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第36回(99.12.27)

皆様こんにちは。今日の常識へようこそ。
クリスマスも過ぎ、いよいよ2000年も目前となりました。我が家にも無事「町内会サンタ」がやってきまして、子供らは連日新しいおもちゃ(ポケモンステンシル、うたってプリン、プラレール700系ステーションセット、音の出るヒヨコのぬいぐるみ、以上総額約1万円也)で遊び狂っております。長男のプラレールは日に何度も怪獣(末っ子、1才半)に襲撃され、しょっちゅう壊滅状態にされておりますが、それでも懲りずにレールを組み立てて(もらって)は700系新幹線をニヤニヤしながら走らせる長男。きょうだいがいると「腹を立てている自分」と折り合う術が自然と身に付いていくのがよくわかります。しかし男の子というのはどうしてみんなこうオタクなんでしょうかねえ?

さて、私はと言えば今流行りの「ウイルス性胃腸炎」すなわち「お腹にくる風邪」でメリー・ゲリー・クリスマス(←ああっ、これは聞かなかったことにして)でした。いやはや、こりゃもう実にモノスゴイ下痢でして「”大”をしにトイレに入ったハズなのに、なんだこのα波を喚起せんばかりのせせらぎの音は」と自分の排泄している液状の物の、その見事な「液体っぷり」に目を見張る毎日でした。(なんか食ってる方、本当にすみません)
しかしあれほど浸透圧の低い液体が腸管内を満たしているのにも関わらず、トイレ以外のシチュエーションではそれを一滴ももらさずに塞き止めている肛門括約筋というのは実に賞賛に値すべき存在なのですね。日頃はそのありがたみなど全くわかりませんが、この冬、私と同じ症状に罹患した方はおそらく皆、その一瞬たりとも気を抜かない、完璧主義の仕事ぶり(いやもちろん、裏切られた人もいるでしょうけど)に感動されたことと思います。次の大阪府知事は肛門括約筋で決まりですね、うん。(←ヒトゴトとは言え、あんまりな言い草)

さて、ほぼ1年ぶりに再び「巨根ネタ」で本領を発揮せむと目論んでいる不肖私ですが、最近はこのHPも有名になったもので、実家の家族をはじめ、親戚一同、ダンナの仕事関係の方々、なども見てくれているようです。そんな中での、よりによって「巨根ネタ」などはよく考えると対外的に非常にマズいのではないかと、そんな風に思わなくもないですが、ま、別にいいや、もう。

しかし皆さん、下ネタというのは人間の根源的な興味を呼び覚ますものであるのは確かなようです。いや、その反響の大きいことと言ったら。かなり露骨な情報も寄せられております。まあ顔の見えないインターネットだからなんでしょうけどね。なんかズルいぞ、皆さん。個人を特定できる情報、書いちゃおうかな??書いちゃおうかな〜ァ???
いえいえ、ご安心を。そんなことは(たぶん)しません。ええ、(たぶん)
さて、反響メールの中でもっとも多かったのが、

「どのくらいのサイズからを”巨根”と見なすか」

という「基準」の問い合わせでした。いや、私に聞かれても困っちゃうんですけども。うーん、大体、このくらいで・・・・こんなもん・・・・なの・・・かなあ?(←700系新幹線を手にしている)
あ、いや、失礼。そうそう、ここはどうにかその「基準」を見い出さなければ話が進まないんですよね。じゃ、とりあえずアップルご自慢の高性能検索システム「sherlock」を使用し「巨根」でネット検索をかけてみることにいたしましょうか。

「ほほう、55件も引っ掛かってきたぞ」
「ほとんどエロサイトなんだろうなあ」
「うっっっ!こ、これは・・・・」
「・・・・・・・・」
「・・・・うを・・・・」
「・・・・・・・・ほぇ〜」
「ああっっ、なんじゃこりゃっ!」
「・・・・・・・・ぶっっ」
「ぶわ〜っっっっはっはっはっはっはっは」
「ひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ」
「ひゃひゃひゃひぃいいいい!お腹痛い〜、カンベンしてくり〜」
「あ〜笑い過ぎて死ぬかと思った」(←いったい何が??)
「・・・・・・・・」
「・・・・・・・・あ」
「そうか、なるほど」

