国際交流>台湾研修交流旅行

               北海道ウタリ協会様似支部

                生活相談員 李 沢 桂 子


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1日目、平成10年1月8日(木)曇

 午前5時30分、台湾へ向けて様似支部、菊地支部長他19名 様似町出発、千歳発10時の飛行機に乗り、羽田で乗替え午後4時45分桃園国際機場着。通訳の、二宮一朗さんが出迎えて下さり、宜しくお願いしますと菊地支部長他みんなでご挨拶、少しほっとしたのもつかのま、台湾の空港で早くもハプニング。

 荷物を受け取る時、熊谷さんの荷物が行方不明、他の乗客が間違えて持っていってしまった。乗客名簿から持っていった人の名前は分かったものの荷物が戻るかどうかは分からないとの話、とても心配しました。

 空港からバスで台北市内に移動、台北東門協会18時45分着18時50分から21時迄、台北東門協会原住民衆会のかたがたと交流、原住民委員会の、ヨハネさんの歓迎のご挨拶があり、とても印象的でしたのでここに書きます。

 


※ 「ヨハネさん(ブヌン族)の台湾の歴史のお話」の中から

 台湾原住民とは、台湾の主人です、台湾には最初にポルトガル人が入ってきました、彼等はこの島に人が住んで居ないと思っていた。しかし台湾には数千年前から私達原住民が住んでいた。以来色々な民族が台湾を占領した。満州の人々も300年も占領していた。満州と日本が戦争をして負けた時、満州は日本にこの台湾を渡しそれ以来日本軍によって50年間占領された。現在台湾には36〜37万人の台湾現住民が住んでいる。原住民は20以上の民族がいるが、「少数民族は大多数派に従うべきだ」と云われ「漢民族化」した民族もいる。しかし韓民族化した民族は、

1、自らの土地を失った。

2、言葉を失った。

3、自らの文化を失った。

4、アイデンティティを失った。

 300年前に祖先が教えてくれた言葉は「統治者の言葉を信じるな」です、しかし文化を失った者たちは統治者の言葉を受け入れてしまったのです。ブヌン族はそれらの者と敢然と戦っているのです。私達は、「覚醒運動(目覚めさせる)」を続けております。自分たちの事は、ポルトガル人には、土着の人、日本の時代は、番人、あるいは、高砂族と呼ばれました。現在私達は「原住民族」と名乗っています、台湾政府は、おまえたちは原住民ではないと云ったが、協会が決議の中で政府に認めさせたのです。私達がここでしなければならないことは、民族の様々な問題を検討していかなければならない、それには4つの計画があります。

1、計画省・・・台湾原住民は世界に誇れる歴史や文化を持っている。

※ 教育と文化を立て直すための計画

2、教育文化省庁・・文部省とうまく連絡をとり文化を復興させる。

言語の文化(副読本作り、儀式

 母語運動 〜民族が母語を失っているとしたら、その民族は滅びるでしょう

※ 原住民語、自分たち民族の言葉は身分証です自らの言葉を失っているなら、それは自らの身分証を失っているのです。

※ 皆さんがアイヌ語で答えて暮れるなら、私は皆さんをアイヌ民族と認めます。日本の社会において皆さんアイヌの特色があるのではないか、台湾の社会にいる私達にも特色があります。

※ 自ら自分の属している民族を信じること。(アイヌ民族は?)

 還我土地運動〜私達の土地を返せ

 政府はいくつかの土地を返しましたが、それでは満足しません。

 名前を返せ運動〜今では自分たちの部族の名前を使えるようになった。

 立方委員運動〜 

 今は立方委員9名、国会議員7名が原住民の中から選出されている。

 原住民委員会運動〜原住民委員会は12月12日設立

 ※ 法律を決める

 私達原住民は、自分たちの意思で法を決める。

 ※ 原住民の様々な問題を集めて検討する。

 国際化運動〜

私達はこの台湾の島に孤立したくない、世界の先住民と手を取り合って行きたい。

※ 長い間、台湾原住民は国際面での参加を願っております。

少数民族の会議がどこかにある時は、人を派遣しております。呼んで下さい。

3、社会福祉省・・・救済、医療

 

4、経済、土地省・・・民族は経済的に立ち上がらなければならない。

   ※ 経済的な独立。

   ※ 原住民独自の特色を生かさなければならない。


 このような台湾原住民の歴史を勉強させてもらつたなかで、これは全部私達アイヌ民族に共通する問題だと思いました。特に母語運動の中で、母語とは自分たちの身分証です。民族が母語を失っているとしたら、その民族は滅びるでしょう。あなた方がアイヌ語で答えてくれたら、あなた方をアイヌ民族と認めます。という言葉に大きなショックを受けました、私達は勉強不足でアイヌ語で対応することが出来ませんでした。アイヌ語といえば単語を少しだけしか知らない私達です。これから世界の少数民族と交流するためには「アイヌの歴史」「アイヌの文化」「アイヌ語」をしっかり勉強して対話を持たなければ、アイヌ民族として認められないかも知れない。そのためには、アイヌ文化、並びにアイヌ語の勉強の出来る施設が必要と感じました。大変な一週間の始まりです。

