2000年6〜7月分の掲示板です

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じかん● Sun Jul 30 13:21:59 Japan 2000
おなまえ●富永勇
メッセージ● どなたか教えてください。
「村山たか女」に関する書籍を探しています。
歴史書、小説何でもかまいません。
お知らせ下さい。
tomy.17@f4.mnx.ne.jp


じかん● Fri Jul 28 6:54:22 Japan 2000
おなまえ●himitu
メッセージ● はじめまして。himituです。
司馬遼太郎さんの、「覇王の家」「関が原」「城塞」について書かせてください。

「覇王の家」では、徳川軍団は、小牧長久手の戦いのころが、一番強かったのでは、ないでしょうか、侍大将から兵卒まで、一番充実しきっていたような書き振りでした。
秀吉に対して勝てぬまでも負けない。家康の自信が伺えます。

「関が原」では、家康が、関が原の戦いの前に、兵卒の軟弱ぶりを嘆くシーンがありました。
しかし、侍大将クラスは、本田平八郎なども健在です。

「城塞」になると、もういけない。万単位の軍団を指揮できるものがおらず、上から下まで、ろくなものがいません。赤揃えの武将たちをみて、家康が喜ぶシーンもありました。

三つの作品の読み終えたとき、司馬遼太郎さんは、徳川軍団になぞらえて、戦後の日本人の軟弱化をさりげなく指摘したのではないかと思ったものです。

じかん● Thu Jul 27 18:03:32 Japan 2000
おなまえ●めぐみ
メッセージ● とうとう念願の会津へ行って来ました。鶴が城、飯盛山も見て回りました。ちょっと観光化されすぎている気もしましたが、戊辰戦争に思いをはせ、感慨にふけってまいりました。しかし、ちょうど記録的な猛暑とかで、北海道育ちの私には耐え難く、せっかくの旅もばてて後半ははしょってしまったのが悔やまれます。歴代藩主の墓所がよかったですね。ここまで来る観光客はさすがに少なく、木の葉の静かなざわめき、虫の音、木々の香り、どれもがありし時代を偲ぶに申し分のないものでした。
足をのばして「峠」の河合継之助終焉の地である塩沢の記念館も行きました。非常にモダンな建物でびっくりしましたが、継之助の生涯がよくまとまっていたと思います。
しかし、歴史を歩む旅は夏を避けるべきですね。次回は秋の萩を訪れたいものですが、いつのことになるやら。
じかん● Thu Jul 27 17:18:26 Japan 2000
おなまえ●灼熱地獄
メッセージ● 初めまして。こんにちは。水飴さん。
僕も「燃えよ、剣」、以前に読んだことがあります。たしか、夕日の場面がありませんでしたか?
それと、土方が部屋で死んだ仲間と語り合うシーンが好きでした。沖田は?よく覚えてないけどそれなりにいい人生だったのではないかと感じています。生きていても獄死か戦死だったでしょうから。戦死はいいのかな?

「城塞」も面白かったです。大阪城の話です。読み終わってしばらく放心してました。
どうしようもない困った話です。
じかん● Sat Jul 22 11:14:05 Japan 2000
おなまえ●水飴 あまこ
メッセージ● 初めまして。こんにちは。 この間、ふと思いたって司馬遼太郎の「燃えよ、剣」を読んでみたら、予想外にも大きな感動を受けてしまって。最初ちらっと見てみたらなんだか難しそうだったから、よめるかどうか心配だったけれど、いざ読み始めたら読めるとか読めないとかじゃなかった。夕方散歩がてら行った図書館で上のほうだけ借りてきたのですが夜中の二時までかかって読みました。こんなふうにのめりこんで本を読んだのは本当にひさしぶりでした。次の日、さっそく下巻も借りてきました。沖田 総司が死んでしまったところはほんとうにかわいそうで、タイムマシーンに乗って結核のお薬を届けてあげてたかったです.(ところで光より速く移動できたら過去に行けるってほんとう?小学校のときの担任の先生が言ってた。)
あの本のなかではたくさんの人が死んでしまったりいろいろあったけれど、沖田総司の死のところはなんでだかとてもやるせなかったです。
なんだかながながと続けてしまったけれども、とにかくいい本だったなあ、ということです。

じかん● Mon Jul 17 22:43:55 Japan 2000
おなまえ●えぬの
メッセージ●

ども。ちょっぴりお久しぶりです。
前回の書き込み、ものすごくひんしゅく買ってしまって、
いかんな、と、思ってるものです。
ちなみに、ぼく、なになにイズムみたいなもの、たぶん、ないです(特に政治に関しては)。
マーケッティング、ないしキャピタリズムには、興味あるかも。
就職を含めて。

今日、普段は好きじゃない「愛の貧乏脱出〜」(テレ東、コメンテータの涙が嘘臭くてすごくイヤ)を見たのだけれど、でも、ちょっといいなって。
わたくしの今時分、就職活動とかあって、博○堂とか落ちたりして、でも、大企業とかもなー、とか疑問を抱いているさなかの視聴なのだけれど、そして、ぼくはアドバタイジング系の就職を考えているのだけれど、その意味で普段嫌いだった「愛の貧乏脱出〜」が、興味深かったんです。
ぼく、例えば学校のカリキュラムで企業広告のポスターとかつくる機会があったのだけれど、つまりそれはコンシューマへのコミニュケーション、商品価値を訴求するということなんだけれど、突き詰めて考えると、「正直」であるということがもっとも大切なんだな、と、思う。
最近の事象として、イレギュラー的に示すものとしてあるのは、参天製薬。毒物混入事件を広告媒体をつかって(つまり、大きな金をかけて不利用件を)告知したこと。あれで(かどうかはわからないけど)、一時冷え込んだ株価が回復した。対するは雪印。急降下。
一方の不利的要因は外部的要因、一方は内部的不祥事なわけで、同じ「正直」という物差ではかるのは意味ないかも知れないけれど、マーケットはあるべき裁断をしたのだと思う。

そして、思ったこと、というか、再確認したこと。
「正直」は、シンプルな強さを持っている。
「愛の貧乏脱出〜」は、そのあたりを、しっかりフォローしているのだなー、という点で感心した。
場違いッスか?失礼しました。
ところで侍演歌、曲目とか、頭悪くていいですね。ぼく、ほぼ地元なんで(多摩市)、都合がつけば、、、
じかん● Mon Jul 17 17:05:17 Japan 2000
おなまえ●じゅんこ
メッセージ● 秦太様有り難うございました。
行って来ました祇園祭。まったく歴史の宝庫ですね。
秦太様お気に入りの、蟷螂山や船鉾は拝見できなくて残念でしたが
鈴鹿山、黒主山、鯉山・・・そして函谷鉾発見。
角金物の鶏の柄の織物は見事ですね。
新月の鉾頭の下の三角形は兜を現してるんでしょうかね?
おっしゃる通りすごい人出で、黄桜地ビールで気合いをいれて頑張って来ましたが、
今ごろツケが・・・ナサケナイ。

じかん● Sun Jul 16 22:16:12 Japan 2000
おなまえ●りょうくん
メッセージ● ども早速ですが下記のホームページを見てみてください。
http://www.iwate-np.co.jp/heibayo/index.htm
「秦の始皇帝と兵馬俑(よう)展〜辺境から中華へ 帝国秦への道〜」というのが岩手の盛岡で開かれています。岩手日報社のホームページなのですが私が説明するより詳しく載っていますので興味がある方はちょっと見てみては?(^^)それではまた!!

じかん● Sat Jul 15 22:40:27 Japan 2000
おなまえ●中本
メッセージ●   応援団さまへ
 異色のメッセージがあれば、まともな人々の掲示板なんだなと、ホットしました。
 侍演歌また、ポップス演歌聞いてみたいですよ。どんなメロデイ どんな歌詞 衣装は?
 小屋がけ風の惨めだけにはしないでくださいよ。
じかん● Sat Jul 15 1:43:31 Japan 2000
おなまえ●応援団
メッセージ● ロックバンドから 演歌歌手に・・・ 出身:東京(日の出町) みずきまこと
昨年7月に年齢20歳そこそこで 地元秋川キララホール 700満席でデビューリサイタルを
行い!今年9月20日 立川市民会館大ホール でリサイタルを行うことに決まりました!
オリジナル侍演歌 ”沖田総司!””森欄丸!””大石主税今ここに”ほかポップス演歌など10以上 ロック、ダンス、笑い ゲスト:多数出演予定
日野では 高幡不動のグッズ屋さんにポスター貼ってるそうです(見てくださいね)
7月20日日野市万願寺の近くの公園でお祭りがあり5時から歌うそうです!
7月22日青梅駅前 お祭り7時から歌うそうです!
ほか地元の日の出町、あきる野市のお祭り!是非応援願います!  
じかん● Thu Jul 13 10:17:25 Japan 2000
おなまえ●じゅんこ
メッセージ● 学而時習之 不亦説乎。 有朋自遠方来 不亦楽乎。

秦太様
嬉しいですねえ、勉強になりました。
「孟嘗君」も是非、拝読したいと思いました。
体力も、知力も、若さも、美貌も無い、ないないずくしの叔母様軍団ですが、持ち前の図々しさをフルに発揮して京都の町を楽しんできます。有り難うございました。

じかん● Wed Jul 12 18:36:32 Japan 2000
おなまえ●白圭
メッセージ● お久しぶりです。こんにちは。久しぶりにのぞいたら永井さんの専用掲示板が出来ていてうれしかったです。管理人さんありがとう。
宮城谷さんの作品私も好きです。私の名前 白圭 はここからもらっていたのでした。(圭は本名なんですが) 孟嘗君もおもしろかったし、太公望もよかったな。まだ読んでいない作品もあるので楽しみにしているのです。
じかん● Wed Jul 12 16:24:09 Japan 2000
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 日韓W杯共同開催 '02

ついこの間のことですが、06年のサッカーワールドカップの開催地が、本命であった南アフリカを押しのけてドイツに決定したというニュースがありました。私はサッカーについては何も知らない人間ですが、6年後の開催地が決まったという事は、あのもめにもめた02年のW杯開催地決定から、はや4年も月日が経ってしまったということです。早いものですね。

私も含めて大方の日本人が、02年のW杯開催は間違いなく日本単独で決まりだろうと予想していました。まさかそこに韓国が割り込んできて、事もあろうに日韓共催などという変則的な事態になってしまうとは、全く思ってもいなかった事であり、実に意外でありました。日本もずいぶん馬鹿にされたものだと憤慨したものでした。

このFIFA(国際サッカー連盟)の決定の裏には権力闘争のドラマがあり、日本の単独開催を推していた当時のアベランジェ会長と対立するUEFA(欧州サッカー連盟)のヨハンソン会長が、日韓共同開催を主張して反アベランジェ派を動かしたと言われています。ブラジル出身のアベランジェ前会長は、サッカーを欧州と南米以外の地域へ拡大することに熱心で、アジアやアフリカでのW杯開催を推進していたのですが、一方で日本の誘致筋から莫大な贈物(賄賂)を貰って私腹を肥やしていたために、FIFAの理事たちから批判の目で見られていました。

4年前、結局のところヨハンセン案が通って、日韓共同開催という事になりました。

私はこの事件について二つの感想を持っていて、一つはやはりヨーロッパ人の傲慢さと言うか、アジアに対する蔑視の感覚というか、そういうものを正直に感じました。欧州の中でも、たとえば今回はドイツに決まりましたが、他の国でも開催国になりたい国は沢山あったはずです。イタリアもやりたかったでしょうし、スペインだって開催国になりたいでしょう。しかしそういうときに、「お前らそんなにモメるんだったら、いっそ共同開催にしろよ」 なんて言うでしょうか。絶対にそういう事はないでしょう。考えられないことです。

それが一つです。

もう一つの方ですが、ちょうどその頃というのは、日韓関係が今と比べて非常に緊張していた時期で、従軍慰安婦の問題が紛糾している最中でもあったと思います。4年前のW杯共同開催決定以降、日韓関係はずいぶん緊張緩和が進んで穏やかなものになってきたように思います。効果はやはりありました。今は日本も韓国も両国民がW杯の成功に向けて協力共同しようと互いに努力しています。ヨハンセン会長のやや傲慢とも見える強引な裁定は、見事に効を奏して、日韓関係をよい方向に向ける契機となりました。

岩波書店からドイツの前大統領であるヴァイツゼッカーの演説集が本になって出ていますが、来日したヴァイツゼッカーが日本人に対して繰り返して言ったことは、「日本は国際社会の中で孤立をしてはいけない、一緒に共同行動するパートナーを見つけなくてはいけない、そのパートナーとは韓国である」という事でした。過去の侵略を素直に反省し、謝罪し、韓国の前に心を開き、韓国の人々に心を開いてもらって、東アジアで共同歩調をとる戦略的なパートナーシップを組め、という呼びかけでした。

ドイツは戦後そうやって来たんだよ、という自分たちの体験を言い聞かせる営みでもありました。第二次大戦以前のドイツは一貫して周囲の諸国家に対して敵対的で、ヨーロッパの中での
脅威の存在であり、また国際紛争については常に武力で解決しようとしてきた失敗体験がありました。今のドイツはフランスと仲良くし、ポーランドと仲良くして、徹底的に欧州の中で協調して生きて行こうとしているわけです。

ヨハンセンの裁定は、まさにそうしたヴァイツゼッカーの思想と内面的に共通するものであったと言えるのではないかと私は思います。欧州の知識人たちは、日本と韓国を仲良くさせようとしていますね。EU(欧州連合)のような国民国家の論理と限界を超えた共同体を東アジアでもつくってみたらどうだ、と呼びかけているわけです。それは現在の日米関係の現状についての彼らの消極的な態度の表明でもあります。日韓共同開催をプッシュした欧州各国の態度にはそういうメッセージがこめられていました。

それが私のもう一つの感想でした。もしもW杯を契機に日韓がもっともっと仲良くなれたなら、心を開き合えたなら、われわれはヨハンセンの強引な裁定と斡旋に感謝をしなくてはならないのかもしれません。私自身は、ヴァイツゼッカーの呼びかけに積極的に頷く立場です。半島における統一国家、そして強固な日韓同盟、その上に構築される東アジア共同体。死ぬまでに見たい私の夢です。

http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/00/2/0001750.html
じかん● Wed Jul 12 9:24:08 Japan 2000
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 大韓民国

大韓帝国を建国したとき、当時の半島の人たちが何故その国名を大朝鮮帝国とせずに大韓帝国としたのか、という問題を考えているのですが、その意味は、やはり李朝の歴史的伝統からの切断というところにあるのだろうと思っています。

李氏朝鮮の封建的伝統と決別して、日本と同じように近代国家を建設し、富国強兵と殖産興業を推進する、近代的な政治経済制度を積極的に導入する、欧州列強の帝国主義的侵出と包囲の中で、独立を維持できる国力と地位を達成する、そういう理念があって国名に反映されたのだろうということですね。

伝統と旧弊からの決別ですから、前近代的な古いものを持ってきてはいけない。ということで、「朝鮮」と「高麗」は国号の候補から排除されたのではないでしょうか。しかし同時に民族的なアイデンティティを維持するためには、当然ながら歴史的に正統な根拠を持った国名でなければならない。全く歴史的に無根拠な創作では国名としての正統性を保つことができません。そこで朝鮮半島の長い歴史の中から三国時代以前の「三韓」の「韓」に矢が当てられたのではないか、と私は考えています。

辰韓、馬韓、弁韓の三韓。どちらかと言うと朝鮮半島の南部ですね。北部まで含めた朝鮮半島全体を「韓」と呼びあらわそうとするのは抵抗もあったかもしれません。しかし、朝鮮では駄目、高麗でも駄目、新羅でも駄目、で何らか新しい国名を歴史から採取しようとすれば、やはり韓が最適だったのでありましょう。三韓は歴史上、国家名称(State)ではなくて地域名称(Land)です。このこともきっと採用にあたって都合がよかったのに違いありません。

半島の近代は「韓」の名前で出発することになりました。出発後すぐに日本の侵略によって日韓併合が強行され、韓の歴史は挫折してしまいますが、戦後復活して半世紀の歴史を経過し、すっかり定着したものとなりました。国家名称としての韓はブランドになって成功したということです。ですから、統一後も、朝鮮半島の人々は、しばらくは「韓」の名前を手放すことはしないでしょう。簡単に朝鮮に戻ったり高麗に戻ったりはしないでしょう。

自分たちが苦しい思いをしながら育ててきた大事な大事な愛しい国名だからです。
じかん● Wed Jul 12 8:31:16 Japan 2000
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 大英帝国 − 補遺 −

大韓民国の国号の由来を尋ねる旅をずっと続けてきたわけですが、東アジアの近代史を遡りながら、大韓帝国、大日本帝国、そして大英帝国にまで行き着きました。19世紀後半のパックス・ブリタニカの時代に日本は近代国家として世界史に船出をしました。その「太陽の没することのない」偉大な世界帝国に対して、日本人は尊敬と憧れの意味をこめて大英帝国の称号で呼んだのだろうと想像しているわけです。