ここで私は重要なことに気付きました。ナニの大きさを評する場合、通常は「長さ」を用いるようですが、その意味合いを考えた場合、すなわち今この場合は

「体積」

を求めるのが本当ではないかと、そう、気付いたのです。どうでしょう皆さん!ミレニアムを目前とした今、実に意外な展開から次の千年紀を担うであろう常識が生まれてしまいました。21世紀は「ナニの大きさを体積で表わす」時代になることでしょう。偶然とは言え従来の世界の「ナニ観」を一掃する画期的な発見をしてしまった自分に空恐ろしいものを感じ、いまだ身震いが止まりません(笑ってる)が、そういうわけで、とあるデータ群より大体の平均値を出し、震える手で(まだ笑ってる)計算してみました。

「巨根とは、使用可能な状態における体積が140立方センチメートル以上のモノを指す」

さて、皆さんのモチモノはいかがなもんでしょうか?
体積の求め方ですが、結構忘れちゃってますね。一応書いておきましょう。円柱部分の体積は「底面積×高さ」錐体部分(どこ??)の体積は「底面積×高さ×1/3」です。またアルキメデスに倣って、水を張った容器の中にその全容を沈めてみる、というのでもいいかもしれませんが、この方法は角度的にやはり少々アレでしょうかねえ?

というわけで、この基準で「巨根」であることが明らかになった方、さらに「140D<」をカレシ、ダンナにしていらっしゃるウラヤ・・・・いえ、御苦労様な女性の方の情報提供をお待ち申し上げております。

「巨根(但し巨根とは体積140D以上のモノを指す)男性のエッチは雑」

果たしてこれは「常識」なのでしょうか?次回は年明けになると思いますが、お楽しみに。
え?そのデータの母集団はどこだ?そんなのひみつに決まってるじゃないですか、はっはっは。
では今日はこの辺で。巨根で年越しミレニアム。皆様よいお年を。


第37回(00.1.5)

皆様明けましておめでとうございます。本年も「ATSUYO’S HP」をどうぞよろしくお願い致します。今日の常識へようこそ。
今年はさすがに年が明けるまで、セイコーマートの安シャンパンなど飲みながら(胃はとりあえず快調)起きていたダンナと私ですが、長女と一緒になって末っ子まで起きていたもので、ミレニアム元日の朝っぱらから寝不足で不機嫌な1才半児にぎゃいぎゃい泣きわめかれました。まあ、これが我が家のY2Kということになりましょうか。こんな程度でよかったですが。カンパン買っちゃった方々、不要ならウチにください。子供のオヤツにします。

毎年、正月はネット人口も減るため、我がHPもアクセスがぐんと減るのですが、なぜか今年は大して減りませんでした。確かに正月なしでパソコンやシステムとにらめっこという方も多かったのだろうとは思いますが、たぶん今年は違う理由で皆さん正月早々熱心にアクセスしてくださっていたのだと思えてなりません。

皆様、そんなに続きが楽しみなんでしょうか?

いえいえ、ちょっと字が大きいですけど特別な含みなどございません。楽しみにしてくださってホント嬉しいなあ、という気持ちがフォントサイズに出てしまっただけです。巨根男に天誅が下るのを楽しみにしている方が多いんだなあ、とか、コンピューターシステム関係者に粗品男性が多いのかも、とか、私にそんな穿った発想が出来ないことは、このコラムを読んでくださっている方々なら分かって下さっているはずですね。あ、ちょっと言い訳しすぎちゃったかな、いけないいけない、テヘ。(←気持ち悪いぞ、年女)

