2000年8月分の掲示板です

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じかん● Thu Aug 31 17:21:04 Japan 2000
おなまえ●しんぺい
メッセージ● 河野外務大臣が、
それぞれお互いの国民がそれぞれの国のことを
もっとよく知ってゆかなければならない。
と、そういったような事を言っていたようですね。
河野さんにしてみれば上出来でしたね。
野中さんが「屈辱外交」と外務省を批判したことも
影響してるのかもしれませんね。
もっとも中国としては、あまり自国のことを
詳しく知ってもらっても困るのでしょうが。


以下、お勧めのHPです。
どうぞご覧になってみてください。
勉強になります。


国際派日本人養成講座

より


今日の南沙は明日の尖閣



チベット・ホロコースト50年(上)〜アデの悲しみ〜



チベット・ホロコースト50年(下)〜ダライ・ラマ法王の祈り〜



中国の軍事力増強に貢献する日本の経済援助



対中ODAの7不思議



江沢民の憂鬱



社会主義市場経済に呻吟する民



などなど。
他にも、北朝鮮や台湾、日本の歴史、社会、政治など
いろいろ面白い記事が載っていますので、
是非とも読んでみてください。


じかん● Thu Aug 31 15:23:38 Japan 2000
おなまえ●遼太の父
メッセージ●
自由主義史観運動を含めた最近の若者たちの右傾化現象の中で気になるところは、西尾幹二の口真似を言っている愛国青年の一人一人が、実際に戦争の事態になったとき、自分こそ児玉源太郎や秋山真之になれるものと錯覚してしまっていることじゃないかと思いますね。安直な英雄主義への心情的耽溺というか、そういう傾向を感じます。

しかし、戦争は実際にはそういうものじゃない。誰もが参謀になれるわけじゃない。実際の徴兵とか出征というのは、NHKの終戦記念番組で紹介されたあの福井県の農民兵士のような事例がほとんどで、要するに歩兵ということですよ。野戦の突撃隊や陣地の守備隊の一員として、前線を這いずりまわる末端の歩兵です。

もう一つは、私は、今の日本の若者たちが、たとえば『坂の上の雲』に出てくる無名の兵士のように、本当に国を守るために全身全霊命を懸けて戦うことができるとはとても思えない。個性重視教育の中で甘やかされて、数学の勉強もろくにせず、マンガとゲ−ムと食うこととセックスばかりやってきたジコチュ−世代の連中が、どうして兵士として戦うことができるのだろう。

たとえば、仮に、敵軍を中国人民解放軍と想定してみてもいいけれど、日本が台湾独立に介入して、福建省あたりに先制上陸して、現地で人民解放軍部隊と戦闘になったとすれば、きっと一瞬のうちに撃破されて、敗走してしまうことでしょう。生の肉弾戦に耐えられるような強い精神力を持った日本人の若者が、そんなにたくさんいるとはとても思えない。

と同時に、ビ−トたけしやとんねるずに感化されて育った彼らのことだから、弱いものいじめだけは世界中の誰よりも得意で、昔、中学校で弱い同級生をいじめ殺したのと同じ要領で、進軍した先の町や村で非戦闘員の住民を捕まえてきて、昔の日本軍と同じように、私刑、強姦、拷問、虐殺と、やりたい放題、非道の限りを尽くのかもしれない。本多勝一的地獄世界。

軍隊は人殺しをすることろですから、日本中にたくさんいる「人殺しをやってみたい」17歳とか15歳は、軍隊に入隊して、大喜びで人殺しを競い合うことでしょう。発狂日本の行き着く先は、そういうところなのかもしれない。国を守る気概があるんだったら、それこそ無駄な公共事業で国を潰している今の政府を打倒したらいいだろうにと思ったりするわけだけれど。

じかん● Thu Aug 31 15:17:40 Japan 2000
おなまえ●遼太の父
メッセージ●
自由主義史観運動を含めた最近の若者たちの右傾化現象の中で気になるところは、西尾幹二の口真似を言っている愛国青年の一人一人が、実際に戦争の事態になったとき、自分こそ児玉源太郎や秋山真之になれるものと錯覚してしまっていることじゃないかと思います。安直な英雄主義的心情への耽溺というか、そういう傾向を強く感じます。

しかし、戦争は実際にはそういうものじゃない。誰もが参謀になれるわけじゃない。実際の徴兵とか出征というのは、NHKの終戦記念番組で紹介されたあの福井県の農民兵士のような事例がほとんどで、要するに歩兵ということですよ。野戦の突撃隊や陣地の守備隊の一員として、前線を這いずりまわる末端の歩兵です。

もう一つは、私は、今の日本の若者たちが、たとえば『坂の上の雲』に出てくる無名の兵士のように、本当に国を守るために全身全霊命を懸けて戦うことができるとはとても思えない。個性重視教育の中で甘やかされて、数学の勉強もろくにせず、マンガとゲ−ムと食うこととセックスばかりやってきたジコチュ−世代の連中が、どうして兵士として戦うことができるのだろう。

たとえば、仮に、敵軍を中国人民解放軍と想定してみてもいいけれど、日本が台湾独立に介入して、福建省あたりに先制上陸して、現地で人民解放軍部隊と戦闘になったとすれば、きっと一瞬のうちに撃破されて、敗走してしまうことでしょう。生の肉弾戦に耐えられるような強い精神力を持った日本人の若者が、そんなにたくさんいるとはとても思えない。

と同時に、ビ−トたけしやとんねるずに感化されて育った彼らのことだから、弱いものいじめだけは世界中の誰よりも得意で、昔、中学校で弱い同級生をいじめ殺したのと同じ要領で、進軍した先の町や村で非戦闘員の住民を捕まえてきて、昔の日本軍と同じように、私刑、強姦、拷問、虐殺と、やりたい放題、非道の限りを尽くのかもしれない。本多勝一的地獄世界。

軍隊は人殺しをすることろですから、日本中にたくさんいる「人殺しをやってみたい」17歳とか15歳は、軍隊に入隊して、大喜びで人殺しを競い合うことでしょう。発狂日本の行き着く先は、そういうところなのかもしれない。国を守る気概があるんだったら、それこそ無駄な公共事業で国を潰している今の政府を打倒したらいいだろうにと思ったりするわけだけれど。

じかん● Thu Aug 31 10:48:57 Japan 2000
おなまえ●遼太の父
メッセージ● ケ小平、江沢民、唐家■

河野外相訪中の様子がテレビで報道されています。

中国の最高首脳は国家主席の江沢民ですが、知られているとおり、彼は中国語以外に英語とロシア語と日本語ができます。日本語は英語ほど堪能ではなくて、戦争中、子供の頃に嫌々ながら覚えさせられたもので日常会話程度だということですが、それにしても、堂々4カ国語を操る言語の達人です。東アジアには母国語以外に英語と日本語を操ることのできるもう一人の偉大で優秀な指導者がいます。言うまでもなく、韓国の金大中大統領ですね。

日本の閣僚で英語と中国語の二つができる人間はいません。国会議員を全部ひっくり返しても一人もいないでしょう。外国語を3カ国語もマスタ−していた日本の政治家というのは記憶がないですね。たしか、副島種臣が中国語が抜群だったという話が『翔ぶが如く』で出てきたような記憶がありますが、ひょっとしたら、明治政府の頃まで溯らなければならないのかもしれません。

現在の中国の外相である唐家■。彼も同じく英語と日本語が話せますが、その語学レベルは半端じゃないですね。抜群です。彼の日本語をNHKのインタビュ−か何かで聞いて驚いたことがありますが、そのへんを歩いている日本の若者など比較にならないほど完璧な日本語でした。日本に留学した経験があるのでしょうが、私の印象では、単に言葉を覚えたという感じじゃなくて、要するに、日本の中学校、高校の「国語」の教科を完璧にマスタ−しているという感じ、日本の「国語」の試験を受けたら、誰よりも高得点を取るだろうという感じの素晴らしい日本語でした。

降りかえって、あの周恩来も、たしかフランス語と英語と日本語ができたんじゃなかったでしょうか。ケ小平もフランス語は話せたはずですね。優秀な人間が確実に国家の首脳部を構成しています。日本とは大違いです。電気技師だった江沢民を抜擢したのはケ小平でした。さすがにケ小平は人を見る目があります。改革開放をさらに進めて、社会主義市場経済の路線で中国の先進国入りを指導するのはこの男だと白羽の矢を立てたわけです。ケ小平の指導者としての力量には、本当に息をのむ思いです。

前置きが長くなりましたが、ケ小平が江沢民を抜擢した理由の一つは、江沢民が日本語の能力を持っていたからだろうと私は思います。日本語を理解して、技術が理解できるこの男なら、きっ
と日本とうまく関係して、特に先進技術を持った日本の産業界とうまく関係を組んで、市場経済化を進めて行けるはずだと考えたのではないでしょうか。日本重視、技術重視のケ小平のビジョンがよく理解できるように思います。ケ小平のその意を正しく理解したからこそ、江沢民は外相に日本語抜群の唐家■を抜擢したのだろうと私は考えています。

外務大臣があれだけ完璧な日本語を話せる国というのは、世界中で中国だけです。そして中国にせよ、米国にせよ、ドイツにせよ、英国にせよ、外相ポストというのは、国家にとってきわめて重要な役職で、最優秀な人材を配置して長く仕事させます。日本のように、一年ごとに首をすげ替えたりはしません。だから、日本人は、共産党独裁はいかんとか、チベット抑圧は許さんとか、台湾独立万歳とかファナティックに騒ぐ前に、この中国の日本重視の基本的な国家方針について、もう少し真面目に考えてみる必要があるのでしょう。唐家■を外相にしたという事自体が、何より中国の国家方針と国家事情を雄弁に物語っていると言えます。

http://www.asahi.com/0829/past/ppolitics29017.html
じかん● Wed Aug 30 18:05:11 Japan 2000
おなまえ●秦太
メッセージ● >管理人様
おひさしぶりです。お忙しい中ご苦労様です。
さしでがましい口出しをいたしましたことを、お許し下さい。

>しんぺい様
>ところで、秦太さんは中国には行ったことはないのですか?
若い、というよりもまだ子供の時分に、一度行きました。
北京・上海とその周辺をまわりました。
その時使った鉄道のすぐ近くの路線で、数ヶ月後に大きな列車事故があり、
日本の修学旅行生がたくさん巻き込まれたのには、ひやりとしました。

当時は歴史知識がありませんでしたので、数々の史跡の価値など分かろうはずもなく、
「あそこまで行って、何でアレを見てこなかったんじゃ〜!」と、今になって地団駄踏むことしきりです。
成都のほかにも、西安、洛陽、開封など中原の古都にも行きたい、
泰山、黄山、曲阜といった信仰の場にも足を運びたい、敦煌から西のかた陽関を出てみたい、
そうだ台北の故宮も見なくては、などなど際限がありませんが、
行動力と経済力がいっこうに追いつかないんです。
じかん● Wed Aug 30 10:18:48 Japan 2000
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 日本の平和と東アジアの情勢

岡本行夫は、「最後まで平和を訴えて、しかしその最後の段階で平和が破れたらどうするかというところで、国家は国民を守るために必要な軍備を持っていなければならない」と、例の終戦記念日番組で説いていました。

この議論は、防衛論としてそれなりに妥当で説得力がありますが、しかし本当は、こういう一般論で日本の防衛を論じるのではなくて、もう少しリアルに、それでは一体、どの国と、どういう状況の下で、日本の平和が崩されるのか、という点まで厳密に掘り下げて考えてみるべきなのでしょう。外務コンサルタントの肩書を持った専門家なら、当然そうするべきでした。

自衛隊の防衛計画や理論にしても、具体的な周辺の安全保障情勢についての専門的な分析があり、その分析が妥当かどうかはともかく、その理論に基づいて装備と人員を予算要求しているわけで、例えばソ連が崩壊して北方の脅威がなくなった途端に、必然的に北部方面隊がリストラされるという事態にもなるわけですね。

平和が破れて国家と国家が戦争状態になるのには理由があるわけで、したがって、一国の防衛力というのは、あくまでそれぞれの国の独特の歴史的地政学的環境と国際情勢の下で、個別具体的に定義づけされるものなのでしょう。例えば極端な例をあげれば、世界の警察を自任している合衆国にとっては、核施設疑惑を口実にイラクを空漠することも「防衛」であり、イラクとの戦争に備えて兵器と部隊を装備編制することも「防衛」の範疇に入ることになります。

具体的に日本の安全保障環境を見ていったとき、対外防衛を必要化せしめる軍事的脅威がどこにあるかということですね。近未来に日本が戦争状態になる事態を仮想したとき、イマジネ−ションを無理やり働かせて交戦相手国を想定するとしても、日本の周辺にある国々、韓国(朝鮮)、中国、ロシア、そして敢えてあげれば米国、の四カ国ぐらいしか考えられないということになります。フィリピンが日本の脅威になるなどということはまずあり得ないお話でしょう。

ロシアと日本、これはいま平和条約の交渉が進んでいて、見取図としては、四島返還と経済援助の交換という図式ですね。ロシア軍の実情は世界の人の知るとおりで、ロシアが日本の自衛隊や在日米軍を相手に戦争を仕掛けてくる必然性というのは全く無いと言ってよいし、ロシア軍がそういう計画や構想を持っているということもないですね。今後も、経済的な情勢から考えても、極東ロシア軍は縮小につぐ縮小以外にないでしょう。中露間も国境線が画定されて、すっかり緊張が溶け、ロシアが極東に軍事力を配備増強する理由というのは全くありません。

対韓国(朝鮮)というのはどうでしょう。北と南は統一に向っていますね。その方向とプロセスは、おそらく私が7月に議論したかたちでのものになるでしょう。事実上、韓国による北朝鮮
の併合、北朝鮮の韓国化、半島全土への韓国の版図拡大という以外にないでしょう。どれだけ時間がかかるかともかく、中長期的な情勢分析としては、統一韓国の実現という見通しが中心になります。統一韓国が日本にとって軍事的脅威となるか。なりませんね。逆ですね。言われるところの「北朝鮮の脅威」が消えるだけです。もし、韓国と日本の間で軍事的緊張が高まり、平和が破れる事態が訪れるとすれば、その原因を作るのは、きっと日本の方でしょう。