大英帝国のほかに、われわれが大をつけて呼ぶ帝国がもう一つありますね。探せば本当は一つだけではないのかも知れませんが、常識的なところで一つあります。そうです、大唐帝国です。大漢帝国とか大宋帝国とか大明帝国とか大清帝国とはなかなか言いませんが、唐については自然に大唐帝国という言い方をします。歴代の数ある中国王朝の中でも唐はやはり特別な存在だということです。

単に領土の広さだけではなく、圧倒的に高度な文化と文明を誇って、その威光を世界中に放っている帝国でなければ「大」はつかないということです。武力だけでは駄目なんですね。文化的な偉大さを称える尊敬の意味が含まれるわけです。版図の大きさでは唐よりも元の方が面積的に勝っているのでありましょうが、われわれは元に対しては必ずしも大元帝国とは言いません。

日本人が一般に「大」をつけて尊称する帝国は、古代の大唐帝国と近代の大英帝国の二つです。この二つの世界帝国は、古代と近代の日本の国家建設のお手本となった、つまりモデルを提供した国であったということに他なりません。

現在の日本人であるわれわれにとって、米国がそれに似た存在ではあります。ちょっと唐や英国の場合とは事情が違いますし(日本を現実に占領統治した事実)、米国は共和制でもあるので「大米帝国」という言い方しないでしょうが、圧倒的に高度な文明と軍事力と経済力をもって世界を支配し、唯一普遍のモデルとして威光を放っている大帝国。インタ−ネットとITを支配し、世界金融のテクノロジ−とシステムを支配し、アミュ−ズメントとエンタテインメントを支配し君臨する超大国。米国です。
じかん● Wed Jul 12 2:27:06 Japan 2000
おなまえ●秦太
メッセージ● 下の投稿、最後が切れました。
「固有名詞などは多少間違っているかもしれませんので、あしからず。」
と書くつもりでした、かっこわるー
じかん● Wed Jul 12 2:25:04 Japan 2000
おなまえ●秦太
メッセージ● こんばんわ、よせてもらいたい話が二つも登場しているのでひさしぶりに参りました。
ETVの宮城谷さんのインタビューは、私も観ました。
氏の歴史小説に対する考え方が詳しく語られていて、とても興味深かったです。
宮城谷さんの作品はまだ多く読んではいないのですが、一番面白かったのはやはり『孟嘗君』でした。
この作品の魅力のひとつは、同時代の著名人が豪華に総登場することだと思います。
いわゆる諸子百家に数えられる人物だけでも、五人くらい出てきますからね。
史実では孟嘗君と関係のない人も多いのですが、これはまあ『フォレスト・ガンプ』みたいなもので、
物語に自然な形ではめ込まれているのは、宮城谷さんの筆の力なのでしょう。

孟嘗君と言えば、鳴きまねの上手い食客にニワトリのまねをさせて函谷関を開かせ、危地を脱した「鶏鳴狗盗」の故事が名高いですね。
百人一首の「とりのそらねははかるとも」という、アレです。
この故事にちなんだのが、祇園祭の鉾の一つ、函谷鉾(かんこぼこ)です。
よし、無理やり話がつながった(笑)
>じゅんこ様
私の知人が、その函谷鉾のお囃子の演奏者を毎年やっていました。
山鉾には、それぞれ担当する町があるのですが、京都の中心街も人口のドーナツ化がはげしくて、
他の地域の住人でも、町の人が親戚にいたりすると、私の知人のように動員されるようです。
お囃子は単調で簡単そうですが、あれでけっこう熟練が必要なようで、彼もよく学校を早退して練習に参加していました。
山鉾ごとに旋律が違うので、違いを聞き分けながら見物してみるのも一興かもしれませんよ。
函谷鉾に限らず、山鉾はそれぞれ故事来歴を持っているので、歴史好きならその由来を知りながら巡るのが面白いと思います。
たいてい、山鉾の脇に由来を書いた札が立っています。
山鉾の壁面を飾る布(名称を知りませんが)に注目するのも一つの楽しみ方です。
意外に国際色豊かなデザインで、古い時代に海外から渡来した物もあるそうです。
また、沿道の古い町屋のなかには、祭の期間中内部を公開していたり、
所蔵する古美術品を展示しているところがありますので、道すがらお好みで覗いてみるのもいいでしょう。
ただし、よほど体力と時間がないかぎり、全ての山鉾を見て回るのはやめた方がいいかもしれません。
宵山、宵々山の日は、ふだんでも狭い京都の道が、数十万の人で溢れますからね。

ちなみに私のお気に入りは、デザインが個性的な船鉾と、でっかいカマキリの人形を乗せた蟷螂山です。我ながら子供っぽいですな。
(この文、何の資料も見ずに書いてます。固有名詞
じかん● Wed Jul 12 1:32:25 Japan 2000
おなまえ●りょうくん
メッセージ● 宮城谷氏の話題がつづいているのでカキコします。え〜、宮城谷氏の作品をみると常に政治とは何ぞや?みたいな命題があったりとかして感心させられてしまいます。。日本が縄文や弥生であった時代に既に中国では君主論的なお話がでていたりして、歴史のロマンを感じさせられます。(^^)戦国の七雄時代は特に中国の歴史の中でも、おもしろい時代ではないでしょうか・・・・・。(^^ゞ
じかん● Tue Jul 11 23:11:13 Japan 2000
おなまえ●中本
メッセージ●   楽な気持ちで本を読んできたので、すっごく長い論文がでてきたりしてびっくり、この部屋は超まじめな人々の集まりかも?司馬さんの<街道をゆく>が好きであちこち頭の中でたびをしてます。ただし夏は暑いから一休みです。私の故郷は長崎県の佐世保市です。で、肥前の道のくだりを楽しみにしてましたが、司馬さんはさっと過ぎていきました。無理もないよなあ、平戸 長崎にはさまれて影が薄いと妙に納得しました。また、いろんなことで教えていただくこともあると思います。よろしく。
じかん● Tue Jul 11 18:46:42 Japan 2000
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 番外編 − 大日本帝国の国名の由来(2)

仮説というよりも、むしろおおいに直感的推察ですが、明治の元勲たちが、明治日本を大日本帝国と正式に命名した事情なり気分について考えています。

「大日本」の概念や用語法がすでに江戸時代から存在して、一般に流通している事実については既にみてきたとおりです。北蝦夷島の北方や北東に連なる樺太島や千島列島、そして琉球王朝を処分した後の沖縄県を正式領土に加えて拡張した新生日本を、明治政府の人間が敢えて「大日本」と呼称した動機は、歴史内在的にはそれなりに理解できるものと言えましょう(だからと言って琉球処分そのものを正当化するつもりはありませんが)。


大日本帝国。日本帝国ではなく大日本帝国。私はもうひとつあると思っています。それはおそらくこのネ−ミングに際して、一つのある国の名前の日本語の読み方(邦訳)が、当時の元勲たちの脳裏に大きく影響を及ぼしていたのではないかということです。

その国名とは、ずばり大英帝国です。

大日本帝国のネ−ミング以前に、大英帝国という概念、国名が一般的に成立して普及していたのではないか、そして、その国家名称のプロトコルとディスク−ルに対応させるかたちで、日本も大日本帝国とネ−ミング(宣言)したのではないか、とそのように考えるわけです。

大日本帝国憲法のモデルになったのはプロイセン(ドイツ帝国)憲法であり、あの遣欧使節団とビスマルクとの劇的出会い以降、明治国家にとってプロイセンの富国強兵(戦勝、統一、覇権)のサクセススト−リ−が、一つの現実的なモデルであったのは間違いありません。

しかし、元勲たちが近代国家を作って船出する当時の世界、つまり19世紀後半の世界というのは、何と言っても英国が世界を支配し秩序づけている時代でした。元勲たちは英国に憬れていたはずです。

イギリスを英国という呼び方は、Ebglish イングリッシュを英吉利と漢字で書きあらわしたところに由来します。日本では、外国を呼称するときに、漢字一字で言いあらわして、その後ろにこ国を付けるやり方をしますね。例えば、清国、韓国、それから米国、英国、蘭国、仏国。

このなかで英国だけが、特別に大英帝国と「大」がつけられています。米国(亜米利加)は大米合衆国とは呼ばれなかったし、仏国(仏蘭西)も大仏共和国とは呼ばれませんでした。英国だけが大英帝国と「大」がつきます。これは何故でしょうね。

私は二つのことを考えていて、一つは、英国の正式名称が、グレ−トブリテン島および北アイルランド連合王国、United Kingdom of Great Britain and Nothern Ireland で、すなわちグレ−トブリテンを大ブリテンと訳したから、その大をそのまま国名に残して使ったという考え方です。一寸後づけ的と言うかアリバイ的な意味の「理由」です。

もう一つは、まぎれもなくその英国が世界に冠たる「陽の没することのない」世界帝国だったからでしょう。尊称の意味をこめて、幕末明治初年の日本人がイギリスを大英帝国と呼んだのではないかと考えるわけです。当時の英国については、英帝国と言うよりも大英帝国と言った方がはるかに実感を伴ってピタッときたことでしょう。

大英帝国。

海軍が抜群に強く、産業革命で世界の工場となり、痩せた土地の小さな島国というハンディキャップを智恵と力で覆して世界に冠たる大海洋帝国となった国。海軍と産業と通商貿易。そこには明治国家にとってのめざす夢がすべてありました。元勲たちの、大久保や木戸や伊藤が憬れたものが、坂本龍馬が憧れたものがあったわけです。だから、大英帝国にあやかって、大英帝国のようになろうとして、明治国家を大日本帝国と名付けたのだ。

と、私は考えています。大日本帝国に先行して大英帝国があったに違いない、ということですね。大英帝国があって、その憬れの気分で大日本帝国の名前が付き、大日本帝国が大韓帝国の命名を媒介することになった、という歴史推理です。大英帝国、大日本帝国、大韓帝国。こういう順番です。

次は、大韓民国の名前を尋ねる旅の最後の問題ですが、それが何故、大朝鮮帝国ではなくて大韓帝国でなければならなかったのかという問題です。でも、これは考え方としては簡単ですよね。しかし、しばらく筆を執るのを休んでしまうと、書く感覚をなかなか取り戻せなくて大変ですね。思うようにうまく書けない(笑)。
じかん● Tue Jul 11 16:58:24 Japan 2000
おなまえ●アッキー
メッセージ● ココに書き込みするのは初めてです。
読むのは、殆ど司馬作品ですが歴史に関するエッセイも
読みやすくていいですよ。でも、バイブルは「竜馬」

>りょうさん
ウチの大学の入試で宮城谷さんの「孟嘗君」が国語の問題でした。
これ作品は入学後に読んだんですが、やってる時に無茶苦茶面白かった
覚えがあります。
じかん● Tue Jul 11 9:18:33 Japan 2000
おなまえ●じゅんこ
メッセージ● 週末に、京都の祇園祭りに行きます。
どなたかお勧めの楽しみ方、教えて頂けますか?
じかん● Mon Jul 10 23:47:45 Japan 2000
おなまえ●りょうくん
メッセージ● え〜、宮城谷氏の作品のおすすめですが、他には「長重」(晋の文公)や「晏子」(斉の宰相)などがあります。おもしろいので読んでみてください。。(^.^)

じかん● Mon Jul 10 18:52:04 Japan 2000
おなまえ●箱の中身
メッセージ●
じかん● Sun Jul 9 22:21:22 Japan 2000
おなまえ●楡の木
メッセージ● 単純発想ですが、南北統一問題に関して思ったのは、白村江の敗退です。唐と新羅が組んだように敗戦処理の対応<賠償金>できっと日本にからんでくるはずです。その時慌てないようにきちんと準備して、先々禍根を残さないように。そごうやゼネコンに無駄銭を費やしてはなりません。お金は大事に、有効に使いましょう。もし、円で支払うとすれば、アジアに需要が生じお金の循環がはじまり、景気浮揚に役立つかも。とんだ連想でした。
じかん● Sun Jul 9 21:40:31 Japan 2000
おなまえ●山口の花子
メッセージ● 宮城谷昌光の「孟嘗君」1から5を一周間で読んでしまいました。イヤーおもしろかった。でももう一度読まないと細かいところが残ってない。なんせ個性的なキャラが出てくる出てくる、キャラクターカードと地図を作ろうかしらってほど。宮城谷氏の物は初めて読んだのですがよまれた方感想、その他おすすめがありましたら教えて下さい。先週NHK教育に出てらっしぃましたね。
じかん● Sun Jul 9 14:59:16 Japan 2000
おなまえ●半次郎
メッセージ● はじめまして。最近、歴史系ホームページを開設した者です。
僕も司馬先生や永井先生の作品が好きで、参考にさせて頂いています。
池波正太郎先生の作品が僕は特に好きなんですが、読まれないんですか?
最後ですが、リンクを張らせて頂きたいと思います。
アドレスを記しておきますので、よろしければのぞいて見てください。http://members.tripod.co.jp/hanjiro/index.html

じかん● Sat Jul 8 1:12:36 Japan 2000
おなまえ●りょうくん
メッセージ● すごーく、お久しぶりな私でございます。今までちょっと見るだけにしていましたがやはりカキコすることにしました。下記のめぐみさまのお話ですが、僕も募金したいです。(^^ゞどうやったら募金できるのでしょうか?久々にホームページをのぞいてみようかな。なんて思った今日この頃です。。
じかん● Mon Jul 3 18:46:57 Japan 2000
おなまえ●めぐみ
メッセージ● 最近メッセージが少ないようで寂しく感じています。
朝日新聞「千年の文学者」で司馬さんが堂々第3位でしたね。ファンの一人としてとても誇らしい気持ちです。
司馬遼太郎記念館の建築も順調とか。募金も1億を越えたようです。遅まきながら私も募金しようと思っています。そして自分の名前が片隅にでものっかればなあとミーハー的なことを夢見たりもしています。
こちらのHPに来られている方の中にも募金された方はいらしゃるのでしょうか?将来「自分の名前探し記念館ツアー」などができたら楽しいかもしれませんね。
aab39140@pop.02.odn.ne.jp
じかん● Mon Jul 3 18:07:03 Japan 2000
おなまえ●みずえ
メッセージ● はじめまして
北条政子について調べる必要があって、いろいろ検索していてこのページをみつけました。
2度目の訪問で40000Hitだったので、つい記念に書き込んでいます。
やはり北条政子についての本は、永井路子さんの本が最適でしょうか。
他にもおすすめの本があったら教えて下さい。
じかん● Mon Jul 3 18:06:44 Japan 2000
おなまえ●みずえ
メッセージ● はじめまして
北条政子について調べる必要があって、いろいろ検索していてこのページをみつけました。
2度目の訪問で40000Hitだったので、つい記念に書き込んでいます。
やはり北条政子についての本は、永井路子さんの本が最適でしょうか。
他にもおすすめの本があったら教えて下さい。
じかん● Wed Jun 28 20:33:21 Japan 2000
おなまえ●Yoshi
メッセージ● はじめまして。

歴史年表では、朝鮮王朝が国号を大韓帝国と改めたのは
日清戦争後の1897年だったそうです。
記憶違いだったらすみません。

先に永井路子さん専門の掲示板に書き込みましたが、どなたか
海音寺潮五郎さんについてご存じの方はいらっしゃるでしょうか。
(私が持っているのは文春文庫「中国英傑伝」の下巻のみです)
突然の発言すみませんでした。
じかん● Tue Jun 27 13:54:11 Japan 2000
おなまえ●masato
メッセージ● 管理人です。
深津さま、はじめまして。
お褒めいただいてありがとうございます。

ところで深津さまは誰の歴史小説がお好みですか?
では、今後ともよろしくお願いします。
じかん● Sat Jun 24 20:46:06 Japan 2000
おなまえ●深津
メッセージ● 初めてこのHPに訪れましたが、いい内容ですね。
早速掲示板に一言と思いましたが、遼太の父さんのどくだん場
で少々驚きました。これからじっくり読ませていただきます。

http://www.wakwak.net/home/nocturne/bbs.html
じかん● Fri Jun 23 10:30:05 Japan 2000
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 番外編 − 大日本帝国の国名の由来

大韓民国の大韓は、歴史的に遡ってたどってゆくと、大日本帝国の大日本に由来するということを述べました。

ちょっと脇道にそれますが、それでは大日本帝国の大日本というのは一体どういう意味なり由来なりがあるのだろうという問題があります。

大日本帝国を日本の正式な国名として内外に宣言したのは、おそらく1882年の大日本帝国憲法発布の時だと思いますが、伊藤博文を筆頭格とする明治政府の藩閥首脳は、なぜ近代日本の国家名称を大日本帝国とネ−ミングしたのでしょう。

私なりの推測ですが、歴史的な典拠と言うか由来について一つ二つの心当たりを申し上げて、それと、当時の国際環境のなかでの藩閥元勲たちの国家意識の問題について一つの仮説的なところをを申し述べてみます。

まず歴史的な「大日本」の概念の由来というか典拠の心当たりですが、「大日本」は明治になって突然登場した概念ではなく、維新後に新しく作られた造語ではありません。すでに江戸時代から「大日本」の概念と用語法がありました。

