母は釣り師


 中央競馬のPATシステムというのを御存じでしょうか?家のテレビやパソコンに機械をつなぎ、電話回線を通じて馬券が買えるシステムです。それまでの電話投票と違い、刻一刻と変化するオッズをほぼリアルタイムでチェックしながら買えるので、これにグリーンチャンネルがあれば競馬場や場外に行かなくても全く不自由なく競馬を楽しむことができます。
 このシステムの第1回一般公募は、今から8年前で、倍率は20倍でした。その頃私のお腹には長女が入っていましたが、スタッフ不足で病院をやめられず、私とダンナは相変わらず北海道と神奈川で別々に暮らしておりました。
ある日の晩、ダンナが電話口でひとこと。

「当たっちゃった」

生ガキにでも当たったのかいな、と思った私にPATシステムの説明を始めたダンナは、彼にしては珍しく饒舌にそれがいかに幸運なことであるかを私に知らしめようとしているようでした。常にポーカーフェイスで、感情の起伏の目立たない人ですが、付き合いの長い私にはその大きな喜びが受話器を通して伝わってきます。同時に結婚したばかりの私にある覚悟を与えてもくれました。こりゃ偶然ではなく必然だ。20倍の難関をもあっさりクリアしてみせるその並々ならぬ執念に私は感服し、

「おやんなさい。も、好きなだけおやんなさい」

このヒトの「ビョーキ」には一生口を出すまい、と新妻は腹をくくったのでした。

 思えばPATシステムは私達夫婦を救ってくれた、と思うのです。PATがなければ、ビョーキのダンナは妻子を顧みることなく毎週土日は場外に出かけていたハズなのですから。ところがこのシステムのお陰で、競馬が開催されている間は、テレビや新聞や妙なデータブックとにらめっこしっぱなしではあっても、とりあえずは家にいてくれます。赤ん坊を預けられるので、私はその間、買い物やパチンコに出かけることができました。育児中のこういった息抜きは、本人が思っている以上に効果的なものです。よく考えれば、家で競馬をしているついでに子供を見てくれているわけで「出来たダンナ」というのとは違うと思うのですが、周りから見れば「赤ん坊を預かって、女房を外に出してくれる良き夫」ということになり、よくよその奥さんにうらやましがられました。そしてつくづく思ったものです。

「ダンナが釣りをする人じゃなくてよかった」

 「釣り好き」も「競馬好き」と並んで、非常にタチの悪い「ビョーキ」です。しかも競馬は前述したように設備さえ整えれば家でもできますが、釣りはオンモに出なければ始まりません。聞くところによると、釣り好きのお父さんというのは、休みの日は夜中から出かけてしまい、夕方まで家にいないというではありませんか。さらに帰ってきたところで、クタクタに疲れているので女房がいくら家事育児にてんてこ舞いしていても、全く使い物にならないともいうではありませんか。その上「オカズを釣ってきてやってるんだ」と大義名分を堂々と掲げて自分のビョーキを正当化してるというではありませんか。釣りの道具は揃え出すとキリがないし、どんどん新しいものが欲しくなる。家にはいない、お金は遣う。仕事ならガマンも理解もするけど、それ、遊びじゃん。そんなヤツがダンナだなんて、ああ、信じられない!

 実は東京の父が「釣り好き」というビョーキなのですね。若い頃に発病したようで、私達が子供の頃は別なビョーキが顕在化していましたが、そっちのビョーキが引っ込むかわりに「釣り好き菌」が再燃したようです。私が大学生の頃、たまたま実家にいた時の話ですが、父が台風が来てるのにもかかわらず「釣りに行く」と言い出し、母や私や妹は当然止めたのですが、父は全く聞く耳を持たず、「もうすぐ台風が通過するから、そうすれば船は出る!」と自らの妄想的希望的観測を信じて、風雨の激しい中千葉まで出かけ、そのままUターンしてしょんぼりと帰ってきました。打ちひしがれている父を囲んで女4人はあからさまに嘲笑。この話はいまだに実家で出ますし「お父さんはボケたら釣り竿持って徘徊するね」などと父のビョーキは格好の笑いのタネになっているのです。

 釣りのどこがそんなに面白いのでしょう。子供の頃、母の実家のある宮古の岸壁で小さい魚をひっかけて遊んだり、近所の釣り堀で金魚釣りをしたけど小さいのしか釣れなくて隣のオジサンのバケツに入っていた大きなランチュウを皆で「せーの」でかっぱらって逃げたり、アメリカのコロンビア川で、落ちていた木の枝に仕掛けをつけてもらい「雄大なUSAのリバーで釣り糸をたれているマイセルフ」を楽しんでいたら「インディアンズワイフ」(まずくて食えない、という意味だそうだ)という大きな魚が釣れちゃったり、子供におっぱいやりながら「ウキウキ釣り天国」というパソコンゲームに大ハマリしたり、まあ、これまでの人生、釣りに全く縁がなかったわけではなく、その面白さもわからなくはないのですが、なにも大嵐の日に出かけなくてもいいじゃん、なにも休みの日は全部釣りに行かなくてもいいじゃん、とそんな風にちょっと前までの私は思っていたのです。