中国はどうでしょうね。中国と台湾が戦争状態になった場合、それは日本の平和が脅かされる事態だから、日本の自衛隊も台湾海峡に艦船を配備せよとか、シ−レ−ン防衛の任務につけとか、その事態に備えて国内有事立法を整備せよとか、台湾海峡付近で日本の商船を護衛中に中国の艦隊と遭遇したら構わないからこれを攻撃せよとか、最近、いろんな物騒な軍事議論がなされていますが、どれもこれも、無理やり中国を仮想敵国に仕上げて喜んでいるような話ばかり飛び交っています。

はじめに中国の軍事的脅威があって、その客観的な情勢分析の上での日本の防衛力増強要請ではなくて、逆に、まず日本の防衛庁を省に格上げしたい、防衛予算を拡充させたい、米国のガイドラインに即した軍事基盤整備を図りたい、憲法9条を改正したい、国論と国策を「普通の国」の路線に方向づけしたい、そういう動機や意図が先にあって、それを理論的政策的に合理化正当化するために中国脅威論というのが喧伝されている、そう考えてみるのが正しいように思われます。

中国が日本を、例えば九州を侵略して占領するなどという図は、あまりにもリアリティがなくて話になりません。中国がこれからどんなに軍事大国化したとしても、その鉾先を中国の方から先に日本に向けてゆく、ということは考えられないことでしょう。中国の軍事力が鉾先を向けているのは、まず彼らにとっての自国領土である台湾であり、そしてチベットであり、ウィグルの順番ということになります。中国にとって、日本は最大の貿易相手国であり、最大の輸出市場国であり、技術援助国であり、そして経済援助国です。そう簡単には日本との平和を崩すことはできないと考えるのが常識でしょう。

中国と日本との間の平和が崩れるときというのを予想するなら、おそらくその原因を作るのは日本の方でしょう。日本が平和憲法と日中平和友好条約を守っている間は、日中間に安全保障上の
緊張関係はありません。しかし、日本が憲法を改正して、海上自衛隊を海軍に復活させて、例えば石原慎太郎が言っているような具合に台湾独立に介入して艦船を派遣するような事態になれば、両国の平和は崩れることになります。最悪の事態です。

かつて日本が軍国主義に染まり、侵略国家として世界を敵にまわした重要な動機は、防共の論理、つまり共産主義の浸透から世界を守る、東洋を守るという大義でした。防共主義で日本とナチスドイツとファシズムイタリアが同盟したわけです(日独伊防共協定)。石原慎太郎や小林よしのりのイデオロギ−というのは、戦前のその論理と全く同じ性質のものでしょう。すなわち最初に共産主義への嫌悪や反感があり、それとパラレルに戦前の日本の政治体制への復古志向があって、その政治的言説を正当化するために、中国脅威論が喧伝されているということですね。

私は、いずれ中国も民主化が進むであろうと考えています。しかし、中国の国民感情を考えたとき、石原慎太郎や小林よしのりのような攻撃的言説は、日本と中国の関係を悪くするだけであり、中国国民の対日感情を損ねるだけであり、中国国民一般を日本嫌いにしてゆくだけなのだろうと思いますし、中国の民主化や、中台の平和的共存には全く貢献しないばかりか、逆にどんどん不安定化させるだけではないかと憂慮するわけですね。
じかん● Tue Aug 29 21:17:29 Japan 2000
おなまえ●しんぺい
メッセージ● 管理人さんへ
どうもありがとうございました。
お手数、かつ、ご迷惑をおかけいたしました。


秦太さんへ
レス、ありがとうございます。
しかし僕のこと、憶えていただき恐縮かつ光栄です。
秦太さんの、お気楽発言には、ほっといたします。
歴史を現実問題として捉えるのはもちろん大切なことだとは思いますが、
ここは歴史小説の部屋ですから、歴史を物語として、
お気楽に楽しめるような、会話が出来るような空間
でもあれば、とも思います。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。

ところで、秦太さんは中国には行ったことはないのですか?
僕はもう10年ほど前になりますが、行ったことがあります。
四川省までは行ってはいないのですが。
10年も前のことなので、もう忘れかけているんですが、
紫禁城へ行き、ラストエンペラーを見た直後だったので、
興奮したのを憶えています。
天安門広場では、おお毛沢東だ〜、まだ素直と感動してました。
あと万里の長城、明の十三陵など観光地をまわりました。
ツアーだったんですが、黄河を小さな飛行機で渡り、
長江を貨物船みたいなもので渡るという、
万里の長城から帰る途中に、観光バスがスピード違反で
捕まるという(^^;
ツアーでは経験できないようなことも出来ました。
中国は、やはり広大で、食べ物もとてもおいしく
とても楽しかったです。


しかし、最後に余計なことを言いますが(^^;
僕は、北京政府が、あまり好きではありません。


じかん● Tue Aug 29 13:38:10 Japan 2000
おなまえ●masato
メッセージ● 管理人です。

忙しい夏を過ごしています。
でも来週が待ちに待った夏休みで、それを考えると少し気が楽になります。
しばらくこの掲示板にも書き込みしてないし、HP自体の更新もやってませんでした。
このページがどんどん大きくなって開くのに時間がかかり、みなさんにご迷惑をかけたかと
思います。お許しください。

しんぺいさんからのご要望によりいくつかの発言内容を削除させていただきました。
ご了承ください。

じかん● Tue Aug 29 10:19:49 Japan 2000
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 市民にとっての戦闘的平和主義

しかし、考えてみれば、戦争が一旦始まってしまえば、それが侵略戦争であれ、防衛戦争であれ、とにかく国家は非常事態になり、正常な市民社会は崩壊して、国民は国家の戦争遂行のための道具(兵員)となり、戦場や後方支援に無条件に動員されることになるわけですね。

そしてまた、個人はそれをイヤだと言って断ることはできないわけです。徴兵その他の国家からの動員要請を拒否すれば、その行為は犯罪として刑務所に繋がれることになるでしょう。国家にとって利敵行為とみなされる言論は禁止されるでしょう。戦争状態になれば、個人は、要するに、自分の理性や感情を捨てて、国家を信じ、国家の言うままに行動する人間にならざるを得ないことになるわけです。

戦場に出されて、生きるか死ぬかの局面に立たされれば、平気で相手兵士を銃殺することもできるでしょうし、作戦に適当な正当化根拠が理由づけされれば、平気で非戦闘員を殺すこともできるようになるでしょう。命令を拒否すれば軍法会議にかけられて自分が死刑になります。戦争というものはそういうもので、軍隊というのはそういうものです。戦争の大義、防衛の大義があらゆる残虐な行為を神聖化し、浄化するのであって、狂気こそが正常な事態となるわけです。

そして最後は、自分は国を守るために戦って死ぬのだから本望だとか、神聖な任務に殉じて死ぬのだから自分の生と死は無駄ではなかったのだとか、そういう倒錯した観念を無理やり自分に信じこませて、決死の突撃行為を覚悟することになるわけです。そうして、弾丸に当たるか、銃剣で刺されるか、砲撃で飛ばされて、死んでゆく(殺される)わけですね。

そういう生き方しかないわけです。

だから、国家が交戦状態になり、非常事態になってしまえば、市民のレベル、庶民のレベルでは、実際にはそこですべてが終わりなんですね。つまり敗戦です。市民社会と民主主義の敗北です。だから、平和である現在、市民社会と民主主義の形式が曲がりなりにも社会的に保障されている現在こそ、市民や庶民が戦争を避けるための戦いや運動をできる場だということになります。戦いというのは、戦争を美化して国家を戦争へ誘導して行こうとする言説に対する戦いです。

戦争を美化する人間というのは、必ずもう一度戦争をやろうと考えている人間であると考えて間違いないでしょう。私の考えでは、平和というのは、ただ平和を享受していれば平和が維持されるというのではなくて、そうではなくて、絶えず平和の意義を確認し、戦争の原因を批判的に考察し、戦争の実態をリアルに直視して、戦争をしたい人間の言説から社会を守ってゆくこと、戦闘的に守ってゆくことで保障されるのではないかということです。

市民が戦わなければいけないのは平時だということ。

しかし、こういう議論は、昔は、みんな当たり前に言っていたことなんだけれど、常識だったんだけれど、最近では誰も言わなくなった。風化なんてもんじゃなくて、まさにイデオロギ−の空気が変わり、社会の常識が変ってきたということなんだろう。今度は勝てるとか、勝つんだったらやってもいいとか。老人としてはすごいもんだと嘆息するだけだけれど。
じかん● Tue Aug 29 1:29:22 Japan 2000
おなまえ●秦太
メッセージ● 閑話休題。連続ですいません。
>遼太の父様
四川省の風土は、お気に召しませんか。
まあたしかに、「天府の国」と称されるわりには、意外に土地が痩せていて、
「蜀犬日に吠ゆ」で、水は豊富でも日照は短い土地柄だそうですからね。
決して生物相が貧弱ということはないと思いますが(大熊猫や金糸猴もいることですし)、
どんよりむしむししていて、風光明媚とは言えないかもしれません。
しかしあんな内陸の省に、日本一国と同じくらいの人口が暮らしているんだから、すごいもんです。

私も遼太の父さんと同じような理由で、子供の頃からあそこに憧憬の念を抱いているのですが、いまだ行く機会を作れずにいます。
中国史に関心がある者として、かの地はぜひ訪れたい史跡に満ちていますから。
武侯祠、杜甫草堂はもとより、王建のお墓や李冰父子の廟などもぜひ訪れたいものです。
先日ご紹介した映画『變瞼』は、まさにあの湿っぽい四川盆地を舞台にした、素晴らしく湿っぽいお話でした。
この作品に出会ってから、私の四川への憧れは2倍増しになりました。

じかん● Tue Aug 29 1:28:16 Japan 2000
おなまえ●秦太
メッセージ● しんぺい様
迅速かつ誠意ある対応をとっていただきまして、ありがとうございました。
この掲示版の最古参の常連さんで、私とおなじく『風雲児たち』のファンでもあらせられるしんぺいさんに、
あのような苦情めいたことを申し上げるのは、とても心苦しかったのです。
ご理解をいただけて、本当にほっとしております。

ROMをしておられる方々を含め、この掲示版に集う人はみな同好の士であると、私は思っています。
だから、角つきあわせた殺伐とした議論になりがちな、今回のような話題には、
あんまり参加したくないな、と個人的には思います。
こちらでは、これからも歴史好きのお気楽投稿者を続けていきたいと考えております。
皆さんどうぞ今後ともよろしく。
じかん● Mon Aug 28 23:28:41 Japan 2000
おなまえ●中本
メッセージ●   「朗読者」読みました。裁判の所でハンナが「貴方なら、どうしますか?」と、問う場面が印象に残り、自分に問われたような気持ちでした。個人と組織を絡めつつも自分の意見は出せませんでした。ちょっとばかり重たい課題になりそうです。
昔観た「私は貝になりたい」の主人公と彼女がダブッて感じられたのですが?

じかん● Mon Aug 28 13:54:34 Japan 2000
おなまえ●遼太の父
メッセージ● そのNHKスペシャルの前に、日中共同制作ドラマ「桜桃(さくらんぼ)の実る谷」があって、これにもすっかり見入ってしまいました。

仲村トオルの相手役である陳春桃役の女優さん(游琳妹)のキャラクタ−と演技がよかったですね。日本のドラマでは、ああいう感動的なラブロマンスは、歴史ドラマという形式でしか描けなくて、現代ドラマにした場合は、中国とか、それも四川省の奥地の少数民族の娘をもってこないと描けないということでしょうか。

ドラマはNHKと四川省電視台との共同製作で、何となく、四川省の観光案内のような趣も感じました。ですが、どうもあんまり風光明媚な自然という感じではないんですね、四川省は。山は峻険でゴツゴツして、大地は痩せて乾いていて、樹木や草花が豊かではない。もうすぐチベットという土地風土。どうも私は、あの感じが苦手ではあります。

しかし思い出せば、高校1年のときに吉川英治の「三国志」を文読んで以来、四川省ははるかな憧れの土地で、この年になってもまだ足を踏み入れるに至っていないのが本当に残念です。当時は、まだ中国の各地の写真というのがそれほど出回っていなくて、漢文の教科書のページに載っていたモノクロの白帝城の写真とか、三峡の写真とか、杜甫草堂の写真を見ながら、夢を膨らませていたものでした。

しかし、私はいつ本当にそこへ行けるのだろうか、と思うと、溜息が出てきます。もう行けないかもしれない。

じかん● Mon Aug 28 9:54:37 Japan 2000
おなまえ●遼太の父
メッセージ● NHK 「朝鮮半島2000年の夏」 

26日土曜日に放送されたNHKスペシャル「朝鮮半島2000年の夏」を見ましたが、非常に面白い番組でした。この掲示板で話題になった終戦記念日特集番組と同じ五十嵐公利解説委員長が作ったもので、構成と取材に光るものを感じました。映像も未公開と思われるものが使われていました。(金日成が演説している横に巨大な大極旗が翻っているというような珍しいのがありましたね)。

今回、特に感心してしまったのは、取材の切り口の鋭さです。南北離散家族の再開、あるいは望郷というのが基本デ−マだったわけですが、NHKの取材は、単に戦争による離散とか再会とか望郷といった、言わば平板なところだけを映して終わるのではなくて、もっとはるかに立体的に、そして生々しく、朝鮮戦争の内実とそれにかかわった一般市民の実態を浮き彫りにしていました。

政治犯の大量虐殺問題にスポットが当てられていたのも画期的でした。さすがに五十嵐委員長ですね。今回の場合は韓国側による北系政治犯(とみなされた人々)に対する大量虐殺の事実でしたが、無論、当然その逆のケ−スもあったでしょう。北側に3ヶ月間占領されたソウルでの不安な市民生活とか、韓国軍のソウル奪還後に起きた粛清と恐怖政治の事実なども、これまであまり明らかにされていなかったお話です。

