母は船長(後編)


 なぜか「あー面白かった」という感想で締めくくられた学科講習の翌日、私は苫小牧からさらに30キロほど北上したところにある「支笏湖」へ実技講習に出かけました。「机上の勉強」というのは誰だって面白くないものですが、今日は「湖上の実技」です。昨日の 「キツネにつままれたような」体験から考えると、今日はより一層の「収穫」がありそうだ、と期待に胸を膨らませながら車を駆る私。今思うとこの時点では完全に目的を取り違えていたようですが、とにかく昨日先生が書いてくれた「失敗した一筆描き」のような地図を頼りに、支笏湖から千歳川に入ってすぐの桟橋に到着しました。昨日一緒だったMさんと2人で「先生のマイペースっぷり」について話しながら「三半規管を容赦なく鍛えてくれる桟橋」で待っていると、湖の方から「道内随一の設備を誇る実習船」に乗って先生が戻ってきました。私たちの実習の前に一級の人たちを教える、と言っていたので実習生が2人乗っています。

「おはよう」

 やはり「海の男」英語で「シーマン」(←ホントか?)は水の上だととたんに元気になるのでしょう。なんともいい笑顔を浮かべた先生が颯爽と登場。一級の実習生はFさんとCさんという40前後の男性です。私はおやじ軍団に完全包囲されましたが、考えてみればこれだってりっぱな「紅一点」。わーい、男性にとり囲まれちゃったぞー。お姫様状態だぞー。さあこい!どんなことでもこの「紅色の脳細胞」(←アブナイじゃん)が吸収してやるぞ!と意気揚々な私でしたが。

「あー、Fさん、教えてやって」

 先生は先輩に後輩の指導をまかせてしまいました。Fさんは自信なさげに「えーと、じゃあ機関の点検を」とエンジンルームを開けて講義を始めました。

「これね、ここに水が溜まってるけど、このくらいならまあいいんだそうです」
「で〜、ここをさわったフリをして“電気系統よし!”でしょ〜」
「そんでもってなんとなくこの辺を指さして“燃料系統よし!”だっけ?」

 東京のお母さん。貴女に「命に関わらないことはどうでもいいこと」と教えられた私ですが、そんな私を不安たらしめるこの「講義」は一体どういうことでしょう。機械に弱い「紅一点」であるうえに、表現がファジーでなにがなんだかさっぱりわかりません。そもそも根本的に「ちゃんと点検してない」じゃないですか。ちょっと腹の立った私は先生を呼びつけ「ここのベルトは排水ポンプを動かすと教本に書いてありましたがこれは点検しなくていいんですかっ!?」と早口で質問しましたが、先生はしらけた口調で、

「安藤さんあのね、あんたあんまり教本読まない方がいいよ」

 先生の「先生」とは思えないお言葉は「覚える事は必要最小限でいい」という主張に基づく提案でした。船の免許を取りに来るのは、自衛隊の若者と、物覚えの悪くなったおやじが多いのです。50代とか60代になると、聞いたそばから忘れる。だから最初から量を少なくして、覚える部分は確実に覚える、とそういう受験のテクニックが必要なのだそうです。ま、確かにそう言われればそうかも知れませんが、それでもやはり教わる方としては不安です。だってすげー適当なんですもん。こんなんで受かるんでしょうか?

 漠然とした不安を抱えつつ、いよいよ湖上へ出航です。この日は風が少々強いもののお日様が照って暖かく、波を蹴っての航行が大変気分がよろしい。ああ、やっぱり船っていいなあ、これからこれを操縦するんだなあ、と気分は遠足前の幼稚園児。Mさんが先に操縦を習い、それを見ていますから順番が来たときにはすっかり「出来るつもり」でいたのですが、ちゃんとまっすぐ走れるようになるまで少々時間がかかりました。車と違って船は波や風にものすごく影響されます。思っていたより難しいものです。しかも先生は「これがウチのやり方だから」と要所要所で不安材料を惜しみなく提出してくれます。「ウチのやり方」イコール「教本とは違うやり方」ということですねっ!そういうことなんですねっ?!(半泣)

 ひととおり変針や人命救助を教わったところで「腹減った」と先生が不機嫌な声を出したので、湖畔にある某旅館の桟橋に船を着けて昼食を取ることになりました。糖尿なのに肉とビールが大好きな先生は「ジンギスカンが食べたい」とホテルの人に言いましたが、その、物腰はやわらかいが長年の接客業で独特の雰囲気を培ってしまったホテルマンは、

「予約なしですと今からお肉を解凍しますので8時間くらいかかりますが?」

とすっとぼけたことをしれっとぬかすのです。「チンすればいいじゃない」と食い下がる先生をやんわりかわし、そのホテルマンは「そばかうどんかカレー」という夢も希望もない選択肢を我々に突きつけました。

「じゃあボクはかけうどん」

いじけてます。還暦過ぎてるはずの先生がいじけてます。

 食事を待つ間、当然のようにビールを飲みつつ先生は我々にカメラを見せびらかします。いいでしょ〜この

「ラジカメ」

 「ラジカメってなんスかそれラジオが付いてんですかそれともレンズから放射能でも出るんスか」

 素早く完璧なツッコミを入れることが出来た私をまるっきり無視し、先生は自らの「波瀾万丈伝」を語り始めました。30代で釣具屋のオヤジをやっているときに支笏湖でボートが転覆して九死に一生を得たがそれが新聞に載って大変に恥ずかしい思いをした、と。そのあと某船舶振興会にスカウトされ船の教官になるためのそれはそれは厳しい訓練を受けた、と。それからウーロン茶の輸入に夢中になり、中国や台湾から直接買い付けて日本の店に卸し、その時に知り合った台湾の人と結婚し、その後その商売はコケた、と。今は中華料理店をやっている奥さんと自分と合わせて、夫婦で年間3000万くらいの売り上げがある、と。