さてさて、全国2600万人の粗チン男性に捧げよう、と思っていた常識、

「巨根男性(但し巨根とは140D<)のエッチは雑」

ですが、残念ながらどうやらこれは「巨乳女性はアタマが悪い」と同様、嫉妬を始めとする複雑な人間心理によって生み出された根も葉もない噂であるらしい、というのが「にわか巨根研究家」である私の印象です。それどころか最終的には、

「巨根男性の方が研究熱心である」

という結論が導き出されてしまいました。リクエストしてくださったSさん。御期待に応えられなくて誠に申し訳ございません。説明いたしましょう。

「エッチが雑」というのは、その持ち物の体積や硬度、また自前のかぶりモノ(?)の有無に関わらず、若い男性はおそらくすべからくそうでありましょう。経験不足はいかんともし難いものですし、また「若さ」というのも「雑」に繋がる一因であると思われます。若い時代にそれなりに女性と縁があり、今もなお引き続き恋人や女房や不倫相手と楽しんでいる、そういう30代以上の男性はおそらくそのことを身にしみて実感されていることでしょう。「若いヤツは、フッッ(?)、ダメだね」などと余裕の発言で女性にアピールしようと目論むオヤジもいると聞きますが、それはおそらく自分自身の体験に基づいているからこそ自信たっぷりな、そういう発言なのだと思われます。(しかし「それだけ」で口説こうというオヤジにも困ったもんですけどねえ)
そんなわけでもちろん「若い巨根男性は雑」とは確かに言えると思います。特に若い女性VS巨根男性という場合、これはもう物理的に仕方のないことではありますが、女性側が「痛かった」「出血した」「○○○が××した」「△△△△の■■■が☆☆った」(←当て字はご自由に)などということが多々あるでしょうし、その結果「手荒にされた」という感想が生まれてしまうと推察されます。んで、「雑」と。「女性は皆手荒にされたがっている」などという間違った常識もいまだはびこっているように思えますが、140D以上の機内持ち込み禁止品をお持ちの方々にはくれぐれも細心の心配りをお願いしたいと、世の若い女性になりかわりお願いしたいところであります。ま、子供をひとりふたり生めば女性もそれなりに「受け入れ体制が整う」もんですけどね。私なんかきっと万全なんでしょうねえ。ははは。(←どこまで開き直るのか、年女)

さて「雑世代」を抜け、若さもなくなり、相手は女房だけ。まあ半数以上の男性は望むと望まざるとにかかわらずそういう状況にだんだんとなっていくのだろうと思いますが、そんな不況下でも根本的に「好き」な男性は古女房相手に新境地を開拓していくことが多いようです。そして、ここが肝心なのですが、実に「巨根男性は”好き”な場合が多い」という情報を複数いただきました。まあ、大きさがどうのこうので理不尽に傷付くことなく、たまにはお世辞のうまい風俗の女性などにその威風堂々ぶりを賞賛されたりもするのでしょう、いわば「エッチのエリート」として順風満帆なヘソ下三寸人生を歩んできた巨根男性は自然と「エッチ」に対して肯定的かつ意欲的な認識を持ち、自信を深め、確実に精進(?)し続けていくのだと思われます。(無論、その自信が女房以外の複数の女性に向かうということもありがちだそうですが)
もちろんこの場合の「好き嫌い」は本来大きさとは全く関係ありませんが、ほめられれば人間嬉しい、評価されればヤル気が出る、というのはエッチに限らず常識でありますね。
というわけで2回に渡って取り組んで来ました「今日の常識、巨根編」も、

「好きこそ物の上手なれ」

という無難な常識で締めくくれました。ああ、よかった。この結論はもちろん、その体積を問わず、あまねくエッチ世代の男性に夢と希望のメッセージを含んでおります。

さて、今回の内容は皆様からいただいた情報に基づいておりまして、メールをくださった方々、本当にありがとうございました。中にはすげえ笑える情報などもありまして、ここで紹介できないのが残念です。そうそう、残念といえばもうひとつ、「体積を測ってみました」というメールがひとつもこなかったのが個人的には非常に心残りでした。せっかく計算したのに。
最後に、いただいたメールの中から、珠玉の言葉をひとつ。

