バックナンバー


第49回(00.6.15)

 皆様こんにちは。岸壁の母、あつよです。岸壁でカレイやカジカやアブラコを待っているのですが、来るのは外道のアカハラ(ウグイ)ばかり。それでも魚を食べたい一心で、母は待ち続けるのでした。いやー、泣ける泣ける。しかし釣れないにも程があるぞ、厚賀漁港。今日の常識へようこそ。

 さて、莫大な資本投資をしたのにも関わらず、まっっっっったく!利益の上がらない「あつよ水産」に対し、「あつよ農園」の経営は非常に順調でして、トマトは早くも実を太らせ、去年はなぜかキャベツになってしまったブロッコリーも、今年は順調にブロッコリーになってます。今年初挑戦のバジルもどんどん茂ってきまして、作る楽しみ、食べる楽しみを存分に味わっているのですが、先日、隣の畑できゅうりのタネを蒔いていた斜向かいのおばさん(病み上がり。推定年令73)が作業をしながらボソっと言うではありませんか。

「いやー、買った方が安いんだわ」

そ、それは言ってはいけない約束では・・・・?
しかしまあ、年輩の方々のお言葉というのはしみじみといい味があるもんでして、このおばさんの連れ合いのおじさん(推定年令78)も、

「なんでも”作る”っちゅうことはゆるくねえ(大変な)もんだ」

と心の底から頷ける「ちょっといい一言」を聞かせてくれます。
皆様はこんな説を御存じでしょうか?

「人間の肉体のピークは30代前半であるが、精神活動のピークは60歳前後である」

ちょっと意外ですが、確かに豊富な人生経験を生かせる、という意味ではそうなのかもしれませんね。肉体のピークをぎりぎり過ぎたばかりの私なんかまだまだ若輩者というわけです。(←ちょっと嬉しい)

 さて、私の得意料理の一つに「炒飯」があります。「チャーハン」じゃありません。「チャオ ファン」です。炒め鍋をハイカロリーバーナーで発火寸前まで焼きに焼き、もうもうと立ちこめる油煙の中、2回に1回は火傷を負う、という命がけの調理から生まれるそれはまさに炎と油の芸術品。米粒のひとつひとつが油でコーティングされ、ネギから出る水分も強火で容赦なく飛ばすので、ぱらりといい具合にほぐれた我ながら見事な出来上がりになります。他の炒め料理も同様に油煙の中命がけでして、ただの野菜炒めも、火加減一つで非常に美味しい料理になるということがよくわかったのですが、どうやらこの私の「こだわりの炒(チャオ)」のせいで我が家のガス代は異常に高いらしい、ということに気付きました。前にここの家に住んでいた人の倍近いのです。まあ私は主婦にしてはあまり「〜代」を気にしない方だと思います。どうせダンナの稼ぎだし。しかしそれにしても「倍」はあんまりだなあ、と思わなくもないわけですね。

 そこで、清水の舞台からもんどりうって転げ落ちたつもりで(←2週間の重傷)、なんと

はっせんごひゃくえんっっ!!!

の炒め鍋を生協で購入いたしました。なんでも素材は純チタン。凄そうですね、チタン。少なくとも牛タンよりはエラいのでしょう。しかもですよ、。なんでもこの「純チタン炒め鍋」様、熱伝導に非常に優れているので、余熱に時間がかからず、調理中もさらなる強火料理が可能になるとのこと。わーいわーい、熱伝導だぞー、純だぞー、なんか凄いぞー。(←若輩者)

で、例によって注文したの忘れてたもんで、品物が到着した時はなんとなくラッキーと思ったりしました。いえ、自分で注文したんだしお金は払うんですから全然ラッキーじゃないんですが、それに気付いていない若輩者の私は浮かれ気分で早速「豚キムチ炒飯」を作ってみたわけです。

浮かれてたもんで、やっぱり卵投入に失敗。ちょい火傷しましたが、その熱さも忘れるくらいイイんです。この鍋。まず軽い。それから火にかけたらものの30秒で煙が上がってきます。さらに調理中も「ジュー」の音が盛大です。さすが「はっせんごひゃくえん」。さすが「純チタン」。これでガス代もかなり減るはずです。今までの「シルバーストーン炒め鍋」だったら余熱に2分くらいかかっていましたが、その余熱分の熱量で、さらに美味しい炒飯が出来てしまうのですから。

