平成10年8月

1.39を支える女達

 産科病棟というのは、一種独特のムードが充満しています。たった今子供を産んだばかり、という女性の「なまめかしさ」というか「雌のニオイ」というか。そのムンムンぶりは「熟女ヘアヌード」なんてものの比ではありません。産後の女性というのは、全くのすっぴんでたいていは眉毛がなく髪もぼさぼさで疲れ切った顔をしているのにもかかわらず、なんとも言えない凄絶な色気を発散しているものです。出産体験自体が性の延長上にあるというのも一因でしょう。ほんの半日程度の間に人生観が変わってしまうような体験をし、それをくぐりぬけてきたという自信もまた、彼女達を内側から輝かせているような気がします。ただし、私のような30過ぎの経産婦はこの限りではありません。その理由について多くは語りたくありませんが、(33歳4人目の今回は特に)産前産後は鏡を見ると悲しくなりました。なるべく子供は20代のうちに産んどいた方がいいみたいですね、実感として。
 さて、それはともかくとして・・・

 私は今回、海沿いの小さな町の病院で三女を出産しました。地元ではとても評判がよく、人口の割に結構混み合っていました。私の入院した4人部屋にも若いとおぼしき「ママ」が2人、すでに出産を終え赤ん坊の世話をしながら産後の体を休めていました。
 4年前に次女、2年前に長男を産んだ隣町の病院では、2人部屋に私1人という個室状態だった(どうも評判が今一つだったらしく、そこで帝王切開をした私は後で命知らずよばわりされました。結局その後すぐその産婦人科はなくなってしまい、今回はわざわざ遠い町まで検診に通っていたのです)のですが、6年前の長女の時は東京に里帰りし、私の母が私を出産した病院(さらに私の祖母も父をそこで出産)を選んだため、同世代のお母さんが多い(私もまだ27だった)大部屋で、あまつさえ中学の同級生に出くわしたりして、みんなでしゃべくりっぱなし笑いっぱなしの大変楽しい入院生活だったのです。

 しかし、同じ大部屋でも今回はちょっと違うぞ、と感じました。私はもともと全く人見知りしないたちで、向こうから話しかけてくれた場合はまず愛想よく受け答え、気持ちよく会話ができる。もちろんこちらから話しかけることも多く、相手がよっぽどひどい対応でもしてこない限り「話しかけるんじゃなかった」と後悔もしません。しかし、今ここにいる2人のママにはどうも話しかける勇気がでない。まず年が違いすぎる(向こうが若すぎるわけではなく、私が年をくってるというだけですが)。それから髪の色(私も白髪隠しを兼ねて少々茶色く染めてはいますが)も違いすぎる。2人とも地元の人らしく面会の家族や友人がひっきりなしにやってきますが、その会話を聞いた限りでは、話す言葉も違うし、育った環境や育ち方にいたってはおそらく大違いであろうと思われました。向こうは向こうで私のことをそう思っていたはず(どーせオバサンだよ)で、その後、聞きたいことがあったので話しかけたところ、露骨にびっくりした表情を見せ、しかも最小限の言葉しか返ってこなかったので「う〜ん、これは仲良くなるのはあきらめよう」と、以後は彼女たちを観察するにとどめることにしました。
 やなオバサンですね、私も。

 その結果、私は彼女達から思いもよらないショックと感銘を受けたのでした。

 彼女達はその会話によれば、それぞれ21歳で2人目(以下Mさん)と24歳で3人目(以下Tさん)という、私とひとまわりも違う母親達なのでした。Tさんは兄弟姉妹が多く、全員同じ「まだらの金髪」をしていて、そのまだら具合が信じられないほど似ているので「これって遺伝?」と真面目に考えたりしました。その後その一族を産んだとおぼしきばーちゃんがやっぱりまだら金髪(しかもパンチ)なのを目撃し、「やっぱりDNAの仕業か」と納得せざるを得ませんでした。
 Mさんはやはり金に近い茶髪で前歯が数本抜けており、若いくせに顔色がえらく悪くて思わず「トルエン?」と尋ねてしまいそうな有機溶媒系の容貌をしていました。
 食後には2人連れだって当然のように喫煙室へ向かいます。Tさんはパズル雑誌をたくさん買いこんで驚くほど熱心にクロスワードパズルを解いていますが、彼女いわく「いくらやっても完成したことがない」らしい。
 それで楽しいか?楽しいのか?え????