「そりゃやっぱり大きいほうがええよ。でも、一番大事なんは思いやりよねー。」

これをおっしゃったのはお婆様だそうです。しみじみ頷けるいいお言葉ですね。いえ、前半部分にじゃないですよ。

さて、我が家もお年玉の回収に里帰りをする予定でして、しばらく留守をします。お返事はすぐに出せませんが、帰って来た時のお楽しみなので、御意見御感想メールはぜひ忘れないうちに送っといて下さいませ。次回の更新は帰宅後のリハビリ期間なども考慮しますと、おそらく15日過ぎと思われますので、それまではアクセスしても無駄足です。これでどこまでアクセスが減るでしょうか?楽しみだなあ。では、今日はこの辺で。次回をお楽しみに。


第38回(00.1.19)

皆様こんにちは。東京と群馬でちょい遅れのお正月を過ごしたあつよです。2000年にちなんで、きっちり2000グラム、皮下脂肪を増やしてまいりました。中学校の家庭科で、たんぱく質は「血や肉となる」、炭水化物は「エネルギーとなる」と習ったような記憶がありますが、それらをすべて根底から覆す、恐るべし年女のカラダ。どうして素直に血にならないんだ、焼き鳥!なんでエネルギーとなって燃え尽きないんだ、寿司!ATP回路に入るのがそんなにイヤか!そうか!そんなに脂肪がいいのか!?脂肪になりたいのか!?ええい!そんなヤツはもうウチの子じゃありません!出ていきなさああああああい!(と追い出せたらいいのになあ)

今日の常識へようこそ。更新が予定より大幅に遅れまして申し訳ございませんでした。いえ、「皮下脂肪2000」(←命名してる場合か?)はちゃんと落ちてきてますので御心配なく。

さて、このマユツバ連載も1周年を迎えようとしております。他人に厳しく自分に超甘く、明日できることは今日するな、青はススメ、黄色もススメ、赤になったらさあ勝負。こんな標語を座右の銘としている私が、果たして週1ペースで更新なんぞできるもんかいな、無理ったら無理、絶〜〜対無理、と最初から諦めているのが妙ですが、とにかく自分への無謀な挑戦ということで始めた「今日の常識」。1年間を振り返ってみますと・・・・・・・・・・・・引っ越しが大変でした。(←去年の記憶はこれしかない)
もとい!1年間を振り返ってみますと、週1ペースこそ守れなかったものの、とりあえず自分では納得のいく更新が出来たのではないか、と思っております。正直なところ、めんどうくさいなあ、とも思いましたし、プレッシャーでもありました。HPの更新がすでに趣味の範疇を超え「義務」となっていることに疑問やいらだちを感じたこともありましたが、日々結構な勢いで上昇していくカウンターの数字や、皆様からいただくメールは「やらねば」と私を奮い立たせるに充分な影響力があったのです。更新を終えた後の開放感や、感想をいただいた時の嬉しさなどは、家に閉じこもっているイナカの専業主婦にとって、身に余る喜びでありました。「楽しませていただいてます」というメールをよくいただきますが、なんだかんだ言って、一番楽しんでいるのは当然私の方なのですね。

さて、そういう訳で今日の話題は「自己満足」ということでひとつ。

「自己満足」というのはともすれば悪口陰口批判のネタとなる、ハタから見ているとこっちが恥ずかしくなるような醜悪なものだと思われがちではありますが、実はこれがなかなか侮れない精神活動であったりします。なんてったって「自己」が「満足」ですから、こりゃ言ってみれば人生で最大級の喜びでしょう。
なぜそれが「あんなの自己マンじゃないねえ?」と陰口の対象になってしまうのか?確かに「他人にそれを知らしめたい」系の自己マン人間(私?)もしくは「他人を介して自己満足を得ようとする」ヤツ(私?)はうっとおしいかも知れません。「自己満足」というのは「自己」の中で完結させるべきもの、それが「自己満足」のルールであるはずなのに、周りに「私ってすごいでしょ?」と吹聴しないと満足できないバカ(私?)が多すぎるのかもしれません。本人が実に幸せそうな、満足げな様子であるのもカンにさわるでしょう。聞かされる、見せられる方はいい迷惑です。他人の幸せは妬ましいモノである、というのが特に女性の間では常識ですし。