心当たりの第一は、何と言っても、あの徳川光圀の「大日本史」です。「大日本史」の編纂は江戸初期明暦年間に始まり、江戸期を通じて水戸藩の彰考館で延々で編纂作業が続けられますが、言われるように朱子学の思想を根幹とする歴史体系であり、幕末の尊王攘夷思想に決定的な影響を与えました。

徳川光圀は何故それを「日本史」ではなく「大日本史」としたのか。よくわかりませんが、「大日本史」と大上段から振りかぶって言われると、いかにも国家の正統史を国家自身が正式な国家的文化プロジェクトとして書きおさめたという感じがします。

もう一つは、これは推測ですが、「大日本」と大をつけることで、幕藩体制下天下六十四州の外側で新たに徳川日本の版図として組み入れられつつあった琉球国や蝦夷島の領土が意識されていたのかも知れません。

「大日本史」はまさに皇国史観の典型と言われていますが、光圀は日本書紀以来の日本の歴史を「天皇を中心とする神の国」の威光の周辺への拡張の歴史として捉えて、自尊的に「大日本」と尊称したのではないかと私は思っています。

「大日本史」以外にも「大日本」のネ−ミングのつく有名な史料があります。あの伊能忠敬の「大日本沿海輿地図」です。間宮林蔵や近藤重蔵らの蝦夷地・樺太探検の業績の後、すでに徳川幕府のレベルで、日本列島を地図化して概念するときには、その表象は小さな日本ではなく大きな日本、大日本として意識されていたということなのでしょう。
じかん● Thu Jun 22 16:16:37 Japan 2000
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 夢いっぱいの統一国家(4) − 大韓民国の国号 その2

なぜ大韓民国なのか、大がつくのか。この問題については二つの説明が必要だと考えています。

一つは、大韓帝国という国がもともとあったのだというお話ですね。大韓帝国、ちょっと聞きなれない国の名前ですが、実際に歴史上実在しました。その時期は日清戦争が終わった1895年から日韓併合の1910年までの15年間です。

韓国の歴史を現在から遡ってゆくと、今の韓国(大韓民国)の前が日本統治下の朝鮮、その前が大韓帝国、そしてその前が李氏朝鮮ということになります。

大韓帝国の誕生には複雑な歴史的事情が絡んでいますが、簡単に言えば、日清戦争の結果、半島における清の勢力と李氏朝鮮内部の親清派が一掃されて、親日派を中心に日本を真似た形での朝鮮の近代化が行われたということです。李朝の朝鮮王が大韓帝国皇帝となりました。

つまり大韓民国というのは、大韓帝国の帝国(Empire)を民国(Republic)に改めたかたちで復活させた国だということになります。元の原状への復帰なのですね。日本による植民地統治以前の国家への回帰、しかし李朝以来の君主制については廃止して共和制に変えた形での復活ということを意味します。

これが一点。

もう一つは、なぜ大韓民国、大韓帝国と大がつくのかという問題ですが、これはもう先の説明でほぼお分かりいただけたと思います。大韓民国は大韓帝国の原状への復活だと言いましたが、大韓帝国のときに「大韓」と「大」の字がついたわけですね。

なぜ大韓帝国という名前、国号にしたのか。これはつまり大日本帝国のネ−ミングの新しい朝鮮近代国家への適用なんですね。徳川日本が大日本帝国となって近代国家建設をはじめたので、それを真似て、国号を大韓帝国としたわけです。親清勢力は追放されていますから、新政府の内部は親日派ばかりで占められているわけです。国名ばかりでなく憲法や議会も全部明治日本を見習おうとしたのでしょう。

大日本帝国と大韓帝国。

よく似た名前です。

大韓民国の「大」は、歴史的に追いかけてゆくと、大日本帝国の「大」に行き着きました。日本は戦争に負けて「大日本」の「大」を外します。韓国は戦争が終わって植民地前の原状に帰ろうとして「大韓」の「大」を残します。帝国こそ民国に変わりましたが、別に「大」の字を外さなければならない理由はなかったわけです。

ずいぶん長々と大韓民国の名前の由来について論じてきました。民国の呼び方は中華民国に由来し、また大韓の大は大日本帝国に由来するということを申し上げました。歴史的です。大韓民国という名前には東アジアの近代史がそのまま編み込まれています。

しかしまだあります。まだ論じてない問題がありますね。二つあります。

一つは、それじゃあなぜ日本は近代国家として出発するときに大日本帝国という名前をつけたのか、大日本帝国の「大」はどうしてついたのか、何で日本帝国ではなくて大日本帝国なのかという問題です。ちょっと脇道的な問題ではありますが、何で「大」がつかなければいけなかったのでしょう。

もう一つは、大韓帝国の「韓」ですね。何で大朝鮮帝国ではなくて大韓帝国なのかという問題です。何で「韓」の呼び方を国名にしたのでしょう。この問題は、でも、ここまで深く東アジアの国名と歴史について議論してきたわけですから、考え方としては簡単ですよね。
じかん● Thu Jun 22 10:36:27 Japan 2000
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 夢いっぱいの統一国家(3) − 大韓民国の国号

韓国の正式名称は大韓民国ですね。なかなか面白いと言うか、興味深い名前です。この大韓民国という名称をハングルでどう表記しているのか私は不明ですけれども、文書などでは漢字を使って大韓民国と表記するのが、たぶん正式な形なのではないかと私は想像しています。

ハングル文字と日本語のかな文字を同一視してはいけないのは当然ですが、自分なりの推測としては、ハングルでそれを表記してしまうと、例えば日本で「日本国」を「にほんこく」と書きあらわすような、そういう軽い感じになるんじゃないかなと思ったりするわけです。

大韓民国を英語で表現すると、

・ Republic of Korea

実に簡単です。

Republicを民国と表記したわけですね。普通、Republicは共和国と訳して呼びます。その訳がどこが起源なのか私には不明ですが、おそらく幕末から明治初年にかけての日本ではないかと私は推測していますが、漢字圏である東アジアでは、Republicを共和国と訳して言うようです。中華人民共和国とか朝鮮民主主義民共和国がそうですよね。

それでは、なぜ、大韓民国は大韓共和国ではなくて大韓民国なのか。Republicを共和国ではなくて民国にしたのか。

正確な知識を持たないままに下手な推理を続けているので恐縮なんですが、東アジアの近代で、Republicを民国として国号をなした国がありますよね。そうです、辛亥革命で清朝を倒した孫文の中華民国です。Republic of China。 中華民国があって、その国号の方式に準拠するかたちで大韓民国としたのではないか。そう私は考えています。

戦後の東アジアで、まず毛沢東の中国共産党が、Peoples Republic、人民の共和国を建国したわけですね。人民民国とはせずに人民共和国としました。それは、ひとつは人民民国では民が重複して不適当だということもあったでしょうし、それ以上に蒋介石の中華民国に対抗して、それよりもモダンで普遍的な共和国の方を採用したのだと思います。

そして北側は中国と同じ方式で人民共和国、Democratic Peoples Republic、を作るわけですが、一方の南側は、今度は逆に中華人民共和国や朝鮮民主主義人民共和国とは同じ国号の考え方を取らないぞという主張をこめて、つまり共産主義国への対抗意識と東アジアの伝統に依拠する意味をこめて、中華民国にならって大韓民国にしたのだろうと思います。

中国大陸で共産主義勢力が打倒されたあかつきには、中国全土のRepublicは再び中華民国として統一回復される。同じように北の共産主義を排除したあかつきには、朝鮮半島全土のRepublicを大韓民国としよう。当時の韓国の人たちはそう考えたのでしょう。

さてそれでは何故、韓民国ではなくて大韓民国なのか。なぜ「大」がつくのか? そして、なぜ朝鮮民国ではなくて大韓民国なのか。その問題がまだ残っています。韓国国号問題の論議が果てしなく続いてしまいますね。どうも恐縮です。
じかん● Wed Jun 21 14:41:31 Japan 2000
おなまえ●masato
メッセージ● 管理人です。

このたび、永井路子さんの話題に限定した専用掲示板を新設しました。

以前から永井ファンのみなさまからの要望があり検討していましたが、このところさらにそう
いったご意見をたくさんいただくようになったため新たな掲示板を始めることとしました。

こちらの掲示板も今後ともよろしくお願いします。
じかん● Tue Jun 20 23:39:08 Japan 2000
おなまえ●ギターシーズー
メッセージ●   初めまして。このHPにたどり着くことができて幸せ一杯の自分です・・・。
  とある図書館で永井路子さんの全集を見つけたのですが、全部よんだこと
  ありました・・・しかし!今は文庫で絶版になっているものもあるので、
  やはりおすすめですよね!

  全集を買う余裕がない方には古本屋巡りが一番かもしれません!
  思いがけない作品に出会って、超興奮しますよ!

  これからもここにきたいと思います。  
じかん● Tue Jun 20 18:20:11 Japan 2000
おなまえ●じゅんこ
メッセージ● 久々に来ましたら修復と朝鮮半島のお話で嬉しくなりました。

S水様
仏像修復のお話ですが、私もずっと以前から思っていたのですが、言葉でどう説明したら良いか
端的な言葉が見つからず、もどかしい想いをして来ました。

司馬遼太郎の「風塵抄 二 125 若さと老いと」に見事に表現しています。
彼の仏教視観は辛気臭くなく広がりを感じさせてくれるので、私は好きですね。

ゴールデンウィークに開山1150年祭の中尊寺の「一字金輪佛頂尊」を拝見しましたが、大変保存状態が良く、色彩も鮮やかでした。最初は今まで見た事の無い仏像だなと思うぐらいでしたが
日に日に脳裏に浮かび上がる印象深い像で、拝見できて幸せでした。これが東南アジアあたりのテカテカとした極彩色化されたものでしたらこんな気持ちにはならないでしょうね。

中尊寺の修復の再に、金色堂の長押の裏から庶民の供養の為の、小さな五輪の塔がでてきた話が好きでして、清衡という人物がうかがい知れ、藤原四代の栄光が垣間見れますね。
何処かで修復があると聞くと、なんだかワクワクします。

2年前に韓国に行きましたが、韓国の方々が統一を切に望んでいらしたので、今回の首脳会談の成功は大変喜ばしい思いです。
韓国の寺院や史跡も、私の見た所では日本と同様、手を入れてない様に見えました。なにぶん、
数ヶ所しか見てないので何とも言えないのですが、とにかく興味深い国で何度でも行きたいと思っています。(お金と時間があれば・・・)




じかん● Tue Jun 20 15:33:53 Japan 2000
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 夢いっぱいの統一国家 (2) − 北朝鮮の今後のお話を中心に

めぐみ様の励ましのお言葉を頂戴して、元気百倍になりましたので、再び韓国・朝鮮の統一のお話について続けることにいたします。

下で私は、統一後の国家の名称について、

・ 大韓民国
・ 大韓共和国

の二つの可能性を挙げました。

朝鮮民主主義人民共和国になる可能性は、まず間違いなく無いでしょう。それは無理です。韓国提案の統一準備段階である、「連合方式」に進むまでに、北朝鮮は、おそらく改革開放路線に転じ、さらに中国式の社会主義市場経済に経済システムを移行させてゆくでしょう。

それは他に生き残る道がないからです。これからの21世紀の現代世界で、社会主義国が今後も社会主義国として生きのびようとすれば、中国式の社会主義市場経済をモデルとして採用する以外にありません。他の試みは全部歴史的に失敗しました。北朝鮮の「宗主国」である中国自身が、そのことを強くリコメンドし、また技術的なノウハウを伝授してゆくことでしょう。

これからの1年間で北朝鮮は、世界中の数十か国以上と国交を樹立させ、外交チャンネルを拡充させます。そのことによって自然に北朝鮮の情報が外に出るようになり、クロスして、外の情報も北朝鮮に入ってゆくでしょう。そうなれば、北朝鮮は、改革開放路線で外資を導入して産業を興し、経済を発展させてゆく以外に道がありません。

そうなって、改革開放が板につけば、スム−ズに例の国家連合(Korea Union)を構成できるようになります。そこまで、早ければ3年、遅くて6年でしょうか。金正日総書記は、親父の金日成の真似をして、同じ絶対的独裁地位を継承しつつ、ケ小平やゴルバチョフの経験の要領を取り入れて、力のある指導者として君臨するつもりなんでしょう。

北朝鮮が改革開放路線に転じて社会主義市場経済をめざしたとき、そのとき何が起こるかですが、北朝鮮の市場経済化をめぐって、中国と韓国の経済的な綱引きが始まると思います。北朝鮮の市場経済化を中国と韓国のどちらがリ−ドしてゆくかという問題です。中央銀行はじめ金融システムはどちらの専門家が指導するのか、とかですね。韓国はかなり神経質になるでしょう。

金正日総書記は、両方のバランスをうまく取って、どちらからも独立するように経済運営の舵を切ろうとするでしょうが、中国は北朝鮮の市場と資源を中国東北地方の経済圏に取り込もう
とするでしょうし、韓国は政治的統一に先駆けて、経済的統一(韓国ウォンの北朝鮮全土での流通)を図ろうとするでしょう。

そして、私はその経済的角逐と相克のなかで、韓国ウォンが勝利して、半島全体が統一的な国民経済圏を作り上げるのではないかと思います。後は、南北で統一選挙を実施して統一議会を作るのみですね。北朝鮮の労働党の退場のときです。金総書記が元気で生存していれば、統一議会名誉議長のような名誉職に就く可能性がありますね。統一議会は、国名を大韓民国、もしくは大韓共和国として宣言することになるでしょう。

その統一国家の名称の問題を論じようと思ったのですが、前置きとしての北朝鮮の今後の展望の話になってしまいました。どうも話がそれて先へ辿りつくことができません。
じかん● Tue Jun 20 13:53:30 Japan 2000
おなまえ●遼太の父
メッセージ● めぐみ様

おひさしぶりです。相変わらずお元気そうですね。会津へいらっしゃるとか。北から会津は遠いですね。どうぞお気をつけて行ってらっしゃい。

柄谷行人の『倫理21』をお読みになられましたか。素晴らしい。めぐみ様のインテリジェンスぶりにはいつもながら舌を巻く思いです。いいですね。柄谷行人、昔は好きじゃなかったのですが − 私はポストモダンの思想やそれにかぶれて知ったかぶりをちゃらちゃら言っている若いオタク連中が死ぬほど嫌いなのです − 最近はよく頑張っているなと思います。

『可能なるコミュニズム』という本も出していますが、これもなかなかいいなと思って読みました。タイトルだけを見ると、「何だろう今さら」って感じなのですが、中身はいいんですね。やはりこのレベルを超える批評家というのは、なかなか日本にはいないなと率直に思います。

市場経済と資本主義とは違うのだ、という、われわれの世代ではある意味で当然の原理認識なのですが、最近ではそうでなくなっているこの命題を、きちんと経済学の概念を使って論じていました。

いつか、きちんとしたかたちで、司馬遼太郎と昭和天皇について書いてみようと思っています。司馬遼太郎と天皇制、司馬遼太郎と昭和天皇、という問題は、本当にきわめて重要な思想的イッシュ−であって、それは司馬遼太郎研究としても重要であり、また現在の日本の思想状況を分析する上でも重要な問題だと言えると思います。

誰かにアイディアをパクられるといけないので、これ以上は言いませんが (笑)。

そのうちインタ−ネット統制法なんていうのが施行されて、皇室に不敬な言動を吐いた者は懲役1年とか、日本の国体を否定して共産主義に同調する書き込みをした人間には懲役2年とか、そういう思想統制刑法が現実に制定されるかもしれません。

本当に冗談ではなくて、森首相の「神の国」発言が憲法違反であると、法的にきわめて常識的な当然のことを指摘しただけで、あれだけネットの向うから石つぶてが飛んできました。美濃部達吉の天皇機関説事件とか、その当時の戦前日本の恐ろしい思想環境のことを想起せざるを得ません。いつから日本は草の根レベルでこんなに右傾化してしまったのでしょう。

きっと掲示板の管理人さんのところに、こいつは昼間どこからアクセスしてるんだとか、サ−バ−のアドレスを教えろ、みたいな脅迫まがいのメ−ルが飛び込んだことでしょう。今はそれが単なる通りすがりの悪質な暴挙で済んでいるわけですが、それがいつか国家権力の思想警察によって公務としてなされ始めたら、もう私たちは終わりだということです。恐いですよね。
じかん● Tue Jun 20 12:06:51 Japan 2000
おなまえ●めぐみ
メッセージ● 遼太の父節健在のご様子でほっとしています。私は理系出身なので歴史は中学まで。実際のところは「歴史に必要なものはすべて司馬さんから学んだ」といっていいでしょう。回りに文系がいないので、遼太の父さんはじめいろいろな発言を読んで勉強させて頂いています。
アメリカではネットで「イスラム」「アラー」「原理主義」などのフレーズを監視しているとの話もありますが、日本ではいつまでネットの平和が保たれるのでしょうか。通信傍受法は現代の治安維持法ではないかとひそかに危惧していますが。
柄谷行人の「倫理21」に天皇の戦争責任に関する論説がありましたね。皇太后の逝去にともなう特集番組で久しぶりに昭和天皇が放映されて、また天皇制に思いをはせました。私自身は皇太后逝去で昭和の終焉を再度思い知らされた気分です。