「純チタン炒め鍋、ハナマル」

「炒(チャオ)」にこだわる方にお勧めします。ただし揚げ物には向かないです。薄いからね。
それでは今日はこの辺で。次回は「今日の常識、50回記念」といたしまして、ちょっとした企画など。意外なスポンサーがついてくださったので意外なプレゼントがあります。お楽しみに〜。


第50回(00.6.22)

 皆様こんにちは。生ゴミのかぐわしい季節、いかがお過ごしでしょうか?めでたく50回を迎えました「今日の常識」へようこそ。
 急に日射しの強くなってきたここ数日、私はヒトデコンブ釣りを楽しみながら、着々とシミソバカスを増殖させております。SPF1億7562万9354とかいう日焼け止めがあればちょっとくらい副腎皮質あたりに副作用があっても絶対に買ってますね。ここで一句。

コンシーラーの恩恵身に染みて3度目の年女の夏

思いっきり字余っちゃいました。すいません。しかし今の私の心境を定型にハメるのは無理というもので・・・・え?「コンシーラー」ってナニ?いいんですっ!男性の方は知らなくてもっっっ!

 ちょっと語気が荒いですが、実は小学2年生の長女に先に小さいながらも高級魚(ソイ)を、よりによってサビキ(小学生でもできる釣り)で釣られてしまい、ムカついております。

「わーい、ソイ釣っちゃった〜」(×10)
「お母さん、今日はこれ一匹だけだけど、釣りに来て良かったよね」
「絶対持って帰る。お父さんに見せる」

などと無邪気に喜んでいるはずの長女の一言一句が気に食わない。マグレのくせに。ついうっかりのフリをしてリリースしちゃろーか、と本気で思いました。いえ、ちゃっかり刺身で食べましたけども。
よく言われることですが、母親にとって娘というのはある程度の年令になると一種「いやな存在」になってきます。「女同士」というヤツですね。確かに同じ事を長男が言ってもムカつかないんじゃないかと思いますし。

「極性が同じもの同士は互いに反発する」

性染色体にも磁力のようなものが存在しているのですね。ああ、反抗期が怖い。

 さて、前々回でしたか、このコーナーで「愛知県知多半島の謎のお菓子、生せんべい」を文中に練り込んだところ、愛知県岡崎市にお住まいの中野勝次郎さんからメールをいただきました。この方、岡崎市で「備前屋」という老舗のお菓子屋さんを御家族と共に営なんでいらっしゃるそうです。創業は天明二年(1782年)だそうですが、200年以上続いている老舗もネット進出とは、まあ当然のこととは言えやはり時代を感じます(意外にも和菓子業界はネット進出が比較的早かったそうです)。HPを御覧いただければわかりますが、この「備前屋」さん、ネット販売でも商品が充実している上、送料もお得。折しも御中元の季節。御進物には「備前屋」さんをぜひ御利用ください。

 なぜ頼まれもしないのに宣伝をするかというと、中野さんからのメールが、「ウチでも生せんべいを扱ってますので、日頃楽しませていただいているお礼によろしかったらお送りしましょうか?」という大変嬉しいお申し出だったからです。実は私は今までにもいろいろとネットで得をしておりまして、それは私がただただひたすらにずうずうしいからに他ならないのですが、ちょうど生せんべいを名古屋のお友達(だよね?だよね??)からいただいて食べたばかりで、その「味」「食感」「これがなぜ”せんべい”なのか、という謎」にすっかり魅せられていた私は、このメールに対し「読者プレゼントにしていただけないでしょうか?」と返信をしたのでした。他の人にもこの「謎のお菓子」を知っていただきたい、と思ったのです(ホントです)。お返事をいただくまではちょっとドキドキしましたが、この図々しいお願いを中野さんと専務のお兄さんは快諾してくださったばかりか、なんと「備前屋から3組賞品を出しましょう」とまでおっしゃってくださったのです。「備前屋」という屋号を見た時に、私は、