ちょっと考えてみると、自己満足というのは、天才的に得意な人がいる一方、全く不得意な人もいるわけでして、これはどう考えても「できた」方が幸せな人生を歩めそうではあります。他人にどう思われようと、大きく勘違いをしようと、いくら「オメデタイ」と陰口を叩かれようと、自分に満足できる人はそれだけで幸せです。もちろん、周りを満足させ、同時に自分も満足するというのが理想ではありますが、それが出来る人は本当に一握りの選ばれし民だけです。我々凡人は次善の策として「自己満足に走る」しか道はないわけですね。

さて、究極の自己満足をほとんどもれなくもたらしてくれるものの一つに「出産」があります。初めての子供を産んだ時、私は「これは非常にハイレベルの自己満足である」と感じました。子供を持ったばかりの夫婦、特に母親が憎たらしいくらい幸せで誇らし気に見えるのはそういう訳なんですね。もちろん「自己満足」なので、子供を産んだからといって偉そうにしたり、「ウチの子かわいいでしょー。ねーかわいいでしょー?」などと言って他人を困らせたりする親が少々醜悪に見えてしまうのは当然です。が、もちろん本人はこの上なく幸せなわけですね、自己満足だから。

それからもうひとつ「信仰」というのも強大な自己満足をもたらしてくれそうですが、お願いだから宗教は「自己」の範囲で楽しんで欲しい、とそうお願いしたいですね。私は間に合ってますので。

と、ここまで書いて、

「人間はすべからく自己マンを求めて生きている」

ということに気付いてしまいました。私ってすごーい!

と、結論と自己満足が得られたところで、今日はこの辺で。次回をお楽しみに。


第39回(00.2.1)

皆様こんにちは。 真冬にはどうしても活動が鈍くなってしまうあつよ(前世は爬虫類)です。今日の常識へようこそ。またしても更新が遅れましたが、もう言い訳はヤメました。「随時更新」ということでご了承ください。(あっ、開き直った)

爬虫類といえば、ダンナの実家の近くに「ヘビセンター」という、世界中のヘビを集めて展示している施設があるのですが、こないだ里帰りした時に「子供連れて行こうか」と提案したら、「今は全部冬眠してるんよー」とお義母さんに言われました。それでも一応営業はしているそうです。広くて不可解な世の中、中には「冬眠しているヘビがたまらなく好きな人」がいるんでしょうね。私なら「事情を知らずに入場しちゃって、納得いかない顔で出てくる観光客の観察」の方が楽しいと思いますが。

さて、我が家の幼児達は「季節保育所」という特殊な保育園に通っています。これは本来農家の人々をサポートする目的で設立されている保育所でして、1月はまるまるお休みとなっております。また、小学校も夏休みが短い分冬休みが長く、1/18までお休みでした。実家に帰省したのと、たまに長女のお友達が遊びに来たのをを除けば、ウチの子供らはずーっときょうだい4人で遊んでいたわけです。私は「子育ての面白さ」を表現する際、「動物飼ってたって面白いのに、ましてや人間なんだから、こりゃもう面白くないわけないでしょー」といささか不謹慎な表現を用いますが、これは我ながら非常に的を得ていると思います。カゴの中のハムスターや動物園のサル山を眺めるのと同種の楽しさ、興味深さが「子供の観察」には確かに存在します。特に年の近い子供が3人以上となると「群れ」としての特徴も発現してきまして、これがまた実に面白い。子供を3人産んだお母さんが「3人いると、いいよー」と自慢げに言うのはそういう意味なんですね、実は。

「群れで生活する動物」と言えば身近に「犬」がいますが、「室内で飼われている犬」が面白い順位制を構築するのを御存じの方もいらっしゃると思います。たとえば、父、母、長男、次男、という家族構成の家に、新しく犬がやってきたとします。さて、この犬は自分をどこに位置付けるでしょうか?