以前に書きましたが、朝鮮戦争というのは、現代史として、まだまだすべてが明らかになっていない戦争で、わかっていないことがたくさんあります。これから史実の全貌が明らかになってゆく戦争ですね。そして現在のところは、韓国外の外国の研究者の方が、見るべき研究成果を出しているように見えます。米国の国立公文書館で公開発見された資料とか、ソ連崩壊後に発見公表されたソ連軍・KGBの機密資料などがソ−スになっています。日本で朝鮮戦争研究をリ−ドしているのは、私は、東大の和田春樹だと思いますが..。

番組の中で、当時ソウル大学の学生で、自らの意志でイムジン河を北に渡って北朝鮮軍に参加して韓国軍と戦い、太白山脈で韓国軍に投降して20年の懲役刑を受けた老人が出てきました。鋭い取材ですよね。老人が語っていた話、自分は真の統一を願って北に行くことを決めた、そして同じ民族同士が戦って血を流すのは無意味だから、戦闘して死ぬのではなく投降することを選んだ。この言葉は重かったですね。そう言えるようになるまで50年かかったわけです。ああいう老人が、歴史の証人として少なからず生きているのでしょう。歴史は平板ではなく、どこまでも立体的です。

戦争とかイデオロギ−とかいうものは、個人の市民的希望とか人間的善意を、ああして逆に踏みにじり、裏切って、傷つけてゆくものなのです。人間を非人間に変え、人殺しが簡単にできる人間に変わることを強制してゆくわけですね。そこに一度巻き込まれたら、もうその外側には逃れられないわけです。韓国側が政治犯を虐殺した論理は、北からの防衛ですね。共産主義の侵略から祖国韓国を守るためという神聖な理由によって、何の罪もない政治犯被疑者が大量虐殺されたわけです。

大人の理性と歴史への知性を持った人間ならば、「日本の防衛」とか「英霊の犠牲」なんていう言葉に安易にファナティックな心情で接してはいけないのであって、そこには何かウソがあるんじゃないかと、怪しげな気持ちで接するのが本当なんでしょうね。自分と家族の生命を守ってゆくためにも。

じかん● Mon Aug 28 8:07:47 Japan 2000
おなまえ●じゅんこ
メッセージ● しんぺい様

丁寧なお返事有り難うごさいます。やっと顔が見えてきた感じですね。

しんぺいさんのおしゃる様によその国と仲良くする事は大切ですが、現実問題は難しく、日本だけの理由では無い事は確かですね。記して頂いたURL等、これから拝見して勉強させていただきますが、たかり根性があからさまな国もありますよね。
ただ「先に理念ありき」じゃないと何も始まらないのじゃないですか。
短いタームで捉えれば無理かと思いますが、何世代かかるか?のタームで捉える事も出来ますでしょう?。それを模索して行き一歩でも前に進めるのが人間の叡智と思うのですが。

まぁ、毛蟹の心臓をもったおばさんが理想を高らかに掲げてもさまにはなりませんがね^^。
とにかく戦争や憎しみあいなんてくだらないもので、これから先の若い命を無駄にしていただきたくないんですよね。
じかん● Mon Aug 28 2:36:30 Japan 2000
おなまえ●しんぺい
メッセージ● じゅんこさんへ
あらためまして、こんにちは。
僕はもう学生ではなく、そんなにもう若くはありません(^^;
で、憲法の抜粋は、靖国参拝を憲法20条と89条に
基いて憲法違反だと批判する人が多いので、
僕なりに、いろいろ調べてみました。
ついでに日本人の宗教観についてもいろいろと
知ることが出来ました。
で、著作権について秦太さんにお叱りを受けたくらいですから、
法律に関しては、まったくのズブの素人です。

それで、通信傍受法についてですが、
じゅんこさんが、どのくらいその法律について認識されてて
どのくらいちゃんと、ご自分の意見を持っておられるか
確認したくて、あのようなちょっとイジワルな質問を
してしまいました。申し訳ありません(ーー)
で、僕もじゅんこさんのような認識しかもてておりません。
ただ、やはりもう決まってしまったかぎりには、
有効に使われて、犯罪の検挙率を上げて、犯罪の抑止力に
なってくれればと思っています。
そしてもちろん、じゅんこさんの仰る通りに、乱用されることのないよう
悪用されることのないよう、我々国民がしっかりと
見張りつづけていかなければ、ならないと思います。

ともう一つ、地域通貨についてですが、
日本とその他アジア諸国との、経済格差があるから、
地域通貨には出来ないだろう、という現実問題でななくって、
じゅんこさんの考えでは、
そのくらいの成熟した信頼ある国際関係を、
日本、韓国、中国、北朝鮮、台湾など東アジア諸国と作ってゆきたい。
ということですね?
それは、もちろんだと思います。
よその国と仲良くいくに、こしたことはありません。
しかし、やはりそれも現実問題として難しいのではないでしょうか?
そしてその理由は日本だけにあるとは思いませんよ。


じかん● Mon Aug 28 2:35:18 Japan 2000
おなまえ●しんぺい
メッセージ● 秦太さんへ
ご指摘どうもありがとうございます。
まったくそのとおりです。。
返す言葉もございません(TT)
管理人さんの方に、削除をしていただくよう
メールでお願いしました。
ちなみに論文は、
「靖国神社社報 第525号」よりの転載でした。

で、それで、恥の上塗りをしてしまうのですが、
以下の戦後補償の個所は、自由主義史観からの転載でした。
まったく恥じ入るばかりです。
どうにかしておりました。申し訳ありません。
こちらも削除をお願いたしました。
ちなみURLはこちらです。

新しい歴史の教科書を作る会
http://www.jiyuu-shikan.org/index.html

日本の戦後補償
http://www.jiyuu-shikan.org/faq/A01.html

ドイツとの補償の違い
http://www.jiyuu-shikan.org/faq/A02.html

アジアの日本観
http://www.jiyuu-shikan.org/faq/A03.html

オランダへの補償
http://www.jiyuu-shikan.org/faq/A04.html


是非ともみなさん、為になると思いますので、
ごらんになってみてください。


これからは、このようなことがないよう、管理人さんに迷惑が
かからないよう、以後、気をつけます。


じかん● Sun Aug 27 16:48:34 Japan 2000
おなまえ●じゅんこ
メッセージ● 北海道の毛がには美味しゅうざいました。

どうやら美味しい毛蟹を頂いたせいか、私の心臓も毛蟹なみになったようで・・・反省。

しんぺいさま
憲法の抜粋などでてきましたので、てっきり法学部の学生さん?かと思い。
また、普段耳にしない若い方の率直なお考えをお聞きしたくお尋ねいたしました。

通信傍受法は、組織的な殺人事件、銃器の不正取引、薬物犯罪の防止や集団密航などの取り締まり強化を狙い、他の捜査手段では犯人の特定が難しい場合に限って、検察官、警察官、麻薬取締官等、当局が必要と判断した場合、捜査員が裁判所から令状をを取ることで、ファクスや電子メ
ールなどのやり取りを傍受できる法律です。また内容をフロッピーディスクに復元したりテープに記録したり、スポット傍受(試し聞き)も合法化されました。

私としましては、警察の不祥事が相次いで発覚し信頼感を無くしている上、権限がなし崩しに広がりはしないか、また乱用されはしないか懸念しております。

しつこいようですが、もう一つ質問させてください。
「地域通貨」についてです。欧州のユーロなどを指しますが。

しんぺいさんが下記に記したように、日本は多大な補償をしてきました。それ自体はなかなかできない事で素晴らしいと思います。そこでここから先は国と国との信頼関係を構築し共栄共存の時代に入らなければと思うんですね。東アジア国家間において「地域通貨」が確立されるような成熟した関係を作っていく事が、「負」の遺産を「正」の遺産へ昇華していく一つかと思います
が、お考えを伺えれば幸いです。
じかん● Sun Aug 27 7:47:27 Japan 2000
おなまえ●秦太
メッセージ● こんな話はしたくないんですけどね・・・・・
>しんぺい様
「ヴルピッタ・ロマノ先生の論文」についてなんですが、この先生に論文転載の許可をもらっていますか?
(もらっておられるなら、以下は無視して頂いてけっこうです)
著作権者に無断でホームページ上に文章を転載することは、著作権の侵害にあたります。
「引用」する場合は、著作権者の承諾を得る必要はないとされていますが、その場合も、

・あくまで引用の範囲内であって、引用部分が文章の主要なものになってはならない
・出典(論文ならば、掲載誌名とその号数、URL等)を明示しなければならない

ことになっています。
しんぺいさんの投稿の場合、明らかにどちらの条件も満たしていません。
ロマノ氏が、「私の論文は転載自由、いちいち出典を書くのも無用!」と宣言しているんなら話は別ですけれど、
そんなことはないでしょう(なにぶん、出所が書いてないので確認しようがありませんが(^_^;)
ロマノ氏の論文以外の投稿についても、色々細かい数字を書いておられますが、これも出典を明示してありません。
(著作権以前に、こういう真面目な議論をする時には、データの情報源は示しておくのが当然と思いますが・・・)
例外として、新聞等の時事問題についての論説は許可を得ずとも転載できることになっているので、
『産経抄』の転載はたぶんセーフですが、これも日付を明記すべきでしょうね。

インターネットにおける著作権については、色々議論があって、合法と違法の境界線はいまだ明確ではありません。
しんぺいさんが、ご自身で責任のとれる範囲内で、著作権についてどういった態度を取ろうとも、
それは私などがとやかく言うべきことではないでしょう。
実際ネット上には、著作権侵害を全く躊躇していないサイトもたくさんあります。
しかし、人様が運営する掲示板に、著作権侵害の恐れのある文章を投稿するのは、いただけません。
苦情や抗議は、あなたではなく(あるいは、あなただけではなく)管理人のmasatoさんに向けられることになります。
このページを拝見するのを楽しみにしている者の一人として、私も注意しないわけにはいきません。
最悪の場合、このサイトの閉鎖につながることも有り得るからです。
どうか、適切な対応(管理人さんに丁重にお願いして、削除していただくのが一番早いと思います)
をとっていただけませんでしょうか。

こんなガラにもない、風紀委員みたいなこと、ほんと何度も書きたくないんですよ。
お願いします。

>じゅんこ様
「ロマノフ」さんじゃなくて「ロマノ」さんらしいですよ。
下の論文に自分で「祖国イタリア」って書いてますから、ロシアじゃなくてイタリアの人のようです。
(オチに使わせてもらってすいません。お堅い話は苦手なのです)
じかん● Sun Aug 27 3:26:07 Japan 2000
おなまえ●しんぺい
メッセージ● じゅんこさんへ

通信傍受法とは、どのような法律ですか?
また、じゅんこさんは、その法律について
どう思っておられるのですか?
さらに、何故僕にそうの様なことを聞くのですか?



じかん● Sat Aug 26 14:50:14 Japan 2000
おなまえ●じゅんこ
メッセージ● しんぺい様

通信傍受法についてはどうお考えですか。

じかん● Fri Aug 25 21:21:08 Japan 2000
おなまえ●しんぺい
メッセージ● いまさらながら「国体」発言です。

国体発言をしたときの、森さんの演説文を読んだことはありますか?

***

どの政党とどの政党が組んだら一番安心できるか、いい政治ができるか、
皆さんに判断してもらいたい。志位さんが3日、
「野党は連立しなければならない」と言っていた。
「共産党と組むのですか、民主党さん」と言いたい。
民主党は寄せ集めだから、かつての社会党、民社党の人もいれば、
鳩山さんのように憲法改正をと言う人もいる。
民主党は共産党と協力したこともある。
共産党は綱領を変えないと言っている。天皇制を認めないだろうし、
自衛隊は解散だろう。日米安保も容認しないだろう。
そういう政党とどうやって日本の安全を、日本の国体を守ることができるのか、
わたしはおそらく民主党は困っていると思う。
民主党は到底過半数を取れない。
共産党と組む政党が責任を持って政治をできるのか。

***


いかがでしょうか?
この演説の、どこがどう問題なのでしょう?
この時の「国体」は、あきらかに「国家体制」の略です。
ちなみに田中真紀子さんが、総選挙後のインタビューで
国体を連発してました。
その後に、真紀子さんはマスコミに叩かれましたでしょうか?
国家体制を誰がどう略しても、国体にしかならないのです。
そういう言葉の揚げ足をとって、人の資質を問うのは
そろそろ止めにしたいものですね。

ちなみに「国民体育大会」を誰がどう略しても「国体」ですね。

じかん● Fri Aug 25 19:14:17 Japan 2000
おなまえ●しんぺい
メッセージ● 発言者の要望で管理者により一部削除

じゅんこさんへ
ヴルピッタ・ロマノ先生は、
兵士となって戦争に行って、死んで英雄になってこい。
とは、ひとことも言っておりませんよ。
そういう捉え方しか出来なかったんですね。
とても残念です。


じかん● Fri Aug 25 19:06:09 Japan 2000
おなまえ●しんぺい
メッセージ●発言者の要望により管理者削除


じかん● Fri Aug 25 18:19:29 Japan 2000
おなまえ●じゅんこ
メッセージ● ヴルビッタ.ロマノフさんですか。

もし、この方の提言に我息子が感化されたら...。
そして戦死して、英雄として奉られたら...。
私はロシア原子力潜水艦「クルクス」の乗組員の母親のように、彼に対し激しく憤り非難するでしょうね。そして、「お注射よ」とばかりに鎮静剤で「口封じ」されるんでしょうね。


じかん● Fri Aug 25 17:03:30 Japan 2000
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 日朝国交正常化交渉と経世会

じゅんこ様と同年代である私も、体力と気力の限界を切に感じる身の上で、生き馬の目を抜くようなIT革命社会からの引退と隠遁を願っている竹林清風切望的帰去来田園居士なのですが、逆にまた老いの一徹と言うか、こういう抜き差しならない局面に立ってくると、自分でも信じられないような文筆生産力のエネルギ−とパワ−が迸ってきたりもします。蝋燭の最後の炎かもしれませんが。