備前屋「お代官様、これをお納め下さい」
悪代官「ほほう、備前屋、これはなんじゃ?」
備前屋「はっ、お菓子にございます」
悪代官「ほっほっほ、備前屋、そちも悪よのう」

ナレーション「しかし備前屋は菓子屋なので、本当にお菓子なのだった」

という大河ドラマ風のワンシーンをすばやく脳裏に思い描いてしまったのですが、やはり代々の店主もこのように正直ないい方々だったのでしょう。本当にありがとうございました。(すいません、ワケわかんないヨイショで)

とまあ、こんないきさつで、

「今日の常識、50回記念企画」に愛知県岡崎市の「備前屋」さんから

「夏の定番詰め合わせ」

(長竹葛きり、長竹水ようかん、梅琥珀、桜っこ、2000円の品)

これに「愛知県知多半島の謎のお菓子、生せんべい」 を1枚つけて、3名の方にプレゼント!

してくださるということになりました。ホント、ありがとうございます。愛知県の人って、いい人ばかりなのですね。(但し某球団は除く)

これでめでたしめでたしなのですが、実はもうひとつ大きな収穫があったのです。中野さんとの何回かのメールのやり取りの最中に、なんと予想だにしなかった「生せんべいの真実」が明らかになり、私は多大なるショックと感動を受けたのでした。

 ウチの子供達は何度訂正しても「生せんべい」の事を「モチ」と呼んでましたが、ま、要するに「生せんべい」とは白砂糖と黒砂糖の2色の大変美味しい「モチ」でして、適当に切り分けて、もしくはちぎって口に入れ、もにょもにょ、ぐにょぐにょという食感とまじりっけなしの素朴な甘さを楽しみながら「どこがせんべいじゃい!モチやんけ」とニセ関西弁で文句を言うのが正しい食べ方、だと思っておりました。ところが、

生せんべいにはなんとこんな秘密が!!!

「謎のお菓子」と称したのは的確だったのです。さすが、私。ちなみに「秘密」を実践するには高度なテクニックが必要なようです。プレゼントが当った方は絶対に挑戦してくださいねっ!(言われなくてもしますね)

それでは今日はこの辺で。次回をお楽しみに。

賞品は豪華だが問題はショボイぞ!「今日の常識 50回記念クイズ」←もう終わってますが、見たい方はどうぞ。


第51回(00.6.29)

 皆様こんにちは。「今日の常識」へようこそ。
前回の企画にはたくさんの方におつき合いいただき、ありがとうございました。正直言いまして、もうちょっと応募があるかと思ってましたが、ま、こんなもんなのかもしれません。 メッセージも嬉しく拝見しました。2K、3K、のフォームを送信して下さった方、ありがとうございました。結果はこちらを御覧下さい。

 ところで、今回の企画のスポンサーになってくださった「備前屋」さんですが、実は中京地区ではかなり有名なお菓子屋さんである、という事実が明らかになりました。そのメジャーぶりは「愛知の人間なら皆”びぜんや〜のあわゆき〜”というコマーシャルソングを知っているはず」という話からも窺えます。南関東で言えば「ありあけ〜の〜ハ〜ぁぁバ〜」というところでしょうか。さすが 悪代官と癒着 伝統ある老舗です。このようなふざけたHPの企画に参加してくださるのも、その懐の深さ故なのでしょう。備前屋さんを御存じの方からは「備前屋と言ったらやはりあわ雪です」とか「手風琴の調べ(和風パイ)というお菓子が大変美味しいです」などの証言をいただいております。甘いもの好きの方はぜひこの機会にお試しくださいませ。