特に意識したしつけをしない限り、また、極端に甘やかしたりしない限り、犬は「長男と次男の間」に入ろうとします。家族の順位を素早く察知した犬は「下から2番目」に自分を位置付け、その結果一番のおチビさんにだけは噛み付いたり吠えたりという面白い行動をとります。また、家に不在がちのお父さんなんかは犬に認めてもらえず、疲れて帰ってくるなり噛み付かれちゃったりということもあるようですが、これも犬という生き物が「順位制を重んじ、自分を一番下には位置付けない」習性をもっているからなのですね。ですから、室内犬のしつけは「いかにして”アンタは一番下よ”ということを分からせるか」というところにポイントが置かれるわけです。

さてこの「自分を一番下には置かない」という習性がどうやら人間にも存在するらしい、ということに気付いたのはウチの4番目が自己主張を始めた半年ほど前のことです。我が家の子供は7才女、5才女、3才男、1才女、という構成ですが、現在1才7ヶ月の末っ子はすぐ上の長男を完全にバカにしております。おねえちゃんたちの言うことは聞くのに、長男のいうことは「わざと」無視します。長男が夢中になってなにかしていると「絶対に」「非常に精力的に」邪魔をしにいきます。プラレールの線路を壊されてヒステリックに抗議する長男に、さらに電車を投げ付けたりします。長男は末っ子に暴力をふるってはいけない、ということを分かっているので手出しができません。それをいいことに傍若無人の限りをつくす末っ子。最後に、泣きわめく長男の頭を撫で「いいこいいこ」してようやく満足。毎日のようにくり返されるこの一連の行動は、末っ子が長男に「アンタは私の下なのよ」ということを分からせる為の「しつけ」なのではないでしょうか?思い出してみると、長男が小さい時はすぐ上の次女がよく泣かされていました。赤ん坊というのは自分が成長するのに手一杯なのかと思いきや、ハイハイやタッチやアンヨを会得しながら、家族の順位を的確に把握し、アンヨが出来るやいなや一番下と見なしたヤツに「それっ」とばかり攻撃をしかけていきます。ま、こういう行動はしゃべれるようになると自然とおさまってくる様ですが、その後のきょうだい間のいざこざというのも、どうやら「すぐ上」「すぐ下」との間で起こることが多いみたいです。3つ子の魂百まで。根深い確執があるんでしょう。

とまあ、例として犬と子供を取り上げてみましたが、もちろん「もと子供」である大人にも同様の習性があるのは御存じですね。

「人間は自分より下を作りたがる」

人種差別の例を持ち出すまでもなく、我々は日常「あの人よりはマシよねー」と自分を相対的に持ち上げるということを、また、落ち込んでいる人を励ます際に「そんなのまだいい方だよー」といった具合に、割合簡単に第3者を貶めております。これは非常に手っ取り早い、いわゆる「プラス志向」なのだと思いますが、よく考えてみるとなかなかにイヤらしい考え方ではないでしょうか。いえ、だからそういうのはよそう、という訳ではなく、人間というのは「そういう生き物」である、っつーことだと思うのですが。皆様どうお考えでしょうか?

今日から2月。次女と長男は保育所に行きました。一人家に残された末っ子は・・・・そう、当然のように一日中「お母さんと遊ぶ」と心に決めているみたいなんですね。今は絵本にハマっています。同じ絵本を何十回もめくらされるんです。たまらんですよ、とほほ。
それでは今日はこの辺で。次回をお楽しみに。


第40回(00.2.10)

