三湖伝説

感想・推測

 多くの伝説がそうであるように、本伝説にもいくつかのバリエーションがある。人から龍への変身、巨大な龍と法力僧の戦闘、二柱の龍の愛情物語など、映像にまとめれば壮大なファンタジーになる要素を秘めた傑作である。私は七歳の時に八郎潟についての子供むけ読本を読み(それは龍ではなく巨人伝説であったが)、山を引きずり海を割るおそるべきダイナミックな描写に衝撃を受けた記憶がある。また法力僧は仏教や鉄器など中世日本をイメージさせ、八郎太郎や辰子はむしろアイヌなどの先住民系をイメージさせる。おそらくは征伐され追いやられる先住民のメタファーもそこに含まれている可能性がある。

情報・引用元

 本ページの情報源の多くはWeb上にある。書籍ならばAmazonなどを示す。

Amazon記事の抜粋

実在の事件との関わりについて等はあまり意味がないので、ここでは触れない。WikiPediaなどを参照されたし。

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鹿角郡のある村に八郎太郎(はちろうたろう)という名の若者が暮らしていた1

八郎太郎は村の娘と旅の男との間の息子で、父親は寒風山で竜に姿を変えて消えたと言われており、母親は難産で死んでいたので祖父母に育てられ、マタギをして生活していた。

しかしある日仲間の掟を破り、仲間の分のイワナまで自分一人で食べてしまったところ、急に喉が渇き始め、33夜も川の水を飲み続け、いつしか竜へと変化していった。自分の身に起こった報いを知った八郎太郎は、十和田山頂に湖を作り、そこの主として住むようになった。この湖が十和田湖である。

2

三戸郡のある神社に南祖坊(なんそのぼう)という男が住んでいた。

南祖坊は諸国で修行をした後、熊野で「草鞋が切れた場所が終の棲家になる」との神託と鉄の草鞋を授かり、十和田湖で草鞋が切れたため、八郎太郎に戦いを挑み、勝者となって十和田神社に祀られることとなった。

八郎太郎は米代川を通って逃げ、途中七座山の辺で川を堰止め湖を作ろうとしたが、地元の7柱の神々の使いの白鼠に邪魔され、更に下流へと向かった。^2その際、白鼠を食べようとする猫を紐でつないでおいた地区が能代市二ツ井町小繋(こつなぎ)地区である。

日本海附近まで来て、ようやく湖を作る適地が見つかったので、その支障となる老夫婦の家を訪ね、明朝鶏が鳴くと同時に洪水が来るから避難するようにと伝え、湖を作り始めた。しかし姥は逃げる途中で麻糸(糸巻きという話もある)を忘れてきたことに気づき取りに戻った。そのとき、鶏が鳴き夫婦は逃げ遅れたため、八郎太郎はそれぞれ別々の岸へと放り投げて助けた。夫は湖の東岸に、妻は北西岸に祀られている3。出来上がった湖が八郎潟である4

3

仙北郡の神成村に辰子(たつこ)という名の娘が暮らしていた。

辰子は類い希な美しい娘であったが、その美貌に自ら気付いた日を境に、いつの日か衰えていくであろうその若さと美しさを何とか保ちたいと願うようになる。

辰子はその願いを胸に、観音菩薩に百夜の願掛けをした。必死の願いに観音が応え、山深い泉の在処を辰子に示した。そのお告げの通り泉の水を辰子は飲んだが、急に激しい喉の渇きを覚え、しかもいくら水を飲んでも渇きは激しくなるばかりであった。

狂奔する辰子の姿は、いつの間にか竜へと変化していった。自分の身に起こった報いを悟った辰子は、泉を広げて湖とし、そこの主として暮らすようになった。この湖が田沢湖である5

悲しむ辰子の母が、別れを告げる辰子を想って投げた松明が、水に入ると魚の姿をとった。これが田沢湖のクニマスの始まりという。6

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八郎太郎は、いつしか辰子に惹かれ、田沢湖へ毎冬通うようになった。辰子もその想いを受け容れたが、ある冬、辰子の元に南祖坊が立っていた。辰子を巡って再度戦った結果、今度は八郎太郎が勝ちを収めた。