 しかし私を驚かせたのはその容貌や言動に反した(とやっぱり思ってしまうのですが)彼女達の堂々とした母親ぶりでした。Mさんは「17で結婚し、18でひとり目を産んだ」ということで、別にできちゃった結婚というわけでもないらしい。なんでまたそんなに早く、と私などは思うわけで、意地の悪い言い方をすれば「イナカだから他にやることがなかったのだろう」ということになりますが、ともかく彼女達はごく自然に結婚し、子供を産んで育てているという印象を受けました。当然ダンナも若く「月給が手取りで13万」だそうで、紙おむつなどはとんでもない贅沢品であり、自分の洋服などもうずいぶん買っていない、と話していました。月13万じゃ1家4人、食べるだけでせいいっぱいなはずです。お金をやりくりしながら家事育児をこなし、おしゃれや外食もままならない生活を少々愚痴りながらも彼女達はとても幸せそうでした。会話のそこここに今の生活に満足しているというニュアンスが感じられ「やっぱり自分の子供はめんこいよねえ」としっかりとした母親の顔で子供を抱き、おっぱいをあげていました。

 ふとわが身を振り返れば、20代前半は大学で飲酒とマージャンと夜遊びに明け暮れ、仕事をしていた3年間だけは真面目にがんばっていたと自負しているものの、その後の結婚や妊娠出産に関してはそれこそあーでもないこーでもないと自己主張を折り込んだ理屈をこねくりまわしたあげく「女ばっかりソンをしている」とフェミニスト気取りの文句をこともあろうにインターネットで全世界に発表しちゃったりしている。さらにダンナがおとなしいのをいいことに日常生活でも好き勝手ばかり。高価な食器洗い機を「絶対必要」、高価なエアロバイクやマッサージ機も「健康のために必要」、パソコンやドラムセットも「自己実現のために必要」と何のためらいもなく購入し、「自分の時間がないとストレスがたまるし」と子供を保育所に預けている。妊娠中授乳中かまわず酒は飲む。バンドなんか組んで遊んでいる。完全に人生をなめきっている、と自覚さえしてたりする。それでもこういう事に関しては全く個人の裁量と責任によるというのが暗黙の了解となっているはずで、私が間違っているとか、妻、母親としての心構えがなっとらん、と誰彼に言われる筋合いはないのですが、彼女達を見ていてなんだかとっても自分が恥ずかしくなってしまったのでした。

 まずそういう可能性はないでしょうが、もし私のHPを彼女達が読んだとしたら「な〜にあたりまえのことをえらそうに言ってんだか」と一笑に付されてしまうのでしょう。
彼女達と4日程一緒に入院生活を送り、最終日あたりには私も交えてボチボチと話をするくらい打ち解けてくれました。そして退院の日、2人とも申し合わせたかのように上から下まで真っ黒な、およそ「お母さん」とは思えない格好で、それでも赤ん坊を宝物のようにしっかりと抱いてシャバに帰っていったのでした。

 特殊出生率が1.39まで落ち込んだ、というニュースは記憶にまだ新しいところですが、都会で高学歴の女性が不倫なんぞしている一方で、8時になると真っ暗になってしまうイナカでは金髪の若いおかーさんが精一杯の自己主張をしながら2人3人と子供を産んでいるのだなあ、としみじみ思ったのでした。

 その後私も無事退院し、心機一転してよき母を目指す、ということもなく、あいかわらず人生をなめきった生活をしています。今にバチが当たるかもしれません。しかしお隣りのかーさんが「3人子供を産めば極楽浄土に行ける、という宗教があるらしい」という耳寄りな情報を教えてくれたので、いざとなったら(どんなときだ?)入信しようと思っています。

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