ところで来月とうとう念願の会津旅行をすることになりまして、司馬さんの「街道をゆく」など読み返しております。できれば只見の河合記念館にも足を伸ばしたいと考えています。会津のみどころなどご存じのかたがおりましたら教えてください。
じかん● Tue Jun 20 10:54:10 Japan 2000
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 夢いっぱいの統一国家 (1) − 気分はもう統一

下で触れました、統一後の朝鮮半島国家の国の名前の件ですが、私の推測を少し申し述べてみます。

統一がどのようなかたちでききるのかに依りますが、予想としては、最終的に、

・ 大韓民国
・ 大韓共和国

の二つのうちのどれかに落ち着くだろうと思っています。

ただ、ここへ辿りつく前に、暫定的・前段階的なあり方として、あの共同宣言の二番目の統一条項で出てきたところの韓国側の主張ですけれども、「連合案」の段階があるとすれば、それの呼び名をどうするかという問題があります。

連合案というのは、AとBの二つの主権国家が存在して、その二つが連合して国際社会のなかで立ち振る舞うということを意味します。ちょっと分かりにくい話ですが、分かりやすい例で言いますと、あのソ連崩壊後のCIS(独立国家共同体)のイメ−ジで考えていいのではないかと思います。

もし、この連合案が統一へのステップとして実現されたとき、おそらくその名称は、国際社会のなかで英語で、

・ Korea Union

と呼ばれることになると思います。

問題は、さてこれを日本語でどう訳すかということですね。日本政府は悩みます。「韓国連合」でも駄目、「朝鮮連邦」でも駄目、なかなかいい日本語が見つかりません。南に偏ってもいけないし、北に偏ってもいけないし、何とかいい日本語をあてはめなくてはいけません。で、またまた例によって私の推測ですが、悩んだ末に日本政府はこれを、

・ コリア連合

と英語読みを使って訳すか、あるいは敢えて思いきって、

・ 高麗連合

と、「高麗」をもってきて訳すのではないかと思います。高麗は Korea の語源であり、韓国でも朝鮮でもない第三の呼び名だからです。外務省が「高麗連合」を推す動機は、コリアという英語(外国語)読みを使うのを嫌うというところにあります。

ただ、この場合ひょっとしたら問題があって、この呼び方が、例の以前に北朝鮮の金日成が提唱していた名称「高麗民主連邦共和国」を想起させるということで、韓国側からクレ−ムが出る可能性があるかもしれないということです。韓国としては、固定的なイメ−ジのする「高麗連合」よりも、いかにも暫定的な呼び方である「コリア連合」の方を好むのではないかと想像します。

外国では、ただ Korea と言うだけで済むのですが、日本でそれをどう呼ぶかということが微妙に人々の頭を悩ませる問題になるんですよね。それが歴史的繋がりを深くするお隣さんというものなのです。そのへんの感覚にビビッドになることが、いわゆる歴史的センスというものだと私は思います。

ちょっと前まで、韓国では日本の天皇のことを天皇と呼ばず日王と呼んでいました。韓国の人々の歴史認識では、東アジアで皇の字がつくのは中国の皇帝だけで、辺境の日本の王様が皇の字をつけて自称するのは不遜だという感覚があったのでしょう。無論、それにいわゆる「日帝35年支配」への恨みの感覚が微妙に交錯していたわけです。

また長くなってしまいました。韓国のことを考えはじめると長くなります。司馬遼太郎と同じです。そして、もう私の気分はすっかり「統一」に向いているんですね。先のことをあれこれ想像して、ひとりでお節介を焼いて楽しんでいるわけです。

結局、この稿では、統一国家がなぜ「大韓民国」あるいは「大韓共和国」の名前に落ち着くかというところまで議論を進めることができませんでした。「連合案」の段階での呼び名の検討で終わりました。次の稿でそれを考えてみます。これはつまり大韓民国という国家名称の由来に迫る問題です。

じかん● Mon Jun 19 18:02:08 Japan 2000
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 感慨いっぱいの君主制と共和制

小渕恵三、梶山静六、皇太后、そして今日の竹下登と、激動の昭和から平成にかけて活躍されたお偉い方々が、ここへ来てどんどんお亡くなりになっていっています。この中で私なりに惜しいと思ったのは、梶山静六一人だけで、正直なところ、あとの人たちには何の感傷も哀悼も感じません。

今でも余韻を引いて残っているのは、韓国の金大中大統領が南北首脳会談を終えてソウルの空港へ戻って来たときの感動的な場面で、空港ロビ−で、可愛らしい小学生の子供たちが韓国の国旗を振って、「われらの願いは統一」を合唱して大統領夫妻を出迎えた場面です。

南北首脳会談は、最初の平壌空港到着の時から異例づくめで、衝撃的で感動的な場面が連続する三日間でしたけれど、その中でも私は、特に最後の大統領がソウルに帰還して国民に向けて帰国報告をしたときの場面が最高のクライマックスだったように思います。

共和制っていいな、と私はそのとき心の底から思いました。

大統領が民族の悲願を実現するために、独自の政策を携えて、命を賭けて「敵地」へ首脳交渉にのりこんでゆく。そして世界中の人をあっと驚かせる歴史的な成功を勝ち得て、国民の下に凱旋、成果を報告する。その尊敬する偉大な大統領を国民が出迎えて歓迎し暖かく祝福する。いい絵ですよね。

そういう理想的な指導者と国民のあり方、元首と国民のあり方というのが本当に羨ましく、カッコよく見えたわけです。国民の運命と悲願を優秀な元首指導者にまかせて、固唾をのんで交渉の行方を見守る国民、その国民の信託を一身に担い、なおかつその期待以上の達成を獲得して国民に返して見せる元首指導者。いいと思いますね。まるでカエサルのような英雄ロマン。これぞまさに歴史的ロマンです。


10年前ですか、あの大喪の礼があり、そして古式ゆかしい即位の礼を生まれて初めて見たときに思ったことは、君主制(天皇制)も悪くないなということでした。考えてみればアジアでは、長い歴史と伝統を持った君主制の国家体制がいろんな国で滅亡して行って、東アジアでは日本だけがそれを守っているんだということでした。

中国の皇帝制は辛亥革命のときに清朝が滅ぼされてピリオド。李氏朝鮮も日本に植民地化されて途絶え、光復後は南北ともに共和制に移行。沖縄は琉球処分のときに尚氏が廃されて王制は消滅。そして遠くアフリカのエチオピアの帝政も廃されて、世界中の君主制がどんどん消えて無くなって行く中で、日本の象徴天皇制は限りなく歴史的に貴重に見えたものでした。

これはどうしても日本人が守って保持していかなければいけないものだという感慨を正直に持ちました。

しかし、私も年をとってきて、自分の人生もそう残り長くないのだと思ったとき、そういう天皇制の永続性と存在の貴重さに対する思いにも、少し変化が生じてきました。と言うより、天皇制に対するプラスの気持ちとマイナスの気持ちが行ったり来たり往復するようになってきたという感じです。きっとこれからもそれは死ぬまで行きつ戻りつするのでしょう。

つまり、正直に申し上げて、今は天皇制に対する感慨の振り子がぐっとラディカルな方向に振れて、自分が死ぬその間際には、一瞬だけでもいいからこの目で共和制になった新生日本が見てみたいなどと思ったりしているわけです。下の信長論も、そういう感慨のなかで書き綴ったものです。

まあしかし、こんなことを憲法の言論の自由の下で堂々と言えるのも、ひょっとしたらあとわずかかも知れません。(時に私自身にも矢が飛んでくる)インタ−ネットの世界で知らされる強烈で狂信的な日本の右傾化を思うたびに強くそう思います。不敬罪とか治安維持法などが大手を振って復活する時代ももうすぐなのかもしれませんね。
じかん● Mon Jun 19 14:33:24 Japan 2000
おなまえ●masato
メッセージ● 管理人です。
幸子さま、はじめまして。歓迎します!

昼休みに読書ですか。
図書館はいつ行っているんでしょうか。うちは職場も自宅も図書館は遠いから。
永井路子全集あるんだったらがんばっていってみようかな。(買うべきか)

このHPで紹介している以外で、他の作家のものでもいいものがあればどんどん
紹介してくださいね。
杉本苑子さんの東大寺大仏殿建立の頃の小説とは何でしょうか?
杉本さんの作品はわずかしか読んだことないんですよ。

歴史小説なしに私の人生はないとはなかなかヘビーな歴史小説ファンですね。
今後ともよろしくお願いします。

じかん● Sat Jun 17 13:48:36 Japan 2000
おなまえ●幸子
メッセージ● 私は永井さんの大大ファンです。ここで紹介されています物はほとんどよんでいます。
全集は全部読みました。(でも手に入れていません。図書館で借りています。飛鳥から
室町頃は何と言っても永井さんですね。このページははじめて見まして永井さんの作品が一杯で、大感激です。)
歴史物を読んでいますとその時代に思いをはせて心うきうきします。
会社員として働きながら家事もあり、主に会社の昼休みが読書タイムです。
永井さんの他、井上靖、又いま杉本苑子さんのやはり東大寺大仏殿建立のころの小説を読んでいますが、苑子さんもすばらしいですね。
松本清張さんの天保改革の頃も今読んでいますが、これも感激。とにかく歴史小説なしに
私の人生はありません。ホームページありがとうございます。
又見させていただきますのでよろしく。sacchann1@excite.co.jp

じかん● Fri Jun 16 17:11:20 Japan 2000
おなまえ●失礼、訂正です。ひどい誤字癖。
メッセージ● 軍国主義、暴行傷害事件
じかん● Fri Jun 16 16:56:36 Japan 2000
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 箱の中身さん、

この戦争の傷跡と対日感情の問題は、北朝鮮だけでなく中国にも残っていますし、韓国にも残っています。北朝鮮のように激しく直接的には言いませんが、韓国の人も中国の人もシンガポ−ルの人も、そして沖縄の人も、日本の軍国主意について基本的に同じ感情を持っていると考えなければなりません。

たとえば戦争だけでなく、殺人事件でも暴行障害事件でもそうですが、よく言われるのは、加害者はそれを忘れやすく、被害者はそれを忘れにくいという問題ですよね。

こういう話になったとき、私は最近の若い人たちに少し申し上げたいことがあって、それは私自身だって決して戦争を経験した世代ではないし、朝鮮戦争なんて知らないし、戦後日本のモノのない時代なんて知らない世代だということです。

歴史家、例えば司馬遼太郎でもいいですが、司馬遼太郎が幕末維新のことを語るときというのは、本当に昨日ぐらいにその幕末の京や江戸の現場に行って、実際にその目で見てきたように人物や事件を語るでしょう。松蔭や西郷や竜馬や晋作と実際に話をしてきたように、生き生きとリアルに語るでしょう。

しかもその歴史を語る語り方というのは、決して過去の、紙の上の活字になった話をしているという感じではないんですよね。現在の自分と生々しく関係している世界の話として語られるのです。自分たちの精神世界を構成する重要な一部としてそれを捉え、自分たち自身の体験としてそれを語っていますよね。

歴史というのは全部自分たちに繋がっているのです。時代時代に生きた人たちの人生が重なって、私たちの生がいまあるのです。同じようにわれわれの人生も歴史となって、将来の人々に語られ、彼らの意識の中で生きてゆくのです。

歴史とはイマジネ−ションですよ。

歴史認識の能力とはイマジネ−ションの能力です。どれだけリアルにその歴史の現場を想像で再現し、それを自分のものとして感じ受け止めることができるかという能力です。われわれは決して一人で生きているのではありません。われわれの前に生きてきた無数の人たちの、苦しみや悲しみの積み重ねの上に、彼らの希望や無念を託されて、いま生きているのです。

私は、4月にも書きましたが、やはり戦後日本というのは、罪深い存在だなという原罪意識がありますね。朝鮮戦争で何百万人もの犠牲者を出させて、その戦争需要を踏み台に日本経済が戦後復興したのは事実です。朝鮮戦争特需が高度成長に繋がり、われわれの豊かな生活に繋がっています。朝鮮戦争がなければ、きっと日本の復興はもっと遅く、そして逆に朝鮮半島の経済発展はもっと早く進んだことでしょう。

教育としての歴史とはイマジネ−ションの訓練です。想像と共感の訓練です。世界中の人と通じ合えるような、普遍的でコンパティブルでトランスペアレントな歴史認識を持つ必要があります。それは外国語を話せるようになること以上に、日本の若い人たちにとって大切なことだと私は思います。

じかん● Fri Jun 16 14:28:25 Japan 2000
おなまえ●箱の中身
メッセージ● 管理人さんへ
名前のみでメッセージなしのメールを削除してください。ミスしました。すみません。
遼太の父さんのメールをいつも読んで感心しています。そこで北朝鮮関係の話題なのですが、十日ほどまえ(?)あるニュースで、北朝鮮に日本のジャーナリストが行って、平壌の日本語専攻の学生に色々な質問をすると言うものが、ありました。そこで学生が言ったことのなかで、どきっとした言葉がありました。「日本は敵。危険な存在。」
私は大学生です。戦争は遠い過去のこととして存在しています。朝鮮の人たちを、差別したり敵性視したりすることはありませんが、加害者意識もなく、したがって罪の意識もうすい、というのが本当のところです。だから、自分と同じくらい年齢の人たちにそういう敵意を向けられたことに、驚いてしまったのでした(もちろん、その現場には、朝鮮の体制側の人間がいて、そういう制約はあったのですが)。
あらためて両者の意識の違いを思い知らされました。
韓国と北朝鮮が今、和解に向けて努力していますが、それは本当に他人ごとではなかったのだな
と言うことを、実感しました。


・・・読み直したら変な文でした。あしからず。

じかん● Fri Jun 16 14:28:24 Japan 2000
おなまえ●箱の中身
メッセージ● 管理人さんへ
名前のみでメッセージなしのメールを削除してください。ミスしました。すみません。
遼太の父さんのメールをいつも読んで感心しています。そこで北朝鮮関係の話題なのですが、十日ほどまえ(?)あるニュースで、北朝鮮に日本のジャーナリストが行って、平壌の日本語専攻の学生に色々な質問をすると言うものが、ありました。そこで学生が言ったことのなかで、どきっとした言葉がありました。「日本は敵。危険な存在。」
私は大学生です。戦争は遠い過去のこととして存在しています。朝鮮の人たちを、差別したり敵性視したりすることはありませんが、加害者意識もなく、したがって罪の意識もうすい、というのが本当のところです。だから、自分と同じくらい年齢の人たちにそういう敵意を向けられたことに、驚いてしまったのでした(もちろん、その現場には、朝鮮の体制側の人間がいて、そういう制約はあったのですが)。
あらためて両者の意識の違いを思い知らされました。
韓国と北朝鮮が今、和解に向けて努力していますが、それは本当に他人ごとではなかったのだな
と言うことを、実感しました。


・・・読み直したら変な文でした。あしからず。

じかん● Fri Jun 16 13:51:02 Japan 2000
おなまえ●箱の中身
メッセージ●
じかん● Fri Jun 16 11:07:30 Japan 2000
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 補 − 北朝鮮の呼び名の変更 −

何度もすみませんがちょっと補足です。

米国の新しい共和党政権が北朝鮮を正式に承認して国交を樹立すれば、それに追随してわが国も渋々と北朝鮮と国交を樹立することになります。何でも米国の後から米国に従って同じ事をするのが、わが国の外交の手法です。

そうすると何が変わるか。大きく変わることがあります。それは、いまわれわれがあたりまえのように使っている「北朝鮮」という呼び名、この呼び方を恐らく変えなくてはいけません。

国交樹立にあたって、このことを日本政府は北朝鮮政府から申し入れられることでしょう。北朝鮮にとっては日本人から「北朝鮮」と呼ばれることは不本意な蔑称になります。大韓民国のことは韓国と呼ぶのに、何でうちは「北朝鮮」なんだ、という主張ですね。

これまで北朝鮮は、朝鮮民主主義人民共和国を日本語で略して呼ぶときは、「共和国」と呼んでくれ、と言っていました。さて国交が樹立されたあと、日本政府と日本マスコミは北朝鮮をどういう呼び名で表現するようになるでしょうか。

「北朝鮮」のままで通すのはまず難しいでしょうね。国交樹立を祝賀する意味もこめて、政府外務省は「北朝鮮」の言い方をやめる判断と指示を下すだろうと思います。しかし北朝鮮側の要望どおり「共和国」とは呼ばないでしょう。それはしないでしょうね。

私の推測ですが、いろいろ考えましたが、たぶん「朝鮮」と呼ぶようになるのではないかと思います。

南の大韓民国を韓国、北の朝鮮民主主義人民共和国を朝鮮と呼ぶようになるのではないでしょうか。あくまで略称としてです。「北朝鮮」の呼び方を「朝鮮」と変えることで、はじめて国交樹立の意義が日本の社会全体に大きく染みとおることになりますね。

かつて、日本は国交樹立前の中華人民共和国を「中共」と呼んでいました。「中共」は中華人民共和国の略称だと言うこともできましたが、本当は中国共産党の事を意味していました。それまでは「中国」と呼ぶ正統性を中華民国政府(台湾)の方に認めていたわけですね。