7月に南北首脳会談があり、それを契機にずっと韓国の国号問題について東アジアの近代史を溯って論じて参りました。今回、ようやく日朝国交正常化交渉というものが再開されて、その様子がテレビのニュ−スで流れていました。この掲示板でも話題になった外務評論家の岡本行夫が、昨晩ニュ−スステ−ションに出演してコメントを出していました。

岡本行夫のコメントは、簡単で分かりやすいものでしたが、ちょっと中身が薄弱と言うか、専門のアナリストなんですから、もっと多角的で深い分析視角を視聴者に提供して欲しかったなという感じがしましたね。最後に「北朝鮮問題についての日本政府の原理原則って何ですか」と訊ねられて答えられなかったところも印象的でしたが..。

さて、少し政治評論的な見方になりますが、私の見方を出してみましょう。

今回の日本での再開日朝交渉は、野中広務幹事長と河野洋平外相という、これ以上ない政治環境が日本側に準備されたために何とか実現できたもので、この条件がなかったらおそらく開催されてなかっただろうと思われます。この権力構造が崩れれば、また当分開かれなくなるだろうと思いますね。岡本行夫が言ったように、日本は交渉を急ぐ必要はないでしょうが、北朝鮮もそんなに急ぐ必要はないわけです。

日本からの「日韓条約方式での経済支援についての言及」というのも、政府間交渉では、多分これが初めての出来事だと思います。おそらく野中幹事長の決断と指示によるものなのでしょう。つまりですね、北朝鮮も外務省も急いではいないけれど、交渉の妥結を急いでいるのは、現在の日本の実質的な最高権力者である野中幹事長だということです。彼の熱意によってとりあえずここまで交渉が局面展開したわけです。

私の予測ですが、野中幹事長は北朝鮮の出方を見て、今後さらに交渉を急がせることでしょう。自分が権力の座に就いている間に北朝鮮と国交回復しようとするでしょう。さらに突っ込んで言えば、次かその次の交渉テ−ブルで、彼は自分の政治的生命を賭けて、日本人拉致問題についての棚上げすら決断するかもしれません。そういう決断ができる男なんですね、野中は。それがいいと言っているわけではありませんが、そういう政治的悲願と決意を持っているということです。確固たる悲願や決意を持っている政治家というのは日本ではほとんどいませんから、それが彼の強さの秘密でもあるわけです。

日朝国交回復は、実はあの経世会の首領であった金丸信の政治的宿願(野望)でもありました。そして今回の経済支援の提案は、10年前に金丸信が訪朝して当時の金日成に口約束したと言われている話(「1兆円出すぞ」)が下敷きになっているようにも思われます。だから、日朝国交回復は、経世会が継承している積年の政治的悲願でもあるわけです。

確かに野中幹事長が北朝鮮問題について並々ならぬ情熱と関心を持っていることはよく知られた事実なのですが、この経世会の悲願の継承というのは、これは多分、溯って田中角栄に由来するんだろうと私は思いますね。つまり、田中角栄が、経世会の子分の連中に、

オレは日中国交回復を果たした。中国でオレは「最初に井戸を掘った恩人」として歴史に残ることになった。今度は弟子のお前らが日朝国交回復をやってみろ。

と、そう言っていたんじゃないかと思うわけです。経世会というのは親分を中心に一枚岩で一致団結する体育会系の派閥でしたから、その田中角栄の遺言が派閥の神聖な政治的宿願になったんじゃないかと。まあそんな具合に私は推測しているわけです。金丸信も、野中広務も、これはオヤジの遺言だったから俺が生きている間に何としても仕上げようと考えたのではないでしょうか。

日朝国交回復とそれから北方領土返還ですね。田中派、経世会というのは、土建屋公共事業バラマキ軍団なんですが、実は、意外にも外交面で大きな貢献と言うか、実績を残しているのです。外交面では志の高さを誇っている派閥なんですね (内政面では滅茶苦茶な金権腐敗ですが)。2000年までに日露平和条約を締結するというあのクラスノヤルスク合意を実現したのは、他ならぬ経世会の橋本龍太郎でした。

日朝国交回復も北方領土返還も、日本の長い戦後史を貫く重要な外交課題であり、また事を急ぎ過ぎてもあまりよい果実は得られないのでしょうが、しかし、やはりそれを前へ進めようという人間の強い意志が働かない限り、絶対に最終的な問題解決にはいたらないのですね。前へ進めるのが職業としての政治家だということです。

じかん● Fri Aug 25 16:11:25 Japan 2000
おなまえ●しんぺい
メッセージ● 発言者の要望により管理者削除


じかん● Fri Aug 25 16:09:33 Japan 2000
おなまえ●しんぺい
メッセージ● 発言者の要望により管理者削除

じかん● Fri Aug 25 14:24:02 Japan 2000
おなまえ●遼太の父
メッセージ● ジェ−ムス三木

今朝の朝日新聞の「神の国」の特集面を見ながら思ったことですが、ちょっと話が変りますけれど、ジェ−ムス三木の『葵−徳川三代』ですね。ジェ−ムス三木ってただものではないなという感じを、最近ひしひし感じるわけです。

ドラマそのものは、関ヶ原が終わってから、予想した通り、サッパリ面白くないんですが、それでも毎回何らかの充足感が私には残っていて、その充足感の正体というのが、思想史的な問題の発見なんですね。例えば、家康が徳川幕藩体制を固める際に、天皇と朝廷の政治的ポジションをどのように処理し、リニュ−アルして行ったのかとかですね。それから、先週出てきた神号論争問題ですね。イデオロギ−問題であると同時に天海と崇伝の生臭い権力闘争ドラマでもあったわけですが。

そのあたりがとても面白いわけです。歴史に詳しくない私としては、実際のところ、毎回おおいに収穫があって勉強になるんですね。戦国から江戸に移行する時期、近世初頭の仏教と神道のイデオロギ−的確執と権力サイドからの秩序づけの問題とかですね。先週の番組の中の説明では、鎌倉移行、互いに分離して純化する傾向にあった神道と仏教を、天海が徳川幕府の政治の論理で、再び古代の神仏習合へと牽引したように説明されていました。うむっ、なかなか面白い思想
史認識と解釈ではないかと感心して見てしまいました。なかなかテレビドラマでここまでの話は見せてくれません。

そう言えば、これに似た思想史問題の演出手法は、確か『八代将軍吉宗』のときもあって、儒教対仏教の教義対決という構図で、綱吉の前で荻生徂徠と仏僧が論争するシ−ンがあったように覚えていますが、(このときの綱吉は津川雅彦)このあたり、ジェ−ムス三木のただものでないところを感じるわけです。この男、近世日本思想史を相当突っ込んで勉強していて、専門研究者並みの知識と関心のストックを持っていますね。

朝日新聞で不破哲三が語っていたように、家康がその気になれば、天皇家と朝廷は簡単に潰されて、歴史から抹殺されていたということですね。生きていれば実際にそうしたに違いない織田信長、逆に天皇の臣下になることによって権力を操縦した豊臣秀吉、家康の場合はその中間形態。政治上の権力は全部剥奪して、伝統儀礼の様式を大名支配の道具のために使う巧緻なやり方。
いろんなことを想像させられて面白いんです。

ジェ−ムス三木。この男、きっと何年か後に、徳川三部作の完結編を大河ドラマで書きますね。幕末編をやるに違いない。完結編は徳川滅亡のドラマです。そしてそのときのキャスティングも、きっと津川雅彦と西田敏行ですよ。同じファミリ−でやるでしょう。女優は岩下志麻と小川真由美ですかね。還暦コンビ。そして今度は、尊皇攘夷のイデオロギ−、水戸学と国学にスポットが当てられることでしょう。楽しみだなあ。
じかん● Fri Aug 25 10:44:59 Japan 2000
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 自然豊かな田舎へGo

と、移住したいと思っても、現実には食っていくために生計の方途を探さなければいけないわけで、資産家の身分でもないかぎり、そう簡単に出家や隠居はできないわけですね。転職をしないといけません。で、さてどうしたらいいかなと、ずっと思い悩んでいたわけですが、なるほど、インタ−ネットというのはとても役に立つものです。ありがたいですね。

伊勢神宮の神宮司庁に転職なんて最高ですね。海もあるし山もある。私の好きな京都や奈良にも近い。ちょっと夏暑いかもしれないけれど。いきなり伊勢神宮でなくても、まず代々木の神社本庁に特別採用で入れてもらって、そこから田舎の神社庁に配属してもらってもいい。熊野でもいいし、諏訪でもいいし、宇佐でもいい。学生時代に書き上げた国学研究の論文を手直しして提出して、それから21世紀の東洋世界に再び国家神道を伝播させるための新しい八紘一宇戦略の献策でも準備しておきましょう。

こういうご時世で、日本中が発狂状態で、「神の国」やら「普通の国」が大好きな人たちが盛り上げてくれますから、この方面は、これから商売繁盛間違いなしじゃないかな。憲法改正でもしてくれれば、戦前同様に神職は公務員。リストラの心配もなく退職金も年金も安心。うまく幹部にでもなっていれば国家公務員上級職ですね。これはいい。早速、綿貫民輔か高市早苗あたりの事務所に陳情相談しに行ってみましょうか。白地に赤丸のTシャツの正装が必要ですね。


それが駄目なら、とっておきの手段、陸上自衛隊への志願入隊でしょうかね。豊かな自然のある静かな田舎。希望としては北部方面隊の第七師団(東千歳)か、第5師団(帯広)ですが、北の方はすっかり緊張がなくなってこのところリストラ傾向で残念。これから需要が盛り上がるのはやはり西部方面隊でありましょう。第4師団(福岡)か第8師団(熊本)。

日本を「防衛」するために、昔と同じく半島と大陸に作戦しに行かせてもらうわけです。神聖で崇高な任務です。「神の国」や「普通の国」が大好きな人たちが、半島大陸からの軍事脅威を未然に防ぐべく、いっぱいお仕事を与えてくれることでしょう。防衛庁もすぐに省に格上げになりますし、西部方面の防衛予算はたっぷり増額。装備人員とも大幅拡充間違いなし。それでもって、またぞろ大陸で侵略戦争をおっ始めて死んでも、「お国のために戦って死んだ英霊」になって、靖国神社に祭り上げてもらえます。日本国民として最高の名誉です。

自衛隊入隊に備えて体でも鍛えておきますかね。憲法改正でどうせ徴兵されるんだろうから、先に志願入隊しといた方が格好いいだろうし、国家への忠誠心を買われて階級も上げてもらえそう。と言うわけで、私の東京脱出作戦プランの完結。自然豊かな田舎へGo。

まず神社、それがだめなら自衛隊。
じかん● Fri Aug 25 9:23:24 Japan 2000
おなまえ●じゅんこ
メッセージ● 訂正 臭い者ー臭い物 失礼しました。
じかん● Fri Aug 25 9:12:23 Japan 2000
おなまえ●じゅんこ
メッセージ● 若い方へ少し質問があります。

戦争というのは「負」の遺産ですよね。
勝った国であろうが負けた国であろうが、翻弄され悲惨な犠牲者になるのは一般市民ですよね。

私も遼太の父さんと同じ年代でして、最近自分の気力、体力の限界を感じつつ、あと何年の命かな、などと考える歳になりました。若い方から見たら、先はうんと短いわけです。嫌な事、面倒な事、見ずに済むものなら「臭い者に蓋」の心境でおもしろ楽しく暮れて行ったらどんなに楽でしょうね。

「負」の遺産を「正」の遺産に昇華することは、できない事でしょうか。

「負」の遺産を「負」の遺産のまま受け継ぐ事が、戦争の犠牲になられた自国、相手国の方々への本当の意味での鎮魂になるでしょうか。そして、これからの若い方々が受け継ぐべき道なのでしょうか。




じかん● Thu Aug 24 18:44:02 Japan 2000
おなまえ●しんぺい
メッセージ● 1996年【産経抄】より

「この中に一番上のいとこや近所の床屋のおじさんが祭られている」。
だから今日は会いに来たといった橋本首相の靖国神社参拝は、至極あた
り前の行動だった。国に殉じた英霊の祭祀は国の根幹だからである 
▼参拝はどういう身分でしたのか、私人か公人かという愚問がまたも
発せられたらしい。
「もうそういうことで国際関係をおかしくするのはやめよう。
質問じたいがばかげている」と答えたというのも正しい。
「公的がなぜ悪い」と答えればなおよかった 
▼評論家・田中正明氏の調査では、このばかばかしい質問の慣習は、
昭和五十年八月十五日、ときの三木武夫首相の参拝から始まったそうだ。
三木さんが世論にこびて「私の参拝は公式参拝でなく、私的参拝である」
と発言してからだという 
▼靖国神社の公式参拝は被占領直後の昭和二十年十月の幣原首相いらい、
歴代首相がつづけてきた。中曽根首相もそうだったが、A級戦犯うんぬん…
という北京政府の内政干渉が入るや一転して取りやめてしまった。
いらい歴代首相は“触らぬ神にたたりなし”とばかり右へならえして
責任を放棄している 
▼しかしA級合祀の後の五十四年春の例大祭に大平首相は参拝した。
同首相はクリスチャンだったが記者団の質問にこたえて
「人はどう見るか、私の気持ちでまいるのだから、批判はその人にまかせる」
といった。北京はこれに対し一言も口をさしはさまなかった 
▼靖国問題の根本は、総理大臣として信念があるかどうか。
たとえ一部マスコミが騒ぎ立てようが、その信念をきちんと内外に表明
できるかどうかだろう。それができれば、近隣の懸念や波紋もおのずと
おさまるのである。


ほんの20年ほどまでは、当然の行為が
当然なもののして行われていたようです。
早く、またそのような時代がくるようになればいいですね。


じかん● Thu Aug 24 18:41:48 Japan 2000
おなまえ●しんぺい
メッセージ● こんにちわ、
政教分離について、です。
政教分離とは、何をもって分離か、何の為の分離かということを
考えなければならないと思います。
憲法より。

第二十条 [信教の自由、国の宗教活動の禁止]

1:信教の自由は何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、
  国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
2:何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
3:国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。


第八十九条 [公の財産の支出利用の制限]

公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、
便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは
博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。