 さて去る6/26、末っ子が2才になりました。まだプレゼント貰っても分からない年ではありますが、ありがたいことに上の子たちが「誕生日プレゼント」をいろいろと考え、お人形がいいだろう、という結論を出してくださいました。で、末っ子にはついついサイフのヒモが弛んでしまうバカ親の私はちょうどサティで4000円くらいのお人形が2980円になっているのを発見。それを買ってプレゼントとしました。女のお子さんがいる方は御存じかと思いますが、「ぽぽちゃんシリーズ」「おっぱいのにおい ぽぽちゃん」です。御存じない方に説明しますと「ぽぽちゃん」とは、九州出身の方はその名前に少々ヒヤっとするかもしれませんが、要するに子供が抱くのにちょうどいい大きさのリアルな赤ちゃんのお人形です。顔つきは完全に東洋人向けで、多数の子供を恐怖のドン底に陥れた「キャベツ人形」と違って好意が持てます。よく見ると目が下等なサルみたいでちょっと怖いですが、寝かせるとそのロリスのような瞳を閉じるし、手触りもぷにゅぷにゅ柔らかいし、手足もフレキシブルに動くし、別売の高価な付属品や着替えなども充実しているし、子供がごっこ遊びをするには十分すぎるほどよくできたヒトガタ(←イヤな言い方だな)なのです。箱を見ると「すくすく赤ちゃん」でお馴染みの高橋悦二郎先生も御推奨のいわゆる「知育玩具」で、「愛情豊かな女の子を育てる」という明確な目的意識を持ったおもちゃらしいのですが、そのわりには値引きされてワゴンに積まれてたりもしました。
 で、今回買ったのは、さらに「女の子の愛情」を喚起せんと意図したのか、これに「おっぱいのにおい」がついた商品だったのですが、これがなんとも言えない、ぎりぎりで「イヤ」な、押し付けがましいニオイなのです。敢えてたとえるなら生クリームたっぷりのケーキを食べて、直後に吐いたゲロみたいなニオイ。長女や長男は平気なようでしたが、神経質な次女は、お人形好きなのにもかかわらず「ちょっとぽぽちゃん、こっち来ないでくれる?」と逃げ回っていました。徐々ににおいは薄くなる、との注意書きがあったので、よっぽど首にナワつけて外に干したろか、と思いました。

 これから「ぽぽちゃん」を愛娘、あるいは孫娘に買ってあげようと思っている方。この

知育玩具「面妖なニオイ ぽぽちゃん」

はせっかく買ってあげてもお子さんに嫌われるおそれがあります。加えてつわり中のお母さんには言語道断なニオイがします。堅実な方はスタンダードタイプの「ぽぽちゃん」あるいは「女の子だもん ぽぽちゃん」か「おふろもいっしょ ぽぽちゃん」にした方がよさそうです。

 というわけで「最後の2才児」がウチにやってまいりました。2才というのは人間としてのひとつの節目でして、幼いからこそ強烈な「自我」が顔を出す年頃でもあります。ひとことで表現すると「理不尽」となりましょうか。1才半頃から始まるその「理不尽な自己主張」は2才でピークを迎えます。特徴的なのは身の回りのことを、できないクセに「自分でやる」というやっかいなものです。まあ、何度もやっているうちにできるようになりますし、成長の証しであることは明らかですから本来なら喜ぶべき現象なのでしょうが、大人にとっては迷惑な場合も少なくないわけですね。
具体的には「急いでいるのに、クツを自分で履くといって聞かない(で、結局履けない)」「混雑している改札口でキップを自分で入れると言って聞かない(後ろの人に舌打ちをされる)」「自分でゴハンにふりかけをかけると言って聞かない(あたり一面にばらまく)」と、まあこのあたりは判で押したようにどこのお子さんもやることでしょう。で、ちょっとでも手伝うと未熟者のクセにモーレツに怒るんですね。「自分で」ということに異常なまでにこだわるこの年頃を海外では「デビルズエイジ」と呼ぶんだそうです。

 さて4人目ともなると「自分で」が始まった時も「ああ、始まったか。今から1年だな」と覚悟が出来ますが、そもそもせっかちの私はこの「自分で」を暖かく見守っていられない時が多々あります。時間がかかっても自分でできることならできる限り待ってますが、出来なくてパニックの末ヒステリーを起こされると非常にやっかいです。それを避けるためにはうまい具合に手を貸してやらなければなりませんが、今日はそういう時の裏技をご紹介しましょう。