皆様こんにちは。今日の常識へようこそ。
北海道はだんだんと日照時間が長くなり、うれしい春が近付いております。4月から末っ子も保育所に入れてもらうことになっており、いよいよ好きなことし放題(え?今は違うのかって?違いますう!)、またビニールハウスを一から建て直すという楽しみも出来たので、暖かくなるのを心待ちにしております。今度の畑予定地は、家の北側でちょっと日当たりが悪いのですが、ミニトマトのリクエストが子供らから出ており、これはやはり作らねばなるまい、といった状況です。トマトは日当たりを非常に好む作物なのですが、さてどうなるでしょうか?ま、これはこれで楽しみなのですが。

さて、今日は食べ物の話。私は北海道に来て8年になりますが、ここ数年、冬にきゅうりやトマトやレタスを食べなくなりました。季節の取れたて野菜をダンナがよくもらってくるので、それぞれの旬がよくわかったということもありますが、なにしろ冬にレタスなんぞ食べるとカラダが冷えるようになったのです。年のせいか、はたまたカラダがまともになってきているのかわかりませんが、冬にナマ野菜なんぞ食べる必要はないぞ、と私のカラダは申しております。

「冬は白菜、大根、小松菜」

「あとモヤシとニラ」

「あとネギもね」

「冬キャベツってのもあったな」 (←いっぺんに言え、いっぺんに)

冬には冬の野菜を食べる。常識なはずですが、季節感のない今の日本ではまるで無視されているなあ、と真冬のスーパーに並ぶ真っ赤なトマトを眺めてはしみじみ感じております。土のない生活では見落としてしまう真実もたくさんあるのですね。

ところで、私はなんでもパクパクよく食べるヤツですが、異常に好きなものに「カレーうどん」があります。皆様は「カレーうどん」お好きでしょうか?私は大好きです。いえ、大好きと言う言葉では表現しきれない、ほどの思いがあります。溺愛、という言葉がありますが、文字どおりあのとっぷりとした茶色い粘液に溺れてみたい、と妄想するほど愛しております(もちろんうそです)(いえ、大好きなのはホント)。
なんでそんなに好きなのかといいますと、実家(東京都板橋区)の近くに「長岡屋」というソバ屋がありまして、よく出前を頼んだのですが、そこのカレーうどんがうまかった。ただそれだけ。大山の瑞法幼稚園前にありますので、お近くの方はぜひ食べてみて下さい。お近くない方は、あつよ式長岡屋風おいしいカレーうどんの作り方を御覧いただき、興味があれば自作してみてください。
で、カレーうどんのどこがそんなに好きなのか?と考えてみますとですね、味がどうこう、食感がどうこう、という理由以前に、食べ終えた後の心地よい疲労感と達成感にハマってしまったのではないか、と、こう思う訳ですよ。人間の尊厳を少々損なう食べ物であるところもデンジャラスでよろしい。地獄のように熱い麺。容赦なくくもるメガネ。はずむ息っ、飛び散る汁っっ。適度な発汗と鼻汁の分泌。口唇部に心地よい抵抗を感じつつ、どんなに眉目秀麗な人物でも「ズルズルっ」と音を立てずには飲めない汁を最後の最後まですすりこみ、空のドンブリをテーブルに置く時の、我が人生至上の満足感、充実感・・・・・・・・(←余韻)。
そう、

「カレーうどんはスポーツである」

と言い切ってしまっても全然OK大当たりだと思いますね。ついでだから今ここで「スポーツである」ということにしてしまいましょう。ふーっ、ぎりぎり21世紀に間に合いましたね。(←間に合わせてどうするんだ)皆さんもこの未来派スポーツで気持ちいい汗、流してみませんか?
それでは今日はこの辺で。次回をお楽しみに。
あそうそう、業務連絡。ふじーさん、はるかさん、3冊目が出てるみたいなんで注文しときます。


第41回(00.2.24)