イギリスでは英国教会を、もともと国教としていて、
イギリスの女王自身、英国教会の首長です。
マレーシアではイスラム教を国教としています。
アメリカ大統領の就任式は、ミサ形式で行なわれ、牧師立ち会いのもと、
聖書に手を乗せ宣誓します。もちろん就任式は国費で運営されているから、
キリスト教牧師への報酬も国費です。
で、アメリカの戦争で死んだ兵士を弔ってあるワシントンの、
アーリントン墓地、はキリスト教式のもので、国営管理され、
米国会議員たちは、よく参拝しているらしいです。
ドイツには宗教を党名にまで盛り込んだ政党「キリスト教民主同盟」があり、
同党は連立により、現在政権党のようです。
これらの国々では、もちろん国民の信仰の自由が保証されています。
果たしてこれらの国々では、政教分離が、なされていないのでしょうか?
日本の憲法の政教分離を謳っているのは、アメリカ仕込みであり、
そのアメリカも、もちろん政教分離が憲法にしるされています。
で、僕は政教分離は、以下の事が守られていればよいと思うわけです。

国民の信仰の自由が守られていること。
国の政策を、とある宗教に基づいて行わないこと(特に外交など)
とある宗教団体に対し、不当な差別等を行わないこと。

これらされ守られていれば、たとえ国がその国の儀式を、
とある宗教に基づいて行っても、なんの問題もなく、
政教分離は行われていると思うわけです。
20条にも違反はしてないと思います。
よって、石原都知事を含め、閣僚らの公人としての
靖国神社参拝は、なんら問題はないわけです。
そこで支払う玉ぐし料に関しても、以前、最高裁で違憲の判決が
出ましたが、89条の解釈次第では問題ないとも思うわけです。
で、靖国への参拝が憲法違反だと言われるならば、
小渕元総理の葬儀を内閣葬としたことも違反だし、
もしどこかの公立の学校や公立の機関でクリスマスパーティーなどが
行われたりした時も憲法違反なわけです。
ものすごい極論を言うと、神道の行事に基づいている、
元旦や子供の日、春分の日、秋分の日を祝日に設定してるのも、
憲法違反の疑いもあるわけです。

我が国を守る為に闘い、そして死んでいった我が祖先達が
奉られている靖国を、国の為政者が、国民の代表として
公人として公式に参拝することは、当然の行為であり、
憲法違反でもなんでもなく、反動的な行為でもないわけです。
他の国がその事に対していろいろと言ってくる行為は
明らかに内政干渉なわけで、その行為自体はあきらかに
おかしいわけです。

当然の行為が、当然なものとして、なんの問題もなく
いつか行われるようになることを、僕は日本人として
強く望みます。


じかん● Thu Aug 24 12:44:38 Japan 2000
おなまえ●遼太の父
メッセージ● じゅんこ様、

おひさしぶりです。お帰りなさいませ。

私も、この夏休みに四万十川で水浴びをしてからですが、真面目に移住(東京脱出)を考えるようになりました。もう、私のような老骨では、IT革命とe-Businessのグロ−バル資本主義の競争社会に身をさらして、心身をすり減らすのは困難だなと感じてしまった次第です。

負け犬と言われようが、後ろ指を指されようが、心と体の静養と安定のために、豊かな自然のある静かな田舎に引越しをしようかなと思い始めました。森があり清流があり美しい田園風景があるところ。そういうところで陶淵明的な余生を送りたいなと..。隠居と言うか、出家と言うか、そういうタイミングを感じますね。

まあ、東京には、神田の古本屋街があって、趣味的にはとてもいいところではあるんですが、環境からくるストレスの重圧をはね返すには、やはり30代までの強靭な体力と身体的精神的若さが必要なのだと思います。年寄りには過酷で疎外的な生活空間ですね。この環境のなかで年をとるのは、どうもちょっとキツい感じがいたします。
じかん● Thu Aug 24 11:42:53 Japan 2000
おなまえ●遼太の父
メッセージ● めぐみ様、

>ドイツでは国民自身が戦争責任を考え、自分たちの手で裁判をして
>いると賛美されています。しかしそれも、じゅんこ様に勧められた
>「朗読者」を読んだあとでは、裁かれた者に必ず責任があったのか
>と疑問を持ってしまい、かなり混乱しています。

私は、詳しいところは、不勉強でよく理解していないのですが、明らかに言えるのは、ドイツが第二次大戦のときに侵略支配した周辺諸国、西のフランスや東のポ−ランドですが、それらの国がドイツの国家と国民の戦争責任問題について、謝罪や補償が不十分であるとは主張していないということですね。これは明らかに言えることでしょう。ドイツ国民の戦争責任の姿勢や対応について、納得的に了解しているように私には見えます。

少なくとも、日本のように周辺諸国から批判や非難が繰り返し投げつけられるという状態ではないですよね。ナチスドイツがポ−ランド国民に対して行った戦争犯罪というのは、日本軍が中国に対して行ったそれと同じく、きわめて残虐でで非人道的で許し難いものだったと思いますが(たしかポ−ランドでは前人口の25%が殺されたはず)、ブラントとシュミットの献身的で精力的な東方外交の努力によって、ドイツはポ−ランドと戦後に友好関係を築き上げています。

少なくとも、ポ−ランドの新聞や政府が、ドイツの戦争責任を繰り返し糾弾するというような事実はありません。それはやはり、日本とドイツの謝罪と補償のあり方の違いから来るものと考えてよいのでしょう。日本では政府が村山談話を出した後で閣僚が堂々とそれを否定する発言をしたり、天皇が遺憾の意を述べた直後に閣僚がそれを覆す暴言を吐いたり、何度も同じ事を繰り返しているわけで、要するに国論として戦争責任に対する反省の態度が定まっていないわけです。侵略したという事実の認識ですら「そうじゃない」と言い張っている連中がいっぱいいるわけです。被害者意識だけがあって、加害者としての責任の自覚が欠落しているわけですね。

日本の国論が定まるまでは、つまり保守系閣僚の暴言とか、そういうものがなくなるまでは、何度でもトラブルが起き続けるでしょうし、トラブルが起き続けるたびに、外務省は尻ぬぐいの一時的な謝罪コメントを発表し続けることでしょう。要するに謝罪に心がこもっていないわけですね。


ついでに靖国神社の公式参拝問題ですが、石原慎太郎がテレビ局の記者に対して、

「そんなもの、公人も私人も区別する必要はないだろう、まだそんなこと
言っているのか。それじゃ訊くが公式参拝して何が悪い、教えてくれよ。」

と言っていましたが、それに対してマスコミの誰も反論したり解説したりしませんでした。石原慎太郎も大問題ですが、反論しないマスコミというのは一体なんだろうと思いましたね。大学で何をお勉強したのでしょう。憲法を履修した人間は一人もいないのでしょうか。センスがないと言うか、ボケでいると言うか、頭が悪いと言うか...。

憲法が政教分離を定めているから、憲法にその規定があるから、代議士や首長が、まして閣僚が、神社を公式参拝してはいけないんですよ。しかも靖国神社はただの神道の神社じゃない。国家神道の神社です。江戸時代まではあんなものは影も形も無かったわけです。そこに参拝するのは憲法違反の行為です。現行憲法が、戦前の超国家主義的な天皇制支配と侵略戦争に対する反省から、政治権力が特定の宗教と、なかんづく国家神道のイデオロギ−と結びつくことを徹底的に警戒して禁止したこと、これは常識の範疇ですね。

閣僚は、だから靖国神社だけではなくて、明治神宮に参拝することも問題だし、またキリスト教の教会に拝礼することも原理的には憲法違反行為であるわけです。ただし、同時に(石原慎太郎が言ったように)すべての日本国民は思想信条および信仰の自由を持つわけで、閣僚も国民の一員ですから、当然ながら信仰の自由を持つことになります。

だから、公人私人というのは、まさにその憲法上の矛盾する二つ原理を調整するための考え方であって、私人としては信仰の自由に従ってよいが、公人としては政教分離の原則に従いなさい、という憲法判断なのですね。公人私人の区別が、どのように無理があって無意味に見える区分で
あっても、そこには憲法上のきわめて微妙で重要な解釈と運用があるわけです。何で、誰も、石原慎太郎に対して、そう言い返さないんでしょうね。公人私人には意味があるんですよ。
じかん● Thu Aug 24 10:01:03 Japan 2000
おなまえ●じゅんこ
メッセージ● 遼太の父様

お見送りいただき有り難うございました。お蔭様で天候にもめぐまれ、情緒豊かな街、そして司馬文学の世界に浸ってまいりました。食べ物は美味しくて、風光明媚で、空気きれいで風はさわやか。夜間のライトアップされた街の美しさ、函館山から見た街の夜景と海の漁り火と、澄んだ夜空に一際光る月と星々のおりなすロマンあふれる絶景。うーん、帰りたくなかった。
私の住んでいる地方では、昨日の気温は37.9度、今日は36度まで上がるそうです。キビシイ。函館に移住したい・・・本気で思う今日このごろです。

ところで、「菜の花の沖」は12月にNHKで放映されるそうですね。
高田屋嘉兵衛の役は竹中直人らしいですが、私のイメージとはちょっと違い残念です。







じかん● Thu Aug 24 9:28:54 Japan 2000
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 秀吉のキリスト教禁止政策

昨夜、NHKの日本史番組『そのとき歴史が動いた』で、秀吉によるキリスト教弾圧の件が放送されていました。6月に、この掲示板で信長論のお話をしたことを思い出しました。

>でも、信長が天下をとって家康のように幕府をひらいていたら。
>せめて信長の意思を継ぐ人物が政治を行っていたら、鎖国もな
>く、キリスト教廃止もなく、もっと早く日本は近代国家になってた
>かもしれませんね。(Wed Jun 7 15:28:33 by よしえさん)

番組の最後で、その24人の殉教者を悼んで建てられたイタリアの教会の様子が紹介されていました。当時のヨ−ロッパ、カトリック教会にとって、この弾圧事件は相当に衝撃的で象徴的な事件だった、つまり国際的な大事件だったんですね。

フェリペ2世が死に、無敵艦隊が英国に負けて、スペインは急速に衰えてゆき、英蘭仏などの新興国に世界の覇権を奪われてゆくわけですが、それはまた同時にカトリックの世界伝播のタ−ニングポイントでもあったということでもあります。極東の日本まで来て、そこで挫折したということでしょうか。

いずれにしても、宣教師によるキリスト教布教というのは、ヨ−ロッパによる非ヨ−ロッパ地域の植民地化の一環であったことは打ち消し難い事実であり、非ヨ−ロッパ地域においてキリスト教化された諸国というのは、例外なく植民地化されて、20世紀までの長い間ヨ−ロッパに支配統治され続けることになります。

アジアにおけるその典型がフィリピンで、近代国家化などとは全く逆の従属状態が延々と続くわけですね。これまでの研究から言えば、スペインが行った植民地支配の方式というのは、いわゆるエンコミエンダ、古代ロ−マの大土地所有制の復活・複製であって、つまり、ラテンアメリカやフィリピンの原住民を古代ロ−マの奴隷に擬してプランテ−ション経営を行ったということになります。

したがって、キリスト教廃止をしなかったから日本の近代国家化が遅れたのではなくて、逆に、キリスト教を禁止したから植民地化を免れて、後に独自の力で近代国家化を達成することができた、と考える方が歴史認識として妥当でありましょう。

秀吉および徳川幕府のキリスト教禁止措置に対する歴史認識が、よしえさんのような傾向を帯びるのには理由があって、一つは、戦前戦中の狂信的な超国家主義の時代に、キリスト教も含めた信仰の自由が完全に奪われて、「神の国」イデオロギ−一色に染め上げられたことに対する反省、その反省意識の戦後教育への投影という問題がありますね。

もう一つは、さらにさかのぼって、近代国家として出発した明治政府そのものが、文明開化、脱亜入欧の動きの中で、徳川幕府による鎖国とキリスト教禁止を野蛮で前近代的で非文明的な行いとして否定的に見たということがあると思います。実際に明治国家の近代化においてキリスト教というのは非常に大きな働きをしていて、特に教育面における貢献というのは実に絶大と言えるでしょう。

同志社大学、立命館大学、関西学院大学、東京女子大学、明治学院大学、津田塾大学、上智大学、、名だたる私立大学の多くがいわゆる「ミッション系」としてキリスト教の思想を建学精神の基礎に据えて出発していますね。今の若い人たちはどうかわかりませんが、私みたいな中年世代の人間は、ミッション系とかキリスト教系の学校と聞くと、何だかとてもハイカラで、上品で、ハイソサエティなイメ−ジがします。特にミッション系の女子校などと聞くと、清楚で気品のあるお嬢様のイメージを連想して何となくロマンティックな気分になったりするものです。

そういう思想的環境、気分的状況の中で、秀吉・徳川幕府のキリスト教禁止弾圧に対する否定的な捉え方が一般的、支配的になったのではないかと、そう思うわけですね。
じかん● Fri Aug 18 23:21:50 Japan 2000
おなまえ●中本
メッセージ●   字の訂正です。迷惑千万でした。
じかん● Fri Aug 18 23:09:13 Japan 2000
おなまえ●中本
メッセージ●  戦争について考える時、常にわが国は敗戦処理をきちんとしてないじゃないかと私は思ってました。しかし、一応相手国に対しては為されているのですね。とすれば、さほど卑屈にならずに
ゆっくり考えようかと思うようになりました。しかし、負ける戦争なんかやるもんじゃないよ。迷惑千番だ。 
じかん● Thu Aug 17 19:21:52 Japan 2000
おなまえ●めぐみ
メッセージ● 雑誌「望聖」最新号の「戦争」特集を読んで、私は「戦争を語り継ぐ」というのは被害者体験記を語ることと思っていたことに気が付きました。祖父母らが語る話は被害者側の苦労話なのですよね。体験記を越えて日本の戦争責任を含め大局的に戦争を次世代に伝えるとなると、ますますもってわからなくなります。よく引き合いに出されるドイツでは国民自身が戦争責任を考え、自分たちの手で裁判をしていると賛美されています。しかしそれも、じゅんこ様に勧められた「朗読者」を読んだあとでは、裁かれた者に必ず責任があったのかと疑問を持ってしまい、かなり混乱しています。
こんな風に真面目に考えれば考えるほどわからなくなるのは、とりもなおさず戦後半世紀の間、この国で戦争を吟味してこなかった結果なのでしょう。私の意見をまとめるにはまだ時間がかかりそうです。
じかん● Thu Aug 17 12:57:20 Japan 2000
おなまえ●遼太の父
メッセージ● NHKの終戦記念日特集番組 (3)