 昨年8月、猛暑の最中、我々は漁港のある海辺の町に転勤になりました。漁師町なのに、なぜか新鮮な魚が手に入らないという不思議な町でした。捕れた魚はほとんど流通ルートに乗ってしまい、漁師さんに知り合いがいなければダメなのだ、と近所の人が教えてくれました。引っ越してしばらくした頃、日刊スポーツの釣り情報欄にこの町の漁港の記事が載りました。

「厚賀漁港 イワシが30分で150匹」

 うはうは顔のオジサンのアップの写真も載っています。この時はダンナが「30分で150匹か・・・・釣り竿買ってくるかな」とつぶやいてましたが、結局イワシ釣りに行くことはありませんでした。チビがまだ家にいましたし、それどころではなかったのです。しかしこの記事を目にした時、魚好きの私の頭の中にはしっかり「釣り=新鮮な魚」というデータがインプットされたように思います。新鮮な魚は目の前の海に泳いでいる。自分で釣ればいいのだ。まだまだ忙しい日常に振り回され、「釣りに行く」ということに全く実感がわかないながらも、私は頭の奥の方でそう理解していたのでした。

 ラッキーなことに、次女と長男が通っている山の保育所は子供が足りません。保母さんを2人確保するには園児10人の頭数が必要だそうですが、その10人を苦労してかき集めている保育所なのです。なので、ウチの末っ子も1才ですんなりと保育所に入れてもらうことができました。子供を産み始めて8年。てんてこ舞いだったその期間をくぐり抜け、私はようやく自由時間を手に入れたのでした。

 子供が幼稚園や学校に行っている間、家にいるお母さんはどのように過ごしているものなのでしょうか。周りのお母さん達を見ていても、さすがに一人で「釣り」をしているお母さんは見当たりません。子供が出払ったら掃除をして、ゆっくりお茶を飲んで、ビデオや読書を楽しむ。あるいはお友達とおしゃべり。庭いじりや手芸。サークル活動。電話代を気にしつつネット徘徊という人も増えているでしょう。出かけたとしても、ショッピングや外食、レンタルビデオに図書館。思いきって昼カラオケ。「まともな」お母さんならそんなところでしょう。パチンコとか不倫とか、また違った路線を楽しむ人もいるようですが、周囲の人も陰で眉をひそめつつもそれはそれで理解の範疇だと思います。が、「一人で釣りに行く」というのはもう完璧に「変わった人」という烙印を押されてしまいそうな行動だと思いませんか?私はそう思いました。

 そうは思いましたが、私は全くためらうことなく釣りの道具を揃え、人目を気にすることなく熱中し始めました。ひとりで考え行動するタチの人間には、釣りは非常にやりがいのあるゲームです。自分の考えを実行し、そして結果を得る。裏切られたり、報われたり。報酬は美味しいので、ゲームとしての楽しみプラス、食欲も刺激してくれます。さらに私には漁港の人間関係が非常に面白く感じられました。漁港で釣りをしていると漁師さんや同じビョーキを持つ人たちがチェックにきます。すぐに声をかけて来る人もいるのですが、たいていは一人で釣りをしている妙な女だなあ、という顔で私を観察します。視線を感じてこっちから挨拶をするとすぐに「釣れてる?」と尋ねてきます。釣りは情報収集が非常に大事なので、ひとりであれこれ考える半面、皆と仲良くもしなければなりません。そのうち「獣医さんの奥さんがひとりで釣りをしている」という噂が私の耳にも入ってきました。このあたりにも女性の釣り人は出没しますが、たいていはダンナと一緒です。「ひとりで」というところがこの噂の重要なところなのです。案の定「変わった人」にされましたが、わたしゃ全く平気です。

 噂が気にならないのは元々の性格もあるのでしょうが、「4人も子供産んだんだから、ちょっとくらい好きなことしたっていいっしょ」という自信というか開き直りというか、そういう感情が私を支えているのだと思います。連れ合いを看取った後の女性が周囲を気にすることなく、それはそれは伸び伸びと人生を楽しみ出す例は珍しくないですが、それと似ていると思います。大変な御苦労をされた方々と比べては失礼かもしれませんが、要するに「達成感」によって自分との折り合いがついている、そしてその意識が私を開放してくれているのだという気がします。さらに、これから再び獣医の仕事を始めようと目論んでいる私にとって、今現在の自由時間は貴重な時間に間違いありません。仕事を始めたらしばらくは好きなことがなかなか出来なくなります。今のうちに、のんびりもしながらやりたいこと、できることはやっておこう、というのは少々体裁のいい対外的な理由で、実はそんな「前向きチック」な考え方は趣味ではありませんが、とりあえずそういうことにしとこうかな、と思ってます。