 2才児というのは、大人の言っていることをほとんど理解しています。ですから「自分で」と言い出しそうなことはまず先手を打って「自分でやってね」と”自分で”をおおげさに強調しながらヤツに宣言します。で「ほら、自分でできるでしょう?」「あら、自分でやらなきゃダメよー」「あれ?ここは自分でできるはずなのになあ」などと畳み掛けるように話し掛けながら母親がちゃっちゃとやってしまうのです。「できないから貸しなさい!」などと言うとカンカンに怒るヤツが、これだとなぜか怒りません。ウチの子供達には大変効果があった裏技です。
 また同様にして「オムツ替えをイヤがる場合」に対しても「あのさー」「相談があるんだけどさー」「今日の朝ごはんさー」などと相槌を求める話しかけをしていると暴れません。

 以上の実験(←おい)から、どうやら2才児というのはこちらが思っている以上に「一人前に扱って欲しい」と思っているようです。親が「露骨に赤ちゃん扱い」するのを非常に嫌う。やっかいな2才児とうまくつき合うコツはそこにあるわけで、すなわち「はいはい、一人前だと思ってますよ」とこちらからアピールすればそうひどくはこじれないような気がします。まあオムツしてるやつを一人前だとはなかなか思えませんが、口先だけでも「キミは一人前だ!」と認めてやると少しは納得するのかもしれません。もちろん、親の側にそれだけの余裕がなくてはいけませんが。

「2才児は手強いようでまだまだチョロい」(←本心)

 もちろん、あまりの理不尽さに耐えきれず、思わず手が出てしまうのは仕方のないことです。母親もまだまだ未熟な人間ですしね。私もつき合い切れない時にはかわいいはずの末っ子に思わず手や足(足?)が出ます。さすが「デビルズエイジ」。早く大きくなれと願う半面、赤ちゃん時代を卒業したのだなあ、と寂しくもあります。親なんて勝手なもんでして。
それでは今日はこのへんで。次回をお楽しみに。


第52回(00.7.17)

 皆様こんにちは。「今日の常識」へようこそ。
ちょっと夏バテて胃を壊しました。また禁酒中です。薬飲んでます。
去年も同じ時期に同じことを書きましたが、皆さんは、

「北海道の夏は涼しい」

と思っていらっしゃいませんか?それは大きな間違いです。きっちり暑いですのでうらやましがる必要は全くありません。どうぞ御安心下さい。

 さて、私はここ1年程「低容量ピル」を飲んでおります。ラテックスを突き破る「鋼鉄の精子」を製造する男と結婚した私は子供を4人産みまして、35才も過ぎたことだし、ここらで「定量」の札を掲げておこう、と去年かたーくかたーく決意。タイミングよく解禁になった最新式の薬に飛びついたというわけです。

 いやー、草冠に楽と書いて「薬」。人生変わります。もちろん、なにをどうしようが妊娠の心配がない、ということもありますが、それ以上にホルモンの荒波に翻弄されずに生活できるというのは女性にとって大変なメリットです。子供を産み、30代に入るといわゆる「女体盛り」違った「女盛り」という時期に入ります。女が盛る。なんだか侮蔑的な表現のような気がしないでもないですが「男盛り」という言葉もあるので許しましょう。具体的にはメスとして成熟し、女性ホルモンの分泌が盛んになる、ということだそうです。
 この「女盛り」、嬉しいこともありますが、嬉しくないことも多いのですね。私の場合は2人目を産んだあたりから「排卵痛」がキツくなり、排卵の前3〜4日下腹部が痛く、体を動かすのも辛い時期が何度かありました。それから生理前4〜5日もなんだかダルかったり熱っぽかったり。それに生理の期間を加えると月の半分くらいは「ぐわいわり〜」ということになってたわけですね。

 それが今や、排卵がないので排卵痛は当然ナシ。生理もあんまり来ないですし来てもうんと軽い。あんまり生理がこないのでちょっと心配になり医者に聞きましたが「問題なし」とのこと。ま、気になるなら1ヶ月飲むのをやめればきちんと来るものがきます。世間で言われるような副作用も「低容量」だからなのか、ほとんどありません。服用を考えていらっしゃる「定量」の方はもちろん、なにかと大変な独身の方、今は子供は無理、という既婚の方、いかがでしょうか?避妊効果以外にもいろいろと嬉しいことが多いです。条件が合えば(喫煙者はダメとか、いろいろ制限あり)ちょっと試してみる価値はあると思うのですが。ちなみに薬代は月2000円です。保険がきかないのでまとめて処方してくれます。