NHKの番組のなかで、岡本行夫が少し気になる発言をしていました。岡本行夫は外務官僚(たしか北米局長)の出身で、天下りして外務コンサルタントになり、評論家としてマスコミで活躍した後、あの沖縄米軍基地の問題解決のために梶山静六が作ったプロジェクトSACCO(サッコ)
の主要メンバ−をつとめました。プロジェクトは失敗でしたが。

要するに、日本がどんなに頑張って平和を主張しても、平和はいつ破れるかもしれない。平和が破れた時のことを国家は考えなくてはいけない。防衛のための軍備は必要であり、日本は率先して武装した軍隊をPKFとして派遣するべきである。そういう話でした。

一見もっともに聞こえる話ですが、平和憲法を遵守する義務を持つ外務省の国家公務員出身者にしては、ずいぶん思い切った発言をしたものだと思います。彼は戦争論のところでは、国際法の遵守に関してかなり厳正で堅実な態度を示していましたが、国家の最高法規である憲法の遵守義務については、さほど配慮していないように見えました。

外国に侵略されたときに丸腰でいいのかとか、平和憲法の非武装の理念は空想的でリアリズムがないという話は、ずっと昔からあって、古くて新しい議論ですが、私なりに岡本行夫の議論に反論を試みてみたいと思います。

(1)現実的実績

一つは、55年間、戦後日本が間違いなく平和を保持してきたという事実ですね。戦争をせず、戦争に巻き込まれず、半世紀を無血で過ごしてきた事実があります。この平和な半世紀は非武装原理の平和憲法の体制の下で送ってきたものです。日本国憲法の前の大日本帝国憲法の時代の日本は、大規模な戦争(しかも多くは侵略戦争)を続けざまにやっていたわけで、国家の性格自体が平和よりも戦争にシフトした体制でした。

この平和憲法が評価されて、佐藤栄作が日本国民の代表としてノ−ベル平和賞を堂々受賞しました。この憲法が米国による押し付けであるかどうかは別にして、平和憲法を守ることを通じて平和を守ってきた日本人の半世紀の営みは、国際的にも歴史的にも評価されてきました。55年間平和を守ってきた憲法なのですから、そろそろその現実的有効性を理論的に認めてもよい時期なのではないでしょうか。

(2)侵略と防衛

もう一つは、防衛のための軍備は必要だと誰しも言うのですが、防衛のための軍備は本当に防衛のために使われるのかどうかという問題です。これは防衛という言葉の定義にもかかわる問題
です。国家が防衛と言うとき、国民であるわれわれはそれを外国の侵略から国民の生命や財産を守ることを意味するのだろうと考えます。しかし国家の論理での防衛というのは、歴史的に往々にして国民の生命・財産の防衛ではなく、国益の防衛であることがほとんどであり、国家体制の防衛であることがほとんどです。

戦前の日本軍は、満蒙防衛は帝国経営の生命線であるなどと言って満州事変を起こしました。満州への軍事侵略は防衛戦争だと説明、宣伝され、国民もそう了解、判断したわけです。あらゆる侵略戦争は国家防衛を口実にします。たとえばの話ですが、竹島はいま日韓で領土帰属が紛争状態になっていますね。日本側からすれば、島根県の一部である竹島に韓国軍が上陸して占領統治することは、明らかに侵略行為であり、そしてそれに対して自衛隊を差し向けて武力で韓国軍を排除することは防衛行為でしょう。しかし韓国からすれば、それは明らかな日本による侵略であり、韓国に対する宣戦布告も同然の軍事事件です。尖閣列島における日中関係も同様です。

微妙な国際関係と情勢のなかで、侵略と防衛とは、国際的・客観的に一線を画し難い紙一重の問題になります。防衛はいつでも侵略になり、侵略は常に防衛の言葉で正当化され神聖化されます。だからこそ、そのアポリアを一気に問題解決する考え方として、武力による国際問題の解決の放棄というラディカルな平和憲法の原理が生まれたわけであり、その実験を戦後日本が担当することになったわけです。これまでの半世紀間を見れば、ともかくも実験は成功してきました。武力の放棄という絶対平和原理の国家経営こそが、経済的繁栄をもたらすのだという「定理」を世界史に築いたということです。

(3)中国の軍拡

三つ目は、最近の議論で、北朝鮮のテポドンとか中国軍の軍備拡張に対する対応として自衛隊の防衛力(戦力)を強化する必要があるという議論の問題です。北朝鮮については論外で、日本に戦争を仕掛けるということは同盟国である米軍と正面戦争することを意味します。北朝鮮は軍事カードを切り札にして経済支援を引き出す外交交渉を繰り返しているわけで、本当に対米戦争に突入してしまったら元も子もありません。

最近の中国の核開発を含む軍拡状況は、アジアの平和を危うくする要素として批判的に対応しなければいけないでしょうが、しかし中国の立場に立って考えれば、アジアにおける最大の軍事的脅威は、アジアで最高最強の装備を持つと言われている日本の自衛隊ではないでしょうか。そして何と言っても、日本軍は一度徹底的に中国大陸を侵略し、蹂躪しています。その記憶は彼らにおいて鮮明であり、また、自衛隊が潜水艦や攻撃機などの装備をどんどん充実させてゆけば、当然、軍事力の均衡を維持する目的で、人民解放軍も軍備を増強させるでしょう。国防上それは当然の論理です。

日本の右翼的論調は、中国の軍事力増強を自衛隊の軍備増強の口実にするわけですが、向こうからすれば事態は逆だということですね。そしてかつての米ソの冷戦の構図のように、互いの「防衛」のための軍備拡張が延々とイタチごっこで続いてゆくことになります。岡本行夫はこのことをどう考えているのでしょう。この軍拡競争のアポリアを根本から問題解決するためには、結局のところ、どちらかが軍備を放棄するという決断をするしかありません。そういう意味でも平和憲法の非武装主義は国際社会の中での平和をめざす国家のあり方として、現実的に有効であると言えるように私は思うわけです。
じかん● Thu Aug 17 9:31:43 Japan 2000
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 「戦争を語り継ぐ」ということ

お二人の議論を興味深く拝読させていただいておりました。私自身が考えたところを簡単に申し述べたいと思います。私は、戦争について語り継いでいくということは、われわれの世代にとってそれほど困難なものだとは思っていないところがあります(間違った考えかもしれませんが)。それともうひとつ、戦争について語り継ぐということは、何もわれわれが祖父母や父母から聞いた戦争の直接体験を、そのまま口移しで子や孫に伝承することでもないと考えています。

戦争について語り継ぐということは、たとえば、戦争についての議論に参加する、という具合に置き換えて捉えてもいいのではないかとさえ思います。そう考えれば、少なからず気分は楽になるのではないでしょうか。

一般に「戦争について語り継ぐ」という行為のイメージは、徴兵とか、空襲とか、食糧不足などで自分や身内の人が被害を蒙った苦しい体験を伝えるか、当時の厳しい社会状況を伝えるとか、そういうことが中心だと思います。もちろんそのことは重要で、われわれは直接の戦争体験を持っていなくても想像力の力でそれを再構成して、つまり追体験して、さらに次の世代にその追体験を要請してゆくべきなのだろうと思います。

しかし、仮にすぐにそこまでの主体性をもてなくても、戦争に関する議論というのは、われわれの周辺から途絶えることは決してないし、また逆に常に「戦争に無関心な個人」に対して、戦争について考えること、議論に参加することを要請し続けるに違いありません。戦争が終わって55年経ちますが、戦争についての議論は決して下火になっているとは思えません。

逆の意味ながら、その典型的な例が、あの小林よしのりの『戦争論』であり、また石原慎太郎知事の靖国神社公式参拝等の反動的な動向です。小林の『戦争論』の漫画を読んで、そこから戦争について考え始める若者たちというのも少なくない数いることでしょう。それはそれで、戦争について無関心のままいるよりも結構なことなのだろうと思います。あの主張をそのまま受け入れてイデオロギ−的に染まってしまわれては困りますが、戦争について事実や真実を自分なりに究明するために本を読んでゆくトリガ−になれば、それでもいいのではないかと思うわけです。

この10年ほど、ああした右翼的な侵略正当化の主張が勢いよく噴出してきたために、逆に戦争についての議論が活発になったような印象すら私は受けます。日本の政治現場や論壇で、侵略戦争を容認、正当化する議論が強くなればなるほど、韓国や中国の国民はそれに対して反発し、警戒する声を高めるに違いありません。波風が立つのであり、波風は必然的に日本国民一般に正面から戦争の歴史的事実に向かい合うことを要請します。

そういう意味で、あのNHKの番組は、構成が秀逸だったと思いますね。いきなり例の福井の兵士の日記の真実をドキュメンタリ−で出すのではなくて、はじめに戦争の解釈の問題について、戦争論について議論させておいて、そして戦争を知らない世代が戦争の記憶を残すということはどういうことかという方向で、サンプルを示す形であの日記へと持って行ったわけです。非常にいい構成的手法でした。
じかん● Wed Aug 16 21:59:27 Japan 2000
おなまえ●遼太の父
メッセージ● じゅんこ様、

函館ですか、いいですねえ、羨ましい。高田屋嘉兵衛と土方歳三の街、函館。司馬文学の準聖地でもあります。司馬遼太郎が桂浜の龍馬像と並んで賞賛している嘉兵衛の銅像がありますね。『燃えよ剣』の感動的なラストシ−ンを思い出します。朝市のウニ丼とイカソ−メン、たっぷり堪能してきて下さい。お気をつけて行ってらっしゃいませ。


じかん● Wed Aug 16 17:45:44 Japan 2000
おなまえ●じゅんこ
メッセージ● .めぐみ様
>全く戦争を知らない私たちが戦争を語り継がなければならない大人になって、何を伝えるべきなのかわからないのが正直なところです。

まったく同感です。
ここまで月日が流れ感覚も薄れてくると、日常生活の中で体温や肉声で語り継ぐという事はお手上げ状態ですね。そうして風化していくのでしょうね。
ただ、戦争を知らない世代の私達には私達なりの伝え方が有ると思うんですね。それを模索しな
ければと・・。今後、戦争を語り継ぐべき私達より若い世代への一つの指針にはなるでしょう。

じかん● Wed Aug 16 15:07:56 Japan 2000
おなまえ●めぐみ
メッセージ● じゅんこ様
北海道はやっと爽やかな夏になりました。どうぞ楽しんでいらしてください。

全く戦争を知らない私たちが戦争を語り継がなければならない大人になって、何を伝えるべきなのかわからないのが正直なところです。ただ、私たちの世代は祖父母や両親が戦前生まれですので、残り香をかすかながら覚えていますね。終戦記念日には祖母や母が稚拙な説明でしたが戦争のことを教えてくれて、黙祷するように言われたものです。最近は新聞の扱いも小さくなりましたね。たまたま私は昨日はあるショッピングセンターにいたのですが、正午に黙祷の鐘が鳴るわけじゃなし、うかつにも忘れていました。今、この日の意味を教える若い親はどのくらいいるのでしょうか。


じかん● Wed Aug 16 13:58:13 Japan 2000
おなまえ●じゅんこ
メッセージ● masato様 めぐみ様、明日から北海道は函館へおじゃまします。

函館へ行くというので、書棚の奥からそれらしき本をひっぱり出して読んでいます。
若い頃貪り読んだ亀井勝一郎の生誕地ですので、再度読み直していますが、「日本はアジアの中で、植民地の経験のをもたなかった唯一の国だ、同時に他のアジア諸国を植民地かしようとした唯一の国だ。アジア人としての連帯を実感しようとする時、わたしは憂鬱になる。どこへ行っても我々はまだよそものかもしれないのである。」のくだりは、30年以上前に書かれた訳ですが
何も進歩していないどころか、益々、不信感と軽蔑を募らせている様にしか見えないんですね。
途中読みでなんとも言えないのですが、吉田博司氏の「東アジアの思想風景」を読んでいますがこういった視点から日本という国、そして東アジア国家群をとらえ見つめ直す必要性を強く感じています。

昨日のNHKスペシャルはいい内容と思いました。若者に歴史認識や責任感が無いのではなく、
それを語り継ぐべき、私を含めて、大人の認識の甘さと狡さにあるのだと改めて感じました。
中坊公平氏、岡本行夫氏、貫戸朋子氏、それぞれ真摯に対峙していらして、こういうやり取りの姿勢から、次代が育まれていくのだなあと観ています。岡本氏は確か官僚出でしたよね。
それにしても民放のくだらなさ・・・。

じかん● Wed Aug 16 13:16:34 Japan 2000
おなまえ●遼太の父
メッセージ● NHKの終戦記念日特集番組 (2)

昨夜の番組の討論の途中で、フリ−タ−をしながら音楽を目指している若者に対して、ある男が、「そうやって職にも就かずに好きなことをやって、何も周囲から言われずに済むのが平和なんだ、君は平和で安定した国に住んでいるんだ、そういう平和を他の国の人にも齎そうと考えるのは当然だろう」と言って批判している場面が出ました。

そのときフリ−タ−の彼は、確か、「俺は日本が平和かどうか分からない」、「平和って何なのかよく分からない」と言っていましたね。

私は、フリ−タ−の彼を弁護するつもりはないのですが、日本人が思っているほど、アジアの人たちは日本を平和で安定した国だとは思っていないのではないかと考えています。日本人は日本の平和や社会的安定について、あまりにも自信過剰なのではないかと思うわけです。日本人が自信過剰に考えるほどに他の国は日本のことを平和であるとか安定しているとは評価していないはずなのです。