72年の日中国交正常化のとき、日本は台湾と断交して、中華人民共和国の方を正式に中国と呼び、そして中華民国の方は台湾と呼ぶようになったのでした。

北の朝鮮、南の韓国と、これからはこうなります。二つが統一したとき、その国の名前はどうなるのでしょうね。私にはそれについてもある推測があるのですが、長くなるので今回はやめておきましょう。
じかん● Fri Jun 16 9:26:04 Japan 2000
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 感動いっぱいの首脳抱擁

南北首脳会談が成功に終わって、日本の市民の一人としてとても嬉しく思っています。金大統領にご苦労様と言いたいですね。天国から身をのりだして見守っていた司馬遼太郎も、きっとご機嫌でしょう。雲の上で、同じ朝鮮文化史研究の仲間だった金達寿と祝杯を交わしているだろうと思います。

昨日、首脳会談の成功と共同声明を受けて、民団と総連がそれぞれ和解と協調を呼びかけるメッセ−ジを出し合いました。これは初めてのことで、日本の戦後の歴史上きわめて画期的な出来事です。川崎では早速、民団と総連が一つの会議に集まって話し合いを始めていました。

雪解けが、あっと言う間に、ものすごいスピ−ドで始まりました。日本における民団と総連の友好と協調の動きがさらに加速して、半島の統一をリ−ドしてゆくことになるかも知れません。それは司馬遼太郎が長年望み続けていたことであり、また、朝鮮問題について司馬遼太郎が示した問題解決のための知恵(戦略)でもありました。

この首脳会談の意義は決して小さくありません。昨日までの世の中を一瞬で変えてしまう。これが政治の魔術的な力であり、政治というものの素晴らしさです。ゴルバチョフが言ってましたね、政治は可能なるもののア−ト(芸術)だと。金大統領には、太陽政策の成功の功績によってノ−ベル平和賞が贈られることでしょう。


今回の意義について、新聞が論じていない点を私が二点ほど述べてみます。

一つは、韓国国民がこれによってはっきりとchangeしたことです。太陽政策は、これまでは金大統領周辺と支持者だけのプリンシプルでした。しかし今は、韓国国民のほぼ全員が熱烈な太陽政策支持者になり、太陽政策主義者に変わりました。太陽政策は揺るがない国是となり国民的な政治原理となったわけです。

これからは、韓国国民の一人一人がそれぞれの太陽政策を実行して行こうとすることでしょう。嫌い否定していた北朝鮮を認め、和解と友好と平和統一のために、今自分ができること貢献できることをを探し、それを実行しようとするでしょう。この民間レベル市民レベルのエネルギ−とパワ−が、南北の統一に向けての気運と可能性をさらに高めてゆくに違いありません。

太陽政策が政府レベルのものから国民レベルに下りて、韓国全体の国民運動となり国民目標となったこと。これが今回の首脳会談の政治の決定的な意義です。

もう一つは北朝鮮の方ですが、こちらも大きく変わります。どう変わるか言いましょう。つまり、今回の首脳会談の北朝鮮にとっての決定的な意義は、国際社会から完全に認められる存在になったということです。否、むしろ国際社会における寵児になったとさえ言えるかも知れません。

今年の各国のニュ−スにおける外報で、恐らく北朝鮮関連報道はダントツのシェアを獲得することになります。国際ニュ−スは、年末まで北朝鮮一色でしょう。まずこの後、ロシアのプ−チン大統領が平壌を訪問します。ヨ−ロッパは今回以上にこの首脳会談に注目することでしょう。そして8月の離散家族再会イベントが大ニュ−スとして世界に配信されます。

プ−チン大統領に続いて、今年中に欧州の各国首脳がわれ先に平壌を訪問して、北朝鮮と国交を締結することでしょう。いま北朝鮮の外務省には、その打診が世界中からどんどん飛び込んできているに違いありません。まずフランスのシラク大統領が行くでしょう。欧州の主要国は今年中に全部北朝鮮と国交を結ぶだろうと思います。国交を結ぶ国が広がれば、それだけ経済支援も多く受けられるようになります。

北朝鮮と金正日総書記は、ミレニアム2000年の国際政治の主役に踊り出ます。そして、恐らくは日本より早く、(つまり中国のときと同じように)新しい米国大統領が平壌を訪問して米朝の国交を結ぶことでしょう(そう言えば中国のときのニクソンも共和党だった)。こうして北朝鮮は名実ともに国際社会の一員となるわけです。

そのことが今回の首脳会談でほぼ確実なものになりました。これが第二の画期的意義です。

政治は素晴らしい。そう感じるときが10年に一度くらいありますね。あらためて金大中大統領に祝福と慰労の言葉を贈ってあげたいと思います。お疲れさまでした。そしておめでとうございます。太陽政策の勝利です。

じかん● Thu Jun 15 23:09:32 Japan 2000
おなまえ●山口の花子
メッセージ● 久しぶりに書き込みます。
南北朝鮮のニュースを見て思うこと。日本人が朝鮮民族にしてきたこと
それをきちんと日本人として解決せず進んできた日本社会。
朝鮮民族にとって前途は多難だろうけど、国として若者に未来への課題と夢がある。
日本は、教育の中で、歴史の年代を覚え込ませるより、朝鮮問題など自分の問題として考え、どう自分がそれに関わるか考えさせることなく50年来てしまった。その結果が今の17歳の事件に象徴される日本社会の若者。政治がらみになる面倒をさけ問題にできない現実。各家庭で親と子が、このニュースについて親子でどういう話ができるか、私自身の問題として、人のせいにせず、そこからみんな考えていく事が大切ではと思う。
掲示板には世代によっていろんな意見が出てるけど、出すこと、一人一人が反対にしろ、賛成にしろ声を出す事が今の日本人にとって大切だと思って読ませてもらってます。インターネットてその意味ですごくいいですよね。
ことば足らずでわかりにくいかもしれませんが、金大中氏、もしかしたら殺されていたかもしれない彼が、今北朝鮮で会談している、彼の気持ちを考えると、じーんとくる物があって、変わらないかもしれないと思われていることも、変わっていく物だとうれしくなってしまいます。

じかん● Thu Jun 15 23:08:55 Japan 2000
おなまえ●masato
メッセージ●
S水さま
テレビでどこぞの大修理なんてのがたまにやってると必ず見てます。
西本願寺の飛雲閣の修理は最近テレビで見ました。現状だけ見るとなかなか製作時の様子は
想像できませんね。仏像、襖など色がなくなっちゃって。
本物は大切に保存した上で製作当時のレプリカを置くというのがいい手のような気がします
し、また年月を経た姿を見るのも捨てがたい・・・かな。
じかん● Thu Jun 15 12:28:16 Japan 2000
おなまえ●しが
メッセージ● S水様
建物の一部を塗り直したりしているところはありますよ。例えば、西本願寺の御影堂が今大修理を行っていますが、天井画や障壁画の色が塗り直されています(因みに以前バイトをした事がある表具屋が行っています)。瓦も葺きなおしされますし、かなり往時の姿を取り戻すと思います。ただし、内部は大幅に現代風になるみたいですけどね(詳しい事は忘れましたけど、たしか椅子を設置すはずだったような・・・)。
仏像などは所有者の意向もありますし、なかなか元のようにとはいきませんね。どうしてもという場合はレプリカが造られ、展示・安置されてる事もあります。レプリカに関しては、」現状そっくりに造る場合と元の姿に近づけるものとがあります。博物館のレプリカは大抵が現状のものです。本願寺飛雲閣の36歌仙杉戸などは、全部新しく作りましたからねえ。本物は現状保存ですけど。





じかん● Thu Jun 15 11:53:06 Japan 2000
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 腹いっぱいの玉流館冷麺

フォ−ククルセイダ−スの「イムジン河」は、松山猛が日本語化した歌詞に、当時の北朝鮮がクレ−ムをつけ、政治問題化することを恐れた東芝が自主的に発売中止するところとなって、幻のフォ−クソングになりました。もう32年も前の話です。

その突然の不遇の中で、若い加藤和彦と北山修が「イムジン河」をテ−プを逆回転させて聴きながら一気に作曲したのが「悲しくてやりきれない」でした。ジョンレノンの手法を真似た一瞬の壮挙だったわけですが、あらためて加藤和彦の天才を思い知らされるエピソ−ドです。

3年くらい前の東京12チャンネルのなつメロ番組で、杉田二郎と南こうせつが懐かしそうにギタ−を弾きながら歌っていました。いい曲です。

昨夜もニュ−スステ−ションがよかったですね。17歳の視聴者からのメ−ルでのリクエストに応えて、日韓併合から太平洋戦争の終結、そして南北両国家の成立と朝鮮戦争、その朝鮮戦争特需で戦後復興した戦後日本、という一連の近現代史を、短い時間ながらきちんと久米宏が伝えていました。

日本の学校教育では、このあたりのところをあまり丁寧に教えてないんですよね。現代日本人にとって必要欠くべからざるきわめて重要な基礎知識だと思うのですが、きちんとした歴史認識をもっている人間が(特に若い世代で)少ないのです。久米宏はよい教育をしました。これこそ本来のテレビの役割というものです。

久米宏の配慮に先んじて、この私も些末ながら、歴史的な首脳会談をサポ−トする基本的歴史知識のご提供に貢献をさせていただきました。4月の掲示板の過去ログをご覧いただきたいと思います。

ただ、朝日新聞などのマスコミは、金正日総書記の会談での饒舌ぶりについて、好意的に書いているのですが、私は別の感想を持ちました。意味のない饒舌だと思います。独裁者に特有の、周囲を憚らない不遜で傲慢な態度のように見えました。

生まれながらに独裁者の子供で、ものごころついた時から、周囲のすべての人間が奴隷のように媚びへつらっておどおどしながら仕えていて、やりたい放題言いたい放題してきた人間の表情と態度のように見えます。節度と分際を知らない、生まれながら自制と分別を知らない人間の姿です。

北朝鮮という国の中で、あのように屈託なく饒舌に話をできるのは、あの金正日ただ一人だけなのです。あの男は、北朝鮮の中でいつもあのように饒舌をやり、周囲の部下たちはそれを家内奴隷のように怯えながら緊張しながら聞いているのでしょう。

金大中大統領の一言一句には政治家としての熱意と誠実さがこもっていますが、金正日総書記の駄弁にはそれは全く感じられません。金正日総書記というのは、確かに頭は悪くないのでしょうが、どうも精神的には小心者のように見えますね。

政治交渉において真に重要な精神的な溜めの資質というか懐の深さというものが全然無く、従ってあの饒舌ぶりも、何となく一生懸命虚勢を張っているように見えるのです。敢えて言えば、小沢一郎とよく似た精神構造のわがままな二世政治小僧という印象でしょうか。

おっと、饒舌は禍のもと。
じかん● Wed Jun 14 17:44:40 Japan 2000
おなまえ●S水
メッセージ●  なるほど!「現状保存」ですか。目から鱗が落ちる思いです。だけどそういうことなら完成当時の姿を見ることはできないんですねぇ。仏像彫刻をよく見ると、結構赤やら緑の模様が残っていたりするのですが、ほとんどが薄暗いところに安置されているので、一見カビのように見えたりします。想像力の乏しい僕には、わずかに残った模様で、完成当時の姿を思い浮かべることができないので、塗り直してもらえたらいいなぁ。などと思っていた次第です。
 建築物も教えていただいたついでに書き込ましていただきます。平等院鳳凰堂についてなんですが、鳳凰堂の中は極楽浄土をイメージされて造られており、阿弥陀如来を取り囲む周囲の壁にも舞い踊る天人が配置されています。しかし建物の外見はいうまでもなく中身の朱色や天人の塗料がああも剥げ落ちていては、極楽浄土にはほど遠いような気がします。なんだか嘆かわしかったです。こんなことをいう訳は、鳳凰堂を見学していたとき、たまたま外国人のツアーがやってきたことによります。数多くの国から、日本を選びはるばるやってきたこの人達にはどのような印象を受けているのか考えると、なんだか申し訳ない気がしました。なんとかならないものですかねぇ。例えとして平等院鳳凰堂をあげましたが、他にもこういう文化財は多いような気がします。「現状保存」といわれれば身も蓋もないのですが....。
じかん● Wed Jun 14 12:12:02 Japan 2000
おなまえ●しが
メッセージ● S水さま
おひさしぶりです。
文化財保存の基本理念は「現状保存」が通例となっていたとおもいます。つまり、これ以上の破壊を防ぐ目的で修復を行うことになり、余計な手は加えなかったはずです.ただし、建築物に関しては安全性の問題などもあり大幅に手を入れる事も有ります。これは重文のことですが、外観だけを残して中は現代風に作り変えたりする場合もありますよ。

じかん● Wed Jun 14 9:46:25 Japan 2000
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 胸いっぱいの臨津江

イムジン河水清く涛々と流る
水鳥自由に群れなし飛び交うよ
わがこころ南の地思いは遥か
イムジン河水清く涛々と流る


昨夜は幾つかの報道番組でその歴史的瞬間とそれに関連する映像を見ましたが、久米宏のニュ−スステ−ションがよかったですね。大阪市生野区にあるコリアタウンの焼肉屋さんにカメラを入れた映像です。

総連系三世の男性と結婚した韓国籍一世の若い女性が、「とても嬉しいです。早く南北が統一して、そして日本と仲良くしていきたいと思います」と言ったのに対して、久米宏が、

「私、そういうふうに韓国の方から優しい言葉をいただくと、とても感動して嬉しくなってしまうのですが、・・」と応えましたね。勿論、生中継の台本無しのリアルタイムの会話です。よい場面でした。

本当の人間の知性と良識というのは、きっとこういうところでポロッと発現されるものなのでしょう。久米には知性と良識があり、やはり最終的に信用できる男だと確信させられました。


ソウルのプレスセンタ−では、韓国の記者たちが、両首脳が空港で握手した瞬間、立ち上がって拍手をはじめました。ソウル市内の街頭でテレビを見ていた市民たちも手をたたいていました。日本に住む在日の人たちも、数人で一緒にテレビを見ながらそのとき自然に拍手しました。

平壌のように動員された「人民」が「熱烈に」拍手喝采する図ではなくて、ひとりひとりが静かに万感の思いを込めて自然に両手をたたく姿でした。

それはとても感動的な映像でした。生きていてよかったと思うのは、こういう瞬間に立ち会った時です。

ベトナム戦争が終わって、南北に分断されたべトナムが統一したのは今から25年前。私は高校3年生でした。ゴルバチョフが彗星の如く登場して、ベルリンの壁が崩れ、東西ドイツが統一したのは今から10年前。私はまだ若く、最前線で仕事と格闘していました。

必ず南北が統一する日が来るでしょう。私はそれを生きてこの目で見るでしょう。その歴史的瞬間に立ち会い、そして心を許せる友達を呼び、胸いっぱいの歓びを声にして、銀座かどこかで祝杯を上げることでしょう。一晩中飲み明かして、わが人生の記念の日にするでしょう。
じかん● Tue Jun 13 9:10:27 Japan 2000
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 信長の革命事業(4)ー 東アジアの歴史から 

何年か前に秀吉の朝鮮侵略ついて関心を持ったことがあって、姜在彦とか何人かの研究者の著作を調べたことがありますが、普通は老秀吉の誇大妄想の気まぐれのように片付けられているこの海外侵略が、実は相当綿密に構想され計画された政治的軍事的大事業であったことがよくわかりました。

後陽成ですかね、今週の大河ドラマ「葵」に出てきましたが、秀吉は、明朝を滅ぼした後、後陽成天皇を北京に動座する計画を持っていたと言います。東アジアの大秀吉帝国の中心を北京に置こうと考えていたわけです。中国大陸も「神の国」にしようとしたわけですね。20世紀の陸軍参謀本部と同じ野望です。

そして、自分自身は上海に座所を構えて、そこで東アジア一円の世界貿易を差配・統括する経済貿易上の君主として君臨することを考えていたようです。天竺(インド)は豊臣政権諸将の切取次第とし、天竺までを大秀吉帝国の版図とする構想だったと言います。

視点を少しずらして考えると、秀吉(信長革命の後継者)は朝鮮半島で住民の抵抗によって挫折、東アジア征服事業に失敗してしまいますが、秀吉にかわってこれを成功させたのが、明を滅ぼして清朝を建国した女真のホンタイジだということができるかもしれません。

明朝滅亡の一因が、秀吉の侵略に対して李氏朝鮮を救援するために派兵、戦闘したことによる国家的疲弊にあったというのは歴史家のほぼ一致した見方で、16世紀から17世紀にかけての東アジアの激動において秀吉侵略の果たした役割というか意味は決して小さくないものと思われますね。

しかしそこから派生する一つの疑問は、なぜホンタイジはじめ清朝の皇帝たちは、あの壮大無比な遠征・征服事業のなかに朝鮮半島と日本を入れなかったかということですね。西の方はタクラマカン砂漠を突き破って、はるか中央アジアのイリ地方まで征服してしまうのに、なぜ故郷の満州のすぐそばにある朝鮮半島、そして日本列島に侵出しようとしなかったのか。