はい?そういうのは不自然?
はっはっは、何をおっしゃいます。現代社会で生活している以上、不自然はもうそっちの方が「自然」と言えるくらいあたりまえのことではないですか。

「医療とはそれ自体不自然なことである」

ぐわいのわり〜時には病院に行き、様々な苦しみから解放してもらいます。ピルだって同じことです。もちろん、医療だけではなく、突き詰めれば人間自体「不自然」な存在と言えます。 クーラーにあたり、冷蔵庫で冷やしたビールを飲みながら「何事も自然が一番よねえ」などとは笑止千万。(←やつ当たり入ってます)

 そういえば先頃院内感染で、お年寄りが次々に亡くなった事件がありましたが、その年令を見て、「それ寿命なんじゃないの?」と思ったのは私だけではないはずです。20年前、寝たきりだった祖父が亡くなった時、父がぼそっと「やっと死んでくれた」と呟いたのを思い出します。頑固でプライドの高かった明治の人間が、オムツをされて長生きする、というのは本人もさぞかしイヤだったことでしょう。医療は嬉しいこともありますが、嬉しくないことも明らかに多い。長生きは美徳かもしれませんが、なんでもかんでも蘇らせちゃうというのはどうか、とみーんな思ってますよね。ま、こういう話題はそれぞれの家庭でそれぞれの事情がありますから一概には言えませんが、延命治療は「家族が心の準備をする為のもの」でいいと個人的には思ってます。あとは「苦しまずに死ねる医療」をもっと発達させて欲しいと切実に思います。痛いのヤダし。それと胃が弱っててもビール飲める薬も。暑いんだもん。(←水飲め、水!)

 まあ、結局のところは「薬マニア」なんですね、私。小中学生の時は「保健委員」にまっ先に手を上げてましたし、今も毎日ザラザラといろいろ飲んでます。システムシックスは効きました。メラトニンも人生変えてくれます。こんな不自然な私ですが、子育てだけは「自然が一番」(要するにほったらかし)と思いますねえ。

「人間は矛盾のカタマリである 」

そう考えればいろいろ楽かも。それでは今日はこのへんで。次回をお楽しみに。


第53回(00.7.26)

 皆様こんにちは。「今日の常識」へようこそ。
 私はハエの2、3匹、どうってこたないんですが、妙なところで神経質なダンナがハエタタキをブラブラさせながら虎視眈々と家の中をうろつく季節となりました。夏本番、北海道はイベントシーズンのまっただ中です。ここのところ毎週末、なにかしらの行事が入っていて忙しいです。保育所、小学校、子供会、町内会、ダンナの職場。私の住んでいるところはイナカなので、特にそういう地域のイベントが多いと思います。人間誰しも複数のコミュニティに所属して生きておりますが、子供の所属しているコミュニティにはもれなく親も所属してしまうので、特に母親は大変です。しかしながら、地域ぐるみで子供を育てよう、という精神がいまだにこの漁師町には自然な形で残っているように感じます。安心して子供を外に遊びに行かせることが出来る環境があってこそ、私の「ほったらかし育児」も成立するわけですね。イナカさまさまです。

 で、先日夏祭りに小学2年生の長女をお友達と行かせました。知り合いばかりだし、大丈夫だろう、と小遣いを持たせて送りだしたのですが、後日、祭り会場にいたクラスメイトのお母さんに、
「お金の遣い方がわかってないから、親が付いていないとダメだ」
と言われました。「くじびきが300円」という情報を元に1000円持たせたのですが、確かに長女はそれを一気に遣ってしまったようです。しかしこの場合、どうお金を遣えば「正解」なのかは私にもわかりませんでした。私がいても、多分「祭りの時くらい」と好きなものを買わせたと思いますし、それならばせっかくの機会だし、少しくらい失敗をしても自分で財布を開けて商品を受け取りおつりをもらう、という社会勉強をさせたいな、と思いました。

