。前から楽しみにしていて、いよいよと言った感じでワクワクしています。

じかん● Fri Oct 6 14:27:30 Japan 2000
おなまえ●EMI
メッセージ● はじめまして・・・・
早速ですが本を探しているのですがどうやって探していいのかさえ解らず大変困っています!
どうしたら見つけることが出来るのか、何かアドバイスをいただけたら有難いのですが・・・

一応念の為、探している本は“集英社”から出ている黒岩重吾の『さらば星座』第5部
梁明の巻(完結編)、(上)です!!!!!!
どうしても手に入れたいので宜しくお願いします。
じかん● Tue Oct 3 20:26:43 Japan 2000
おなまえ●遼太の父
メッセージ● パレスチナ

昨夜のニュースステーションで、このニュースを見て以来、どうも気分の具合が悪くなって塞ぎこんでいます。今年は、あの栃木の少年リンチ殺人事件のときが同じでしたが、憤りと腹立たしさと空しさでいっぱいになって、体調を崩す一歩手前まで行ってしまう感じです。年のせいなのか、精神が脆くなったのか、どうも昔のように気分を素早く切り替えたり、感情を抑制したり、鎮静したりということができないですね。長く尾を引きます。ある種の精神的能力の劣化なのかもしれません。

しかし昨夜の久米宏は、東エルサレム帰属問題でイスラエルとパレスチナの紛争が激しくなっていることは伝えましたが、あの映像の少年が、なぜあのようにして、イスラエル治安部隊による至近距離から銃撃を浴びて殺されなければならなかったのかについては何も説明しませんでした。今朝の新聞記事にもそれは載っていませんでした。

映像を見るかぎり、どう見ても、偶然に銃撃線に巻き込まれて流れ弾に当たったとか、デモ隊の中にいたところを撃たれたという様子ではありません。助けてくれと叫んでいるのを、意図的に狙って小銃で掃射して殺しています。きわめて残酷な虐殺行為です。イスラエルの非人道的なやり方に対して怒りが込み上げますが、しかし、ただそのCNNソースの映像を流すだけで、その状況や事実を正確に語ろうとしない日本のマスコミの報道のあり方にも腹が立ちます。

こういう映像を見ると、本当に平和的な話し合いで中東和平が問題解決するのか、疑問にすら思えてきますね。イスラエルは本気で独立パレスチナ国家を認めるのか。そもそも延期になった9月のパレエスチナ国家独立というのは、米国仲介の歴史的な和平会談で両者が合意したもののはずですが、こちらから見る限り、東エルサレム帰属問題でイスラエルがゴネているのは、和平実現の意図がないことの現われであるようにしか見えません。

先に挑発をして和平をぶち壊しているのはイスラエル (と言っても一つではないんでしょうが)の方で、常に紛争を起こしては、和平プロセスをリセットさせたり、 占領地の支配を既成事実化しています。軍事的にも経済的にも圧倒的に優位な立場にあるから、主導権を握っているわけですね。仮に和平をするにしても、なるべく悪い条件をパレスチナ側につきつけて、それを固定させて、そしてまた何か機会があれば紛争を起こして、その悪条件の権利さえ奪い取っていこうという衝動が感じ取られます。

いじめですね。

中東和平プロセスが始まったのは、パレスチナの若者たちのインティファーダによるもので、あまり酷い弾圧と流血が続けばイスラエルの国際的な立場が悪くなるということで、イスラエル国内の世論が和平に動いた結果でした。これはパレスチナ側から見れば、流血を辞さない覚悟と蜂起で勝ち取った和平プロセス(独立国家の合意)であると言えます。だからこそ、その教訓の上に立ってパレスチナ側は素手や投石で反撃しているわけです。

占領地でイスラエルがパレスチナ住民に対して行っていることは、半世紀前に彼らがヨーロッパでナチスにされたことと全く同じように私には見えます。

イスラエルは、パレスチナ人の土地を奪って建国したことについて、旧約聖書を持ってきて「神から与えられた」と正当化するわけですが、この論理にはどう考えても無理があるでしょう。ヒトラーが「わが闘争」でウクライナを「ドイツ人の絶対生存圏」であると指定して、ドイツの東方領土にしようとした(そしてロシア人を奴隷にしようとした)のとほとんど同じ論理に見えます。

戦争しかないんじゃないか、という感じがしますね。匿名で投降できる掲示板だからこその無責任な発言かも知れないけれど、イスラエルとパレスチナの問題は、簡単に話し合いでうまくいくとは思えない。イスラエル人がユダヤ教の原理主義を抑制阻止する動きを見せない限り、パレスチナとの平和共存は難しいでしょう。今の状態は、完全な戦争ではないけれど、イスラエルの圧倒的な武力制圧下での占領で、ほとんど戦争状態と言っても同じですね。