(アイヌ民族は今、名称変更で会員の気持ちが、揺れ動いている中で?台湾の原住民は考え方が違うと思いました。)

21時、天成大飯店宿泊

 

2日目 平成10年1月9日(金)晴

午前8時20分、天成大飯店出発(アイヌ民族衣装着て歩いて移動)

午前8時30分、原住民委員会見学。ここは台湾原住民の資料が沢山展示してありました。何となくアイヌに似たような文化でした。原住民委員会は12月12日設立。ここで法律を決める。原住民の様々な問題を集めて検討する。教育と文化をを立て直すために働いている。社会福祉、救済、医療、経済、福祉、土地、等の説明を受けた。

1回目交流 10時45分〜13時00分

☆ 新竹聖経学院「「山音団契」の方々と交流、台湾原住民の踊りを披露してもらい、アイヌ民族の踊りを披露した。

ホイヤオー、

シカタクィクィ、

ク・リムセ、

チヤッピヤ、

バッタリ・イウタウポポ、

13時出発18時00分、(バスで移動) 南投県仁愛郷眉渓村着

2回目交流

☆ 19時00分 眉渓村、タロコ族の方々と交流

 タロコ族の踊りを披露してもらい、アイヌ民族の踊りを披露した。原住民のかたがたはとても友好的で、沢山の御馳走でもてなして下さいました。

ホイヤオー、

シカタ・クィクィ、

ク・リムセ、

チャッピヤ、

バッタリ、イウタウポポ

22時頃交流会終わり宿泊

 

3日目 平成10年1月10日(土)晴

午前8時30分出発

霧社事件記念碑見学

九族文化村見学

アミ族 ー 地下の家

ヤミ族 〃 〃

タイヤル族 ー 竹の家

ブヌン族ー 屋根も壁も薄い石を使った家

台湾原住民の昔の生活、習慣等を勉強

17時30分、南投県新義郷東埔温泉着

☆ ブヌン族と交流 ー ブヌン族の唄や踊りを披露してもらう

アイヌ民族の唄や踊り披露(前日と同じ曲目)

 

4日目 平成10年1月11日(日)晴

午前8時30分出発

午前10時、南東県信義郷光復協会

1回目交流

☆ ブヌン族の光復協会礼拝見学、ブヌン族と交流

ブヌン族の唄や踊りを披露してもらう。

アイヌ民族の唄や踊り披露 (前日と同じ曲目)

午後3時00分 南東県信義郷久美村着

2回目交流

☆19時00分 ブヌン族、ツオ族と交流

ブヌン族とツオ族の唄や踊りを披露してもらい、アイヌ民族の唄や踊りを披露 (前日と同じ曲目)

ホームステイ、久美協会会員宅

久美村の学校ではブヌン族のブヌン語で副読本が出来ていて、小学校からブヌンの歴史、言葉などを教えているという話しでした。

5日目 平成10年1月12日(月)晴

午前8時30分出発

午後5時30分 屏東県泰武郷平和村着

☆ 午後7時00分 パイワン族と交流

パイワン族のうたと踊りを披露してもらい、アイヌ民族の唄や踊りを披露 (前日と同じ曲目)

ホームステイ、パイワン族の、平和教会会員宅に

 

6日目 平成10年1月13日(火)晴

午前5時30分出発

高雄空港から台北行きの飛行機に乗り台北着8時35分

空港よりバスで台北日本人学校

☆ 午前10時、台北日本人学校、台湾神学院の台湾原住民学生の方々と共に公演。 台北日本人学校生徒は800人全校生徒先生方が熱心に見てくださいました。

 日本人学校の生徒はほとんどが日本にアイヌ民族のいることさえ知らず、アイヌ文化に触れて大変勉強になったと感謝していました。アイヌ民族の唄や踊り披露、アイヌ民族の歴史、等を二宮先生(通訳)が説明してくださいました。

故宮博物館見学

順益原住民博物館見学

忠烈嗣 (衛兵交替)見学

日本人学校の先生方と、晩餐交流会

台北のホテル宿泊

 

7日目 午前9時ホテル出発

桃園国際空港迄、二宮先生送って下さり、この一週間本当にお世話になりました。有難うございました。

午後12時発、中華航空100便で帰国

午後8時30分、千歳空港着、様似午後午前12時頃着

 

帰国後、報告会を開催し、交流の経験を非参加者とも共有しました。

 


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