 ひとつだけ確実に言えるのは、年に一度の祭りの小遣いをいっぺんに遣ったからといって、彼女の今後の人生にたいした影響はないだろうということです。金銭感覚というのは性格の一部であるため、実に個人差のあるものです。生家の経済状況がまず基準となり、育った環境にもよるところが大きいのでしょうが、しかし、同じ環境に身を置いているはずのきょうだいでも大きく違いますし、同じ血を持った親子でもまた違う。ビンボーだとお金をありがたがる堅実な人間になるかといえば、どうもそうではないようだし、金持ちはケチ、という定説もあります。金銭的には普通の家庭で育っても、他の部分でバランスが崩れていれば結果として「買い物中毒」や「極度の吝嗇」という人間になってしまう場合もあります。そこまで極端ではなくても、やはり「お金の使い方」というのは潜在的に「何かの発露」であるように思えますから単に「金銭感覚」だけを捉えてあれこれ論ずるのはナンセンスと言えるのかも知れません。

 無制限に欲しいものを買い与える、というのは論外としても、やはり今の日本の子供は恵まれています。親である我々の世代も恵まれていましたから今の子供達は「恵まれ2世」です。しかしながら「恵まれている=幸せ」ではない、ということに世の人々は最近ようやく気付いてきました。
 お腹がいっぱいだから、次はモノを欲しがる。モノはいくらでも溢れているから、欲しいモノは際限なく現れては消えていき、その中のいくつかは「お誕生日」と「クリスマス」で確実に手に入ります。ただでさえ飽きっぽい子供に次々とモノを与えてしまう。これではモノに執着する気持ちが全く育ちません。お金というのは、お金で買える「夢」を実現させるためのものなのに、その「夢」自体が希薄ですから、お金自体に価値を見出すことが難しくなってしまいました。ここで私が問題にしたいのは、古臭い説教が出てきそうな「お金の価値うんぬん」ではなく「夢」の方です。

 日頃、長女の小遣いは「一ヶ月200円」です。「ちゃお」という雑誌が400円なので、2ヶ月にいっぺんそれを買うことにしているようです。「必要なものはその都度買ってやってるから」と小遣いを決めない家庭も多いのですが、我が家はたった200円でも小遣いを決めています。これでお金に関して堅実な性格が育つのか、と言えば実は全くそんなことはなくて、彼女がもし生まれつき浪費家なのであれば、それは根本的には一生治らないと思います。大体が両親からして「堅実」とは言えませんからね。しかし小遣いを制限し、その中で自分の好きなものを買わせる、というのは恵まれている中にあって、少しでも「ガマンした上で欲しいものを自分で買う喜び」を知って欲しいという「恵まれた親」の願いがこもっています。

 かなり前ですがテレビのトーク番組に出演していた小室哲哉氏が「お金持ちになったので『子供の頃からの夢』を実現しました」と話していたのが印象に残っています。その夢とは「デコレーションケーキを丸いまま食べる」というものでした。

「小さく見えても夢は夢」

 どんなにセコくても「夢」さえあれば人間はそう曲がらずに生きてゆけるのに、特に子供には「わかりやすい夢」が必要不可欠なのに、その「生きてゆくエネルギー」を、お腹を満たしモノを与え、大人と同等に扱うことで子供から奪ってしまっているのではないか、と最近思います。夢を見失った子供達がどうなるか。何をするか。最近の世の中はその「解答」のような気がするのですが。

今回はちょっと偉そうでした。それでは今日はこのへんで。次回をお楽しみに。


第54回(00.8.3)

 皆様こんにちは。お暑うございます。北海道日高地方ではコンブ干しが始まりました。磯の香りを嗅いでいるとなんとなく元気になるような気がしますね。気のせいでしょうけど。「今日の常識」へようこそ。
 先日、3年前に悪夢のバンド演奏をしたビールパーティーに行ってきまして、見事に飲み過ぎました。どうもあそこは鬼門らしいですね。誰かが大量のビールをもらってきて我々の目の前に置いたから堪りません。「もったいない病」という持病が出てしまい、ビールならいくらでも入るもんで、まあ飲んだ飲んだ。次の日の二日酔いのひどいことと言ったら。たんなる二日酔いではなく「急性アルコール性胃腸炎」(そんな病名があるかどうかは知らないけど)という感じでした。まだお腹がヘンです。
 毎回毎回不思議に思うのは、どうしてわかっちゃいるのにやめられないのか?ということです。飲みはじめるとエンジンが回り出してしまう人にはわかっていただけると思うのですが、「適度に飲む」という一見簡単なことが私にとっては非常に難しいのです。なんで次の日に激しく後悔するのがわかっているのに、飲んじゃうんでしょうねえ?やはり