「先生昨日“奥さんの店は年間売り上げ2500万円”って言ってましたよね3000ひく2500ですね先生の分」

 またもや「紅一点」のAクイックがすぱーんと決まりました。しかし年間500万の売り上げで(しかも生徒に昼飯おごったりしてるし)、高価な(値段聞いたけど忘れた。とても高かった)実習船が導入できるというのはうらやましい話です。まあそれだけ稼ぐ奥様は当然亭主の世話はしないので、先生は毎日3食とも外食なのだそうですが。

 さて午後の実習だ、と皆で船に乗り込むとすぐ、ビールを飲みお腹がいっぱいになった先生は「今日は波が高いから蛇行は無理だな」と帰ろうするのです。ちょちょちょ、ちょっと待ってくれ。私は遠いところから朝早起きして来てるんだってば。「で、でも試験の時は波が高くてもやりますよね」と私が食い下がると先生は「うんそうだね」としばらく湖面を見ていましたが、おもむろに振り返ると「さ、じゃあ帰るよ。Fさん、あの岬の先ね」とさっさと目標を指示しました。

少しは“会話”をしてくださいっ!

 後で聞いた話ですが、我々とは別に実習を受けた小学校の先生Tさんは「おしっこがガマンできない」という理由で実習を切り上げられたそうです。しかしまあ、先生もプロなのですから、なんだかんだ言ってもちゃんと我々を合格させてくれるハズ、と自分に言い聞かせて不安を振り払い、その数日後に再度実技講習を受けて「よし、安藤さん、完璧!」とお墨付きをもらいました。この「お墨付き」は数分後、「じゃ、完璧なところでヤメとこう」と早く帰るための「口実」にされるのですが、まあ受かればなんでもいいです(←すっかり毒された)。

 そしていよいよ9月3日。手違いで受験表の「級」が間違っていたのですが、そのせいか受験番号まで変更になっていました。筆記試験はちゃんと勉強しましたからもちろん余裕でクリア。お昼に先生が「食事も安いし飲み物がタダで飲み放題の店」を新しく開拓した、というのでそこに連れていってもらおうということになりました。到着した店は誰もが知っているあのガストせ、先生、あれはタダではなくて、ドリンクバーといって一応お金を払うんですけど・・・・、と言っても仕方ないような気がしたので口には出しませんでした。先生はもちろんタダで堂々と飲み放題。あれはカップを飲み物の横に置いておく店の方も悪いですけどね。

 午後は「明日は実技試験なのに着岸も離岸も教えてもらってないんですう」とマジで泣きそうなTさんと一緒に私も支笏湖へ。軽く復習させてもらい、この日は長男の6歳の誕生日だったので「アカチャンホンポ」で「トミカお出かけ立体マップ」を買い、へとへとで帰りました。夕食時、テーブルの料理を見て6歳になった長男が「なんだ今日はごちそうじゃないのか」と醒めた口調で言いました。もともと「お誕生日だから」とごちそうを作ったりはしないのですが、なんだかこの日はちょっと申し訳ない気持ちになりました。ちなみに9月3日は「ドラえもん」と同じ誕生日だそうです。

 疲れはピークに達していますが、今日で終わりだー、と目覚めた翌日。弁当を4つ作り、ひっくり返ったへろへろ声でダンナに「今日で終わるから」「終わるハズだから」「終わらなかったりして」と言って家を出ました。いよいよ実技試験です。先生も応援に来てくれています。試験場は支笏湖のモーラップキャンプ場。湖畔では午前中に試験を受ける10人ほどが異様なムードで試験を待っていますが、それほど緊張はしませんでした。なんたって私は「完璧」なのですから。ところがその「完璧」なはずの私がいくつかミスを犯してしまうのです。実技は3人1組で試験を受けるのですが、よりによって私に一番苦手な「機関点検」が回ってきたのです。ええ、忘れましたとも、スコーンと気持ちよく。一番の「見せ場」である「オイル点検」を。さらに着岸で目標を激しくオーバー。ここいらでは一番優しいという評判の試験官がもう一度やらせてくれましたが、再度オーバーし、こってりと恥の上塗り。さすがにこれには大きくため息をついてしまいました。しかし試験が終わってから先生に私のしでかしたミスを説明すると「あー、そんなの大丈夫、全然大丈夫」とまたもや「太鼓判」です。私にとってはもし落ちても納得がいくな、と考えるほどのミスでしたが、それでも先生の言うとおり、一週間後には3人とも合格することができました。「あの」学科講習で、「あの」実技講習で、小型船舶の免許というのは取れてしまうのです。ま、なんにせよよかったよかった。その後「受験番号」と「級」と「性別」の3カ所に訂正印の押されたハデな合格証書が送られてきまして、それと書類を海運事務所に郵送しやっとこさ海技免状を我が掌中に。早起きとか長距離往復とかお勉強とか先生へのツッコミなど日頃怠けている主婦にとっては本当に大変な日々を送り、ダンナにも負担をかけて手にしたそれは、クレジットカードよりも薄っぺたくて、考えていたよりもずっとチープな、それでも私にとっては「一番新しい宝物」になったのでした。

 その後、神奈川に住む妹に電話で「船の免許を取った」話をしました。動機を尋ねられて「宮古のおじさんに乗せてもらったのがきっかけ」と言ったら妹が思い出したようにこう言いました。

「あー、そういえば宮古のおじさんって無免許だったんだよね」

お、おぢさああああん!!(号泣)

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