皆様こんにちは。今日の常識へようこそ。
「沈まぬ太陽」を読んで飛行機嫌いに拍車をかけているあつよです。御無沙汰してしまってすみません。実は最近急にタテ長になってきた1才8ヶ月の末っ子(以下、ヤツ)がパソコン周りの防護壁(ベビーベッドの枠で築いたバリケード。私は”ファイアーウオール”と呼んでいた)をついにクリアしてしまったのです。もみじのような手をしたヤツにハッキングされたG4の紫ナマコデスクトップには「3」という味も素っ気もない名前にされてしまったHDや「cvgt09ih」という暗号コードを背負わされたプリンタなどが並んでおります。ヤツは私に似て賢いので、勝手にネットに繋いでいたりすることもあります。よりによってパワーキーを続けて何度も押してくれちゃったりするところがもうかわいくてかわいくてたまりません。私がパソコンの前に座ると、ヤツはつぶらな瞳をキラキラさせて「即」こっちに向かって来るので母親冥利に尽きまくっております。そういう訳で、メールのお返事などが遅れております。ごめんなさい。

話は変わりますが、皆様は「飛騨高山」と聞いて何が思い浮かびますか?岐阜県北部、山に囲まれた飛騨地方の中心で、合掌造りの白川郷や、独創性にあふれた家具の産地として有名な観光地ですが、私の頭にはなによりもまず「口裂け女のふるさと」としてインプットされてしまっております。あの噂の伝播時期を調査していくと、どうも飛騨高山が噂の出所らしい、と当時の雑誌か新聞に載っておりました。懐かしいですね、口裂け女。怖かったですね、口裂け女。笑えましたね、口裂け女。30代以上の方々はおそらく、それぞれがそれぞれの「口裂け女の思い出」をお持ちだと思います。私の思い出は、妹が夕方一生懸命戸締まりをしているので、何事かと尋ねたら「今口裂け女が巣鴨まで来ているらしい。100メートル11秒の俊足なので、こっちに来るのはすぐだ。急がねば。お姉ちゃんも手伝え。」という非常にリアルなものでした。いえ、もちろん中学生だった私は大笑いしたんですけども。

で、最近。生まれも育ちも結婚も出産も飛騨高山という、チャキチャキの飛騨高山っ子(←なにか特徴でも?)であるまりさんホームページ 主婦じゃなくても笑える主婦サイト)とネットで知り合いました。まりさんにその噂の真偽を確かめたところ、予想外に詳しい情報をいただきました。

「口裂け女の発祥は、高山市の『石浦町バナナセンター』近辺らしい 」

ばっ

?!バナナセンター!?

そそそそっっそっそそれって、「熱川バナナワニ園」と何か関係が??と大喜びした私でしたが、なんでも看板だけしか残っていなかったという、地元の人でさえよくわからない謎の施設だったそうです。たぶんバナナ倉庫だったんじゃないか、とまりさんはおっしゃってましたが、それにしても「バナナセンター」とはあんまりです。面白すぎ。

さて、昨日の話ですが、沢田亜矢子が離婚訴訟に勝訴した、という新聞記事を読んでまして、例の暴力セクハラ元ダンナ(爬虫類)のプロポーズの言葉に改めて爆笑しました。皆様御存じでしょうか?

「地獄の果てまでついていく」

というプロポーズだったそうです。うひゃひゃひゃ。嘘じゃありませんでしたね。
ま、しかし、

「あんまり極端なプロポーズをする男は要注意」

なのかも知れません。ちなみにウチのダンナのプロポーズらしき言葉は、冒頭に「じゃあ」がついておりました。数年前、「写ルンです」のCMで沢口靖子が「『じゃあ』って何よ!」と男に詰め寄るヤツがありましたが、あれで異常に大受けしていたのは私です。ま、しかし「じゃあ」だろうが「ぼちぼち」だろうが「ついでに」だろうが、男性はプロポーズをきちんとしないといけませんね。(理由についてはプロポーズのススメをぜひお読みください)むろん、奇を衒ってはいけません。そういうのを思い付いちゃった場合は、私にメールすることにして、彼女にはオーソドックスに「けけけけ結婚してください」と言っとくのが間違いないと思います。

なんだか世間話に終始してしまいましたが、ヤツがこっちに来そうなので今日はこの辺で。次回をお楽しみに。

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