台湾紀行 〜台湾先住民族と交流して〜 小松和弘
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新沖縄フォーラム『けーし風』第18号<季刊>1998.03(新沖縄フォーラム刊行会議発行)に掲載したものがもとになっています。

台湾に向けて出発

 私たち北海道ウタリ協会様似民族文化保存会は、今年の1月に零下10度を下回る凍てつく北海道から南の島台湾に行って台湾先住民族の人たちと交流をしてきました。

あたたかい歓迎・闘志ヨハニさん熱く語る

 最初に訪れたのが台北市の教会です。台湾の先住民族の方を始め、いろんな国の方々が迎えてくれました。台湾は、気温だけでなく、人もとても温かい。また、自らの土地と言語と名前をとりもどすことを求め、台湾の先住民族の運動を導いてきたヨハネさんは熱い演説で私たちを迎えてくれました。私には「大多数の言うことを信じてはいけない」「あなた方がアイヌ語で挨拶したら、あなた方をアイヌと認めましょう」という主張が印象的でした。

国の行政機関訪問

 明くる日は、行政院原住民委員会という先住民族が直接運営する行政機関を表敬訪問した後、新竹市にある聖経学院を訪れました。ここは先住民族の若者たちが学ぶキリスト教の神学校です。私たちは若者たちに熱烈な歓迎を受けました。お互いの歌と踊りを交流しました。彼らは私たち保存会のアマツバメの踊りを大変気に入ってくれました。

村あげての歓迎

 まず最初に訪れた村は、台湾中部南投県の山間にあるタロコ族の人たちが多く住む眉渓村です。地元の人たちが村をあげて歓迎してくれました。昔を伝える貴重な写真や織物工芸を見学させてもらった後、村の人たちの盛大な交流会でみんなで楽しく踊りました。

 この村では地元のお年寄りやお医者さんから昔の話や教育のことを伺うことができました。ここは昔、霧社事件という抗日事件のあったところで、その当時日本人と戦ったタイヤル族の中のタロコ族の方の子孫が住んでいる村だということでした。ここの人たちは、霧社事件で日本人と戦ったこともありましたが、太平洋戦争では日本兵に志願し南方に行ったこともあります。そのようなこともあって、日本統治時代を懐かしむお年寄りもいたりと、複雑な国家観を持つ人たちだなあと感じました。

「高砂族」って?

 私たちは台湾の先住民族のことを「高砂族」と一概に呼ぶことが多いのですが、実際には言語も風習も違う9つほどの少数民族からなっています。ここに来て地元の人の話を聞くと、その中でもまた細かく分かれているようです。漢民族が大陸から大量移住してくる400年ほど前には18ぐらいの民族が住んでいたらしいのですが、現在ではそのうち半分は漢民族に同化してしまったと言われています。

山の村々を訪れる

 次に訪れたのは、ブヌン族の人たちが多く住む3つの村々です。

 最初、東埔温泉に訪れました。ここでも交流会が行われました。お年寄りによる民族歌謡を聴くことができました。自然倍音による和音がとてもすばらしいものでした。

 その次に、近くの光復村を訪れました。ここでも歌と踊りの交流会を行いました。普段は聞くことができない狩の時に歌われる歌などが披露されました。ここの村の歌は音楽的に注目されているそうです。保存会の中高生はバスケットの相手をしたり村の子どもたちと楽しく交流していました。今回の台湾訪問でお世話になったところのほとんどがキリスト教の教会です。少数民族の村々にある教会は、村人によって建てられ、村の教育文化活動の拠点となっています。母語の聖書翻訳などもそうですが、民族意識を高めていく上で教会は大きな役割を果たしているようです。

ホームステイ先で語る

 3つ目に訪れたのは久美村です。ブヌン族とツォウ族の人たちが住んでいる村でした。ここの交流会ではツォウ族の人たちの踊りも披露されましたし、アイヌの踏み臼の踊りを会場のみんなと踊りることができました。交流会の最後にはアイヌ語で自己紹介も行いました。

 この村で私たちはホームステイをさせてもらいました。当初言葉が通じなくて困るのではないかと心配していましたが、日本統治時代に学校で日本語を習ったお年寄りがどこの家にもいるので、安心してホームステイに入ることができました。ホームステイでは、年寄りといろんな話ができて、親交を深めることができました。

 私がお世話になったのは久美小学校の校長先生宅で、お婆さんと先生から学校についていろいろ伺うことができました。台湾には先住民族の進学に対して優遇措置があるそうです。例えば、高校の学費無料・教科書の無料・生活費の援助などです。こういった資金的援助の他に、入試の点数加算制度もあるそうです。この援助措置のおかげで、たくさんの先住民族の人が進学し、社会の表舞台で活躍できるようになってきているそうです。他方、優遇措置で大学に入学したものの、大学を卒業できない人も出てきているとのことです。先住民族だけを受け入れる高校もあります。タロコ族のお医者さんのように、この措置を差別待遇と呼び、このような施策をとらなかった日本政府の方が、自分たちを平等に扱っていたという意見をもつ人もいて、先住民族の中でも受け取り方がいろいろです。先生は現在小学校で自分の民族の言語や文化が学校で学べるように学校のカリキュラムを工夫したり、教科書を作って研究しているそうです。

パイワン族の村で

 私たちが交流した三つ目の民族はパイワン族の人たちです。島内をずっと南下して、パイワン族が住む台湾南部塀投県の平和村を訪問しました。ここでもお互いの踊りや歌を交流しました。ここでは学校の子どもたちがきれいな衣装を着飾って、踊りや歌を披露してくれました。また国賓が来台したときに特別演奏されるという珍しい鼻笛の演奏も聞くことができました。この村でもホームステイをして、親交を深めながら楽しく過ごすことができました。

日本人学校訪問

 最終日に訪問したのが日本人学校です。900人の子どもたちを前にアイヌの古式舞踊を公演してきました。日本人を前にということで台湾で一番緊張した場面でした。長旅の疲れが出て体調を崩す人もいましたが、何とか無事公演を終えることができました。子どもたちがくいいるように真剣に見てくれたことがなんとも有り難いことでした。保存会の中高生は大人以上にいろんな面でいい経験ができたのではないかと思います。これが自信につながってくれたらと願っています。

漢民族文化に触れ帰国

 そして、最後に故宮博物院の漢民族の文化を見て7日間の日程を終えて帰国しました。中国風のものにほとんど触れることもなく、国民の2%にすぎない先住民族の人たちと過ごせた7日間は本当に有意義なものでした。この経験は、自分たちのこれからを考える上で、この上もない糧となることと思います。


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