かつては、確かにその評価は万全で確たるものだったと思います。しかし、オウムの地下鉄サリン事件があった頃から、その評価は次第に変ってきているのではないでしょうか。日本はそれほど安全ではなく、日本はそんなに安定な社会ではない。客観的に見つめてみれば、その実相は
すぐに明らかになります。

学校での「いじめ」は、日本だけでなく先進国では一般的な社会問題であるようです。しかし、たとえば中国や韓国や台湾で、あれほど多くの自殺者を出すほどの広範で深刻な「いじめ」現象というのはあるでしょうか。中国や韓国の中学生たちは、日本の中学校の「いじめ」を一体どう思うでしょうか。日本のいじめはひどいものです。自殺とは言いますが、あれは殺人ですね。合法的殺人です。殺しをやっているわけです。日本の中学生というのは、つまりいつ自分が殺されるか分からない環境の中に身を置いているわけです。

その中学生がいじめられずに済んだならば、それは幸運というものです。いじめが発生しても、教師も学校も、見て見ぬフリをするわけです。いじめられる方にも問題があるなどと平然と嘯いたりもするわけです。警察だって助けようとしないわけです。その子が死ぬまで、自殺して事件になるまで、誰も見向きしないわけです。積極的にそれに関わろうとしないわけです。生きて助かれば奇跡というものですよ。

恐ろしい社会だと思いますね。そして17歳がガンガン殺人事件を起こして、15歳が一家皆殺しをやって、親が子を殺し、子が親を殺して、そういう事件が毎月毎週あたりまえのように起きるようになって、そういう社会が果たして平和で安定した社会だと言えるんでしょうか。

確かに、現在の日本は外国に侵略される危険はないし、国家間の戦争に直接巻き込まれる危険性もありません。そういう意味では(国際的な環境としては)平和でしょう。しかし日本の平和は明らかに内部から崩されようとしているし、日本の社会的安定は内部から崩壊しようとしています。内部の人間同士で、不信感を増幅させ、緊張して睨み合っているのであり、またそうせざるを得ないわけです。平和で安定した社会だなんて決して言えないですね。
じかん● Wed Aug 16 10:01:14 Japan 2000
おなまえ●遼太の父
メッセージ● NHKの終戦記念日特集番組

昨夜のNHKの終戦記念日特集、見るものがありました。あの解説総局長、なかなかやりますね。はじめのうちは、スタジオの若者たちが、侵略戦争であるかどうかは分からないとか、戦争責任なんてもう関係ないとか、謝罪なんてする必要ないなんていう発言をしていたので、「ああまたか」と思って憤慨して見ていましたが、前半のあの福井県の兵士の従軍日記が紹介されたところがヤマでした。

あれを見せつけられたら、侵略じゃなかったとか、侵略の事実を証明する資料が無いから事実確定できないとか、戦争の記憶は世代によって薄れて行くものだから責任だの謝罪だの言い続けるのは無意味だとか、そういうくだらない卑劣な言い逃れは誰もできないでしょう。あまりにも明白ではありませんか。侵略を証明する資料なんて無数にあるのです。インタ−ネットの中にもあります。

http://www.jade.dti.ne.jp/~kaworu/cont/syogmoku.html

何の罪もない中国の子供や赤ん坊を捕まえて、皇軍兵士が銃剣で突き刺しまくって大量殺戮した証拠なんて、そこら中に転がっているのであり、それを日本人が見ようとしていないだけであり、見ないようにゴマかしているだけであり、無知の上にあぐらをかいて屁理屈を言って巧みに逃げているだけなのです。われわれの世代にとっての戦後責任というのは、まさにそういう見ないフリをしているということの責任を言うのでしょう。

だから、われわれにも責任はあります。戦争の直接の加害者ではなくても責任はあります。それは歴史に目を閉ざす責任であり、歴史から目をそらす責任です。歴史の真実から目をそらして、逆にそれを隠蔽し、侵略はなかった、侵略ではなかったと歴史を捻じ曲げて日本人の行為を正当化しようとする態度についての責任です。

半世紀前のことでも、あの福井県の兵士の日記に書かれた事実は重いものです。重苦しいものです。軽く受け流せない筈のものです。自分とは関係ないと言って済ませられるものではないでしょう。自分たちの祖父が大陸で実際にやってきたことです。あの福井県の兵士は、それを日記に書きとめ、日記を捨てず、子供や孫に密かに残し伝えました。人間としての最低限の良心が残っていてそうさせました。けれども多くの兵士たちは、同じ事をやったにもかかわらず、それを戦後隠し続け、また隠し続ける彼らを、われわれの親の世代は見逃してきたわけです。

歴史を教科として学習する目的は、歴史的事実を想像力で再現する能力を養成することだと私は前に申しました。あの兵士の日記にあった1937年5月20日の徐州作戦のプロセスを自分の脳裏でリアルに再現してみることです。殺す側、殺される側の立場に身を置くことです。われわれは殺した側の三代目の子孫であり、いま中国で生きている同世代は殺された側の三代目です。

私は下のポストで、韓国の国号の議論を中心に東アジアの近代史を追いかけてきました。日本の戦争責任の問題、戦後責任の問題は、日本人がそこから目をそむけようとする限り、言い逃れようとする限り、ますます近隣諸国から不信の目で見られ続けて、「無責任な日本人」という観念を強く抱かせてゆくことになるでしょう。そうして、日本の戦争責任問題は、時間が経つほどに、むしろ重苦しさを増してゆくことだろうと思います。

私は一つの予測を持っていて、それは中国がいずれ民主化されたとき、共産党の一党独裁が崩壊したとき、そのとき、日本人が隠し続け、否定し続けている侵略と殺戮の証拠や証言が、これでもかとばかりに、中国全土から嫌というほど噴出してくるだろうということです。

今は、中国はどんなに改革開放が進んだと言っても統制された国です。言論の自由はありません。「大地の子」で見たとおりです。日本の戦争責任に対する姿勢や対応も、国家と党の論理が一元的に決定し、それを国民各個人に押しつけています。それは、基本的には72年の日中友好宣言、そのときの毛沢東の「水に流そう」の太っ腹発言を基本線にして、日本から巧みに経済支援を引き出す外交戦略と一体です。だから、中国の民間人や市民団体からの日本の戦争責任の追求や批判は具体的には聞こえてきません。

それは党と国家によって抑えられているのです。未然に抑止されているのです。国家戦略的にコントロ−ルされているのです。われわれ日本人のどれだけが、その真実について自覚的であることでしょうか。中国共産党は、中国人の日本の戦争責任追求に対する、まさにビンのフタなのです。ところが、そのことを知ってか知らずか、石原慎太郎の靖国神社参拝とか、南京虐殺は捏造だとか、このところ、あまりにも日本人の倣岸自尊ぶりが目について仕方ありません。

中国が民主化したとき、中国の言論統制が崩れたとき、必ず日本に対する戦争責任論が噴出します。底辺の一般庶民のレベルから堰を切ったように怒涛の如く出てくるでしょう。個々の、そして無数の虐殺事件についての真相究明が本格的に始まるでしょう。証拠と証言をともなって(無数の殺戮)事実が突きつけられるでしょう。われわれ日本人が、戦争責任というものの事の重大さに本当に気づくのは、きっとそのときなのだろうと私は予想しています。
じかん● Tue Aug 15 23:52:42 Japan 2000
おなまえ●山口の花子
メッセージ● 遼太の父様
見所食べどころ紹介ありがとうございました。出発準備ができたところで開いてます。今回は高知1っ泊なので竜馬記念館、高知城などをメインに車で回る予定。桂浜の月が見たい。
料理は是非おすすめのどろめ、さえずり、長太郎貝など食してきたいもの。私は清流で育ちゴリや鮎を追いかけ回していました。子どもの頃は川がにやウナギもいました。
武市半平太も中岡慎太郎もうちの息子は大好きです。瀬戸内から、でっかい太平洋に行って来ます。
今日は終戦記念日。NHKTV、昨日の学徒動員の記録、今後日本人がすべきことを考えさせる示唆に富んでいました。55年たったからこそ言葉にできることもあるのでは。もっともっと取材し記録してほしいし、私たちも身近な人の経験を掘り起こして伝えることが大切、というよりそれをしないできたから今の日本の問題があるのでは。
じかん● Tue Aug 15 13:23:15 Japan 2000
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 高知のの見どころ

・桂浜の龍馬像と坂本龍馬記念館

初ツア−でしたなら、やはり何と言っても桂浜の龍馬像参拝は必須ですよね。この季節ですから、日中なら灼熱の太陽の下を浜辺を歩いて龍馬像の台座のある丘まで階段を上がらなければなりませんね。ごく短い距離ですが、結構たいへんだったりします。どんな季節でも全国から観光客が押しかけて龍馬像をバックに写真を撮っています。司馬遼太郎も誉めていますが、この銅像が実にいいんですよね。

龍馬像の近くに高知県立の坂本龍馬記念館が建っています。建物の雰囲気も新しくて開放的でいい感じですし、展示も見るものがあります。龍馬の直筆の手紙も幾つか展示してあったのではなかったかと思います。桂浜は龍馬を偲び思いを馳せる「歴史観光地」なんですが、何と言うかな、たとえば萩の松下村塾と松蔭神社のあたりと比べて全然雰囲気が違うんですよね。

とにかく明るいんです。陽光がギラギラまぶしくて、太平洋の波が豪快に打ち寄せていて、そして歩き回っている人たちの平均年齢が若いのですね。萩や会津を訪れる観光客の中心は、どちらかと言うと40代以上の中高年層ですが、桂浜の観光客、すなわち龍馬ファンというのは、圧倒的に20代が中心なんですよね。若くて、声が弾んでいるんです。龍馬というのは、永遠に日本の青春のシンボルなんだなあと思わされます。

・高知城天守閣と追手門、日曜市

最近は訪れる人が減ったと言われていますが、高知城の天守閣に登って市内を見渡すのも、昔は高知観光の定番だったようです。ここにはエレベ−タがなく、階段だけで急な天守閣を登るので結構たいへんです。冷房の設備もありませんから、この季節にはあまりお勧めできないかも知れません。城には立派な追手門があります。その前で吉田東洋が暗殺されていますね。

追手門から伸びる追手筋。ここで毎週日曜日、有名な日曜市が開かれます。これは見逃せないですね。規模が大きく、珍しいものが沢山出ます。次の日曜日は20日ですか。できればご滞在を延長されて、これをじっくりご見物いただきいものです。

・中岡慎太郎館

県東部の北川村にあります。慎太郎の生家の場所です。ロケーション的には遠く、アクセスはかなり不便ですが、訪れて見る価値は十二分にあります。慎太郎の好きな歴史ファンなら一度は足を運ばなければいけません。いま、「中岡慎太郎と武市半平太」と題した企画展を開催しているはずです。武市半平太の直筆の手紙が展示されています。ちなみに半平太の実家は高知市の筆山にあって、桂浜からもそれほど遠くないロケーションですが、私はまだ訪れたことがありません。


以上、高知県観光協会になりかわって、歴史を中心にして高知の見どころを並べるとこんな具合でしょうか。市内には自由民権記念館というのもありますね。これもなかなか見ごたえがあるようです。個人的には、この季節ですから、四万十川まで足を伸ばして、カヌーや遊覧船などの川遊びをお勧めしたいところですが。

http://www.attaka.or.jp/

こういうページもありますので、どうぞご参照下さい。
じかん● Tue Aug 15 11:40:11 Japan 2000
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 山口の花子様

土佐料理 − 間に合えばいいのですが。

昨14日深夜に東京へ戻って来ました。東名を避けて中央道を選んだのですが、運悪く、大月の手前から30キロの渋滞に巻き込まれてしまって、深夜の帰宅となりました。

今年の四国は異常に暑かったです。今回は念願の四万十川遊覧船に乗ることができ、また四万十川の沈下橋の下の河原で地元の小学生たちに混じって水浴びをして楽しんで来ました。「最後の清流」の水の美しさは想像以上のものでした。

さて、食べもののお話ですが、せっかく高知にいらっしゃるのですから、一度はあの伝統的な皿鉢料理を堪能されてみるのがよろしいかと思います。値段は結構お高いです。市内の郷土料理屋で出してくれます。メインは鰹のタタキですよね。

このポストではお店ではなくお料理の方をご案内することにしますが、他ではなかなか食べられない土佐料理の代表的な珍味として、「どろめ」と「のれそれ」があります。イメ−ジとしては山口や福岡で春先に出る「白魚」に似たものですが、生ではありません。青ぬた(ニンニクの利いた酢味噌)で食べます。酒の肴ですね。ビ−ルのつまみに最高です。

それから、土佐で食すべきは、何といっても川料理です。四万十川料理という言い方もしていますが、

 ・天然鮎の塩焼
 ・天然鰻の蒲焼
 ・手長エビの唐揚
 ・ゴリの玉子とじ

が代表的なものとして出てきます。手長エビとゴリは四万十川独自のものですね。四万十の天然アユは本当に絶品ですよ。これは一度お召し上がりになるべきです。

それともう一つ。代表的な土佐料理として有名な鯨料理があります。

 ・さえずり

と言って、鯨の舌の肉ですが、脂肪分が豊富で口に入れるととろけます。これもニンニクの利いた酢味噌でいただきます。鯨のタタキを出す店もあります。

まだあります。私の場合、土佐で絶対に食すべきは貝料理ですね。土佐の海は貝の種類が豊富で、他では食べられないものが多く出てきます。特にその代表的なものが、

 ・長太郎貝

のバ−ベキュ−です。地元で長太郎貝と呼んでいますが、形状は図鑑で見るイタヤ貝と同じものです。大ぶりな二枚貝ですが、これをそのまま網の上にのせて焼いて食べます。これが抜群にうまい。私は、個人的には鮑(アワビ)よりもはるかに美味ではないかと感じています。ジョッキのビ−ルで豪快にいただきます。

以上、

高知県観光協会に代わって、土佐の川料理と鯨料理と貝料理をご案内させていただきました。鰹のタタキと皿鉢料理だけが土佐料理ではありません。土佐料理は奥が深く、海の幸、山の幸ともに実に豊富なのです。