 しかしながら、釣り師と母を両立させるのは想像以上に大変なことでした。晴れた日の日中は釣りに行くので、買い物や他の用事は雨の日に済ませます。晴れている日に買い物に行かなければならない場合はなるべく「引き潮の間」に出かけます。結果、天気に関係なく家にいません。ダンナは昼に帰ってきますが「お昼は冷凍牛丼だギュー」とか「カレーin 冷蔵庫」といった愛に溢れたメモを置いておきます。釣りから帰って休む暇もなく子供を迎えに行き、それから夕食の支度をしますが、片手間にその日余ったイソメに塩をまぶして「塩イソメ」にします。こうすれば日持ちするのでまた釣りエサとして使えるのです。ポテトサラダのボウルの隣に「塩イソメ」のボウルが並んでいるので、まちがって「塩イソメ」を盛りつけそうになったりします。大変疲れているので子供達に辛く当たってしまいます。掃除はあまりしませんが、なぜか食事だけはちゃんと作らないと気がすまないタチなので、作りおきのカレーでもあれば別ですが釣り師兼母の夕方は本当に大変です。あまりに熱中すると、趣味は「ストレス解消」にならないようです。子供がいなければ思う存分釣りができるのに、などとバチ当たりな考えも頭をよぎります。ビョーキの急性期なのでそれも仕方のないことかもしれません。

 ダンナがいくら馬券を買おうが全く口を出さない私は、自分の欲しいものも正々堂々と買います。この場合は「必要なもの」なのでもっと正々堂々と買います。ウチのダンナは子供が4人もいるのに収入制限で児童手当がもらえない程度の、イナカにしては高給取りですが、さすがに釣り竿を2ヶ月で11本も買うと生活費が足りなくなる、ということがよくわかりました。午前中に1本、午後にまた1本買ってしまった時もありましたが、両方とも私の基準では高価な竿(1万円台)だったのでその時は妙に罪悪感があり、押し入れに隠すという異常行動も経験しました。別に隠さなくても、ダンナが釣り竿の数を数えているとは思えないし「また買って来たな」と気付かれても別に咎められる訳でもないのですが、自分でも意外だったこの行動は、私にもかわいいところがまだあるのだなあ、と新しい発見をもたらしてくれたのです。
 もちろん、竿の数に見合ったリールは必要ですし、釣りの仕掛けもいろいろと揃えなければいけないので大変です。しかも仕掛けは激しく消耗する品で、特にアブラコ(アイナメ)やカジカなどの「根魚」を狙うと、海底の海草や岩に仕掛けが引っ掛かる「根がかり」で数百円の仕掛けがいくつもフイになります。その分魚が釣れればいいのですが、この2ヶ月で釣って食べた魚は小さいのがトータルで10匹くらいです。軽く10万円は投資しているので、1匹1万円の小魚という計算になります。私は大変な高級魚を釣っているのですね。計算上ではそういうことになりますが、違いますか?

 このビョーキ、どうやら予後はあまり良くない様です。漁港で会ったおばさんに、

「あらー、奥さん、釣りにハマっちゃったら大変だよう」

と言われました。しかし私の周りには釣りに飽きたと思われる人もたくさんいます。私は何事もわりとあっさりイヤになるので、飽きるかもしれません。最近はようやく

「私が釣れないのは釣れない場所で釣れない時間に釣りをするからだ」

という思いもよらない衝撃の真実に気付き、やみくもな釣行は控える傾向にあります。私が釣りを始めてから今まで、私の住んでいる日高地方は全く釣果が上がっていません。そもそもこのあたりは秋がシーズンの釣り場なのです。遠出をすればいろいろ釣れているようですが、9時から4時までの自由時間で往復2時間以上もかかる釣り場に出かけるのはやはりキツい。今は釣りの基本を体得しながら、ひたすら手ぐすねを引いているべき時期なのだと解釈し、秋の到来を待つことにいたしました。一応。
 ところで「手ぐすね」って、どうやって引くんでしょうか?誰にでも簡単に引けるもんでしょうか?引き方を御存じの方、ぜひ御教授ください。

 ちょっと前にテレビ東京から出演依頼をいただきました。なぜかダンナの職場に直接電話があったので、ダンナがすぐに断ってしまいましたが、私はもちろん出演しないにしても、どんな番組だか知りたかったなあ、ちょっと残念だなあ、と思っていたところへ制作会社からメールが送られてきました。

「先ほどは失礼いたしました。急いでいたもので、HPを見て、すぐにでもお話をうかがいたく思ったのです。出演していただきたいのは「ウチの困った親」という特集です。これは趣味に熱中している困った親を子供の視点から「やれやれ」という感じで描く番組です」

心外だなあ。(←大真面目)

「母親失格!」目次へ

トップページへ戻る