清の矛先が日本へ向かわなかった理由として考えられるのは、フビライの失敗の歴史的記憶があったということ、そして秀吉を継いだ徳川政権、つまり日本の軍事力を相当に恐れて警戒したということなのでしょうね。李氏朝鮮と清帝国にとって、徳川日本は、きっと鎖国後も警戒すべき危険な眠れる獅子であったのでしょう。

じかん● Mon Jun 12 23:24:28 Japan 2000
おなまえ●中村亮一
メッセージ● 私は45歳のおっさんです。

このホームページは、1ヶ月に1度以下程度で見る事がありました。
その都度楽しくおもいましたが、最近そうでもないのです。

政治に関すること(人)が何度も出てきて、だんだん、いやになっ
てきました。これからこのページを見る事がなくなるだろうなと
感じつつ、是非行っておきたいことがあります。政治についてで
なく、個人のプライドに関してです。

小渕元首相は、司馬遼太郎の考えを政治で具現化しようと思ってい
たと思います。逆にいえば、司馬遼太郎の精神的ささえがなければ、
あれだけ出来なかったと思います。

悪い悪くないという野暮な議論は、歴史好きの中ではさらに野暮の
野暮です。

といいつつ、小渕という歴史の中にも、のらない人を私は考えています。

首相という役割が、リョウタの父さんのいうように、一国の主か
どうかという問題があります。今は、戦国時代とは違う時代にあります。
その中で、戦国武将のイメージを現代の首相に当てはめようとしている
のは、いささか無理があると思います。

小渕さんの事にもどります。
私は、とにかく、小渕さんは首相として立派だったと思います。
どこが?
という野暮な事はきかないで下さい。

私の心の中では、司馬遼太郎と小渕恵三はだぶってます。

人それぞれなのです。







じかん● Mon Jun 12 20:34:59 Japan 2000
おなまえ●S水
メッセージ● ふと疑問に思ったことを書きこましていただきます。基本的に国宝といわれる仏像彫刻は古い時代に作成されたものです。だから当然劣化しています。痛みがひどいものについては修復工事が行われるわけですが、この修復についての疑問です。完成当時の状態に近づけるのが修復の目的だと思うのですが、当然これらの仏像彫刻は完成当時、極彩色或いは金箔で彩られていたはずです。ですがどの例をみても絶対色については塗り直されているためしがないんです。これはなぜなのか。なにか修復についての規定があるのか、あるいは技術的なものなのか。それとも一定の古さを醸しだたせるため手法(笑)なのでしょうか。
じかん● Mon Jun 12 17:24:19 Japan 2000
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 信長の革命事業(3) − 天皇と朝廷と京 −

さて、信長論について先を続けてみたいと思います。

信長イフヒストリ−の3つ目は、初めに少し触れた「神の国」の問題ですね。「天皇を中心とした神の国」の存続の問題です。社会科学的、歴史科学的に言えば、信長は天皇制についてどうしようとしたのか、という問題です。これについては、結局のところ想像を働かせるしかないわけですが、

非常に難しい問題ですが、信長は天皇を英国国教会におけるウェストミンスタ−寺院の大司教のようなポジションに格下げして置いたのではないか、というのが私の想像です。

東アジアに広がる信長帝国が、いわば19世紀の英連邦(コモンウェルス)で、英連邦の頂点に英国王が存在するような形で信長が君臨します。天皇は英国教会のウェストミンスタ−寺院の大司教のような形で、たとえば伊勢神宮の宮司に戻らされるというような事態が起きたのではないかと思います。

いわゆる朝廷という制度、システムは完全に廃止されたに違いありません。正x位とか従x位とかいった官位を任命する伝統的な権利は剥奪され、摂政とか関白といった平安以来の身分や職階も全部廃止されたことでしょう。純粋に祭祀だけを司る天皇家をを伊勢神宮に残して、朝廷という準政治的な存在は潰してしまったものと思われます。

もっと簡単、率直に言えば、信長はおそらく京の街と京都御所を焼き払ったのではないかと思いますね。比叡山を焼き打ちして、抵抗する僧侶を皆殺しにしたように、御所に火をかけて、反逆する公家を全部殺戮したのではないかと思います。

天皇を伊勢神宮に移し、そして新興の商人や職人を新しい都である北九州のどこかの町に移住させて、そのうえで用済みになった京に火をかけたのではないかと思います。寺も神社も丸焼けです。下鴨神社も上賀茂神社も等持院も大覚寺も全部消えてなくなるわけです。794年以来の京の歴史は完全に息の根を止められて、単なる地べたになったことでしょう。

ペルシャ帝国を滅ぼしたアレクサンドロスがペルセポリスを焼き払ったように、信長は古代中世の日本の伝統が凝縮されて保存されている京を何の未練もなく焼き払ったことでしょう。まさに革命ですよね。
じかん● Mon Jun 12 16:00:34 Japan 2000
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 無題 − 矜持 −

世の中にはいろいろな方がいらっしゃって、感じ方もさまざまです。聖人君子でもないかぎり、この世の全ての人から愛され可愛がられるということは難しいことでしょう。また、いろいろ変った個性の人間がいるからこそ世の中が面白い、ということもあるのかも知れません。

私自身もそうした変わり者の一人であり、また恥ずかしくなるほど無知無学な人間ですが、無知無能な人間なりに、この掲示板でのコツコツと続けてきた contribution の努力が実りはじめたのか、最近、「頑張れよ」と暖かいお声をかけてくださる応援のお言葉を頂戴するようになりました。実にありがたいことです。

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じかん● Fri May 12 4:44:59 Japan 2000
おなまえ●千葉太
遼太の父さんがんばって下さい、応援しています。
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じかん● Fri Apr 28 14:36:52 Japan 2000
おなまえ●四国人
メッセージ● はじめまして。
この掲示板、おもしろいところですね。
今までみてきた中で、一番や。
遼太の父さん、貴方は最高!
応援します。頑張ってください。
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じかん● Thu Mar 30 18:03:15 Japan 2000
おなまえ●じゅんこ
メッセージ● 遼太の父様へ
久々に骨の有る男の生の声を聞きました。
..今夜は知恵熱がでそうです。
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私はこれまで一度も掲示板のあり方とか運営について口をさし挟んだことはなく、(今回のこの唯一の例外を除いて)今後ともそれをするつもりはありませんが、私には掲示板の書き込みについて3つのポリシ−を持っています。

1、管理者の決めたル−ルに従う
2、掲示板で喧嘩はしない
3、無意味で低レベルな書き込みはしない

以上です。

掲示板において管理者のル−ルは絶対であり、その運用は100%管理者自身の独断に依るものです。誰もそれに口をさし挟む権利はないし、必要もありません。運用(削除措置等)の根拠を問うことも無用です。管理者は掲示板の運用について説明責任はありません。不服があれば、書き込む人間が他へ出て行けばそれでいいのです。

日本のインタ−ネットの掲示板では、何かと言うとすぐに、「管理人出てこい」とか、「管理人はこの問題をどう考えているんだ」、とか、「ここはどういう掲示板なんだ、説明しろ」、などと騒ぎ立てる輩が出て来ます。そして、そういうのに下手に関わりあい始めると、例外なく掲示板が荒れてゆきます。

ル−ルがあるのですから、書き込む人間がしっかりそれを守ればそれでよいのです。ル−ルを運用するのは管理者で、書き込む人間はそれをただ守るだけです。

ですので、私の書き込みがル−ルに違反したものであれば、それは直ちに管理者によって削除をしていただければよいのでして、その処置に対して私は不服を言う権利も資格も一切ありません。削除の理由や根拠を求めることもしませんし、事前および事後の注意や警告も不要です。

天国の司馬遼太郎にジッと見守られているのだと思えば、つまらない喧嘩は絶対できないし、レベルの低い書き込みもできないのですね。私自身は、誰かに中傷されても別に構いませんので、「中傷されたから助けてくれ」などといちいち管理者を呼んだりはしません。中傷に対しては黙殺で応えるのみです。それが男子の矜持というものでしょう。
じかん● Mon Jun 12 13:08:44 Japan 2000
おなまえ●masato
メッセージ● 管理人です。
遼太の父さま
ひこざえもんさんの発言

ところで、これはただ不思議に思うだけなのですけれど、遼太の父様の投稿はいつも昼間ですが
、職場から送信しておられるのですか?あんなに長文をいっぱいお書きになるのは、よほどお仕
事がヒマだからですか?失敬、これは余計なお世話でした。

といったところですね。

この掲示板の質に関しては自分のHPではありますが、非常に満足していました。
内容のまったくないあいさつみたいのがひたすら続く掲示板が多いですから。
おとなの掲示板として、ご協力をお願いします。書き込みボタンを押す前にもう一度読み返しま
しょうね。

じかん● Mon Jun 12 10:44:00 Japan 2000
おなまえ●遼太の父
メッセージ● masatoさま、

下の書き込みの中で気になる部分があったのですが、

「中傷ととれる内容の発言が見受けられましたが、今回はイエローとさせていただきます。」

とありましたが、具体的に、誰が誰を中傷しているのでしょう。私に関係したお話のようですので、気になりましたのでお尋ねしておきます。
じかん● Sun Jun 11 3:01:00 Japan 2000
おなまえ●masato
メッセージ● 管理人です。
最近どうも重複した書き込みが多いようですね。どうしてかな?
幾人かの重複した発言を削除させていただきました。ご了承ください。

また、遼太の父さまの発言に関してですが、この掲示板は何でもOKを基本としております。
不都合なものとは判断していません。
ただ、最近の傾向を敷居が高いと感じ、掲示板への発言を控えてわたしにメールをくれる方が
増えているようです。
はじめて訪れる方が気軽発言できるような掲示板であればと願っていますのでご協力をお願い
します。
中傷ととれる内容の発言が見受けられましたが、今回はイエローとさせていただきます。

茶々さま
HP見せてもらいましたよ。
今後の発展を期待してます、がんばってくださいね。

じかん● Sat Jun 10 0:36:29 Japan 2000
おなまえ●セバスチャン小川
メッセージ● 松平定信について

当方は今までに歴史小説の類はあまり読んだことがありません。理由はどうも作者の主人公への過度の思い入れがあり客観性に乏しい様な先入観があるからです。その上歴史的な人物にあまり興味が無かったと言う理由も個人的にはあります。しかし、先日松平定信の生涯が簡単に紹介された文章を読むに至り今までの歴史の授業での寛政の改革の推進者以外の側面が分かり俄然興味が沸いてきました。付いては歴史小説には全くと言っていい程知識が無いので何方か松平定信を主人公とした歴史小説があればその作者と書籍の出版元を教えてもらえないでしょうか。
じかん● Fri Jun 9 17:27:12 Japan 2000
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 信長の革命事業(2) − 世界征服

もしも信長が暗殺されずに生きていたらどうなったか。

その二つめの問題は、外征です。

信長の天下布武の天下は、日本の天下六十四州のみに限定されるものではありませんでした。信長が生きていれば何をしたかを、いちばん明確にわれわれに示しているのは、信長の後継者となった秀吉のその後の行動です。

歴史家はしばしば秀吉の朝鮮出兵を、気が狂ったとか老独裁者の誇大妄想から始まった大失敗といった言い方でイレギュラーに処理しようとしますが(実はわが司馬遼太郎もそう処理しています)、この歴史認識は間違いですね。朝鮮出兵は堂々たる海外侵略事業なのです。

信長において、それは神聖で未完の大いなる革命事業の続きであったに違いありません。天下布武を地球上のどこまでも果てしなく拡大させてゆこうとしたわけです。13世紀モンゴルのチンギス・ハンや紀元前ギリシャのアレクサンドロスのような世界征服事業をやろうと企図したわけです。

信長は合戦に勝って支配地域を拡大するたびに、自分の首都を移転しました。美濃を征服すれば岐阜へ、近江を征服すれば安土へ。それは次の領土拡張事業のための準備でした。したがって信長は、九州から東北まで日本全国を征服した後は、休息することもなく、治世を固めることもなく、迷うことなく対馬海峡を渡って朝鮮半島へ攻め込んだことでしょう。

秀吉は朝鮮侵略にあたって筑前名護屋に巨大な城郭を築いて座所としますが、この行動パタ−ンは、すなわちかつての信長の戦略手法をそのまま真似たものです。攻略タ−ゲットとする土地・獲物の近くへ近くへと座所を移して行った信長のやり方を真似たわけですね。

秀吉にとって信長こそが死ぬまで唯一絶対の先生でした。秀吉は、自分の頭脳で理解できる範囲で、そして自分の資質と能力で可能な範囲で、信長の革命事業をそのまま継承し、その天下布武の理念を地上に具現化しようとしたのです。その意味で、秀吉もまた革命家でした。
じかん● Fri Jun 9 17:16:09 Japan 2000
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 信長の革命事業(1) − 天下統一

もしも信長が暗殺されずに生きていたらどうなったか。

まず全国統一事業ですが、信長の場合、それまでのやり方を見ていると、今川(駿河・遠江)、斎藤(美濃)、朝倉(越前)、浅井(近江)、そして武田(甲斐・信濃)と、各地の有力な戦国大名を悉く攻め滅ぼして支配地域を拡大しています。大名たちは例外なく生首となりました。

この例から想像すると、まず間違いなく、毛利、長宗我部、上杉、北条、伊達、島津の順番で次から次に、息つく間もなく攻め滅ぼされて行ったことでしょう。秀吉の場合は、北条を除いて各地の戦国大名を豊臣家の家臣として傘下に収めるマイルドなやり方で全国統一を果たしましたが、苛烈な革命家であった信長は決してそのような生ぬるい手法は選ばなかったでしょう。

特に、鎌倉以来の長い領国経営の歴史を持ち、かつ琉球国と隣接する重要な地政学的位置にあった島津に対しては、根絶しにするべく徹底的に攻撃、征服したに違いありません。信長と島津の決戦なんて想像しただけで興奮してしまう絵ですね。総大将はやはり秀吉だったに違いないでしょうが。毛利長州も、島津薩摩も、16世紀で日本史から消えてしまっていたわけです。

征服した土地には暫時的に家臣を配置したのでしょうが、光秀の例を見るまでもなく、有能な家臣ほど、先へ先へ天下布武の戦闘の最前線へ送り出して、部下の家臣に安住の領地を与えることはしなかったでしょう。信長は中央直轄の郡県制型システムを志向したのだろうと思いますが、彼が生きている間には、おそらく平和的で安定的な地方行政システムが全国的に確立することはなかったでしょう。

その理由は次に述べます。

要するに信長の政治学には平和という文字が無かったということです。
じかん● Wed Jun 7 18:34:19 Japan 2000
おなまえ●遼太の父
メッセージ● キリスト教禁止も同様ですね。

私たちは、島原の乱の悲劇とか踏み絵とかを中学高校の歴史で習いながら、徳川幕府のキリスト教禁止の措置を、悪いもの、よくないもの、思想信条の自由への不当な権力的干渉として考えがちなのですが、私の場合は大学でいろいろ学ぶうちに考え方が少し変りました。

幕府がキリスト教布教禁止を強固に実施したために、結果として日本はキリスト教圏の一部とならずに、どうにか独自の文明を守ってゆくことができたように思います。フィリピンやインドネシアの東半分はキリスト教圏になり(西半分はイスラムが残りました)、そしてスペインやポルトガルやその後にきたイギリス・オランダの植民地になってしまいましたが、日本はその難を免れることができました。

近代ヨーロッパの国々が、アジアやアフリカ、中南米を植民地化するときには、必ず先にキリスト教の宣教師が布教に行って、彼らの医学や天文学の知識や技術をフルに動員しながら、被植民地となる土地の住民や支配者に巧妙にとりいってゆくことをします。

宣教師が布教活動をしながら、その狙った国々の政治システムや宗教システムを観察・分析し、その国々をキリスト教の支配下におさめる戦略を練るわけです。武力が有効なら武力、布教が有効なら布教、貿易だけでいいなら貿易だけ。イエズス会の場合、まさしくそういう活動でした。

信長がキリスト教の宣教師の布教を許したのは、一つは彼らの知識や情報や技術が欲しかったからです。信長はだれよりも彼らの知識を貪欲に求め学びました。そして興味のあるもの、利用できるものは積極的に採り入れて、生活や戦争に利用していきました。

信長が宣教師の布教を許したもう一つの理由は、信長にとって旧弊で邪魔な存在であった寺社勢力を駆逐、牽制するためでした。この世の宗教は寺社だけでなく他にもあるぞと、寺社の権威を相対化しようとしたわけです。自分の天下布武の政治的支配のためにキリスト教を利用しようとしたわけです。

ですから、その延長上で考えれば、天下布武が成就して中世的な寺社勢力の権威権勢が一掃されてしまったとき、そしてキリスト教がその穴を埋めるように日本で勢力を拡大させていったとすれば、きっと信長は、比叡山や本願寺などの寺社勢力を厳しく弾圧したのと同じように、手の平を返すようにキリスト教を弾圧したことでしょう。

