「日高山脈の自然のすばらしさ」

                             小野有五(北海道大学地球環境科研究科教授)

 日高山脈は北海道の脊梁・背骨である。ふつう日高山脈と言えば狩勝峠より南を指すが、山脈をつくった岩石は
北海道を南北に貫いて、まさに宗谷岬から襟裳岬まで北海道の背骨をつくっているのである(図1−1)
 

 日高山脈がどのようにしてできたかについては、まだわからないことが多い。図1−2に示すように、アジア大
陸をつくるユーラシア・プレートに向かってオホーツク古陸とよばれるプレートが衝突し、両者の間にあった古太
平洋プレートがおしつぶされて日高山脈ができた、という説も言われている。このとき、深海底のマントル上部か
らしぼり出されてきたカンラン岩などの超塩基性岩は、ポロシリ岳やトッタベツ岳などの高い山頂をつくり、また
幌満では世界最大規模の岩体をつくって露出している。日高山脈は地質学的にも珍しい、世界的な山脈なのだ。
 

 今から数万一数十万年前の氷期には、氷河が日高山脈の頂きを飾っていた。私自身、この氷河のあとを研究する
ために、30年前に初めて日高山脈に足を踏み入れたのである。東京から夜行列車と連絡船を乗り継ぎ、はるばる
帯広まで丸2日がかりでやってきて、そこからまた八千代の発電所を経てトッタベツ川を遡る。日高はそんな、は
るかな山であった。

 それでも日高が私たちをひきつけてやまなかったのは、そこに北海道では最もみごとなカールがあり、しかも氷
河の拡大湖や、その拡大していた範囲が当時まだよくわかっていなかったからに他ならない。平川一臣さんとの2
年間にわたる共同調査で、ポロシリ岳ふきんでは図1−3のような氷河地形の分布を明らかにすることができた。
最近の平川さんたちの調査によると、氷河はさらに低<、図の点線の範囲にまで到達していたことがわかっている。
氷河で運ばれた堆積物には支笏や恵庭火山からの火山灰が挟まり、それによって、氷河の前進や後退の歴史がこれ
までにない精度で解明されつつある。日高はそういう意味でも、研究者にとっては無限の魅力をもった山である。

 
 
 

もちろん研究者にとってだけではない。ここを訪れたすべての人は、この山岳の原始性に心を奪われるだろう。
日高は基本的に、沢を歩かなければ登れない山である。その沢の美しさ、キラキラと夏の光に輝く大小の礫、それ
らのあいだを気持ちよく流れる泥水、水辺に影さす緑の木々。深い淵や、長い函、高い滝。それらはときに私たち
の足をすくませ、恐怖を与えるほどであっても、それなしには、日高はもはや日高ではないであろう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 そうした意味では、あの札内川に、いまでも清流日本一といわれるサツナイの渓谷に、巨大なダムをつくってし
まった過ちは大きい。いつかはこのダムを壊し、ふたたびサツナイの清流をとりもどしたい、というのが私の夢で
ある。しかし、それは先のこととして、まず私たちがしなければならないのは、この日高の原始性を、これ以上、
壊させないことだ。日高になぜ人が来るかといえぱ、そこには日本の他の山ではもう見いだせない原始の姿がか
ろうじて見られるからである。不便さが、逆に魅力になるのだ。もちろん百名山ブームのように、一カ所に大勢の
人がおしかける現実があれば、そしてそれを受け入れるだけの施設ができていなければ、それによる問題もまた起
きている。しかし、安易にただ道路をのぱしたり施設をふやすのてはなく、適切なガイドや地元の人たちによる案
内といったソフトな対応で、この問題を解決していきたい。日高を、北海道における山岳エコツーリズムの一つの
基地にすること。それも私の夢である。


 


 
 
 


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