「バカは死ななきゃ治らない」

ということなんでしょう。まあ人間どこかで「バカ」な方が可愛げがあっていいと思いますけどね。(←あくまで自己肯定)

 さて、今日は思いっきり自分勝手な話をしますので読まなくてもいいです。
 引っ越して1年が経ちました。私は今住んでいる町が非常に気に入っているのですが、その理由の一つに「お隣りが板金屋さんである」というのがあります。
 実は私、「身近な職人さん」に大変ヨワい。お隣りは3世代同居で、じいちゃん、とうさん、息子の3タイプの職人さんを代わる代わる眺めることができる大変に嬉しいスポットです(じゅるっ)。じいちゃんはそろそろ80才というところで、耳も大分遠いので、話し掛けるとシュールな会話になるところがまた嬉しく、それでも職人としてはまだまだ現役で、よく作業場で腕をふるっています。つい先日初孫が生まれたばかりのとうさんは50過ぎというところでしょうか。日焼けした筋肉質の上腕部と、頭に巻いた手ぬぐいが「もーたまらん」っす。20代前半と思われる息子はメガネなんぞかけやがってまだまだ青いですが、やはり頭に手ぬぐいを巻くので将来が期待できる逸材です。とにかく職人さんは体を動かすのでカラダが筋肉質なところがヨロシイのですな。

「男はやっぱり肉体労働」

ですよねえ。あーでもないこーでもないとへ理屈をこねるのがお仕事の頭脳労働者、また他人にへこへこするのがお仕事の営業マンが男性としての魅力に欠ける(←決めつけてます)のは仕方のないことですが、せめて「頭に手ぬぐいを巻く」というのはどうでしょう。スーツに手ぬぐい頭。白衣に手ぬぐい頭。うわ〜、かっこいい〜。

 私にとっての「手ぬぐい頭」は純粋に「眺めて楽しむ」物でして、すなわち一緒に生活しているダンナにはして欲しくないと思います。大動物獣医も肉体労働のようなもんですが、獣医学科が「ハキダメ」であった昔はともかく、今の獣医は受験勉強をして大学に入り、6年も大学に行って資格を取る「インテリ」なのでどうも「味」がなくて、私的にはあんまりかっこよくないです。小動物獣医? 論外。(M木センセイ、すいません)

 職人さんの他に、街の電気屋さんとか自転車屋さんもかっこいいと思います。しかし自転車屋さんはよくてもバイク屋さんになるととたんに興味が失せるのは一体なぜでしょう?

 おそらくプライドの質なのだと思います。街の職人さんの持つプライドは大変気持ちのよいものです。クライアントに柔軟に対応できる程度のこだわり。だいたいが「仕事なのに」自分を曲げたがらない程のプライドを持ってしまうとまず間違いなく「うるさいヤツ」になっちゃうわけですね。私がインテリや趣味が嵩じて仕事になっちゃったような人を全く「かっこいい〜」と思わないのはきっとこの部分なのだと思います。仕事はあくまで生活手段。プラス適度な自信とこだわり。肉体労働と手ぬぐい頭。これぞ「眺めて楽しむ男」ですね。なんか文句ある?

 ウチの目の前で家の新築工事が始まりました。これでまた「大工さん」が眺められるぞー、と喜んでる私ですが、8/4から10日まで東京に帰ります。8/8には東京ドームのボックスシートで子供抜きで野球観戦の予定。わーいわーいわーい。先発はどうやらメイらしく、ちと残念ですが、どっちにしろ第一希望だった上原はダメだし、ま、狂い咲き清原でも観てきますわ。それまで狂い咲いていてくれるといいんですけどね。
 そういうわけでしばらく更新がありませんのでご了承ください。帰省後もしばらくは忙しいので次回はいつになることやら。気長に待っていてくださるとうれしいです。では。

続きへ

トップページへ戻る