NHKの番組でも言っていましたように、信長にとっては周囲のものは、すべて自分の目的を実現するための手段に過ぎないわけですよね。だから、キリスト教も手段として利用できるかぎりで利用しただけであって、利用価値がなくなれば、邪魔なものとしてすぐにポイっと捨ててしまうわけです。私は信長が生きていえば、きっと後でキリスト教を禁止して弾圧したに違いないと考えています。徳川幕府などよりもはるかに苛烈で残酷なやり方で。
じかん● Wed Jun 7 16:45:16 Japan 2000
おなまえ●遼太の父
メッセージ● よしえ様 − 信長の政治理念と鎖国の意義 −

こんにちは。織田信長が生きていればもっと早く日本は近代国家になっていただろうという議論は多いですね。前にご紹介したことがありますが、境屋太一経済企画庁長官の著書でPHP研究所から出版されている『鬼と人と』という本があるんですが、そこでの見方もそういうものでした。

それに関連して、真に無粋な話題ですが、信長が暗殺されずに生きていれば、ひょっとしたら日本は「神の国」ではなくなっていたかもしれないな、というようなことをふと思ったりもしました。

日本史に革命家は何人かいますが、本当の意味での革命家は、平将門と織田信長の二人だけかもしれません。つまり「神の国」の伝統を拒絶して、それを切断して、新しい伝統を創造しようとする大胆な営みという意味です。日本史においてこれ以上の革命的思想というか革命的事業はないでしょう。

信長は朝廷からの官位を拒んで、安土城で自分を絶対的な神として臣下に崇めさせる儀式をやっていたと言います。その、いかなる伝統的権威をも否定して、自らのうちに超越的絶対的権威を志向する政治思想は、当然ながら、地上に二人の「神」の並存を許容するはずがないものです。

信長がデザインしていた新しい日本の国家体制と権威のあり方の素地は、たぶん16世紀から17世紀のヨーロッパの絶対君主制で、つまり、スペインのフェリペ2世とかフランスのルイ14世とかイギリスのジェームス2世の王権神授説的な性格のものだっただろうと私は想像しています。

ただ、信長の政治意志を継ぐ人間が出たら鎖国もキリスト教禁止もなかっただろうと考えるのはちょっと違うんじゃないかと思っていて、信長の意志を継いだ秀吉はキリスト教徒を弾圧しましたし(長崎使徒殉教事件)、また豊臣政権が続いたとしても恐らく徳川幕府と同じように鎖国も実施していたことと考えます。

キリスト教禁止も鎖国も難しい問題ですが、とりあえず鎖国の問題から言うと、全国を統一した中央政府が鎖国を実施しないと、つまり地方の大名たちが勝手に外国貿易をやって富を蓄積しますから、それは中央政権にとっては許容できない問題であるわけです。つまり貿易の独占ですね。それが鎖国の第一の意義です。それと外国勢力と地方大名が手を結ばないように統制監視すること、それが第二の意義。そして最後に情報の独占ですね。国際情勢の動きとか、新しい西欧
の技術文化とか、そういうものが地方大名の耳に入らないように厳しく統制することです。

これはたとえ信長であっても、天下統一の後は必ず実施したことでしょう。と言うより、信長政権にあっては、もはやそれ以前に、地方大名という割拠的・自治的・分権的な権力存在さえおそらく許容されることなく、したがって鎖国する必要さえない強力無比な中央集権型政治体制になっていたのかもしれませんが。
じかん● Wed Jun 7 15:28:33 Japan 2000
おなまえ●よしえさん
メッセージ● もし本能寺の変がなかったら...。
皆さんの意見を読んで面白かったので、私も考えて見ました。まずやっぱり信長は家臣の誰かに殺されてたと思います。だって信長はよく家臣に裏切られてたんですよね。裏切りの果てはやっぱり暗殺じゃないでしょうか。また誰かに殺されてなくてもきっと信長は早死にしたんじゃないでしょうか。信長は教科書で習った印象とは違い、裏切った家臣を許してあげたり前例のない事業や政策をどんどん押し進めていってました。だからストレスで早死にしたかも...。
でも、信長が天下をとって家康のように幕府をひらいていたら。せめて信長の意思を継ぐ人物が政治を行っていたら、鎖国もなく、キリスト教廃止もなく、もっと早く日本は近代国家になってたかもしれませんね。
以上が私のつたない頭で考えたことです。
じかん● Wed Jun 7 0:29:46 Japan 2000
おなまえ●茶々
メッセージ● はじめまして。
検索でここに辿り着きました。
私も永井路子さんの大ファンで特に鎌倉時代、北条一族にはすっかりハマってしまい
ました。「北条政子」を読んでる時はすごく不思議なカンジでした。
既に鎌倉という時代はとっくに昔のことでこの本の登場人物たちは既に土の下だと
思ってもなんかどこか異国の地で自分が読んでるページがリアルに今おこってるような
感覚で・・・。
鎌倉時代を舞台にした小説は他の作家さんのも多々読みましたがやっぱり永井さんが
一番でした。

・・・というわけで私の鎌倉時代HPにももしよかったらおこしくださいませ♪
・・・というかもっと時代関係にしたかったんだけど鎌倉の土地紹介のようになった部分も
ありますが。

http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Ocean/5453/index.htm
じかん● Mon Jun 5 23:46:08 Japan 2000
おなまえ●天狗
メッセージ●
じかん● Mon Jun 5 18:13:00 Japan 2000
おなまえ●以蔵
メッセージ● 付け足しです。
かなり頻度の高い割合で、千歳や小松からスクランブル発進している現在、
某国を信用することはできません。
拳銃を持ってちらつかせる、そのスジの方に安心なんか出来ないですよね。
じかん● Mon Jun 5 17:28:50 Japan 2000
おなまえ●以蔵
メッセージ● 総書記訪中の件について
憶測で申訳有りませんが私の次のように考えます。
「北朝鮮は決して南北統一や中国の改革路線など考えていない」
理由:
1.現体制維持
内状はともかく、国主たる金正日が国家(政府ではなく)を手放すことは如何なる理由があろうとも考えにくいです。それこそ、「国体」の維持が前提であると思います。
旧体制(現体制)の側近入れ替えをせずに踏襲していることが証拠と思えます。
2.外交カードの取得(その1)
訪中の外交的意義は偏った見解かもしれませんが、ワイルド・カードの入手と考えたほうが無難であると思います。と、言うのも中国と交渉を確立することにより、世界からの孤立(国連、米)を防ぎ、中国の存在のため、米は交渉権(圧力)を、より、行使しにくくしたと見ています。
3.外交カードの取得(その2)
資源、技術水準の乏しい北朝鮮は中国の技術を視察することにより、米、韓、日に間接的に餌を撒いたと考えるべきだと考えます。これにより、目的は技術の入手かどうか分かりませんが各国との交渉の余地を残したと考えます(自国にだけ有利な)。
4.テポドン、ノドン
日本にとっては偉い迷惑なもの(と言うより脅威)テポドン、ノドンはそもそもが外貨取得のため製造された経緯があり、発射実験はデモンストレーションの要素が濃いです。
(構造は到って簡単で制御することは出来ない風船爆弾みたいな代物です。それ故、打ち落とすのが難しい(音速を超えて垂直に落ちてくる物など、波動砲でも難しい)のもまた事実で日本にとって脅威である事には変わりが無いです。)
政治的にも日本にアプローチ(個人的には戦宣布告と思う)と言うよりは、韓、日を手玉にとって、その背後の米との交渉を有利にするための布石と思っています。
(この点でも日本はかなり舐められている。)

以上の点から、隣国には厳しい観測を持っています。
平和は望むべき物ですが、楽観できる事ではないと思います。
じかん● Mon Jun 5 15:31:42 Japan 2000
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 総書記訪中と南北首脳会談のお話

少し前に朝鮮半島の南北首脳会談実現に関連して若干書きましたが、先週の訪中のニュ−スもなかなか興味深いものでした。首脳会談がどのような結果で終わったとしても、このことは司馬遼太郎の墓前に報告する価値が十分ある出来事のように思われます。きっと司馬遼太郎は、天国から身を乗り出すようにしてこの動きを見守っていることでしょう。

久米宏は、「21世紀の新しい時代に向けて東アジアの情勢が急速に動き始めています」とニュ−スの冒頭で表現しましたが、言い得ていますね。もし、この構図で米国のポジションに日本を置き換えて仮想すれば、事態はまさに日清戦争前夜の情勢配置になります。日本の代わりに米国が韓国の後ろ盾になっているわけで、20世紀の100年の間に米国が東半球に拡大して張り出した事実を歴史的に思い知らされます。

それから中国は、中華人民共和国になっても、依然として「宗主国」なんですね。極端な言い方をすれば、中国からみて北朝鮮は柵封国家であるわけです。実際に抗日解放の建国の歴史に大きく関与していますし、さらに朝鮮戦争のときは人民義勇軍を派遣して国連軍と戦い、多くの犠牲者を出しながら国連軍の侵攻を鴨緑紅から板門店まで押しもどした実績があります。ベトナムと似たポジションの国ですね(ベトナムと中国は20年前に戦争をしましたが)。

米国も中国の了解抜きに北朝鮮をあれこれ操作することはできないわけで、逆に言えば、米国と中国の二国で何らか合意ができれば、ほぼ何でも合意できるということにもなります。ソ連が崩壊してロシアの影響力が弱まり、日本が国際政治の主体性を持たない現在こそ、ある意味で最小限の当事者(米・中・韓・鮮)だけで和平の仕組みを決められる絶好の機会と言えるのかもしれません。しかもこの時期は、米国は大統領選があって、これから先の東アジア戦略が白紙・未定という微妙なタイミングでもあるわけですね。チャンスなのです。

興味深いのは、そこで金正日がどんなカ−ドを出してくるかで、何も目的なし展望なしのパフォ−マンスだけで首脳会談などやるはずがないからです。彼にはシナリオがあり、めざす成果と目標があるわけですが、一体それは何なんでしょう。世界中が注目する中で改革開放路線への転換を宣言するのか、それとも南北統一について時間的段階的なプラン(例えば中国ばりの一国家二制度の応用のような)を出すのか、私にも読めません。いずれにしても彼にとっては、核兵器開発にせよ、テポドン開発にせよ、すべてこの首脳会談のために時間をかけて用意してきたSEEDであったわけで、ここが彼の人生の正念場です。

それから今後、ますます中国の役割と影響力が大きくなって、ひょっとしたら韓国も次第に米国離れが進んで行くんじゃないかという予感すらします。北朝鮮(金正日)はそのあたりのところをよく見ていて、米国と中国とどちらの大国とも水面下でうまく駆け引きしながら、自分の存在感を最大限生かそうとしていますね。韓国は韓国で、そういう北朝鮮の独自外交を注意深く見ながらそれをうまく利用している。

日本に限らず、今の世界は米国の絶対的で一元的な秩序の下で動いていますから、経済をはじめ軍事に至るまで、国民国家の独立性の壁が低くなって、したがって外交というものが殆ど儀礼的なものになりつつあるかに見えます。そのなかで唯一北朝鮮だけが、19世紀ヨ−ロッパ的というか、丁々発止で真剣勝負の古典的国家外交をやっているように見えたりしますね。それがいいのか悪いのかよくわかりませんが。
じかん● Mon Jun 5 13:47:03 Japan 2000
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 今度は総理大臣から「国体」発言

ご熱心なファンレタ−を頂戴しながら「神の国」発言の問題のお話を続けているわけですが、そうこうしているうちに、今度は森首相から「国体」失言というのが出てきました。今朝の朝日新聞の社会面で日本史学者(近現代史)の大江志乃夫がコメントを出しています。それによると、国体という言葉は、戦前でも治安維持法が出てくるまでは政治家も使っていなかった、ということです。

歴史的に見て、「国体」の言葉が恐ろしい猛威を国民生活の上にふるい始めてからが、本来の暗黒の「戦前」の時代だと言えるのでしょう。治安維持法の施行は記憶では1925年、昭和初年ではなかったでしょうか。「国体」は、国語辞書的にみれば「国家体制」の言葉の略と考えたりもできるわけですが、この言葉にはいわゆる天皇制超国家主義を想起させる特別なニュアンスがあるようで、フラットでニュ−トラルな普通名詞としては簡単には受け取れないというのが普通の常識感覚でありましょう。

まさか自分が生きている間に、現職の総理大臣の口から「国体」という言葉が、何の抵抗も躊躇もなく、自然に口をついて語られて出て来るとは思いませんでしたが、考えてみれば不気味で恐ろしい話のように思います。これまでの経験から言うと、こういう具合に堂々と普通名詞的に、つまり政治言説のコンテクストの中で肯定的に「国体」という言葉を公衆に向かって発していたのは、かつての数寄屋橋公園の赤尾敏のような筋金入りの右翼の演説だけでありました。

しかし、どうも気になるのは、森首相は、この失言をどうも敢えて意図的にやったんじゃないかということで、単なる失言癖の延長ではなさそうだということですね。つまり、選挙戦に突入したどさくさまぎれに、アドバル−ンを上げて反応を見るのと地ならしをして免疫をつけさせるのと両方の政治的目的でやっているように見えます。つまり戦後民主主義と平和憲法の体制にけるタブ−破りということですね。

わが国の総理大臣は、今いわゆる完全なレイムダックの状態で、選挙が終われば次の人間に政権が変わるのは目に見えています。本人もそれを承知しています。総選挙があるからそれまでの何週間か総理大臣の首が繋がっているわけで、逆に言えば、その間は何でもしたい放題ができるということにもなります。もうクビになるのが見えているので、その前に駆け込みで歴代の総理大臣がやりたくても憚られた「掟破り」をやってしまおうということなのでしょう。

総理大臣の口から公然と「国体」という言葉を出した、という既成事実を作ろうとしたということですね。そういう意味では非常に戦略的で用意周到なやり方だと言えるかも知れません。失言癖の延長のように見せているのが単なる演技で、真の目的がタブ−破りだとすれば、投票日までの三週間の間に、あと一回か二回ほど似たような復古的「失言」パフォ−マンスをやるのかも知れません。

たとえば、そうですね。「靖国神社に祀られた英霊を鎮める」みたいな発言をするとか、演説の最後に「天皇陛下万歳」と叫ぶとか、ですね。
じかん● Mon Jun 5 8:45:42 Japan 2000
おなまえ●とら
メッセージ● 遼太の父様
>読者の皆様に十分にお喜びいただけますよう、今後ともさらに努力を重ねて参る所存です。
・・・その「努力」とやらの結果は、ぜひご自分のHPでもお作りになって発表されてはいか
がなものでしょう?ここにまた長々と書きこむのはちょっとご勘弁下さい。



じかん● Sun Jun 4 23:15:52 Japan 2000
おなまえ●あやめ
メッセージ● がちゃぴんさま
はじめまして。「銀の匙」、たしか中学受験の頃テキストに出てきて妙に気に入って文庫本を買った記憶がありますでも短編でがっかりしたような…。何にせよ6年以上も前の話です。だから、また新しく読んで見ようかと思います。

以蔵さま
もし光秀が本能寺の変を起こさなかったら・・・。なにも日本の歴史の勉強をしていないので系統だった事はいえませんが私なりに考えてみました。きっと、信長がいつにせよなんかの拍子に死んだとしても、秀吉と家康の仲はあんなに悪くならなかったんじゃないですかね? あの時はまだ信長の後継者とされる人たちが小さかったからあの二人の天下取りの争いになったと思います。もしかしたら江戸幕府はなかったかも、ね。ああ、スケールが大きくなってしまった。でも楽しかったです。
じかん● Sun Jun 4 22:32:39 Japan 2000
おなまえ●しが
メッセージ● 以蔵さま
歴史にifはない・・・といいたいところですが、そんなことばっかりでは面白くありませんよね。たまには楽しまないと。
というわけで、ifを取り上げた小説?を紹介させていただきます。
土橋治重氏の「逆転の日本史(日本文芸社)」なるものです。その中に確か本能寺の変もあったように思います(今手元にないので確信は出来ませんが)。結構古い本(15年ほど前に買いました)ですが、是非御一読を。
ちなみに私のifは、「結局誰か(それも身内の家臣達)に殺された」です。家臣じゃないけど家康が第一候補かな。ベタですみません。でも秀吉は出来そうにないと思いますので。

じかん● Sat Jun 3 15:35:42 Japan 2000
おなまえ●がちゃぴん
メッセージ● こんにちは。初めまして。永井路子さんの小説のファンです。こんなホームページがあってとてもとてもうれしいです。(先日は「恐るべしさぬきうどん」で検索したら村上春樹のHPにたどりついてしまった・・) 確か高校生のころに「乱紋」「流星」とかで永井さんの小説を一気に読んで、学生時代は国文学専攻だったのですが歴史小説は無縁で、卒論は中勘助の「銀の匙」(とても良い小説です。明治維新を深く考える上でも)とすっかり永井さんの小説は忘れてました。復活したのは社会人時代でバス亭の前の書店で暇つぶしに「山霧」を買ってからです。なんとこの元就(いろいろな小説がありますが)が付き合っていた彼(今のダンナですが)にそっくりでビックリ仰天した記憶があります。結婚してヒマになったのを幸いに永井さんの小説は全部読んだと思っていたのですが、まだ2冊ほど読んだことのないものがあったのでこれからの楽しみが増えました。息子(9ヶ月)の攻撃をかわしながら読もうと思います。ちなみに山霧元就のような性格のダンナをもつと,胃がいくつあっても足りません。小説とはいえ、おかたみたいな性格じゃないとうまくいかないもんだと思う今日この頃です。ではまた。
じかん● Sat Jun 3 15:00:03 Japan 2000
おなまえ●じゅんこ
メッセージ● 以蔵様