まだ他にデザ−トの話もあるのですが、これはまた次の機会にしましょう。それから、ここに挙げたのは土佐料理の夏の部のお話で、冬には冬の、また別の珍しくおいしい食べものがあります。

とりあえず、こんなところで。
間に合えばいいんですがね。
じかん● Sat Aug 12 0:17:52 Japan 2000
おなまえ●楡の木
メッセージ●   「大地の子」が素晴らしい本であることは分かるのですが、以前薦めてくれた人が、ある宗教団体に関係するせいからどうもその気になれません。いやはや、我ながら大人気ないです。 
昔、太宰治の「走れ、メロス」の時もそうでした。これは私の好きな作品だったから、二度と読む気をなくしたのです。皆さんのお薦め故、いつかよんでみましょう。
じかん● Thu Aug 10 8:58:27 Japan 2000
おなまえ●山口の花子
メッセージ● 暑いですねー。でも今年は7月から好天が続いたせいか、朝晩の風邪はひんやりとして秋を感じさせる、風たちぬ・・て感じ。
大地の子が話題になっていますが、テレビだけでなく、是非山崎豊子氏の原作を読んでみて下さい。映像に仕切れないモノがたくさんあります。私はこれを読んでショックで寝られなくって体調を崩しました。もう読みたくない、でも読まずに入られない、作者はまさに命を削るような思いで取材し、ことばにしていったんだと思います。しんどいけど、是非是非・・・。
16日から高知に行って来ます。萩、鹿児島と来た維新ツアー、今年は高知です。
うちの小6の息子はマンガ「おーい竜馬」を小3で読んでから竜馬ファン。私が仕掛けたんですが。歴史に凝っています。高知での見所、おいしいお店ご存じでしたら教えてください。武市半平太も気に入ってます。お願いします。
じかん● Mon Aug 7 22:46:17 Japan 2000
おなまえ●中本
メッセージ●   お盆といえば、精霊流しはあたりまえの事と思ってましたが、この行事について、案外知らない方、多いんですね。北部九州地方のものでしょうかね?これの北限を知りたいです。
どなたかご存知ないですか?お盆が過ぎたら、多分涼しい風が吹くだろうと期待しつつ、こんな事をおもってます。暑さを言い訳に読書は休みにして、けだるいボサノバでも聞いているのです。
じかん● Mon Aug 7 18:01:46 Japan 2000
おなまえ●じゅんこ
メッセージ● めぐみ様
なんだかチャトルームみたいで嬉しいですね(笑)。
「朗読者」は何処の書店にでも有ると思いますよ。なにせ私の住んでいる片田舎の書店に有った位ですから。以前お勧めしていらした「倫理21」早速、拝読いたしました。ちょうどその頃、
ある会合で発言の機会がありまして随分参考にさせていただきました。有り難うございました。
めぐみさんといえば北海道、一陣の涼風ですね。とにかく毎日、暑い日が続いています。
じかん● Mon Aug 7 17:18:50 Japan 2000
おなまえ●めぐみ
メッセージ● 秦太さん
わざわざ調べていただきありがとうございます。探してみようと思います。

じゅんこさん
不覚なことに「朗読者」もことは知りませんでした。普通の書店においてありますか。
「ワイルドスワン」といい、読まなければならない本が増えました。うれしい悲鳴です。
じかん● Mon Aug 7 17:14:14 Japan 2000
おなまえ●じゅんこ
メッセージ● 今、話題のベルンハルト・シュリンク著「朗読者」をいっきに読了。
ドイツ文学で大変恐縮ですが、特にこの時期、是非とも読んでいただきたい思いです。
ドイツという国の歴史、思想、哲学といった背景も違うことで一概に非難はできませんが、戦後の日本社会においての戦争への関わり方への違いに随分考えさせられます。

日本の思想風土も有るのかもしれませんが、日本の作家において、こういった視点から、こういった表現で書かれたものを眼にしてこなかった為か、せつなさと鉛を飲んだような重苦しさとが渾然として、結構こたえました。後書きに二度読む様書かれていますが、やはり再読しなければと思っています。


じかん● Sun Aug 6 21:57:13 Japan 2000
おなまえ●秦太
メッセージ● めぐみ様
>おすすめの映画、なかなか上映されない(特に地方では)かと思いますが、ビデオになっているのでしょうか。
そうですね。NHKもそう何回もやらないだろうし、民放が放送するとも思えないし・・・
調べてみますと、ビデオがちゃんとありました!

『變臉 この櫂に手をそえて』アミューズビデオ 型番:ASVX-1138 ¥16,000

ビデオを借りる習慣がないので良く分からないんですが、大きなビデオ屋さんなら置いているんじゃないでしょうか。
ほかに廉価版のセルビデオ(3800円)も出ているようです。
ちなみに、映画館で観たのと、テレビで観たのとでは、字幕が違っていました。
個人的には、前者の方がこなれた良い訳だと思います。
狗娃が「クーワー」なら前者、「ゴウワー」なら後者です。
ビデオ版はどっちなのかは、分かりません。
じかん● Sat Aug 5 21:57:50 Japan 2000
おなまえ●めぐみ
メッセージ● 楡の木さん
「ワイルドスワン」、小説ですか。教えていただきありがとうございます。さっそくさがしてみます。

秦太さん
「大地の子」でも朱旭の演技力はすばらしいですね。あれが中国のいわゆる「大人」なのではないかと思わされます。おすすめの映画、なかなか上映されない(特に地方では)かと思いますが、ビデオになっているのでしょうか。

遼太の父さん
四国旅行、いいですね。確か昨年もお出かけになったような記憶がありますが・・。土佐も松山も四万十川もいつか行ってみたいところです。でも夏は避けようと思ってます。
じかん● Sat Aug 5 19:02:52 Japan 2000
おなまえ●TOSHIO
メッセージ● 司馬遼太郎先生の「坂の上の雲」の主役である、秋山兄弟の生家が愛媛県松山市の歩行町にあります。現在は250坪ほどの平地になっていて、隣接して50年もたった古い柔道場があります。中には、秋山好古、真之の写真も掲げられて、青少年育成の練成場として創られ、今なお愛媛県の柔道家にとっては、心のふるさとになっています。今も子供たちが使っています。この由緒ある柔道場を今作るとすれば、10億円もかかるといわれています。これを修復し、右側に生家を復元する。そうすれば、「坂の上の雲」を読んで生家を訪れた人々が思いにふけることができるロケーションが充分に整うのではないでしょうか。
日本を救った郷土の英雄の生家がないのでは、あまりにも寂しい感じがします。
そこで、柔道場の修復と生家の復元の署名活動をおこなっております。
興味をもたれたお方は、ぜひ下記アドレスへ来てみて下さい。
http://www.dokidoki.ne.jp/home1/toshinib/akiyama/index.htm
よろしくお願いいたします。
じかん● Sat Aug 5 0:30:00 Japan 2000
おなまえ●秦太
メッセージ● 『大地の子』が話題になったら、ぜひとも紹介しようと前々から思っていた映画があります。
呉天明(ウー・ティエンミン)監督の『變瞼(へんめん)』という作品です。
最近NHKでも2回放送されましたから、ご覧になった方もおられるかもしれません。
感動の名作、という使い古された売り文句が、これほどふさわしい映画を私は知りません。
私が初めてこの映画を観たのは小さな映画館で、50人ほどしか観客がいませんでした。
映画が終盤になってくると、シュクシュクという音があちこちから聞こえてきました。
みんな泣いていたのです。

『大地の子』の出演者は、このドラマのために中国語をマスターした上川隆也をはじめ
みな熱演しているのですが、陸徳志役の朱旭(チョウ・シュイ)はとりわけ素晴らしい俳優さんですよね。
朱旭は『變瞼』の変面王役で、東京国際映画祭の最優秀主演男優賞を受賞しました。
残念ながら、今の日本に彼ほどの名優はいないかもしれません。
が、この作品には、朱旭さえかなわない、すごい演技をする役者がいるのです。
狗娃役の周礼瑩(チョウ・レンイン)8歳くらいの女の子です。
この子はただ者ではありません。いわゆる天才子役というのとも少し違います。
後から知ったのですが、彼女は実際に役柄の少女と重なる境遇にあり、
それがこの作品での迫真の演技につながっていたのだそうです。
『變瞼』には歴史的な事件や人物は登場しませんが、たぶん今世紀初頭の四川省が舞台です。
ネタばらしになるような内容紹介はやめておきます。
『大地の子』同様、あざといまでの感動作ですが、『大地の子』に心を動かされる
メンタリティーを持っている人には、自信をもってお勧めできる作品です。
もう一度紅涙を搾られてみてはどうでしょうか。

どうも、真夏に暑苦しい文章で恐縮です。長文失礼いたしました。

じかん● Fri Aug 4 0:05:53 Japan 2000
おなまえ●楡の木
メッセージ●  めぐみ様へ
  文革とは?とあったのでちょっと気になり書きます。外国人であるものが論ずるよりは
 中国人女性作家の、「ワイルドスワン」を読んで見られたら手っ取り早いですよ。
 おせっかいでした。
じかん● Thu Aug 3 11:27:07 Japan 2000
おなまえ●遼太の父
メッセージ● めぐみ様、
おひさしぶりです。

聞くところでは、札幌は記録的な酷暑だそうですね。確か、昨年もそうだったような記憶があります。北海道も東京も、日本中が気候が完全に変ってしまいました。何年か前は「異常気象」などという言葉で呼んでいましたが、もうすっかり定常化してしまって、「異常」ではなくなりました。もう日本は、昔の四季のある温帯気候ではなくなって、すっかり亜熱帯気候の地帯になってしまいました。地球温暖化の影響なんでしょう。

川端康成の花鳥風月の世界ももうおしまいです。

東京では、3年ほど前から、夏になると午後に記録的な集中豪雨が降るようになりました。これは昔の風趣のある夕立ではありません。そういうマイルドなものではなくて、熱帯地方のスコ−ルそのものです。今年はまだ幸い死者は出ていませんが、昨年は新宿の地下に水がなだれ込んで水死者を出しました。

「破滅志向」はいけないという話が保守系の月刊誌なんかで言われていますが、気象もこんな感じだし、同世代の母親が男遊びのための金欲しさに保険金目当てにわが子を二人も毒殺したり、積極財政はもう終わりだなどと3ヶ月前に大蔵大臣が言ったばかりなのに、またぞろ赤字国債を増発してバラマキをやったり。気が抜けるような毎日です。

異常ですよね。日本中が発狂しているとしか思えない。

「大地の子」の陸徳志に励まされて、なんとか呼吸を続けている毎日です。今夜で最終回。来週から夏休み、今年は徳島の阿波踊りをみてこようと思っています。10日から11日が高知でよさこい祭り、13日から15日が徳島で阿波踊り。途中、四万十川まで足を運んで舟下りをしようかなという計画です。NHKの「一弦の琴」のタイトルバックで四万十川らしい清流が出てましたよね。
じかん● Wed Aug 2 22:00:39 Japan 2000
おなまえ●めぐみ
メッセージ● 遼太の父さん、お久しぶりの登場ですね。
「大地の子」放映当時、私も毎回胸を突かれる思いで見ていました。引き揚げの悲劇、あつこのようにひっそりと死んでいった孤児たちの運命に身の置き場のない気持ちでした。それにもまして、怒濤のような文革の有様は、初めて知ったせいもありショックでした。今になるとあれは何であったのか・・。このような番組を見て何を思うか、世代差もありましょうが、個人の感性にもよるのでしょう。「たいしたことない」との感想を持つ、昭和ひとけた生まれのある身内もおりました。
父母を求めて泣き叫ぶ孤児たちの姿に、しかし、私はまた別の気持ちも持っています。陸徳志のように愛情を捧げた養父母もいたろうに、彼らはどんな気持ちで、実子のように育ててきた子が、顔もわからない実父母を探す姿を見つめているのだろうかと。実父母、養父母、孤児の誰もが傷ついている。繰り返されてはならないことですね。
じかん● Wed Aug 2 15:26:00 Japan 2000
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 「大地の子」

歴史小説というよりも現代史小説ですが、山崎豊子の 「大地の子」 がNHKのBSで再放送されていまして、例によって子供と一緒に毎晩見ています。「おしん」のときもそうでしたが、「大地の子」も、ドラマが始まると彼はほとんど固まった状態になります。いい作品ですね。歴史と倫理の教育の素材になります。

主人公である上川隆也の養父の中国人のキャラクタ−と演技が素晴らしくて、引き込まれてしまいます。ああいう人間像、自己犠牲的でヒュ−マンな人間像を見て、今の日本の若い人たちはいったい何を感じるのでしょうね。

平和とか民主主義とか自由とか豊かさとか、そういう、今われわれが享受している安寧や快楽や満足やらは、ぜんぶドラマの中で出てくるような時代に翻弄された人々の悲劇や苦しみの中から、それをいわば踏み台にして与えられているものなのですが。

中国残留孤児の肉親捜しが厚生省の手で始められたのは、確か記憶では25年ほど前のことだったように思います。NHKの9時のニュース番組の時間に、中年になった孤児たちが人民服の格好で出てきて、ときどき絶叫しながら中国語で(自分を捨てた)肉親に訴えていた情景を思い出します。

不思議で衝撃的な映像でした。そしてとても悲しく切ない映像でした。誰だったか忘れましたが、孤児を紹介していたNHKの女性アナウンサーが、生放送の番組の途中で感きわまって泣き始めたことがありました。

日本は戦争が終わってからすぐに復興が始まり、国際社会にも簡単に復帰して、平和と繁栄を享受していたわけですが、中国では国共内戦があり、そしてさらに文革という試練があったわけです。日本人孤児たちがどんなに辛い苦しい思いをして生きてきたことか。

時代とか社会というものが、個々人にとって本当はどれだけ重苦しく厳しく苛烈に迫って来るものであるのか、今の若い日本人たちも、そのことをいずれ体験として実感、承知する時が来るのでしょう。平和、民主主義、自由、豊かさの反対のもの、戦争や災害、独裁と統制、そして貧困。それを体験するときが来るのでしょう。もうすぐ8月15日ですね。