それ以来八郎太郎は冬になる度、辰子と共に田沢湖に暮らすようになり、主が半年の間いなくなる八郎潟は年を追うごとに浅くなり、主の増えた田沢湖は逆に冬も凍ることなくますます深くなったのだという78

人間に姿を変えた八郎太郎の旅の途中、彼を泊めた旅籠では夜の間彼の部屋を見てはならないと言い含められ、覗き見た宿は必ず不幸に合うと言われていた。

いつしか時は流れ、八郎潟が干拓された今では、八郎太郎は一年中田沢湖に住んでいると言われている。


1.八郎太郎については、津軽地方で八郎、南部地方 (青森県)で八太郎という異名が伝わっている。

2. この部分は津軽地方、岩手県北上地方、鹿角市十和田地区などでは地元の川を堰止めて湖を作ろうとしたことになっている。鹿角市十和田地区では、男神山と女神山の間をぬうように流れる米代川をせき止めようと、八郎太郎は近くの茂谷山をひもを使って動かし、男神山と女神山の間をせき止め鹿角に自らのすみかを作ろうとした。鹿角の42人の神々はこれを知って驚き、大湯の西の方に集まって評定した。大湯環状列石の北西にある集宮(あつみや)神社はこのときに神々が集まった場所とされる。神々は八郎太郎へ石のつぶてをぶつけることに決め、石を切り出すために花輪福士の日向屋敷にいた12人の鍛冶に金槌、ツルハシ、鏨などを沢山作らせ、牛に集宮まで運ばせた。途中あまり重たいので血を吐いて死ぬ牛がおり、そこは乳牛(チウシ)と現在呼ばれている。これに気づいた八郎太郎は、すみかをつくることをあきらめて茂谷山の中腹にかけた綱をほどいたが、その跡は現在も段になって残って見えるとされる。

3. 八郎潟北西岸に祀られている妻は三種町芦崎の姥御前神社の祭神、夫は八郎潟町の「夫殿の岩窟」(おとどののいわや)の祭神である。夫殿の岩窟は現在国道7号線からも見ることができる大きな岩穴で、大昔ここが海岸だった時代の波の穴と言われている。また、縄文時代には住居としても使われている。また、芦崎地区では夫婦別れの原因となった鶏を不吉なものとして忌み嫌い、他の地区に行っても卵も食べない人が多かったが、敗戦のショックからその風習も廃れていったという。芦崎の地名は八郎太郎の「足の先」から名付けられたとも言われる。

4. 八郎太郎には、男鹿半島の一の目潟の女神に惚れ、一の目潟に棲もうとした伝説もある。しかし男鹿真山神社の神職で弓の名人であった、武内弥五郎に片目を射られ撤退したという。

5. 辰子は仙北市の御座石神社(ござのいし-)に祀られている。

6. 後に八郎太郎が辰子と暮らすようになった時、噂を聞きつけた南祖坊が再び八郎太郎へ戦いを挑んだ際、辰子がクニマスを南祖坊へ投げつけ、松明に戻ったクニマスにより南祖坊が火傷を負い、撤退した話が伝わっている。また、八郎太郎が、田沢湖の辰子姫のもとへ通ったとき、湖に落としてしまった松明がクニマスになったと言う話もある。

7. 辰子と田沢湖に暮らす以前から、八郎潟が冬になると凍ってしまう事から凍る事の無い一の目潟の女神に一緒に住むことを申し込むがかなわず、渡り鳥から自分と同じく竜となってしまった辰子の存在を知り、辰子に求愛する民話もある。

8.秋田県仙北市の浮木神社では、毎年11月9日に夜を徹した宴会を開く。これは、八郎太郎が湖に飛び込む音を聞くと死ぬため、聞かないようにするためという。