世話好きおばさんの独り言。
おっしゃる通りと思いますよ。
誰も最初から立派な親ではないですよ。悩んだり、つまづいたりしながら子供の成長と共に親にさせてもらって行くんですよね。その過程で本質を見失う事なく、おかれた環境の中でいかに情緒豊かに育むかという姿勢が、親としての自信や逞しさの裏付けになるとおもいます。

ところで、身内の意見は素直になれないですね。子育て経験者はだいたい自分の育児なり教育を美化してますからね、その上で遠慮が有りませんから精神的に追いつめてしまう。ただせさえ日々、睡眠不足と忍耐の子育て中の身にはこたえますよ。(経験者は語る)

子供の本質的な自立は親が亡くなってから、又親の本質的な値打も亡くなってからと思っています。そういった意味で縁あって我が子として生まれて来た命に何を残してやれるか、私も日々試行錯誤です。
じかん● Fri Jun 2 15:06:32 Japan 2000
おなまえ●暇つぶしの以蔵
メッセージ● ここのところ難しい話題が続いていたようで、ちょっとブレイクのつもりで書き込みます。

NHKで本能寺の変の検証をしていたと思うのですが、それが私の周りで話題に上がりちょっと
面白かったので皆様にif(〜たら、れば)をお伺いいたいのですが。
お題は
「明智光秀が本能寺の変を起こさなかったら...」
です。
ちなみに私の周りではバカばっかりなので、考えた挙げく
「信長が天下を治めたとさ。めでたし、めでたし(民話調で)」
でした。
いろいろ、この手のifは多いと思いますが、本能寺の変が無かったら、と言うのは
視線が変わって面白いとおもいませんか?
じかん● Fri Jun 2 14:14:48 Japan 2000
おなまえ●以蔵
メッセージ● すみません、誤記です。
「世話付きおばさん」 - 「世話好きおばさん」
じかん● Fri Jun 2 14:10:02 Japan 2000
おなまえ●以蔵
メッセージ● じゅんこ様、
懇切丁寧に教えてくださってありがとう御座います。
一言でいうと確かに「親の自覚(の欠如)」と言えるでしょうね。(エラそうにすみません)
これだけ個人主義が浸透してしまうと、村社会(共同帯)的なモラルは生まれにくいですよね
(良い言葉が浮かばなくてすみません、主義主張するつもりではないんですが言葉は難しい。)
ある意味で、親の教育と言うのも必要だと思います。
これはマニュアル化やパパ・ママ学校の事を差しているのでは無くて、
「近所付き合い」みたいなものから生まれてくるのだと思います。
もちろん、「たまひよ」や「パパ・ママ学校」も共働き、あるいは一人目の時など大変助かります。
でも、それらだけに頼るとどうしても画一的と言うか、それらから外れる事に恐怖感を抱いてしまう方は少なくないと思います。
同世代の中だけで生活してしまうと、どうしても無意識に競争意識(?)に駆られてしまうことが有ると思います。
そんな時、「長老」とは言わないまでも「世話付きおばさん」がいるとほっとする事が有ります。(不思議なもので身内ではケンカになる可能性大)
じゅんこ様の言うような、逞しさとは程遠い考えですがいかがでしょうか?
(自分も若いので甘ったれと言われても仕方が無いと思います。)

東京に出張に出ていた間に過激になっていたんですね。遅くなってすみません。
じかん● Thu Jun 1 16:14:08 Japan 2000
おなまえ●遼太の父
メッセージ●
ふむ、ご批判いただいて、たいへんありがたいですね。私も真に未熟者でございまして、礼儀知らずの人間ですので、これからもお気づきになられた方があれば、ぜひ積極的にご指導、ご鞭撻のほどお願いしたいと存じておりますよ。

また司馬作品につきましても、幕末ものの議論を中心に、薩摩論、長州論、土佐論、会津論と、これまで誰にも負けないくらい一生懸命書いてきたつもりですが、まだまだ努力が足りないようでございます。読者の皆様に十分にお喜びいただけますよう、今後ともさらに努力を重ねて参る所存です。

しかし、「礼儀知らず」というのは、普通はどういう態度や行動のことを言うのでしょうかね。ま、そういう面での小言も今後とも続けて参りますね。
じかん● Thu Jun 1 15:28:28 Japan 2000
おなまえ●ひこざえもん
メッセージ● (下からの続き)
*2重投稿失礼いたしました。*

 そのほかいちいち挙げていけばキリがありませんが、貴方の投稿にはこの種の不穏当な発言が多く見受けられます。しかも貴方は他人のページに、匿名で、メールアドレスさえ開示せずに、いろんな人や物や事を非難しておられます。貴方の文章には刮目に値する内容も多く、大変教養のある人だと拝察しますが、礼儀だけは御存知ないようです。貴方は自分が大臣だったら、とか、知事だったら、とかよく書いておられますが、実社会でもこの調子だとしたら、貴方の政治生命はかなり短いと思います。おそらく実社会ではこんな事が言えないからこそ、ここで放言されているのでしょうが。
 貴方はかつて他の人から、投稿のマナーについて忠告を受けた際、返答にただ一言、
残念ですが喧嘩は買いません。(Tue Sep 7 9:20:29 1999)
 と、にべもなくつっぱねました。第三者の目から見て、忠告した方の文体は喧嘩腰ではなく、やんわりとたしなめた程度のものであったのにもかかわらずです。また別の人から著作権についての忠告を受けた際には、どうみても貴方のほうに非があるのに、全く無視なさいました。他者を批判するのは大好きなのに、自身に向けられた苦言には耳を貸さない、あまり誉められた態度とは言えません。
 そもそもここは"歴史小説の部屋"の掲示板なのに、貴方の場合、現在の社会や政治に関する論説が多すぎます。歴史小説に言及することは稀であり、それも司馬作品以外となるとほぼ絶無で、このサイトの趣旨からずれていると思っているのは自分だけではないような気がします。政治評論や社会批判をやりたいなら、ご自分でそういうサイトを立ち上げるか、沢山あるそういう目的の掲示板でなさったほうが建設的でしょう。しかるべき場所でなら他の参加者も遠慮無く意見を述べ、対等の議論が出来るはずです。あるいはそれを敬遠してこちらで発言なさっているのですか?
 色々無礼な事を申し上げましたが、数々の看過し難い発言に沈黙すること限界に達し、今回投稿させていただいた次第です。非礼はお詫びしますが、どうか真意をご理解下さい。程度の差はあれ同じ思いをしておられる方はかなりいらっしゃると推察します。なお、自分はここで論争をするつもりは毛頭ないので、投稿は今回かぎりとさせて頂きます。
 ところで、これはただ不思議に思うだけなのですけれど、遼太の父様の投稿はいつも昼間ですが、職場から送信しておられるのですか?あんなに長文をいっぱいお書きになるのは、よほどお仕事がヒマだからですか?失敬、これは余計なお世話でした。
 最後になりましたが、ウェブマスター様、皆様、平素は楽しく拝見しております。場を白けさせるような事を書いて申し訳ございませんでした。さようなら。
じかん● Thu Jun 1 15:25:04 Japan 2000
おなまえ●ひこざえもん
メッセージ●  遼太の父様へ。投稿するのは初めてですが前から時々拝見していました。新参者がこんなことを言うのは失礼と重々承知していますが、我慢ができなくなりましたのでいくつか苦言を申し上げます。
 貴方は小渕前首相が病に倒れた時に、ずいぶんひどいことをお書きになりました。
私は彼を同情する気には全然なれません。あれくらいの政治的ストレスで脳梗塞になるような錆びた大脳の持ち主が総理大臣を勤めたこと自体が間違っていたのだと思います。(Fri Apr 7 9:52:19 2000)
 脳や神経の病を患った人に対して、この種の無"神経"な発言をする人はよくいて、患者や家族を深く傷つけている例を自分は知っています。だいたい脳梗塞は病因的には循環器の疾患であって、発病までは大脳の機能と直接の関係はないでしょう。"錆びた大脳の持ち主"とはあまりに不見識な暴言ではないですか。
 一方、司馬遼太郎氏の死についてはこのようにおっしゃっています。
住専問題の渦中で司馬遼太郎は死んだ。(中略)90年代に入ってから、司馬遼太郎の書く文章はどんどんパセティックになり、その傾向を深め、そして住専のときその極点に達していた。憤死なのだ。(Thu May 18 9:41:23 2000)
 人の病や死を冒涜したり、逆にいたずらに賛美したりすることを自分は感心しませんが、貴方ときたらその両方です。心に憤りを抱えて亡くなったという意味では小渕氏だって"憤死"です。逆に司馬氏の死に対して"あれくらいのストレスでくたばるような人間が警世家を気取ること自体が間違っていたのだと思います。"なんて言われたら、貴方はどう思いますか?
 自分は小渕氏の政治姿勢や司馬氏の歴史観をどうこう言うつもりはありません。そういった点については、多分貴方とそれほど意見は違いません。しかし貴方のこういう投稿態度には強い不快感を覚えます。自分の評価する、スキな対象を極端に美化し、評価しない、キライな対象を過剰に貶める、これは、貴方のキライな小林よしのり(自分も嫌いです)などがよく用いる手法ではないですか?貴方の足元にも及びませんが、私も司馬氏の熱心な読者でした。しかし貴方の情緒過多の司馬賛美を目にするうち、だんだん司馬作品を素直に読めないようになってしまいました。
 また、テレビで観た文学者の容姿について、貴方は残酷な事を書いておられます。
先生がすっかり太っておばさんになってしまっていて悲しくなった。昔はもっとキリッとして、知性のなかに妖艶さと可憐さを感じさせてくれていたのに。今や見る影もない。指輪ギラギラもいただけない。(Thu Mar 23 9:29:42 2000)
 貴方はウェブ上で発言するということの意味がわかっていますか?この先生や先生の身近な人が、本人の名前その他をサーチエンジンで検索すれば、容易に貴方のこの文を目にする事になるのですよ。それに気がついていないのなら不注意の極みであり、承知の上ならデリカシーに欠けていると言わざるを得ません。
 貴方はしばしば最近の若い世代を激しい言葉で批判していらっしゃいます。自分の見当違いでなければ、貴方は近親者以外のティーンエージャーと直接接する機会がほとんど無いのでしょう。なぜなら貴方の論旨は、具体的に指摘すると長くなるのでやめておきますが、マスメディアやインターネットの、多分にバイアスがかかった間接情報でしか状況をご存知ない御仁が、いかにも言いそうな内容ですので。これは貴方の環境がそうなのだから仕方ない事ですけれど、それでいて自信たっぷりに断定調で主張されるあたり、お人柄がしのばれます。
(上に続く)
じかん● Thu Jun 1 11:15:42 Japan 2000
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 井上忠夫さんを悼む(2)

昨日の日刊スポーツには、井上忠夫さんの自殺の記事が一面トップで報道されていて、後ろの面でも関係者からのコメントが出ていました。

みんな同じなのだなあとしみじみ感じました。

アグネス・チャンは、アイドル歌手時代に井上忠夫に曲を書いて指導してもらったことがあり、「井上さんはハンサムで、ダンディで、井上さんが楽屋に入ってくると花が咲いたようにまわりが明るくなった」と言っています。

湯川れい子は、「ランナウェイ」の作詞でコンビを組みましたが、井上忠夫の「曲には独特のメロディがあり、そのメロディには情景があった。その情景がわかりやすくて、すぐに詞をつけることができた」と言っています。

同じことを感じていたのです。

GS仲間の一人であった安岡力也は、昨日夕方のフジテレビのニュース番組のカットに出て、「彼には独特のサウンドがあったんだ」と強調していました。

私の言いたいところを代弁してくれました。

今週末のTBSあたりの番組(福留と関口)で、きっとこのあたりのところが − 情景、独特のサウンド、ダンディズム − もう一度テレビで関係者から語られることでしょう。できれば、誰かがそこにロマンティシズムという核心をついた一言を添えて欲しい。

CD屋をうろつきましたが、ブル−コメッツの商品はありませんでした。井上忠夫の独特のサウンドの新鮮さを発見して感動した3年前にも、一度それを捜してうろついて、見つけられなくてなくてがっかりしたことがあったのでした。代わりに、ミッッシェル・ポルナレフの赤いCDが売られていたので買って帰りました。

今の若い人の感性に井上忠夫のサウンドがどこまで響くのか、私は自信を持てません。しかし、私と同世代の人には、ぜひ井上忠夫の独特のロマンティックなサウンドを再発見してもらいたいと思います。それは、頭で考えているもの(ブル−シャトウの記憶にもとづくGS歌謡曲の固定観念)よりも、ずっとずっと新鮮に感じるものなのです。

われわれが大人になって、あのバブルの80年代を生きている間に失ってしまったものがそこにあります。日本と日本人が失ってしまった、凛として溌剌とした瑞々しいロマンチシズムの感性がそこに間違いなく存在しているのです。感じるのは単なる懐かしさだけではなく、よさ、であり、心うたれる感動なのです。

3年前にテレビ東京の歌番組で見た井上忠夫は、その独特のサウンドに乗って、とても楽しそうに歌っていました。例によってフル−トを両手で体の前で横一文字に握って、踵をステップさせてリズムをとりながら、真正面から情熱的に唄いあげてくるあの姿が目に浮かびます。瞳の輝きとボ−カルのパワ−とクォリティは、まさに20代の若者のものでした。

彼のロマンティックで躍動的な音楽がメッセ−ジしていたのは、音楽というのはこうやって楽しくやるもんだよ、ということだったのではないかと思います。アグネス・チャンの言っていることが私にはとてもよくわかる。日大芸術学部卒。ミュ−ジシャンらしいミュ−ジシャンでした。元気でいれば、今年、布施明に曲を書く予定だったといいます。惜しい。

どれだけ追む言葉を送り伝えても、私の心は、まだ伝え書ききれない思いでいっぱいです。
じかん● Thu Jun 1 9:46:40 Japan 2000
おなまえ●遼太の父
メッセージ● 「神の国」発言問題に続けて

今日発売の週刊現代に新党政治連盟の綱領の記事が載っていました。

この問題について議論をしてきた責任があると思いますので、少しご紹介したいと思います。

問題は、要するにあの森首相の「神の国」発言が、単にこれまでの日本の歴史や文化の伝統について語っただけで日本国の政治体制について語ったものではないのかどうかということです。日本の歴史や文化の伝統について言ったのなら、特にあれで問題ないし、国家神道や皇国史観とは関係ないというのが、森発言を支持・擁護する人たち(読売新聞など)の言い分であったわけです。

しかし、私がこの言い分はどうも怪しいなと思ったのは、その懇親会の主催者である神道政治連盟という団体のことでした。何をめざしたどういう団体なのか、多数の自民党議員が入っているけれど、いったい政治的にどのような活動をしようとしているのか、そして本当に国家神道や皇国史観とは無関係と言える団体なのか。そのことに注目してきちんと考えなければいけないだろうと思ったわけです。

週刊現代が調べたところでは、その綱領の解説で、

神道思想を国政の基礎として確立することを期す

と書かれているそうです。

そして、1) 自主憲法制定、2) 靖国神社公式参拝、3) 皇室護持 を政治活動の目標としているということです。ここまでこの組織の積極的な思想的性格が明らかになれば、これを国家神道とは無関係と言うのは非常に難しいと思いますね。明らかに国家神道の復古をめざす政治宗教団体と言えるでしょう。

神道思想を国政の基礎に確立するということは、当然、戦前の大日本帝国の原状に回帰するということでしょう。国家神道を国家の基礎から完全に排除したのが現在の日本国憲法ですから、この考え方は日本国憲法の否定です。自主憲法を制定しなければならないのもそのためですね。神道思想を国家の基礎に据える、ということですから、すなわち、神道が国家権力の中核に坐るということですね。国家の政策のすべてが神道思想に基づいて決定、運営されるということです。それが神道政治連盟の組織目標であり、あるべき日本国家の姿なのです。

まさしく国家神道の復活ではありませんか。

私の常識と大学法学部で学んだ憲法知識をもって判断したとき、神道政治連盟の存在そのものが憲法違反であって、本来こんな団体があってはいけないのではないのかと首を傾げざるを得ません。神道が国家権力を握って政府を動かそうとしたり、国政に影響力を行使したりすることを現行憲法が認めているはずがない。今の憲法はまさにそれを敵として否定して、それを原理的に排除した上に制定されているものだからです。

憲法の認める思想の自由は国家神道の自由を保障してはいません。憲法は軍国主義の思想的自由を保障していないし、侵略戦争を擁護賛美する思想的自由を保障してはいません。天皇を現人神として神格化する皇国史観の思想的自由を決して保障してはいないのです。思想の自由とは決して無制限の自由を意味しません。それは、オウム真理教が宗教の自由や信仰の自由の外側にあるのと同じことです。無制限の自由なんてありません。